『レディ・ジョーカー』:2004、日本

昭和22年1月18日、全国労働組合共同闘争委員会が結成され、2月1日までに最低賃金引き上げを含む全ての要求が受け入れられない場合には無期限ストに突入すると通告した。しかしマッカーサーのゼネスト中止命令により、650万人の願いは虚しく潰えた。日之出ビールの神奈川工場を解雇された物井清二は、吹雪の日に貧しい実家へと帰郷した。彼は弟の清三に、土産の笛を差し出した。その夜遅く、清二が会社への抗議文を綴る姿を、清三は寝床から見つめていた。
それから50年以上が経過し、老齢となった物井清三は小さな薬局を営みながら1人で暮らしていた。店を出ると、通りから日之出ビールの本社ビルを見ることが出来た。物井は東京の外れにある特養ホーム「緑風苑」に通い、そこに入所している清二と会っている。物井が差し入れる日之出ビールを、彼は美味しそうに飲んだ。川崎競馬では、蒲田中央署刑事課の半田修平が信用金庫職員の高克己に、完全犯罪がしてみたいと話す。競馬場に現れた物井は、重度の身体障害を持つ娘・さちを連れて来ている元自衛官のトラック運転手・布川淳一に目をやった。物井は旋盤工の松戸陽吉が左手を怪我しているに気付き、話し掛ける。すると松戸は、工場で金型を落とされたことを話した。物井、半田、布川、高、松戸の5人は競馬仲間だった。
平成16年10月、元捜査一課で大森中央署刑事課の合田雄一郎は、同僚の大滝からの電話で、日之出ビール社長・城山恭介が帰宅していないという連絡が家人から入ったことを聞かされる。城山邸の庭先を調べた合田は、封筒が落ちているのを発見した。封筒を開けると、「社長ヲ預カッタ。五億出セ。レディ・ジョーカー」という脅迫文が入っていた。日之出ビール副社長兼開発本部長の白井誠一は誘拐事件発生の知らせを受け、社長のメモや日誌などを全て回収するよう部下に指示した。
本社に到着した白井は、副社長兼事業本部長の倉田誠吾に「岡田経友会が絡んでいる可能性がある」と告げる。日之出ビールは総会屋の岡田経友会に対して10億円の金を支払い、昨年の内に手を切ったはずだった。しかし今年に入り、群馬の山奥にある何の価値も無い山林を買うよう脅しを掛けて来ている。新商品発売の1週間前に事件は起きており、白井は岡田同友会が犯人に違いないと考えていた。しかし実際の犯人は、物井たちのグループだった。
警視庁捜査一課・特殊班主任の平瀬悟が城山の妻・玲子に話を聞いていると、城山の弟である武郎と彼の娘・佳子がやって来た。布川、高、松戸は目隠し状態の城山を車で運び、富士の裾野にあるプレハブ小屋に連れ込んだ。自宅で待機していた物井の元には、相棒の青柳誠一と共に捜査中の半田から電話が掛かって来た。「上手く行ってる」と知らせる半田に、物井は「写真を忘れるなと伝えてくれ」と指示した。物井はお茶を飲みながら、5ヶ月前の出来事を回想する。彼は娘婿である秦野浩之からの電話で、孫の孝之がバイク事故で死んだことを知らされたのだった。通夜の席には、佳子の姿もあった。
まだ事故が起きる前、秦野が経営する歯科医院を、岡田経友会系企業舎弟の西村寛司という男が訪ねて来た。西村は秦野に、日之出ビールを解雇された際に清二が書いた手紙のコピーを見せた。「この手紙と息子の死と、どういう関係があるんだ?」という質問に、「物井清二という名前は?」と西村は言う。西村は清二が物井の兄であることを説明し、「明らかに日之出を批判しています。そんな人物の親族を会社が採用しますかねえ。ましてや先生のお生まれの問題もある」と語る。強請りだと感じて激怒する秦野だが、西村は孝之と佳子のツーショット写真を見せ、「就職差別と戦いましょうや」と口にした。
秦野は出社しようと邸宅を出た城山の前に現れ、カセットテープを車内に投げ込んで去った。城山がテープを再生すると、秦野が清二の手紙を読み上げた音声が録音されていた。清二は被差部落出身者の友人と一緒にいたというだけで、2人まとめて解雇されていた。城山は白井や倉田たちに、そのテープを聴かせる。孝之は二次面接の際、体の不調を訴えて途中退席し、不採用になっていた。会社には秦野から「選考過程が疑わしい」と訴える手紙が届いていた。秦野は被差別部落出身者であり、差別があったと考えていた。
白井は城山に、孝之が先月15日に事故死していること、佳子の交際相手だったことを語った。その夜、城山は武郎の家を訪れ、佳子から話を聞く。佳子は孝之に、秦野の出生が理由で結婚を反対されていることを話していた。城山は武郎に、孝之の仏前にお参りするよう告げる。すると武郎は、「倉田さんから、日之出とは一切関係ないことにして下さいと言われまして」と語る。「これは城山家の問題だ。会社は関係ない」と城山が言うと、武郎は「岡田経友会ですか」と問い掛ける。城山が「それとこれとは別だ」と口にすると、「結局、全部の責任を私に被せてるんじゃないですか?」と武郎は兄を責めた。夏の暑い日、物井が緑風苑へ行くと、清二はベッドで息絶えていた。遺骨を持って薬局へ戻って来た彼は、日之出ビールの本社ビルを見つめた。
