『モスラ3 キングギドラの来襲』:1998、日本

インファント島の宝物殿に忍び込んだベルベラは、箱の鍵を開けた。そこにモルとロラが現れ、目的を尋ねる。ベルベラは笑みを浮かべ、エリアスの3つのトライアングルを箱から出現させた。それは知恵、勇気、愛の3つで、エリアス族を最後に守ってくれるという秘密の力である。彼女はトライアングルを奪い、ガルガラを呼び寄せて逃亡しようとする。フェアリーモスラの突撃を受けた彼女は知恵と勇気のトライアングルを落としてしまうが、残る愛のトライアングルを持って飛び去った。
島を去る際、ベルベラは「そいつを大事にしておきな。もうすぐ恐怖の大魔王が降りて来る」と言い残した。モルは自分の剣を取り出して勇気のトライアングルを嵌め込もうとするが、形が合わなかった。知恵のトライアングルは剣に嵌まり、まばゆい光を放った。すぐに彼女は、ベルベラの剣には勇気、ロラの剣には愛のトライアングルが入ることを悟った。同じ頃、宇宙の果てから巨大な隕石が地球に向かって猛スピードで突き進んでいた。
山梨県富士吉田市。トラック運転手の園田雄介と妻の幸江には、小学6年生の翔太、4年生の脩平、2年生の珠子という3人の子供がいる。貰ったスイカを持って仕事から帰宅した雄介は、今夜は流れ星が多いことを子供たちに教える。外を眺めた園田一家は、巨大な光球が青木ヶ原樹海に落ちるのを目撃した。福井県勝山市郊外にも巨大な光球が墜落し、こちらは激しい爆発を起こした。翌朝、脩平と珠子は学校へ向かうが、登校拒否中の翔太は家に残る。雄介は穏やかな口調で、「お前が学校へ行く気になるまで、待ってるからな」と告げる。幸江は雄介に、自分がパートで働いているからじゃないかと相談する。雄介は「そうじゃないだろ」と否定し、「あいつにはあいつの考えがあんだろ」と告げた。
フェアリーモスラで青木ヶ原にやって来たモルとロラは、隕石の墜落現場を調査する。そこに残っている液体は、恐竜の命から取ったエキスだった。すぐにモルは、かつて恐竜を絶滅させた宇宙超怪獣キングギドラが飛来したことを悟った。大阪の小学校で子供たちが音楽の授業を受けていると、地震に見舞われた。窓の外にキングギドラが飛来し、教師を残して子供たちだけを連れ去った。そこに現れたベルベラは、キングギドラの仕業だと察知した。別の学校へ移動したキングギドラは、校庭にいた子供たちを連れ去った。
青木ヶ原へ向かった翔太は大勢の取材陣を目撃した後、密かに樹海の立ち入り禁止区域へと侵入した。キングギドラが子供たちを拉致していると知ったモルとロラは、モスラを呼んだ。翔太は樹海の奥へ進み、子供たちが閉じ込められている巨大なドームを発見した。日本に到着したモスラはキングギドラに戦いを挑むが、まるで歯が立たなかった。キングギドラはモスラを墜落させ、マインドコントロール能力でロラを手先にした。モルはロラに襲われるが、フェアリーモスラに救助された。
キングギドラは樹海から飛び去り、脩平と珠子が通う学校の子供たちを拉致した。ドームの観察に来たベルベラは、触手に襲われて飲み込まれた。妹がドーム内にいることを知った翔太も触手に狙われるが、モルに救われた。モルは彼に、ロラもドームに閉じ込められたことを話した。脩平と珠子が消えたという連絡を受けて学校に駆け付けた雄介と幸江は、樹海のドームに大勢の子供たちが閉じ込められていることをテレビのニュースで知った。
翔太はモルと共に洞窟を抜け、モスラと対面した。自宅に戻った雄介と幸江は、翔太が自転車で樹海に出掛けたことを悟った。ガルガルを修理していたベルベラは、洗脳されたモルに襲われる。モルは愛のトライアングルを奪い取り、自分の剣に嵌め込んだ。樹海に入った雄介と幸江は、翔太の自転車を発見した。モスラと話したモルは、キングギドラを倒す方法が1つだけあると言っていることを翔太に話した。1億3千万前の白亜紀にタイムスリップし、かつて地球に来た時のキングギドラを倒そうとモスラは考えたのだ。
ロラ不在の状態でタイムスリップを実行すれば二度と戻って来られなくなるため、モルは反対する。しかしモスラの意志が固いと感じたモルは、手を貸すことにした。モルは歌でモスラをタイムスリップさせて、力を使い果たした。彼女は「モスラがキングギドラに勝つためには、ロラの力が必要です」と翔太に協力を要請し、自分の剣を託して命を落とした。翔太はキングギドラに呼び掛け、ドームに吸い込まれた。一方、白亜紀にタイムスリップしたモスラは、幼体のキングギドラを見つけて戦いを挑んだ。
翔太はロラを見つけて協力を呼び掛けるが、剣を向けられる。衰弱したベルベラは必死に呼び掛け、モルを正気に戻そうとする。翔太は「モルの最後の頼みなんだぞ」と訴え、ベルベラはモルの死を悟った。人間の子供を救ってほしいと頼まれたモルが掌に倒れ込むと、2本の剣が合体した。「そういうことか」と理解したベルベラは、「勇気と知恵と愛、その3つが一緒になって、初めて力になるんだ」と翔太に説明する。彼女は自らの剣も加え、3つを合体させた…。

