『モスラ2 海底の大決戦』:1997、日本

インファント島でモスラが飛ぶ様子を眺めていたエリアスのモルとロラは、異変の発生を察知した。海に出ていた2人の漁師は、ヒトデに似たベーレムという生物の群れに襲われた。石垣南小学校5年生の浦内汐里は社会の授業中、クラスメイトの宮城洋二と渡久地航平から芋虫を使ったイタズラを仕掛けられる。汐里が平然と対処し、芋虫は洋二の口に飛び込んだ。洋二が芋虫を吐き出すと、社会科教師である木村昭子の胸元に入り込んだ。
職員室に呼ばれた洋二と航平は、体育教師の糸満達三に注意された。その直後、激しい揺れが発生した。漁師の小谷幹夫と長瀬淳一が浅瀬で貝を採っていると、毛玉のようなゴーゴという生物が船に飛び込んだ。幹夫がヤスで攻撃すると、ゴーゴは海に落下した。その際、ゴーゴは船内に金の輪を残した。小谷と長瀬は浦内敏子が営むペンションに行き、謎の生物を捕まえるための道具を借りた。帰宅した汐里は、母の敏子から花を摘んで来るよう頼まれた。
フェアリーモスラで海上を飛んだモルとロラはベーレムの大群を発見し、「こんな物が広がったら大変だわ」と漏らした。洋二と航平は、ゴムボートで海に出た。花を摘んでいた汐里は、ゴーゴを見つけて悲鳴を上げた。慌てて逃げ出した汐里だが、ゴーゴは付いて来た。洋二と航平のゴムボートにはベーレムが張り付き、空気が抜けた。陸に上がった彼らは、ゴーゴをバスケットに入れて歩いている汐里と遭遇した。「余計なこと言いやがって」と詰め寄る2人を突き飛ばした汐里は、森へ逃げた。
汐里を追い掛けて来た洋二と航平がゴーゴに気付いて「なんだ?」と口にすると、ガルガルに乗ったベルベラが現れて「ゴーゴだよ。伝説の生き物さ」と告げた。ベルベラがゴーゴの引き渡しを要求すると汐里は逃げ出し、洋二と航平が後を追った。ベルベラが汐里を追跡していると、モルとロラが駆け付けた。「ゴーゴを捕まえてどうするの」と彼女たちが問い掛けると、ベルベラは「ニライカナイの宝物を頂く。その力を使って地球を支配する」と述べた。
子供たちはベルベラの攻撃を受けるが、ゴーゴをパスしながら逃走した。子供たちがビーチに出ると、ベルベラで飛び去った。洋二は転んで膝に怪我を負ったが、ゴーゴが液体を浴びせると一瞬で治った。ベルベラは森でゴーゴを捜索していた小谷と長瀬を見つけ、特殊能力で操ることにした。モルとロラは汐里たちに、ゴーゴが伝説の国であるニライカナイで生まれたこと、秘宝を守っていると言われていることを語った。
汐里は学校の図書室へ行ってパソコンを使い、洋二と航平にニライカナイのことを教えた。フェアリーはモルとロラに、ニライカナイ文明が作った海の怪獣「ダガーラ」が復活したことを知らせた。ダガーラは海を汚染する物質を食べさせるために作られたが、食べた汚染物質をベーレムという毒の結晶体に変えて排出する欠点があった。放っておけば海はベーレムに埋め尽くされ、海の生物は全て死に絶える。ニライカナイの秘宝でダガーラを倒すことは出来るが、人間の力が必要なのだとモルとロラは語る。
ゴーゴが日本に来たのは、力を貸してくれる人間を探し出すのが目的だった。そしてゴーゴが選んだのは、汐里だった。ゴーゴはパソコンを操り、行きたい場所を子供たちに教える。だが、そこは潮の流れが速くて漁師も行きたがらない場所だった。激しい揺れが発生したため、図書館を覗いていた小谷と長瀬は梯子から落ちそうになった。海底ではダガーラが動き出し、潜水艦を破壊した。小谷と長瀬は深夜のペンションに忍び込んでゴーゴを盗み出そうとするが、抵抗されて失敗した。
汐里、洋二、航平はボートでゴーゴの示した場所へ向かい、それを小谷と長瀬がジェットスキーで追跡した。ゴーゴが海底の遺跡に入ると、光が天上へと昇った。遺跡はボートを吸い込んだ後、海面に浮上した。モルとロラが汐里たちの前に現れ、遺跡はピラミッドだと教えた。ダガーラはピラミッドに近付き、光線を浴びせて攻撃する。ピラミッドからも光線が発射され、ダガーラに応戦した。ダガーラが退散すると、モルとロラは子供たちに秘宝の捜索を依頼し、モスラを呼びに行くことにした。
ゴーゴを抱いてピラミッドを調べようとした汐里は、小谷と長瀬に拉致される。悲鳴を聞いた洋二と航平は、慌てて後を追った。ダガーラは石垣島に上陸し、町で暴れ始めた。モスラが石垣島に上陸すると、ダガーラは海へと移動した。浮上して空を飛んだダガーラは、再びピラミッドを襲った。モスラが攻撃すると、ダガーラはピラミッドから離れて応戦した。汐里とゴーゴは小谷たちから逃げ出し、悲鳴を聞いた洋二と航平は見えない橋を渡って移動した。
ベルベラはダガーラに近付き、「海に逃げるんだよ。モスラは水に潜れないんだ」と助言した。ダガーラが海に降りてモスラを攻撃すると、ベルベラは「もっと深く潜るんだよ」と告げた。洋二と航平は汐里を見つけ出し、ゴーゴに導かれてピラミッドを進んだ。ダガーラは水の竜巻を作り出し、ベーレムの群れに張り付かれたモスラは海に落下した。汐里たちが壁画に辿り着いた時、モスラはダガーラの激しい追撃を受けていた。その様子を汐里たちが見ていると、ピラミッドの扉が閉じた。
ピラミッドがダガーラを攻撃して追い払い、その間にモスラは脱出した。モスラはピラミッドの上に不時着し、汐里たちは激しい揺れに見舞われる。モルとロラはモスラからベーレムを除去しようとするが、あまりにも多すぎてキリが無かった。小谷と長瀬は子供たちを発見し、ゴーゴの引き渡しを要求した。そこにモルとロラが駆け付け、小谷と長瀬を懲らしめた。小谷は改心したように装い、航平を捕まえる。モルとロラが止めようとすると、ベルベラが来て攻撃した。壁画が動いて扉が開いたので、一行は中に入った。小谷と長瀬が輝く卵を手に入れると扉が閉まり、ニライカナイのユナ王女がホログラムとして出現した…。

