『水霊 ミズチ』:2006、日本

ある夏の日、東京中央新聞の記者である戸隠響子は、取材で老人養護施設の四方平菖蒲園を訪れた。しかし誰の姿も見えず、呼び掛けても返事は無い。中に入るとカラスの群れが飛び出し、床には水溜まりが出来ていた。4号室のドアを開けた響子は、北村という老人の後ろ姿を目撃する。床にハサミが落ちているのを見つけた老人は後、響子は老人の死に気付いて驚いた。紙切れを握り締めており、そこには「みずち」と記されていた。
響子は夫の岡祐一と離婚し、生まれて間もない息子を女手一つで育てている。響子は離婚の原因が何なのか、未だに分かっていなかった。祐一は記憶障害を抱えているが、そのことを響子には話していなかった。響子は大西大学の助教授だった杜川乙一郎が自殺したという連絡を受け、後輩記者の志度浩太郎を伴って通夜に参列した。杜川はホームレスになり、両目を潰して死んでいた。教え子の目黒彩は、彼がホームレスになった理由も自殺の原因も全く分からなかった。
響子は半年前に杜川と会っていたが、その時は何の異変も感じなかった。彩から「半年前と言えば、先生が宮崎に行った頃ですよね。何か水を調べてるって言ってませんでしたっけ?」と問われた響子は当時を思い出し、「死に水とか?」と告げる。彩は杜川の遺品である手帳を見せ、全てのページに「しにみずをのむな」と書かれていることを響子に教えた。手帳には渚由美という女子高生の写真が挟んであり、霊感があって研究の手伝いをしていたことを彩は響子に説明した。
帰りの車で地震があったというラジオニュースを聞いた志度は、響子に「最近、多いですよね。そう言えば、神社で土砂崩れが起きて、遺跡が出たらしいですよ」と告げる。翌朝、響子は迷った挙句、祐一に電話を掛けた。しかし東京都水道局多摩技術センターで研究職に就く祐一は、響子と知って電話に出なかった。志度は編集長の殿村肇から、「あいつに関わるとロクなこと無いぞ。運の無い女だからな」と告げられる。
響子はデータベース課の仲根次郎に協力を要請し、「その先生、どこでその言葉聞いたのかな。何かの隠語かな」と言われて半年前のことを振り返る。響子は宗教団体が起こした事件についてコメントを貰うため、杜川を訪ねた。最近の研究について響子が質問すると、彼は「黄泉比良坂(よもつひらさか)って分かります?イザナギとイザナミの話、ご存じないですか。黄泉の湧く場所が黄泉比良坂なんです」と話した。彼は「その泉の水を飲むと死ぬという噂がありましてね。死の国と繋がっているということでしょう」と言い、古事記の中でイザナミが1日に千人も死ぬような呪いを掛けているのだと説明した。
響子が「それって神話ですよね」と疑問を呈すると、杜川は「土地の人は、水霊と言っていました。あと、死に水とも言っていました」と語った。由美は友人の野田美里が水ばかり飲むのを見て、「大丈夫?」と声を掛ける。「最近、喉が渇いて仕方ないんだよね」と言う美里に、彼女はクラスメイトの矢沢弘美が同じことを言っていたと話す。弘美は授業中に突如として立ち上がり、ペンで目を突き刺して自殺したのだった。その夜、帰宅した美里は恐ろしい幻覚を体験し、割れた鏡の破片で目を突き刺して自害した。
