『陽暉楼』:1983、日本

昭和8年、高知随一の遊興として名高い陽暉楼。売れっ子芸妓の桃若は、芸妓紹介業を営む父・太田勝造に売られた身だ。母親のお鶴は既に死んでいる。陽暉楼の女将・お袖は、お鶴と勝造を取り合った過去を持つが、今は桃若を最高の芸妓に育てようとしている。
勝造は大阪に珠子という女を囲っていた。女義太夫の道を諦めた珠子は、もう一度花を咲かせたいと考える。珠子は勝造に仲介してもらって陽暉楼で働こうとするが断られ、娼婦になることにする。ダンスホールで出会った桃若と珠子は、激しいケンカを繰り広げる。
高知進出を狙う大阪の稲宗一家が、陽暉楼を守ろうとする勝造を襲って重傷を負わせる。病院に駆け付けた珠子に、勝造は自分の子分である秀次と一緒になるよう勧める。一方、桃若は恋人である佐賀野井の子供を妊娠したことに気付く…。

監督は五社英雄、原作は宮尾登美子、脚本は高田宏治、企画は佐藤正之&日下部五朗、プロデューサーは奈村脇&遠藤武志、撮影は森田富士郎、編集は市田勇、録音は平井清重、照明は増田悦章、美術は西岡善信&山下謙爾、舞踊振り付けは藤間勘五郎、音楽は佐藤勝。
出演は緒形拳、池上季実子、浅野温子、倍賞美津子、北村和夫、風間杜夫、田村連、丹波哲郎、二宮さよ子、熊谷真実、佳那晃子、仙道敦子、西川峰子、市毛良枝、成田三樹夫、小林稔侍、大村昆、内藤武敏、園佳也子、原哲男、花沢徳衛ら。


昭和初期の花柳界を描いた宮尾登美子の小説を映画化。
考えてみれば、娼婦や芸者の世界を描いた映画で、優れた作品というのは、ほとんど無いような気がする(そういう作品に巡り合っていないだけかもしれないが)。
そんなわけで、この映画も御多分に漏れず、出来映えはショボショボである。

とにかく、無駄に長いのが最大の欠点だろう。
もっとコンパクトにまとめられるはずなのに、無意味な「間」が多すぎて、それが退屈を招く結果になっている。カットできる登場人物や、カットできるシーンが、幾らでもあるというのに(カット「できる」ではなく、カット「すべき」と言うべきかもしれない)。

オープニングでは、勝造と駆け落ちしたお鶴が追っ手に殺される場面が描かれる。
しかし、そんな場面に時間を割く必要は全く感じない。なぜなら、お鶴がどういう死に方をしていようと、それはストーリーに何の影響も与えないからである。

無駄な場面に時間を使うくせに、重要と思われる部分は大幅にカットしたりする。
話の流れをキッチリ描けていない。
だから、桃若と珠子の間に友情が芽生えるのも唐突に感じるし、稲宗一家が勝造を襲うのも、唐突に感じてしまうわけだ。

公開当時、桃若を演じる池上季実子と珠子を演じる浅野温子の取っ組み合いシーンが話題となったが、ようするに、それぐらいしか見せ場が無いってことだろう。
その場面にしても、特筆するほど魅力のあるシーンではない。
人間関係や心情描写は薄く、だからキャラクターが光ってこない。

メインとなる人物が勝造なのか桃若なのか、ハッキリさせた方が良かったと思う。
「主人公は1人ではない」ということなのかもしれないが、中心となる人物を一人に絞らなかったことが、物語の主軸の曖昧さに繋がっているのではないだろうか。

全体を貫くテーマが全く見えてこない。
「昭和初期の花柳界」というのは舞台設定であり、テーマにはなっていない。
桃若と珠子の友情、桃若の生き様、勝造と桃若の親子の絆、幾つも要素はある。
だが、どれもキッチリ描けているとは言い難い。

ギクシャクとした展開の連続、ボンヤリした物語、薄っぺらい人物描写。
豪華なセット&衣装だけが浮き上がっている。
どれだけ枠線を念入りに描いても、中身の絵が弱いのでは意味が無い。

 

*ポンコツ映画愛護協会