『妖星ゴラス』:1962、日本

1979年9月29日、車で海へ遊びに来た園田智子と親友の野村滝子は、富士山麓宇宙港から発射された第一回土星探検の宇宙船「JX-1隼号」を目撃した。乗組員は智子の父親である艇長の園田雷蔵、滝子の恋人である副艇長の真鍋英夫、以下37名である。地球重力圏を抜けて慣性飛行に入った隼号は、パロマー天文台が質量が地球の6000倍に達する黒色矮星「ゴラス」を発見したという地球太陽系第一放送の通信を受けた。宇宙管制委員会が観測への協力を要請していると知った隼号は、ゴラスへ向かった。しかし観測データを地球へ送信した隼号は、ゴラスの引力に飲み込まれた。
クリスマス、智子と滝子が賑わう街を歩いていると、宇宙省のパイロットである知人の金井達麿が現れた。彼はロボットの扮装をしており、土星開発会社の株を2人に売り込んだ。智子が帰宅すると祖父の謙介や弟の速男、日本宇宙物理学会の田沢博士らが集まっており、彼女は父の死を知った。内閣の責任が追及されることを懸念した法務大臣の木南は、雷蔵を英雄扱いしないよう総理大臣の関に進言した。
関や木南、大蔵大臣の多田、宇宙省長官の村田たちが閣議を開いているところへ、宇宙物理学会の河野博士が調査報告書を持参してやって来た。河野は一同に対し、今の軌道で進めばゴラスが地球に衝突することを話した。日本だけの問題ではないため、宇宙物理学会は国連科学委員会の緊急招集を要請する。宇宙港で訓練を積んでいた金井や仲間の若林、伊東たちは、ヘリで戻って来た遠藤艇長の様子を見て、鳳号の打ち上げが中止になったと悟る。腹を立てた彼らはヘリを拝借し、宇宙省へ乗り込むことにした。
金井たちの抗議を受けた村田は「誰が中止だと言った?」と告げ、遠藤が望む予算がすぐには出ないだけだと説明した。予算を取るためには議会の承認が必要だが、隼号の事故で莫大な損失が出たため、難しい状況なのだ。河野は田沢を伴い、旧知の仲である謙介を訪ねた。田沢たちはゴラス衝突を回避するために奔走していたが、日本政府の腰は重く、国民も真剣に捉えていなかった。「ゴラスを吹っ飛ばすか地球が逃げるか、この2つしか無いじゃないか」という速男の言葉に智子は呆れるが、田沢は真剣に受け止めた。
田沢は国連科学委員会に出席し、「ゴラスが太陽系に侵入すれば45日目に地球へ到達する。それまでに少なくとも地球は40万キロ以上の大移動を完了させなければいけない」と語る。66億メガトンの重水素原子エネルギーを利用して地球を移動させるというのが、彼のプランだった。議長のフーバーマンは、各国が研究データを公表して協力するよう促した。全員が拍手で賛成し、南極に大ロケット基地を建設することが決議された。
日本に戻った田沢は閣議に出席し、国連科学委員会が集めたデータを基に、ゴラス衝突によって何が起きるのかを詳しく説明した。関が「こうなると科学者には頭が上がらない」と無力さを感じているところへ、国連本部から「ゴラス調査に鳳号を派遣するように」という要請が届いた。金井は出発を控え、好意を寄せる滝子の元を訪れた。高価な時計をプレゼントした彼は、「必ず成功するとは限らない。もう会えないかもしれない」と言う。滝子は真鍋の写真を手に取り、「まだ死んだ実感が無いのよ」と口にした。すると金井は写真を窓から投げ捨て、「君も高校時代から発育が止まったな」と険しい顔で告げ、その場を去った。
遠藤や斎木副長たちを乗せた鳳号は、ノンストップでゴラスへ向かう。南極には各国の科学者や技術者たちが結集し、推力機関の建造が進められる。ギブソン博士と共に南極基地へ入った田沢は、真田技師に進捗状況を尋ねた。33号パイプ付近の地下工事は薄い岩盤に当たり、苦労しているという。その現場で落盤事故が発生したため、計画に遅れが出る。一方、鳳号の観測により、ゴラスの質量が地球の6200倍へと増加していることが判明した。ゴラスは他の星を吸収し、大きくなっていたのだ。カプセルでゴラスに接近した金井は予定の衛星軌道に到達できず、急いで脱出する。しかし鳳号に戻った彼は、衝撃の大きさで記憶を喪失していた。
ゴラスの爆破が不可能だと明らかになったため、地球の運命は南極基地に託された。南極基地のジェットパイプは一斉に火柱を上げ、地球は予定通りに少しずつ動き始めた。田沢はゴラスの質量増加に伴って基地拡張が必要だと考えるが、国連は「その必要は無い」と結論を出した。河野は「数字的根拠が無い」と主張し、田沢と対立する。しかし彼は謙介と2人きりになると、自分も田沢と同じ懸念を抱いていることを打ち明けた。ただ、国連も無い袖は振れないというのが実情で、正しい意見も抑えなければならないのだという…。

