『マイ・バック・ページ』:2011、日本

1969年、沢田雅巳はタモツという男と共に、露店でウサギを売る。同じ仕事をしているキリストという呼び名の男は、コンドーム会社の面接試験に備えて履歴書を書く。沢田のミスで何匹ものウサギが死ぬが、商売を仕切るヤクザの敷島は責任者であるタモツを暴行した。しかしタモツは、沢田を責めなかった。その日で露店の仕事を辞める沢田に、タモツは金が無くなったら戻って来るよう告げた。
沢田は東大を出た後、東都新聞社に入社した。出版局には全共闘運動をフォローする東都ジャーナルがあり、若い読者から熱い支持を得ていた。沢田は東都ジャーナルへの配属を希望したが、隣の週刊東都で記者をすることになった。彼がタモツたちと働いていたのは、取材の一環だった。彼は都内を放浪してフーテンや労務者の現場に飛び込み、そこで体験したことを記事にする連載を任されたのだ。1ヶ月ぶりに彼が編集部へ戻ると、これから表紙を飾る新人モデルの倉田眞子が挨拶に来ていた。
編集会議に出席した沢田は、フーテンや労務者たちを騙すような形で潜入取材したことへの罪悪感を語った。デスクの徳山健三が「そんなセンチメンタルなことしか言えねえのか。そこで何が起こってるかが重要なんだよ」と批判的な口調で告げると、沢田は激しく反発して「徳山さんは見たんですか」と言う。2人が喧嘩を始めそうになったので、編集長の島木武夫が仲裁に入り、沢田に「とにかく、やってみろ」と記事を書くよう指示した。
沢田がアポロ11号の様子を流すテレビ映像の記録を任されていると、新左翼の取材に出ていた先輩記者の中平武弘が戻って来た。沢田がアポロの偉業に感心したことを語ると、中平は「月かベトナムか、どっちかに行けるっつったら、俺は迷わずベトナムに行くな。お前に足りないのは、そういう覚悟だよ。後ろめたい?だったら、行けよ。ゲバ棒でも何でも持ってさ」と話す。沢田が「でも、ジャーナリストという立場上」と言い訳すると、彼は「カッコ付けてんじゃないよ。行くんだよ。ジャーナリストだって人間だろ」と述べた。
中平は沢田に、東大全共闘議長である唐谷義朗のことを話す。唐谷は指名手配されて地下に潜伏していたが、全共闘の結成大会に飛び入り参加すると中平は語る。そして彼は沢田に、アジトから日比谷まで唐谷を送り届けるよう指示した。もし露呈すれば逮捕される危険な仕事だったが、沢田は唐谷を車に乗せて日比谷へ向かった。会場で待ち受けていた刑事たちは唐谷を発見し、連行しようとした。唐谷が「10分だけ」と頼むと、沢田は刑事たちの行動を妨害した。唐谷は壇上に立って演説し、仲間たちに後を託した。
オールナイトを見て日曜の朝を迎えた沢田は、誰もいない編集部に赴いた。彼が雑誌を読んでいると、眞子がやって来た。近くに来たので立ち寄ったという眞子は、沢田の連載を楽しみにしていたことを話す。彼女はモデルの仕事について、「気付いたらやらされていたので、普通が何なのか分からない」と述べた。1971年、猟銃店の襲撃事件が発生し、警察が京西安保の学生を追っているという新聞記事が出た。沢田は中平から、京西安保の幹部が売り込んで来たことを聞かされた。裏は取れていないと彼は話すが、沢田は取材を希望した。
売り込んで来た梅山という男は、外で会うことを嫌っていた。中平は編集部の人間に知られずに会おうと考え、沢田に適当な場所は無いか問い掛けた。そこで沢田は、自分が暮らしている離れの部屋を提供することにした。梅山は沢田と中平に、既に大量の武器を入手していることを語った。彼は4月に予定している大規模な武装蜂起計画について、饒舌に説明した。部屋を出た中平は、沢田に「ニセモンだな」と告げた。蜂起計画を記者に明かすのは有り得ないというのが彼の意見だったが、沢田は異なる印象を抱いていた。
沢田は部屋に戻り、梅山と会話を交わす。宮沢賢治が好きだという梅山に、沢田は意外性を感じる。そのことを沢田が指摘すると、梅山は「自分たちを過激派だと思ったことは無いんです」と述べた。梅山は部屋にあったギターを手に取り、CCRの『雨を見たかい』を弾いた。なぜ運動を始めたのか沢田が質問すると、彼は「安田講堂をテレビで見て、これだと思ったんです。やっと見つけたって」と話す。沢田が「僕は苦しかったなあ。自分と同じ大学の奴らが負けていくのを、安全地帯から黙っているっていうのは」と言うと、梅山は「沢田さんは優しすぎますよ」と述べた。
左翼雑誌の先頭を走って来た東都ジャーナルは内容が問題視され、発売6日後に回収処分が下された。見せしめという噂も広まる中、徳山は島木に「ウチも好き勝手やらせると危ないんじゃないですか」と告げて梅山のインタビュー記事に触れた。東都ジャーナルは中平を含むベテラン記者たちが分散させられ、解体させられた。半分以上の入れ替えが行われ、沢田は東都ジャーナルに配属された。彼は左遷された中平に頼んで、京大全共闘議長を務める前園の連絡先を教えてもらった。沢田は中平に、前園と梅山を対談させる考えがあることを話した。まだ沢田が梅山と繋がっていることを知った中平は、「どうも怪しいんだよな。程々にしろ」と忠告する。「四月蜂起なんて言って、何も起こさなかったろ」と彼は告げた。
沢田は酒場で社会部の記者と言い合いになり、殴り掛かって反撃された。彼は眞子と映画館へ行き、『ファイブ・イージー・ピーセス』を観る。「あんまり面白くなかったな」と沢田は言うが、眞子は「良かったなあ、すごく」と口にする。「どこが?」と沢田が訊くと、彼女は「ジャック・ニコルソンが泣く所」と告げる。「泣く男なんて、男じゃないよ」と沢田は笑うが、眞子は真面目な表情で「私はきちんと泣ける男の人が好き」と述べた。
沢田が編集部へ戻ると、机の上に宮沢賢治の本が置いてあった。デスクの飯島は、梅山という男が返しに来たことを教える。1万円を立て替えておいたと言われた沢田は何のことか分からなかったが、飯島は「そう言えば分かるって言ってたけど」と告げる。衰退する全共闘運動の中で、積極的に表立って活動する数少ない人物の一人が前園だった。沢田は前園を梅山と対談させ、その考え方に感銘を受けた。対談の後、沢田は「編集部に来たんだって」と梅山に告げるが、金のことは言い出せなかった。
梅山は恋人の安宅重子に「何考えてるか分からないよ」と泣かれ、「次は上手く行くから」となだめてセックスに持ち込む。隣の部屋でヘルメットを赤く塗る作業をしていた同胞の浅井七恵と柴山洋は、ラジオの音量を上げる。梅山は仲間の活動家である佐伯仁の仲介で、清原という自衛官と会う。清原は「駐屯地への潜入に必要な物は揃えるが、後は梅山君の組織でやって下さい」と言う。武器を奪取できる絶好のチャンスだと言われ、梅山は行動を起こそうと考える。
梅山は京都へ出向いて前園と会い、カンパを求めた。しかし前園は「オレ、世直しやってる。お前、カンパせえ。これ間違いやで」と言い、梅山の考えの甘さを指摘する。前園は清原の身許にも疑念を抱き、「金が無かったら、自分の手と体を汚してでも決意見せるぐらいの気持ちが無いとアカン」と述べた。梅山は重子に、子供が出来たと言って金を工面するよう持ち掛けた。彼は「嘘じゃないから話しやすいでしょ。あの時は俺が集めてやったんだから」と、まるで悪びれずに告げた。
沢田は梅山から家出した友人を見つけてほしいと依頼され、清原について調査した。清原は自衛隊に1年いただけで、辞めた後は勤務先の給料を使い込んで逃げていた。中平は梅山が京西安保ではないことを沢田に知らせ、もう近付くなと警告した。沢田は調査結果を渡すために梅山と会い、京西安保ではないことを指摘した。すると梅山は声を荒らげ、「幻滅しましたよ。東都ジャーナルも体制側の雑誌に成り下がってしまったんですね」と告げる。
梅山は沢田に、京西安保の分裂が深刻であり、自分が右派なので左派が認めないのだと説明した。彼は「沢田さんだけに見せてますよ」と言い、自分が結成した赤邦軍のアジトへ案内した。包丁を握った梅山は、「昨日、とてもいい映画を見ました。『真夜中のカーボーイ』。ダスティン・ホフマンが泣くの、たまんなくって。あれは僕だ。行動に移る時、僕も怖い」と語る。沢田は彼に、「事を起こす時は、僕に取材させてくれ」と告げた…。

