『マザー』:2014、日本

雑誌編集長の谷川は新人編集者の若草さくらを伴い、漫画家である楳図かずおの家を訪れた。谷川は旧知の間柄である楳図に彼女を紹介し、大ファンであることを告げた。さくらは緊張の面持ちで挨拶し、楳図の生い立ちを本にしたいと説明した。自分の過去など知りたいと思う読者がいるのか疑問視する楳図だが、さくらは彼の作品に対する思い入れを熱弁する。彼女が「きっと成功させてみせます」と言うと、窓際に飾ってあった赤い皿が床に落ちて割れた。それは楳図が亡くなった母・イチエの遺影代わりに飾っている皿だった。
谷川が去った後、さくらは楳図のインタビューを開始した。楳図は和歌山県で産まれ、7ヶ月の時にはイチエが絵を教えた。父親は学校の教師で、家族は良く引っ越した。楳図が4歳の時、一家は奈良県曽爾村に引っ越した。彼は父のキミオから、地元に伝わる怖い昔話を良く聞かされた。それは『お亀が沼』という話だ。ある村に嫁いできた女が、夜な夜な沼へ通った。夫が気になって後を追うと、もう来ないよう要求された。しかし赤子が乳を欲しがるので沼へ行くと、蛇女に変貌した妻に襲われたという話である。
楳図はプロの漫画家を目指してテーマを模索していた時、父から聞かされた話を思い出した。そして、恐怖をテーマに漫画を描こうと決意した。上京して人気漫画家となった彼は、多忙で実家とは縁遠くなった。母が上京して同居していた時期もあったが、あまり構ってやることは出来なかった。ある時、イチエは急に、楳図の誕生年月日を偽って役場に提出したことを打ち明けた。楳図は誤ってペンを右の掌に突き刺してしまい、その傷は今も残っている。随分と後になって、イチエは「お前、似て来たね」と楳図に告げた。
楳図はさくらに、「母は絶えず不幸に見えた女性に見えました」と言う。『アゲイン』の連載中に父が死去し、仕事が一段落すると母は倒れて入院した。楳図が見舞いに行くと、イチエは「自分のお葬式に行って来たの。イギリスの女王様も来てくれたのよ」と語った。楳図が「夢を見たんだね」と言うと、彼女は「夢じゃないの。その後、お前の別荘にも行ったのよ」と述べた。その後、イチエの病状は悪化し、眠る時間が長くなった。そして目を覚ますと、「お礼参りに行った」だの「御所に行って来た」だのと話した。
楳図の弟であるミツグが見舞いに来た時、イチエは「家に行く」と言って眠りに落ちた。彼女の容体は急変し、楳図は彼女に頼まれて化粧を施した。「次はどこへ行くの?」と彼が尋ねると、母は「決まってるじゃないか、お前の所だよ」と笑ってから死去した。楳図がイチエの右手を見ると、いつの間にか黒髪を掴んでいた。それが誰の頭髪なのか、なぜ持っていたのかは分からないままだった。イチエの葬儀の時、参列者の1人が雑誌を落としたが、その表紙はイギリスの女王だった。楳図が別荘へ行くと、母の嫌いだったクモが踏み潰されて死んでいた。その2つの出来事を、楳図は偶然だと思えなかった。
さくらは楳図から話を聞き、創作の原点が母親にあると感じた。彼女は曽爾村へ取材に赴いて聞き込みを行い、楳図の両親が共に再婚であること、イチエの前夫が猟銃で右手を撃ち抜いていることを知った。一方、楳図の部屋を掃除しようとした家政婦は、窓に女性の手形が残されているのを発見した。そのことを指摘された楳図は、母の手形だと感じる。「母が戻って来たのか」と考えた彼は、保管しておいた黒髪を持ち出して眺めた。
