『優駿 ORACION』:1988、日本

北海道のトカイファームでは、ハナカゲという牝馬の子供が産まれようとしていた。牧場主の渡海千造や息子の博正は、その時を心待ちにしていた。博正は産まれてくるのが雄の名馬であるよう祈り、家に戻った。すると和具工業社長の和具平八郎と娘の久美子が、東京からハナカゲの出産を見学に来ていた。久美子を見た博正は、すっかり心を奪われた。しかし久美子に話し掛けられると、彼は緊張でガチガチになってしまった。
かつてハナカゲはオークスで2位に入り、中央競馬で3勝している。しかし30年前が経過しても、トカイファームからはハナカゲを超える競走馬が誕生していなかった。千造はハナカゲの相手として、ウラジミールという名馬の種付けを七百万円という高額で購入していた。博正は久美子に、「風の王」と呼ばれたアラブの馬について話す。それはサラブレッドの祖先と言われる3頭の内の1頭で、ゴドルフィンと呼ばれた馬だ。そして博正は、ハナカゲがゴドルフィンの血筋であることを語った。久美子が見守る中、博正と千造は横田獣医を手伝い、ハナカゲは無事に牡馬を出産した。
平八郎の秘書を務める多田時雄は病院へ赴き、入院している田野誠という高校生の病状について主治医に尋ねた。主治医は彼に、誠が慢性腎不全であること、腎臓移植がベストであることを話した。平八郎は新製品披露パーティーを開き、製品の提供先である西東電機常務の増原耕左右と会った。平八郎は増原から、提供する製品の量を増やすよう求められていた。工場を増やす資金提供も約束されるが、平八郎は断っていた。すると増原は、「駄目ならウチは子会社を作る。オタクは倒産しますよ」と告げた。
多田は平八郎に病院から持ち帰った資料を渡し、誠の顔を見て来たことを話す。誠は平八郎と愛人である田野京子の元に産まれた子だった。平八郎は京子の家を訪れ、「父親の腎臓を移植た方が成功率が高いそうです。私の腎臓は血液型が違うから駄目だと言われました」と聞かされる。「他人に腎臓を暮れてやる余裕は無い」と、平八郎は冷淡に告げる。「誠は他人ですか」と言われた彼は、「自分が育てる。俺の目に触れることは一生しない。そう言って強引に産んだのは誰だ?」と口にした。
平八郎は京子に、「この家も16年分の扶養料も与えた。俺に息子はいない。会社は生きるか死ぬかの瀬戸際だ。他人にかずらってる余裕は無いんだ」と述べた。帰宅した平八郎は妻の美穂から、調教師の砂田重兵衛が来ていることを告げられる。砂田は平八郎に、ハナカゲの子を買って自分に預けてほしいと持ち掛けた。砂田は久美子に付き合って平八郎がトカイファームへ行ったことを知らずに、その話を提案していた。予想外の偶然に、久美子も平八郎も驚いた。
砂田は「必ず大レースを狙える馬になる」と言い、父子2人で経営する貧乏牧場が借金をして大博打に出たのだと話した。トカイファームが大博打に出た理由を平八郎が尋ねると、彼は「夢に賭けたんでしょう」と答えた。その言葉を聞いた平八郎は、仔馬の購入を決めた。彼がトカイファームへ赴くと、千造は三千万円を要求した。かなりの高額ではあったが、平八郎は購入を即決した。仔馬が高値で売れたため、博正は大喜びした。
ある夜、久美子はゼミの帰りに酒を飲んで酔っ払い、平八郎に介抱されながら帰路に就いた。久美子は父が何か隠していると睨んでおり、「愛人でも出来たかな」と冗談めかして尋ねる。平八郎が「だったら、どうする?」と問い掛けると、久美子は「お母さんには内緒にする。条件付きで」と口にする。彼女が「あの仔馬、私に下さい」と言い出したので、平八郎は「三千万円もするんだぞ」と困惑する。しかし結局は承諾し、見たことも無い愛人の息子がいること、腎不全で父親の腎臓を移植しないと生きられないことを明かした。
久美子は多田と接触し、誠について教えてほしいと持ち掛ける。愛人の秘密と引き換えに仔馬を貰った久美子の行動を、多田は批判した。彼は平八郎から馬の名前を考えるよう言われていたことを話し、「オラシオン」と書いたメモを渡した。久美子は病院を訪れ、「お母さんの世話になっている」と嘘をついて誠と会った。彼女はカセットプレーヤーをプレゼントし、遠慮する誠に「お金持ちなのよ。競争馬も持ってんのよ」と話した。
