『未来のミライ』:2018、日本
4歳のくんちゃんは、自宅でおかあさんの帰りを待っていた。電話を受けたばあばが「これから帰ってくるって」と伝えると、くんちゃんは喜んで犬の真似をした。赤ちゃんは清潔な部屋が好きなので片付けるようばあばが言うと、くんちゃんは快諾した。おとうさんは建築家で、自宅も彼が設計していた。ばあばは他の部屋を掃除しながら、飼い犬のゆっこに「変な家だねえ」と話し掛けた。ばあばが1階に戻ると、くんちゃんのいた部屋は先程よりも散らかっていた。
ばあばはくんちゃんにゆっこと遊びよう促して中庭へ行かせ、急いで部屋を片付けることにした。くんちゃんは雪が降って来たのを見上げ、「不思議」と呟いた。おかあさんがおとうさんの運転する車で帰宅すると、くんちゃんは慌てて玄関に出た。くんちゃんはおかあさんに「寂しかったよ」と言って抱き付き、赤ちゃんに視線を向けた。くんちゃんはおかあさんに頼んで赤ちゃんを見せてもらい、おとうさんは「くんちゃんの妹だよ」と告げた。
くんちゃんが赤ちゃんをじっと見つめていると、おかあさんは「これから仲良くしてあげてね。何かあったら守ってあげてね」と頼んだ。くんちゃんはおとうさんから赤ちゃんの名前は何がいいか問われて、「のぞみ」「つばめ」と新幹線の名を挙げた。ばあばはくんちゃんと赤ちゃんに別れの挨拶をして、家を後にした。翌日、おとうさんは朝から朝食を用意したり、掃除をしたりと忙しく働いた。くんちゃんはおかあさんに牛乳やバナナを要求し、おとうさんが渡しても嫌がった。おかあさんが赤ちゃんの世話に没頭しているので、くんちゃんは激しく苛立った。
おとうさんは会社を辞めてフリーになったばかりで、今後は家事を全て担当することにしていた。出版社で働くおかあさんは育休を取っていたが、お世話になった先輩が産休に入るので早めに復帰することを決めていた。おとうさんが近所の主婦の前で「優しい父」での顔をすることに対し、おかあさんは冷静な口調で「見透かされてるんだよ」と指摘した。おかあさんはおとうさんに、「カッコだけじゃなくて、ちゃんとやってもらわないと絶対に回らないよ」と苦言を呈した。
くんちゃんは赤ちゃんに絵本を読み、自分の好きな列車の模型をベビーベッドの中に並べる。気付いたおかあさんは、昼寝の邪魔をしないよう注意した。おとうさんはおかあさんの指示を受けて、苦労しながら赤ちゃんにミルクを与える。くんちゃんは両親に話し掛けるが、赤ちゃんの世話に懸命な2人に無視されたので腹を立てた。くんちゃんは両親の目を盗み、赤ちゃんの耳や頬を引っ張って鼻を強く押した。赤ちゃんが泣き出したのでおかあさんが駆け付け、「仲良くするって言ったじゃない」とくんちゃんを注意した。
おかあさんが赤ちゃんを大事にするよう頼むと、くんちゃんは「出来ない」と激しく拒絶した。彼は列車の模型を手に取り、赤ちゃんの頭を殴り付けた。おかあさんは彼を突き飛ばし、赤ちゃんを抱き上げた。おかあさんは赤ちゃんをおとうさんに預け、泣き出したくんちゃんを「お兄ちゃんでしょ」と諭す。するとくんちゃんは、「オニババ」とおかあさんを罵った。くんちゃんはおとうさんに歩み寄り、助けを求めた。しかし、おとうさんは赤ちゃんの世話で精一杯になっており、くんちゃんに構ってくれなかった。
くんちゃんが中庭に出て泣き続けていると、周囲の景色が一変して見知らぬ男が現れた。男は「今の貴方の気持ちを当ててみましょうか。ズバリ、嫉妬です」と言い、くんちゃんの行動理由や心情を詳しく説明した。くんちゃんが誰なのか尋ねると、男は「王子様ですよ。この家の、貴方が産まれる前のね」と答えた。彼は跪くよう要求すると、くんちゃんは素直に従った。男はおとうさんとおかあさんが自分を大切にしてくれていたこと、くんちゃんが来て扱いが大きく変わったことを語り、「いずれ貴方も、こうなる日が近い。いい気味です」と口にする。
