『宮本武蔵』:1973、日本

関ヶ原の合戦で豊臣方として戦った新免武蔵は生き残り、弱音を吐く幼馴染の本位田又八を叱咤した。2人は戦場から逃げ出そうとするが、力尽きて眠り込んでしまった。そこへ野盗の朱実が現れ、金品を盗むために武蔵の体を探る。武蔵は目を覚まし、彼女を捕まえた。又八も目を覚まし、朱実は近くで金品を漁っている養母のお甲に向かって叫んだ。徳川方の騎馬武者たちが戦場に来たため、武蔵は身を伏せて死んだ真似をするよう朱実たちに指示した。
作州宮本村で横笛を吹いていたお通は、騒ぎ声を耳にして外へ出た。すると捕縛された武蔵が連行され、村人たちの「疫病神」「人殺し」という罵声を浴びていた。武蔵はお杉に、息子の又八が生きていること、それを伝えるために村へ戻ったことを語る。しかしお杉は武蔵が又八を死なせて自分だけ戻って来たと決め付け、仇討ちを果たそうとする。沢庵和尚は武蔵を千年杉に吊るし、弱るまで雨ざらしにすると告げた。お通の元には、又八がお甲と夫婦になったことを伝える2人からの手紙が届いた。
お通は武蔵の縄を切って解放し、お甲から手紙が届いたことを話して一緒に村を出た。武蔵は一人前の剣士になるため、お通と別れようとする。しかしお通に「私のことが嫌いなのか」と問われると、「好きじゃ」と叫んで抱き上げた。彼は浜辺で強引にお通を抱こうとするが、拒否されると「ワシが悪いのか」と漏らして走り去った。京都。お甲は吉岡道場の門弟である祇園藤次と深い仲になり、お通を二代目当主の吉岡清十郎の女にしようと目論んでいた。又八は酒に溺れて放蕩生活を送り、お甲に愛想を尽かされていた。
清十郎は宮本武蔵と名乗る男が道場破りに来たことを門弟から知らされ、急いで道場へ戻った。しかし武蔵は数名の門弟を死傷させた後、「清十郎が試合に応じるなら出向く」と言い残して立ち去っていた。清十郎は藤次に、武蔵を見つけ出すよう命じた。彼は遊歴に出ている弟の伝七郎を呼び戻すよう門弟から進言され、「道場の主はワシだ」と声を荒らげた。彼は高札を出し、武蔵に決闘を要求した。その高札を見た又八、朱実、お通は、武蔵が自分の知る武蔵ではないかと感じた。
又八はお通に気付き、ヨリを戻そうと持ち掛けた。お通が逃げると、彼は執拗に追い掛けて捕まえる。そこへお杉が通り掛かり、お通を殺そうとする。又八が慌てて妨害している間に、お通は逃亡した。お杉は又八に、「武蔵がお通をたぶらかして駆け落ちしたから、2人を討ちに来た」と話した。武蔵が宿に戻ると、酔っ払った又八が待っていた。又八は再会を喜ぶが、お杉が「武蔵を討て」とうるさいので手ぶらでは帰れないと話す。彼がお通を返してくれと頼むと、武蔵は居場所を知らないと答えた。そこで又八は、お通が武蔵を追って京都に来ていることを教えた。
