『よなよなペンギン』:2009、日本

少女ココはペンギンコートを着て、夜な夜な町を歩き回っている。悪ガキ三人組に通せんぼされた彼女は、「空を飛んでいけるもん」と言い張った。「いいや、ペンギンは空を飛ぶことはできねえんだよ」とバカにされると、「嘘じゃないもん、ペンギンは空を飛べるもん。だって私のお父さん、一緒に空を飛んだもん」と口にする。彼女は三人組に反発して柵からジャンプするが、もちろん落下した。帰宅したココは死んだ父の写真を見て、「お父さん、ホントだよね。嘘じゃないよね」と泣き出した。
再び笑顔になったココは「頑張るよ」と言い、また外へ繰り出した。七福神の像がある噴水へやって来た彼女は、水に触れて音を鳴らす。しかし大黒天の頭が壊れて無くなっているため、最後の音が鳴らない。そこへココと仲良しの老人・じいが現れ、「石像が揃っている時はキレイに音を奏でたんじゃがなあ」と言う。ココは「天国のお父さんに聴かせてあげたいのに」と口にした。金色の羽根が落ちて来たので、ココはじいにプレゼントした。
帰り道、ココは階段を転がって来たペンギン型のカプセルを拾った。それを開けると、何かの部品が入っている。帰宅して組み立てると、それは猫のような人形になった。人形は動き出し、「いきなりですが、ペンギンストア開店セールご招待。みんなが好きなペンギングッズが一杯だよ」と喋った。ココは大喜びし、案内をする人形に付いて行く。ペンギンストアに辿り着いたココは、店内がペンギングッズで一杯なので頬を緩ませた。
ココの前にチャリーというゴブリンの少年が現れ、「開店を記念して一番に来てくれたお客様には、カートに積めるだけのグッズを無料でプレゼントすることになっています」と述べた。ココがカートにグッズを積むと、チャリーが映写室へ案内した。ココがスクリーンに写し出された『ゴブリン村へようこそ』という題名の白黒映画を観ていると、不意にソファーが天高く跳び上がった。しばらく飛んでから、ソファーは森に墜落した。それはチャリーの住むゴブリン村の近くにある森だった。
チャリーが「実は、ココさんにお願いが。僕の家まで来てほしいんですけど」と言うので、ココは喜んで付いて行く。村に到着すると、待ち受けていた住人たちがココを熱烈に歓迎した。長老が「間違いない、勇者“飛べない鳥”様じゃ」と言うと、みんなが喜びに沸いた。ココが驚いていると、チャリーの父が前に進み出た。彼はココに、「我らゴブリン族をブッカ・ブーからお守りください。この地下世界を征服しようとする闇の帝王です」と語った。
村の長老はココに、「ゴブリンは昔から人間に気に入られている。それがブッカ・ブーは気に入らんのじゃ。奴は800歳。年には勝てず、おとなしくなっておったんじゃが、急に勢力を盛り返した」と説明した。そこにブッカ・ブーのナンバー1の家来を自称するザミーが、手下のデビルを引き連れてやって来た。チャリーによると、いつも村を荒らしに来るのだという。ザミーは「早くブッカ・ブーの家来になれ。そうしないと村をボッコボコに叩き潰す」と言い放った。
ココはザミーを見て、「どこの世界にも威張りん坊はいるね。意地悪ばっかしてると友達いなくなるよ」と言う。長老がザミーに「この方は勇者“飛べない鳥”様だ」と得意げに言うので、ココは困惑した。ザミーが去った後、長老は「もうブッカ・ブーなど怖くないぞ」と言う。ココは「私は勇者じゃなくて、ただの人間の女の子。これは父さんが買ってくれたペンギンのコートだよ」と説明した。
チャリーの父はココを家に招いて詫びを入れ、「すぐに元の世界まで送らせるからね」と言う。ブッカ・ブーが勢力を取り戻した日から、空は黒いオーロラに覆われ、村に生い茂っていた四つ葉のクローバーは次々に枯れ果てたという。チャリーの父は、「チャリーは優しい子だから、何とか村を助けたいと悩んでいたんだ。そしたら、ラピスの泉に飛べない鳥の姿が見えたって。ラピスの泉は永遠に水を生み出す聖なる泉だよ」と語った。
