『宮澤賢治 その愛』:1996、日本
大正2年6月(1913年)、岩手県立盛岡中学校に通う宮沢賢治が下宿先の静養院に戻ると、妹のトシが友人の石橋キミ子と共に訪ねて来ていた。賢治が4年生の仲間と寮の舎監を吊るし上げたという情報が広まり、父の静次郎が様子を見て来るよう命じたのだ。賢治はトシに、舎監が杓子定規なので排斥運動が自然に起きたのだと説明した。賢治は石川啄木の『一握の砂』を読んでおり、彼の死に触れた。賢治は夜に仲間と岩手山へ登り、朝日を眺めた。
大正3年(1914年)、盛岡中学校を卒業した賢治が花巻駅で汽車を降りると、キミ子が不愛想な男と一緒に現れた。賢治が声を掛けると、彼女は後ろめたそうな表情で汽車に乗り込んだ。賢治が駅を出るとキミ子の母であるトメがいたが、会釈しただけで逃げるように去った。質屋と古着商を営む実家に帰った賢治は、トシや弟の清六たちと久々に再会した。夜、キミ子の父である甲助が店に現れて金を渡し、質草の仏壇を引き取った。賢治は彼がキミ子を売ったと悟り、家まで追い掛けて避難した。すると甲助は百姓の困窮を語り、キミ子が自ら申し出たことを明かした。甲助は苛立った様子で、「アンタらに百姓の気持ちは分からない」と吐き捨てた。
賢治は静次郎から、跡を継ぐために店へ出て商売を覚えるよう告げられた。彼は持病の鼻炎を治療するため、岩手病院に入院させてほしいと頼んだ。入院して手術を受けた賢治は、看護婦の高橋ミネに恋心を抱いた。彼は静次郎と母のイチに、ミネと結婚すると言い出した。彼が一方的に言っているだけでミネは何も知らないと聞き、静次郎は呆れ果てた。店を継がず、月給取りになってミネを養うつもりだと賢治が話すと、静次郎は「結婚なんて早い」と叱責した。
賢治は願教寺を訪れ、島地大等の説法を拝聴した。日蓮宗に傾倒した彼は、浄土真宗を信仰する父に改宗を要求して怒りを買った。質屋の手伝いを命じられた賢治は、儲けを度外視して客に金を渡した。賢治は静次郎に叱られ、イチが「この商売には向いていない」と庇った。トシは父に、賢治が盛岡高等農林学校で冷害を勉強したいと言っていたことを伝えた。賢治は農林学校に通って寮に入り、関豊太郎教授の下で冷害について学んだ。
賢治は日本女子大学に進学したトシと手紙をやり取りし、互いの近況を伝え合った。彼は仲間の保阪嘉内たちと、同人雑誌『あざりあ』を刊行した。保阪は『あざりあ』で発表した詩が教授会で問題視され、アナーキストとして退学処分を受けた。それは百姓の苦しみに対する気持ちを表現した詩に過ぎず、納得できない賢治は関に抗議する。しかし教授会の決定を覆す力は、関には無かった。保阪の親は山梨の地主であり、彼は仲間たちに校歌で送り出してもらった。
大正7年(1918年)の冬、トシが病に倒れた。賢治は母と共に東京大国大学附属病院分院を訪れ、妹を見舞う。トシは肺炎で高熱を出しており、賢治は付きっきりで看病した。2ヶ月ほど経つとトシは回復し、退院して花巻へ戻った。賢治は兵隊検査で医師から「心臓が悪い」と指摘され、第二乙種になった。その落胆を、彼は保阪への手紙に綴った。賢治は法華経を大声で唱えながら町を練り歩き、静次郎を困惑させた。静次郎が心配すると、彼は「頭が狂いそうなんです」と泣き崩れた。
大正10年(1921年)1月23日、賢治は家を出て上野へ行き、国柱会館を訪れた。高知尾智耀から「人は募集していない」と言われた彼は、仕事は自分で探すので指導してほしいと申し入れた。賢治は稲垣家の二階に下宿し、大学前の小さな出版所で苦学生と共に働き始めた。トシは花巻女学校で教師の仕事を始め、心配する手紙を賢治に送った。賢治は両親から届いた金を送り返し、心配した静次郎が尋ねて来た。父はやつれた賢治を温泉旅館へ連れ出し、花巻に新設された農学校で教師になるよう勧めた。