監督は山下敦弘、原作は川本三郎『マイ・バック・ページ』(平凡社刊)、脚本は向井康介、製作は和崎信哉&川城和実&豊島雅郎&杉原晃史&堀義貴&喜多埜裕明、プロデューサーは青木竹彦&根岸洋之&定井勇二、ラインプロデューサーは大里俊博、撮影は近藤龍人、照明は藤井勇、録音は小川武、美術は安宅紀史、編集は佐藤崇、音楽はミト(from クラムボン)&きだしゅんすけ。
主題歌『My Back Pages』Performed by:真心ブラザーズ+奥田民生、Words & Music by:Bob Dylan、日本語詞:Yo-King。
出演は妻夫木聡、松山ケンイチ、三浦友和、忽那汐里、山内圭哉、長塚圭史、石橋杏奈、韓英恵、中村蒼、中野英樹、康すおん、古舘寛治、赤堀雅秋、青木崇高、松浦祐也、早織、水崎綾女、あがた森魚、山崎一、中村育二、菅原大吉、近藤公園、並樹史朗、服部竜三郎、山本剛史、山本浩司、野中隆光、奥村勲、児玉貴志、保田泰志、平家和典、椿ゆきこ、千代将太、岸井ゆきの、熊切和嘉、宇治田隆史、本田隆一、大橋裕之、志子田勇、足立智充、長尾長幸、半沢知之、高羽彩、仁後亜由美、小寺智子ら。