大森中央署刑事課・課長代理の土肥正行は、誘拐事件の捜査に当たって張り切っている。その様子を見ていた合田に、同僚の安西憲明は「私だって本部勤務が待っていると思うと力も入るさ。本部にいたアンタには分からんだろうけど」と言う。捜査本部が設置され、召集された刑事たちが指示を受ける。半田は合田の姿に気付き、小さく笑みを浮かべた。高は城山に、「もうすぐアンタを解放する。こちらの要求は20億。古い1万円紙幣で20億だ。ただし警察には、犯人は5億要求し、受け渡し方法は追って連絡をすると言ったと話せ。人質は350万キロリットルのビールだ」と述べた。
布川、高、松戸は城山を車に乗せ、周囲に人の気配が無い場所で降ろした。車が走り去った後、城山は松戸がシャツの胸ポケットに入れた物を取り出した。それは佳子の写真だった。56時間ぶりに解放された城山は警察車両で大森中央署へ護送され、その様子をニュース番組が報道した。平瀬は城山から事情聴取するが、辻褄の合わないことが多いため、何か隠しているのではないかと睨んだ。しかし城山は追及されても、「思い出せることは全て話しています」と言う。
会社に戻った城山は、白井から秦野と佳子の関係が話題にならなかったかと問われ、「話題になりませんでした」と答える。群馬の山林の件が出なかったかという質問にも、「一切、そうした話は出ませんでした」と告げた。倉田は城山に、清二の手紙のコピーが役員にも送り付けられて来たことを話す。その夜、武郎は社長室を訪れ、テープや秦野の件について警察から訊かれたことを城山に話す。城山は「犯人たちが要求しているのは、あくまでも金だ。佳子ちゃんのこととは関係ない。家族の話は切り離してくれ」と言う。
事件発生後、目撃情報の1つも挙がっていなかった。警視庁捜査一課長の神崎秀嗣は刑事たちに、捜査本部で「この犯行は高度に計画的であり、異様に周到である」などと語った。半田はトイレで合田に話し掛け、「犯人、捕まると思いますか。絶対に捕まらないと思いますよ、俺は」と告げた。物井の家では、松戸が風呂を借りていた。客を装って薬局に現れた半田は、物井に「しばらくは顔出さないよ。早速、尾行が付いた。高には川崎に足を運ばないよう、釘を刺しておくよ」と述べた。
翌朝、日之出ビール神奈川工場のガードマンは、門の前に落ちている封筒を発見した。封筒を開けると、10月15日付の東邦新聞に「恭子、許ス、父」という広告を出すよう要求するレディ・ジョーカーの脅迫状が入っていた。合田は神崎から呼び出され、平瀬に「捜査本部としては、是非ともレディ・ジョーカーを動かしたい。そのために日之出には広告を出してもらい、現金受け渡しの指示を待つ」と言われる。平瀬は合田に、表向きは鞄持ちということで、城山の身辺警護と彼の観察、社内の動きの観察を行うよう命じた。
神崎は合田に、事件発生直後、城山邸のある地域を受け持つ交番の出動状況を訊いていることについての理由説明を求められる。合田は、警戒地域にも関わらず、事件発生の夜に限って犯行時刻に警らが近くにいなかったことへの疑問があったことを話す。翌日から、合田は鞄持ちとして城山に同行して日之出ビール本社に赴き、スケジュールを確認した。日之出ビールでは役員会が開かれ、白井は「犯人がビール業界に影響を与える行動に出る前に、一刻も早く取引をしなければならない」と主張した。
10月15日の朝、城山は邸宅の郵便受けへ行き、東邦新聞を取りだした。新聞を開いた彼は、「恭子、許ス、父」の広告を確認する。直後、郵便受けから携帯電話の呼び出し音が鳴り響いた。郵便受けにあった封筒を開けると、携帯電話が入っていた。城山が電話に出ると、「レディ・ジョーカーだ。今晩9時、この携帯で連絡を待て」という半田の声が聞こえてきた。夜9時、城山は会社で録音の準備を整え、携帯が鳴るのを待った。城山が携帯を取ると、部屋の外で待機している合田は手帳に時刻を記録した。
半田の指示は、「予定通り、明日、実行する。現金輸送車は赤のワゴン、5億を4つの紙袋に分けろ。運転手はランニング姿、後の指示は追って連絡する」というものだった。翌朝、刑事が赤のワゴンを運転し、平瀬たちが追跡した。あちこちを連れ回され、平瀬は苛立ちを覚えた。ワゴンは指示に従って渋谷の公園通りにある地下駐車場に入り、平瀬たちも後を追った。駐車場の中で煙が発生し、火災警報が鳴り響くが、犯人グループは接触して来なかった。
平瀬は合田の元へ行き、今回の現金授受が偽装であり、裏取引が行われると考えていることを話す。平瀬は城山宛てに何の電話も入っていなかったことを聞き、彼が最初から結果を知っていたのだろうと推察した。平瀬は合田に、犯人と日之出の連絡ルートを突き止めるよう指示した。一方、松戸は旋盤工場の機械で日之出ビールの蓋に穴を開け、高が注射器を使って紅麹色素を混入させた。やがて都内2箇所から赤い日之出ビールが見つかり、本社では神奈川工場と埼玉工場のラインを一時停止することにした。
平瀬は疑わしい男の声を録音した何本ものテープを城山に聴かせ、少しでも聞き覚えがあれば言うよう求めた。いずれの声に対しても、城山は聞き覚えが無いと証言した。部屋を出た平瀬は、身内3名の声が含まれていたことを合田に話す。事件のあった夜、その3名は無線を携帯していた。その中には半田の声も含まれていた。その夜の9時過ぎ、また城山の携帯電話が鳴った。彼が通話を終えた直後、合田は部屋に入り、「我々は社長が犯行グループと接触手段を保持しているものと見ています」と告げる。城山は「貴方のやっていることはスパイと同じです。明日から来て頂かなくて結構です」と通達した…。

