『ムーンライト・ジェリーフィッシュ』:2004、日本

歌舞伎町を縄張りとする山下組の組長付き組員・寺沢セイジは、弟のミチオと2人で暮らしている。ミチオは太陽光線に当たることの出来ない色素性乾皮症という特殊な病気を抱えており、昼間に外出する際は特殊な防護服を着用しなければならない。その上、ミチオは原因不明の知的障害も併発していた。両親を早く亡くしたセイジは、ずっとミチオの面倒を見ながら生活している。
ある夜、セイジは山本組が仕切っているバーで、酔っ払いに絡まれている女性・南谷佳子を助けた。セイジにとっては大した意味の無い行為だったが、佳子は彼に心を惹かれた。後日、セイジは毎月の検査のため、ミチオを啓世大学付属病院に連れて行った。その際、ミチオの担当に付いたのは、新任の看護士・佳子だった。
ミチオのリハビリが行われている時、セイジは組長・山下源三からの電話で丸善ファイナンスへ行くよう指示された。そこではセイジの兄貴分の三木忍が暴力団若頭・柿沢健一に500万円の借金返済を要求し、拒絶されていた。セイジは拳銃を突き付けられながらも強気な態度で返済を要求し、柿沢に500万円を支払わせた。
山下組の組員が、チャイニーズ・マフィアの組員・王から暴行を受け、拘束された。歌舞伎町では山下組がチャイニーズ・マフィアの頭領・白に縄張りを分けていたが、その状態に王は苛立ちを募らせていたのだ。セイジは三木と共に、組員の身柄を引き取りに行く。三木はすぐに立ち去ろうとするが、セイジは白に慰謝料を請求した。
事を穏便に済ませたい白は、セイジに金を渡した。その時、王は白に拳銃を突き付け、金を持って行ったら白を殺すとセイジに告げた。王はセイジに強い敵意を抱いており、そんな相手の言いなりになるボスなら要らないと考えたのだ。セイジは王の脅しを無視し、金を持ち去った。立ち去るセイジの背後で、王は白を射殺した。
王は仲間を率いて、山下組に抗争を仕掛けてきた。セイジは馴染みの杉浦警部から、身辺に気を付けるよう警告された。そんな中、山下が賭博容疑で逮捕された。セイジはミチオを施設に預け、佳子とベッドを共にした。ミチオは施設から逃亡するが、セイジが見つけ出した。組事務所に戻ったセイジは、三木にミチオを預けて外出した。その直後、王の一味が事務所を襲撃した…。

監督&脚本&編集は鶴見昂介、製作は石崎邦彦&高原健二&菅井敦&川崎代治、プロデューサーは杉原典子&二村真一&伊藤正昭&槙哲也、プロデューサー補は稲葉有也、エクゼクティブプロデューサーは大槻英樹&松山浩士&朝長泰司&宮澤伸昌&温本浩、撮影は栢野直樹、録音は中村雅光、美術は山崎輝&常盤俊春、照明は磯野雅宏、音楽は渡辺雄一。
主題歌「月」作詞・作曲は天野月子、編曲は戸倉弘智、唄は天野月子。
挿入歌「昇らない太陽」作詞・作曲はSAWAO YAMANAKA、唄はthe pillows。
劇中歌「Happy Love」作詞・作曲は増井利之、編曲はSafety blanket、唄はSafety blanket。
出演は藤原竜也、岡本綾、木村了、石立鉄男、石橋蓮司、袴田吉彦、虎牙光揮、水島かおり、酒井法子、小沢仁志、西山宗佑、水野猛志、川村陽介、並木史朗、外波山文明、野添義弘、古本新之輔、江藤漢斉、小柳友貴美、楊天福、井村空美、若林謙、ミョンジュ、加藤英真、鈴木陸二郎、松村琢也、岩田仁徳、吉田昌美、加藤弘明ら。


映像作家の鶴見昂介が劇場映画で初めて監督を務めた作品。
演出だけでなく、脚本と編集も担当している。
全編ハイビジョン撮影。
セイジを藤原竜也、佳子を岡本綾、ミチオを木村了(これが映画デビュー)、山下を石立鉄男、杉浦を石橋蓮司、三木を袴田吉彦、王を虎牙光揮、佳子の先輩看護士・真田美津子を水島かおり、セイジの母・由紀子を酒井法子、柿沢を小沢仁志が演じている。

藤原竜也という俳優は、多くの演出家や批評家から高い評価を受けている。
しかし、どれだけ彼の演技力が素晴らしかったとしても、あらゆるキャラクターをパーフェクトにこなすことは絶対に無理だ。
そのことを、この映画は認識させてくれる。
ハッキリと言おう。
彼にヤクザ役、しかも幹部クラスを演じさせるってのは、完全にミスキャストである。
ヤクザどころか、チンピラだってキツいだろう。

