『淀川長治物語神戸篇 サイナラ』:2000、日本

1909年(明治42年)、神戸。老舗の芸者屋の父と借金のカタに妾となった母の間に、淀川長治は生まれた。両親にとって3人目の子供であり、初めての男児であった。幼少の頃から、長治は光る物、動く物、不思議な物が好きだった。
金銭的に恵まれた暮らしを送る長治は、活動写真に興味を持つようになった。彼は尋常小学校に入学すると、1人で映画館に出向くようになった。東京から来た宣伝部の小池と親しくなり、新作映画の試写を見ることも出来た。
関東大震災で株が暴落し、慣れない相場に手を出していた父は大きな打撃を受けた。芸者屋は廃業となり、中学生になった長治は映画館の宣伝チラシを書く内職を始めた。やがて彼は、映画の面白さを多くの人に伝えたいと思うようになる…。

監督&編集は大林宣彦、脚本は市川森一&大林宣彦、プロデューサーは大林恭子&武市憲二、撮影は稲垣湧三、録音は内田誠、照明は西表灯光、美術は竹内公一、衣装は斎藤育子、ビジュアルエフェクトは下山真吾、音楽は學草太郎&山下康介、音楽プロデューサーは加藤明代。
出演は秋吉久美子、厚木拓郎、勝野洋輔、高橋かおり、勝野雅奈恵、ミッキー・カーチス、ガダルカナル・タカ、柄本明、白石加代子、根岸季衣、岸部一徳、大森嘉之、嶋田久作、勝野洋、佐藤允、松田洋治、坊屋三郎、石上三登志、奥村公延、梅津栄、山本晋也、小林のり一、池内万作、林泰文、朱門みず穂、柴山智加ら。


永遠の映画少年である大林宣彦監督が、永遠の映画少年であった映画評論家・淀川長治氏の映画を作った。
最初は淀川氏の命日に合わせてテレビ映画として作られ、後に劇場版として再編集された。

この作品は、淀川長治氏の少年時代と、その当時の様々な映画に捧げられている。
これは大きなポイントである。
だからナレーションは少年の声になっており、その口調は無声映画の弁士のようになっているのである。

レトロ監督の幻想絵巻。雑然とした雰囲気の中で、映像技術を駆使した遊び感覚が広がっていく。
この作品では長治少年の生い立ちを、大げさなまでに「作られた世界」として描かれている。リアリティーのある伝記映画ではなく、淀川長治という人の人生そのものを映画の中の出来事のように描いているのである。

盛り上がるポイントを作るようなことはなく、ドラマ性のある作品としての面白さは無い。
弟の自殺などは大きな悲劇のはずだが、それも淡々と処理される。
長治少年が映画に興味を持つようになるきっかけも、映画の面白さを多くの人々に伝えたいと思うようになる流れも、あまり良く分からないまま雰囲気で流れていく。

少年時代の瑞々しさや若さゆえの躍動感といった感覚は全く無い。
そもそも、人間の感情がほとんど見えてこない。
嬉しい出来事も悲しい出来事も、平坦な調子で扱われる。
どうやらそれは、長治少年には「現実が映画のように思える」からのようだ。

しかし、映画というのはもっと人間の感情を揺り動かすものではないだろうか。
「現実は映画と同じだから淡々と受け止める」というのも、何か違うような気がする。
まあ確かに、この映画に関しては感情は全く揺り動かされなかったが。

 

*ポンコツ映画愛護協会