次の日、響子は多摩技術センターを訪れて祐一と会う。祐一は若い同僚の箕浦志保が気になり、場所を変える。響子は水道水で人が発狂したり死んだりする可能性を尋ねるが、祐一は有り得ないと笑い飛ばす。響子は杜川の手帳を見せて「水を媒介にした何かが広がりつつあるんじゃないかな」と言うが、祐一は相手にしなかった。響子が新聞社に戻ると、由美が来ていた。由美は周囲で人が死んでいくこと、杜川が助けてくれていたことを話す。響子の言葉で杜川の死を初めて知った彼女は激しく動揺し、その場から走り去った。
響子は祐一からの連絡で、職員の娘が杜川と同じように死に方をしたと聞かされる。響子が通夜に参列する祐一に同行すると、そこは自分が住むマンションだった。職員の娘というのは美里のことで、志保も来ていた。通夜の後、響子と祐一は野田と話し、彼の妻が「幽霊のような物が見える」と言っていることを聞いた。祐一は響子から調査協力を依頼されるが、冷たく断って去った。立ち止まると背後に志保がいたので、彼は驚いた。
次の日、響子は美里が通う清花高校へ出向き、姉だと詐称して担任の西村望と会う。響子が由美について訊くと、望は昨日から行方不明になっていることを明かした。2人暮らしをしている母親とも、連絡が取れなくなっているらしい。響子が由美の自宅へ行ってチャイムを押すが、応答が無かった。響子が開いていた窓から侵入すると、2階から大きな音がした。響子が階段を上がると、由美は首を吊って自殺しようとしていた。慌てて響子が駆け寄ると、由美の両目には大量の針が突き刺さっていた。
響子は由美を病院に運ぶが、「もう見たくないんです。これ以上、何も」と虚しく笑う。由美は「先生が死んだのに、何も知らなかった。馬鹿ですよ、私。失明するのに、今でも先生だけは見えるんです」と言い、響子の背後を指差した。響子は振り向くが、誰もいなかった。彼女は「どうして死なせてくれなかったんですか」と喚き、自らの首をひねって自殺した。祐一は友人で医師の大村直治に杜川と美里遺体を調べてもらうが、何も異常は見つからなかった。
響子は摂取して死亡する毒物が原因ではなく、呪いではないかと推理する。祐一が相手にしなかったため、響子は自分だけで動くことにした。彼女は仲根にデータを集めてもらい、杜川と同じ死因ではないかと思われる事件が起きた地域を調べる。ネット検索した響子は杜川の言葉を思い出し、湧水が原因ではないかと考える。閉鎖が決まって立ち入り禁止となっている四方平菖蒲園へ赴いた彼女は市役所福祉課の白鳥夏美に質問し、北村が宮崎出身だと知る。さらに響子は、菖蒲園が昔から井戸水であること、近くで土砂崩れがあったので濁るようになったことを聞く。
響子は彩と会い、杜川が地震のデータを調べていたことを知る。データと印の付けられた地図を見た響子は、震源地が四方平(よもひら)地区だと突き止めた。響子は四方平ダムの底から死に水が出たと確信するが、祐一は「どれだけの人がその水を利用してると思ってる?」と否定して激しい苛立ちを示した。祐一と別れた響子は、望が教室から飛び降りて自殺したことをニュースで知った。一方、祐一は窓の外を真っ逆さまに墜落していく志保を目撃し、慌ててセンターを飛び出した。しかし志保の遺体は見つからず、センターに戻ると志保の姿があった。慌てて研究室に戻ると、全てのページに渦巻きを描いたノートが置いてあった。そこへ両目を潰した志保が現れるが、驚いて飛び退くと彼女の姿は消えていた。ペンを見つめた祐一は、自分が渦巻きを描いていたこと、志保が存在していないことに気付く…。

