『余命1ヶ月の花嫁』:2009、日本

サラリーマンの赤須太郎は、ある展示会場でメディア・アーキテクツ・システムズの携帯電話のPRを担当するイベントコンパニオンを 待っていた。到着が遅いので呼びに行くと、コンパニオンの長島千恵がやって来た。だが、それは勘違いで、彼女は別のブースの担当者 だった。太郎は先輩の渡辺から「事前に確認を取るだろ」と叱責された。会場を出た太郎は、千恵が「初日からこれじゃあ」と担当会社の 責任者に叱られているを目にした。帰りのバスに乗った太郎は、そこでも千恵と一緒になり、会話を交わした。
それから2人はデートを繰り返すようになった。水族館でデートした日、太郎は「ちゃんと付き合おうよ」と告げた。「嬉しいけど」と、 千恵は戸惑いを見せる。彼氏がいるのかと思った太郎だが、そうではなかった。改めて太郎は「付き合おうよ」と言う。太郎と千恵は同棲 を始めた。千恵が作った夕食を一緒に食べたり、夜道を自転車で走ったりと、楽しい日々が続いた。
ある日、太郎は「お父さんに挨拶したい。会ったらダメ?」と口にした。「そんなことないけど」と千恵は言い、故郷の三浦へ彼を連れて いった。既に母親は亡くなっている。千恵は太郎を「千恵のダーリン」と父・貞士に紹介した。貞士は三味線の先生をしている。千恵は 貞士と一緒に三味線を演奏してみせた。夜、貞士は太郎に、千恵が10歳の時に妻がガンで死んだことを話した。
太郎と千恵は東京での生活に戻った。太郎が「このままでいいと思ってないから。真剣に考えてるから」と言うと、千恵は「千恵は今が 楽しければそれでいい」と口にした。ある朝、千恵が洗面所で変な声を上げた。太郎が行くと、彼女は「何でもないよ」と言う。だが、 彼女はバッサリと大量に抜けた髪の毛を隠していた。そのまま内緒にしようとしたが、太郎の目の前でも再び髪の毛が大量に抜けた。 「早く行こう、遅刻するよ」と千恵は仕事へ行こうとするが、太郎が引き止めた。
千恵は「薬のせいで抜けたんだと思う。抗がん剤。私、乳ガンなの」と明かした。そして「だから、これでオシマイ。知られちゃったから、 もうお別れ」と告げた。「いつから?」と太郎が訊くと、「知り合ってすぐ」と言う。「お父さんには?」と尋ねると、彼女は首を横に 振った。「どうして黙ってた?」の質問には、「好きだから言えなかった。ごめんね」と答えた。
千恵は「一昨日、病院の先生から話があって胸切らなきゃいけないって言われたし、どうせ隠し切れないと思ってた」と言った。太郎は 「俺、別れないよ。千恵と一緒にいたいし」と告げるが、千恵は「そんなの普通じゃない。ガンがどういうものか分かってない。きっと 後悔する。私が後悔することになる。だからサヨナラ」と告げた。その日、彼女は置き手紙を残してアパートを去った。
千恵は父に付き添われて入院し、手術を受けた。 太郎は貞士の元へ行き、千恵の居場所を尋ねた。貞士は「何度来てもらっても同じだから」と告げるが、太郎は「千恵と一緒に頑張って いきたいんです」と食い下がった。千恵は屋久島へ旅行に出ていた。千恵の元に辿り着いた太郎は、「どうして急に消えたりしたんだよ」 と訊く。すると彼女は「太郎ちゃんに見られたくなかった」と、左胸の切除跡を見せた。
太郎は目を潤ませ、「千恵は何も変わってないよ。オッパイが無くたって、千恵が千恵のままでいたらそれでいい」と告げる。千恵は 「太郎ちゃんが変わっちゃうかもしれない」と言うが、太郎は「俺は変わらないよ」と彼女を抱き締めた。千恵は再び太郎と生きていこう と決め、2人は東京に戻った。しばらくは穏やかな日々が続いたが、やがて千恵のガンが再発した。千恵は入院し、叔母・加代子も看病に やって来た。上司の奥野から残業を命じられた太郎は、メールで千恵とやり取りをした。
