『未来の想い出 Last Christmas』:1992、日本

1971年、小学校で「大人になったら何になりたいか」を発表する際、納戸遊子は「凄い漫画家になって、子供たちに夢を与えたいと思うんです」と語った。1981年、5月8日。遊子が漫画を完成させた後、短い地震があった。彼女は漫画を持ち込むため電車に乗るが、地震の影響で運行がストップした。小学館に到着した彼女は、持ち込みを終えて帰る漫画家志望のシマヤマヒカルと遭遇した。遊子の漫画を読んだ編集長の宇留沢等は「力作だ」と評した上で、似た漫画が先に持ち込まれたことを話す。それがシマヤマの漫画だった。
シマヤマは連載を持って人気漫画家となり、遊子は彼女のサイン会を羨ましそうに眺めた。遊子は編集者の町田から誘われ、彼の部屋で一緒に酒を飲んだ。町田は大人向けの恋愛漫画を描くよう促すが、彼女は「私には無理です」と言う。町田が強引に体を求めて来たので、遊子は思い切り投げ飛ばした。1991年、12月24日。街を歩いていた遊子は占い師の金江銀子に「見てあげるよ」と声を掛けられた。一度は断って立ち去った遊子だが、すぐに彼女の元へ戻った。
銀子は遊子に、自分の過去を語った。1981年、OLの彼女は同僚の井戸口と共に、飲み会に参加した。男性陣は服飾メーカーのデザイナーをしている倉美タキオ、証券会社勤務の杉田行男の2人だった。銀子は倉美に好意を抱き、「良かったら一緒に帰りませんか」と誘った。倉美が「遠いんだよ、それに金無いしさ」と言うと、井戸口が「途中で落としてあげますよ。会社のチケット持ってるし」と告げた。2人が去った後、銀子は杉田に誘われて同じタクシーに乗り、積極的に口説かれた。銀子は杉田と結婚し、仕事を辞めて家庭に入った。しかし杉田は横暴で高圧的な男で、銀子に何の自由も与えようとしなかった。
銀子は身の上話を終えると、遊子に「貴方より私の方が不幸でしょ?」と言う。彼女は名刺を渡し、離婚を考えていることを語った。遊子も銀子に名刺を渡し、彼女と別れた。翌日、遊子は出版社のゴルフコンペに参加した。ホールインワンを出した直後、その場に倒れた遊子は絶命した。彼女の葬儀に参列した帰り、銀子は夜空を見上げた。すると上空から、青く光る不思議な立方体が降って来た。
目を覚ました遊子は、すぐに異変を感じた。目の前には1981年に完成させた漫画があり、しばらくすると地震が起きた。新聞を確認した彼女は、1981年5月8日の朝だと知った。遊子は電車ではなくタクシーを使い、シマヤマより先に小学館へ到着した。宇留沢は出来栄えを称賛し、「連載できると思うよ」と告げた。しかしシマヤマが持ち込みに来た後、宇留沢は遊子を追って「さっきの連載の話は無かったことにしてくれないか」と告げた。先に持ち込んでも結果は変わらないのだと、遊子は落胆した。
遊子は銀子のことを思い出し、杉田家に電話を掛けた。すると杉田は銀子と結婚しておらず、独身のままだった。町田から部屋に誘われた遊子は、即座に断った。喫茶店でお茶をすることになり、町田は会話の中で「どんな作品がヒットするか分からないしなあ」と口にした。その言葉を聞いた遊子は、後に発表されるはずのグルメ漫画を模倣することにした。持ち込んだ漫画は宇留沢に絶賛され、すぐに連載が決定した。遊子はグルメ漫画『食いしんぼ』で人気漫画家となり、多くのアシスタントも使うほどになった。
遊子が仕事をしていると、「お前の漫画は人の真似ばかりだ。このことを知っているのは私だけだ」という脅迫状が届いた。脅迫状の要求に従い、彼女は有り金をアタッシェケースに詰めて指定の場所に赴いた。すると、そこに現れたのは銀子だった。銀子は遊子に、葬儀の直後に死んだこと、目を覚ますと10年後の世界にいたことを語った。銀子は飲み会での行動を変え、倉美と一緒に帰った。しかし倉美の部屋にいると女性の訪問者が来たので、銀子は慌てて窓から逃げ出した。
銀子は競馬で大金を手に入れ、株の世界でも大儲けした。彼女は経営コンサルタント会社を設立し、経済界の有名人になっていた。遊子は本来なら『食いしんぼ』を描くはずだった女性と遭遇し、罪の意識に苛まれた。銀子が「誰かのためには誰かが犠牲になるのよ」と言うと、遊子は「でも私は『食いしんぼ』を描きたかったわけじゃないのよ」と告げる。銀子は「私たちがこんな境遇を選んだわけじゃないのよ。楽しまなきゃ損よ」と述べた。
1986年、銀子と一緒に競馬場へ出掛けた遊子は、1点買いを当てた夏木寿也という青年が自分と同じ境遇の人間ではないかと感じた。遊子が声を掛けると、夏木は「結果が分かっている競馬なんて」と口にした。遊子が去ろうとすると、彼は「貴方とは、また必ず会います」と告げた。遊子の元を倉美が訪れ、「あの時に来たのは妹だ」と告げた。遊子は水道工事の現場で働く夏木の姿を目撃した。夏木のことを調べた遊子は彼の家に行き、狂言に打ち込んでいることを知った。遊子が「ホントは先のことが分かるわけじゃないのね?」と尋ねると、夏木は「そうです。でも貴方と必ず会いますと言ったのは、貴方と会いたかったからです」と告げた。
1990年、経済のスペシャリストとして多忙な日々を過ごす銀子は、講演会を開いた。ナイフを持った男が襲い掛かるが、遊子が助けに入ったので銀子は軽傷で済んだ。病室へ見舞いに来た倉美は、「もう危険な世界に首を突っ込むな。俺に付いて来れば一生面倒見るよ」とプロポーズした。遊子は夏木から「来年は一緒に京都を旅行しよう」と誘われ、暗い顔になった。漫画大賞受賞パーティーに出席した彼女は、同業者の田代フミ子たちから「時代を先読みしている」と褒められて複雑な表情を浮かべた。
パーティー会場から帰る車中で、遊子は夏木からの電話を受けた。夏木が「成田に行く。これからフランスへ行く。来年の1月までは帰らない」と話したので、遊子は激しいショックを受けた。遊子は銀子に、「死んで10年前に戻ったら、今度は好きな漫画を描く」と語る。銀子が「私はどんなことをしても倉美を一流のデザイナーにする」と言うと、遊子は「私はもっと早く寿也に会いたい」と述べた。その時に備えて、2人は1981年から1991年までの大きな出来事や流行を勉強した。そして2人は、10年前に戻ったら大晦日の9時に会う約束を交わした。1991年のクリスマスが訪れ、遊子はゴルフコンペで、銀子は葬儀の帰りに死んだ。そして目を覚ますと、また2人は1981年に戻っていた。前回の経験を踏まえ、2人は別の行動を取って人生を変えていく…。