静次郎は質屋と古着商を辞めること、清六に金物商を始めさせることを語り、賢治には学問一筋で生きろと告げた。彼は電報を受け取り、トシの体調が悪化したことを知った。賢治は父から、トシが肺結核を患っていることを聞かされた。彼はトシが療養している下根子の別宅を訪れ、母から話を聞いた。トシは自分が長くないと悟っていたが、賢治は頑張るよう励ました。彼は二階に住み込み、看護婦の細川と共にトシの看病を始めた。
賢治が東京の宿で多くの詩を書いたことを話すと、トシは「兄さんは生きてる内に才能を出さなくちゃ」と告げた。賢治は「童話や小説も書きたいと思ってる」と言い、『注文の多い料理店』という構想中の小説について説明した。結婚することになった次女のシゲは、父に伴われて花嫁衣裳で別宅を訪れた。トシの祝福を受けた彼女は、自分が先に結婚することへの申し訳なさを吐露して泣いた。トシはシゲを見送った直後に容体が悪化し、そのまま息を引き取った。
大正12年(1923年)4月、賢治は花巻農学校で土壌学の教師になった。彼は生徒たちに「まずは開校記念の芝居を上演する」と言い、脚本を執筆した『飢餓陣營』を上演した。生徒と共に賢治も出演し、客席で見ていた高瀬露は拍手を送った。冷害で卒業生が何の手段も立ち尽くす中、自分が月給を取って米の飯を食べていることに賢治は心苦しさを感じた。彼は学校を辞め、田畑を作って実践活動をやると父に宣言した。彼は卒業生と羅須地人協会を設立し、花巻高等女学校の音楽教師である藤原嘉藤治も参加した…。監督は神山征二郎、脚本は新藤兼人、製作は奥山和由、企画は中川好久&田沢連二、プロデューサーは福山正幸&鍋島壽夫、企画協力は宮澤清六&宮澤和樹、プロデューサー補は芳川透、撮影は伊東嘉宏、美術は横山豊、照明は小林芳雄、録音は原田真一、編集は鶴田益一、音楽監督は林哲司、主題歌『夢追いかけて』はカズン。
出演は三上博史、仲代達矢、八千草薫、酒井美紀、牧瀬里穂、前田吟、尾美としのり、上田耕一、安藤一夫、田中実、並木史朗、山口美也子、中原早苗、織本順吉、山本圭、小林滋央、丹野由之、神山兼三、尾羽智加子、広瀬珠実、中原果南、早勢美里、伊藤正次、早川純一、久保晶、浅見小四郎、掛田誠、諏訪圭一、矢田有三、児玉頼信、平林尚三、亀井三郎、小山内一雄、新井今日子、畠山明子、礒春陽、音羽久米子、大塚義隆、酒井一圭、辻輝猛、飯泉征貴、大畑貴裕、有薗芳記ら。
宮澤賢治の生誕100年を記念して製作された伝記映画。
監督の神山征二郎と脚本の新藤兼人は、『ハチ公物語』『ひめゆりの塔』のコンビ。
宮澤賢治の弟である清六と、清六の息子の和樹が、「企画協力」として参加している。
賢治を三上博史、静次郎を仲代達矢、イチを八千草薫、トシを酒井美紀、露を牧瀬里穂、甲助を前田吟、藤原を尾美としのり、高知尾を上田耕一、清六を田中実、トメを山口美也子、島地を織本順吉、関を山本圭、保阪を小林滋央、キミ子を尾羽智加子が演じている。冒頭、「岩手県立盛岡中学校」とテロップが出て、そこから出て来る賢治の姿が映し出される。
では賢治の中学生時代の様子を描くのかと思いきや、すぐに「静養院」と出て、トシと話す手順になる。
中学生の賢治のエピソードを何も描かないのなら、いきなり静養院から話を始めてもいいでしょ。
その後には賢治が岩手山に登る様子がオープニング・クレジットで描かれ、朝日を眺める映像でタイトルを出すが、これも全く要らんよ。朝日を眺める行動が、物語のテーマや方向性に繋がるわけでもないんだし。そしてタイトルが明けると、もう中学校を卒業した賢治が帰郷するシーンに切り替わる。
だったら、もう中学生のパートなんかカットでも良かったでしょうに。卒業した賢治が帰郷するシーンから始めれば良かったでしょうに。
映画が始まった時点で、早くも伝記映画の典型的な失敗パターンに陥っている。
ようするに、主人公の生涯を全て描こうとして、「広く浅く」になってしまうってことだ。
主人公の何を、どのように、どんな切り口から描こうとするのか。ちゃんと焦点を絞らないと、このような無残な仕上がりになるのだ。賢治は甲助の言葉を聞いて、百姓の苦しみを知る。
