『ミュージアム』:2016、日本

警視庁捜査一課の沢村久志は携帯で呼び出され、リビングのソファーで目を覚ました。妻の遥は一人息子の将太を連れて、家を出ていた。雨の中、沢村は事件現場である工事中のトンネルへ赴いた。彼は先輩の関端から、事件の概要を聞かされる。犯人は腹を空かせた大型犬を使い、拘束した女性を襲わせて殺害していた。沢村は後輩の西野と共に聞き込みを行うが、雨合羽の人物が周辺をうろついていたという情報ぐらいしか出て来なかった。動物保護センターから連絡を受けた沢村は、犯行に使われた大型犬の吐き出した紙を見せられた。その紙には、「ドッグフードの刑」と書かれていた。
沢村は私的な制裁だと考えるが、岡部課長からは「勝手な事件像を作るな」と叱責される。犠牲者が上原あけ美というアパレル勤務の女性だと判明し、沢村たちは同棲相手のアパートへ赴いた。沢村は同棲相手に、犬と聞いて思い当たることは無いかと尋ねた。同じ夜、堤優一という男は母と2人暮らしのアパートで、TVゲームに没頭していた。母は夜勤に出掛け、堤は悪態をつきながら彼女の用意したおでんを食べた。カエルの覆面を被った男がアパートへ乗り込み、彼をスタンガンで失神させた。カエル男は廃倉庫で堤を拘束し、「母の痛みを知りましょうの刑」と書かれたメモを見せてから殺害した。
翌朝、カップルが堤の遺体を発見し、沢村たちは現場へ出向いた。堤は肉を削ぎ取られており、沢村は出生体重だと気付いた。沢村は西野と中華料理店で夕食を取りながら、捜査について話す。向かいの席にいた男は沢村に声をかけ、コップに水を注いだ。その左手親指には、絆創膏が巻いてあった。沢村は西野に犯行の様子を説明し、被害者が噛み付いて犯人の左手親指に傷が残ったはずだと告げる。沢村は先程の男が姿を消していることに気付き、犯人ではないかと疑念を抱いた。
翌日、西野は沢村たちに、被害者の共通点が判明したと告げる。被害者は2人とも、3年前に起きた幼女樹脂詰め殺人事件の裁判員だった。それを知った沢村は妻も裁判員だったと言い、慌てて電話を掛ける。しかし携帯は繋がらず、彼は関端たちに妻が2週間前から家を出て居場所が分からないと明かした。幼女樹脂詰め殺人事件とは、大橋茂が幼女を殺害し、遺体をクリスタルレジンで固めた事件だ。弁護人は無罪を主張したが裁判員裁判で死刑の判決が下され、大橋は精神疾患が悪化して自殺していた。
幼女樹脂詰め殺人事件の裁判官だった小泉勤は、数日前から行方不明になっていた。その遺体は縦半分に切断され、妻子のいる自宅と愛人である今森由希の元へ宅配便として送り付けられた。宅配便の箱には、「均等の愛の刑」と記されていた。警視庁には特別捜査本部が設置され、岡野は裁判員と裁判官の保護を指示した。しかし裁判官の瀬戸内綾子は「ずっと美しくの刑」、裁判員の真矢恒彦は「針千本飲ますの刑」で殺された。
沢村は捜査から外されて苛立ち、独断で捜索を開始した。彼は妻の友人である秋山佳代の勤務する介護施設へ行き、情報を掴もうとする。同じ頃、菅原と山形は佳代のアパートを訪れ、彼氏だという男と会う。男は彼らに、佳代の働く介護施設を教えた。佳代は遥の浮気に言及した沢村への苛立ちを示し、「何も知らないくせに。遥は1人でずっと苦しんでた、裁判員の時も、流産の時も」と責めるように告げた。そこへ菅原たちが駆け付け、遥に危険が迫っていることを佳代に説明した。
佳代は自分の部屋に遥がいることを教えるが、菅原たちが彼氏について口にしたので驚いて「彼氏なんていません」と言う。彼氏を装った犯人は、遥と将太を衣装ケースに入れて車の荷台に運ぶ。沢村たちがアパートへ到着すると、ちょうど犯人が去るところだった。菅原と山形は部屋へ向かうが、沢村は走り去る車に犯人がいると気付いた。彼は車を追跡し、部屋を調べた菅原から「お仕事見学の刑」のメモが残されていたことを聞く。沢村は攻撃を受けて車を横転させられ、犯人に逃げられた。
3年前、遥は裁判員として裁判に参加し、死刑判決を受けて錯乱する大橋の姿を目にした。裁判員たちが外へ出た時、犯人が密かに写真を撮っていた。産婦人科を訪れた遥は、テレビのニュースで大橋の自殺を知った。しかし沢村は彼女の苦しみに全く気付かず、仕事のことばかり考えていた。沢村は犯人とのカーチェイスで怪我を負ったが、大事には至らなかった。彼はファミレスに西野を呼び出し、捜査資料を見せてもらう。沢村は大橋が冤罪であり、3年前の事件と今回の連続殺人が同一犯ではないかと推理した。
店の前にカエル男が現れ、沢村たちを挑発するように走り去った。沢村は後を追うが車にはねられて倒れ込み、西野に犯人の追跡を命じた。しばらくすると沢村の形態に犯人から連絡が入り、近くのビルの屋上へ来るよう要求する。沢村が屋上へ行くと、犯人は西野を縛って屋上から落とそうとしていた。犯人は慌てて止めようとする沢村を脅しながら、「僕には君が必要なんだ。君もいずれ、僕のミュージアムに閉じ込められる」と告げた。
犯人は人を楽しませるアーティストとして殺人を遂行してきたことを話し、3年前の裁判で大橋が犯人とされたことにの憤りを吐露した。雲の切れ間から太陽が覗くと、犯人は首元を掻いた。彼は西野を転落死させ、その場を後にした。沢村は遺体安置所を訪れた菅原に怒鳴り付けられ、関端から犯人が現れた理由を問われた。沢村は犯人が裁判への怒りから作品として殺害していることを説明するが、「僕には君が必要なんだ」と言われたことは黙っていた。
沢村は本庁から来た刑事たちによって車で連行されるが、途中で暴れて逃走した。報告を受けた岡野は激怒し、沢村は重要参考人として手配される。関端は菅原たちに、沢村を捕まえるよう命じた。沢村は売人と接触し、拳銃を入手した。彼は犯人が日光アレルギーだと睨み、病院を訪ね回る。慈光大学医療研究センターへ赴いた彼は女医の橘幹絵と会い、話を聞く。何か知っていると見抜いた沢村は幹絵を脅し、患者のカルテを奪い取った。霧島早苗という男が犯人だと確信した沢村は、彼の邸宅へ侵入する…。