監督は米田興弘、脚本は末谷真澄、製作は富山省吾、特殊技術は鈴木健二、撮影は関口芳則、美術は櫻木晶、録音は斉藤禎一、照明は粟木原毅、編集は小川信夫、助監督は手塚昌明、アソシエイトプロデューサーは鈴木律子、企画協力は北山裕章、音楽は渡辺俊幸。
エンディングテーマ「Future」作詞・作曲・編曲:RYUJI、歌:小林恵。
出演は小林恵、建みさと、羽野晶紀、大仁田厚、松田美由紀、吉澤拓真、篠崎杏兵、鈴木彩野、並樹史朗、上田耕一、堂ノ脇恭子、岡島博徳、児玉徹、矢野義信、武田歩、札野誠、菊池謙介、渡部浩美、谷口真紀、吉利浩美、柳岡香里、辻千春、緑川葉子、池谷美加、谷藤太、茂木和範、楠見尚己、冬雁子、高松克也、堀越富三郎、森田雅昭、森田雅昭、臼井秀雄、岡戸修、鈴木候絵、鈴木ひろみ他。
ナレーションは山口紗弥加。


「平成モスラ」シリーズの第3作。
脚本は3作連続で末谷真澄が担当。監督は1作目の米田興弘が復帰。
モル役の小林恵とベルベラ役の羽野晶紀は、シリーズのレギュラー。
前2作でロラを演じていた山口紗弥加がスケジュールの都合で降板したため、建みさとが代役に起用された。山口紗弥加はナレーションとして参加している。
雄介を大仁田厚、幸江を松田美由紀、翔太を吉澤拓真、脩平を篠崎杏兵、珠子を鈴木彩野、ニュースキャスターを並樹史朗、教頭を上田耕一が演じている。

最初に1つ、細かい指摘をしておく。
翔太と会った時、モルは「私はモル。フェアリーです」と言う。しかし1作目の時、彼女は子供たちと会った時にフェアリーモスラのことを「フェアリー」と紹介していたはず。
どっちもフェアリーだと、ややこしいだろ。っていうか、このシリーズでは「エリアス族」という設定が用意されているんだから、そこは「エリアス族です」という説明でいいだろうに。
あと、「俺、園田」「園田何さん?」「園田翔太」という翔太とモルの会話は、なんかマヌケだぞ。なんで最初から翔太にフルネームで自己紹介させなかったんだよ。

これまでの2作では人類を滅ぼそうとする悪役だったベルベラが、今回はモル&ロラと手を組んでキングギドラと戦うベビーフェイスに転向している。
そもそも彼女は地球を滅ぼしたかったわけではなく、「身勝手な人類を滅ぼすことが地球のためになる」という考えに基づいて行動していた(実際は引っ掛かる部分もゼロではなかったが、少なくとも本人はそう主張していた)。
また、前作ではモル&ロラを心配したり、人間を助けたりしていた。
善玉に転向する伏線はちゃんと張ってあったので、そこの違和感は無い。