くんちゃんがボールを投げると、男は取りに走った。くんちゃんは男に尻尾が付いているのを見つけ、それを引っ張って抜く。くんちゃんが自分に尻尾を付けると、犬のような姿に変身した。男が尻尾を返すよう要求すると、くんちゃんは楽しそうに走り回った。くんちゃんは家の中に入り、困惑する両親に「ゆっこだよ」と告げた。くんちゃんは赤ちゃん返りならぬ「ゆっこ返り」の時間が終わると、おとうさんに「ゆっこはもっと美味しいドッグフードが食べたいって言ってるよ」と教えた。
くんちゃんを寝かせた後、おとうさんは「未来」という赤ちゃんの名前を思い付き、おかあさんも賛同した。翌朝、くんちゃんは両親から赤ちゃんの名前を教えてもらい、「「ミライちゃん?変な名前」と笑った。ミライちゃんの誕生から3ヶ月後、じいじとばあばが3月3日の雛祭りに遊びに来た。じいじがミライのビデオばかり撮影するので、くんちゃんは腹を立てて自分も撮るよう要求した。ミライちゃんの右手にある痣にじいじが気付くと、おかあさんは「産まれた時から。消えるか残るか分からないって」と告げた。
翌日。おかあさんは仕事で出張し、おとうさんは駄々をこねるくんちゃんを幼稚園へ送って行く。おとうさんは家で家事とミライちゃんの世話をこなし、くんちゃんを迎えに行く。疲労困憊になった彼は、仕事をやろうとして転寝する。目を覚ました彼が仕事を続けようとすると、くんちゃんが遊んでほしいとせがむ。おとうさんが「分かったよ」と口で言うだけで遊んでくれないので、くんちゃんはミライちゃんの顔に幾つものクッキーを貼り付けた。
くんちゃんが中庭に出ると、また周囲の景色が変化した。するとセーラー服姿の少女が現れ、「お兄ちゃん、私の顔で遊ぶの、やめてよ」と言う。右手の痣を見たくんちゃんは、「もしかして、未来のミライちゃん?」と驚いた。ミライちゃんはくんちゃんに、おとうさんに雛人形を早く片付けるよう言ってくれと頼んだ。くんちゃんが「ミライちゃん、好きくないもん」と拒否すると、ミライちゃんは彼の体をくすぐった。ミライは嫌がるかと思ったが、くんちゃんは「もっとやって」と喜んだ。ミライちゃんが「代わりにお兄ちゃんが片付けて」と言うと、くんちゃんは承諾した。
くんちゃんの手が泥だらけだと気付いたミライちゃんは「もういい」と告げて、おとうさんの目を盗んで家に上がり込んだ。おとうさんに気付かれそうになったので、ミライちゃんは慌てて身を隠した。おとうさんは赤ちゃんのミライちゃんが消えているのに気付き、慌てて捜そうとする。しかし未来のミライちゃんが中庭へ飛び出すと、赤ちゃんのミライちゃんが現れた。いつの間にかくんちゃんの隣には人間の姿のゆっこが姿を見せており、「未来のミライちゃんと赤ちゃんのミライちゃん、同時には存在しないってことですかね」と解説した。ミライちゃんはくんちゃんにおとうさんの気を引くよう頼み、ゆっこと協力して雛人形を片付けると姿を消した。
ある日、おかあさんはくんちゃんに、自分の幼い頃からのアルバムを見せた。ばあばが来るから部屋を片付けるよう言われたくんちゃんは、「おとうさんと片付ける」と告げる。おかあさんが「今日は仕事でいません」と口にすると、彼は「じゃあ出来ないの」と駄々をこねる。おかあさんが「片付け出来ない子は全部捨てるよ」と言うと、くんちゃんは泣き出した。くんちゃんがオモチャでミライちゃんを叩こうとしたので、おかあさんが慌てて阻止した。
ばあばが来たのでおかあさんが迎えに出ると、くんちゃんは部屋を余計に散らかす。彼が中庭に出ると景色が変化し、未来のミライちゃんが現れた。彼女が「どうしておかあさんを大事にしないの」と注意すると、くんちゃんは「くんちゃんは可愛くないもん」と泣き出した。ミライちゃんは慌てて「お兄ちゃんは可愛いよ」と慰めるが、くんちゃんは魚の群れが泳ぐ海へ飛び込んだ。そのまま彼が進んでいると、いつの間にか見知らぬ町に出た。すると同年代の幼女が電柱の近くで泣いており、くんちゃんは歩み寄って「どうしたの?悲しいの?」と声を掛けた。振り向いた幼女の顔を見たくんちゃんは、幼少期のおかあさんと全く同じ顔なので驚いた。