さくらはイチエについて詳しく知るため、白タクで彼女の妹である山本アヤが暮らす村へ向かった。その途中、さくらはイチエの幻影を見て怯えた。幽霊やロシア人が出るという噂について運転手が話したので、さくらは他にも伝説が無いか尋ねた。すると運転手は、ある伝説を語った。滝に夜な夜な美女が現れて水浴びをしていたが、ワタリの猟師は正体が人間ではないと見抜いて撃ち殺そうとした。しかし怪しげな術を掛けられ、自分の右手を撃ってしまったというのが、彼の語った伝説だった。
タクシーが急に停まるが、運転手が調べても故障は見つからなかった。さくらは歩いて村を目指そうと考え、山道を進む。その途中、彼女は滝で水浴びをする女性を目撃した。そこへ猟師が現れ、彼女を手籠めにしようと襲い掛かった。さくらが止めに入ると、猟師は彼女を突き飛ばした。女性は猟銃を拾い上げ、猟師の右手を撃ち抜いて追い払った。だが、それは全て幻覚だった。夜になって村に到着すると、「山の気配で誰かが来るのは分かっていた」という兄妹が待っていた。それはアヤの子供であるサトルと翔子だった。
さくらはサトルと翔子から、アヤが去年亡くなっていることを聞かされる。さくらがイチエについて尋ねると、サトルは母から聞いたことを話す。イチエは両親から、あまり可愛がられていなかった。ある時から滝で水浴びをして、自分の体に見とれるようになった。しかし猟師に襲われ、傷物にされた。右手を鉄砲で撃って追い払ったが、噂はたちまち広まった。両親の頼みを受けて、担任教師だったキミオが彼女と結婚した。しかしイチエは滝の一件から男狂いになり、夜な夜な村の男たちにちょっかいを出した。
さくらは翔子に、イチエの実家のことを尋ねる。翔子は今も残っているが誰も住んでいないこと、遠い場所にあることを告げ、今日は一泊するよう促した。翌朝、さくらは翔子に案内してもらい、イチエの実家を訪れた。家の中に入ると、背中を向けて泣いている幼女がいた。さくらが声を掛けると、振り向いた幼女の両目からは鮮血が流れていた。幼女が恐ろしい咆哮を発して追い掛けて来たので、さくらは外で待機していた翔子と逃走する。さくらは途中で転倒し、手を差し伸べてくれた翔子に腕を伸ばした。だが、そこに立っていたのが翔子ではなくイチエだったので、さくらは悲鳴を上げた。
楳図は奈良県五條市に住む親戚のヒロシから電話を受け、「イチエが現れた」と騒ぎになっていることを知らされる。お手伝いをしていた女性の家にも、イチエが現れた。女性は階段から転落して死亡し、息子は大怪我を負ったという。楳図は親戚のイサムからのネット電話で、イチエが順番に家を回って親族を殺していると聞かされる。途中で回線が乱れ、イサムの悲鳴と共に映像は切れた。楳図は谷川から連絡を受け、さくらが担ぎ込まれた病院へ急行した。さくらは高野山で倒れているところを発見され、近くには女性の遺体が転がっていたという。やがて母が自分を殺すと考えた楳図は錯乱状態に陥り、医者に注射を打たれて眠らされた…。