監督は三好邦夫、特技監督は川北紘一、脚本は末谷真澄、企画・原案は田中友幸、製作は富山省吾、プロデューサーは北山裕章、撮影は関口芳則、美術は清水剛、録音は池田昇、照明は大澤暉男、編集は米田美保、助監督は手塚昌明、アソシエイトプロデューサーは鈴木律子、音楽は渡辺俊幸。
主題歌「NOW AND FOREVER」作詞:小林和子、作曲・編曲:小森田実、歌:Folder。
出演は小林恵、山口紗弥加、羽野晶紀、野波麻帆、満島ひかり、島田正直、大竹雅樹、紺野美沙子、佐藤正宏、細川ふみえ、奥野敦士、岡山はじめ、野口雅弘、根本和史、酒井健太郎ら。


「平成モスラ」シリーズの第2作。
『ゴジラvsモスラ』以降の「平成ゴジラ」シリーズや前作に助監督として参加していた三好邦夫が、初メガホンを担当している。脚本は前作に続いて末谷真澄が担当。
モル役の小林恵、ロラ役の山口紗弥加、ベルベラ役の羽野晶紀は、前作から引き続いての出演。
ユナ役の野波麻帆と汐里役の満島ひかり(当時はFolderのメンバーだった)は、これが映画デビュー作。
洋二を島田正直、航平を大竹雅樹、敏子を紺野美沙子、糸満を佐藤正宏、昭子を細川ふみえ、小谷を奥野敦士、長瀬を岡山はじめ(現・おかやまはじめ)が演じている。

前作では北海道の伐採現場からデスギドラが全く動かず、そこでの戦闘に終始した。最初は噴火の中で全く動かず、「歩けるようになり、やがて飛べるようになったら大変なことに」と言っていたのに、結局は伐採現場から全く動かないまま終わっていた。
そして今回は、石垣島だけで戦闘が終わる。怪獣映画にとって「怪獣の大移動」ってのは大きな要素の1つだが、そこを放棄している。
前作の舞台は伐採現場だったが、石垣島には町があるので、前作とは違って一応は「建物の破壊」と「逃げ出す人々」の描写がある。ただし「都市」ではないし、逃げる人々も少数だ。
また、今回も自衛隊は登場せず、だから怪獣と人間の戦闘シーンも無い。