少女のおかあさんは、本当に泣いていたわけではなく、手紙を書くのに感情を込めていたのだと説明した。おかあさんは猫が飼いたいので許しが欲しいと手紙に書き、ばあばのハイヒールに入れた。おかあさんはくんちゃんを連れて自宅へ行き、弟のオモチャを出して「遊んでいいよ」と言う。「怒られるんじゃないの」とくんちゃんが心配すると、彼女は「だって散らかした方が面白いでしょ」と軽く告げる。おかあさんはお菓子も散らかし、くんちゃんと一緒に食べた。2人は本や洗濯物も散らかし、大笑いした。
しかしおかあさんはばあばが帰宅したので、裏口からくんちゃんを帰らせた。おかあさんはばあばに叱責され、泣いて謝罪した。その声を耳にしたくんちゃんは、大雨の中を走り去った。その夜、おかあさんはばあばの前で、「こんなおかあさんでいいのかなって」と子育ての不安を吐露した。「でも、少しでも幸せになってほしいから」と彼女が言うと、ばあばは「それが分かっていればいいんだよ。子育てに願いは大事だよ」と告げた。
ある夏の日、くんちゃんは補助輪付きの自転車に乗り、ミライちゃんを抱いたおとうさんに連れられて公園へ行った。公園で自転車を乗り回す年上の男の子たちの姿を見た彼は、補助輪を外してもらって練習することにした。おとうさんが手伝うが、くんちゃんは何度も転倒して泣き出した。年上の男の子たちが「教えようか」と声を掛けると、ミライの泣き声を聞いたおとうさんは「じゃあ教えてもらって」とくんちゃんに言う。おとうさんがミライの面倒を見に行くと、くんちゃんは激しく泣いて抗議した。
家に戻ってもくんちゃんの機嫌は直らず、「もう自転車には乗らない」と声を荒らげた。中庭に出たくんちゃんがヘルメットを叩き付けると、突風が吹いて別の場所に移動した。くんちゃんはバイクを手入れしていた青年と遭遇し、彼の後を付いて行く。青年は厩舎へ行き、くんちゃんは初めて馬を見た。青年が馬に乗せると、くんちゃんは怖がって「おとうさん」と叫ぶ。青年は「怖がると馬も怖がる」と告げ、くんちゃんに手綱を握らせた。
青年はくんちゃんをバイクに乗せて、町を疾走した。くんちゃんは青年が若い頃のおとうさんだと感じ、「おとうさん、かっこいい」と口にした。家に戻ったくんちゃんはヘルメットを被り、おとうさんに公園へ連れて行くよう頼んだ。彼は自転車に乗る連中をするが、すぐに転倒してしまった。しかし「遠くを見ろ」という青年の言葉を思い出した彼は、自転車に乗れるようになった。家に戻ったくんちゃんは古いアルバムを見て、あの青年が若い頃のひいじいじだと知った…。監督・脚本・原作は細田守、企画・制作はスタジオ地図、ゼネラルプロデューサーは高橋望、プロデューサーは齋藤優一郎&伊藤卓哉&足立雄一&川村元気、ラインプロデューサーは池田大悟、アソシエイトプロデューサーは伊藤整&櫛山慶&町田有也&笠原周造、編集は西山茂、録音は小原吉男、音響効果は柴崎憲治、CGディレクターは堀部亮、色彩設計は三笠修、衣装は伊賀大介、プロダクションデザインは上條安里&谷尻誠&tupera tupera&亀田芳高&小野令夫、画面設計は山下高明、美術は大森崇&高松洋平、作画は青山浩行&秦綾子、音楽は高木正勝、音楽プロデューサーは北原京子。
オープニングテーマ『ミライのテーマ』エンディングテーマ『うたのきしゃ』作詞・作曲・編曲・歌は山下達郎。
声の出演は上白石萌歌、黒木華、星野源、麻生久美子、福山雅治、役所広司、吉原光夫、宮崎美子、神田松之丞、本渡楓、畠中祐、真田アサミ、雑賀サクラ、中村正、田中一永、山像かおり、玉川砂記子、井上肇、加藤虎ノ介、盛永晶月、小山春朋、斎藤來奏、真凛、ラルフ鈴木(日本テレビアナウンサー)、森圭介(日本テレビアナウンサー)、岩本乃蒼(日本テレビアナウンサー)、尾崎里紗(日本テレビアナウンサー)、原舞歌、横山歩夢、内田珠鈴、吉川正洋、ビアンカ・アレン、マサボ・イザベル、ババホジャエヴァ・オルズグル、張暁林ら。
『おおかみこどもの雨と雪』『バケモノの子』の細田守が監督&脚本&原作を務めた作品。
スタジオ地図としては、3本目の映画となる。