誠は競争馬に興味を抱き、いつになったらレースに出られるのかと尋ねた。「再来年頃」という久美子の言葉で、彼は暗い表情になった。久美子が「あげてもいいのよ」と口にすると、誠は「馬鹿にしてるんですか。競走馬は高いんですよ。貴方は何者ですか。何しに来たんですか」と腹を立てて走り去る。しかし戻って来た彼は久美子に、「貴方の馬を僕に譲る誓約書を書いて下さい」と要求した。久美子は了承し、誓約書に署名した。
博正はハナカゲの仔馬を吉永ファームに移すことを千造から聞かされ、「なんで人に調教してもらうんだよ。悔しくねえのか」と憤慨する。千造は「日本中が驚くような馬を、一生に一度でいいから育ててみてえ。それだけだ。調教は金のある奴に任せればいい」と落ち着いて話すが、博正は納得できなかった。2人が喧嘩を始めるので、千造の妻であるタエが仲裁に入った。そこへ久美子が牧場に来るという電話が入り、途端に博正はデレデレした。
博正は久美子と共に、吉永ファームへ仔馬を運ぶ。久美子は彼に、仔馬の名前がスペイン語で「祈り」の意味を持つオラシオンに決まったことを教えた。吉永ファームに到着した博正は広大な敷地に圧倒され、「悔しいけど、和具さんが調教を任せるのも分かるよ」と述べた。オーナーの吉永達也は2人に、馬を育てるには環境整備が大切だと説いた。オラシオンは吉永ファームで調教され、順調に成長した。その間、久美子は吉永ファームを訪れてオラシオンの様子を観察したり、博正と手紙のやり取りをしたり、誠と会ったりした。
オラシオンは3歳の春を迎え、茨城県のトレーニングセンターへ移されることになった。博正はオラシオンをトラックに乗せ、大雨の夜にセンターへ向かう。その途中、無茶な追い越し運転をする対向車を避けようとした彼はハンドルを切り損ね、事故を起こした。その影響で、オラシオンは左前脚を痛めた。幸いにも骨折は無かったが、調教の予定が2週間遅れた。誠の病室を訪れた久美子は、「オラシオンが早くレースに出られるといいね。そしたらテレビで見られるもんね」と言われる。「僕、もう間に合わないよ」と誠が漏らすと、久美子は何も声を掛けられなくなった。
砂田の下でオラシオンの調教が続く中、西東電機の介入で売り上げが急降下した和具工業は「吸収合併の危機」と報じられる。オラシオンは10月の新馬戦で初出走する予定だったが、砂田は1ヶ月の延期を決定した。久美子が抗議すると、砂田は事故の影響があるので無理をさせたくないのだと説明する。久美子は納得せず、新馬戦に走らせるよう要求した。博正が「たった1ヶ月じゃないか」と言うと、彼女は「時間が無いのよ」と苛立ったように告げた。
久美子は博正に事情を明かし、誠の病室へ連れて行く。誠が「オラシオンが見たいよ」と口にすると、博正は「見るだけなら簡単だよ。茨城まで行けば、毎朝練習してるんだもの」と言う。久美子は博正と共に誠を病院から連れ出し、車でトレーニングセンターへ連れて行く。早朝、他の馬と一緒に入るオラシオンを見た誠は、「先頭を走ってる」と目を輝かせた。久美子は平八郎の元へ行き、誠が危篤に陥ったことを話して「あの子に腎臓をやって下さい。まだ間に合うかもしれません」と頼んだ。
平八郎は「今、会社が死に掛けてる。大手メーカーが発注をストップし、八方ふさがりだ。俺は降伏はせん。だから体を痛めるわけにはいかんのだ」と語り、腎臓の提供を拒否した。久美子が責めると、平八郎は怒鳴って追い払った。平八郎が病院へ行くと、京子は誠に彼や久美子のことを全て話したことを告げる。平八郎が病室に入ると、誠は苦しそうな様子で「僕に心臓を下さい」と頼む。平八郎は「うん」とうなずき、彼の顔に触れた。トカイファームを訪れた平八郎は千造と会い、ハナカゲに死が迫っていることを知らされた。ハナカゲは息を引き取り、平八郎は千造たちが埋葬する様子を見守った…。