清十郎は朱実を捕まえて強姦し、阻止しようとした又八はお甲と藤次に暴行を受けて追い出された。朱実が自害を図ると、又八が止める。朱実が「どっか遠い所へ連れてって」と漏らすと、又八は彼女を連れて大阪へ行くことにした。武蔵は決闘の場へ出向き、清十郎の右腕を砕いた。その場を走り去った彼は、佐々木小次郎とすれ違った。小次郎は戸板で運ばれる清十郎を見ると、世間の物笑いになるので歩いて戻るよう促した。
伝七郎が道場に戻ると、叔父の壬生源左衛門は品行を改めて家名を守るよう説いた。伝七郎は武蔵と戦うことを約束し、清十郎が「お前の腕では勝てん」と反対すると笑い飛ばした。伝七郎は門弟の植田良平に武蔵を見つけて果たし状を渡すよう指示し、その夜に三十三間堂で戦うと告げた。彼は藤次を「兄に取り入って吉岡一門を脆弱化させた張本人」と批判し、破門を言い渡した。彼は三十三間堂へ行き、門弟に下がるよう指示した。武蔵は背後から襲い掛かる門弟を斬り、伝七郎を殺して走り去った。
吉岡一門は三度目の果たし合いの場所を一乗寺下り松に決定し、名目人として源左衛門の息子である少年の源次郎を立てた。宿を出た武蔵はお杉に襲われるが、相手にしなかった。彼は倒れ込んだお杉を気遣うが、吹き矢で目を狙われた。武蔵は宿の主人にお杉の面倒を任せ、その場を後にした。橋で待っていたお通が決闘に行かないよう頼むと、彼は「後には引けん。それが剣を取って立った者の定めだ」と話す。武蔵は下り松で真っ先に源次郎を殺害し、次々に門弟を斬りながら走り去った。
武蔵は奈良で宝蔵院流槍術の阿巌を倒し、秩父で鎖鎌の宍戸梅軒を破った。江戸に移動した武蔵は執拗に命を狙うお杉を無視し、柳生流の但馬守に挑もうとする。しかし但馬守の用人である木村助九郎は、「柳生流は私闘を禁じている」と断った。納得できない武蔵が抗議すると、助九郎は「柳生流は天下を治むる兵法であり、相手を倒せば良いという殺生剣とは違う」と述べた。武蔵は研屋の耕介の刀を研ぐよう依頼するが、冷たく拒否された。耕介は「人を斬るだけの刀は研げない」と述べ、武蔵の刀には武士の魂が無いと指摘した。
耕介は細川家家老の岩間角兵衛から預かった刀を武蔵に見せ、「武士の魂と言うにふさわしい」と絶賛した。武蔵が刃こぼれの無さに感心していると、耕介は刀の持ち主が佐々木小次郎だと教えた。角兵衛は藩主の細川忠利に、武芸指南役として小次郎を推挙していた。しかし筆頭家老の長岡佐渡が武蔵を推挙したことから、忠利は彼と臨検するまで仕官の話を預かり置いていた。武蔵と比較されたことで小次郎は腹を立てるが、角兵衛が取り成した。小次郎が忠利に自身の意見を述べていると、武蔵が臨検の場に現れた…。