監督は本多猪四郎、原作は丘美丈二郎、脚本は木村武、製作は田中友幸、撮影は小泉一、美術は北猛夫&安倍輝明、録音は伴利也、照明は高島利雄、編集は兼子玲子、特技監督は円谷英二、音楽は石井歓。
出演は池部良、白川由美、久保明、水野久美、太刀川寛、平田昭彦、佐原健二、田崎潤、上原謙、志村喬、河津清三郎、三島耕、堺左千夫、佐々木孝丸、西村晃、小沢栄太郎、二瓶正典(現・二瓶正也)、野村浩三、佐多契子、天本英世、ジョージ・ファーネス、ロス・ベネット、向井淳一郎、桐野洋雄、坂下文夫、沢村いき雄、古田俊彦、上村幸之、緒方燐作、佐藤功一、河辺昌義、松原靖、岡部正、宇野晃司、権藤幸彦、丸山謙一郎、西条康彦、手塚勝己、山田彰、高木弘、鈴木孝次(鈴木俊継)、大前亘、庄司一郎、荒木保夫、三井紳平(渋谷英男)、今井和雄、由起卓也、石川浩二、鈴木友輔、熊谷二良ら。


円谷英二が携わった東宝特撮映画50本目の作品。
監督の本多猪四郎、特技監督の円谷英二、脚本の木村武、製作の田中友幸という顔触れは『空の大怪獣ラドン』『地球防衛軍』『美女と液体人間』『ガス人間第一号』に続く5度目の集結。
田沢を池部良、智子を白川由美、金井を久保明、滝子を水野久美、若林を太刀川寛、遠藤を平田昭彦、斎木を佐原健二、雷蔵を田崎潤、河野を上原謙、謙介を志村喬、多田を河津清三郎、真田を三島耕、関を佐々木孝丸、村田を西村晃、木南を小沢栄太郎が演じている。

ある場所に複数の人間が集まっていた。お腹が空いたので、鍋料理を食べることになった。
出来ることなら美味しい鍋料理が食べたいと考え、みんなが食べたい物を言い合ったが、てんでバラバラだった。そこで全員の食べたい物を、1つの鍋にブチ込んでみることにした。
でも色んな味が混じり合った結果、ちっとも美味しくならなかった。しかも、材料が多すぎたのに無理して鍋に押し込もうとしたら、底が抜けてしまった。
例えるなら、そういう映画である(例えが長すぎるっつーの)。

「でっかい隕石が迫って来るぞ。このままだと地球に衝突するぞ。どうしよう?そうだ、地球を動かそう。そうすりゃ当たらないぞ」という、コメディーのようなプロットを、徹底的にシリアスなテイストで描くSF映画である。
その時点で傑作に仕上がることは不可能だと確定したようなものだが、1962年という時代においては、そうでもなかったんだろう。
そんな時代だったんだろう。「どんな時代だよ」と問われたら、具体的なことは何も説明できない。
でも、そんな時代、嫌いじゃないぜ。

東宝の特撮映画を見ていてしばしば感じるのは、「その時代設定でホントに合ってます?」ってことだ。
1962年に封切られた本作品は、1979年という時代設定(隼号の航路図では「1976年」と書かれているが、公式設定では1979年らしい)だが、17年後の日本に「宇宙省」が存在するとか、普通に宇宙船を建造しているとか、各国が宇宙ステーションを打ち上げるとか、そういう描写は恐れ入る。
高度経済成長期でイケイケドンドンだったから「未来はバラ色」ということだったんだろう。
ただ、それよりも気になるのは、「そんなに科学が発達しているのに、高い建築物が東京タワーぐらいしか無い」ってことだ。
宇宙関連の要素以外は、まるで未来的じゃないのね。

隼号がゴラスの引力に飲み込まれて爆発した後、シーンが切り替わると智子と滝子が楽しそうに街を歩いている様子が写し出される。
父親が死んだってのに呑気なものだと思っていたら、なんと季節はクリスマス。冒頭で「海で泳ぎましょう」なんて言っていたので、その時間経過には違和感を覚える。
ロケットの発射が9月29日で、航路図では土星到着予定が10月15日となっていたが、もっと日数が経過していたということなのか。そこは時間経過が分かりにくいなあ。
っていうか、その「賑わう街を歩く2人」という手順、別に要らないでしょ。事故の後、すぐに雷蔵の葬儀が行われるシーンへ移ればいいでしょ。
そもそも、「帰宅したら通夜が行われている」って変じゃねえか。通夜の準備が整う前に、なんで娘が父親の死亡を知らされてないんだよ。