監督は杉田成道、原作は宮本輝(新潮社刊)、脚本は池端俊策、製作は羽佐間重影&日枝久、エクゼクティブプロデューサーは三ツ井康&佐藤正之、企画は村上光一&松木征二、プロデューサーは緒方悟&松永英、撮影は斉藤孝雄&原一民、美術は村木与四郎&藤原和彦、照明は望月英樹、録音は信岡実、編集は浦岡敬一、音楽は三枝成章(現・三枝成彰)。
出演は斉藤由貴、緒形直人、吉岡秀隆、仲代達矢、緒形拳、平幹二朗、石坂浩二、加賀まりこ、吉行和子、林美智子、田中邦衛、三木のり平、石橋凌、根本康広、下條正巳、青木卓、水野なつみ、松本幸三、餅田昌代、竹之内啓喜、当山マイラ恵子、関時男、モハメッド・シリマン、掛田誠、大成修司、加藤和宏、東信二、松野健一、白川二郎(ラジオたんぱ)、早川純一、三川雄三、入鹿尊、山崎満、神山寛、阿部六郎、佐伯赫哉、戸沢佑介、中寛三、伊藤正博、中吉卓郎、相原巨典、石黒正男、酒井郷博、盛山毅、芹沢邦雄ら。


宮本輝の小説『優駿』を基にした映画。フジテレビ開局30周年記念作品。
TVドラマ『北の国から』シリーズの杉田成道が、初の映画監督を務めている。
脚本の池端俊策は、今村昌平の脚本助手として師匠の作品に参加していた人。正式に表記された映画脚本は、これが初めて。
久美子を斉藤由貴、博正を緒形直人、誠を吉岡秀隆、平八郎を仲代達矢、千造を緒形拳、増原を平幹二朗、吉永を石坂浩二、京子を加賀まりこ、美穂を吉行和子、タエを林美智子、砂田を田中邦衛、横田を三木のり平、多田を石橋凌、奈良を根本康広、誠の主治医を下條正巳が演じている。

序盤、博正は久美子に「風の王」と呼ばれたアラブの馬について話す。
「アラビアで嵐の日に足の速い馬が産まれた。足が速いという意味のシャムと名付けられ、言葉が話せない馬飼いの少年が育てた。王の命令でフランス王に献上することになり、少年は長い旅に出た。だがフランスに到着する頃にはシャムがみすぼらしくなっていたため、フランス王に放り出された。色んな苦労をしながらイギリスへと渡り、貴族に引き取られた」と話が進む。
さらに博正は、「貴族が大切にしていた雌馬をシャムが好きになって、子供が産まれた。貴族は怒って、少年とシャムを沼地に何年間も閉じ込めた。しかし仔馬がレースで活躍して英国一になり、ようやく人々はアラビアから来た親馬の凄さに気付いた」と語る。
そんな話を聞いた久美子は「素敵な話ね」と感想を口にするけど、こっちからすると「どうでもよくねえか、そんな話」と言いたくなる。
すんげえ長々と喋るけど、「だから何なのか」と言いたくなる。