太郎は父・敏郎から、千恵について「どうするんだ?」と訊かれた。「彼女の傍にいてあげたいと思う」と太郎が言うと、「ボランティア か」と敏郎は口にする。太郎は反発して「同情とかじゃなくて、ただ千恵と一緒にいたいんだよ」と声を荒げるが、敏郎は「お前はいつか、 その子を支えてあげられなくなる。その時に辛い思いをするのは彼女だ」と冷静な口調で述べた。太郎は病院へ行き、貞士と加代子に 「今日から泊まります」と宣言した。千恵が「負けないから」と言うので、太郎は「一緒に頑張ろう」と告げた。病院には千恵の友人の 花子、聡美、由香、美樹が来ることもあった。
ある日、太郎、貞士、加代子は担当医から「話がある」と告げられた。千恵は「聞きたくない」ということで行かなかった。医師は3人に 「骨にまでガンが転移している。今まで色んな抗がん剤を使ってきたが、あまり効果が無い。命はあと1ヶ月か、もう少し早くなるかも しれません」と宣告した。貞士は「千恵には本当のことは言わない。いいね、それで」と2人に告げた。
千恵は太郎に「私、頑張るから、太郎ちゃんも少し病院お休みして。少しは息抜きしないと。お願い」と言う。太郎は家の片付けをした 翌日、有給を取って病院へ赴いた。すると千恵は「私が病気でも仕事はちゃんとして。私のせいで仕事が出来なくなったら嫌だから」と 言う。別の日、千恵は腕にシールを貼っており、それによって痛みが和らいでいた。外に出た貞士は、太郎に「あのシールは麻薬の一種で、 だから調子がいいんだ。千恵には内緒だけど」と述べた。
千恵は担当医に頼んで、母の墓参りをするため帰郷した。実家に戻った彼女は、幼い頃のビデオを太郎と一緒に見た。その夜、布団に 入った彼女は、貞士に「お父さん、ごめんね。ガンになんかなって」と告げた。千恵は友人たちと焼肉に出掛け、冗談を飛ばして笑った。 病院に戻った彼女は、朝になって目を覚まし、太郎に「生きてるって、すごいことだね」と告げた。
ある日、太郎が病室へ行くと、そこにはテレビ局のクルーが来ていた。千恵はディレクターの取材を受け、「胸にしこりがあって、自分で 触っておかしいなと思ったけどそのまま様子を見て、1ヶ月後ぐらいに病院へ行って、検査して分かった」などと語っていた。テレビ局の 面々が去った後、千恵は太郎に「聡美に頼んで、テレビ局の人を紹介してもらった」と説明した。
太郎が「どうしてそんなことするわけ?」と訊くと、千恵は「私のこと取材してもらいたいから。私、もっと早く病院に行ってれば、ここ まで悪くならなかったかもしれない。私みたいに20歳そこそこの人の乳がんってビックリするぐらい情報が足りないの」と語る。さらに 彼女は「若い人だって乳がんになるってこと知ってもらいたい。それだけじゃなくて、病気で苦しんでいる人がテレビを見て、一緒に 頑張ろうと思ってくれたらいいなって」と述べた。
太郎は「俺は反対。世の中には悪意の塊みたいな人だって大勢いる。あること無いこと言われて、ズタズタになることだってあるんだよ」 と告げた。病室を出た太郎は、貞士と加代子の前でも憤りを吐露した。すると加代子は「千恵は分かってるのよ、もう長くないってこと」 と漏らした。太郎は昼間の30分だけということで取材に賛同し、自らビデオカメラを回して千恵を撮影した。
ある日、太郎は花子を呼び出して「千恵にウェディングドレスを着させてやりたいんだ」と持ち掛けた。花子が「ありがと。それ、千恵の 夢だよ。来月までに出来たらジューン・ブライドだよね」と言うと、太郎は「それじゃ間に合わない」と口にした。彼は千恵に「明日、 ウェディングドレス着て写真撮らない?」と告げた。「ダメだよ。太郎ちゃんのホントのお嫁さんになる人に悪いよ」と言う千恵に、太郎 は涙を堪えて「誰にも気を遣わなくていい。何も我慢しなくていい。何も頑張らなくていいから」と告げた…。

