『弥生、三月-君を愛した30年-』:2020、日本
高校生の山田太郎がバスに乗っていると、停留所で乗り遅れた同級生の結城弥生が走って追い掛けて来た。彼女が「待てえ」と叫びながら走っていると、気付いた運転手がバスを停めた。バスに乗り込んだ弥生は運転手に礼を言い、親友の渡辺サクラに「おはよう」と挨拶する。サクラが「みんな呆れてるよ」と言うと、弥生は車内を見回して乗客に詫びた。太郎に気付いた弥生は歩み寄り、「サッカー続けたら?なんで辞めたのよ?他に取り得も無いのに」と語った。
太郎が困惑しながら「お前には関係ないって」と口にすると、弥生はサクラが心配しているのだと告げる。「アンタがサッカーやってんの見たら、元気が出るんだって」と弥生は言い、サクラは驚いた太郎に見られて気まずそうに視線を外した。太郎が「ウチのサッカー部じゃ俺の溢れる才能を生かし切れないんだよな」と軽く口にすると、弥生は「どうせちょっと上手いから先輩に逆らったら、いじめられて嫌になったんでしょ」と指摘した。太郎が腹を立てて「あいつにも言っとけよ。お前が元気になろうが死のうが関係ないって」と言うと、弥生は平手打ちを浴びせて彼を睨み付けた。
学校に着いた太郎は弥生の声を聞き、気になって隣のクラスに入った。すると弥生は、「誰よ、こんなことしたの?」とクラスメイトに怒っていた。黒板には「WSさんはAIDSに感染しています」などと中傷する落書きがあり、弥生は犯人の女子グループに見当が付いていた。そこへ教師が来るが、落書きを消すだけで軽く済ませようとする。弥生が「どうしてこんな酷いことした人間を注意しないんですか?エイズに関する間違った知識も、きちんと正さないんですか?」と抗議すると、教師は「今度の保護者会で、きちんと説明してからと」と適当に誤魔化して授業を始めようとする。
教師から座るよう指示された弥生は納得できず、サクラにキスをした。彼女はクラスメイトを見回し、「サクラはね、輸血された血液製剤から感染した、ただの被害者なの」などと語る。彼女は間違った知識でサクラを中傷したクラスメイトを批判し、「私の親友を傷付ける人間は、絶対許さないからね」と述べた。弥生はサクラの手を握り、一緒に座った。その様子を呆然と見つめていた太郎は教師に指摘され、慌てて教室を去った。
太郎はサッカー部に復帰し、県大会で見事な活躍を見せた。弥生はサクラに、太郎への気持ちを打ち明けるよう促した。サクラは「無理に決まってんじゃん」と言うと、彼女は「山田なら受け止めてくれるよ」と告げた。サクラは入院し、見舞いに来た弥生に「病気を治して21世紀を見てみたい。どうなってるのかな、13年後」と漏らした。弥生はサクラに告白させるため、太郎を病室へ呼び出す。しかしサクラは勇気が出ず、ちゃんと告白できなかった。
太郎はスーパースターになった時のサインを考えており、弥生とサクラに「サンタ」と呼んでもらう考えを語る。太郎が得意げに語るので、弥生は呆れて馬鹿にした。サクラは微笑を浮かべ、「2人は将来、素晴らしい大人になると思う。だから、ずっと変わらないでいてね」と告げた。サクラは卒業式を迎える前に亡くなり、卒業証書は両親が代理で受け取った。父親は娘が好きだった曲を最後に聴いてほしいと頼み、卒業式を行う体育館にはサクラが好きだった『見上げてごらん夜の星を』が流された。
卒業式を終えた太郎が「寒っ。早く四月になんねえかな」と言うと、弥生は「私は逆。四月なんか来なくて、時間が戻ればいい、そしたら、ずっとサクラといれたのに」と漏らす。太郎は弥生の手を握ろうとするが、彼女が動いたのでタイミングを逸した。太郎は卒業後、大学に進学せずクラブチームでプロサッカー選手を目指すことを決めていた。『奇跡の人』を愛読していた弥生は、サリバン先生のような教師になることを目指していた。2人は花弁が散った桜の木を眺め、別々の道を歩き出す。太郎は弥生を呼び止め、冗談めかして「もし40歳過ぎても独身だったら、俺が結婚してやるよ」と告げる。弥生は「自分の心配しなさいよ」と軽く笑い、彼と別れた。
