『ももへの手紙』:2012、日本

小学6年生の宮浦ももは母・いく子とフェリーに乗り、瀬戸内の汐島へ向かっていた。フェリーには3粒の水滴が降って来るが、それは床に落ちても消えなかった。母娘は汐島へ到着し、いく子の叔父であるサチオと叔母のサエが住む家に赴いた。水滴も後を追って来たことに、ももたちは全く気付かなかった。汐島はいく子の生まれ故郷であり、夫を亡くした彼女は娘と2人で暮らすため戻って来た。幼馴染の幸市は郵便局員になっており、いく子に声を掛けた。部屋の時計は6時で止まっており、サチオは春先に壊れたことを話した。
ももはサエに頼まれ、屋根裏部屋を荷物を運ぶ手伝いをする。『化物御用心』という江戸時代の黄表紙を見つけた彼女に、サエはサチオの父が集めていた物だと説明した。黄表紙には妖怪の絵が描かれており、ももたちが気付かない内に水滴は潜り込んだ。いく子は明日から今治へヘルパーの講習に行くことになり、ももは1人ぼっちにされることを嫌がった。自分の部屋に入った彼女は、「ももへ」という文字しか書かれていない父からの手紙を見つめた。ももは父のカズオが仕事で出掛けなければいけなくなった時、一緒にウィーン少年合唱団を観劇に行こうと思っていたので「お父さんなんか大嫌い」と怒鳴った。仕事へ出掛けた父は事故死し、ももは机の引き出しにあった書き掛けの手紙を見つけたのだった。
次の日、ももは母の買い物に同行して商店へ行き、スーパーやコンビニが無いことを知らされた。陽太と海美という兄妹を見つけた母は、ももが嫌がるのも構わず声を掛けた。橋から陽太の友人たちが呼び掛けると、いく子は娘も仲間に入れてほしいと頼んだ。陽太は承諾するが、ももが乗り気でない様子を見せたので橋へ向かった。ももはフェリーに乗る母の見送りに出向いた時、不思議な影を目撃して怯える。家に戻った彼女は、屋根裏部屋で物音を耳にしたり、3つのプリンが空になったりする怪奇現象を体験した。
ももは不気味な2つの影に追い掛けられ、慌てて外へ逃げ出した。道に迷った彼女は陽太と遭遇し、道案内してもらった。陽太はももを自宅へ連れて行き、祖父の作った祭りで使う藁舟を見せた。ももは母が戻って来ると言い、早々に立ち去った。いく子が夜になって戻ると、ももは家に何かがいると訴える。妖怪が足を舐めたので、ももは絶叫した。しかし、いく子は何も見ていないことから、ももの説明を全く信じようとしなかった。ももは東京へ戻りたがるが、いく子は冷たく突き放した。
翌朝、ももが目を覚ますと、いく子は置き手紙を残して講習に出掛けていた。不気味な話し声を耳にした彼女が慌てて飛び出すと、陽太と海美が遊びに誘うため来たところだった。ももは水着に着替えて橋へ行き、陽太は仲間に彼女を紹介した。陽太たちは欄干から橋へ勢いよく飛び込むが、ももは後に続かず立ち去った。雨に降られた彼女が祠で休んでいると、3匹の妖怪が出現した。慌てて逃げ出した彼女は家に戻り、サチオから神様が落ちぶれて妖怪になった「お守り様」の存在を教えてもらう。しかしサチオが父から「人に言うと悪いことが起きる」と聞かされたことを話したので、ももは自分の目撃談を明かさなかった。
翌朝、ももが目を覚ますと、いく子は畑の手伝いに出掛けていた。イワ、カワ、マメという3匹の妖怪が部屋に現れたので、ももは仰天した。イワは空から落ちて来たのだが、菅原道真に封じ込められていた妖怪だと嘘をついた。ももがホウキを振り回して追い払おうとすると、妖怪たちの手形が落ちた。イワは「手形が割れると死んでしまう」と不用意に喋ってしまい、ももは力ずくで真っ二つにしようとする。イワたちは慌てて土下座し、ももに出て行くよう命じられると仕方なく従った。
しばらく外で過ごしたイワたちは、再び家へ戻った。ももが通行証を割ろうとすると、カワは余裕の態度で「それを割ったら、俺たちは死んじゃう。お前、人殺し?」と脅しを掛けた。マメは大量の野菜を盗んで持ち込み、ももは「居ても良いから悪いことはしないで」と告げた。黄表紙を確認した彼女は3匹の妖怪の絵が消えていることを知り、イワたちが本物だと確信した。3匹は勝手な行動を繰り返し、ももは困り果てる。しかしイワとカワが手形を見つけ出そうとした時には、事前に察知して持ち出す狡猾さも見せた。
マメが海美の雨合羽を盗んで来たので、ももはこっそり返そうと考えて陽太の家へ忍び込んだ。しかし陽太と海美が現れたので、ももは慌てて雨合羽を背中に隠した。海美は雨合羽に気付き、見つけてくれたのだと感謝した。海美はももに付いて来たマメの存在に気付き、声を掛けた。マメの姿が見えない陽太は、海美は妙なことを言うことがあるのだと説明した。ももは適当に笑って誤魔化し、マメの腕を引っ張って立ち去った。
翌日、ももは水着姿で堤防へ出向き、飛び込みの練習をしようとする。するとイワが現れ、ももを背後から海へ突き落した。ももが憤慨して海から上がると、カワは盗んだ果物を食べていた。ももは魚でも獲って食べるよう促すが、イワたちは嫌いなのだと言う。ももは食料を見つけるため、イワとカワを山へ連れて行く。ウリ坊を見つけたイワたちは捕まえて食料にしようとするが、親猪が追い掛けて来たので慌てて逃亡した。帰宅したももは缶詰を幾つか用意し、空腹の妖怪たちに与えた。
イワたちはももといく子について空へ報告する任務で来たことを確認し、今回はマメに報告書を書かせようと決める。マメは外へ出掛けて報告書を書こうとするが、まるで筆は進まなかった。ももは海美から、今日は兄と2人しかいないから飛び込みに行こうと誘われた。イワは「ももへ」とだけ書かれた手紙を見つけ、マメが途中で放置した報告書だと誤解した。彼は「もももいく子も元気」と書き、空へ送ることにした。
イワとマメは手紙を封筒に入れ、天井裏で空を送るための踊りを始める。ももが来ると、マメは参加するよう求めた。ももは断るが、マメが泣きそうな顔で粘ったので仕方なく応じた。手紙が浮き上がって消えると、イワは道真公に送ったのだと嘘をついた。ももは死んだ人に手紙を送ることが出来るのだと知り、父に届けたいと告げる。彼女は父の手紙が無くなっていることを知り、イワたちに尋ねる。イワは自分の誤解に気付いたが、何も知らないとシラを切った。ももは必死になって手紙を探し回り、海美との約束を忘れてしまった。ようやく思い出した彼女は急いで橋へ行くが、もう陽太と海美は帰った後だった。
翌朝、テレビでは台風の接近が報じられる中、カワはいく子の手鏡を盗んで自分の姿を眺めた。カワは畑で野菜を盗み、空腹を満たした。ももは妖怪たちが歩き回っているのにいく子が全く気付かない様子なので、見えないのだと悟った。ももは天井裏へ行き、妖怪たちが野菜を盗んでいることを知る。手鏡を見つけた彼女は取り戻そうと留守が、カワが拒んだので奪い合いになる。ももが転倒して手鏡は割れてしまい、物音に気付いたいく子が天井裏へ行く。いく子は妖怪の姿が見えないので、全てももの仕業だと誤解した。ももは妖怪がいるのだと訴えるが、いく子は信じずに平手打ちを浴びせた…。