くんちゃんの声を上白石萌歌、ミライちゃんを黒木華、おとうさんを星野源、おかあさんを麻生久美子、ひいじいじ(青年)を福山雅治、じいじを役所広司、ゆっこを吉原光夫、ばあばを宮崎美子、遺失物係を神田松之丞、ミライちゃん(赤ちゃん)を本渡楓、くんちゃん(男子高校生)を畠中祐、ひいばあば(若い女性)を真田アサミ、おかあさん(少女)を雑賀サクラが担当している。細田守は『サマーウォーズ』以降、自身のプライベートで起きた出来事を作品に投影するようになっている。具体的には、結婚や出産、子育てといった出来事だ。
今回の映画も、自身が兄妹の父親となった経験から着想を得ている。
そんな風に自身の生活を積極的に取り込むことが、細田守という人の作家性と言っていいだろう。
しかし残念ながら、そうやって私生活と作品の距離を近付けるようになってから、彼の映画がどんどんダメになっているように感じられるのだ。たぶん細田守は本作品で、経験者だからこそ分かる事実を描こうとしているんだろうと思われる。
「こういう時に幼い子がどういう反応を示すのか」とか、そういうことね。
でも実際のところ、それがキッチリと表現できているのかというと、大いに疑問なんだよね。
経験者だからこそ「知らない人は勘違いしているかもしれないけど、実際はこうなんだよ」というのを柔らかい表現で描くのではなくて、むしろ自分が理想とする家族の形を「これが正しいはず」とアピールしているように感じられるんだよね。あと、これってどういう観客層を想定しているんだろうか。それが全く見えて来ないのよね。そういうことは、まるで考えていないのかな。
「主人公と同年代」を狙うケースも少なくないけど、この映画の場合は当てはまらないよね。5歳の子供が、こういう映画を見たがるとは思えない。
じゃあ5歳の子供を持つ親御さんに狙いを定めりゃいいのかと考えると、それも違うよね。
ファミリー映画や子供向け映画とは言えず、だからと言ってオタク系アニメを見る観客層への訴求力が高いわけでもない。そうやって観客層を絞り込んでいくと、最終的に残るのは「細田守ブランドに期待して来てくれるお客様」になっちゃうんだよね。
そりゃあ細田守はそれなりのビッグネームになったけど、そこだけに期待するのって、あまり賢明とは思えないぞ。
もちろん、商売のことばかり考えて中身を度外視するような映画人ってのは、あまり褒められたモノではないよ。
だけど、商業映画としての意味を無視したような感じになってんのも、それはそれで問題があるんじゃないかと。とても気になるのは、かなり多くの人が指摘しているように、くんちゃんの声だ。
スタジオ地図はスタジオジブリと同じく、主要キャストに声優ではなく俳優を起用している。
「誰が声の出演をしているのか」ってのは公開前の宣伝活動でも大きく取り上げられるし、そこが映画の訴求力に大きく貢献していることは確かだ。それに、俳優だって声の仕事が上手な人もいる。プロの声優に混じっても、言われないと分からない人もいる。
そんなわけだから、餅は餅屋に任せろとは言わない。
そもそも、元を辿れば声優ってのは、全て俳優がやっていたわけだしね。しかし残念ながら、声の仕事に不向きではないかと思われる役者や、未熟さを露呈してしまう役者も存在する。
そして、くんちゃんの声を担当した上白石萌歌は、立派に仕事をこなしたとは、お世辞にも言えない。
第一声から、「4歳の男の子には全く聞こえない」という状態がずっと続くのだ。
それは「リアルな4歳の男児に聞こえるかどうか」という意味ではない。あくまでも「アニメとして、すんなりと耳に入ってくるのか」という観点からの感想として、「残念ながら」ってことになってしまう。
ただし、これは本人の演技力が云々ということよりも、この役に全く合っていないという部分が圧倒的に大きい気がするぞ。ミライが家に来た翌日のシーンで、くんちゃんは早くもおかあさんへの独占欲をハッキリと示している。おかあさんがミライの世話をしているのに、くんちゃんは「おかあさん、牛乳」とか「おかあさん、バナナ」と駄々をこねるのだ。
