『夜叉』:1985、日本

若狭湾に面した小さな港町。漁師の修治は妻の冬子と息子2人、娘1人、冬子の母・うめの6人で暮らしている。ある日の早朝、彼は漁師仲間である啓太の息子、ヒデオを漁船の朝日丸に乗せて町から連れ出した。ヒデオは東京に行く夢を叶えるため、親に内緒で家出したのだ。修治は冬子の心配をよそに、彼に協力した。駅へ向かうヒデオの後ろ姿を眺めながら、修治は過去を振り返った。かつて彼はヤクザで、3人の男と戦って斬り付けたこともあった。
啓太は息子の家出に関して修治に腹を立てず、礼を述べた。小川螢子という女が幼い息子を連れて町に現れ、飲み屋の「螢」を開いた。今まで町では3人の女が飲み屋を開いたが全て潰れており、うめは「螢」も1年持たないだろうと予測した。漁師の信光や秋広たちは、店を訪れて酒を飲んだ。修治も啓太に誘われ、店へ赴いた。螢子は彼らに、前に飲み屋をやっていたしのぶから店を売ってもらったこと、大阪の店で一緒に働いていたことを語った。今までの飲み屋は漁師のツケを許していたが、螢子は認めないと告げた。啓太は彼女に気に入ってもらうため、全員の飲み代を支払った。
翌朝、海に出た修治は大きなブリを螢子にプレゼントし、港に戻った。そのこと啓太の妻・とらから聞いた冬子は、嫉妬心を覚えた。啓太は荒れた海に出たが、心臓が痛くなったので浜に向かうと告げて無線を切った。彼は心臓の持病を抱えているが、ニトロを持って行くのを忘れていた。修治は仲間と浜へ赴いて啓太を発見し、ニトロを与えて助けた。無理をした理由について、啓太は娘を大学に行かせたいのだと説明した。まだ娘の美香は中学生であり、修治は医者に診てもらうう忠告した。
冬子はとらから、螢子が大阪のミナミで働いていたことを聞かされた。かつて大阪で暮らしていた冬子は、当時を振り返った。田舎から出て来た冬子は、西洋料理店「キッチンエフ」で働くことになっていた。彼女は場所が分からず、案内してくれたのが修治だった。修治は店の常連で、冬子は店長から「ええ男やが、ヤクザなんや」と聞かされた。しかし冬子は修治がヤクザと知っても、彼に惹かれた。修治は知らせを受けて川辺へ赴き、妹である夏子の遺体を確認した。修治は冬子と結婚し、カタギの漁師になることを決めた。うめは彼に、人前では裸にならず、刺青を見せないように約束させた。
螢子は駅へ恋人の矢島を迎えに行き、笑顔を浮かべた。彼女は店へ矢島を連れ帰り、今度こそ立ち直ってほしいと頼む。矢島が指図するなと声を荒らげると、螢子は自分が稼ぐなら何もしなくていいと述べた。矢島は「こんな村で何が出来んだよ」と苛立ち、螢子の息子が来ると「向こう行け」と怒鳴った。「誰のガキか分かんねえの、ぶら下げやがって」と彼が罵ると、螢子は「アンタにおとうさんになってくれなんて言うてへんで」と告げる。彼女が「アンタの子供が出来たみたいや」と明かすと、矢島は何の反応も示さなかった。
矢島は「螢」に来る漁師たちを賭け麻雀に誘い、徹夜で遊んだ。そのため、漁師たちは遅刻が増えた。仕事を休んでいる啓太は矢島の誘いを受け、シャブに手を出すようになった。ヒデオは啓太が倒れたと知って心配し、浜へ戻ろうとする。しかし修治は一人前になるまで戻るべきではないと説教し、そのまま帰らせた。修治は「螢」へ赴き、組合で遅刻が問題になっているので賭け麻雀を遠慮してほしいと矢島に頼む。すると矢島は詫びないどころか、修治を怒鳴って威嚇した。
矢島はシャブが切れたため、奥の部屋に引っ込んで注射を打った。シャブを続けていると知った螢子が責めても、彼は耳を貸さなかった。その様子を見た修治は、夏子がシャブに手を出したと知った時のことを思い出した。修治が「なんでや」と平手打ちを浴びせると、夏子は笑いながら「お兄ちゃんがヤクザで、なんでウチがマトモな暮らし出来んのと告げた。修治は仕事に復帰した啓太がシャブをやっていると見抜き、矢島がミナミから運んでいるのではないかと問い詰めた。啓太は軽く笑うだけで、シャブとの関係を否定した。
啓太は矢島を張り込み、かつて弟分だったトシオがシャブの運び屋だと知った。彼はトシオを呼び出して殴り付け、矢島が「浜にシャブを持ち込んで人を強請る」と話していたことを聞き出した。トシオは親分の花輪が死んで組の火が消えたこと、姐御が修治を気に掛けていたことを語り、その場を去った。啓太が貯金を全て使い果たし、とらは激高した。彼女は「螢」に注ぎ込んだと睨み、螢子の元へ怒鳴り込む。すると螢子は冷たく突き放し、「顔歪めてガアガア言うから、男が逃げるんや」と言い放った。
修治は螢子に会い、「昨日、取引があったな。ブツがどっかに隠してあるはずや」と告げる。「捨てた方がええんやないか」と彼が言うと、螢子は承諾した。矢島は隠してあったシャブが無くなったため、激怒して螢子に殴り掛かった。彼が店から包丁を持ち出したので、螢子は息子を抱えて逃げ出した。矢島は螢子を追い掛け、通り掛かった浜の人々に襲い掛かった。螢子は店内に追い込まれるが、冬子から話を聞いた修治が駆け付けた。彼は矢島を殴り倒して包丁を蹴り飛ばし、螢子に歩み寄った。矢島は包丁を拾い、修治の背中に斬り付けた。上着が切れて夜叉の刺青が露わになり、店の外にいた人々が目撃した。
修治は矢島を殴り付けて警察に電話しようとするが、螢子が「あかん」と制止した。矢島は修治を嘲笑し、「テメエもヤクザじゃねえか」と言い放った。矢島は浜から姿を消し、「栄養剤」としてシャブを貰っていた啓太や信光は入手方法が無いかと螢子に尋ねた。浜の人々は修治の陰口を叩き、避けるようになった。とらは美香に、修治の長男で同級生の太郎とは付き合うなと命じた。太郎は帰宅し、美香から「太郎の家の人間とは付き合わない」と通告されたことを語った。冬子は腹を立て、「父ちゃんが何した言うねん。背中の刺青が悪さした言うんか。恥ずかしいことあらへん」と声を荒らげた。
修治は歩いている螢子を見て声を掛け、車に乗せて海へ連れ出す。彼は螢子から、流産したことを聞かされた。螢子はミナミが性に合っていると言い、いずれは帰るつもりだと修治に話した。修治は工事現場の作業員に化けて対抗組織のヤクザたちを始末したこと、組長を射殺したことを回想した。うめは冬子に、「あの人はホンマに漁師になれるかなあ。あの人の夜叉は背中にあるのと違う。心の中に住んでる」と話す。冬子は母から、「それもこれも、おめえ次第じゃ。それが女房の値打ちなんじゃ」と言われた。
冬子は修治を呼びに行くが、朝日丸には姿が無かった。修治は「螢」を訪れ、螢子に「ここを出た方がいいかもしれんな」と告げた。螢子が「私?」と言うと、彼は「いや、俺が」と答えた。修治は「アンタと飲んでる時、一番気が楽や」と語り、「なんで?」と問われると「分からん。けど、休まるんや」と告げた。冬子が店に来ると、螢子は「かつてミナミに夜叉何とかと呼ばれたヤクザがいたが、女のために足を洗った」と話す。冬子が頬を緩ませると、彼女は「でも私は、女のためとは思わん。その男は海に来たかったんや」と語った。後日、螢子は修治を訪ね、「2人きりで会いたかったの」と誘惑した。修治は螢子とホテルへ行き、肉体関係を持った…。