監督・脚本は山本清史、原作は田中啓文(『水霊 ミズチ』角川ホラー文庫刊)、エグゼクティブ・プロデューサーは尾越浩文&渡辺純一&安永義郎、共同エグゼクティブ・プロデューサーは喜多埜裕明&磯田雅克、企画は迫田真司&清水賢治、プロデューサーは棚橋裕之&上木則安&吉田恵&大橋孝史、共同プロデューサーは稗田晋&内山順二、宣伝プロデューサーは叶井俊太郎、撮影は喜久村徳章、照明は才木勝、録音は岩丸恒、美術は井上心平、編集は高橋信之、音楽は和田貴史。
出演は井川遥、渡部篤郎、でんでん、柳ユーレイ、星井七瀬、山崎真実、松尾政寿、入江昌樹、矢沢心、神農幸、泉珠恵(現・和泉ゆか)、鈴木美生、河田義市、金倉浩裕、中原和宏、立野海修、水沢紀美子、下元あきら、吉川貴広、松田直、歌津圭一郎、川連廣明、北村治、岩橋奈都子、土井里美、小島智、三輪ひとみら。


田中啓文の同名小説を基にしたホラー映画。
監督&脚本は『怨霊 劇場版』『日野日出志のザ・ホラー 怪奇劇場 〜第二夜〜』の山本清史。
響子を井川遥、祐一を渡部篤郎、殿村をでんでん、杜川を柳ユーレイ、由美を星井七瀬、美里を山崎真実、志度を松尾政寿、大村を入江昌樹、彩を矢沢心、志保を神農幸、望を泉珠恵(現・和泉ゆか)、弘美を鈴木美生、仲根を金倉浩裕、夏美を三輪ひとみが演じている。

この映画が公開された2006年は、まだJホラーの潮流が続いていた時期だ。
Jホラーの二大看板と言えば『リング』と『呪怨』シリーズになるわけだが、この両方に共通しているのは悪霊が登場することだ。そんな中で差別化を図ろうとしたのか、この映画は幽霊や殺人鬼といった「恐怖を発信する明確な姿の存在」が登場しない内容だ。
この映画における恐怖の対象は「水」であり、非日常の存在ではない。日常生活の中で人々が当たり前に触れている物が、突如として呪いの感染源になるという恐怖を描こうとしているわけだ。
アイデアは悪くないと思うのだが、それを魅力的な要素として表現することには成功していない。

まず序盤から、恐怖の煽り方や映像の見せ方について「違うなあ」「そうじゃないなあ」と感じることが幾つも連続する。
老人ホームに響子が入るとカラスの群れが画面を横切るが、それって恐怖の煽り方として違うんじゃないかと。この映画は「水の呪い」を描く内容であって、それはカラスの関連性って皆無でしょ。
それと、水溜まりが出来ているのは、「水の呪い」を匂わせる前フリのつもりだろうけど、別に「水が無いはずの場所に水溜まりが出来る」という呪いじゃないからね。
そんなトコに水溜まりがあるのは、どういう理屈なのかサッパリ分からんよ。

何よりダメだと思うのは、響子が老人の死体を発見するシーン。
もう「響子が老人の後ろ姿を発見する」というカットの時点で、その老人が死んでいることはバレバレだ。でも、それは別にいい。
問題は、前方に回った響子が老人の死に気付いて驚いた直後のカット。前方から床に倒れ込む老人の様子が写し出されるのだが、それって明らかに間違いでしょ。
だってさ、それだと「老人が死んでいる」ってことが伝わりにくいだけでなく、最も重要な要素であるはずの「老人が自分の両目をハサミで潰して死んでいる」ってことが分からないわけで。
もはや死んでいることは事前に分かっており、「両目をハサミで潰した」ってのを伝えるのが、そのシーンの役割のはずでしょ。

そこが重要なはずなのに、杜川が両目を潰して死んだってことも、会話の中でサラッと触れるだけ。
響子にしてみれば「老人も杜川も同じ方法で自殺している」ってのは衝撃があるはずなのに、なぜか淡々と受け流している。
それと、そもそも「杜川って誰だよ。響子と彼は、どういう関係なんだよ」ってのを全く描かず、いきなり通夜のシーンを描いているのは、手落ちにしか思えない。
会話で「宮崎で死に水について調べていた」ってことに言及するけど、「それに該当するシーンを描いておけよ」と指摘したくなる。

響子が仲根に協力を要請して「死に水は隠語ではないか」と言われた直後、半年前のシーンが挿入されるが、タイミングがおかしい。
その時に響子は杜川から、「死に水」について解説を受けているのだ。特に何も考えず軽く聞き流したのならともかく、ちゃんと会話して自分の意見も述べている。
だったら、「しにみずをのむな」というメッセージを見た時に、そのことを思い出すはずでしょ。
その時は全く思い出す気配さえ無く、仲根の問い掛けでようやく思い出すってのは不可解極まりない。