そういう描写を見ていると、「ミライが来たことで母親を奪われ、くんちゃんは嫉妬心を抱いて苛立つ」という筋書きが見えなくなってしまう。
本来なら、そういう話として受け取れるようになっているべきだと思うのよ。
でも、くんちゃんが駄々をこねる様子が早いので、「そもそも世話の焼ける子供だった」という風に見えてしまう。考えてみると、「部屋を片付けるよう指示されたのに、前より散らかす」ってのも、ちょっと気になる行動なんだよね。
「まだ4歳だから、そういうこともあるだろう」と好意的に受け取れる人もいるだろう。
でも、くんちゃんは赤ちゃんが来るのを期待して待っており、その赤ちゃんは清潔な部屋が好きだと言われて片付けを指示されている。にも関わらず、平気で散らかして、片付けるよう言われたことを完全に忘れている。
くんちゃんって、ひょっとして精神面の発達に問題を抱えているんじゃないかとさえ邪推してしまう。「お前は子育ての経験が無いから分からないのだ」と言われたら、それを否定できる人間ではない。ただ、くんちゃんの描写には、かなり問題が多いように感じてしまうんだから仕方が無い。
尺の都合もあるだろうけど、まず「ミライに嫉妬心を抱くのが早すぎる」という問題がある。
そして、ミライへの態度にも大いに問題がある。嫉妬心から来る最初のアクションが、耳や頬を引っ張ったり、鼻を押したりする行動なのだ。そして赤ちゃんを大事にするよう言われて拒絶するだけでなく、列車の模型で頭を殴る。
くんちゃんって、かなり暴力的な衝動が高いように感じるんだよね。
ミライがいるか否かに関わらず、そういう部分で問題を抱えているんじゃないかと。くんちゃんが嫉妬心を抱くのも、まだ幼いから両親に構ってもらいたいのも良く分かるけど、ちっとも可哀想には思えないのよね。ただのクソガキにしか見えない。
これは本作品の大きな欠点だ。全ての4歳児が、くんちゃんと同じような行動を取るとは思えないのよ。
ちなみに自分には3つ下の妹がいるけど、4歳の頃に、そういう行動を取っていたと両親から聞かされたことは無いよ。自分で言うのもアレだけど、最初から積極的に面倒を見ていたらしいよ。
もちろん人によって違うだろうけどさ、映画を見ていると「くんちゃんの行動は、4歳児としては普通なのです」と言われているようで、そこが引っ掛かっちゃうんだよなあ。人によっては「ガキは総じて嫌い」ということもあるだろうけど、私は基本的に「子供は泣くのが仕事」と思えるタイプだ。なので、幼い子が駄々をこねたり泣いたりしても、それも含めて自分は可愛く思えるはずだと思っていた。
でも、くんちゃんは不愉快なだけなんだよね。
アニメも実写も合わせて、色んな映画で幼児を見て来たけど、ここまで不快感を刺激するガキンチョって、ひょっとしたら初めてかもしれない。
ある意味では、それだけ強いパワーを持っているってことだね。
でも、そんなパワーなら犬にでもくれてやれ。本来なら、この映画って「妹が産まれたことで両親の愛を独占できなくなった4歳児が、嫉妬心から妹に冷たく当たる」という形になっているべきなんだよね。
でも映画を見ている限り、それ以前の問題があるようにしか思えないのだ。くんちゃんは妹が誕生する前から、その素行に大きな問題があったように感じるのだ。
妹がいようがいまいが、注意力が散漫だったり、無闇に暴れたりする幼児なんじゃないかと。
で、そうなると、「妹が産まれたことで嫉妬して荒れる」という設定が死んでしまうんだよね。あと、くんちゃんを主人公に据えるのなら、「4歳児の目から見た家族の光景」に集中すればいいと思うんだよね。
くんちゃんがミライに何を感じるのか、ミライが誕生したことで両親がどう変化するのか、そういったことを全て「くんちゃんの視点」から描く内容として徹底する方針を貫けばいいと思うんだよね。
でも実際には、おとうさんとおかあさんサイドからの描写も多く盛り込んでいる。