監督は平山秀幸、原作は高村薫『レディ・ジョーカー』毎日新聞社刊、脚本は鄭義信、製作総指揮は中村雅哉、企画・製作は石原清行、製作は坂上順&中島健一郎&早河洋&大村正一郎&神戸陽三&橋昌利、エグゼクティブプロデューサーは永江信昭&木村純一&朝野富三、プロデューサーは藤田裕一&藤田義則&福島聡司&横手実、撮影は柴崎幸三、照明は上田なりゆき、美術は中澤克巳、録音は宮本久幸、編集は川島章正、技斗は高倉英二、音楽は安川午朗、音楽プロデューサーは津島玄一。
出演は渡哲也、徳重聡、吉川晃司、長塚京三、岸部一徳、辰巳琢郎、菅野美穂、清水紘治、宮下裕治、國村隼、大杉漣、吹越満、加藤晴彦、松重豊、綾田俊樹、三田村周三、大寶智子、矢島健一、菅田俊、阿南健治、外波山文明、光石研、康すおん、山本浩司、谷津勲、岩田丸、藤井京子、窪園純一、島ひろ子、東山麻美、永岡佑、建藏、斉藤千晃、影山英俊、江連健司、荻原紀、加藤隆之、宮崎彩子、高原慶一朗、富岡忠文、八代浩幸、藤本匡人、小橋正佳、下田敦郎、新井一夫、浜田道彦、藤岡大樹、足立学、大滝明利、松田直樹、尾崎雅幸、上戸章、赤池公市、松本良、三宅慎介、福田隆雄、渡辺まさる、佐藤仙學、帆足新一、木下綾菜、高田彩香、丸屋正代、小野口淳子、高橋花衣、梅岡南斗、島津健太郎、後藤たつや、またが真、江口信、末次浩一、山中寛、植草信和、坂東久美、齋藤芽美、八木裕幸、八神徳幸、高井正憲、佐分千恵ら。