ココは泉の近くで佇んでいるチャリーの元へ赴いた。チャリーは悲しそうに、「どうして間違えたのかな。あの時、確かに飛べない鳥を見たんだ。捜さなきゃ、ホントの勇者を」と言う。チャリーの父は、壊れたソファーを修理するために回収する。翌朝、ココがチャリーと一緒に泉へ行くと、どこからか七福神の曲が聞こえてきた。音のする方へ行ってみると、そこには七福神の木があった。ココが驚くと、チャリーは「パラケケの木です。大地を守る精霊の木なんです」と説明した。
木の中に入ると、パラケケを守る双子のフェアリーが現れる。双子は本の中で眠っていたパラケケを起こした。ココが七福神の木と同じであることを告げると、パラケケは「七福神は水の精霊だ」と言う。チャリーが「村を助けてほしいんです」と事情を説明すると、パラケケは肝心なことを何も教えてくれず、時間が来たということで本の中に戻ってしまう。そこでココは、その本を村へ運ぶことにした。
ココたちが村へ戻ろうとしていると、ザミーが現れて本を蹴り飛ばした。開いた本から飛び出したパラケケは、ザミーを目にすると「あら、落ちたのね」と言う。ザミーは狼狽し、「うるせえっ」と怒鳴った。ココが突き飛ばすと、ザミーの体から黒い煙が噴き出した。彼は「罰として悪魔ダンスを踊らせてやる」と言い、デビルたちが突風を起こした。ココとチャリーは竜巻に飲み込まれるが、デビルのパワーが弱っており、すぐに風は止んだ。
ココに触れられたザミーは、また黒い煙を噴き出して苦しんだ。顔の一部が透けてしまい、慌ててザミーが触れると元に戻った。ザミーはデビルを引き連れて飛び去った。パラケケは「悪さの元はあいつ」と言うが、ココは「でもザミーって威張りん坊だけど、ホントは悪い奴じゃない気がするんだよね」と意見を述べる。するとパラケケは「そう見えたんなら大丈夫。2人の力で万事解決するんじゃない」と言い、その場から去った。
パラケケが木に戻ると、じいが現れた。パラケケは彼に、「老いぼれ魔王が力を付けている原因は間違いなくザミーね。それにしても、まさか落ちて来るとはね」と言う。その夜遅く、目を覚ましたココは、うろついているザミーを発見した。「何してんのよ」と声を掛けると、ザミーは「一人で来た。悪いか」と反発する。「悪いことばっかりしてるから悪い」とココが言うと、彼は「悪魔は悪いことばかりするから悪魔なんだぞ」と口にした。
ココが「でもホントは悪いこと好きじゃないんでしょ」と指摘すると、ザミーは「うるさい」と怒鳴るが、急な頭痛に苦しむ。そこでココが「痛いの、痛いの、飛んでけ」と唱え、指でザミーの頭に触れる。するとザミーの頭から黒い煙が出て、痛みが消えた。「泣くほど痛かったのね」とココが言うと、ザミーは「泣くはずない。だって俺は天使だもん。まだ四級の見習いだけど」と口にした。大天使からエンゼルタワーの掃除を命じられ、反発してチョコを床に撒いていたら、足を滑らせて落ちたのだという。
ココが「お父さんに会ったことある?私のお父さん、天国にいるんだ」と質問すると、ザミーは「わかんない、あそこも広いから」と返答した。そこへデビルたちが現れ、黒い煙をザミーに打ち込んだ。ザミーは偉そうな態度に変貌し、ココに「なんだ、お前」と言い放って飛び去った。ココはチャリーに「ザミー、急に変わった。きっと秘密があるんだよ」と言う。ココは秘密を探るため、ザミーのいる闇の城へ向かうことにした。チャリーはココを心配し、付いて行くことを申し出た。
城に到着したココとチャリーは、見回りから隠れながら、奥へと進んでいく。すると、ベッドに眠っているザミーから金色のユラユラした物が放出され、それをブッカ・ブーが吸い取っているところだった。ブッカ・ブーが去った後、2人はザミーを起こす。目撃した現象をココたちが説明すると、ザミーはブッカ・ブーが天使のパワーを吸い取っていたことを察知する。「まさか。だってブッカ・ブー、俺のことを大切な家来だって」と動揺するザミーに、ココは「ザミー、消えちゃうかも」と告げた。
ココが「すぐに天国に戻らなきゃ。友達とかいるんでしょ」と言うと、ザミーは「いないよ。それに戻りたくても戻れないんだ。片っぽの羽根、落としたから」と告げる。すぐにココは、じいにあげた羽根のことを思い出した。3人は城を脱出し、羽根を取り戻しに行こうとする。森に入ったところで、じいが「お前さんのことが心配での」と言って現れる。しかしココが羽根のことを尋ねると、じいは「七福神にあげちゃった」と軽く言う…。