だったら、そこから「百姓の現状を何とかしたい」と思って勉強したり行動したりする展開に入るのかと思いきや、「入院して看護婦に惚れて」というエピソードになる。
でも、「相手の気持ちも確かめず、勝手に結婚すると言い出す」という愚かさ満点の行為は、どうせ後の展開に繋がらないのでカットでもいい。
それは父に改宗を要求するエピソードも同様。そもそも、なぜ賢治が日蓮宗にハマったのかも良く分からないし。トシは商売のことで賢治が父から説教された時、「農林学校で冷害を学びたいと言っていた」と話す。
でも、そんなことを賢治が口にするシーンは無かった。それだけでなく、賢治が「農業問題の解決に関心を抱いている」と示すための描写も無かった。
前述したミネに惚れる出来事や父に改宗を求める出来事なんて描いている暇があったら、そういうトコに目を向けた方がいいでしょ。
農業問題に関しては、後の展開にも大きく関わって来るんだから。賢治が農林学校に進学しても、もちろん「広く浅く」は変わらない。
妹の手紙がナレーションされる中で、同人雑誌『あざりあ』の刊行が明かされる。でも、賢治が石川啄木の『一握の砂』を読んでいるシーンはあるが、文学への強い興味を示す描写は他に見当たらなかった。
なので『あざりあ』の刊行は、唐突に感じる。仮に詩を読むのが好きだったとしても、それと「自分で詩を書く」「同人雑誌を刊行する」ってのは別の話だし。
さらに、『あざりあ』の刊行が明かされた直後、今度は保阪の退学が描かれる。
でも、まだ保阪は1度しか登場していなかったので、ものすごく性急な展開だと感じる。トシは病に倒れて入院するが、そこから特に大きな展開があるわけでもなく、しばらくすると回復する。
賢治が退院したトシと汽車で花巻へ向かう様子が描かれ、そこからカットが切り替わると「兵隊検査で落ちた」と綴った手紙の文面がモノローグで説明される。
そこから賢治は完全に精神をやられてヤバい行動に走るぐらいなんだし、兵隊検査に落ちたのは彼の人生を変えるような大きな挫折だったはずだ。
それにしては、あまりにも雑な処理だわ。そこから賢治が「家を出なきゃ」と決意するのも、ちょっと良く分からない。
なぜ行き先が上野なのか、なぜ国柱会館なのかってのも同様。国柱会館がどういう場所なのか、賢治にとってどんな意味があるのがサッパリだからね。
しかも、そこから彼が高知尾の指導を受ける様子が描かれるのかというと、それは全く無いのだ。
「賢治が下宿して仕事を始めて貧乏生活で疲弊する」ってのを見せられるだけなので、ますます「なんで上野なのか」ってのが見えなくなる。賢治がトシの看病で別宅に住み込むことを決めると、部屋で鞄を開いて『風野又三郎』や『蜘蛛となめくぢと狸』の原稿を取り出す様子が描かれる。
間借りした下宿で書いたらしいが、そんな様子は無かったので「いつの間に」と言いたくなる。
どういうきっかけで書いたのか、なぜ書いたのかも分からないし。
『蜘蛛となめくじと狸』はともかく、『風の又三郎』なんかは賢治の代表作の1つと言ってもいい重要な小説のはずでしょ。
なのに、それを書くまでの経緯も、書き上げるまでの様子もバッサリって、どういうつもりなのか。賢治がトシに『注文の多い料理店』の構想を語るシーンがあるが、そこから実際に執筆する展開があるかというと、それは無い。
農学校に赴任した彼が教師として働く様子が描かれるのかと思いきや、『飢餓陣營』の上演風景になる。
ここに7分ほど費やして、丁寧に内容を観客にアピールしようとする。
客席には高瀬露と藤原嘉藤治の姿もあるが、何者なのかという説明は無い。
だから終演後にキャラ紹介の手順があるのかと思ったら、そんなモノは無い。芝居のシーンが終わると、「太陽が出ない」と賢治が焦っている様子が映し出される。そして彼は父に苦悩を漏らし、学校を辞めると言い出す。
