『山桜』:2008、日本
江戸後期。北の小国、海坂藩。野江は嫁がずに一生を終えた叔母・房の墓参に赴いた帰り道、美しい山桜に目を留める。歩み寄った彼女は枝に手を伸ばすが、なかなか花に届かない。すると一人の侍・手塚弥一郎が「手折って進ぜよう」と声を掛け、枝を取ってくれた。「浦井の野江どのですな。いや、失礼。今は磯村の家の人であった」と彼は言うが、野江には相手が誰なのか分からない。「多分お忘れであろうが、手塚でござる。手塚弥一郎」と言われて、野江は思い出した。彼女は「あの節は、失礼申し上げました」と口にする。
弥一郎が「かような場所でお目にかかるとは思はなんだ。いや、あの頃と、まるでお変わりない」と言うと、野江は「あの頃?」と首をかしげる。「いや、お引き留めした」と弥一郎が去ろうとすると、野江は「あの、どちらへ?」と尋ねる。「父の墓参りへ行くところでござる」と歩き出した弥一郎は振り返り、「今は、お幸せでござろうな?」と問い掛ける。野江は少しためらってから、「はい」と返答した。弥一郎は「左様か。案じておったが、それは何より」と言い、彼女と別れた。
実家へ戻った野江は、妹・勢津から「何かいいことでもあったのですか。今朝、磯村の家からこちらへ寄られた時は、どことなく暗い顔をしておられたのに」と問われて「何もありませんよ」と言う。野江は母・瑞江に「手塚弥一郎様のことを覚えておいでですか。磯村に嫁ぐ前にお話があった御方ですよ。あの御方、その後、良い連れ合いを求められましたかしら」と質問した。瑞江が「まだ嫁を貰っていないそうです」と言うと、「手塚様は、どうしてまだお一人で」と野江は訊く。「やはり母一人、子一人の御家ですからねえ。貴方のことも大変残念がっておられたようですけれど」と母は述べた。
野江が嫁いだ磯村の家へ戻ろうとすると、父・七左衛門と弟・新之助が戻る。新之助は「そこまでお送りしましょう」と言い、野江と一緒に歩く。彼は手塚に鍛えてもらっていることを語る。藩校の道場に剣術を教えに来ているのだという。「姉上は手塚様のお話をどうしてお断りになったのですか」という弟の質問に、野江は「亡くなった前の夫のお友達に剣の名手と呼ばれる方がいました。その方の荒々しい振る舞いやお酒の席での無茶な振る舞いを見ていると、私にはとても剣の使い手の嫁は務まらないと思っていたの」と語る。
新之助は「手塚様はそんな人ではありません。随分と前から姉上のことを御存知だったそうです。亡くなった津田様に嫁がれる前、茶の湯に通われていた姉上のことを、手塚様は道場から見ておられたそうです」と話し、「もう一度、浦井の家にお戻りになられはどうですか」と持ち掛けた。しかし野江が「叔母様のようになれと?」と言うと、彼は「そういうわけでは」と言葉に詰まった。「私が家に居たのでは、貴方が結婚する時に差し支えます。しっかり勉学にお励みなさい」と野江は彼に告げた。
野江が磯村家に帰宅すると、舅・左次衛門が借金返済を待ってほしいと頭を下げる男に「娘を売り払ってでも明日、持って来い」と冷たく言っている。野江は姑・富代に遅くなったことを詫びるが、「随分とごゆっくりで。話が弾んだみたいだね」と嫌味っぽく言われる。野江が母から持たされた手土産を渡すと、富代は「よくまあ同じ物ばかり寄越す御家だこと」と、また嫌味を口にした。彼女は女中・たかではなく、野江に夕飯の支度を要求した。野江は磯村家で、惨めな生活を強いられていた。
野江の夫・庄左衛門は、藩の重臣である諏訪平右衛門を宴で接待していた。夜遅くに帰宅した彼は、左次衛門に「諏訪様が利子次第によってはまとまった金をウチに預けても良いとおっしやってくださいました」と嬉しそうに語る。「でかしたぞ」と左次衛門は言い、親子で高笑いした。庄左衛門は野江は体を求めて拒まれ、「なんだ、その目は。早死にしたお前の亭主を笑ったのがそんなに気に食わんか」と睨む。「実家に戻っていたそうだな」と彼に言われ、野江は「お義母様のお許しがやっと出ましたので」と告げる。「叔母の墓参りがそんなに大事か」と責めるような夫に、野江は「浦井の家のことですから」と言う。