「半年前に宮崎で死に水を調べて、そこからホームレスになって」という経緯があるので、響子が杜川と会った出来事を描くのは難しいと考えたんだろう。
それは理解できるが、だったら大胆に改変して、その期間を短縮してしまえばいい。私は未読だが、どうやら原作とは全く内容が異なるらしいしね。
例えば、冒頭シーンで響子が杜川に取材し、老人ホームの出来事を挟んでから「杜川が自殺した」という知らせが届く流れにすればいい。
ホームレスになったという設定は、どうせ全く無意味なので削除すればいい。

序盤に祐一が医者の診察を受けるシーンがあり、記憶を失っていく病気を患っていることが示される(詳細は不明だが)。
でも、この要素が本作品において何を意味を持っているのか、それが全く分からないのだ。
どうやら彼が響子と離婚した理由は記憶障害にあるようだが、だから何なのか。少なくとも、「水の呪い」とは何の関係も無い。
そして、それに関係ないのなら、その意味ありげな要素は何のつもりなのかと。彼が記憶障害を持っていようがいまいが、水の呪いが蔓延するという話には全く影響が無いでしょ。

彩は手帳の「しにみずをのむな」という文字を響子に見せた後、「もしかしたら警告かも。他のページも全部一緒だったんです」と言う。響子が手帳をめくると、全てのページに同じ文字が書かれている。
でも、その見せ方だと、「全てのページに同じメッセーじ」ということの不気味さが減退してしまう。
そうではなく、例えば「響子が何気なくページをめくると同じメッセージ。さらにめくっていくと、全てのページに同じ言葉」という見せ方にしないと。
なんで先にネタバレしてから見せるかね。

彩は仲根に協力を要請した後、ネットのヤフー検索で「死に水」の意味を調べる。
だけど死に水の意味ぐらい、新聞記者なら調べなくても知ってるはずだろ。しかも彼女の調査は、それだけで終わってしまうし。
そもそも、その前に渚由美の写真を入手しているのに、なぜ彼女と接触して話を聞こうとしないのか。また、宮崎へ行って調べようとしないのも「新聞記者なら足を使えよ」と言いたくなる。
っていうか根本的な問題として、「そこまで調べたがる理由って何?」という動機が希薄なのよね。
その段階だと、「かつて取材した人が自殺した」というだけでしょ。記者としての好奇心や探究心をくすぐる要素を、どこに見出したのかと。
もちろん「しにみずをのむな」という言葉が気になったってことなんだろうけど、それだけでは弱すぎるのよ。

ただし、それは「順番を間違えているから」ってのも大きく影響している。
響子は杜川の自殺を知った後、最初に取る行動が「死に水」という言葉の意味について調べるというものだ。
だけど、その前に「杜川の周辺を調べる」とか、「杜川の手帳以外の遺品を見せてもらう」とか、それこそ前述したように「由美に会って話を聞く」とか、色々と取るべき行動が思い付くのよ。
杜川が天涯孤独の身じゃなければ家族がいるはずだから、そこに当たることが先じゃないのかと思うし。

喫茶店で2人分の水をガブ飲みした美里が「最近、喉が渇いて仕方ないんだよね」と言うと、由美は「年?」と告げて笑う。美里も笑い、「そうかも、17だもんね」と言う。
ところが由美は「つうかさ、これ」と言い掛けて、急に笑顔が消える。それは自殺した弘美が同じことを言っていたのを思い出したからだ。
だけど弘美は授業中に、目の前で自殺したんでしょ。そいつが同じことを言っていたのなら、美里が水ばかり飲むようになった時点で、深刻に捉えるべきじゃないのか。冗談で笑い飛ばせるようなことじゃないはずだろ。
っていうかさ、そんな出来事があってから間もないはずなのに、よく冗談を言い合って笑える心境になれるもんだな。