ハナカゲやウラジミールと何の関係も無いわけじゃなくて、その後には「シャムの子供はサラブレッドの最初の3頭の内の1頭で、それはゴドルフィンと呼ばれた。その血を引き継いでいるのがハナカゲ」という説明がある。
だけど、それを言われても、やっぱり「だから何なのか」という感想は変わらないのよ。それによって血筋の良さをアピールされても、あまり意味があるようには感じない。
もちろん実際の競馬では、血筋の良さが重要ってのは分かるのよ。
だけど映画としては、むしろ「血筋が良くないので周囲からは期待薄だけど、才能を発揮して活躍する」という設定の方が、キャラとして魅力的じゃないかと思ったりもするし。

ハナカゲが出産した後、BGMが一気に盛り上がる中で博正が牧場を走り、木にもたれかかって「産まれた」と叫ぶ。久美子が歩み寄り、「良かったわね。ゴドルフィンの子供がちゃんと生まれたものね」と告げる。
だけど、そこはBGMを高めるタイミングを間違えているとしか思えない。
たぶん「仔馬が誕生した感動」ってのを伝えたいんだろうけど、場面が音楽に負けちゃってるぞ。
むしろ、そこは音楽を流さずに描写してもいいぐらいのシーンだぞ。

ハナカゲの仔馬が高値で売れたことに博正が「やった」と興奮するシーンでも、やはりBGMが一気に盛り上がる。そして、やはり音楽を高めるタイミングを間違えていると感じる。映画音楽ってのは基本的に「伴奏音楽」であるべきなのに、主張が強すぎるのだ。
ただし、そのシーンと全く合っていないので、もはや「本来とは立場が逆転している」という状態さえ逸脱している。
誠がオラシオンの練習を見学するシーンでも、これまた音楽が過剰に盛り上がる。
ここは感動させようとするタイミングで感動させるための音楽を流しているので、考え方としては間違っていない。しかし場面が音楽に負けているので、むしろ感動を削いでしまう。むしろ音楽なんて流さずに見せた方が、静かな感動が伝わった可能性はあるだろう。

ハナカゲが出産した後、その仔馬が成長する様子でも描くのかと思いきや、いきなり多田が主治医から誠の病状を聞くシーンが挿入され、困惑させられる。
何のことなのかと思っていたら、誠が平八郎の非嫡出子ってことが明かされる。
そして平八郎が京子から腎臓の提供を求められて断るシーンになるのだが、「このエピソードってホントに必要なのか」と首をかしげたくなる。
オラシオンを中心としたドラマを描く上で、そこは余計な要素でしかないように思えるんだよな。

平八郎は千造が借金をして高額の種付料を支払ったことについて「夢に賭けたんでしょう」と砂田に言われると、「夢か」と呟き、仔馬の購入を決める。
だけど、なぜ「夢に賭けた」という言葉に心を動かされ、仔馬を買おうと決めたのか、そこが良く分からない。
自分の会社が生きるか死ぬかの瀬戸際なのに、それを理由にして腎臓の提供も断っているぐらいなのに、なぜ三千万も支払う気になるのか。
むしろ、そこまでの描写からすると、夢に賭ける思いになんて心を動かされないキャラっぽいのに。

この映画には、登場人物の行動理由が見えない箇所が幾つかある。
例えば平八郎がハナカゲの出産を見学に来たのは、久美子の付き添いだ。だが、どうやって久美子がハナカゲの出産を知り、なぜトカイファームまで見学に来たのか、その動機は全く分からない。
平八郎は増原から製品提供を増やすよう求められて、それを断っている。大事な得意先の要請を断った結果として、「駄目なら子会社を作る」と宣告されている。
提供する製品の量を増やすのは会社にとっても悪いことじゃないはずだが、なぜ断るのか良く分からない。