監督は楳図かずお、原案は楳図かずお、脚本は楳図かずお&継田淳、製作は高橋敏弘、プロデューサーは武内健&橋口一成&稲垣竜一郎、ラインプロデューサーは鶴賀谷公彦、監督補は久保朝洋、撮影監督は長野泰隆、美術は松本知恵、照明は児玉淳、録音は西條博介、編集は中川究矢、VFXは石田肇、特殊造型は市川拓、音楽は中川孝。
主題歌は中川翔子『chocolat chaud』作詞:meg rock、作曲:YOFFY、編曲:大石憲一郎。
出演は片岡愛之助、舞羽美海、真行寺君枝、諏訪太朗、中川翔子、佐伯大輔、千葉誠樹、海老瀬はな、江戸川マンジ丸、鈴木洋之、河野景子、水木英昭、青木梨乃、菊池麻衣、野口雅弘、吉川勝雄、大津慎伍、野村たかし、高城ツヨシ、野村亮、小林あずさ他。
声の出演は楳図かずお。


漫画家(ただし休筆中)の楳図かずおが初監督に挑んだ映画。
原案と脚本、ヒロシの声も彼が担当している。
共同で脚本を手掛けたのは、『富江 アンリミテッド』『ゾンビアス』の継田淳。
楳図を片岡愛之助、さくらを舞羽美海、イチエを真行寺君枝、谷川を諏訪太朗、ミツグを佐伯大輔、サトルを千葉誠樹、翔子を海老瀬はな、イサムを江戸川マンジ丸、猟師を鈴木洋之、家政婦を河野景子、タクシー運転手を水木英昭が演じており、楳図かずおの大ファンである中川翔子が「看護士A」の役で友情出演している。

もちろん内容はフィクションだが、楳図が曽爾村で幼少期を過ごしたことや、父がキミオ(公雄)で母がイチエ(市恵)だったこと、父から地元の伝説を聞かされて育ったことなど、事実も含まれている。
事実と創作を混在させることによって、それを隔てる境界線を曖昧にしてしまい、「どこまでが本当の話なのか」というトコロで不安や恐怖を喚起させようという狙いがあるのかと思ったりもしたんだけど、そういうことではなさそうだ。
単純に「事実をモチーフにして話を作った」というだけで、そんなに深い意味は無いんだろう。
もしも前述したような狙いがあったとしても、それは成功していないってことになるし。

冒頭、楳図が母の見舞いに来ている様子が写し出される。妙な物音が聞こえて紫の煙のような物が窓の外へ流れて行き、カラスの群れがバタバタと飛んで鳴き声を発する。
楳図は振り向いてカラスの群れを眺めるのだが、その時の表情が変だ。彼は不安の色を見せるでもなく、怯えるでもなく、なぜか威嚇するように睨み付けているのだ。
いやいや、どういう感情だよ、それって。
もし「睨み付ける」という芝居じゃないとしたら、演出か演技が間違っていることになるから、どっちにしろダメだし。

英語でタイトルが表示されると血が噴き出し、画面の上から血が垂れ落ちる。
その演出は「観客を怖がらせよう」という意識が強すぎて、逆に滑稽なモノと化している。なんか、すんげえ古いハリウッドの怪奇映画みたいなノリだよね。
で、タイトルの後に谷川がさくらを連れて楳図邸を訪ねるシーンとなるが、楳図の「さくらさん、こんにちは」という挨拶は奇妙だ。
初対面なんだし、普通は「初めまして、若草さん」じゃないかと。いきなり下の名前で呼ぶかね。

さくらが本を落として拾おうとすると、楳図も手を伸ばし、2人の手が触れ合って、ハッとして顔を見合わせる。もはや少女漫画でも見ることが出来ないようなシーンである。
あと、細かいことを言っちゃうと、楳図(っていうか片岡愛之助)の手の伸ばし方は、本を拾おうとする動きではなく、さくらの手に触りに行っている。
赤い皿が割れるシーンでは、音がして楳図が振り向くカットだけなので、何が起きているか分からない。彼が窓際まで移動して、ようやく皿が落ちて割れたことが分かる。
でもホントは、音がして楳図が振り向いた段階で、割れた皿を見せるべきだろう。

楳図が『お亀が沼』の話をするシーンでは、参考文献の形で実際の楳図かずおが描いた過去の漫画が挿入される。
しかし、そこで登場する蛇女の名前は「お亀」じゃないので(ハッキリと見えなかったけど、たぶん「お多曲」かな)、整合性が取れなくなっている。
イチエが楳図に「大事な話がしたかったんだけど。お前の誕生日は、本当は子の年、子の月、子の日、子の刻なんだよ。でも役場へ届ける時、私の産まれた日に」と変えてしまったんだよ」と話すシーンでは不安を煽るようなBGMが流れるが、どこに怖がる要素があるのか分からない。
誕生日を詐称した事実は「なんで?」とは思うけど、別にビビるようなことではないでしょ。

誕生日の話を聞いて楳図がどう感じたのかは、表情や反応に出ないのでサッパリ伝わって来ない。
その後、彼は急にペンを振り上げて原稿用紙に突き刺そうとして、誤って自分の右手を突き刺す。だが、そもそも急に原稿用紙を突き刺そうとする意味が分からない。そして、そんな行動を取った息子が痛がっているのに、何の反応も示さないイチエも良く分からない。
あと、さくらは生い立ちを本にするためにイタンビューしているのに、幼少期のことは短く済ませ、さっさと漫画家になってからの話に移っているのは変。
もちろんストーリー展開の都合に合わせていることは分かるけど、段取りを優先するために、キャラの動きが露骨な形で変なことになっている。