監督は りんたろう、原作は りんたろう&林すみこ、脚本は金春智子、製作は丸太順悟、共同製作はDENIS FRIEDMAN、製作代表はCIANG LONG JONG&野田助嗣&落合正美&堀越徹&大島満、プロデューサーは八巻磐&広川ひろし&伊藤龍太郎、企画は丸山正雄、キャラクター・デザインは寺田克也、アニメーション・スーパーバイザーは前田庸生、CGI・スーパーバイザーは篠崎亨、アート・ディレクターは馬郡美保子、テクニカル・スーパーバイザーは住田永司、アニメーション・ディレクターは稲野義信、録音は安藤邦男、編集は木村佳史子、音響監督は三間雅文&中嶋聡彦、音楽プロデューサーは岡田こずえ、音楽は本多俊之。
エンディング曲『アミーゴペンギン』唄:ココ(森迫永依)とアミーゴペンギンズ、作詞・作曲:堂島孝平、演奏:東京レクリエーション部(堂島孝平×神森徹也)。
声の出演は森迫永依、田中麗奈、太田光(爆笑問題)、田中裕二(爆笑問題)、柄本明、藤村俊二、高橋ジョージ、永井一郎、田中秀幸、皆口裕子、小山茉美、山口勝平、TARAKO、山寺宏一、本多俊之、野沢那智、内海賢二、松本梨香、ダンディ坂野、ヒロシ、小島よしお、田中れいな(モーニング娘。)、リンリン(モーニング娘。)、くまいもとこ、桑島法子、朴[王路]美、宮澤正、葛城七穂、魚建、室園丈裕、橘U子、牧本くんぺい他。


『メトロポリス』のりんたろう監督が初めて手掛けたフル3DCGアニメーション映画。
マッドハウスがフランスのデニス・フリードマン・プロダクションやシンガポールのメディア・コープなどと手を組んで製作している。
マッドハウスとしても、長編フル3DCG作品の製作は本作品が初めて。
ココの声を森迫永依、チャリーを田中麗奈、ザミーを太田光(爆笑問題)、ブッカ・ブーを田中裕二(爆笑問題)、じいを柄本明、パラケケを藤村俊二、ココの父親を高橋ジョージ、長老を永井一郎、大天使を山寺宏一が担当している。

冒頭、ココが夜中に町を徘徊していることに引っ掛かる。
幼い娘が夜中に外を歩き回っているのに、それを母親が認めているのはどういうことなのか。
同じ年代の少年たちも外にいるので、そういうのが当たり前の町なのか。
これがファンタジーってのは分かるが、ココが夜に徘徊しているのを「ファンタジーだから」と納得させられるほど、観客をファンタジーに巻き込むパワーは、序盤に感じない。