監督は大友啓史、原作は巴亮介『ミュージアム』(講談社「ヤングマガジン」刊)、脚本は高橋泉&藤井清美&大友啓史、製作はミラード・エル・オゥクス&大村英治&井上肇&古川公平&下田淳行&牧田英之&荒波修&橋誠&江守徹、エグゼクティブプロデューサーは小岩井宏悦&青木竹彦、プロデューサーは下田淳行&下枝奨、撮影は山本英夫、照明は小野晃、美術は磯見俊裕、録音は益子宏明、編集は今井剛、特殊メイク・造形デザインは百武朋、音楽は岩代太郎、主題歌はONE OK ROCK『Taking Off』。
出演は小栗旬、妻夫木聡、尾野真千子、野村周平、松重豊、伊武雅刀、大森南朋、田畑智子、市川実日子、丸山智己、淵上泰史、五十嵐陽向、高橋ユウ、平原テツ、大西武志、本田大輔、佐久間哲、野中隆光、小久保丈二、吉原光夫、増田修一朗、阿南健治、三浦英、滝沢涼子、山元隆弘、佐藤聖羅、田口巧輝、重松隆志、内藤トモヤ、巴山祐樹、久松信美、健太郎、桐谷武史、貴山侑哉、北乃颯希、片山定彦、山本月乃、上田帆乃佳、辰巳蒼生、岩橋道子、岸健太朗、舞優、松澤匠、水間ロン、西本竜樹、兎本有紀、西崎あや、井上康、坂東工、水澤紳吾、青木一平、阿野達郎、佐々木一平、小野孝弘、今村美乃、高井純子、小菅汐梨、清川美智子、深田真弘、菊井凛人、角南範子、西原誠吾、貝塚由紀子、茂呂僚也、佐藤美波、山岸門人、柄沢晃弘、佐久田莉奈、松木研也、中村優里、常木哲也、山田聖子、船木えりあ、鬼塚庸介ら。


巴亮介の同名漫画を基にした作品。
監督は『るろうに剣心』『プラチナデータ』の大友啓史。
脚本は『100回泣くこと』『凶悪』の高橋泉、『八月のラヴソング』『るろうに剣心』の藤井清美、大友啓史監督による共同。
沢村を小栗旬、霧島を妻夫木聡、遥を尾野真千子、西野を野村周平、関端を松重豊、岡部を伊武雅刀、沢村の亡き父を大森南朋、佳代を田畑智子、幹絵を市川実日子、菅原を丸山智己、山形を淵上泰史、将太を五十嵐陽向、由希を高橋ユウが演じている。