やたらめったら不安を煽ろうとするあまり、余計なトコまで雰囲気を作り過ぎている。
そのせいで、「ここで恐怖や不安を高めなきゃ」という大事な箇所に行き着いた時に、落差が生まれず薄味になってしまう。
具体的に挙げるならば、イチエが死去するシーン、本来ならば、「ふと見るとイチエが謎の黒髪を掴んでいる」というのが恐怖のポイントになるはずなのだ。
ところが、その前から延々と不安を煽ろうという意識が強くなっているせいで、黒髪が恐怖を喚起する不気味な道具として機能しないのだ。

その一方で、描写が足りていないせいで不気味さが呼び起こされないポイントもある。
具体的に挙げると、ただの夢だと思っていたイチエの発言が現実になるシーン。
「葬儀の参列者が雑誌を落とすと、表紙がイギリスの女王だった」「楳図が別荘に行くと、踏み潰されたクモが死んでいた」という2つの出来事は、台詞による説明だけで済まされてしまう。
それだと、「夢だと思っていたことが現実に起きた」という不気味さが伝わらないのである。

さくらは曽爾村へ取材に訪れるが、その必要性を感じない。両親が再婚しているとか、そんなのは楳図本人も知っているはずだし。もっと彼に詳しいことを聞いて、複数のインタビューを重ねた方が有益ではないかと。
もちろん、それもストーリー展開の都合に合わせてキャラを動かしていることは、充分に承知しているけどね。
さくらがやたらと怖がるのも、完全に逆効果。
ヒロインが怖がる様子で観客の恐怖を煽るってのは、ホラー映画では定番の戦術だ。だけど、まだ大して恐ろしいことも起きていない内からヒロインが過剰に怯えると、観客の気持ちを冷めさせることに繋がるのだ。

「曽爾村を訪れたさくらが、何かしらの気配を感じて振り返るが、カーブミラーには何も映っていない」というシーンがある。
しかし、そのシーン、何も不気味さを感じるような現象は起きていないし、観客に不安を感じさせるような雰囲気作りも出来ていない。
そんな中でBGMだけが頑張って不安を煽ろうとするのだが、段取りに対して演出や映像が追い付いていない。
ただし、そのシーンに関しては、さくらが不安を振り払うために『おろち』の人差し指を掲げるポーズを見せるカットだけで、なんか許せちゃうんだけどね。

さくらが山本家で一夜を過ごした翌朝、サトルに挨拶してから出掛けようとすると、翔子は「酔っ払った次の日は昼まで起きやしない」と告げて、そのままイチエの実家へ行こうとする。それでも挨拶しようとするさくらだが、彼女は「ホントにいいから」と告げる。で、2人が出掛けた後、室内で惨殺されているサトルの姿が写し出される。
たぶんイチエの仕業ってことなんだろうけど、翔子が不自然なぐらい兄とさくらを会わせようとしないので、彼女が関与しているようにも思える。
ただし、その推理は当たっているかもしれなくて、さくらが幼女を見て逃げ出した後、転んだ彼女に手を差し伸べた翔子はイチエの姿に変貌している。ってことは、それより前からイチエが翔子の肉体に憑依していた可能性もあるわけで。
そうなると、イチエが翔子に憑依した状態でサトルを殺したかもしれないのよね。
まあ、その辺りは良く分からないんだけどさ。それを言い出したら、そもそも実家にいた不気味な幼女は何者なのかってことになるしね。