庄左衛門は「自分の家の方が格上だとでも言いたいのか。だがな、貴様の親父よりも金はあるぞ。このまま諏訪様に取り入れば、ワシにもいい風が吹くかもしれん」と語り、野江に抱き付く。野江は静かに拒み、「まだ用が残っておりますから」と告げる。「その目をやめろと言っておるのだ、この出戻りが」と、庄左衛門は怒鳴った。彼は刀を取って、庭に出た。そして狂ったように刀を振り回した。
翌日、用事で町に出た野江は、帰りに剣術道場のあった場所を通り掛かった。彼女は、「茶の湯に通われていた姉上のことを、手塚様は道場から見ておられたそうです」という弟の言葉を思い出した。その道場は、現在は使われていない。新之助は友人の兵馬たちと共に、藩校で弥一郎に稽古を付けてもらう。稽古の後、2人は諏訪が取り巻きの侍たちと出て来るのを目撃した。兵馬は「日に日に増えていくな。諏訪に取り入っておこぼれを預かろうという、いやしい奴らだ」と吐き捨てる。取り巻きの中には庄左衛門もいた。
兵馬は新之助に、「お前の身内を悪く言うつもりは無いが、なぜあんな男に群がろうとする?諏訪平右衛門は御家中の腐り切った膿だ。譜代の家柄を笠に着て、領内の農政を我が物にしようとしている」と述べた。諏訪は藩の執政たちに、荒地を開拓して五千石の収入を得る方法を説明する。藩の財政は厳しいので新たな田を開く余力は無い。そこで裕福な大百姓に全てを請け負わせようというのだ。執政の一人が「しかし、それでは大百姓があまりにも広大な土地を手に入れることになる」と反対すると、諏訪は「では、どのようにして財政を立て直すおつもりか。直ちに国を挙げて新田の開発に取り組まねば、百年の計を誤ることになりますぞ」と主張した。
新之助は七左衛門に、諏訪のやり方について相談する。七左衛門は「確かに、多くの農民を開墾に駆り出そうとする諏訪の考えに異論を唱える者も多い」と言う。新之助が「3年前の凶作以来、食う物にも困っている人が大勢いると聞きます。その上、さらに農民たちの負担を増やそうというのは、あまりにも無謀です」と述べると、父は「農民たちの生活を犠牲にするようなことがあってはならぬ」と言う。しかし「なぜ、どなたも諏訪様に異議を唱えようとしないのです?やはり譜代のお家柄にあるお方だからですか」という息子の言葉に対し、彼は「お前には、まだ分からん」と告げた。
諏訪は藩士を集め、「新田開墾の間、これまでの田については年貢の率を引き上げる」という決定を告げる。藩士の一人・米倉が「3年前の凶作から未だ村々は立ち直っておりません。これ以上、百姓たちを絞り上げては田を手離す者がさらに多く出るものと」と意見するが、川は「黙れ、今は大事の時。国あっての民百姓であろう」と怒鳴る。新之助は兵馬から「知っているか、諏訪様は別宅を改築したらしいぞ。大百姓たちから送られる賄賂でな。妾付きの豪勢な暮らしをしているそうだ。国の立て直しを名目に、大百姓たちと組んで私腹を肥やす。狙いは最初からそこにあったのだ。だが、この御城下には誰一人として、それを口にする者はおらん」と聞かされる。
弥一郎は検地に赴いた先で、貧しい百姓・吾助の一家と出会った。彼が握り飯を食べていると、吾助の娘・さよが物欲しそうに眺めた。握り飯を差し出すと、彼女は首を横に振って遠慮した。しかし弥一郎は穏やかな笑みで手に取るよう促し、彼女に握り飯を食べさせた。野江は磯村家の下男・源吉と一緒に畑を耕し、掌に落ちた桜の花びらを見つめた。吾助の家では、老いた母・うめが病に苦しんでいた。しかし食う物にも困る状態のため、吾助には手の施しようがなかった。
