『モスラ』:1996、日本

北海道の紋別郡では、豊国商事が森林の伐採作業を続けていた。納期が迫っているため、現地事務所の課長を務める後藤裕一は、規格外でも伐採して木材を確保するよう部下たちに指示する。マレーシアでは自然保護活動団体の抗議によって伐採がストップしたと知り、彼は「こっちに皺寄せが来るな」と焦りの色を見せた。作業現場で巨大な化石が発見され、報告を受けた裕一が駆け付けた。裕一が化石に付いていた紋章を外すと地震が起きるが、すぐに止んだ。
彼は自宅に電話を掛け、トラブルで帰りが今日は帰れないことを妻の真紀子に告げる。裕一は真紀子と息子の大樹、娘の若葉という4人家族だ。腹を立てる真紀子に裕一も反発し、2人は言い争いになった。インファント島の小妖精であるモルとロラはフェアリーモスラを呼び出し、背中に乗って飛び立った。最終便で夜遅くに帰宅した裕一は、紋章を若葉へのプレゼントにするため、チェーンと繋いだ。彼は眠っている若葉の首に紋章を下げ、その近くで缶ビールを飲み始めた。
化石に到着したモルは、「言い伝えの通りだわ」と口にする。「じゃあ、この中に伝説の生き物が?」とロラが言うと彼女はうなずき、「誰がエリアスの盾を外したのかしら。封印が解けてる」と漏らした。ロラが「もしもベルベラがエリアスの盾を手に入れたら?」と尋ねると、モルは「この中の生き物を自分の家来にしようとするわ。早く探して、ここに戻さなくては」と述べた。深夜、目を覚ました若葉は、怪獣型ロボットのガルガルに乗ったベルベラを目撃していた。
翌朝、テレビのモーニングショーでは化石が取り上げられ、詳しい調査もせずに爆破しようとする豊国商事の態度を田川義徳レポーターが批判した。大樹は不思議な力で若葉に投げ飛ばされ、怖くなって逃げるように外へ出た。お菓子を無表情で食べ続ける若葉の様子を窓から覗き込んでいた大樹は、ベルベラに声を掛けられた。ベルベラは猛犬に大樹を襲わせ、木の上へ逃げた彼に「無駄だよ。私の命令で動いているんだ。お前の妹も私が操っているのさ」と告げた。「しばらくそこにおいで」と彼女は言い、その場を去った。
モルとロラは後藤家に辿り着き、猛犬を追い払って大樹を助けた。室内に目をやったモルとロラは、ベルベラが真紀子を縛り上げてテレビを見ている姿を確認した。モルとロラはベルベラからエリアスの盾を奪還しようとするが、戦いの末に逃げられてしまった。フェアリーは傷付き、しばらく飛べない状態になった。モルとロラは、ベルベラが化石の発見現場へ向かったことを話す。裕一が事務所に到着すると、田川が取材クルーを引き連れて押し掛けていた。伐採現場で大爆発が起きたので、裕一たちは驚いた。
モルとロラは、6500万年前に太陽系へ飛来したデスギドラという宇宙生物について真紀子たちに語った。デスギドラは惑星の命を吸って生きる怪獣で、火星を不毛の惑星にした。次にデスギドラは地球へ来たが、モルたちの祖先が戦って岩に閉じ込めた。そして二度と復活しないよう、エリアスの盾で岩に封印した。盾には宇宙のエネルギーを集める不思議なパワーがあり、早く元の場所にに戻さなければならないのだとモルたちは述べた。一方、伐採現場の爆発は、地面を大きく隆起させて止まった。