この時点で「卒業生が云々」と言っており、なんと『飢餓陣營』に参加した生徒たちは既に卒業している設定なのだ。
つまり、賢治が教師として土壌学を教える様子は何も描かず、いきなり「学校を辞める」という展開に至るのだ。
なので、彼の苦悩が充分に伝わって来るとは到底言い難い。
その決断に至るまでの経緯は、何も分からない。賢治が羅須地人協会を設立すると、農業を何も知らない藤原も参加する。いつの間に藤原と仲良くなっていたのかは、全く分からない。
農業を知らない藤原が参加するのは「文化活動もする協会だから」ってことらしいが、そもそも羅須地人協会がどういう団体なのかも全く分からない。
設立のシーンで生徒が「先生は岩手をイーハトーブと言ってる」と語るが、そんなことも初耳だし。
イーハトーブって、賢治を描く上で重要度の高い要素じゃないのか。それにしては、あまりにも雑で軽すぎる処理だ。高瀬露が羅須地人協会の事務所を訪ねて入会を希望すると、賢治は緊張してアタフタした様子を見せる。彼女が畑仕事を手伝いに来ると、逃げ出して隠れる。
では女性が苦手なのかと思いきや、その後で友人の伊藤七雄から妹のチエを紹介された時は普通に接している。しかも、チエと2人きりで散歩に出掛けたり、手を繋いだりしている。
どういうことなのかと。
チエだって露と同じく賢治に惚れているわけで、関係性としては同じはずで。それは賢治のキャラが定まっていないとしか思えない。賢治が露から逃げ出したり帰らせたりという行動を繰り返していると、藤原が「彼女は君を愛してるんだ」と告げる。すると賢治は、自分が欲しいのは詩作と労働だけで性欲は不要だと話す。体が弱いから、性欲までは手が回らないと言い出す。
やせ我慢の下手な言い訳にしか聞こえない。
とは言え、それを徹底するなら別にいいけど、前述したようにチエの時は全く逃げたり遠ざけたりしていないからね。
だからと言ってチエと結婚するわけでもなく、手を繋いで散歩するシーンで関係描写は終わるので、こっちも中途半端なんだけどさ。露が羅須地人協会に入会する時、賢治に『注文の多い料理店』へのサインを求めている。いつの間に賢治は、『注文の多い料理店』を発表していたのか。
あと、彼が存命の頃は、決して売れたわけではなかったはずだよね。でも、その「発表した作品が全く話題にならず、それで生計を立てるほどの稼ぎは生み出せていない」ということに対する賢治の感情が、微塵も見えてこないんだよね。
それに対して苛立ちや焦りを覚えているのか、虚しさがあるのか、あるいは「詩や小説は趣味なので売れるかどうかは気にならない」とでも思っているのか。
何でもいいから気持ちを表現してほしいんだけど、ホントに何も無いんだよね。作家としての宮澤賢治を描きたいのか、農学者としての宮澤賢治を描きたいのか、まるでテーマを絞り込めていない。
作家としての活動や創作への情熱は乏しいので、どちらかと言えば後者に重点を置いているんだろう。
実際、農学者として講義をしたり、畑で作業をしたりする様子は何度も描かれている。
ただ、その中で何か新しい発見をするとか、失敗から学んで改良するとか、挫折から立ち直って成長するとか、そういう変化は全く見えないんだよね。賢治は生前に高い評価を受けたわけではないので、この映画でも「優れた功績を残して亡くなった偉大な人物」としては描かれない。だが、「何かを成し遂げようとして、心半ばで無念にも亡くなった人物」として描かれているわけでもない。
ものすごく辛辣な表現をすると、「なんか色々とやっていたけど、どれも中途半端で結局は何がしたかったのか良く分からないまま死んだ人」みたいな印象になっている。
一応はフォローしておくけど、もちろん実際の宮澤賢治がそういう人だったってことじゃないからね。この映画が焦点を定めなかった結果として、そんな無残な結果になっただけだからね。
「その愛」というサブタイトルの意味も、サッパリ分からないし。(観賞日:2024年4月14日)