米倉は執政に「この長雨により、作柄の回復は見込めないものとみられます。その上、新田の開墾に駆り出され、自分の田の草取りも満足に出来ない農民が数多くおります。さらに諏訪様は農民たちが手放した田をタダ同然で買い集め、我が物にしておられます。このまま諏訪様の方策を続けていれば取り返しの付かないことになります。どうか江戸におられる殿に実情をお伝えください」と意見するが、「もう良い。まだその時期では無かろう」と一蹴された。百姓たちは藩邸に押し掛け、食う物も無くて困窮していることを抗議する。彼らは年貢を軽くしてほしいという書状を諏訪に取り次ぐよう求めるが、「言い分は諏訪様に伝える」と家臣たちに追い払われた。米倉は忠臣の磯貝に密書を託し、江戸の藩主に届けるよう指示する。しかし磯貝は諏訪の手下たちに抹殺された。
2ヶ月後、吾助は年貢米の少なさを諏訪の家臣から「どういうことだ」と責められ、「怠けていたわけではございません。年寄りと子供に食う物も食わせないで、必至に作った米です。これ以上、どうしろと言うのですか」と訴えた。すると家臣は「吾助の田を取り上げろ」という命令を下した。弥一郎は吾助が母と娘の墓前で嗚咽する姿を目撃する。彼は城中で諏訪を見つけ、刀を抜いた。襲ってくる取り巻きの連中は全て拳を使って叩きのめし、弥一郎は諏訪だけを斬った。
野江は憤慨して帰宅した庄左衛門から、「風向きが変わった。諏訪様が手塚という痴れ者に斬られた」と聞かされる。「それで手塚様はいかがなさいました」と尋ねると、「自分で左内町の大目付の家まで歩いていったそうだ」と庄左衛門は言う。彼は「いつの世にも正義派というのはいてな、時々こういうことをしてのけるものだが、そんなことして何になる?手塚本人は一文の得をするわけでもないのに」と弥一郎を嘲り、「おそらく、切腹だろうな。おかげでわしも身の処し方を考えんといかん。全く、馬鹿に付ける薬は無いとはこのことだ」と吐き捨てた。
野江は持っていた庄左衛門の羽織を打ち捨て、「言葉を慎みなさいまし」と鋭い口調で告げる。庄左衛門は激昂し、「貴様、この家に嫁に来てやったと思っているのではなかろうな。俺が貰ってやったのだ。お前のような出戻りをな」と喚いた。彼は野江の冷たい視線を受け、「ずっと蔑んでおったのであろう。やめろ、その目を」と刀を抜く。富代が「みっともない真似はおやめなさい」と叱ると、庄左衛門は部屋を飛び出した。野江は「分かっておいでだろうね。自分のしたことがどういうことか。お前の居場所は、ここにはありませんよ」と富代に告げられ、離縁して浦井家へ戻った…。監督は篠原哲雄、原作は藤沢周平『時雨みち』(新潮文庫刊)より、脚本は飯田健三郎&長谷川康夫、製作は川城和実&遠谷信幸&遠藤義明&亀山慶二、企画は小滝祥平&梅澤道彦&河野聡&鈴木尚、プロデューサーは森谷晁育&杉浦敬&柳沢光俊&林裕之、アソシエイトプロデューサーは山口敏功&小久保聡&西川朝子&小林誠一郎、企画協力は遠藤展子&遠藤崇寿、特別協力は安田匡裕、撮影は喜久村徳章、照明は長田達也、録音は武進、美術は金田克美、編集は奥原好幸、題字は武田双雲、殺陣師は高瀬将嗣、音楽は四家卯大。
主題歌『栞』歌:一青窈、作詞:一青窈、作・編曲:武部聡志。
出演は田中麗奈、東山紀之、富司純子、篠田三郎、檀ふみ、高橋長英、永島暎子、村井国夫、北条隆博、南沢奈央、樋浦勉、千葉哲也、安藤一夫、網島郷太郎、江藤漢斉、矢柴俊博、並樹史朗、諏訪太朗、佐藤恒治、藤井玲奈、途中慎吾、佐久間哲、真田健一郎、伊藤幸純、森康子、本多晋、藤あけみ、樋口史、村尾青空、勢登健雄、高杉航大、鬼界浩巳、小高三良、新富重夫、関口篤、滝之助、伊藤竜也、菅原司、萩原好峰、長谷川晃誉、森聖二、望月章男、名倉右喬、浅川稚広、桂亜沙美、江畑浩規、松沢仁晶、飯尾英樹、石原和海、瀬木一将、加賀谷圭、芸利古雄、豊田孝治、山本勝、北山ひろし、小林将史、鋼鐡男、天野なおこ、西音羽、時任歩、平野麻樹子ら。