監督は廣木隆一、脚本は斉藤ひろし、脚本協力は松田環&島田朋尚、プロデューサーは平野隆、共同プロデューサーは下田淳行&辻本珠子、 撮影は斉藤幸一、編集は菊池純一、録音は井家眞紀夫、照明は豊見山明長、美術は丸尾知行、音楽は大橋好規、 主題歌「明日がくるなら」はJUJU with JAY'ED、挿入歌「THE ROSE」はJUJU。
出演は榮倉奈々、瑛太、柄本明、大杉漣、手塚理美、安田美沙子、上原美佐、伴杏里、星野美穂、田口トモロヲ、津田寛治、宮田早苗、 安藤玉恵、小原正子(クワバタオハラ)、服部妙子、星ようこ、山本浩司、菜葉菜、 西本竜樹、池口十兵衛、大朏美咲、グリ・カストリオット、弾丸ビーンズら。


TBSの報道番組『イブニング・ファイブ』で特集として放送され、後に特別番組が放送されたノンフィクションをモチーフにした作品。 JNN50周年記念作品。
千恵や太郎、貞士、加代子などは実名。
千恵を榮倉奈々、太郎を瑛太、貞士を柄本明、敏郎を大杉漣、加代子を手塚理美、花子を安田美沙子、奥野を田口トモロヲ、岡田を 津田寛治が演じている。
監督は『ヴァイブレータ』『やわらかい生活』の廣木隆一。脚本は『黄泉がえり』『Life 天国で君に逢えたら』の斉藤ひろし。

『黄泉がえり』が予想外のヒットを記録して以来、TBSは映画で儲けることに意識を向けるようになった。
ジャンルとしては、感動恋愛路線に力を注いでいる。
全てが当たったわけではなく、ハズレに終わった作品もあるが、それでもお涙頂戴映画への傾倒は変わらなかったようだ。
何しろ、世の中には最初から「泣きたい」「感動したい」という意識で映画を見に来るスウィートな女性客が大勢いるわけで、そこを ターゲットにするというのは、商業的には間違っていない。
男子をターゲットにするよりも、その手の女子に狙いを定めた方が、外さない可能性は高い。

さて、今回の映画である。
まずはテレビのドキュメンタリー特集が反響を呼んだ。
この時点で、それは「使えるネタ」になったのだろう。
稼げるネタをテレビのドキュメンタリーだけに留めておくのは勿体無い。稼ぐためには映画化すべきだ。
そのためには、ドキュメンタリーのままではいけない。
金になるドキュメンタリー映画など、この世の中には、ほとんど存在しない。
それにTBSとしては「泣ける恋愛映画」の路線でやってきた蓄積があるので、そこに乗っけたいところだ。

2人が出会って数分後には、太郎が「俺、千恵のこと好きだよ」と口にして、同棲生活が始まる。
「デートを重ねて関係が深まって」という手順は、バッサリと削ぎ落とす。そんなものは必要が無いからだ。
この2人が惹かれ合っていく過程など、観客は求めていない。
必要なのは、千恵が乳ガンと判明してからの恋愛劇だ。
この話がどうなっていくのか、観客は既に知っている。ドキュメンタリー番組を見ていなかったとしても、タイトルでネタバレだし。
だから余命が明かされるまでの話は、そのネタ振りでしかない。

千恵が悩みながらも交際をスタートさせたのかどうか、そこはほとんど見えない。
すごく軽く交際をスタートさせていて、その後も全く葛藤は無いように見える。ただの明るいカップルでしかない。
「明るく振舞っているが、心の奥では」というのは見えない。
ためらいを示す台詞はあるので、「何か秘密がある」ということは匂わせているが、その程度。
どうせ観客は2人のことを良く知っているだろうから、その程度でいいという判断なのだろう。

千恵が姿を消した後、太郎はあっさりと彼女を捜し出す。
千恵が屋久島を巡る様子で時間を費やすけれど、太郎は何の迷いも寄り道もしていない。
「何度来てもらっても同じだから」と貞士のセリフで何度も訪れていることは分かるが、シーンとしては1回だけ。
なんせ父親の元へ行けばそれでOKなので、千恵の周辺から調べを進めようとする必要は全く無いのである。