やがて太郎は結婚するが、相手は弥生ではなかった。彼は交際相手との間に赤ん坊を授かり、結婚を決めていた。弥生は披露宴に招かれ、太郎を祝福した。太郎は悪酔いし、弥生に心配された。彼はJリーグが始まってもプロになっていなかったが、「すぐ入団テスト受かって、フランスワールドカップでゴール決めてやるから」と自信満々に告げた。「その前に違うゴール決めちゃったくせに」と嫌味を言われた太郎は、「お前こそ大丈夫かよ。26なのに恋人もいないんだろ」と返す。すると弥生は、「もう一生、結婚しないと思う」と口にした。太郎の母の真里亜は、軽い口調で弥生に「私は弥生ちゃんと結婚すれば良いって思ってたんだけどね」と告げた。
弥生は25歳の時にサクラの墓参りへ行き、教員試験に合格したことを報告した。さらに彼女は、「やっぱり、サンタのことが好きみたい。許してくれる?」と話しかけた。一方、恋人の妊娠を知った太郎は、「ごめん。まだ父親になる自身が無いんだ」と頭を下げた。「実は、ずっと好きな奴がいて」と彼が打ち明けると、恋人は腹を立てた。弥生は太郎に電話を掛け、教員試験に合格したことを報告した。彼女は「こっちに来てるんだ。東京に帰る前に会えないかな」と言うが、恋人が来ていると知って「だったらいいの」と電話を切った。その夜、太郎はタクシーで高速バス乗り場へ行き、弥生を見つけた。しかしバスは出発してしまい、弥生は太郎に気付かなかった。
30歳になった太郎は、成長した息子のあゆむと公園で遊ぶ。あゆむの言葉で、太郎は妻がレギュラーを掴めずにいる自分を「見かけ倒し」と言っていることを知った。そこへチームから電話があり、太郎は契約を更新しないと通告された。ショックを受けた太郎が呆然と立ち尽くしている間に、あゆむはボールを追い掛けて道路へ飛び出した。大型トラックが来るのに気付いた太郎は慌てて駆け出し、あゆむを助けて怪我を負った。
翌年、太郎は右足を引きずってサクラの墓参りに赴き、妻に悪態をつかれて離婚したことを話す。彼は「弥生は頑張ってんだろうなあ」と呟き、弥生に電話を掛けようとする。向こうから弥生が歩いて来るのに気付いた太郎は、笑顔で声を掛けようとする。しかし弥生がスーツの男性と一緒だったので、太郎は慌てて身を隠した。その男性は歯科医の白井卓磨で、弥生はサクラに結婚相手として紹介した。2人が楽しそうに話す中、太郎は気付かれないように立ち去った。
弥生は父の冬樹が病気で倒れたと聞き、病院へ出向いた。冬樹は命に別状は無いものの、介護が必要な状態になっていた。母は何年も前に離婚しており、妹たちに任せることは出来ないと考えた弥生は施設へ入れようとする。話を聞いた卓磨が「いいのかな、それで?」と言うと、彼女は「あの人のせいで、こっちは散々苦労したんだからね」と告げる。しかし卓磨は帰郷して面倒を見るよう勧め、自分の仕事についても「何とかするよ」と告げた。
地元に戻った弥生は真里亜が営む食堂の山田屋を訪れ、太郎のことを尋ねる。「メール送っても返事が無いし」と彼女が言うと、真理亜は太郎の現況を教えた。弥生は太郎のアパートへ行き、仕事もせずに自堕落な生活を送る彼を叱責した。彼女は尻込みする太郎を強引に連れ出し、あゆむの元へ赴いた。弥生は中学校から帰宅途中のあゆむに声を掛け、「サッカーしない?」と告げる。彼女はサッカーボールを太郎に渡し、親子で遊ぶよう促す。最初は困惑していた太郎だが、泣きながらあゆむに「ごめんな、俺みたいなのが父親で」と告げた。あゆむは無言のままボールを蹴り返し、また会う約束を交わした。
駅まで弥生を送った太郎は、「ホント、いい女だよな、お前」と口にする。彼は戸惑う弥生を抱き寄せ、「こうしたかった。高校の時から、ずっと」と打ち明けた。太郎はアパートに弥生を連れ帰り、2人は肉体関係を持った。弥生が「もう会わないようにしよう」と言うと、太郎は「離れたくないんだ」と引き留める。弥生は「無理に決まってるでしょ」と告げ、アパートを後にした。彼女は自宅で心配していた卓磨に電話を入れ、「大学の友達と久しぶりに会ったら、つい懐かしくて朝まで飲んじゃった」と嘘をついた。