藤沢周平による同名の短編小説を基にした作品。
監督は『深呼吸の必要』『地下鉄(メトロ)に乗って』の篠原哲雄。
野江を田中麗奈、弥一郎を東山紀之、弥一郎の母・志津を富司純子、七左衛門を篠田三郎、瑞江を檀ふみ、左次衛門を高橋長英、富代を永島暎子、諏訪を村井国夫、新之助を北条隆博、勢津を南沢奈央、源吉を樋浦勉、庄左衛門を千葉哲也、米倉を安藤一夫、吾助を網島郷太郎、住職を江藤漢斉が演じている。序盤、野江が桜に手を伸ばすシーン、田中麗奈の芝居がものすごく下手に見える。
その後の芝居を見る限り、シリアスな時代劇をやるには力不足を感じたことは確かだ。ただし、そのシーンに関しては、カット割りやカメラワークにも問題があると思うんだよなあ。
具体的に何がダメなのか説明するのが難しいんだけど、とにかく「腕を伸ばして背伸びして、取れずに倒れ込む。足袋に汚れが付いたので拭き取る」という演技が、ものすごく不自然に見えちゃうのよね。
そこに限らず、監督の演技指導にも問題があったのではないか。
例えば、さよが握り飯を食べるシーンなんて、もっと「いかにも腹を空かせていました」という感じで貪り付いてほしいんだよなあ。野江の両親は、どうして娘をあんなクソみたいな男の家に嫁がせたんだろうか。
どうも父親は最初から相手がロクな奴じゃないことは分かっていたようだが、だったら縁談を断れば良かったじゃないか。
何か断れない事情でもあったわけではあるまいに。身分としては、こっちの方が上なんだし。
諏訪の悪行を知りながら何もせず黙認し、息子に「お前には分からん」と言っていることも含め、こいつも好感の持てない奴になってしまっている。
「まあ仕方が無いな」と納得できるような理由でも語ってくれればいいんだけど、何も用意されていないんだよな。野江と弥一郎は序盤で会った後、もう二度と出会うことは無い。原作でも1度きりだし、弥一郎がセリフを発するのは、そのシーンだけという構成になっている。
そりゃ原作は20ページの短編だから、全体からの割合で考えると、それでもいいかもしれない。でも99分の映画で、序盤の3分しか2人が会うシーンが無いってのは、厳しいものがある。1度だけにしておくのなら、冒頭ではなく、先に野江のキャラや周辺関係を描写してからの方がいい。
だってさ、そのことで、辛い暮らしをしている野江は励まされるわけでしょ。
なのに、先に出会いを描いて、それから彼女の彼女の辛い生活環境を描写されると、そういうことが伝わりにくいでしょ。帰宅した七左衛門に瑞江の質問を受けて弥一郎のことを話したり、新之助が野江に弥一郎のことを話したりする会話部分が、かなり不自然に思える。そこで手塚のことを説明するという目的があることが、かなり無理のある形で露呈してしまっている。
たぶん原作だと地の文章で説明できるところを、映画だと台詞で処理しなきゃいけないってことだろうけど、もう少し上手い形でやれなかったものか。
っていうか、野江と弥一郎の絡みが1シーンだけで、それを序盤にやってしまっているから、そこで一気に色々と説明しなきゃいけなくなっているんじゃないか。
野江が弥一郎と遭遇する前の段階で、彼のことが家族の話題に上がるような形でもいいんじゃないかと。そうすれば、1度に片付けず、2度に分けて弥一郎に関する説明を消化することも出来るし。あと、野江が弥一郎と会う前後で、彼の噂を耳にするというシーンが欲しいな。野江が道場跡を見る時にで弥一郎のことを思い出すというシーンはあるが、それ以外、互いの相手に対する思い、特に野江サイドからの弥一郎に対する思いが見えることが薄いんだよな。