あと、滝子も恋人である真鍋が犠牲になっているんだけど、こちらは何のリアクションも無い。金井が訪ねて来た時には普通に過ごしていて、高価なプレゼントに喜んでいる。
その後で思い出したように真鍋の写真を手に取って「まだ実感が無いのよ」と言い出したりするが、取って付けた感じしか受けない。
智子は父の死なんて全く引きずらないし、「父や恋人が隼号に乗っていて犠牲になった」という設定って、ほとんど意味が無いんだよな。
あと、金井が真鍋の写真を捨てて「君も高校時代から発育が止まったな」と言い放つのは、ただの酷い奴でしかないぞ。恋人を亡くした直後の女を堂々と口説き、恋人の写真を冷淡に投げ捨てるって、クズじゃねえか。

宇宙港の医務室が写ると、訓練をサボっている伊東が『俺ら(おいら)宇宙のパイロット』という歌を口ずさむ。金井たちがヘリを拝借して宇宙省へ向かう際には、同じ歌をフルコーラスで聴かせている。
どういう意味があるんだかサッパリだ。その歌をヒットさせようとでも思ったのか。
そもそも、「ヘリを奪って宇宙省へ乗り込む」という展開そのものが要らないと感じるぐらいなので、そんな歌唱シーンはもちろん要らない。
ところが、鳳号発射が決まった後のパーティーでも、また歌うんだよな。
しつこいよ。

河野は国連科学委員会に出席し、地球を移動させるために核物質のエネルギーを利用するプランを提案する。
それには大量の水爆が必要であり、「放射能はどう処理します?」という疑問が出るのだが、「研究の段階では、我が日本でも成功する見通しが立っております」と言うだけ。
いや、だからさ、何をどうすれば放射能を無事に処理できるのかを尋ねているのよ。
結局、最後まで「どうやって放射能を処理するのか」という疑問に対する答えは出してもらえないんだよな。いいのか、それで。

鳳号の観測により、ゴラスの質量が地球の6200倍へと増加していることが判明する。
その後に金井がカプセルでゴラスへ突っ込むのは、無駄に危険なだけの行為にしか見えないんだけど、何の意味があるんだろうか。予定の衛星軌道に到達していれば、何か役に立つ情報が得られたんだろうか。
で、そこで金井は記憶を失うんだけど、これが物語の展開に全く関係しないんだよな。
「接近時に重大な情報を入手しており、終盤になって記憶を取り戻した彼の証言がヒントになって地球の危機が回避される」とか、そういうところで使われるんじゃないかと思ったんだけど、ホントに何の意味も無いのよ。

この映画を批評する時に必ず触れなければいけないのは、残り20分辺りで唐突に登場する怪獣トドラ、じゃなかった、南極怪獣マグマの存在だ。誰がどう考えても、何も脈絡も無く唐突に出て来る邪魔な存在だ。
鍋の底が抜けてしまった原因は、間違いなくマグマにある。
セイウチの怪物なのに爬虫類という設定になっているマグマは、東宝上層部の「やっぱり観客に受けるために怪獣を出そうよ」という急な指示で登場したらしいんだが、余計なことをしてくれたもんだ。
で、こいつは出て来たと思ったら、すぐに退治されて出番は終わる。登場から退場まで、わずか5分程度。画面に登場する時間だけを計算すると、1分にも満たないんじゃないか。

残り10分を切った辺りで月がゴラスと激突し、その引力に飲み込まれる。
ゴラスの引力に月が飲み込まれたのなら、その時点で地球も同じ運命を辿っているはずだが、そんなことは気にしちゃいけない。ある程度の正確な科学考証と、かなり多くの虚構によって、東宝特撮映画は作られているのだから。
で、もちろん地球は助かるのだが、ギブソンが言うように「仕事はこれからだ。地球を元の軌道に戻さないと大変なことになる」のだ。で、田沢は軽い調子で「しかし推力機関は南極より北極の方が設置が厄介なんだよ。足元は海だからね」と言うが、まだまだ問題は山積みだ。まだ何も終わっちゃいないし、日本はすっかり水没している。
だけど「全て解決してハッピーエンド」みたいに金井たちはスッキリした顔をしているんだが、いいのか、それで。

(観賞日:2014年2月12日)

 

*ポンコツ映画愛護協会