監督は降旗康男、脚本は中村努、プロデューサーは島谷能成&市古聖智、撮影は木村大作、美術は今村力、録音は紅谷愃一、編集は鈴木晄、照明は安河内央之、助監督は一倉治雄、殺陣は宇仁貫三、音楽はトゥーツ・シールマンス&佐藤允彦、主題歌はナンシー・ウィルソン『ウインター・グリーン,サマー・ブルー』。
出演は高倉健、いしだあゆみ、田中裕子、田中邦衛、ビートたけし、乙羽信子、奈良岡朋子、あき竹城、真梨邑ケイ、檀ふみ、大滝秀治、小林稔侍、寺田農、下條正巳、丹古母鬼馬二、青木卓、村添豊徳 、西村譲、坂田祥一朗、宇治正高、来路史圃、西巻映子、池田正子、中村久光、小林健一、岩崎ひろみ、渋谷伸弘、尾崎仁美、村木満、小泉朋子、西村泰治、永井直、中瀬博文、大谷進、戸塚孝、石崎洋光、小池幸次、町田幸夫、山下一夫、後藤正人、桑名良輔、市川勉、酒井郷博、長沢けい子、森下明、松永忍、横内直人、清水進一、永野明彦、清水照夫、原田力、今西正男、森寿男とブルーコーツ他。