川本三郎による同名の著作を基にした作品。原作は彼が『週刊朝日』と『朝日ジャーナル』の記者として活動していた1968年から1972年の出来事を綴った回想録となっている。
監督は『松ヶ根乱射事件』『天然コケッコー』の山下敦弘。
脚本は1999年の『どんてん生活』以降、何度も山下と組んでいる向井康介。
沢田を妻夫木聡、梅山を松山ケンイチ、東都新聞社社会部部長の白石を三浦友和、眞子を忽那汐里、前園を山内圭哉、唐谷を長塚圭史、重子を石橋杏奈、七恵を韓英恵、柴山を中村蒼、中平を古舘寛治、キリストを青木崇高、タモツを松浦祐也、飯島をあがた森魚、清原を山本剛史、佐伯を山本浩司が演じている。

この映画の抱えている大きな問題は、明らかに「当時を知っている人々のための作品」になっているってことだ。
安田講堂や全共闘など、劇中で扱われる事件や団体などは全て、詳しい説明が用意されていない。「観客は当時のことを全て詳しく知っている」という前提で、シナリオが作られている。
もっと言っちゃうと、東都新聞のモデルが朝日新聞、東都ジャーナルのモデルが朝日ジャーナルってことも理解しているという前提で作られている(としか思えない)。
だから知らない人は、完全に置いてけぼりを食らうことになる。

当時の雰囲気や風潮を出来る限り再現しようという意識は感じられるから、知っている人は再現度の高さに満足するのかもしれない。
だが、当時を知らない人からすると、全く付いて行けない。
それに、全共闘の面々が暴力的な運動に熱く燃え上がる理由は何なのか、沢田は何に対して後ろめたさを感じているのか、そういうこともイマイチ伝わらない。
時代背景を知らないと、当時の若者たちが何を考え、何を感じていたのか、その心情は分かりにくい。

しかし本来なら、当時を知らない若者たちの心にも響くような映画に仕上げるべきだと思うのだ。時代背景など無関係に、「いつの時代でも存在する普遍的な若者たちの苦悩や焦燥」という部分でシンパシーを感じさせるべきだと思うのだ。全共闘世代の人々に「昔はこうだったよね」と思わせるだけで終わったら、作品としての価値は低いんじゃないかと。
そもそも、そういう狙いで作っているんじゃないだろうし。
そんな風に考えると、2011年という時期に、この原作を映画化する意味は何なのか、そこからして見えて来ない。
2007年には企画が立ち上がっていたらしいが、その時点でも映画化する意味は分からない。

東都ジャーナルが回収処分になった後、島木が「流行りも終わりかい」と呟くシーンがある。
つまり当時の学生運動は、ジャーナリストにとって「ネタになる流行」に過ぎなかったのだ。
しかし解体される前の東都ジャーナルの記者や沢田のように、一部には入れ込み過ぎる面々もいた。そういう連中は、もっと突っ込んだ形で「暴力による革命」に参加することを望んだ。
中平が「カッコ付けてんじゃないよ。行くんだよ。ジャーナリストだって人間だろ」と言っているが、そういう気持ちだったのだろう。