監督は森田芳光、原作は藤子・F・不二雄、脚本は森田芳光、製作は鈴木光、プロデューサーは青木勝彦&三沢和子&藤田光世、撮影は前田米造、照明は矢部一男、美術は今村力&岡村匡一、録音は小野寺修、編集は川島章正、助監督は杉山泰一&篠原哲雄、漫画作画指導は香川祐美&谷沢直&西田真保(藤子プロ)&添田恵美子(藤子プロ)、狂言監修は和泉元秀、特撮撮影 スーパーバイザーは宮重道久、特撮撮影 演出は樋口真嗣、音楽は加古隆、音楽監督は大谷幸、主題歌はラスト・クリスマス ワム!(George Michael)、音楽プロデューサーは長崎行男、音楽監修は森本八十雄。
出演は工藤静香、清水美砂、橋爪功、デビィット伊東(デビット伊東)、和泉元彌、宮川一朗太、うじきつよし、唐沢寿明、眞行寺君枝、イッセー尾形、鈴木京香、伊藤克信、蛭子能収、関口誠人、金田明夫、赤塚不二夫、石ノ森章太郎、コンタロウ、さいとうたかお、つのだじろう、永井豪、藤子不二雄A、渡辺いっけい、伊東夕佳、佐藤恒治、中川比佐子、土居壮、松本光代(現・太田光代)、蟷螂襲、池田薫、まのん、田中亮太郎、須川弥香、一輝、斉藤勉、高登美帆子、松田朗、小久保丈二、高野敦子、野村俊介、藤森ルリ子、白石美樹、服部富士子、久保恵津子、浦野眞彦、丸山郁子、村上淳、RUIKO、長岡毅、横田みゆき、小谷徹、東野光展、杉原貴志、川向圭一、神蔵陽ら。