映画が始まって間もなく、ベーレムという生物が出現する。それから間もなく、今度はゴーゴという生物も出現する。
登場した段階で、ベレームが人間にとって有害な存在で、ゴーゴは友好的な生物だってことは伝わる。
しかし、もちろん今回の話は、善玉のゴーゴが地球を救うためにベーレムと戦う内容ではない。モスラとダガーラが戦う話なのに、それとは別の生物を2つも序盤から登場させるわけだ。
そこを上手く捌いてモスラとダガーラの対決へ繋げていれば、何の文句も無い。しかし実際には、上手く繋がっていない。

まずベーレムは、明らかに「要らない子」になっている。こいつの存在をバッサリと排除しても支障は少ないし、むしろスッキリするのでメリットが大きい。
登場させるにしても、生物じゃなくて単なる「毒の結晶体」にしておけばいい。
こいつを「意志を持って人間を襲う生物」にしてあるから、厄介なことになっているのだ。
どうせ人間を襲うのは序盤だけであり、ダガーラが出現すると存在意義は皆無に等しくなるんだし。

一方、ゴーゴの存在も、上手く捌いているとは言い難い。
「ダガーラ退治に力を貸してくれる人間を探す」という役目は、モルとロラでも事足りるんだよね。そして、その方がスッキリするわけよ。
ぶっちゃけ、ゴーゴを登場させて子供たちとの触れ合いを描くなら、モルとロラの方が「要らない子」になる。
ゴーゴも子供たちと親しくなり、モルとロラもゴーゴと親しくなるってのは、話が散らばることに繋がるだけだ。どっちか片方に絞り込んだ方がいい。

帰宅した汐里が敏子から花を摘んで来るよう頼まれるシーンで、カメラは灰皿の近くにいる猫を写し出す。そして火の付いた煙草が灰皿から尻尾に落ち、猫が飛び上がる様子が描かれる。
この映像に何の意味があるのかというと、何の意味も無い。わざわざ、そこを粒立てて描いた狙いはサッパリ分からない。
このように、まるで意味を感じない描写が幾つも含まれている。
例えば、ゴーゴを見つけた汐里が悲鳴を上げて逃げ出すシーンも無意味だ。すぐ後に、「付いて来たゴーゴを見て汐里が笑顔になり、抱き上げる」という手順に移っており、「最初は怖がった汐里が次第に変化する」「何かのきっかけで変化する」という手順が無いのだから、だったら最初から「ゴーゴと遭遇し、可愛いと感じて抱き上げる」ということにしておけばいい。

ベーレムの大群を見たモルとロラは「広がったら大変」と言うので、それを阻止するための行動に入るのだろうと思った。
ところが、次に登場した彼女たちは、ゴーゴを奪おうとするベルベラを止めようとする。
そこの手順のマズさは置いておくとして、モルとロラが子供たちの前に登場したのなら、親しくなって事情を説明する展開に移るべきだろう。
ところが、「ゴーゴが洋二の傷を治す」「ベルベラが小谷と長瀬を操る」という様子を描いてから、モルとロラが子供たちに話し掛ける手順に入る。ここも構成が上手くない。

そもそもモルとロラは「ゴーゴとは何ぞや」を説明する前に、「自分たちは何者か」を説明する必要があるはずでしょ。
なんで「私たちはエリアス、心配しないで」という言葉だけで、子供たちは簡単に受け入れちゃってるんだよ。
あと、モルとロラが「ゴーゴと言います」と説明し、汐里が「ゴーゴ?」と口にするけど、その生物の名前は直前にベルベラが教えていたでしょうに。もう忘れちゃったのかよ。
っていうか、そこでモルとロラが改めて説明するなら、ベルベラがゴーゴの名前を教える手順を省けばいいだろ。無駄な二度手間だわ。

ゴーゴは不思議な生物だが、エリアスやフェアリーモスラだって同じぐらい不思議な生き物だ。
しかしモルとロラは自分たちについて「エリアス」という説明にもならない言葉だけで終わらせるだけでなく、フェアリーモスラについては何も言及しない。
「ひょっとすると、前作の出来事が世間に広まっていて、汐里たちはエリアスやフェアリーモスラについて知っている設定だったりするのか」と思ったが、そうではないんだよな。
だけど、そうしておいた方がスムーズに話を進められたんじゃないか。そうすりゃエリアスやフェアリーについて子供たちが説明されないのに受け入れていることも、腑に落ちるわけだし。