真紀子と子供たちはモルとロラ、フェアリーを飛行機に乗せ、北海道へ向かった。裕一は高く積み上がった岩を退かすため、火薬を使うことにした。しかし裕一は途中で投げ出され、重機だけが岩山に突っ込んだ。その様子を見ていたベルベラは、ガルガルに光線を発射させる。重機は光線を受け、火薬が爆発した。ベルベラはエリアスの盾の力を照射し、岩山の大噴火を引き起こした。事務所の作業員や取材クルーは、慌てて退避した。
現場に到着したモルとロラは大樹の操る凧に乗り、ベルベラを攻撃した。ベルベラはガルガルから落ちるが、木に着地した。デスギドラの復活を見たモルとロラは奪還した盾でフェアリーを治癒し、大樹と若葉に逃げるよう促した。モルとロラは子供たちに、デスギドラが植物のエネルギーを吸い取っていること、人間の生命エネルギーは効率が悪いので対象外であることを語った。今は森のエネルギーを吸収しているが、やがて自由に歩けるようになり、最後は空へ飛べるまでに成長するのだと彼女たちは述べた。
モルとロラは大樹と若葉に、ここからは2人だけで逃げるよう告げた。そして真紀子を安全な場所に避難させ、モスラを呼ぶことを告げた。モルとロラは若葉にエリアスの盾を渡し、子供たちを見送った。「モスラの命はあと少ししか無いのよ。静かに眠らせてあげなければ」とロラが言うと、モルは「あいつを止められるのはモスラだけ。6500万年前も、そうしたはず」と告げる。ロラは「その頃はたくさんいたんでしょ。今はたった一体なのよ。それも、卵を産んだ後の。無理よ」と反発した。
モルとロラは裕一と真紀子を発見し、子供たちが無事であることを知らせた。安全な逃走経路を教えたモルは、モスラを呼ぶための協力をロラに求めた。「モスラが来ても、きっと負けるわ」とロラが言うと、モルは「もう他に方法が無いのよ」と告げる。2人が声を合わせて歌うと、インファント島からモスラが飛び立った。モスラはデスギドラを攻撃するが、苦戦を強いられる。その様子を見ていたモルとロラは、インファント島の卵から予定より早くモスラの幼虫が孵化しようとするのを感じ取った。まだ幼虫が充分に育っていなかったため、モルとロラは何とか止めようとする。しかし親を助けようとする強い意志を感じた2人は歌い、幼虫は孵化した。
成虫が必死で戦う中、幼虫は海を泳いで北海道を目指した。ベルベラは若葉を発見し、エリアスの盾を奪い取った。だが、動けなくなったモスラが盾を弾き飛ばし、若葉の元に返した。大樹は妹に「使ってみたら」と促され、モスラに向かって盾を掲げる。何も起きなかったが、若葉は兄と手を繋ぎ、頭の中で考えるよう告げた。大樹が再び試みると、盾が光を放った。幼虫モスラは上陸してデスギドラに立ち向かうが、攻撃を受けて劣勢に陥った。成虫モスラは飛び立ち、幼虫を助けに向かう。成虫と幼虫は協力して戦うが、デスギドラには敵わなかった。倒壊するダムから幼虫を救った成虫は、絶命して海に沈んだ…。