一方で違和感たっぷりなのが、キングギドラである。もはや「違和感しか無い」と言ってもいいぐらい、ヘンテコなキャラクターと化している。
それに触れる前に、「そもそも、なぜキングギドラを登場させたのか」と言いたくなった。
このシリーズは1作目で、デスギドラというキングギドラもどきの怪獣を登場させているのだ。その時点で「だったらキングギドラを素直に出せばいいのに」と感じたのだが、1作目で「もどき」の怪獣を登場させた以上、今度は逆にキングギドラを登場させるべきではないぞ。
これまでの2作で新しい怪獣を登場させたのなら、最後までその路線を貫くべきだわ。まさかアイデアが枯渇したわけでもあるまい。
3作目になって、今さら「キングギドラの人気に頼りたい」と考えたのか。

「今さら頼るなよ」ということは置いておくとして、キングギドラってのは「ゴジラ」シリーズを代表する悪役怪獣だ。
本作品までに5回も登場して、ゴジラを始めとする多くの怪獣と戦ってきた。
ゴジラとタイマンで対決したのは『ゴジラVSキングギドラ』だけで、他の作品では複数の怪獣を相手にしていた。『怪獣総進撃』では、「地球怪獣軍団VS」という図式になっていた。
まあ結果的にはコテンパンにやられてしまうのだが、そういうポジションを与えられるってのは、それだけ「悪の怪獣として圧倒的な強さを持つ」というポジションにあったわけだ。

そんな宇宙怪獣であるキングギドラが、この作品では「人類の子供を拉致して生体ドームに閉じ込める」ということをやっている。
まず根本的な問題として、それは「怪獣らしからぬ行動」ってのが引っ掛かる。
異星人が何かの目的でキングギドラを操っているなら、まだ分からんでもないのよ。
だけど、「超」の付く宇宙怪獣であるキングギドラが、自分の意志で子供を次々に拉致するってのは、どうにも違和感が否めないのよ。

それに、「子供を次々に拉致してドームに閉じ込める」って、なんかテレビの特撮ヒーロー物に登場する怪人のような悪行で、すんげえ陳腐に感じるぞ。キングギドラという、悪役でありながら人気の高い怪獣を、すんげえ矮小化していると感じるぞ。
そんで子供をドームに閉じ込める目的は何なのかというと、「生命エキスに変えてエネルギーにする」ってことなのだ。
何だよ、そのバカバカしい上に無理のありまくる設定は。
大体さ、生命エキスに変えてエネルギーにする対象が、なんで人間の子供限定なんだよ。
怪獣は違うけど、1作目で「人間より植物が持つエネルギーの方が、遥かに効率がデカい。だからデスギドラは人間を襲わない」ってなことをモル&ロラが言っていたじゃねえか。そのデスギドラと似たような怪獣であるキングギドラが、植物はガン無視して人間の子供だけを襲うって、シリーズの自己矛盾みたいなことになってねえか。

あと、今回のキングギドラって、やたら人間っぽいというか、無駄に知性が高いのよね。
エリアスがモスラを援護する力を持つことを軽く見抜いたり、ロラをマインドコントロールで操ったり、そういう能力を披露している。
だけど、そういうのって「キングギドラらしからぬ設定」と感じるんだよな。
「ゴジラ」シリーズのキングギドラは異星人や未来人の手先であって、「野蛮で凶暴だけど知性的ではない獣」だったのよ。
そもそも、あまり知性を高めすぎると、「怪獣」としてのイメージから外れちゃう気がするのよね。

今回のキングギドラは、羽から放射する反重力光線や、3つの口を揃えて光線を吐くトリプルトルネードを持つなど、今までで最強という設定になっているらしい。
実際のパワーバランスとしては確かに強いのだが、前述した諸々の理由によって、最強という印象を受けない。
「知性が高い」という部分は、これが怪獣ではなく怪人や異星人であれば、「最強」を感じさせる要素になっていた可能性は高い。
しかし怪獣の強さを示すために必要なのは、そういう要素ではないと思うぞ。知性よりも、凶暴性をアップさせた方がいいと思うぞ。