高村薫の同名小説を基にした作品。
脚本は『お父さんのバックドロップ』『血と骨』の鄭義信、監督は『OUT』『魔界転生』の平山秀幸。
物井を渡哲也、合田を徳重聡、半田を吉川晃司、城山を長塚京三、白井を岸部一徳、武郎を辰巳琢郎、佳子を菅野美穂、倉田を清水紘治、昭和22年の物井を宮下裕治、平瀬を國村隼、布川を大杉漣、高を吹越満、松戸を加藤晴彦、西村を松重豊、秦野を綾田俊樹、神崎を矢島健一、安西を菅田俊、巡回警官を阿南健治、土肥を外波山文明、青柳を光石研が演じている。

渡哲也は、明らかにミスキャストだ。「一人暮らしの寂しい老人」という役柄は、全く似合わない。
まだ元気や活気があることが、表に出過ぎているんだよな。もっと枯れた雰囲気が欲しいのよ、その役には。
谷津勲の弟が渡哲也ってのも、違和感がありすぎるし。
どうやら渡哲也には当初、城山役でオファーが来ていたらしいが、そっちならピッタリだ。
長塚京三だと、「大手企業のカリスマ性がある社長」という部分で物足りなさがあるし。

主要人物が登場した時には、名前と役職がスーパーインポーズで表示される。
で、合田の時は「大森中央署刑事課強行係(元捜査一課)」と表示され、後で安西に「本部にいたアンタには分からんだろうけど」と言われたりする。
原作だと合田は『マークスの山』や『照柿』にも登場しており、『照柿』で警視庁警部補から大森署へ異動させられているという流れがある。
だけど、この映画だけを取ってみれば、彼が元捜査一課というのは物語に何の関係も無く、余計な情報だ。
情報不足な部分が多いのに、そんな情報だけ入れてどうする。

一言で言えば、私のように原作を読んでいない人間からすると、何が何やらサッパリ分からない映画である。
複雑な人間関係があり、大勢の人々が絡み合う相関図を整理する必要がある。
何の予備知識も無いまま軽々しい気持ちで映画を観賞すると、そこが頭の中で全く整理されないまま、どんどん話が先へ進んで行ってしまう恐れがある。
もっと削ぎ落とす作業が必要だろう。
例えば、岡田経友会なんて明らかに削り落とせたでしょ。絡めた意味が全く感じられないぞ。