そのまま弥生は学校へ行き、授業を始めた。その最中に大きな地震が発生し、彼女はパニックに陥る生徒たちを避難させた。太郎は弥生や母を心配して電話を掛けるが、全く繋がらなかった。地震で崩壊した街を目にした太郎は、無事だった真里亜と再会した。食堂は津波で流されたが、真里亜は「まあ命があれば何とかなるよ」と気丈に振る舞った。太郎は真里亜に弥生のことを尋ね、生徒を避難させて自宅に戻ったことを知った。太郎が避難所を巡って弥生のことを尋ね回っていると、彼女の父親が反応した。彼は怒りの形相で、「あいつのせいで人生をメチャクチャにされた。俺の言うことを素直に聞いて結婚しておけば良かった」と吐き捨てた。
弥生が大学生の頃、事業に失敗した父親の借金が原因で一家は夜逃げする羽目になった。実家に呼び戻された弥生は、父から結婚の話を持ち掛けられた。大手銀行の常務をしている大学の同級生が、息子の嫁に欲しいと言っているのだと彼は語る。借金を肩代わりしてもらうための結婚だと悟った弥生は拒否すると、父は「このまま借金返せなかったら、一家心中するしかないんだぞ」と脅した。弥生は仕方なく21歳での結婚を承諾した。
式に招待された太郎が「本当に諦めるのか、教師になるの」と問い掛けると、彼女は「向こうが専業主婦、望んでるし」と答える。太郎が「そいつのこと、好きじゃないんだろう」と言うと、弥生は「大人になろうかと思って」と告げる。太郎は「俺は大人になんかならないから。夢だって諦めない。結婚も、本当に好きな奴としかしない」と語り、「今からでも遅くないから、俺が奪って逃げてやろうか」と口にする。弥生は何も答えず、その場を後にした。
太郎が式場に『見上げてごらん夜の星を』を流すと、弥生は新郎と関係者に「やっぱり結婚できません」と謝罪した。父は激怒し、母は我慢するよう諭す。弥生が母に「高校の時、サクラと約束したの。ずっと変わらずにいるって」と言うと、父が激怒して殴り掛かる。太郎は父を太郎が羽交い絞めにして、弥生を逃がした。弥生が車に飛び乗って1人で式場から逃走したので、一緒に行くつもりだった太郎は「映画と違うじゃねえか」と呟いた。
避難所を出た太郎は、母からの電話で弥生が見つかったと知らされる。彼が遺体安置所へ行くと、弥生は卓磨の棺の前で座り込んでいた。弥生は太郎に、「バチが当たったのよ。こんな優しい人を裏切ったから」と言う。卓磨は近所の子供を瓦礫から守り、命を落としていた。弥生は彼の両親から、「東京にすれば、こんなことにならずに済んだのに。全部お前のせいだ」と責められていた。彼女は教師を辞めると太郎に明かし、「会うのは辞めよう。アンタといると昔のことを思い出して苦しくなるの」と述べた。太郎が去った後、弥生は歯科医院で卓磨と話した時のことを思い出した。
2014年、3月20日。書店で働く弥生は太郎からメールでLINEに誘われるが、すぐに削除した。2015年3月21日。少年サッカーチームの監督をしている太郎は、弥生の電話を掛けようとして思い留まった。2016年3月22日。弥生は働いていた書店は潰れてしまい、雨の中で帰路に就いた。2017年3月23日。弥生は衰弱している父を介護し、「俺の言う通りにしときゃ良かったんだよ。周りの人間を不幸にして」と悪態を浴びせられた。2018年3月24日。弥生は父を亡くし、部屋を片付けた。翌日、弥生はサクラの墓へ行き、「もうここに来れないかも」と語り掛けた。太郎が来るのに気付いた彼女は、身を隠す。太郎はサクラの墓に手を合わせ、「弥生のことを守ってくれよ」と頼んだ。弥生は手に落ちて来たサクラの花びらを眺め、その場を後にした。