『駅 STATION』『居酒屋兆治』の降旗康男が監督を務めた作品。
脚本は『子連れ狼 地獄へ行くぞ!大五郎』『ひとごろし』の中村努。
修治を高倉健、冬子をいしだあゆみ、螢子を田中裕子、啓太を田中邦衛、矢島をビートたけし、うめを乙羽信子、とらをあき竹城、夏子を檀ふみ、キッチンエフの店長を大滝秀治、トシオを小林稔侍、信光を丹古母鬼馬二、秋広を青木卓、ヒデオを宇治正高が演じている。
修治の元親分の妻役で奈良岡朋子、クラブ歌手役で真梨邑ケイが出演している。

とらが冬子に螢子のことを話し、「冬ちゃんもいたんやなあ、大阪」と言った後、冬子が大阪にいた頃の回想パートに入る。
この流れなら、もろろん「それは冬子がミナミにいた頃を振り返っている」という回想だと誰もが解釈するだろう。
なので、途中で「修治が夏子の遺体を確認する」という、冬子の知らないシーンが入るのは不格好だ。
しかも、無理をしてまで夏子の死を描く必要性があるのかと考えた時、それはゼロでしょ。それがきっかけで修治がカタギになったわけじゃなくて、結婚が理由のはずだし。

夏子の死は修治の組織や抗争が絡んでいるのかと思ったが、そういうわけではなさそうだ。ただ、詳細は全く分からない。
そもそも、夏子がシャブに手を出している設定自体に、かなり強引さを感じてしまう。さらに言うと、この設定を上手く活用できていない。
「修治は妹の件が理由で、浜にシャブを持ち込む矢島と対立する」という形で、現在の物語と関連付けたいのかもしれない。
だけど妹の件が無くても、矢島がシャブを持ち込んだら何とかしようとするでしょ。

夏子がシャブに手を出していると修治が知った時の回想シーンが挿入されると、さらに「貧乏だった兄妹の幼少時代」の回想も挿入される。
だけど、それってホントに必要なのか。
そんな回想があろうと無かろうと、ストーリー展開にもドラマやキャラも厚みにも全く影響を及ぼさないでしょ。
もっと言っちゃうと、そもそも妹の存在が本当に必要だったのかってのも引っ掛かるのよね。それが無くて何か大きな影響が出るかと考えた時に、これといって特に思い浮かばないのよ。

ヒデオは冒頭だけでなく途中でも登場するが、このキャラも上手く活用できていない。
最初のシーンで修治が大阪時代を回想するのなら、「修治が自分の若い頃とヒデオを重ね合わせる」という形での活用が思い浮かぶ。だけど、そんなことは全く無いんだよね。
ぶっちゃけ、冒頭で修治が大阪時代を思い出すために利用しているだけで、それ以外の存在意義が見当たらないのよ。
「父を心配して帰郷しようとするヒデオを修治が説教して帰らせる」という手順も、まるで必要性を感じないし。

「螢」で修治と矢島が争うシーンは、ものすごく不自然になっている。
矢島はパンチを浴びて包丁を落とし、それを修治が蹴って滑らせる。ここまでは分かるのだが、そこから「修治が矢島に背中を向けて螢子に歩み寄る」という行動を取るのは、ツッコミを入れてほしいのかと呆れてしまう。
まだ矢島は倒れただけで、すぐに動ける状態なのだ。包丁だって、すぐに掴める場所に落ちている。なので、直後に矢島が包丁を拾って襲って来ることは目に見えている。なぜ修治は、不用意に背中を向けたのかと。
修治はヤクザとしての経験があるから、包丁を持った矢島に対処できたはずで。それなのに、そこの行動だけ急にトーシロ感が強くなるのよね。
「修治が上着の背中を切られて、夜叉の刺青を浜の人々に見られる」という状況を作るための作為が、あまりにも下手すぎるのよ。