そもそも、タイトルの意味からして理解できない。何が「レディ」で、何が「ジョーカー」なのかと。
布川さちが「レディ」と呼ばれているのだが、なぜ彼女の呼び名をグループ名に使うのか、その理由も良く分からないし。
競馬場で姿が写し出された後、終盤に入るまで二度と登場しないぐらい小さな扱いだし。
そもそも、さちは登場した時に「布川さち(レディ)」という表示が出るけど、なぜ彼女がレディと呼ばれているのかも分からないんだよな。

犯人グループの犯行動機も、サッパリ分からない。
どうやら高は金目当てのようだが、他の連中の目的は何なのか。
物井の目的は「兄の恨みを晴らす」ということっぽいけど、幾ら兄の死がきっかけだからと言って、「今さらですか」という気がするし。
兄が解雇されてから家族の生活が厳しくなったとか、さんざん苦労するハメになったとか、解雇されてから兄が不幸な人生を送るのを物井が見て来たとか、そういう境遇が描かれていたりすれば、もう少し納得しやすかったかもしれない。
だけど、まあ時間的な余裕が無いわな。

それでも物井は犯行動機が推測できるだけマシで、半田、布川、松戸に関しては、全くの謎。
手に入れた金に対する執着心が皆無なので、金目当てじゃないみたいだが、だったらモチベーションがどこにあるのか理解不能だ。
あと、ただの競馬仲間なのに、やけに結束力が強いのは違和感を禁じ得ない。
金が目当てじゃないとしたら、ますます結束力の強さは分からん。何が彼らを繋いでいるのか。
「何かに虐げられた人々」としての共鳴があったのかもしれないが、映画を見ている限り、そういうことは全く伝わって来ないし。

なぜ半田に尾行が付くのかも分からない。犯人との繋がりを疑われるようなことは、何もやっていなかったはずだ。
合田に「犯人、捕まると思いますか。絶対に捕まらないと思いますよ、俺は」と言ったことで疑われたわけじゃないよな。
っていうか、なんで半田は、そんな余計なことを合田に言ったのか。
神崎は「この犯行は高度に計画的であり、異様に周到である」と話しているけど、半田は城山と電話で話す時にもボイス・チェンジャーも使わず生声で喋っているし、どうも行動が大雑把なんだよなあ。

あと、武郎が自殺する理由も全く分からない。警察の尾行が付いただけで自殺するのは無理があるし。
半田を引っ張ることが決まった後、上司である土肥が拳銃自殺するのもワケが分からない。部下が犯罪をやらかしたからって、死ぬことは無いだろうに。
いや、そりゃあ現実社会で同様の出来事が起きた時に、武郎や土肥のような行動を取る奴が全くいないのかと問われたら、そりゃあ可能性が無いとは言わんよ。
ただ、映画としては、そこに大半の観客が納得できる理由を用意すべきでしょ。

物井が半田に「写真を忘れるなと伝えてくれ」と指示した後、長い回想シーンに入る(時間的には15分ほど)。物井が孫の事故を知るシーンだけで終わらず、秦野の元を西村が訪れるシーン、秦野が城山にテープを渡すシーン、城山が白井たちと話すシーン、城山が弟の家を訪れて佳子と話すシーン、物井の兄が死ぬシーン、物井が日之出ビールの本社ビルを見つめて何かを決意するシーンが描かれる。
一応は色彩を変えて「過去の出来事」ってことを表現しているんだが、ボーッとしていると、どこまでが回想シーンなのか分からなくなる。
っていうか、それはボーッとしている方が悪いんだが、どこまでが回想シーンなのか分かったとしても、そんなに幾つもの出来事を並べた回想シーンがずっと続くのは、構成として上手くない。
回想シーンで描く内容を削り落とすか、あるいは途中で何度か現在のシーンに戻って来るか、もうちょっと何かしらの工夫が欲しい。