美里は帰宅するとシンクの蛇口をひねり、水を飲む。カットが切り替わると、彼女が帰宅してシンクへ向かう様子が描かれる。既に蛇口から水が出てコップに溜まっており、それを飲んでいると電話が鳴る。しかし受話器を取ると、無言で切れてしまう。
水槽を見ると水が無くなっており、美里は金魚を吐き出す。トイレを流そうとすると、タンクは空になっている。頭髪が抜けて悲鳴を上げると、シンクの前に立っている状態に戻る。全て幻覚だったと安堵するが、鏡を見ると頭髪が抜けているので悲鳴を上げる。
この一連のシーン、「水の呪いで幻覚を見た」ってことを描きたいんだろうけど、恐怖よりも「なんか良くよく分からん」という印象が圧倒的に強い。
あと、頭髪が半端に抜けた状態の美里は、もはやギャグにしか見えないし。

「水の呪い」と「目を潰して自害する」という行動の因果関係が、まるで見えて来ない。
一応、「呪われると幻覚に見舞われるので、それを見たくないから目を突き刺すのではないか」という推理は成り立つが、あまり説得力のある答えとは言えない。
そもそも、「なぜ呪いの水を飲んだら幻覚を見るのか」という部分の謎は何も解明されていない。
ホラーにおいて、ある程度の謎を残したまま終わることは、否定されるべきではない。ただ、この映画の場合、何もかも投げっ放しで終わっているという印象なのだ。

死に水が水道水に混入して広まったのなら、同じ地域の人間は全員が呪われないと筋が通らないはずだ。ところが、由美の学校では美里と弘美も含めて3人が自殺したのに、他の面々は無事だ。
っていうか、もはや「自殺者が連続している」という程度では済まず、その地域では次々に死者が出るような状況になっているはず。それにしては、大々的にマスコミが報じている様子も無いし、パニックが起きている様子も無い。
例えば1日や2日で立て続けに死ぬのなら、マスコミが報じる前に全て終わってしまうだろう。
でも、かなりの時間を掛けて呪いが広がっている様子なので、それに見合う状況が見えないのは不自然だ。

響子は四方平ダムの底から呪いの湧き水が出たと確信するが、祐一は否定する。そこまでの2人の配置を考えると、それは当然の対立だ。
ただ、「祐一は科学者として証拠が無いので信じない」ってことなのかと思ったら、「お前そうやって、神話を信じたいだけなんだよ。
いっつもそうなんだよ。苦しいぐらいに信じ込んで。分かってないんだよ、それがどんだけ俺にとって重たいか」と声を荒らげる。
あのさ、そういうのって全く要らないでしょ。夫婦が不和になった原因とか、どうでもいいことの極致だわ。
それが作品のメインとなるドラマに上手く融合していれば何の問題も無いけど、ただ邪魔なだけだよ。
終盤に入ると「感染を知った祐一が鏡子の役に立とうと考え、内緒で大村に遺体の解剖を依頼する」という展開があるけど、それも全くドラマとして機能していないし。

あと、祐一が感染に気付くシーンも(っていうか感染という表現も何となく引っ掛かるモノがあるんだが)、なんかスッキリしないのよね。
彼は早い段階から志保を認識しているが、その幻覚は呪いの現象だったんでしょ。それにしては、彼が喉の渇きを感じているような行動なんて全く無かったわけで。
それと、美里の幻覚は「本人が恐怖を抱く出来事」なのに、祐一は全く違うでしょ。志保の幻覚を見ても、自分の恋人だと思い込んでいるんだから、「もう見たくない」と思って目を潰そうとは思わないでしょ。
そうなると、ますます呪いの水と幻覚の因果関係が分からなくなるぞ。

しかも、「祐一がビデオメッセージを残して死亡するが、解剖しても何も分からない。
響子はミネラルウォーターで生活する」という展開を終盤に用意しており、「呪いの原因は何なのか」「っていうか、そもそも本当に湧き水の呪いなのか」「呪いを解く方法はあるのか」という問題は全て放り出されてしまうのだ。
何しろ、「死に水の人狩りを止める手立ては何も見つからなかった」と響子のモノローグで軽く片付けてしまい、その後は呪いの原因を探ろうとも止めようともしないのだ。
ホラー映画だから謎が残ったまま終わるのはいいけど、もう少し努力しようよ。必死でもがこうよ。簡単に諦めるなよ。

(観賞日:2017年12月22日)

 

*ポンコツ映画愛護協会