むしろ、タイトルから外れちゃうけど、ココが歩き回るシーンは昼間にして、人形に案内される時に、初めて夜の町を歩く形にした方がいいんじゃないのかと思ってしまう。
その方が「謎の人形によって、いつもとは違う空間へ」というところがクッキリと線引きできるし。
わざと「日常」から「非日常」との境界線を作っていないのかもしれないけど、「人形が喋り出して」というところは驚いているわけで。
それは「非現実的」とココは捉えているんでしょ。

その人形が案内するペンギンストアだって、ココの知っている町には存在しなかったはずで。
だったら、そこへ向かう時には、やはり境界線があるべきなんじゃないかと。
最初にココが夜の街を歩き回っている時点で、既に「普通じゃない」という印象を受けてしまうので、その後、人形に案内されて夜の町に出てペンギンストアへ辿り着いても、そこの「非日常感覚」が弱くなっているんだよね。

ココが噴水で音を鳴らしている時点では、七福神の音がどういうモノなのか、良く分からない。
最後の音が鳴ったら、何か起きるのか。それとも願いが叶うとか、そういう類のモノなのか。
「お父さんに聴かせてあげたい」と言っているが、どうしてそう思うのか。
その音を聴かせてあげたい理由は何なのか。
そんで、それは最後まで見れば分かるのかと思っていたら、分からないままで終わるんだよな。

カプセルを開けたココが「何、これ?」と言う時点では、中に入っているのが何なのか、サッパリ分からない。
それが人形のパーツだということさえ良く分からない。
それに、帰宅してから組み立てるんだから、それなら帰宅してからカプセルを開ければいい。
っていうか、カプセルが開いた時点で、完成した人形になっているという設定でいいでしょ。
組み立てる手順って、まるで必要性が無いよ。

映画に自分を模したキャラが登場したココが「えっ、ウソ」と驚いた刹那、ソファーが舞い上がるのはタイミングが悪い。
それだと「映画に自分が登場した」という驚きと、ソファーが舞い上がる驚きがゴチャ混ぜになってしまう。一つ間を取ってから舞い上がるべき。
あと、飛んでいる間、ココの表情がほとんど分からないというのもマイナス。
特に墜落する時なんか、ココの表情は欲しいところでしょうに。
なんで「地面が接近したので焦るココ」というカットが無いのかなあ。

あと、根本的に、顔の表情がイマイチなんだよな。
例えば自分が勇者だと知らされて驚く時でも、もっと大きく驚いてほしい。
ナチュラルを意識したのかもしれないが、表情の変化が少ない。もっと誇張してもいいんじゃないかと。
新人監督じゃなくて、りんたろうという大ベテランが監督しているのに、なんで映像表現で粗が目立つんだろうか。
本人の原作の映画化だから、「雇われ監督で、あまり意欲が沸かなかったので手抜きした」ということでもないはずだし。

とにかく話の展開が慌ただしい。
まだココの現実社会での立ち位置や周辺の環境も良く分からないまま、すぐに別世界へ移動する。
そりゃ現実社会での周辺なんて無くてもいいという物語なら、それでもいい。
だけど本作品の場合、少なくとも「死んだ父親との関係性」とか「ペンギンコートへのこだわり」という部分については、もう少し丁寧な説明が先に行われている必要はあるはずだ。

ココは森で音を耳にして「七福神の曲」と驚くが、その曲を覚えていないからピンと来ない。
ココがパラケケの木を見て「七福神の木だ」と驚いても、七福神の像の周囲に木があったことを覚えていないから、これまたピンと来ない。七福神がそっちの世界にもリンクするというのは、まるで想定していなかった。
そういうサプライズが効果的に作用することもあるだろうけど、この映画の場合、七福神の曲や木は、「後に繋がる伏線ですよ」と、もっと分かりやすくアピールしておいた方がいいだろう。
曲なんて、1度ではなく2度、3度と観客に聴かせておいてもいいぐらいだ。