監督は米田興弘、特技監督は川北紘一、脚本は末谷真澄、企画・原案は田中友幸、製作は富山省吾、プロデューサーは北山裕章、撮影は関口芳則、アソシエイトプロデューサーは鈴木律子、美術は部谷京子、録音は宮内一男、照明は大澤暉男、編集は小川信夫、音楽は渡辺俊幸。
出演は小林恵、山口紗弥加、羽野晶紀、梨本謙次郎、高橋ひとみ、二見一樹、藤沢麻弥、萩原流行、寺尾聰、田中ひろ子、荒川強啓、大賣智子、須藤真里子、加藤重樹、加藤満、山下真弘、佐藤憲、新冨重男、堀雄司、高村裕毅、内野謙太、坂尾直子、木下隆康、藤田亮、石川秀明、川村明美、皆川里子、小田島隆、増島剛之、田渕景也、谷津勲、尾井治安、本田景久、中川弘、中村美睦、川島実、星野進、金子孝之、田中輝彦、谷口公一、根岸利光、千葉茂利、円堂耕成ら。


「平成モスラ」シリーズの第1作。
1961年に同名の映画が公開されているが、そのリメイクではなく全くの別物として製作されている。
『ゴジラvsキングギドラ』『ゴジラvsスペースゴジラ』『ゴジラvsデストロイア』といった「平成ゴジラ」シリーズにチーフ助監督や監督助手として参加していた米田興弘が、初メガホンを担当している。脚本は『河童』『ACRI』の末谷真澄。
モルを小林恵、ロラを山口紗弥加、ベルベラを羽野晶紀、裕一を梨本謙次郎、真紀子を高橋ひとみ、大樹を二見一樹、若葉を藤沢麻弥、田川を萩原流行、医者を寺尾聰が演じている。
当初はモルを宝生舞、ロラを小林恵が演じる予定だったが、宝生が病気で降板を余儀なくされたため、小林がモル役にスライドし、ロラ役には新たに山口紗弥加が起用された。

前から使われていた呼び名だし、今さら変更するわけにもいかないので仕方が無いんだけど、やっぱりエリアスたちが乗る小さいモスラの名前が「フェアリー」ってのは違和感が強いなあ。
フェアリーって日本語にすると「妖精」っていう意味だからね。
それはエリアスのことを示す言葉になっちゃうでしょ。
ミニサイズのモスラってことで「フェアリー」にしたんだろうけど、モルとロラが大樹に「(その生物は)フェアリーって言うの」と教える時なんか、「お前らの方がよっぽどフェアリーだぞ」と言いたくなるわ。

この映画の誕生には、ローランド・エメリッヒが監督を務めたハリウッド版『ゴジラ』が関係している。
1997年にハリウッド版『ゴジラ』が公開されることになり、それを受けて東宝の「ゴジラ」シリーズは1995年12月封切の『ゴジラvsデストロイア』で幕を閉じることになった(後に復活するが)。
しかし東宝としては、怪獣映画ってのは確実に稼ぎが見込めるトコロだった。
そのため、シリーズ生みの親である田中友幸相談役としては、怪獣映画ファンを完全に手放したくなかった。/font>

そこで、田中友幸は、東宝の生み出した怪獣の中でもゴジラに次いで人気のあるモスラを主役に据えて、これまで「ゴジラ」シリーズで掴んで来た客層を呼び込もうと考えた。
モスラは前述したように、既にピンで主役を張った映画があるので、そういう意味でも不安要素は少なくて済む。
「ラドンだって主演作があるし、モスラより先だぞ」と言いたくなる人がいるかもしれない。
ただ、残念ながらラドンって、あんまり人気が無いのよね。

ともかく、そんなこんなでモスラを主役とする映画の企画がスタートしたわけだが、1961年版や平成「ゴジラ」シリーズとは大きく異なり、怪獣による都市破壊や防衛隊との戦闘シーンを出来る限り排除する内容になっている。
ファミリー向けジュブナイルを目指す意味で、そういうことを意図的に排除したらしい。
だけど怪獣映画の醍醐味ってのは、都市破壊や防衛隊との戦闘シーンに多くのモノがあるわけで。
そこを削るってのは、一番の武器を捨てるような行為じゃないかと。

そもそも、「ファミリー向けジュブナイルだから都市破壊や防衛隊との戦闘シーンを削る」という考え方自体、どうかと思うんだよな。
もしかすると、「子供向けってことを考えて野蛮な描写を持ち込まない」という狙いがあったのかもしれない。
だけど、それは「子供向け」じゃなくて「子供騙し」だと思うのよね。
っていうかさ、実のところ、平成「ガメラ」シリーズが綿密なミリタリー描写を持ち込んで高く評価されたので、そこへの対抗心で「だったら、こっちは真逆を行ってやる」と考えただけじゃないかと邪推したくなるぞ。

もちろん、都市破壊や防衛隊との戦闘シーンを排除しても、それ以外で引き付ける力があるなら、それはそれでOKだ。
しかし本作品には、その代わりになるような要素は微塵も用意されていない。
いつも武器として使っている棍棒を捨てたのなら、代わりにヌンチャクでもいいし、トンファーでもいいし、何か別の道具を手に取るべきでしょ。
ただし、「じゃあステゴロで戦う」という覚悟で立ち向かったのかというと(だとしても愚かなだけだが)、そうではない。ただ単に、手に取った物がスポンジ製でフニャフニャの棒だったから、武器として役に立たなかっただけだ。