ここまではキングギドラに関する不満ばかりを列挙したが、それ以外の部分もシオシオのパーである。
実はキングギドラよりもドイヒーじゃないかと思うことがあって、それはベルベラ3姉妹が個々に持つ「知恵」「勇気」「愛」のトライアングルを合体させて剣を作り出すという展開。
そんな設定を持ち込むからには、その剣で姉妹が活躍してキングギドラを倒すのかと思うよね。ところが実際には、まるで役に立たないのだ。
それも当然で、何しろ3姉妹ってサイズが小さいので、キングギドラと戦う相手としては不適格なのよ。
そんなのは最初から分かっていることなのに、なんで「力を合わせて剣を作る」という無意味な設定を持ち込んだのかと。

今回はタイムスリップする展開があるが、これは『ゴジラVSキングギドラ』でも使われていた要素だ。また使うってことは、あの映画で失敗したとは思っていないんだろう。
でも、『ゴジラVSキングギドラ』でタイムスリップの要素を持ち込んだのは、完全に失敗だった。
で、今回も同様に、やはり「そんなの持ち込まない方がいいのに」と感じさせる結果となっている。何の脈絡も説得力も無く、いきなりタイスリップできてしまうのは、すんげえバカバカしい。
あと、白亜紀だから恐竜が何頭も登場するけど、「いかにも作り物でござい」というチープな造形や動きは、見ていて痛々しささえ感じる。

冒頭でエリアスのトライアングルを奪うベルベラだが、なぜか2つを落としても取りに戻ろうとはせず、そのまま飛び去る。
それを剣に入れて使うも知っているのかと思ったが、自分には合わないトライアングルを持ち去っている。
でもモルがすぐに剣を持ち出して嵌めているぐらいだから、ベルベラも分かっているはずでしょ。
どうせモル&ロラはトライアングルを持ち去ろうとするまではノホホンと眺めているだけだったんだから、その場で剣に全てのトライアングルを嵌めてみれば良かっただろ。

珠子は翔太の登校拒否について「気持ちが分かる」と言い、クラスメイトが泣きながら給食を食べていることを話す。「学校は嫌いな物を残しちゃいけない所なんだから」と彼女が学校を批判するように言い、脩平は「嫌いな物を無理して食べたら、その子は自分に嘘をついた ことになる」と主張する。
この時点では、両親は彼の意見を否定せず、黙り込んでしまう。まるで「それは間違っちゃいないしなあ」と思っているかのようだ。
それは一時的な着地であって、後半に入って「そんな考え方は間違っていた。人生には嫌なことに立ち向かって克服しなきゃいけない時もある」という答えに至るのだろうと思っていた。
ところが、この主張は、そのまま放り出されてしまうのだ。そこには二度と触れないまま、映画は終わってしまうのだ。
バカなのかと。

投げっ放しにするぐらいなら、そんな主張を持ち込むなよ。
それだと、まるで給食で嫌いな物を残すのは正しいみたいじゃねえか。
別にさ、「嫌いな物を残すのが絶対に駄目だ、無理にでも食え」とまでは言わんよ。ただし、「嫌いな物を無理して食べたら、その子は自分に嘘をついたことになる」という論法は明らかに間違っているだろ。
「無理して食べている」という自覚があるんだから、嘘なんかついちゃいないだろ。嫌いなのに「僕はこれが大好きなんだ」と言いながら食べたら嘘になるけどさ。

キングギドラが子供たちを拉致するシーンとして、「小学校の教室に飛来し、カットが切り替わると子供たちが消えている」という描写がある。
でも、具体的にどうやって拉致したのかは良く分からない。なぜかベルベラが現れて「2億年も生きていると、こんな能力も身に付くのか」と漏らしているけど、何の説明にもなっていない。後から詳細な解説が用意されているのかというと、何も無い。
デタラメな説明でもいいから、もうちょっと丁寧に処理しようぜ。
次のシーンでは「校庭にいた子供たちがペラペラになって上空へ吸い上げられる」という描写があるけど、それだと1発目の描写と整合性が取れなくなっちゃうし、しかも陳腐だぞ。