ベルベラは地球を支配するためにゴーゴを是が非でも手に入れたい対はずなのに、子供たちがビーチに出ると、そこで飛び去ってしまう。
なんでだよ。目撃者が大勢いたらマズいってことなのか。そういうことを気にするタマでもないだろうに。
一方、ゴーゴを捕まえに行ったはずの幹夫と淳一は、なぜか森を捜索している。海で遭遇し、海に落ちたのに、なぜ森を捜索するのか。
で、ベルベラが話し掛けると「喋った。さすが神秘の沖縄だ」とあっさり受け入れて捕まえようとする。
ゴーゴと遭遇した子供の汐里には悲鳴を上げさせておいて、ベルベラに出会った大人の幹夫たちには簡単に受け入れさせるって、どういうキャラ設定なんだよ。

ロルとモラは子供たちの力を借りて、ニライカナイの秘宝を見つけ出そうとする。ベルベラは小谷と長瀬を操り、ニライカナイの秘宝を手に入れようとする。
どちらも同じ物を狙っているのだが、大きな違いがある。
ロルとモラはダガーラを倒すため、ベルベラは地球を支配するために秘宝を欲しがっているのだ。
いずれも秘宝は「目的」じゃなく「手段」なのだが、しかし映画の中身を考えるとベルベラの方は「目的」とイコールと言ってもいい。
そして、そこのズレは映画を見る上で余計な引っ掛かりになる。

そこにある大きな問題は、ベルベラにとってダガーラが「どうでもいい存在」ってことだ。
ベルベラは「ダガーラを利用して秘宝を手に入れようとする」とか、「秘宝を使ってダガーラを操ろう」という意志で動いているわけではないのだ。
ただ、ダガーラが石垣島に上陸して暴れ出すと、「人間の町なんかメチャクチャにしておやり」と言い出すんだよな。どういうことだよ。
だったら最初から、「ベルベラがダガーラを操って暴れさせる」ってことでいいでしょうに。
っていうか、お前の目的はニライカナイの秘宝だったはずでしょ。なんでピラミッドを放置して、ダガーラに付いて行くんだよ。行動がデタラメだわ。

ダガーラに攻撃されたピラミッドは光線で応戦するのだが、そういうのは要らないでしょ。なぜピラミッドに意志を持たせたのか。
そこは「ピラミッドが破壊されそうになるので、モルとロラがモスラを呼び寄せる」という手順に移ればいいだけでしょ。
ダガーラがピラミッドに反撃されて退散する様子を描いちゃうと、「敵としての強さ」に影響が出るでしょ。
そこで簡単に撃退されるぐらいなら、そこにモスラを登場させないのなら、最初から「ダガーラがピラミッドを攻撃する」という手順なんて入れない方がいいわ。

ピラミッドで汐里を見つけた小谷と長瀬は拉致するが、その意味が分からない。
そこに秘宝があることは分かっているんだから、探せばいいでしょ。今さら汐里を捕まえたところで、何の役にも立たないでしょ。
汐里はゴーゴを抱いているけど、じゃあゴーゴが小谷と長瀬に秘宝の場所を教えてくれるのかというと、そうじゃないわけだし。
だったら、むしろ汐里たちを泳がせて、秘宝を手に入れてから奪えばいいんじゃないのか。
こいつらもベルベラと同様、行動がデタラメだわ。

ダガーラはピラミッドに撃退されると、石垣島に上陸して暴れ始める。
しかし、なぜ石垣島を襲うのか、その理由は全く分からないのだ。
「石垣島じゃなくて別の土地だったら良かったのか」というと、そういうことではない。モルとロラは子供たちに、「ダガーラは海を汚染する物質を食べさせるために作られた」と説明しているのよ。だから、ダガーラが町を襲う理由が無いのよ。
石垣島の町を破壊しても、それは「海を汚染する物質を食べる」ってことにならないでしょ。
設定と矛盾する行動を取るんじゃないよ。