その辺りから不条理はどんどんエスカレートしていくのだが、それと恐怖の高まりが比例しないってのが困りもの。
さくらがイチエの実家に入るシーンでは、彼女が撮影しているビデオカメラの映像を使ってPOVにしてあるけど、「流行を取り入れたかったんだなあ」と思うだけであって、怖さには繋がっていない。そこに来て急にさくらがビデオカメラを回し始めるのが不自然すぎて、違和感が強いし。
楳図は親戚から「イチエが出現して人を殺し回っている」と聞かされるが、それを言葉による説明だけで済ませてしまうので、ちっとも怖くない。イチエが親族の前に出現して殺害する様子を、ちゃんと描かないと効果は期待できない。
あと、そもそもイチエが恐怖の対象であるべきなのに、それを受ける側の楳図も、登場した時点から何となく不気味なキャラになっているというのもマイナスだしね。

さくらは高野山で倒れていたのに、なぜか東京の病院に担ぎ込まれている。
まさか、楳図の家が奈良にあるという設定ではないよね。以前は奈良に住んでいたこともあるけど、現在は東京在住だし、劇中でも東京という設定のはずだよね。
で、その楳図は薬で眠らされ、目を覚ますと病室で拘束されている。恐ろしい目に遭って病院に担ぎ込まれたはずのさくらは、何事も無かったかのように回復している。谷川は楳図に、「これまでの全ては貴方の思い込みが起こした出来事なんです。その証拠に、眠っていた3日間は何も起こらなかった。貴方の想像が事件を起こしたんです」とキテレツなことを唐突に言い出す。
いやあ、終盤にきてシュールが加速してるねえ。

医者は楳図に「あちらではミツグさんの頼みで御祓いが行われています」と言い、祈祷師たちが御祓いをやっている様子が写し出される。
でも「あちらでは」と言っていたし、実際に祈祷の声が病室まで届いて来るのに、彼らがいるのは山か森の中にある小屋。少なくとも病院の中ではない。
そこへイチエが現れると地震が発生し、祈祷師たちが倒れる。イチエはミツグの頭部を握り潰して惨殺する。
親族だけでなく息子まで殺しちゃうんだけど、そもそもイチエが身内に復讐心を抱く理由はサッパリ分からない。そんな強い恨みを抱くような理由について、何も言及が無いんだから。

イチエはミツグを殺すと病院へ赴き、そちらでも地震が起きる。
楳図はなぜかポケットに入れてあった黒マジックで掌を塗り、それを彼女に見せる。ちょっと分かりにくいけど、蜘蛛に見せ掛けているってことだ。
イチエが怯えたところを、さくらが殴り付ける。するとイチエがショコタン演じる看護師の姿になり、頭から血を流して倒れる。そこからイチエが抜け出し、病室を去る。
でも、そこに来て急にイチエが看護師の体を借りる必要性が無い。
その前には、誰の体も借りずに親族やミツグを襲っているはずなんだから。

楳図はさくらに、「母が実体化したから戦うしかない」という良く分からない理屈を説明する。
「実体化したから、御祓いも心理学も効果が無い」ってことを言ってるんだけど、そもそも実体化する前から御祓いも心理学も無意味でしょうに。
で、楳図は自分が描いた蜘蛛の絵と美女の絵を何枚もコピーし、「まだ話してなかったが、母は僕が描いた美しい女性を怖がっていた」と急に新たな弱点を語る。
しかし、そんなに無理をしてまで急に弱点を増やしたことが物語に大きな効果をもたらすかというと、そんなことは無い。弱点を蜘蛛だけに留めておいても、まるで支障は無い。

東京の自宅で待ち受けていれば必ずイチエは来るだろうに、なぜか楳図は奈良へ行き、両親の思い出の場所で唯一残っている学校で対決する。彼は東京から車を飛ばして、わざわざ奈良まで行っている。そして学校に入ると楳図とさくらは、唐突に「愛してる」と言い合う。
いつの間に愛し合う関係になったのか、サッパリである。
とにかく、最初から最後まで怖さは無いし、シュールと言うより単にデタラメなだけになっている。
お世辞にも出来栄えが良いとは言えないのだが、ただし困ったことに、楳図かずおのファンなら許せてしまうような気がするんだよなあ。
私は熱烈なファンじゃないけど、それでも「まあ楳図かずお先生だからなあ」と思ったぐらいだし。

(観賞日:2015年7月10日)

 

*ポンコツ映画愛護協会