藤子・F・不二雄の漫画『未来の想い出』を基にした作品。
監督&脚本は『キッチン』『おいしい結婚』の森田芳光。
銀子を工藤静香、遊子を清水美砂、宇留沢を橋爪功、倉美をデビット伊東(本作品では「デビィット伊東」表記)、夏木を和泉元彌、杉田を宮川一朗太、町田をうじきつよしが演じている。銀子を襲う男役で唐沢寿明、フミ子役で眞行寺君枝、銀子に株式運用を任せる男の役でイッセー尾形、シマヤマ役で鈴木京香が出演している。
ゴルフコンペの客として伊藤克信、漫画大賞受賞パーティーの漫画家として蛭子能収と金田明夫、銀子に占ってもらうカップルの男として関口誠人が出演している。パーティーのシーンには、赤塚不二夫、石ノ森章太郎、コンタロウ、さいとうたかお、つのだじろう、永井豪、藤子不二雄Aも参加している。
新聞の勧誘員役で渡辺いっけい、井戸口役で結婚前の太田光代(当時は松本光代)が出演している。また、アンクレジットだが、藤子・F・不二雄も占い師の役で1シーンだけ登場している。

冒頭シーンは1971年で、小学生の遊子が「凄い漫画家になって、子供たちに夢を与えたいと思うんです」と語っている。
それを描いてから1981年に入るのは、「幼い頃から漫画家を目指していたが、その夢は叶えられていない」ってことを示したかったのかもしれない。
しかし、1971年のシーンを入れる必要性はサッパリ分からない。後で遊子が「子供に夢を与えたいと思っていた小学生時代の気持ち」を思い出し、それが行動に繋がるというわけでもないんだし。また、1971年に戻ることも無いんだから、そのシーンの意味は全く無いよ。
1981年のシーンから入っても、何の支障も無い。

序盤、漫画を持ち込んだ遊子は宇留沢から「力作だけど、似た作品を先に持ち込んだ人間がいる」と告げられる。
だが、次のシーンでは人気漫画家とてサイン会を開いているシマヤマを遊子が見つめている様子が描かれるので、「もう人気漫画家だったら、今さら持ち込みなんてするのは変だろ」と感じる。
で、遊子が再び1981年を繰り返す手順に入ったところで、「遊子より先に漫画を持ち込んたシマヤマが、その作品で人気漫画家になってサイン会を開いた」ということなのだと分かった。つまり、時間経過があるのだ。
ワシがボンクラで理解力が低いだけかもしれないが、そのように「時間経過が分かりにくい」という箇所は、その後も何度か訪れる。

遊子が漫画を持ち込むシーンには、それ以外でも違和感を禁じ得ないポイントがある。
彼女が描いている漫画が最初に写るが、明らかに低学年の子供向けだ。例えば『コロコロコミック』なんかに連載するような漫画である。
ところが、似たような作品を持ち込んで連載を持ったシラヤマの『明日見る星子』は、どう見ても少女漫画なのだ。
その2つが似た内容という部分は置いておくとしても、同じ編集部に持ち込んでいるのは変だろ。宇留沢が編集長をやっているのは、どういう雑誌なんだよ。

そもそも、遊子が低年齢層の子供向けの漫画を描いているという設定自体に、大きな違和感を覚えるのよ。
そりゃあ、そういう漫画を描く若い女性が皆無だとは言わないけど、やはり少女漫画を描いている設定の方が受け入れやすいことは確かだろう。
この辺りは、原作からの中途半端な改変が邪魔になっている。
原作の主人公は藤子・F・不二雄がモデルなので、低年齢層の子供向け漫画を描いていても全く問題は無いんだろうけど、そのポジションを清水美砂に演じさせたのに、児童向け漫画を描いている設定は使ってしまったもんだから、変なことになっているのだ。