モスラも人気のある怪獣だが、ひょっとするとキングギドラの方がゴジラに次いで人気者かもしれない。
ただしキングギドラは悪玉怪獣なので、主役に据えることは出来ない。しかし東宝としても、やはり人気の怪獣を使いたいという気持ちはあったのだろう。
ってなわけで、この映画には「キングギドラのようでキングギドラでないベンベン」なデスギドラが登場する。
いやいや、なんだよ、その中途半端に似せている新怪獣は。だったら素直にキングギドラを使った方がいいだろうに。
わざわざデザインや設定を変えて、キングギドラっぽいニセモノを登場させた意味は何なのよ。それなら全く別の怪獣を登場させなさいよ。

「環境破壊に警鐘を鳴らす」という、ファミリー映画を作る時に失敗する可能性の高そうなテーマを、この映画は掲げている。
そして、やはり失敗している。
まあ「メッセージが声高で疎ましい」とか、「テーマの表現方法がヌルくて浅い」とか、ありがちな失敗が色々と目に付くが、一番の間違いは「本作品ならでは」という部分に含まれている。
問題はデスギドラを「環境破壊によって出現した怪獣」というポジションに据えていることだ。

しかし、「化石に付いていた紋章を取り外したらデスギドラの封印が解かれた」ってことで裕一が批判されるのは、ちょっと違うんじゃないかと。
そんなのが恐ろしい怪獣を封印する道具だなんて、誰も分からないでしょ。
しかも裕一は、野心や欲望で紋章を盗み出したわけではない。「何か気になる物があるな」ってことで、娘の土産にしようと考えただけだ。
それを「環境破壊」として批判されたら、娘のためを思う親心まで否定しちゃうようなモンだわ。

化石が発見されたのは森林伐採が理由だが、そもそも「恐ろしい怪獣の封印としては、あまりにも脆弱すぎやしないか」ってのが気になる。
ドライバーで簡単に取り外せてしまうって、どんだけヌルいシステムなのかと。
あと、デスギドラは宇宙怪獣であり、地球の自然破壊や環境汚染によって誕生した怪獣ではないのよね。
それなのに、デスギドラの存在そのものを「環境破壊を繰り返してきた人間の責任」と批判するのは、明らかに御門違いだろう。

登場人物の行動は、総じてデタラメである。
モルとロラはエリアスの盾のありかを知らないはずなのに、なぜか一直線に東京へ向かっている。
ベルベラに至っては、その日の内に後藤家へ辿り着いている。ってことは最初から盾の場所が分かっていたってことだが、その理由は不明だ。
で、盾を奪ったのなら、さっさと立ち去ればいいだけだ。ところが、なぜか若葉を操ったままの状態にして、大樹を猛犬に襲わせ、真紀子を縛り上げる。
何か目的があって行動しているはずだが、狙いがサッパリ分からない。

ベルベラは後藤家でダラダラしているもんだから、モルとロラに見つかってしまう。ただのアホである。
で、フェアリーモスラが飛び込んで来るとベルベラは余裕の態度で逃げるが、その最中に大樹を光線で攻撃する。その攻撃に何の意味があるのかはサッパリ分からない。
「モルとロラがベルベラと戦う」という後藤家のリビングでのシーンは、かなり長く続く。しかし、そんなトコに多くの時間を割くことのメリットが私には分からない。
怪獣映画なのに、なぜ「1つの部屋の中」というスケールの小さな戦いを見せ場のように用意するのか。
どう考えたって、そこは見せ場としての力を持っていないぞ。「無駄に長い」と感じてて退屈するだけだ。