ココがチャーリーと友情を深めるのかと思ったら、ザミーと仲良くなろうとする展開になっていく。
そこは欲張り過ぎて散漫になっていると感じる。友達になろうとするのは、ザミーだけに限定しておいた方がいい。
「ゴブリンの村への案内役はどうするんだ」と問われたら少し困ってしまうけど、例えば長老に案内役を委ねるとかさ。同じ年代の友達じゃない類の「仲良くなる相手」がいても、散漫な印象には繋がらないし。
ただ、そうなると、いつもココの近くにいる話し相手がいなくなるという問題は生じる。
そこを補うには、「以前からココと仲の良かったキャラを同行させる」という手がある。友達ということじゃなくて、ベタもしれんけど、町では喋らなかったキャラが喋るように、ということだ。例えば野良猫とか、それこそペンギンコートとかね。

ココは飛べない鳥に間違えられたのに、そのことは完全に脇へ追いやられたまま、話が進んでいく。
ココが本物の勇者を捜すこともなく、勇者となって戦うことを決意する展開があるわけでもない。ペンギンコートで必ず飛べると信じていたことも忘れ去られているし、父親への思いも同様。
後半に入ると「羽根を取り戻さないと」という流れがあるのに、じいが淡白に「七福神に渡した」と言う。
じゃあ七福神の元へ行くのかと思いきや、なぜか「村に戻ったココがザミーを守ってあげてと頼んで、ゴブリン族が反対し、チャーリーが説得する」という展開へ。
筋道がグチャグチャだ。

そんで戦いが始まってもココは何もしておらず、七福神が船ごとやって来て反撃する。
で、敵に羽根を奪われた時、じいがココに向かって「飛ぶんじゃ」と促すが、ココが飛ぶタイミングとして、ホントにそれでいいのかと。
そもそも、そこは本来ならば「勇気を出して飛んでみる」というシーンになっていなくちゃいけないはず。
ところが序盤、彼女は何の迷いも無く飛んでいるんだよね。もちろん転落するけど。
終盤のシーンを「勇気と決意のシーン」にしたいのなら、序盤の転落の後に「もう飛べないことが分かったので、試そうとはしない」という流れを用意すべきじゃないの。

あと、そこで幼いココが父から「飛べるさ。お父さんはね、大空をたくさんのペンギンさんたちと飛んだんだぞ」と言われる回想シーンが入るけど、そのタイミングはそこじゃなくて、序盤でしょうに。
っていうかさ、そもそも、なんで父親は、ココを台から自分のいる場所まで思い切って飛ぶよう促しているのか。
そこそこの高さがあるし、下はコンクリートか煉瓦か、とにかく硬い物質なんだから、失敗したら危険だろうに。

ココのペンギンコートに対する思い入れも、父が「ハッピーバースデー」と言ってコートを持っている1カットだけで済ませてしまうって、すげえ淡白なのよね。
それと、そこまでに「ココがペンギンコートで空を飛ぶ」ということに全く意識を置かないストーリーテリングをしているので、ココが頑張って空を飛んでも、まるで高揚感が無いんだよな。
テンションを高めるためのネタ振りが弱すぎる。

ブッカ・ブーが倒されるとゴブリン族は「やった、飛べない鳥様の勝利だ」と言っているけど、明らかに七福神の勝利だよ。
それにさ、七福神がブッカ・ブーを倒すのなら、ココが頑張って空を飛ぶ必要が無くなってしまうんだよな。ブッカ・ブーを倒せば、 奪われた羽根も返ってくることになるわけだから。
っていうか、そもそもココとブッカ・ブーって、ほとんど絡んでないんだよな。そりゃダメでしょ。
あと、そのクライマックスの戦いで、ザミーが何もしないってのはダメでしょ。彼もココたちに協力して、ブッカ・ブーと戦うべきだよ。
彼が勇気を振り絞って悪と戦うという手順は、必要不可欠でしょ。

(観賞日:2012年5月26日)

 

*ポンコツ映画愛護協会