それと、とにかく諏訪の悪行をアピールするためのシーンに、困窮する百姓たちや諏訪に反発する米倉の様子も含めて、かなり多くの時間を割いており、そのせいで肝心の野江と弥一郎の出番が少なくなっているんだよな。
そりゃ諏訪の悪行を描くことも重要だろうけど、そこは最も重視するポイントじゃないでしょ。野江と弥一郎の出番を削ってまで、そこをグラマラスにしてどうすんの。せめて、米倉を弥一郎の親友という設定にして関連付けるとかさ。
困窮する百姓一家なんて、弥一郎が娘と少し絡んだ程度だし、弥一郎が行動を起こす動機として使ってはいるけど、「そこまではテメエも全く行動を起こそうとせずに黙認していたんだろうに」と言いたくなってしまう。吾助が死んだ母&娘の墓前で泣いているのを見る前から、諏訪の悪行や農民の困窮については知っていたはずなのにさ。
だったら、命懸けの行動を起こさないにしても、せめて苦悩や葛藤はあるべきじゃないのかと。弥一郎が原作で枝を手折るシーンしか喋らないからって、そういうのは踏襲しなくてもいいんじゃないか。
物静かで寡黙というキャラにするのはいいけどさ、原作と比べると、「それ以外のシーンでも登場するのに何も喋らない」という形だから、無理に黙らせている印象がするのよ。
そのせいもあって、弥一郎の中身が見えない。諏訪が百姓を困窮させて私腹を肥やしている間、彼が何を考えているのか全く分からない。
だから、「ただ何もせずに見て見ぬふりをしている奴」にしか見えないし、そうなると、諏訪に取り入っている連中と大差の無い奴にしか思えないのよ。
そんな奴には、まるで共感できないよ。地味な内容だし、弥一郎が全く中身の無い男になっているってのもあるから、そこだけはカッコよく活躍させようと思ったのかもしれないけど、諏訪&取り巻きとのチャンバラで長く尺は取らなくていいよ。
取り巻きを殴ってから諏訪を斬るとか、そんなのも要らない。
むしろ、諏訪を斬るシーンは、あっさりと処理した方がいい。刀を抜いて、すぐに斬って、それで終わらせればいい。
「チャンバラシーン」として際立たせると、浮いてしまう。
いっそのこと、諏訪の前に立ちはだかるシーンで終わらせて、実際に斬るところは描かず、兵馬が新之助に「手塚様が諏訪様を斬った」と伝える形で提示してもいいぐらいだ。完全ネタバレだが、ラストは弥一郎の処分が明らかにされないまま終わっている。
江戸から参勤交代を終えて国許へ戻って来る藩主の行列と、牢から外を見上げる弥一郎の姿が写り、クロージングになる。
原作でも弥一郎の処分は明示されないまま終わるので、それを踏襲しているってことなんだろう。
まあハッキリさせようとしたら、「弥一郎の切腹が決まった」という筋書きしかないんだけどね。弥一郎が助命されるってことは、まあ有り得ないよな。仮に助命されたとしても、藩での立場は難しいものになるだろうし、野江が弥一郎と結婚して幸せになるという明るい未来は想像しにくい。で、切腹の可能性が濃厚なので、ラストをハッキリ描くと何の救いも無い話になるから、ボカすのも分からないではない。
でも、こういう筋書きにした以上、切腹で終わるのは仕方が無いよなあ。
弥一郎が切腹した後、野江が手塚家を訪ねて彼の母と話して弥一郎の思いに触れる流れにすれば、そんなにモヤモヤした終幕にならなくて済むんじゃないかとも思うんだけど。
あと、どうでもいいけどさ、弥一郎って4ヶ月以上も牢に入れられているはずなのに、なぜか髪はキッチリと整っているし、髭も全く生えないのね。そういう手入れも許されているってことなのかな。(観賞日:2012年7月8日)
第2回(2008年度)HIHOはくさい映画賞
・最低主演女優賞:田中麗奈
<*『銀色のシーズン』『築地魚河岸三代目』『山桜』『犬と私の10の約束』の4作での受賞>