原案・脚本・監督は沖浦啓之、製作は奥野敏聡&椎名保&大下聡&渡辺香&石川みちる&堀義貴&辰巳隆一&羽雁彰&喜多埜裕明&松木茂&菅野信三&宮迫良己&園崎明夫、制作統括プロデューサーは寺川英和、プロデューサーは松下慶子&向井地基起&野口真梨子&岡田有正、企画は石川光久&池田宏之&渡辺繁&濱名一哉、脚本協力は藤咲淳一&長谷川菜穂子、キャラクターデザインは安藤雅司&沖浦啓之、演出は楠美直子、美術設定は渡部隆&大野広司、車両船舶設定は河口俊夫、作画監督は安藤雅司、副作画監督は井上俊之、美術監督は大野広司、色彩設計・色指定は水田信子、撮影監督は田中宏侍、CG監督は西川和宏、編集は植松淳一、音響監督は若林和弘、音楽は窪田ミナ、音楽プロデューサーは佐々木史朗。
主題歌『ウルワシマホロバ 〜美しき場所〜』 作詞&作曲:原由子、編曲:曽我部淳一&原由子、弦編曲:原由子、歌:原由子。
声の出演は美山加恋、優香、西田敏行、山寺宏一、チョー、坂口芳貞、谷育子、小川剛生、荒川大三郎、藤井晧太、橋本佳月、山本道子、中博史、高橋耕次郎、岡田吉弘、前田義信、福島桂子、山口登、細谷佳正、宮崎寛務、光藤真白、高田始聖、田中綾、藤村天羽、市原将弘、岩崎了、岩崎正寛、小池謙一、田尻浩章、倉富亮、角田雄二郎、武田幸史、島崎信長、藤崎成盛、牛田裕子、藤堂真衣、冨樫かずみ、中嶋佳葉、平尾明香、まつだ志緒理、山根舞、薬丸夏子、米丸歩、吉岡さくら他。