序盤、花屋がセイジに敬語で話し掛けている所からして、もう違和感があった。
まだ22歳で、しかも童顔の藤原竜也にヤクザの幹部クラスの役を演じさせるのは、カフェのBGMに演歌を流すぐらい違うだろう。
監督が彼の配役を望んだとすれば、そのセンスは理解できない。
もし製作サイドからの要求だったとすれば、監督には同情する。
制作プロダクションがホリプロなので、たぶん後者だろう。その場合、時間の制約もあって難しかったかもしれないが、設定をヤクザではなく別の職業に変更した方が良かった。

まだ芝居経験の無かった木村了を、2つの病を抱えるミチオ役に据えていることにも疑問がある。ホリプロ期待の若手を売り出そうという商売根性は良く分かるが、そこにもキツいものがある。
キャラ設定をそのままで進めるのであれば、藤原竜也をセイジではなくミチオ役にして、セイジ役は鈴木一真か鶴見辰吾(いずれもホリプロ所属)にでも任せた方が良かったんじゃないのか。
セイジ役を30代や40代の俳優が演じていれば、キャスティングという部分では特に引っ掛かりも無く、スンナリと行ったはずだ。セイジの語る多くのセリフが藤原竜也に全くフィットしていないのだが、それは年齢的なものが大きい。30代や40代の俳優が演じれば、自然に聞こえるものだったのではないかと思われる。

ただし配役さえ変えれば、それで全てクリアというわけではない。脚本や演出にも引っ掛かる部分は少なくない。
まず序盤、佳子が店でセイジに助けられるシーンがある。この時、佳子はセイジの顔をハッキリと見ているようだが、それは観客には伝わりにくい。
なぜなら、ハッキリとセイジの顔のアップが映し出されることは無いからだ。
佳子の態度を見る限り、どうやら出会った瞬間からセイジにゾッコンのようだ。しかし、なぜ、どこに惚れたのか良く分からない。
危ない所を助けてもらって、好感を持ったり関心を抱いたりするというのなら分かりやすい。しかし、その態度は何となく好意を匂わせるというものではなく、のっけからメロメロ状態なのだ。
本人曰く「電流がビビッと走った」らしいが、こちらには電流が走った瞬間が伝わっていない。だから、ただの尻軽女にしか見えない。

それまで佳子に対して何の興味も示していなかったセイジが、急に「この後、時間ありますか」と誘うのも理解し難い。それまでの両名の態度を見ると、そこは佳子から誘った方が自然じゃないのか。
その後も、この両名のロマンスの展開が拙速に感じる。まだセイジの佳子に対する心情がほとんど描かれていない内に、肉体関係にまで到達するし。
あと、たぶんロマンスの部分は「人生に希望の無かったセイジが佳子と出会って光を見つける」ということなんだろうが、佳子が出てきても観客にとっての緩和や安らぎに繋がっていない。

ではセイジとミチオの関係はというと、こちらも兄弟愛は大して感じない。表面上の関係は分かっても、心の奥底からの絆が感じられない。
セイジが柿沢や王に対して、やたら挑発的で相手を怒らせるような態度ばかり取り続けるのも理解できない。無駄に敵を多く作れば、セイジを憎む奴らに殺されたり、あるいは捕まって刑務所に送られたりする可能性が高くなる。そうなればミチオは一人ぼっちになってしまうわけだが、そういうことまで頭が回らないほどバカなのか。

色素性乾皮症のミチオを、セイジがタクシーを使わなければ行けない距離にある病院に通わせている理由も全く理解できない。太陽に当たってはいけないのだから、いくら防護服があっても、なるべく外に出すことは避けるべきじゃないのか。そんなリスクの高い方法を取る理由が全く見当たらない。
セイジが自宅でミチオの面倒を見るのであれば、そこに医者を呼ぶべきだろう。それが無理なら、病院や施設に入れるべきだろう。それと自宅で世話をするなら、セイジが外出している間にミチオが勝手に窓を開けたりする可能性もあるわけだから、面倒を見てくれる人を雇うべきだろう。
人を雇わず、施設にも入れない理由が不明だ。
「金が無いから」という説明は通用しない。
後半に入って、セイジはミチオを施設に入れているわけだから。

ただし、どうやらセイジの周囲には、マトモな病院や施設が無いという事情もあるようだ。
病院は、セイジが出掛けている間にミチオを防護服で放り出し、外でセイジの到着を待たせるというムチャをやらかす。ミチオは知的障害のリハビリを受けていたはずだが、逃げ出す際には簡単に一般病棟へ出ている。
後半にセイジがミチオを預ける施設でも、病院と同じく、簡単にミチオに逃げられている。しっかりと面倒を見てくれるような施設は、どうやら無いようだ。

「ミチオが全く外出できない」という縛りを持ち込まないのであれば、彼が色素性乾皮症という設定は無意味なんじゃないのか。
実際、最後まで映画を見ても、色素性乾皮症という設定が物語に与えている影響が全く見えてこない。物語を進める上では、知的障害という部分だけあればいいんじゃないのか。無意味に欲張りすぎなんじゃないか。

 

*ポンコツ映画愛護協会