久美子が急に「あの仔馬、私に下さい」と言い出すのも、まるでワケが分からない。
そこまでの描写では、「久美子が馬に対して強い愛や情熱を持っている」という印象なんて受けなかったし。
一方で、平八郎が簡単に仔馬をプレゼントするのも、これまたワケが分からない。
「愛人のことを内緒にする代償」ってのが表向きの理由だけど、久美子は愛人がいる確証を掴んでいるわけじゃないし、そんなのは建前に過ぎないのだ。だからホントの理由は別にあるはずなんだけど、それが見えない。

平八郎は仔馬の名前を決めるよう多田に指示しており、久美子は彼の考えた「オラシオン」という名前を仔馬に付ける。
しかし多田は、そんなに重要な役回りを果たすキャラではない。仔馬との関わりも、それほど深いわけではない。
そんな奴が名付け親になるのは、映画の作り方として、どうも腑に落ちない。
やっぱり普通に考えれば、久美子か博正が名付け親になるべきだと思うのよ。そうすれば、「自分が名前を付けたから思い入れもひとしお」ってことになるはずだし。

しかも、多田が「オラシオン」というメモを久美子に渡した段階では、名前の由来も教えてもらえないんだよね。
それなのに久美子は博正に名前を教える時、「スペイン語で祈りという意味」と説明する。
自分で調べたってことなのかもしれないけどさ、それは観客に馬の名前を示す時点で一緒に言及すべきじゃないかと。
だから、「久美子が牧場を訪れた時、仔馬の名前を考えたことを博正に話す。オラシオンという名前を継げて、その由来を説明する」ってことで、初めて観客に名前が明かされる形にすればいいんじゃないかと。

久美子は平八郎から誠実の存在を知らされた時、「父に愛人がいる」「母の違う弟がいる」というダブルのショックがあるはずなのに、ほとんど動揺せず、あっさりと受け入れてしまう。
それどころか誠の面会に行くと、平八郎から貰ったばかりの仔馬をプレゼントすることを簡単に決めてしまう。
「慈悲深い」とか「優しい」と表現すれば聞こえはいいが、「都合がいいキャラ」という印象が強い。
そのせいでコロコロと所有者が移動するオラシオンへの思い入れってのは、東京サイドの人間には全く無いのかと。

結局のところ、オラシオンは久美子や平八郎に道具として都合良く利用されているだけだ。
しかし、そういった面々を「唾棄すべき連中」として、批判的に描いているわけではない。
映画としても、オラシオンは人間ドラマを描くために都合良く利用されているだけだ。
何しろ、所有者が誠に移動することを久美子が約束した段階で、オラシオンは「トカイファームで育てられている」という様子が申し訳程度に何度か挿入される程度なのだ。

博正はオラシオンを吉永ファームに移すことを千造から聞かされると、「なんで人に調教してもらうんだよ。悔しくねえのか」と憤慨する。説明を聞いても納得せず、喧嘩を始める。
それぐらい腹を立てていたのに、吉永ファームへ移すことを決めた平八郎の娘である久美子が来ると、一言も抗議しない。
ずっとデレデレしたり、緊張してガチガチになったりするだけだ。
こいつが久美子に惚れているのは分かるけど、そのせいで「オラシオンを他の場所へ移すことに対する憤り」までヌルくなっちゃうのはダメだろ。

オラシオンの出走が1ヶ月遅れることを砂田から聞かされた久美子は激しく苛立ち、予定通り新馬戦に出すよう要求する。
彼女は「時間が無いのよ」と苛立つが、それは「誠の余命が長くないから」ってことだ。
だが、彼女は誠の存在を知った段階で、「生き延びる道は父親の腎臓を移植することだけ」と聞かされている。
だから、オラシオンの出走予定が遅れたことに苛立つぐらいなら、なぜ平八郎に対して「腎臓を誠にあげて下さい」と頼まないのか、それが全く解せないのだ。