『人狼 JIN-ROH』の沖浦啓之が原案&脚本&監督を務めた作品。
アジア太平洋映画賞最優秀アニメーション映画賞、ニューヨーク国際児童映画祭の長編大賞、フューチャーフィルム映画祭の最高賞など数々の映画賞を受賞した。
ももの声を美山加恋、いく子を優香、イワを西田敏行、カワを山寺宏一、マメをチョー、サチオを坂口芳貞、サエを谷育子、幸市を小川剛生、カズオを荒川大三郎、陽太を藤井晧太、海美を橋本佳月が担当している。

まず、完成までに7年も費やしている時点で、商業映画としては厳しいと言わざるを得ない。スタジオジブリだって完成までに多くの時間を費やす作品は多かったけど、さすがに7年は酷い。
高畑勲監督の『かぐや姫の物語』は8年も掛かっているけど、だからアレも商業映画としては失格だ。しかも、その『かぐや姫の物語』でさえ作画に費やしたのは3年弱なのに、この映画は4年も掛かっているのだ。
それで黒字を出そうと思ったら、どんだけ大ヒットさせなきゃいけないのかと。
っていうか、そんなの絶対に無理だから、どんだけアニメーターは低賃金で働かなきゃいけないのかと。

では中身の批評に入ろう。
ももは序盤、妖怪たちを見て怯えまくっているが、自分の寝室に現れた時にはホウキを振り回して大暴れする。強気な態度で手形を割ろうとしたり、脅して追い払ったりしている。
その前夜、サチオに妖怪と会った時の対処法を尋ねて「怖がらず睨み返せば来なくなる」と助言されているので、それを実践したのだと解釈できないことは無い。
ただ、そうは言っても、あまりにも急激に態度が変わり過ぎじゃないか。そんなに簡単に、強気な態度に変貌できるものかなあと。

ももにだけ妖怪の姿が見えることについて、イワは「空から落ちる時に、誤って頭に当たったから」と言う。
だけど、それは何の説明にもなっちゃいない。そんな無意味な説明なら、もはや理屈なんて何も無くてもいいわ。
しかも、しばらくすると海美にも妖怪が見えていることが判明する。
「幼い子は純粋だから妖怪が見える」ってことにしたかったのかもしれないし、そういうのは良くあるパターンだ。
でも、それをやると「ももにだけ妖怪が見える」という設定がブレるでしょ。それに、「頭に当たったから見えるようになった」という説明も台無しになっちゃうでしょ。

イワたちはももに手形を奪われるとアタフタし、彼女が割ろうとすると土下座して指示に従う。ところが、すぐに家へ舞い戻り、何食わぬ顔で居座る。ももが手形を割ろうとすると、カワは全く動じず「人殺しになるぞ」と威圧する。
その結果、ももが「居てもいいから悪いことはしないで」と折れることになるのだが、だったら妖怪たちがビビる手順なんて要らないでしょ。
だけど、しばらくすると、ももが手形を投げ捨てようとしたのでビビって指示に従うシーンがあったりして、どういうつもりなのかと言いたくなる。
「ももが妖怪たちと暮らすようになる」という手順を消化するために、妖怪の行動の一貫性が無くなっちゃってんのよね。

この映画、無駄に思えるシーンが多すぎる。
じっくり丁寧に物語を描くのは、決して悪いことではない。だけど、上映時間が長すぎると感じるのだ。
120分という尺は、娯楽映画として極端に長いわけではない。ただ、基本的にファミリー映画であることを考えても、そして物語の中身を考えても、出来れば100分以内には収めたいところだ。
ももが部屋で3匹と初めて喋るのが40分ほど経過した辺りだが、この時点で既に時間が掛かり過ぎていると感じる。

ももが黄表紙を見て妖怪たちの話を「本当だ」と信じると、「もも&3匹の交流」を描くダイジェスト処理に入る。
その中では、イワとカワが部屋を探し回るが、手形を持ち出していたももがニヤリと笑うといった様子も描かれる。
しかし、急激に心の距離が縮まっているので、ものすごく慌ただしい展開だという印象を受ける。
「ももと3匹が一緒に暮らす中で少しずつ距離が縮まっていく」という経緯の方が、むしろ丁寧に時間を掛けて描くべきじゃないのかと。