大体さ、エリアスの盾のありかを簡単に突き止めたり、若葉や猛犬を操ったりする能力を持つベルベラが、「ソファーの後ろに隠れているモルとロラ、大樹たちに全く気付かない」とか、どういうことなのかと。
いや、そんなことより何より、なぜベルベラはさっさと後藤家から逃亡しようとしないのか。そこでモルとロラに付き合う意味なんて全く無いだろうに。
デスギドラを家来にしようと企んでいる奴が、なんで「リビングの小さな戦争」に固執するのかと。一時的ではあっても、大樹の虫取り網で捕獲されてしまうってのは、悪役としてチープすぎるし。
あと、実はベルベラの目的って、最後まで分からないままなんだよね。

伐採現場で激しい爆発が起きると、岩が高く積み上がる。それを退かすために裕一が火薬を使おうとすると、観察しているベルベラが「早く私の家来が見たい」と口にしている。
ってことは、爆発を起こしたのはベルベラじゃないってことなのか。そこまでやるなら、自分でデスギドラを復活させるはずだよな。
でも、そうだとしたら、その爆発が起きた原因は何なのか。デスギドラが起こした現象なのか。
しかし、岩が集結する爆発は謎の力で発生し、それを退かすための爆発は裕一が担当するってのは、なんかギクシャクしていると感じるぞ。
「突如として伐採現場で爆発が起き、デスギドラが復活する」ってことでいいでしょ。

わざわざ無駄にしか思えない手順を踏んでいるのは、ひょっとすると「人間の力が作用してデスギドラが復活する」という形にしたいという狙いがあったのかもしれない。で、それも人間を批判する材料に使おうと目論んだのかもしれない。
だけど、そこに関しては、「岩を退かすためにダイナマイトを使う」ってのは、「環境破壊でデスギドラを復活させた」という批判対象には当たらないでしょ。
そもそも、その前に謎の爆発で環境が破壊されているんだから。
むしろ、それを元に戻すための作業として火薬を使うんだから。

それに、デスギドラが復活するのは結局のところ、「ベルベラが火薬を爆発させ、エリアスの盾の力を岩に照射する」という作業を経てのことなのよ。
つまりデスギドラの復活ってのは、人間の身勝手な環境破壊によって引き起こされた結果ではない。地球の破壊を目論むベルベラの身勝手な行動によって引き起こされた結果なのよ。彼女がいなければ、デスギドラは復活しなかったのよ。
環境破壊を批判するメッセージを訴えたいのなら、デスギドラを復活させるためにベルベラが積極的に活動する形を取ったのは大きな失敗だわ。
あとさ、「謎の爆発」→「火薬の爆発」→「ベルベラの引き起こした爆発」と、3つも続けて同じ場所で爆発を起こす構成は、どういう計算だったんだろうか。
そりゃあ爆破ってのは映像的な派手なモノがあるけど、同じことを同じ場所で3度も続けたら、飽きてしまうわ。

しかも、ベルベラが盾を使って爆発を起こしたのなら、「岩山からデスギドラが復活する」という展開に移るべきだろうに、なかなか復活の手順に至らないのよ。
具体的には、ベルベラが盾を照射して爆発を起こした後、まずは作業員たちが退避する。ここまでは別に構わない。田川が最後まで残ってカメラを回し続けているので、そこでデスギドラが出現する流れにすれば、むしろベストと言ってもいい。
ところが、その後にモルとロラがベルベラを攻撃し、ベルベラが「デスギドラ、デスギドラ、早く出ておいで」と言い、岩山で噴火が起き、真紀子が倒れている裕一を助け出し、盾を奪還したモルたちが噴火を観察し、フェアリーを治癒し、大樹と若葉に「ここは危険です」と告げ、ようやくデスギドラが出現するのだ。
それはタイミングを完全に外しているぞ。
しかも、また爆発があるし。今までより大きな爆発だし、噴火という形だから変化はあるけど、だからって盛り上がるのかというと、「また爆発かよ」と思っちゃうわ。

さんざんモタモタした挙句、ようやくデスギドラが出現するので、そこからは「デスギドラが暴れ回る」という展開になるのかと思いきや、その場から動き出そうとしない。まだ飛べないどころか、自由に歩くことも出来ない状態にあるという設定なので、噴火の中で首や体をクネクネさせるだけなのである。
怪獣映画なのに、なかなか怪獣が動こうとしないままグダグダするって、どういう計算なんだよ。
しかも、ようやく動き出しても、都市破壊も無ければ、「大勢の人々が逃げ惑う」というモブシーンも無いから、イマイチ緊迫感や危機感が乏しいのよね。
「森の植物エネルギーを吸い取る」ってことで「だから地球の危機」と言われても、ピンと来ないのよ。