沢田の場合、安田講堂事件が勃発した時は東大生だったのに、自分は当事者にならず傍観者だったことへの負い目がある。
だから余計に、遅れ馳せながら全共闘運動に加担することで、学生だった頃の後悔を取り戻そうとする。
だが、それは結局、本気で革命を起こしたい、国を変えたいという気持ちではないので、流行に乗って取材するスタンスと大して変わらないのだ。
むしろ、本来は踏み越えちゃいけない線を平気で踏み越えているわけだから、タチが悪いと言える。

本当ならば、中平の社会部記者に対する「いつも安全な場所で見てるだけなんだよな。機動隊の後ろくっ付いてな」という嫌味や、全共闘に積極的な姿勢で関わろうとする沢田の行為に感情移入したり、賛同したり出来る形になっているべきなんだろう。
しかし、むしろ社会部記者の「事実を伝えることが俺たちの商売」という主張の方に正当性を感じてしまうのだ。
「商売」という表現に引っ掛かる部分はあるが、左翼や新左翼に入れ込み過ぎる中平や沢田の言動には全く共感できないのよ。

沢田は社会部記者に対して「そんな牧歌的なこと言ってる場合じゃないでしょ」と反論するが、そもそも事実を伝えることが牧歌的という考え方に全く賛同できない。
「そんな牧歌的なこと言ってる場合じゃない」と彼は言うが、だったら、どういう場合なのか。記者が事実を伝えるだけで満足せず、イデオロギーを強く主張し、暴力で国を変えようとする思想家を称賛したり支援したりする場合って、どういう場合なのか。
もちろん劇中では全共闘が云々、活動家が云々という言葉は出てくる。結成大会のシーンはあるし、全共闘議長も登場する。
しかし、だからと言って、それが「記者が事実を伝えている場合じゃない」ということに繋がるってのは、まるで理解できないのよ。
当時の状況が充分に伝わって来ないから、「記者も一線を越えるのが当たり前」というトコロの説得力が生まれないのよ。

最初に接触した時点で、中平は梅山が偽物だと見抜いている。「あれだけの大規模なテロ計画を立てておいて、それを記者に明かすのは有り得ない」というのが彼の見立てだ。
そして、「自称・左翼に過ぎない」という彼の見立ては大正解だった。
しかし沢田は、中平が本物だと思い込んでいる。
最初の時点で中平と意見が異なっているのだが、そのまま梅山を匿う中でも、まるで疑念を持たない。それどころか、むしろ梅山の運動にのめり込んで行く。

沢田が梅山に入れ込むようになっていくってのは、作品の肝になる部分だ。
だが、そこに本作品の大きな弱点がある。なぜ沢田が梅山に入れ込むのか、そこがイマイチ分からないのである。
沢田が全面的に信頼し、すっかり入れ込む相手としては、梅山という男が浅薄すぎる。
中平じゃなくても、最初から梅山のニセモノっぽさは透けて見える。飯島が梅山について「面白い男だ。思わず飯をおごっちゃった」と言っているが、梅山に人たらしの才能があるようにも見えないし。

梅山にはカリスマ性や説得力ってモノが、まるで感じられない。
沢田から運動を始めた理由を問われ、「安田講堂をテレビで見て、これだと思ったんです。やっと見つけたって」と答えている時点で、もうハッキリと露呈していると言ってもいい。
ようするに彼は、何か夢中になれる対象、熱くなれる対象を模索していて、たまたま全共闘を見つけただけなのだ。
彼にとって全共闘ってのは目的を達成するための手段ではなく、ザコが流行に乗って大物になりたがっているだけなのだ。

話が進むにつれて、どんどん梅山はボロを出していく。重子をなだめてセックスに持ち込むのも、前園にカンパを求めて「考えが甘い」と指摘されるのも、重子に「子供が出来たと嘘をついて金を工面しろ」と持ち掛けるのも、京西安保じゃないことを沢田に指摘されて逆ギレ気味に喋るのも、全てが「チンケな男」であることの裏付けになっている。
ところが、そんな風に梅山が小物であることを露呈していく中でも、なぜか沢田は彼を信頼し、支援するのだ。
そういう沢田の感覚が、まるで理解できない。っていうか、ただのバカにしか見えない。
それも愛すべきバカではなく、突き放すべきバカである。

単に「権力を打倒しようとする行動に共鳴し、積極的に参加したいと考えた」という動機だけでなく、「大きなスクープをモノにしたい」という気持ちもあったんじゃないかとは思うけど、そういうのは上手く表現できているとは言い難い。
っていうか、そういうのを動機に含めたところで、どっちにしろ「バカにしか見えない」ってのは変わらない。
なので、最後も沢田に全く同情できないのよ。
ただの自業自得でしかないわけだから。

(観賞日:2015年9月29日)

 

*ポンコツ映画愛護協会