最初に感じたのは、「沢村夫婦のキャスティングは、ホントにそれでいいのか」ってことだった。
小栗旬は1982年12月生まれ、尾野真千子は1981年11月生まれなので、年齢的が大きく離れているわけではない。
ただ、小栗旬は童顔で実年齢より若く見えるため、尾野真千子と夫婦だとアンバランスに見えてしまうのだ。
もちろん世の中には「夫婦っぽく見えない夫婦」なんて幾らでもいるのだが、そういうことを狙ったわけでもあるまい。そこに変な引っ掛かりを作っても、何のメリットも無いはずだ。

一言で言えば、これは日本版の『セブン』である。『セブン』の二番煎じならぬ何番か分からない煎じ、あるいは劣化版の『セブン』と言ってもいいだろう。
オリジナル脚本じゃなくて原作漫画があるってことに戸惑いを覚えるのだが、まあ漫画が映画を真似るのは手塚治虫の頃からあったことなので別にいいとしよう。
でも、誰がどう考えたって『セブン』との類似を多くの人から指摘されるのは目に見えているわけで、なぜ映画化しようと考えたのは理解に苦しむ。
しかも、「むしろ模倣だと言ってほしいのか」と思ってしまうぐらい、映像まで『セブン』に寄せてんのよね。どういうことだよ。
そして皮肉なことに、寄せたことによって、『セブン』との圧倒的な質の差が露呈してしまう結果となっているわけでね。

上原あけ美の殺害において、霧島は「腹を空かせた大型犬を放って被害者を噛み殺させる」という方法を取っている。
しかし、幾ら空腹であっても、犬が人間を食らおうとするってのは、ちょっと違和感を覚えてしまう。そういう出来事が実際に起きていないとは言わないが、映画としてのリアリティーという意味では厳しいモノを感じてしまう。
犯人が被害者を殺す方法として、そんな確実性の低い方法を取るかなあと。もしも犬が狙い通りに被害者を襲ってくれなかったら、マヌケなことになってしまうわけで。
霧島はアーテイストとして殺人を遂行しているんだから、そうなったら美しくないでしょ。

続く堤の殺害でも、別の意味で霧島の行動に疑問を抱いてしまう。
彼は最初に玄関のドアをノックし、反応が無かったらドアノブを激しく回している。だが、直後にピッキングで鍵を開けているのだ。
「ピッキングの能力がある」という部分の都合の良さは置いておくとして、そんな技術を持っているのなら、最初からピッキングで鍵を開ければ良かったんじゃないのか。
ノックしたりノブをガチャガチャしたりすることで堤に気付かれるのは、無駄なリスクでしかないでしょ。

あと、堤が台所へ包丁を取りに行ったわずかな瞬間に、霧島が寝室のドア裏に隠れて待ち受けているってのは無理があるでしょ。
それは人間離れした俊敏さと、全く音を立てずに移動できる特殊能力が無いと出来ない行動でしょ。
これがジェイソン・ヴォーヒーズやマイケル・マイヤーズみたいな怪物化した殺人鬼ならともかく、普通の身体能力しか持っていない男のはずで。
だったら、「いつの間にかドア裏に隠れている」という1つの衝撃を与えるのと引き換えに、無造作にリアリティー・ラインを超えちゃうのはダメだよ。

沢村は上原あけ美の同棲相手と会った時、「犬と聞いて思い当たることは無いか」と質問している。だが、それに対する同棲相手の答えを見せないまま、次のシーンへ移ってしまう。
しばらく経ってから、沢村たちの会話の中で「あけ美は同棲相手が犬アレルギーだったので仕方なく愛犬を保健所へ預けた」ってことに触れているが、かなりボンヤリしている上にタイミングも大きくズレている。
沢村が質問した時点で、そこに言及しないことの意味が全く分からない。
どう考えても、触れておいた方が得策でしょ。

沢村は佳代から遥の流産を聞かされて驚くが、直後に菅原たちが来て次の展開へ移ってしまう。
車をクラッシュさせられて霧島が去った後、「俺は遥のことを何も知らなかったのか」という沢村のモノローグが入るが、完全にタイミングを逸している。
佳代から話を聞いた時点で綺麗に処理しておいた方が、効果としては絶対に上だ。
「遥の流産を沢村が何も知らなかった」という衝撃を、直後に明かされる「佳代の彼氏だと思っていた奴が犯人だった」という衝撃が大きく上回るし、それによって沢村の「妻のことを何も知らなかった」という悔恨や反省も伝わらなくなっちゃうのよね。

菅原たちが佳代のアパートを訪ねた時に男が姿を見せても、それが妻夫木聡だと気付かない人も少なくないだろう。
だから「それが彼氏じゃなくて犯人だった」と明かされた時、観客に与える衝撃の効果は大きいはずだ。
ただし、それと引き換えに、「前半の内にカエル男が素顔を見せてしまう」というデメリットが生じている。
カエル男として登場させたのなら、せめて後半までは引っ張らないと、その仕掛けの意味が無くなってしまう。その後でファミレスの前にカエル男として登場するけど、そのギミックは既に死んでるからね。