モスラが石垣島に到着すると、いつの間にかダガーラは海に潜っている。で、海中から浮上して空を飛び、モスラと戦う。
ってことは、「町の中での怪獣バトル」が存在しないってことだ。
都市じゃないにしても、前作と違って「町を破壊する怪獣」という描写を持ち込んでおきながら、一方で「防衛隊と怪獣のバトル」も、「建物が破壊される怪獣バトル」は今回も排除するのね。
で、ダガーラは空を飛んでモスラと戦うのかと思いきや、またピラミッドを攻撃する。
だったら、ひとまず退散して石垣島を襲ったのは何だったのかと。こいつもベルベラや小谷&長瀬と同様、行動がデタラメだわ。

小谷と長瀬は子供たちを脅してゴーゴの引き渡しを要求するが、モルとロラに攻撃されると怯えて謝罪する。航平が「謝ってるし、許してあげて」とモルたちに頼むと、小谷は「済まなかったなあ」と抱き付くが、それは芝居で全く改心していない。
で、そんな風に終盤まで悪党キャラとして動いていた小谷たちだが、崩れるピラミッドからの脱出を図る最中、急に改心して子供たちを助けたりする。
その変化が、あまりにもギクシャクしている。
その直前から変化が見られ、洋二と航平に助けてもらった長瀬の方はともかく、小谷に関しては改心する予兆なんて全く無かっただろうに。

っていうかさ、小谷と長瀬は根っからの悪党じゃなくて、ベルベラに操られて動いていたんじゃないのか。ベルベラが「私の言うことを聞くんだね」と凄むアップのカットは、「小谷たちを特殊能力で操るようにした」ってことじゃなかったのか。
ただ単に、脅して指示に従うようにしただけなのかよ。そこは分かりにくいわ。
「小谷たちがベルベラに操られる」ということにしておけば、「ベルベラの洗脳が解ける」という手順を入れて、もっとスムーズに「子供たちを追い掛けていたけど、協力するようになる」という展開を片付けることが出来たはずでしょ。
だから、そっちの方がいいでしょ。

シリーズ第1作では、幼虫モスラにプチ・レールガンというエネルギー光線を使わせていた。それは以前の幼虫モスラに無かった新しい能力だが、明らかに余計な設定だった。
幼虫モスラは「弱いけど頑張ります」ってのが魅力なのに、それを邪魔する要素でしかないからだ。
しかし前作がヒットしたので、製作サイドは「この路線で間違っていない」と自信を付けたらしい。
そこで今回は、成虫モスラに水中モードという愚かな能力を用意している。これまたモスラを強くするための設定だが、だからこそ邪魔だ。
成虫モスラは「そんなに強そうに見えないのには強い敵を圧倒する」ってのが魅力なのに、なぜ「明らかに能力を強化するためのモード」を用意するのか。

モスラは蛾のモンスターだから、当然のことながら水には弱い。だが、そういう弱点も含めて、モスラというモンスターの魅力なのだ。
何らかの形で弱点を補ったり克服したりするってのは、一向に構わないのよ。
しかし「秘宝の力で水中モードに変身し、水中でも戦えるようになる」ってのは、あまりにも安易だし、雑な片付け方だわ。
子供たちを主人公にして、子供向け映画として作っているのなら、それこそ「子供たちの知恵や作戦によって、水中で戦えないモスラの弱点を補う」という形にでもすれば良かったんじゃないのか。

そもそも、水中モードに変身する以前に「モスラが海に沈んだのに生きている」という描写を入れている時点で、「なんだかなあ」と言いたくなる。
水の竜巻を浴びて衰弱するのはいいとして、なんで「力を失って海に落下する」という展開にしたのかねえ。
そこは陸地に落ちろよ。
あと、「ビラミッドがダガーラを攻撃して追い払い、その間にモスラが脱出する」という手順を入れると、「じゃあピラミッドの方がモスラより強いんじゃねえのか」と思っちゃうぞ。

ボンクラ三昧だった前作がヒットしてしまったもんだから、製作サイドが「この程度でも充分すぎる黒字が出るなら、そんなに頑張る必要は無いんだな」ってことで、手抜きの味を覚えてしまったんだろう。
平成ガメラシリーズが昭和シリーズとはガラリと色合いを変えたことで高い評価を受けたのに、なんで東宝の怪獣シリーズが昭和ガメラシリーズに寄っちゃったのかなあ。
「子供向けだから、こうなった」ってのは言い訳にならない。
平成ガメラシリーズだって、観客層を大人に絞り込んでいたわけではないのよ。

(観賞日:2016年1月8日)

 

*ポンコツ映画愛護協会