1991年12月24日のシーンになると銀子が登場するが、違和感しか無い。
ヒロインを2人配置するなら、まず最初の段階で2人とも登場させ、それぞれの物語を並行して描くべきだ。1991年になってから銀子を登場させ、回想によって1981年からの彼女の経験を描くってのは、ものすごく不細工な構成だ。
あと、一度は立ち去った遊子が戻ると、銀子が帽子と眼鏡を外してポーズを決めるのだが、ありゃ何なのか。
「帽子と眼鏡を外したら、遊子が知っている人物だった」ということなら何とか受け入れようかと思ったが、そうじゃないし。

銀子は「見てあげようか」と言い、遊子が「悪いこと言われたら怖いから」と断っても「そしたら、そんなはずは無いと考えればいいの。運命なんて自分で切り開くものよ」と述べるのは、すんげえ不自然。
なぜ遊子に対してのみ、そこまで積極的に自らアプローチするのか。
これが「遊子を導く天使」とか、その手のキャラクターだったら別にいいのよ。でも、そうじゃなくて、ダブル・ヒロインの片割れだぜ。自分の過去を語るってのも行動として変だし。
っていうか、「見てあげようか」と言っておいて、なんで初対面の相手にテメエの過去を語ってるんだよ。それは占いじゃないだろ。
そこで2人が意気投合するってのも、あまりにも話として無理がありすぎる。

銀子の回想シーンにも色々と不満はあって、まず彼女がカラオケを歌っている様子が写るのだが、その状況がボンヤリしている。
最初は同僚4人の飲み会なのかと思ったら、倉美は服飾デザイナーで杉田は証券会社勤務ってことが後になって分かる。
それが分かった段階で、振り返って「あれはコンパか何かだったのかな」と想像することになるんだが、そんな手間を観客に強いるなよ。
しかも、銀子が以前から倉美に惚れていたのか、そのコンパで倉美を気に入ったのか、その辺りも良く分からんし。

銀子は「杉田と結婚したら横暴で高圧的だった」ってことを不幸だと愚痴っているけど、そもそもコンパの帰りに口説かれて簡単に結婚している時点で、あまり同情心が沸かない。
相手に好意を抱いていたなら「裏切られた」ということになるかもしれないけど、最初から杉田に対しては嫌な気持ちしか抱いていなかったはずなのに、なぜか結婚しちゃってるんだし。
「お目当ての倉美を同僚に取られたから」というのも、何の言い訳にもならんし。

1991年の時点で、遊子が漫画家としてどういう状態にあるのかが、サッパリ分からない。
「ホステス代わりとして出版社のゴルフコンペに出て顔を売る」と言っているし、銀子が声を掛けた時も暗い表情なので、人気漫画家になっていないことは分かる。ただ、出版社のコンペに出席できるってことは、一応は「プロの漫画家」としてデビューは果たしているのか。もう1981年から数えても10年が経過しているわけで、そこまで頑張ってもデビューできなかったら、普通は諦めて別の仕事に就くだろうし。
でも、その辺りがボンヤリしているんだよな。
それと、もしデビューできていない、もしくはデビューしても漫画だけでは食べていけないとすれば、他の仕事をやっているはずだけど、そういうことにも全く触れないんだよな。
その辺りは、すんげえ雑に感じてしまう。

遊子がホールインワンを出して死ぬシーンをシリアスに描いているけど、安っぽい喜劇にしか思えんぞ。しかも笑えない喜劇ね。
しかも、「ホールインワンを出したことに驚いてショック死」ってわけじゃなく、ボールがカップに入る前にフラッと倒れ込んでいるので、何が理由で絶命したのかもサッパリだ。
で、彼女の葬儀には銀子も来ているが、昨晩に出会ったばかりで葬儀にも来るのかよ。それは違和感が強いぞ。
で、葬儀の帰りに上空から青い立方体が降って来るのを彼女は見るんだけど、ありゃ何なのか。
しかも、後になって「葬儀の帰りに死んだ」と言ってるから、それが原因で死んだってことだよな。でも、何がどうなって死んだのかサッパリ分からんぞ。