太郎は教師になったあゆむから、弥生のことを問われた。太郎が「何年も連絡を取ろうとしてんだけど、どこにいるかサッパリで」と言うと、あゆむは「あの人みたいになりたくて、教師になったんだけどな」と告げた。太郎が驚いていると、食堂を再開した真理亜から電話が掛かって来た。「お客さんが来てるんだけど」と言われた太郎は食堂へ行き、サクラの父と会った。サクラの父は、弥生に送ったが配送先不明で戻って来た娘の形見を差し出した。それはサクラが死ぬ前に録音したカセットテープで、太郎と弥生が結婚したら式で流してほしいと頼まれていた物だった…。脚本・監督は遊川和彦、製作は藤田浩幸&市川幸、製作総指揮は小野田丈士&広田勝己&渡辺章仁&小野晴輝&中西一雄、プロデューサーは福山亮一&臼井央&岸田一晃&三木和史、撮影は佐光朗、照明は加瀬弘行、録音は林大輔、美術は禪洲幸久、編集は宮島竜治、脚本協力は吉田香織、音楽は平井真美子。
出演は波瑠、成田凌、杉咲花、岡田健史、黒木瞳、小澤征悦、矢島健一、奥貫薫、岡本玲、夙川アトム、橋爪淳、小林喜日、柳谷ユカ、諏訪太朗、安澤千草、徳永梓、札内幸太、滝沢恵、今藤洋子、須間一也、堀健二郎、高橋かすみ、霧島ロック、森崎海來、小山輝、村上勘太、原純大、高橋佑太朗、神保朋輝、日向千夏、伊吹美咲、内藤小川也華、佐伯鉄太郎、横田峻舵、白石優愛、渡辺優奈、安藤瑠華、西山こころ、武野汐那、永瀬未留、星汝真希、亀山雄司、白瀬真理子、根津崇明、小笠原礼子、大日寿、千葉五十鈴、室井夢美子、原田健、佐藤ちえ、大友結萌、山内柚乃、矢内忠周、相澤真彩、保利晴登、若松雄斗、室屋善汰、田口和花、村上麗奈、三溝浩二ら。
数多くのTVドラマで脚本を手掛けてきた遊川和彦が、2017年の『恋妻家宮本』に続いて2度目の監督を務めた映画。
『恋妻家宮本』と同じく脚本も兼任している。
弥生を波瑠、太郎を成田凌、サクラを杉咲花、あゆむを岡田健史、真里亜を黒木瞳、卓磨を小澤征悦が演じている。
他に、冬樹役で矢島健一、弥生の母役で奥貫薫、太郎の妻役で岡本玲、高校の担任教師役で夙川アトム、サクラの父役で橋爪淳が出演している。冒頭のシーンを見ただけで、これがダメな作品ってことは何となく見当が付く。
サッカー部を辞めたことで責められた太郎が「あいつにも言っとけよ。お前が元気になろうが死のうが関係ないって」と言うが、この台詞の不自然さが引っ掛かる。
そこでいきなり「死のうが」という言葉が出て来るかね。
それは「サクラがエイズで死を迎える」というトコからの逆算が、ものすごく不細工な形で出ちゃってるのよね。ちっともスムーズな台詞になっていないのよ。そもそも、サクラはクラスで落書きされるイジメを受けているのに、彼女が薬害エイズ患者なのを太郎が知らないのは不自然じゃないかと思うんだよね。
そこは「隣のクラスだから」ってのを言い訳にしているけど、ものすごく無理があるんじゃないかと。
さすがに薬害エイズ患者でクラスからイジメを受けるぐらい情報が広まっているのなら、隣のクラスにも伝わると思うぞ。
1986年当時の薬害エイズって、それぐらい大きな問題だったんだからさ。で、そこでエイズ問題を取り上げておきながら、以降は全く触れないのよね。
クラスメイトのイジメはそう簡単に無くならないだろうに、二度と描かれない。そして「卒業式にはクラスメイトも教師も泣いている」という様子だけで、簡単に片付けてしまうのだ。
「薬害エイズと偏見」という問題は、まるで掘り下げていない。
なので、「だったらサクラの病気が薬害エイズである意味って何なのか」と言いたくなるのよ。
それって結局、そこを使って「これは1986年の出来事」と匂わせるためだけの道具でしかないでしょ。まず「サクラは薬害エイズでイジメに遭っている」という設定の時点で、既にヤバそうな雰囲気は漂っていた。
弥生がクラスメイトを批判したり、教師が適当に済まそうとするので抗議したりという「間違ったことを許せず、真正面から立ち向かう正義感の持ち主」という設定にしてあるのも、これまたヤバそうな雰囲気を感じさせる。
そして「何となく」だったモノが確信に変わるのが、弥生のサクラへ対するキス。
それは「エイズは傷口に唾液や血液が入らない限りは感染しない」ってのを示すための行為なんだけど、そんなのクラスメイトには絶対に伝わらないからね。
なので、単に「映像としてのインパクト」だけの行動になっちゃってるのよ。そして「クラスメイトに何の影響も与えない無意味な行動」ってのが、ハッキリと分かっちゃうのよ。この映画、月日の経過がサッパリ分からないという大きな欠点を抱えている。