モスラが北海道に到着して攻撃を開始した時点で、まだデスギドラは何も暴れていない。森の植物エネルギーを吸っている最中なので、映像としては「まだ何の犠牲も出ていない」という状態なのだ。
そうなると、モスラが先制攻撃を仕掛けたような形になってしまう。
それはマズいでしょ。やはり「デスギドラが暴れて町を破壊したり人々を襲ったりして、軍隊が出動するけど歯が立たず、もはや人類を救うことが出来るのはモスラだけ」という状況を作ってやらないと、高揚感に大きな影響が出るわ。
その段階で「もうモスラを呼ぶ以外に方法は無い」と言われても、「いや、まだ自衛隊も出動していませんけど」と反論したくなるぞ。

まだ成虫モスラがデスギドラと戦っている最中に、幼虫モスラが孵化するというのは構成として上手くない。「親子の絆」を描こうとしているのは分かるけど、目が散ってしまうのよね。
あと、そういう形にすると、「成虫モスラが死んだ後、幼虫モスラが成虫に成長してデスギドラを倒す」ってのがバレバレになるし。
成虫モスラが死んでから幼虫モスラが誕生する手順でも良かったんじゃないかと。もしくは、衰弱している成虫モスラを登場させず、「幼虫モスラがデスギドラ退治に登場し、苦戦するけど成虫になって勝利する」という手順だけでも良かったかなと。
先に成虫モスラを登場させると、幼虫が成虫になった時の高揚感を削がれるのよ。そこが初登場じゃなくて、別の成虫ではあるけど先に見てしまっているのでね。

成虫モスラではなく幼虫モスラが最初からデスギドラに立ち向かう構図を持ち込む場合、「デスギドラの出現」から「モスラの到着」までに大きなタイムラグが生じるという問題はある。成虫と違って空を飛べないので、海を泳いで陸を這って来るしか無いからね。
だから、そこは「デスギドラが都市を破壊し、自衛隊が出動するが歯が立たない」という手順を挟めばいいのよ。
そこで時間を使っている間に、幼虫モスラが海を渡って日本に来るという形にすればいいわけで。
そういう意味でも、「都市破壊」「大勢が逃げ惑う」「自衛隊が出動する」という手順を排除したことが、大きなマイナスに繋がっているんだよな。

若葉はモスラからエリアスの盾を返された後、大樹に使ってみるよう促す。2人が手を繋いで念じると盾が輝き、モスラの触覚も光る。
それを見た大樹は「効いてる」と言うんだけど、じゃあモスラが飛べるようになるのかと思いきや、幼虫が陸に上がって這って来るシーンに切り替わる。
いやいや、エリアスの盾が光ったことをスルーしちゃうのかよ。
子供たちが念じて盾の力が発動したのなら、それによって成虫が再び動けるようになり、デスギドラと戦う展開に行くべきじゃないのか。

幼虫が危機に陥ると成虫が飛び立って助けに行くが、そうなると「エリアスの盾の力で復活した」ということよりも、「子供を助けるために立ち上がった」ということの方が大きいのよね。
で、そういうことになると、「エリアスの盾の力が発動する」という手順は、むしろ邪魔なのよ。そのおかげで力が復活したわけじゃなくて、「本来なら飛べないはずなのに、子供が危機に陥っているから最後の力を振り絞った」という形の方が感動的でしょ。
ちなみに、これまで「ゴジラ」シリーズでモスラは何度も人類や地球のために戦って来たので、もはや「インファント島の守り神だったはずなのに、いつの間に人類の守り神に変化したのか」というツッコミを入れるのは無意味なんだろう。
だから、そこに関してはスルーしておく。

(観賞日:2016年1月6日)

 

*ポンコツ映画愛護協会