『無問題(モウマンタイ)』:1999、日本&香港

川口大二郎が目を覚ますと、恋人の玲子が手紙を残して姿を消していた。玲子はジャッキー・チェンの会社で受付嬢になるため、香港へ渡ったのだ。ショックの大二郎は、映画グッズ店の仕事をクビになった。母は故郷の大阪に戻るよう勧めるが、弱気の彼を励まそうとした言葉がいけなかった。大二郎は玲子を取り戻そうと決意し、香港へと旅立った。
香港に到着した大二郎は、スタントマンをしている友人・阿部健一の協力でアパートを借りた。翌日、彼は健一に同行して撮影スタジオを訪れ、「スタントマンになりたがっている男」として紹介してもらう。とにかく何を言われても「モウマンタイ」と答えるよう健一にアドバイスされた大二郎は、その通りにした。
小柄で生意気な役者に怪我をさせてしまった大二郎は、彼の代わりにスタントを担当することになった。監督に評価された大二郎は、主役のスタントも担当することになった。スタジオで玲子と再会した大二郎だが、「新しい生活がしたい」と冷たくあしらわれてしまう。それでも大二郎はしつこく玲子を追い回すが、全く相手にしてもらえない。
大二郎は有名になって玲子を取り戻そうと考え、スタントの仕事に熱を入れる。そんなある日、大二郎の部屋に1人の女性が忍び込んだ。大二郎は玲子に通訳を頼み、彼女の事情を聞く。彼女の名前はリュウチンと言い、四川から来たから密入国者だった。1年前、彼女は香港から来た男ハンと恋に落ちた。ハンは結婚を約束し、香港に戻った。
ところが、ハンは大病を患ったと連絡して以降、消息を絶ってしまった。彼に会うため、リュウチンは闇組織に頼んで密入国した。しかし闇組織から売春を強要されたため、逃げ出してきたという。リュウチンに同情した大二郎は、彼女を部屋に匿ってやることにした。さらに大二郎は、彼女のためにハンを探し出してやると約束する…。

監督はアルフレッド・チョン、脚本はウォン・ワンケイ&アルフレッド・チョン、出品人は木村政雄、プロデューサーは刈部謙一&サム・レオン&木幡久美&河内俊昭、エグゼクティブ・プロデューサーは竹中功&福島真平&川城和実、撮影はピーター・ゴー、編集はマク・チーシン、美術はビル・ルイ、衣装はウィリアム・ウォン、武術指導はリー・チーギッ、音楽は福原まり。
出演は岡村隆史、佐藤康恵、ジェシカ・ソン、サモ・ハン・キンポー、フランシス・ン、ロー・ワイコン、マン・ホイ、吉田親彦、ローレンス・ヤン、山梨ハナら。


お笑いコンビ、ナインティナインの岡村隆史がピンで初主演した映画(『岸和田少年愚連隊』は、厳密に言うと相方の矢部浩之が主演で、彼は脇役だった)。
大二郎を岡村隆史、玲子を佐藤康恵、リュウチンをジェシカ・ソン、ハンをン・ジャンユー、映画の監督をマン・ホイ、健一を吉田親彦が演じている。
他に、本人役でサモ・ハン・キンポーやロー・ワイコンも出演している。さらに岡村が雨の中で佐藤康恵のオフィスへ行くシーン、その後ろにいる赤い傘の男はナイナイの矢部である。

まず冒頭、玲子が置手紙を残して旅立ったことを大二郎が知るのだが、そこで大二郎のショックを強く表現しようとせず、サラッと処理してしまう。
そもそも「ド素人の女がいきなりジャッキー事務所で働くことになる」という設定が有り得ないことなのだから、荒唐無稽を強調するためにも、もっと何か演出に工夫が必要だろう。
例えば手紙を読んだ大二郎が「ウソ〜ン」と叫ぶ顔のアップを映して、そこでタイトル文字を入れてみるとか。

大二郎がいきなりスタントマンに抜擢されるという有り得ない展開にしても、やはりシレッと見せてしまう。もっとケレン味が必要だろうに、なぜか良い意味での引っ掛かりを全く作らない。
これは、「ちゃんとした脚本を作らない」という香港映画の製作方法の問題ではない。
1つ1つのシーンを演出する際に、全て同じテンションでスーッと流してしまうことに問題がある。
起伏や抑揚ってモノが何も無いのだ。

最初から、コメディーにしようという意識は乏しい。演出もBGMも、明らかにロマンスに傾いている(ただし、岡村が「これはロマンス映画だ」という認識で芝居に取り組んでいるようには感じられないが)。
「モーマンタイし言えない」という部分1つ取っても色々と笑いが取れそうな気がするが、ほとんど活かさない内に大二郎は他の中国語を覚えてしまう。
大二郎は映画の世界に飛び込むが、スタントマンとしての活躍を描くシーンは非常に少ない。何となく時間が流れ、リュウチンとの物語に入っていく。
しかしリュウチンが現れてすぐに「彼女の恋人探し」に進むのかと思ったら、大二郎が玲子のデート現場に乱入するなど、余計な道草を食ってしまい、スムーズな物語進行を選ばない。

スタッフもキャストも大半が香港の人間であり、香港でロケーションが行われている。
しかし、これは吉本興業から発信されている企画だ。
つまり香港で映画の企画が持ち上がり、そこに岡村を後からハメ込んだわけではない。最初から、岡村が主演する香港映画ということで企画が立ち上がっているはずだ。
何が言いたいかというと、それなら岡村のキャラクターを最大限に活かすような映画つくりをすべきだろうと思うのだ。
岡村の持ち味といえば、それは動きである。そして、彼はお笑い芸人である。
「香港に渡ってスタントマンになる」というプロットを考えても、この映画はアクション・コメディーにすべきだったのだ。
それは絶対だ。

岡村の主演作品をシミジミとしたタッチの恋愛ドラマにするなんて、この映画の展開と同じぐらい有り得ない。
例えば岡村が今までに何本もの映画に主演しており、そろそろ新しいことにも挑戦させるという意味で恋愛映画にするというのなら、まだ話は分かる。
しかし、これは彼にとって初めての主演映画なのだ。
なぜ恋愛劇なのか。
せっかくスタントマンとして抜擢されるのだから、そこでヘマをやらかしたり活躍したりする内容にすべきだろう。

いや、まあリュウチンとの関係を持ってくるのもいい。
しかし、それならそれで、闇組織に追われる彼女を守りながら、逃げたり戦ったりする内容にすべきだろう。
どうであれ、アクション・コメディーにしなかったことは大きなミステイクだと断言する。

一応、終盤にはビルから飛び降りるスタントシーンが見せ場として用意されている。
しかし、それは「素人が自ら挑戦するスタント」としては凄いのかもしれないが、「普通のスタントマンでもやらないような危険なアクション」という設定にふさわしいほどのモノではない。
ハッキリ言えば、そこだけ抜き出して見せ場に出来るほどの、大したスタントシーンではない。

 

*ポンコツ映画愛護協会