それと、銀子が上空から落ちて来る青い立方体を目撃した後、シーンが切り替わると遊子が1981年の仕事場で目を覚ます様子になるけど、どう考えたって構成がおかしいでしょ。
普通に考えれば、「遊子が死亡し、目を覚ますと1981年に」という繋げ方にすべきでしょ。
そこを普通に進めず、銀子が立方体を目撃するシーンを挟むことで何かメリットがあるのかというと、何も無い。
でも、後から「彼女も死んで1981年に戻った」ということが明らかになるので、その前振りとして、立方体を目撃するシーンを入れておかなきゃいけないという段取りがあるわけだ。でも、すんげえ邪魔。

そもそも、なぜヒロインを2人にしたのか、まるで解せない。
それはドラマに厚みを生じさせることに繋がっておらず、ただ単に焦点をボンヤリさせているだけだ。
「女性2人の友情ドラマを描きたい」という目論見があったのかもしれないが、っていうか確実にそうだと思うが、それも失敗しているし。
前述したように「2人が知り合って意気投合する」というシーンの段階からして既にギクシャクしており、その後の展開においても友情を育むようなドラマなんて皆無に等しい。それぞれが別々に行動している時間帯が大半だ。

1981年に戻った遊子は、グルメ漫画『食いしんぼ』で連載が決定する。
しかし、最初に遊子が持ち込んだのは児童漫画で、彼女に先んじた持ち込みで人気漫画家になったシラヤマが描くのは少女漫画。そして『食いしんぼ』はグルメ漫画。
繰り返しになるけど、宇留沢が編集長をしているのって、どういうジャンルの漫画雑誌なのよ。何でも有りなのか。
それと、最初に遊子が「後のヒット作」としてイメージしたグルメ漫画の絵は明らかに『美味しんぼ』であり、盗んだ漫画のタイトルも『食いしんぼ』なので、「本来なら『食いしんぼ』を描くはずだった人」として若い女性が登場すると、すんげえ違和感があるぞ(『美味しんぼ』の作者は原作が雁屋哲、作画は花咲アキラ)。

遊子が『食いしんぼ』で人気漫画家になった後、文字を切り貼りした差出人不明の脅迫状が届くのだが、その犯人は銀子で、彼女と会うことが目的だ。
しかし、わざわざ手間を掛けて脅迫状を作り、有り金を持って来いと要求して呼び出す意味がサッパリ分からない。
普通に電話を掛けるなりして、連絡を取ればいいだけだろうに。
色んなトコで雑に話を作っているくせに、そんな無意味な部分だけは変な小細工をして手間を掛けちゃってるんだよな。

「死んで1981年に戻った遊子と銀子が、前回とは別の行動を取ることで大成功する」という部分が、まるでグラマラスに表現できていない。
遊子はグルメ漫画で連載が決定するが、シーンが切り替わると大勢のアシスタントを使って仕事をしている様子が写るだけ。シラヤマのようにサイン会を開いて大勢のファンが列を作るとか、取材を受けるとか、単行本が飛ぶように売れる様子が描かれるとか、そういう描写は無い。
それ以降も売れ続けているはずだが、やはり「人気も稼ぎも上昇する一方」という印象を与える描写は皆無に等しい。
漫画大賞の受賞パーティーのシーンはあるが、焼け石に水。っていうか、そこは「大勢の有名漫画家をゲスト出演させる」という目的のためだけに用意されているようなシーンだし。

銀子の方も同様で、競馬で儲けるシーンが1つ描かれた後、どうやら株で成功したらしいと感じさせる雑誌の記事がチラッと画面に出て、次にイッセー尾形が演じる謎の男が複数の変装をして彼女に金を渡すシーンが3つ連なる。
それだけで「銀子が経営コンサルタントとして大成功した」ってのを感じ取るのは、かなり難しいぞ。
それ以降も講演会のシーンが2つある程度で、やはり「銀子が人気も稼ぎも上昇する一方」という印象を与える描写は乏しい。
だから遊子にしろ銀子にしろ、1度目の人生とのギャップが弱くなっている。

それと、遊子に関しては、最初の「シラヤマより先に漫画を持ち込んだのに連載を取られる」というシーンは「それでも結果が同じなら盗作しかない」と考え、後のヒット漫画をパクるという行動に繋がって行く。
だが、銀子の「倉美と一緒に帰って彼の部屋にお邪魔したが、女性が来たので窓から逃げ出す」というシーンは何の意味があるのかサッパリ分からない。
それと、競馬や株で成功する展開にしても、そもそも銀子は1度目の人生で「経済界で成功する」ってのを目指していたわけじゃないのよね。
「倉美と親しくなりたかった」ってのが1度目の人生における彼女の後悔のはずだから、そっちを中心に据えて物語を構築すべきじゃないかと。