久美子は誠と初めて会った時から同情心を抱いているし、彼が「もう間に合わない」と弱気に漏らした時にも辛そうな様子を見せている。
それぐらい誠のことを親身になって考えているのに、なぜか「誠が死ぬまでにオラシオンの走る姿を見せてやりたい」という目的意識だけが芽生えて、「誠を助けてやりたい」という意識は見えないのだ。
誠が危篤に陥ってから、ようやく平八郎に「腎臓をあげて下さい」と頼んでいるけど、どう考えたってタイミングが遅いわけで。

オラシオンが吉永ファームに移されると、調教されて成長する様子がダイジェストでザックリと片付けられる。
そんなトコに長々と時間を使っていたら他のエピソードを描く余裕が無くなるから、ダイジェストで処理するのは理解できる。
ただし、じゃあオラシオンをじっくり描く時間帯が用意されているのかというと、なかなか訪れない。
最終的には「携わった人々の思いを乗せてオラシオンが走る」というクライマックスに繋げて話を盛り上げるべきだろうに、そこに投影される人々の思いってのが、あまり伝わらない。人間ドラマは薄いし、オラシオンとの関わりも弱い。

「周囲の人々の抱えるドラマ」と「オラシオンとの関わり」ってのが相乗効果を生むべきなのに、むしろ互いに邪魔し合っている。
話が進む中で、「これってオラシオンは本当に必要なのか」という疑問さえ湧いてしまう。久美子と博正、博正と千造を繋ぐ部分では必要だが、そこの関係描写はそんなに厚くない。
一方、久美子や平八郎、誠たちの関係を描く部分は、オラシオンを排除した方がスッキリする。そことオラシオンの距離感が遠いのだ。
オラシオンがレースに出るようになると、さすがに状況は改善される。オラシオンがいなければ成立しない内容になる。
ただし、だからと言ってドラマが盛り上がるのかというと、それは別の話で。

終盤、砂田はオラシオンの日本ダービー回避を提案する。脚を怪我した後遺症があるため、2千メートルを超える距離は厳しいだろうと考えたのだ。
彼は「2千以上でも、オラシオンは骨折しても気迫だけで走る。下手をすると殺処分になる」と話す。ハナカゲも2千が限界の馬だったため、平八郎は「これは血統だ」とダービーを断念しようとする。博正は苦痛の表情で「出来れば、もう休ませてやりてえです。長く生かしてやりてえ」と語る。
ところが久美子は、「オラシオンは走るために産まれて来たサラブレッドでしょ。ゴドルフィンは走らせてもらえないまま年を取って不幸だったと思う。田野誠は走りたくても走れない。可哀想よ。これは賭けよ。オラシオンも人間も同じ。みんなで夢を賭けたんだし、その夢を見届けよう」と話す。博正は母から「ダービーを取るまで戻るな」という父の遺言を聞かされ、平八郎は「賭けてみるか」と口にする。
「夢を賭けた馬だから」という理由で、オラシオンの意志は完全に無視される。
自分たちの夢を実現するためなら、オラシオンが骨折して殺処分になるリスクなんて平気なのだ。

そんなわけで、オラシオンは久美子たちのワガママを乗せて日本ダービーに出走させられる。
結果としては1着になるわけだが、誰一人として「オラシオンの脚は大丈夫なのか」と心配する様子を見せない。
久美子の「頑張ったから1位じゃなくて誉めてやろう」という言葉はあるけど、着順より前に脚の状態を気にするべきじゃないのかと。
結局、「サラブレッドであるオラシオンに走る喜びを与えてやろう」という意識より、「ダービーで優勝する」ということへの思いが最終的には強く伝わってしまうんだよな。

(観賞日:2016年3月13日)

 

*ポンコツ映画愛護協会