これが話の厚みや広がりに貢献しておらず、「欲張ったせいで焦点がボヤけてしまい、何をどう見ていいのか分かりにくくなってしまった」という印象を強く受けるんだよね。くんちゃんが中庭に出て、見知らぬ男と遭遇するシーンがある。くんちゃんはボールを見つけて放り投げ、それを男が取りに行く姿を見て「ゆっこだ」と気付く。
でも、なぜボールを投げようと思ったのか、それは全く分からない。尻尾を見つけた時、それを引き抜いて自分の尻に付ける行動も、なぜなのかサッパリ分からない。
犬に変身して走り回るのも含めて、「全ては空想」と解釈すれば、それで別にいいと思うのよ。ただ、そうであっても、くんちゃんの行動の説明に繋がるわけではないからね。ただのキテレツな奴でしかない。
もしも「幼い子供は、時にワケの分からない行動を取るものだ」ってことで持ち込んだ描写だとすれば、もはや何も言えなくなってしまう。
でも、それで何でもアリにしちゃうのは、ただの思考放棄でしかないしね。っていうかさ、なんで最初にファンタジーとしての描写を持ち込むのが、「ゆっこが人間の姿になる」という変化なのか。
そこは「未来のミライが現れる」ってのを一発目にしておくべきじゃないのか。
いや、一発目どころか、ファンタジーの入り口は彼女だけでいいぐらいだ。その流れで、ゆっこが人間に変化するような出来事が起きるのはいいけどさ。
ゆっこが人間に変化しちゃうトコから入ると、この映画におけるファンタジーのルールがデタラメになっちゃうんだよね。「なぜ未来のミライが出現したのか」という理由については何の説明も無いけど、そこは大きな問題ではない。そりゃあ説明があった方が親切だろうけど、必要不可欠な要素というわけではない。
ただ、これが「くんちゃんの妄想」で説明が付くようにしてあるのかと思ったら、そうじゃないのね。そして、「未来のミライがいる時は赤ちゃんのミライが消えている」という描写が用意されている。そこはボンヤリさせておけばいいものを、変なトコで生真面目なんだよね。
そこを描いてしまったら、それなりの説明が必要になってくる。
別に科学的な理屈が必要ってことじゃなくて、ファンタジーとしてのルールを用意しろってことよ。でも、この映画は、そこを放棄しているんだよね。
それは不誠実な手抜き作業だわ。ゆっこが人間に変身して現れるだけでなく、青年のひいじいじや若いひいばあば、少女のおかあさんや高校生のくんちゃんも姿を見せる。未来のミライだけじゃなくて、他の面々も別の時代や別の姿の状態で出現するのだ。
そこに共通項やルールは全く見えない。ここも何らかの説明が必要だと感じるが、それは放棄されている。
っていうかさ、未来のミライを除く連中って、まるで要らないんだよね。
くんちゃんが少女のおかあさんや青年のひいじいじに会っても、「だから何なのか」としか思えんよ。「くんちゃんが様々な面々と出会い、その経験を経て成長する」ってのを描きたいんだろうってのは、何となく伝わってくる。
でも、彼を成長させる存在が、なぜ青年のひいじいじや少女のおかあさんなのかと。
そこは未来のミライでいいでしょうに。なぜ「未来のミライがくんちゃんの前に現れて云々」という話に絞り込まなかったのか。
他のキャラを出したせいで、肝心な「未来のミライ」の出番が削られているじゃねえか。
それって明らかに本末転倒だし、そのせいで話は支離滅裂になっちゃってるぞ。あと、それでくんちゃんが成長するのかというと、ほとんど成長してないんだよね。過去や未来の誰かと出会った後も、相変わらず彼はミライちゃんを嫌っているし、駄々をこねまくるし。
体験の多さに対して、成長の度合いが少なすぎるだろ。4歳児にしては都合のいい時だけ理解力が高いのに、近未来に行くほどの経験までしておいて、ほとんど変わらないのかと。
っていうか、近未来のシーンに関しては、あの駅を描きたかっただけじゃないのかと。
あと、いつの間にか赤ちゃんのミライちゃんが飾りみたいな扱いになっていて、「くんちゃんの妹に対する接し方や考え方が変化する」という肝心な部分から意識が外れちゃってるし。(観賞日:2019年11月25日)