それに、小学校には幾つもの教室があるのだから、そのクラスの生徒だけが忽然と消えているってのを描くと「他のクラスはどうなのよ」ってのが引っ掛かる。全校生徒を連れ去ったという描写(学校が教師だけになっているという描写)は無いしね。
もう1つの問題として、教師だけは消えないということがある。
でも、どうやって大人と子供を判別しているのか、どこに基準を置いているのかは良く分からない。小学生を子供扱いするのは分かるが、高校生はどうなのか、大学生だったらどうなのか。
っていうか、なぜ子供限定なのか。

キングギドラが子供を拉致する理由について、モルは「1億3千年前は恐竜だった。でも今度は」と口にする。
でも、これまた何の説明にもなっちゃいない。
「かつて恐竜のエキスを吸い取ってエネルギーにしたキングギドラが、今度は別の生物のエキスを狙う」ってことは理解できる。
ただし、モルの言葉だけでは、「その標的にされたのが、なぜ人間の子供限定なのか」ってことの説明になっていない。
それ以前に、「大型動物が他にもいるのに、なぜ人間限定なのか」ってことの説明さえ出来ていない。

今回はキングギドラが大都市に飛来するので、「大勢の人々が逃げ惑う」という描写がシリーズで初めて用意されている。
しかし、何しろキングギドラの目的が子供たちの拉致にあるってことは最初から分かっている。だから、大人たちが逃げ惑う様子を描かれても、それが緊迫感に結び付かない。
キングギドラが飛行する際に建物とぶつかったり強風が起きたりするので、大人たちも被害を受けないわけではないのよ。
ただ、「そもそもキングギドラが都市部を低空飛行する意味が無いだろ」と言いたくなるし。

翔太はドームを双眼鏡で覗き、珠子がいることを知る。でも、脩平の存在は完全に無視している。
だったら、脩平は要らないでしょ。後で救出に行く時は2人の名前を呼ぶけど、1人で充分だ。
そこだけの問題じゃなくて、トータルで考えても園田家の子供たちが3人ってのは無駄に多いぞ。実際、まるで捌き切れていない。
っていうか、もっと根本的なことを言っちゃうと、実は園田家の子供は1人も要らない。
今回はエリアス3姉妹に「ロラが洗脳される」とか「モルとベルベラが手を組む」といったドラマが用意されているので、そっちだけで手一杯なのよね。

雄介と幸江は、樹海のドームに大勢の子供たちが閉じ込められていることをテレビのニュースで知る。
だけどテレビ局は、その情報をいつ知ったのか。その段階では、まだドームのことを知っているのはモルと翔太だけだぞ。その場所には、マスコミも警察も来ていなかったはずだぞ。
山梨県警が確認したと報じられているけど、いつの間に警察が来たんだよ。
ホント、このシリーズは最後まで、かなり無理をしてでも警察とか自衛隊を排除しようとするのね。
今回なんて、キングギドラが出現したことも、ドームに子供たちが閉じ込められていることも分かっているのに、政府も自衛隊も全く動かないのよ。
どんな国なんだよ、日本ってのは。

洗脳から解けたロラは「モスラに心を届けるんだよ」と翔太に言われ、歌を歌う。
モスラは白亜紀で苦戦を強いられていたが、相討ちでキングギドラを倒す。
それによって、現代のキングギドラとドームが消滅する。
だったら、そこで終わりにすればいいものを、「尻尾から蘇生したキングギドラは生きていた」ってことで話を続けてしまうので、「ロラの援護でモスラがキングギドラを倒した」という手順が無意味になってしまう。

あと、今回はエリアス3姉妹がシリーズで初めて手を組むのに、3姉妹が一緒に戦うシーンってのは用意されていないのよね。
そこは全員を揃えなきゃ、せっかくの「ベルベラが善玉に鞍替えする」という展開が充分に活かされないでしょうに。
終盤に入ってから「エリアスのトライアングルは私たち自身のことだったんだ」とベルベラが言うけど、それなのにモルが不在でロラ&ベルベラだけで戦うってのは、どういうつもりなのかと。
ホント、このシリーズが怪獣映画ファンから半ば黙殺状態になっているのも納得の出来栄えである。

(観賞日:2016年1月12日)

 

*ポンコツ映画愛護協会