監督は加藤泰、原作は吉川英治、脚本は野村芳太郎&山下清泉、製作は三嶋与四治、撮影は丸山恵司、美術は森田郷平、録音は平松時夫、照明は三浦礼、編集は大沢しづ、擬斗は足立伶二郎、ナレーターは米倉斉加年、音楽は鏑木創。
出演は高橋英樹、田宮二郎、フランキー堺、倍賞美津子、松坂慶子、笠智衆、細川俊之、佐藤允、浜畑賢吉、仁科明子、有島一郎、任田順好、木村俊恵、石山健二郎、加藤嘉、加藤武、穂積隆信、戸浦六宏、谷村昌彦、汐路章、河野秋武、沼田曜一、遠藤征慈、牧冬吉、明石潮、武藤章生、大前均、石井富子、吉原正皓、加島潤、北竜介、小田草之介、志馬琢哉、高畑喜三、城戸卓、沖秀一、加賀麟太郎、園田健二、川島照満、岡本忠幸、前原久影、真崎竜也、木村賢治、瀧義郎、大杉侃二朗、中田耕二ら。


吉川英治の同名小説を基にした作品。
[第一部・関が原より一条下り松]と[第二部・柳生の里より巌流島]の二部構成になっている。
監督の加藤泰と脚本の野村芳太郎は、『人生劇場 青春篇 愛欲篇 残侠篇』『花と龍 青雲篇 愛憎篇 怒濤篇』に続いてのタッグ。
もう1人の脚本家である山下清泉は、ジェームス三木の本名。この映画だけ本名で参加した理由は不明。
武蔵を高橋英樹、小次郎を田宮二郎、又八をフランキー堺、朱実を倍賞美津子、お通を松坂慶子、沢庵を笠智衆、清十郎を細川俊之、伝七郎を佐藤允、忠利を浜畑賢吉、お光を仁科明子、小林を有島一郎、お杉を任田順好、お甲を木村俊恵、源左衛門を石山健二郎、佐渡を加藤嘉、角兵衛を加藤武、藤次を穂積隆信、梅軒を戸浦六宏が演じている。

この映画の致命的な欠点はハッキリしていて、それは「省略が過ぎる」ってことだ。
冒頭、武蔵が身を伏せて騎馬武者から隠れ、そこからシーンが切り替わると、武蔵が宮本村で捕まっている様子が描かれる。
そういうシーンの繋ぎ方をすると、なぜ武蔵が捕まっているのか、なぜ村人から罵られるのか、そういうのがサッパリ分からないのだ。
尺が足りないのに無理に物語を詰め込もうとして、ワケの分からないダイジェストになるという、典型的な失敗例と言ってもいいだろう。

かつて内田吐夢監督が5部作として描いた話を、この映画は1本の中に全て押し込んでいる。
上映時間は148分だから、長編映画としては長い。しかし内田吐夢監督の5部作では、第4部だけでも128分の上映時間を確保していたのだ。
それぐらいボリュームのある内容を1本でまとめようとしても、無理が出るのは当然だろう。
原作の最初から最後まで描くのは諦めて、最も有名なエピソードである巌流島の戦いに向けた物語だけに絞り込むぐらいの割り切りがあっても良かったんじゃないかと。

又八がお通を捨ててお甲と結婚を決める心情も、お甲が又八に惚れる心情も、まるで分からない。何しろ、結婚に至る経緯も全く描かれていないしね。
一方、お通は又八の許嫁だったはずなのに、最初から武蔵に惚れていたかのように見える。又八から手紙が届いてショックを受けたはずだが、そこからシーンが切り替わると武蔵と一緒に逃亡し、すぐに「私のことが嫌いなのか」と口にするし。
そこから京都に舞台が移ると朱実が「16歳の頃に関ヶ原の戦いがあった」と言っており、どうやら年月が経過した設定のようだ。しかし、年月の経過は全く伝わって来ない。
ちなみに内田吐夢バージョンだと、京都のシーンからは2作目の内容に突入している。

京都のシーンでは「宮本武蔵と名乗る道場破りが云々」と語られるが、そもそも最初は武蔵が「しんめんたけぞう」だったという情報の提示も不充分。
そして、そこから彼が「宮本武蔵」と名乗るようになった経緯も全く分からない。
そこには武蔵の修行期間があったらしいが、それも全く描かれない。
まさか、「内田吐夢バージョンを見ているか、もしくは原作を読んでいることが前提」というハードルを観客に要求しているわけでもあるまいに。そこまで観客の幅を狭くしている作品じゃないはずでしょ。

内田吐夢バージョンでは、お杉が「又八を死なせた」という恨みで武蔵へ仇討ちに燃えて追い回していた。しかし本作品では、京都で早くも又八と再会している。
そのため、「武蔵がお通と駆け落ちした」ということに対する恨みが強く、武蔵とお通の両方を殺そうとしている設定になっている。
又八が京都で武蔵で再会するのも、朱実を連れて大阪へ行くのも、内田吐夢バージョンとは大きく異なる展開だ。
それが大きな改悪だとは思わないが、だからって優れた脚色だとも思わない。そもそも省略が酷すぎて、それどころじゃなくなっている。