何年も経過してから倉美が銀子の所へ来て「あの時に来たのは妹だった」と言うけど、今さらかよ、と思うぞ。
もっと早く釈明する機会は幾らでもあっただろうに、なぜ何年も経ってから昔のことを持ち出すのか。
一方の銀子も、倉美が来るまで彼のことなんて完全に忘れているし。一応は銀子と倉美の恋愛劇も描いているけど、すんげえ雑で薄っぺらいぞ。
そんな風に諸々を考えてみると、改めて「やっぱり銀子は要らないなあ」と感じるぞ。

銀子だけでなく、遊子にも恋愛要素が用意されているが、こちらも負けず劣らずのグダグダっぷりだ。
どうやったのかは知らないが、遊子は工事現場で夏木を見掛けた後、彼のことを調べて自宅まで押し掛ける。すると夏木は狂言をやっていて、遊子は「競馬で一人ぼっちで馬券を当てたり、水道工事の仕事をしてたり、狂言をやってたり、どこがどう結び付くか私にはサッパリ分からないわ」と言うのだが、こっちが言いたい台詞だわ。
なんで狂言師が水道工事の仕事なんかやってるんだよ。
例えば「人生経験を積みたいから、あえて肉体労働をやっている」とか、それなりの説明があるのかと思ったら、何も説明しないままだから、ホントにワケが分からんぞ。
しかも、和泉元彌だから狂言をやっている設定にしてあるのは分かるけど、夏木の狂言師という職業設定は全く意味が無いモノになっているし。

藤子・F・不二雄の漫画が原作だと前述したが、その内容は大幅に改変されており、ほぼ別物になっている。そして、とにかく原作からの改変が、ことごとく改悪になっている。
原作は「落ち目の漫画家が同じ人生を繰り返していることに気付き、死んでしまった最愛の人を救うために奮闘する」という話だったのに、まず主人公を女性に変えていることが失敗。
「男が最愛の女を救うために」ってのと、「女が最愛の男を救うために」ってのは、かなり印象が変わって来る。
しかも、漫画ではイケメンには程遠い風貌だった主人公が、映画では美人の部類に入る女性に変わっているわけで。

遊子にしろ、銀子にしろ、「誰かを救うため」という動機で運命に立ち向かおうとすることは、一度も無い。
2度目の人生でも、3度目の人生でも、過去の経験を踏まえて成功し、金も名誉も地位も手に入れる。
そうやって人生を満喫した連中が、1991年が訪れて「もうすぐ死ぬから怖い」という気持ちになっても、何の同情心も沸かないよ。
で、自分が幸せになることしか考えていないような連中が、最終的に「運命の死」を回避してハッピーなまま終わっちゃうんだから、どこに共感すりゃいいのかと。

一億歩譲って、数多くの改変部分を受け入れるとしても(ようするに受け入れる気なんて全く無いんだけど)、「愛する人を不幸な死から救うために頑張る」という部分だけは、絶対に残すべきでしょうに。
終盤、遊子は12月24日にフランスから戻る夏木が乗った飛行機が墜落することに気付き、電話が掛かって来たので「その飛行機は墜落するから乗らないで」と頼んだり、成田のコントロール室に乗り込もうと試みたりするけど、そういうことじゃないのよ。
「前回の人生で愛する人が死んでいるので、次に人生を繰り返す際、それを回避するために奔走する」という話を構築すべきじゃないかってことよ。

「愛する人を救うため、10年後に戻ってからの必死になって奔走する」という部分を削り落として、原作と全く別物に作り変える意味が分からん。
それなら、もはや藤子・F・不二雄の漫画を原作として使う必要性が無いんじゃないかと言いたくなる。
「過去に戻って人生をやり直す」というアイデア自体は、その漫画がオリジナルってわけじゃなくて、様々な作品で使われているんだし。
藤子・F・不二雄は「企画」として表記されるだけでなく出演もしているぐらいだから、映画版の中身に納得していたのかもしれないけど、「これでホントにいいんですか」と問いたいわ。

(観賞日:2014年12月24日)

 

*ポンコツ映画愛護協会