グリコ森永事件、障害者、被差別部落、在日朝鮮人、総会屋、警察組織の腐敗、企業の利益供与、労働争議など、様々な要素、それも重厚な物語を紡ぎ出すための要素が色々と盛り込まれている。
だが、どれも上っ面をなぞったか、とりあえず盛り込んだものの放置してしまっているか、どちらかで終わっている。
だから、高が在日朝鮮人二世であることの意味も、さちが重度の身体障害者である意味も、松戸が工場で左手に怪我をした意味も、まるで無い。
なぜなら、そんなところまで描いている時間的な余裕が無いからだ。

重厚な人間ドラマを描くことも出来ておらず、繊細な心理描写をすることも出来ておらず、原作の内容をダイジェスト的に処理するだけで精一杯といった感じだ。とにかく、あらゆる描写が淡白だ。
例を挙げると、例えば玲子は夫が誘拐されたのに、ものすごく落ち着いている。
物井は秦野からの電話で「孝之がバイクで事故を起こしまして」と告げられても、まるで動じない。それだけでなく、その言葉だけで、孝之が死んだことまで見抜いている。
感情がクッキリと見えるキャラクターが、ほとんど存在しない。
なぜなら、そんなところまで描いている時間的な余裕が無いからだ。

原作と似ても似つかぬ内容や、まるで原作の面白さを表現できていない作品に仕上がった時、それを「原作レイプ」と呼んだり、そんな映画を作った脚本家や監督を「原作クラッシャー」と呼んだりする。
この映画は、まさにその表現がピッタリとハマる作品ではないか。
私は原作を読んでいないが、それでも「こりゃ絶対に原作の面白さの10分の1も表現できていないだろうな」ということが伝わって来る。
原作を読んでいる人からすれば、私より遥かに「コレジャナイ」感を強く抱くことだろう。

ただし、どうやら色々と調べてみると、そもそも2時間の映画にまとめるのが無理なんじゃないかという気がする。
原作のボリュームがものすごく厚くて、しかも単に文章の分量が多いというだけでなく、様々な要素を盛り込んだ内容らしいのだ。
そうなると、それを全て持ち込んで1本の映画にするってのは難しいんじゃないかと。
それは上映時間が121分だから無理ってことじゃなくて、たぶん150分でも180分でも無理だったんじゃないかと。連続ドラマじゃないと、消化し切れないんじゃないかと。

どうしても約2時間の映画1本にまとめようとすれば、原作の内容から幾つかの要素を削り落とす必要性が生じる。
どこを削ったとしても、原作ファンからすると不満が出る内容になるかもしれないが、1本の映画にまとめたいのであれば、そういう作業は必要不可欠だ。
あれもこれも盛り込もうとして、どれもマトモに消化できず、説明不足が甚だしい仕上がりになってしまうよりは遥かにマシだろう。
で、どこに焦点を絞り込んだ映画に仕上げるかってことを考えた時に、「虐げられた人々の復讐劇」にするのがベターなんじゃないかと。

監督は原作小説を「被差別側の差別側に対する復讐劇」という風に解釈していたようだ。
ところが映画を撮る前に原作者と面会した時、その解釈を完全否定されちゃったらしい。
だから「復讐劇じゃないですよ」という言い訳みたいな仕上がりになったのかもしれない。
でも原作と全くテーマやメッセージが異なってしまったとしても、この映画を見た限りは、やっぱり「虐げられた人々の復讐劇」にする以外に、作品を救う方法は無いと思うんだよなあ。
最終的に虚しさで着地しても、それは別に構わないんだけどさ。

(観賞日:2013年9月7日)

 

*ポンコツ映画愛護協会