っていうか、そもそも、その時点で千恵と太郎の関係者は、貞士しか存在しない。友人・知人の類は一人も登場していない。
千恵と太郎が東京へ戻った後、ようやく花子が登場する。千恵のガンが再発し、ようやく加代子も登場。その後、太郎の両親や知人の友人 も登場してくるが、関係者が初登場するタイミングはことごとく遅いし、ほとんど出番は無い。
関係者を絡めてドラマを作ろうという意識は、どうやら最初からゼロだったようだ。
そこは「2人の物語に、余計な飾りは要らない。ただ2人だけがいれば、それでいい」という考えだったのかもしれない。
あるいは、「実際の千恵の友人は太郎の元彼女だし、それにAV女優だし、そこでドラマを作っていくことは避けた方が賢明 だろう」という判断だったのかもしれない。

千恵の余命が判明した後は、千恵が「私、頑張るから、太郎ちゃんも少し病院お休みして」と言ったり、太郎が有給を取ったり、シールで 痛みが和らいだりという、どこかフワフワしたような、まとまりのない印象を与えるシーンがダラダラと続いていく。
そのくせ、取材に反対した太郎が賛成に回るところは、あっさりと処理。
そこは時間は掛けずにサクサクと進める。
テレビ局が病院の取材に来る場面は、もう二度と無い。ディレクターも、ビデオレターを太郎に渡す時に再登場するだけ。
そういうのは淡白に処理する。

抗がん剤の影響で髪の毛が抜けている状態でも、千恵はそれ以外の部分では、ものすごく健康体に見える。一応、咳き込んでいる場面は あったが、ふくよかで肉付きが良く、顔色も良かった。
それは前半だけでなく、終盤のビデオレター映像でも、もう死に掛けているはずなのにアゴがダブついている。どこが余命わずかなガン 患者なのかという姿になっている。
どうせ大半の観客はドキュメンタリー番組での実際の彼女をイメージして見てくれるだろうから、病人としての役作りなど必要ではないと いう判断だったのだろう。
繊細で丁寧な役作りを、製作サイドが要求しなかったのだろう。
全体的に薄っぺらさが感じられるのは、きっと「どうせ観客はドキュメンタリー番組をイメージしながら見て勝手に泣いてくれるだろう から、そんなに気合いを入れず、適当に作っても大丈夫だ」という判断だったのだろう。

このネタを使って金儲けをしたいと考えたのは、何もTBSだけではない。
そこには、他にも利権に群がる貪欲な人々(企業)もいる。
こうして、様々な人々が「金儲けがしたい」という考えの下で一つにまとまり、この映画は出来上がった。
死人をネタにしての搾取作戦は見事に成功し、世の中の泣きたがっている女性客が映画館に押し寄せた。
モデルとなった女性がAV女優だったというゴシップが一部週刊誌やネット上で報じられたが、そんなマイナス要素を吹き飛ばし、 映画はヒットした。
この映画を見に来るような観客の大半は、そういうスキャンダルに食い付く層とは全く異なっていたのだろう。

乳がんの撲滅や早期検診を促す啓蒙のメッセージがあるようなことを、関係者は主張していたようだ。
確かに、千恵が急に「もっと早く病院に行ってれば、ここまで悪くならなかったかもしれない。20歳そこそこの人の乳がんって、ビックリ するぐらい情報が足りない」と啓蒙的なセリフを喋るシーンはある。
ただ、メッセージを感じるのは、そのセリフぐらいだ。
それに、そのセリフだけでは、千恵が早期検診を受けなかったから手遅れになったかどうかは、良く分からない。

この映画を見て「早くガン検診を受けよう」と思う人は、ほとんどいないだろう。
大抵の人は、ただ「可哀想ね」ということで泣いてスッキリして、それでオシマイだと思う。
それに、じゃあ乳がん撲滅や早期検診に向けて、この映画関係者が売上金の一部を関係機関に寄付するとか、そういう基金を設立するとか 、そういうことをやっているのかというと、そんなことは無いのだ。

一応、映画の最後には「長島千恵さんの想いは、彼女を愛した多くの人たちによって、全国検診キャラバンなどの乳がん早期発見のための 運動につながっている」と出る。
でも、「だから何」って感じだ。
利権に群がった人々がやっていることは、講演で金を稼いだり、乳がん保険を売り込んだり、そういうことだけだ。
TBSだって、儲けた金をビタ一文、乳がん撲滅運動には使っていない。ただ儲けただけだ。
だが、それは商売人としては一点の曇りも無い正しい姿である。
ここまで堂々とあこぎな商売をするってのは、ある意味、潔い。

(観賞日:2010年3月20日)

 

*ポンコツ映画愛護協会