沢村が車のクラッシュで「俺は遥のことを何も知らなかったのか」とモノローグを呟いた後、回想シーンが入る。
そこまでにも沢村の回想シーンが何度か入っていたが、いずれも短く済ませていたし、直近の出来事だった。だが、ここでは3年前の出来事だし、かなり長めに尺を取っている。
しかも、回想へ入る流れからすると「沢村の回想」なのかと思ったら、そうではない。誰かの回想ということではなく、3年前の出来事を描いている。
そういう形を取らないと、裁判の様子や遥が沢村の知らないところで苦しんでいたことは描写できない。
ただ、そういう事情があるとは言え、やはり形として不細工になっていることは否めない。

そもそも、わざわざ3年前の回想シーンを挿入している意味が乏しい。
それによって得られる効果って、特にこれといって感じないのよね。
霧島が裁判員の写真を撮っていたことは、わざわざ見せなくても全く支障は無い。
「どうやって霧島が裁判員の個人情報を知ったのか」なんて、そんなに気になる問題ではない。遥が苦しんでいたことを描かれても、改めて「沢村が家庭を顧みない奴だった」ってことをアピールすることに繋がるだけだ。

霧島の犯行は全て残酷だが、映像表現としては、そんなにエグいレベルではない。
例えば堤が犠牲になる時でも、霧島が肉を削ぎ落とそうとする様子は描いているものの、実際に惨殺されている様子は描かない。「凶器で刺された頬から血がブシャーと飛び散る」とか、「肉が削ぎ落とされて顔がグロテスクに変貌する」とか、そういう描写は避けている。翌朝のシーンで、台詞によって「こういう殺害方法」ということを説明するだけだ。
あまり残酷描写を盛り込むと、観客の幅が狭くなるってのを危惧したのかもしれない。
でもスプラッター映画ではないけど、残酷描写を1つの売りにして振り切った方が良かったかもね。

霧島は芸術として犯行を重ねているはずだが、美学やセンスは全く感じられない。
「本人はアーティスト気取りだが才能はゼロ」というキャラにしてあるのなら構わないのだが、どうやら違うみたいなので、だったら上手くないなと。原作があるだけに、刑の名前や殺害方法を大幅に変更できないだろうし、難しい部分ではあるんだけどね。
あと、尺の都合で厳しいかもしれないが、被害者の背景が薄いのも痛い。霧島による刑が執行された時に、そういう方法を取った理由については刑事の台詞などで分かるんだけど、殺人ショーとしての面白味は足りないと感じてしまうのよね。
西野の殺害なんて、裁判への復讐からも外れてるし、ただの快楽殺人だからね。「なんちゃらの刑」でもないんだし、本人の主張する表現活動とは全く違うでしょ。

終盤、沢村が霧島の屋敷で部屋に閉じ込められた後、少年時代を回想するシーンが入る。父親が少女を助けて犯人に殺され、「この仕事を選べば親父と会話できる気がして」という理由で沢村が警察官になったことが説明される。
だけど、そういう事情が明らかになったところで、「だから何なのか」と言いたくなる。
そもそも、そんなタイミングで回想にふけっている場合なのかと。「一刻も早く脱出して妻子を助け出さないと」という状況下なんだから、目の前の目的に集中した方がいいんじゃないかと。
これが例えば「何日も、週間も監禁されている」という状況ならともかく、そうじゃないんだからさ。

っていうか、「何週間も」というスパンではないにせよ、「沢村が部屋に監禁されて長い時間が経過する」という展開自体、要らないなあと感じてしまうぞ。
物語も佳境に入った辺りで主人公が1つの場所に固定されてしまうことによって、映画そのものが停滞しちゃうのよね。
あと、全体としては『セブン』だけど、そこだけは『オールド・ボーイ』っぽい要素も感じるね。
どっちにしろ「既存の作品の模倣」という印象ではあるんだけどさ。

沢村が監禁された後、関端が霧島の過去を調べ、「幹絵は彼の姉」という事実が判明する。
だけど、それが分かったところで、「だから何なのか」と言いたくなってしまう。幹絵が今回の事件に関与しているわけでもないんだし。
幹絵が霧島の姉であろうとなかろうと、事件に関して新たな真相が明らかになるわけでもないし、以降の筋書きに大きな影響を及ぼすわけでもないのよね。
ラスト直前になって幹絵が霧島に接触して本人なりのケリを付けているけど、それも合わせて作品に与える効果は弱い。

(観賞日:2018年2月19日)

 

*ポンコツ映画愛護協会