何よりダメなのは、この映画の大きな特徴であり、セールスポイントであるはずの3匹の妖怪に、まるで魅力を感じられないってことだ。
まず見た目からして可愛くないのだが、そこは中身によって充分に取り返せるし、プラスに転じることは可能だ。
見た目がイマイチでも、「話が進むにつれて愛らしく思えるようになる」ということになれば、その醜さも効果的に機能する。
ところが、まだ外見から受けるファースト・インパクトの方がマシだと思えるほど、中身の方が遥かに醜いのだ。

妖怪たちは畑を荒らし、物を盗む。島民の生活に大きな被害を与え、ももに迷惑を掛ける。ももにとっては、厄介事を起こす邪魔な連中でしかない。
一応、「イワ&カワと猪に追われて逃げている間に、ももは笑ったりして元気になっている」といった描写はある。
だけど、妖怪たちがいなくても、きっと島でしばらく過ごしている間に元気に、ももはやがて元気を取り戻すだろう。
ももが父の死後も同じ場所に暮らしているならともかく、「島に移り住む」というトコから話を始めたのなら、元気になる理由は「島の生活」や「島民との交流」にしておけばいいのだ。

妖怪たちには「ももを見守り、空に手紙を送る」という役目があるはずだが、ももを見守っている印象は皆無だ。そこに愛や優しさは全く見えない。
なぜ彼らを単なるトラブルメーカーに造形したのか、理解に苦しむ。そのせいで、存在意義からして疑念を抱いてしまう。
前述したように、ももが元気になる理由は島の生活や島民との交流で成立させられるので、だったら妖怪なんて要らなくないかと。
父との関係については、「実は父の手紙が隠されていて、それが終盤に見つかる」という形にでもすればいい。あるいは、「不思議な現象が何度かあって、それが天国の父からのメッセージだった」ってことにしてもいいだろう。

妖怪の仕掛けが無かったら、ものすごく地味な内容になるし、「ヒロインが島の暮らしで癒やされるだけの話をアニメーションで作る意味はあるのか」ってことにもなってしまう。
だからこそ、妖怪の仕掛けを持ち込んだからには、そこを上手く機能させなきゃダメなのだ。
しかし残念ながら、「ももを導いたり守ったりする」という部分でも、「映画を面白くする」という部分でも、二重の意味で、ほとんど役に立っていないのである。

いく子が悲しみを堪えて気丈に振る舞っていることは、劇中でもチラッと描かれている。彼女に妖怪が見えないことは分かるし、ももが島を出たいという理由で「妖怪が見える」と主張して反抗しているのだと誤解するのも理解できる。
ただ、そういった諸々の事情を考慮したとしても、彼女がももにビンタするのは不快なシーンになっている。
そして、その不快感をもたらしているのも、やはり妖怪なのだ。
3匹がいなければ、ももが母に疑われることも、ビンタされることも無かったわけで。後から妖怪たちがいく子に事情を説明するようなシーンも無いので、そこでのマイナス査定を全くリカバリーできていないし。

終盤の展開は、盛り上げようとか感動させようという狙いがあることは良く分かるが、不可解な描写が目立つせいで完全に空回りしている。
いく子が喘息の発作で苦しむのを見て、ももは台風の中で橋を渡り、医者を呼びに行こうとする。
だけど、喘息の症状は辛いだろうとは思うが、一刻を争うような事態ではない。台風の中で飛び出すももの行動は、下手すりゃ彼女が命を落とす危険性もある。
そこまで無理をしなきゃいけないほど、いく子の状態は切羽詰まっているわけではない。むしろ、ももは周囲に余計な心配を掛けている。

幸市はバイクでももを追い掛けると、家へ連れ帰ろうとする。しかし、ももが強い決意を語り、陽太から助けるよう求められると、ももをバイクの後ろに乗せて橋を渡る。
いやいや、それは違うだろ。
もものために何とか力になってやりたいと思ったのなら、自分だけで医者を呼びに行こうとしろよ。ももをバイクに乗せて医者の元へ向かう必要は無いだろ。
あと、妖怪たちの協力で橋を渡ることは出来ているけど、帰りはどうやって医者を連れて来たのかと。バイクには2人しか乗れないし。

映画の最後は妖怪たちが空へ去り、海へ流した藁船が浜へ戻って来るとカズオからの手紙が乗せられている。それは白紙の状態だが、ももだけには文字が一時的に浮き上がって読めるようになる。
でも、そこは「藁船が戻って来た時、どうやら父の手紙が乗っていた様子」という程度でもいい。父の手紙があることを明示するにしても、内容まで見せる必要は無い。
「がんばったな。お母さんをよろしく頼むぞ 父より」という文面を表示し、ももに読ませるのは不恰好だ。
あと、いく子が「間違いない、お父さんだ」と断言するのは変だよ。最後まで妖怪の存在は認めなかったのに、なんで手紙だけは都合良く信じるのよ。

(観賞日:2017年9月6日)

 

*ポンコツ映画愛護協会