修治がヒデオの後ろ姿を眺めながら過去を振り返った後、オープニング・クレジットが入る。ここでは、白いスーツを着てボルサリーノを被った修治がバーに現れ、ウイスキーを飲み始める様子が描かれる。
本編とは全く繋がりが無い映像だが、「ヤクザ時代の修治」を描いているわけだ。
ただ、その映像は完全に浮いているし、かなりの違和感がある。
しかし、そんな映像をオープニング・クレジットで用意した理由は、その後の本編を見ていて分かった。

粗筋でも触れたように、修治が対抗組織のヤクザたちを始末して組長を射殺した時の回想パートがある。その前に、キャバレーで彼が女と踊る様子も描かれているのだが、ここもオープニング・クレジットと並ぶぐらいの違和感だ。その女が螢子に似ているならともかく、全くの別人だし。
で、そんな描写を盛り込んだ理由は、「この映画がフレンチ・ノワールを意識しているから」ってことにある。
ようするに、高倉健を「ギャングを演じるアラン・ドロン」みたいに描きたかったのだろう。音楽も含めて、フランス映画のオシャレっぽさを出そうとしていたんだろう。
ただ、まるで成功していないし、それなら夜叉の刺青は違うだろ。

修治が単なる身勝手な浮気者でしかないので、かなり不快感が強い。
螢子が昔の恋人とか、かつての恋人に似ているとか、そういうことなら彼女に惹かれるのも理解できる。夫婦関係が冷え切っているとか、妻が嫌な奴だとか、そういう状況であれば浮気心を起こすのも理解できる。
螢子から誘惑されたとすれば、もちろんダメなことだけど、浮気に走っちゃうのも分からんではない。
でも修治は螢子が浜に来た時から、明らかに惚れちゃってるんだよね。
大きなブリを妻に内緒でプレゼントするのも、親身になって面倒を見ようとするのも、ただの善意や優しさじゃなくて、完全に気持ちを向けてもらうための行動なのだ。

冬子は修治を全身で愛しているし、ヤクザだとバレた時も全力で守ろうとしている。何の見返りも求めずに尽くして支えてくれる、とても良く出来た妻だ。
それなのに修治は、平気で螢子との浮気に入る。そこには罪悪感も葛藤も苦悩も何も無い。酷い裏切り行為だ。
そもそも、そんなに冬子に惚れていないのに結婚した可能性もある。
ただ、仮にそうだとしても、「だっらた浮気しても仕方が無いよね」という気持ちにはならんぞ。その結婚も含めて、冬子が可哀想だと感じるだけだぞ。

せめて修治と螢子が「他の全てを投げうってでも、この愛に生きる」というぐらい強く惹かれ合うならともかく、そうじゃないのよ。螢子は矢島が姿を消して、寂しい心の隙間を埋めるためにに修治を誘惑しただけだ。
そして彼女は矢島が浜に戻り、「金を返せないと組織に殺される」と言うと、自分に惚れている修治に助けを求める。
つまり、都合良く修治を利用しているだけなのだ。
で、そんな女のために、修治はクズ野郎でしかない矢島を救おうとするんだよね。
それ、微塵も応援できないよ。

そんな身勝手極まりない修治だが、それでも冬子は怒らず、船を売って金を工面するよう提案する。いじらしくて、けなげな女だ。しかし修治は「ミナミへ行く。昔から金で話を付けたことは無い。俺のやり方でやる」と口にする。
つまり彼は、ちっともカタギに成り切れていなかったのだ。
冬子が「私たちの15年は何だったの」と言うのは、ものすごく分かるわ。
修治って奴は、どこまで冬子を苦しめ、傷付け、裏切れば気が済むのかと。矢島もクズだけど、修治も大概だぜ。

結果として矢島は殺され、修治から報告を受けた螢子は浜を出て行く。彼女は列車の中で修治の子を妊娠したと気付き、微笑みを浮かべる。
この微笑は、まるでサイコ・スリラーのような不気味さを抱かせる。
一方、修治は平気な顔をして冬子の元へ戻って来る。冬子は笑顔で迎えるけど、「どのツラ下げて」と言いたくなるわ。
それで修治は何の贖罪も済ませず、何事も無かったかのように、今までの生活に戻るわけだ。
いやあ、ヘドが出るような男だね。

(観賞日:2024年4月10日)

 

*ポンコツ映画愛護協会