まず冒頭シーンからして、何年頃の出来事なのか分からない。
高校生を演じるには明らかに年を取り過ぎている面々が高校生を演じているので、過去の出来事なのは何となく分かる。でも、なぜか「何年何月」みたいなテロップは出さない。
何年なのかが分かるような分かりやすいニュースも入れない。サクラが薬害エイズ患者という情報だけで、推察する以外に方法が無い。もっと厄介なのが、タイトルを出した次のシーン。太郎の試合を弥生とサクラが観戦しているのだが、これが最初のエピソードから1年後なのは映画を見ているだけだと絶対に分からない。
入院したシーンでサクラが「病気を治して21世紀を見てみたい。どうなってるのかな、13年後」と言うので、ここで1988年ってことが分かる。でも、そんな遠回しな表現に留めておく意味が分からんのよ。
なんで「何年の何月何日」みたいなことを、文字で出さなかったのか。それを避けて得られるメリットは、何も思い付かない。スーパーインポーズがカッコ悪いと思ったのなら、新聞やカレンダーなんかで出してもいいだろうし。
卒業式のシーン、初めて黒板に書かれた「1988年3月4日」で正確な年月日が明示されるが、そういうのを最初からやれば良かったんじゃないかと。波瑠と成田凌の見た目がほとんど変わらないのも、大きな問題だ。
高校時代から成人になっても、制服が別の服に変化する以外、見た目の変化は分からない。ひょっとするとメイクに変化はあるのかもしれないけど、まるで分からない。
これは本作品に限らず、少しずつ年齢を重ねていく構成の作品に付き物の問題ではあるのよ。
「小学生から大人」みたいな大きな時間経過なら別の役者を起用できるけど、それが出来ないからね。
でも、そんなのは最初から分かり切っているんだし、それを上手く処理するのが作り手の仕事でしょ。弥生はサクラに告白するよう勧める時、「あいつの辞書には悪意とか差別っていう言葉は存在しないんだから」と太郎について評する。
でも、そこまでのシーンで、太郎に悪意や差別の意識が無いことを示す描写なんて何も無いのよね。冒頭シーンで描かれたのは、「弥生がサクラを庇うのを見る太郎」という図式だけなのだ。
太郎がサクラの薬害エイズを知ってどう思ったのか、イジメている連中に対して何を感じたのかは、まるで分からない。中傷する連中を批判するのは弥生で、太郎は単なる傍観者だからね。
なので、なぜ弥生が太郎をそんな奴だと評するのか、まるで解せないのだ。
クラスメイトでもないし、そこまで太郎と親しい理由も良く分からんなあ。幼馴染ってことでもないんでしょ。少なくとも映画を見ただけでは、そういう情報も無いし。太郎の結婚式のシーンから回想に入るが、これは構成としてブサイクだ。せっかく「1年に1度、3月の2人」という仕掛けを持ち込んでいるんだから、そこは絶対に現在進行形を徹底しなきゃダメでしょ。
弥生の父親が「あいつのせいで人生をメチャクチャにされた」と吐き捨てた後、今度は弥生が21歳の時の回想シーンが挿入されるが、これも同様。
夫が死んだ後、弥生が彼と出会った時の回想シーンが入るが、もちろん同様。
っていうか、ここは全く要らないよ。タイミングとしてあまりにも遅すぎるし、そもそも現在進行形でも無くてもいいぐらいのシーンだし。弥生が結婚を強制されるエピソードに関しては、現在進行形で描いたら先にネタバレすることになるので、それを避けるための処置なのは分かる。
でも、ネタバレして困るようなエピソードなら、最初から持ち込まなきゃいい。
原作付きの作品でもないんだし、どうにだって出来たはずでしょ。
っていうか、もっと根本的なこと言っちゃうけど、それを現在進行形で描いて何か困ることであるのか。普通に時系列で描いても、何の支障も無かっただろ。弥生の結婚式のシーンで、太郎は「俺は大人になんかならないから。夢だって諦めない。結婚も、本当に好きな奴としかしない」と言う。
だけど、それは弥生の苦悩を全く無視した無神経な言葉にしか聞こえないわ。