武蔵と清十郎の対決が一瞬で終わるのは別にいいのだが、そこに向けた流れを充分に描けているとは言い難いし、タメや余韻も乏しい。
その直後に小次郎が初登場するが、その見せ方も弱い。
伝七郎は初登場した直後、すぐ武蔵との決闘シーンに突入する。
清十郎も伝七郎も、どんな人物なのかを描くための時間は、ほとんど用意されていない。
大半の人物は記号と化しており、そいつらが脆弱な土台の上で駒として動かされているような作品に仕上がっている。

武蔵が伝七郎を殺してカットが切り替わると、もう三度目の果たし合いを示す高い札が出ている。一乗寺下り松の決闘が終わると「休憩」に入り、奈良と秩父での戦いは何の流れも無く決闘シーンだけが描かれる。
そんな扱いで終わるぐらいなら、無理に入れなくてもいいよ。
そんなことより、「勝つために伝七郎を殺した」という行為について、もう少し掘り下げた方が良くないか。
これについて周囲が批判することも無ければ、武蔵の心情を描くことも無いままで「休憩」に入るのは、どう考えても得策じゃないでしょ。

助九郎は武蔵を訪ね、「柳生流は天下を治むる兵法であり、相手を倒せば良いという殺生剣とは違う」と語る。
研屋のシーンでは、耕介が武蔵の刀について「人を斬るだけの刀」「武士の魂が無い」と指摘する。
そういう台詞は武蔵に何か考えさせたり、ドラマを盛り上げたりするために用意されているんだろうと思った。
ところが実際には、まるで有効活用されないのだ。薄皮だけを食い散らかして、さっさと次へ進んでいくのだ。

武蔵は臨検の場に来た時、心ここにあらずと言った様子でボーッとしている。「思う所定まらず」と言い、仕官の話も断る。逃げの達人と評されても全く怒らず、小次郎から立ち合いを要求されても全くやる気を見せない。
何があったのか、どういう心境の変化があったのか、サッパリ分からない。
その直前の武蔵の登場シーンでは、耕介と話したり小次郎の刀を見たりしている。変化の原因として考えられるのは、それぐらいしか無い。
でも、それが武蔵が何を思ったのか、なぜ「心ここにあらず」になったのかは、まるで分からないのよ。

武蔵は崇徳寺で沢庵と再会し、「なぜ人を斬らねばならんのか分からなくなった」と話す。
でも、剣の道を究めるためじゃなかったのか。
今になって、「なぜ人を斬らねばならんのか」ということで迷いが生じているのは、ワケが分からない。
あと、小次郎との立ち合いを拒否した理由については、「恐れて尻込みしたのだろう」と沢庵に指摘されて認めているけど、そんな風には全く見えなかったぞ。後から説明されても、まるで腑に落ちないぞ。

武蔵が沢庵から「剣の道に悟りなどあるはずが無い」などと説教されて頭を垂れているシーンからカットが切り替わると、村に戻って家で寝込んでいるお杉を心配してお通が訪ねて来る様子が描かれる。お杉はお通を殺そうとするが、発作を起こして死ぬ。
尺が足りず、ずっとダイジェスト状態が続く構成なのに、そういう重要性が引く意図しか思えない箇所に10分ぐらい費やして、丁寧に描いている。
で、そこに武蔵が小次郎との決闘に向かったという知らせが届くのだが、なぜ彼が戦う気になったのかはサッパリ分からない。
その経緯を全く描いていないので、唐突な展開にしか感じないのよ。

小次郎がとっくに船島に到着しているのに、武蔵は下関で逗留し、小舟を漕ぐための櫓を作っている。そして彼は大幅に遅刻して、船島に到着する。
だけど、なぜ武蔵が遅れて島に行くのか、その理由もサッパリ分からない。
わざと遅刻して小次郎をイライラさせて、冷静さを失わせようという策略があるわけでもないし。
小次郎は武蔵が遅刻しても全くイライラしていないから、遅刻している意味は全く見えない。
そこに意味を持たせないと、武蔵が遅刻するのは時間にルーズなだけに見えちゃうぞ。

(観賞日:2023年5月15日)

 

*ポンコツ映画愛護協会