もちろん弥生だって、夢は諦めたくないし、望んだ結婚ではない。でも母や妹たちを守るために、仕方なく決断したのだ。
そんな彼女への思いやりが、太郎には微塵も感じられないのよ。
それに太郎は「結婚も、本当に好きなとしかしない」と言ってるけど、ホントに好きな弥生じゃなくて別の女性と「妊娠して仕方なく」という理由で結婚しているじゃねえか。
なので、その言葉に心を揺さぶられた弥生がバカみたいになってんじゃねえか。弥生と太郎の30年を、1年の内の1日だけを連ねることで描く構成になっている。1つのエピソードが終わって次に移る時は、紙をめくるようなワイプで切り替えている。
残念ながら、この演出が安っぽさを感じさせる。
それと、それまでは1年ごとのワイプ転換だったのに、地震の時だけは太郎が場所を移動する度にワイプで切り替えるんだよね。
なので、「ワイプによって月日が経過する」というルールも破綻してしまうのよね。弥生と太郎の様子を描くのは「違う年の同じ日」という仕掛けなのかと思ったら、そうではなかった。
卒業式は3月4日、弥生がサクラに結婚を報告するのは3月8日。弥生が父の介護について話すのは3月9日、太郎と関係を持つのは3月10日。
そこは統一しないと、仕掛けの意味が弱くなるんじゃないのか。なんで「同じ3月ならOK」というユルい縛りにしてあるんだよ。
いや、実は「シーンごとに1日ずつズレていく」という仕掛けなんだけど、それが上手い効果になっていることなんて何も無いからね。地震を知った太郎は、すぐに弥生と連絡を取ろうとする。
でも、そういう時って、まずは母親の心配をした方が良くねえか。アパートを出て渋滞に巻き込まれたタイミングで母親に電話を掛けるけど、それって遅くねえか。
もちろん弥生が大事なのは分かるけどさ、母親より優先ってのは、なんか引っ掛かるんだよなあ。妻や恋人ってわけでもないんだし。せめて、弥生に掛けて繋がらなかったら、すぐに母親へ掛けてくんないかなと。
あと、真里亜は太郎に「弥生は生徒を避難させて自宅に戻ったらしい」と教えているけど、電話も繋がらない状況なのに、なんで彼女は弥生の行動を知っているんだよ。ホントなら「弥生と太郎の人生にとってサクラが大切な存在」という図式がクッキリと見えなきゃいけないはずだけど、そんな風には全く思えない。
サクラがいなくても、そして彼女が若くして死んでいなくても、弥生と太郎の人生って、そんなに大きく違わなかったんじゃないかとさえ思ってしまうぐらいだ。
墓参りのシーンがあったり、台詞で名前が出たりするけど、サクラの存在の大きさを感じさせる描写って、ほとんど見当たらないのよ。
終盤にサクラの残した音声テープを聴かせて存在感をアピールさせているけど、それで綺麗に着地している印象は皆無。序盤で扱われた薬害エイズ問題だけでなく、「重大な社会問題を取り上げておきながら雑に扱う」という行為は終盤にも用意されている。
教師になったあゆむが、福島から転校してきた生徒へのイジメを知って加害者に謝罪させ、保護者の抗議を受けるという出来事が描かれているのだ。
でも、ここで「震災によるイジメ」とか「モンスター・ペアレント」といった問題を持ち込む意味なんて、全く無いのよ。それどころか、邪魔になっていると言ってもいい。
そもそも、弥生と太郎の関係を描く物語にあゆむを絡ませる部分からして、そんなに上手く処理できていないんだし。この映画、最後の最後で唖然とする展開が用意されている。
エンドロールが流れてくる中、サクラの墓の前で会話を交わしていた弥生と太郎が『見上げてごらん夜の星を』を歌い始めるのだ。踊りは無いけど、そこで急にミュージカルシーンみたいな演出が入るのだ。
これがねえ、まあ見ているこっちが恥ずかしくなるぐらいに陳腐なのよ。
いっそのこと、開き直って「場所が切り替わり、大勢のコーラスが参加してのミュージカルシーン」ぐらい飾り付ければ、それはそれで何とかなったかもしれない。
でも、波瑠と成田凌が手を繋ぎながら淡々と歌うだけのエンディングは、かなり残念なことになっている。(観賞日:2021年9月17日)