『みをつくし料理帖』:2020、日本

享和二年、大坂、天神橋。少女の澪は幼馴染の野江と遊びに出掛けた時、誤って草履を花乃井に入れてしまった。澪が「怒られるし、罰が当たってしまう」と、困っていると、野江は自分の草履を井戸に投げ込んで「怒られるんも、罰が当たるんも一緒や」と笑った。その様子を見ていた遊女は2人を店へ連れて行き、優しい口調で注意した。店に来ていた易者の水原東西は野江に目を留め、じっくり観察する。澪は無礼な振る舞いに腹を立て、野江が唐小間物屋の淡路屋の娘であることを教えた。
東西は野江の手相を見て、「天下取りの相だ。旭日昇天だ」と告げる。一緒にいた町人たちは、大いに盛り上がった。その騒ぎをよそに、東西は澪の手相も見た。彼は「雲外蒼天」だと言い、人生で苦労が絶えないと説明する。しかし彼は、「精進を重ねれば必ず真っ青な空が拝める」と付け加えた。店を出た後、野江は綺麗に装飾された貝合わせの貝殻を取り出し、片方を澪に贈った。澪が喜んでいると、彼女は「ウチらは何があっても、ずっと一緒や」と口にした。
文化九年、江戸。澪は種市が主人を務める蕎麦屋「つる家」で、料理人として働いていた。しかし彼女が出す牡蠣鍋は客から不評で、2人が次々に「不味い」と酷評して店を出て行った。常連客である浪人の小松原は「面白い」と評するが、ほとんど食べずに店を出た。澪は後を追い、「何が悪かったのでしょう?」と尋ねる。澪は3ヶ月前から店で働き始め、自分の料理を出したのは今日が初めてだった。小松原は「そいつは俺の与り知らぬ所だな」と軽く笑い、具体的な助言をせずに去った。
長屋に戻った澪は、「ご寮(りょん)さん」と呼ぶ同居人の芳と一緒に夕食を取った。芳は夫を亡くしているが、息子の佐兵衛は江戸のどこかで生きていると信じていた。翌朝、澪が「化け物稲荷」と呼ばれる神社にお参りしていると、通り掛かった町医者の永田源斉が声を掛けた。神社は参拝すると呪われるという噂のせいで廃れていたが、澪が手入れして綺麗にしていた。澪は澪に、稲荷の目元が幼馴染に似ているのだと話した。
その夜、澪はつる家で牡蠣のしぐれ煮を出すが、やはり客からは不評だった。しぐれ煮を食べた小松原は、また「面白い」と口にした。芳が長屋で倒れたため、住人のおりょうが源斉を呼んだ。知らせを受けた澪が急いで駆け付けると、源斉は命に関わる病気ではないことを教えた。おりょうは源斉に、芳と澪が親子ではないことを話す。芳は大坂の料亭「天満一兆庵」の元女将で、澪は奉公人だった。十年前の大坂の大水で両親を亡くした澪は、当ても無く町を徘徊している時に芳に拾われた。大坂の店は焼け、江戸の店も既に無くなっているが、今でも澪は芳を「ご寮(りょん)さん」と呼んでいるのだった。
源斉の腹が鳴ったので、澪は牡蠣のしぐれ煮を出した。「上方の料理は味が控え目なのですね」と言われた澪は、「江戸は何でも味が濃いような気がして」と告げる。すると源斉は、「江戸は職人が多いですからね。汗をかいて塩が出るので、味が濃い物を好むのでしょう」と述べた。「食は人の天なり」という彼の言葉は、澪の心に響いた。彼女は種市から江戸風の味付けを学び、改めて牡蠣のしぐれ煮を出した。濃い味付けは客から好評だったが、小笠原から得心しているのかと言われた澪は迷いがあることを吐露した。すると小笠原は、「根本を間違えている。料理の基本がなっていない」と厳しく評した。
翌日、澪は源斉に相談し、「思い詰めるのは体に毒だ」と言われる。源斉は女性でも入れる日だと言い、吉原俄に澪を誘った。2人は吉原へ行き、俄を見物する。狐面の花魁たちが街頭の屋台に立ち、次々に顔を見せた。しかし1人の花魁だけは、最後まで面を外さなかった。澪から話を聞いた種市は、翁屋のあさひ太夫に違いないと告げる。あさひ太夫は日本一の美女と称される有名人だが、その姿を拝める相手は数えるほどしかいないのだと彼は説明した。翁屋の楼主ほ務める伝右衛門は、あさひ太夫を幻のままで終わらせたことに満足した。翁屋の料理番を務める又次は、あさひ太夫の元へ心太を運んだ。
澪は上方風に作った心太を江戸の味付けで出し、つる家の客から好評を得た。種市は年齢を考えて隠居すると明かし、澪に店を継がないかと持ち掛けた。彼は蕎麦屋を継がそうというつもりではなく、他の料理屋に変えても構わないと述べた。味付けに自信の持てない澪は、芳や小笠原に相談する。芳は大切な簪を澪に差し出し、それを売って上等の鰹節を買うよう促した。澪は鰹出汁り取り方を教わり、昆布と混ぜて使うことに決めた。彼女は種市に、つる家を継ぐ決心を伝えた。
澪は研究を重ね、満足できる合わせ出汁を完成させた。彼女は料理屋としてつる屋を引き継ぎ、とろとろ茶碗蒸しを出した。茶碗蒸しは評判を呼び、行列が出来るほどだった。店は繁盛し、芳とおりょうが澪を手伝った。強い疑念を抱いていた戯作者の清右衛門も妻のお百に連れられて店を訪れ、とろとろ茶碗蒸しを食べて満足した。又次は店を訪ね、とろとろ茶碗蒸しを持ち帰りたいと告げる。故郷を忍ぶ人間がいるが、店に来られる立場ではないのだと彼は説明した。余分な器が無いことを澪が話すと、又次は花を挿していた青竹を使うよう提案した。澪が承諾すると、又次は上方の話を土産に聞かせてほしいと頼んだ。
あさひ太夫は又次が持ち帰ったとろとろ茶碗蒸しを食べ、頬を緩ませた。又次が澪から聞いた花乃井の思い出話を伝えると、彼女は驚いた。とろとろ茶碗蒸しは料理番付で初登場にして関脇になり、種市や芳たちは大喜びする。しかし年が明けると、つる家の客が少なくなった。清右衛門は澪たちに、ずっと大関の座を守り続けている大手料理屋「登龍楼」が年明けから鮑入り茶碗蒸しを出していることを教えた。小松原は駒沢弥三郎に同伴して登龍楼を訪れ、一緒に鮑入り茶碗蒸しを食べた。小松原の本名は小野寺数馬で、駒沢と共に御膳奉行を担当していた。登龍楼の主人を務める采女宗馬は、2人に挨拶した。
澪と芳は登龍楼へ行き、鮑入り茶碗蒸しを注文した。茶碗蒸しを食べた2人は、つる家の出汁が真似されたと悟る。芳が厨房へ怒鳴り込むと、采女は全く悪びれずに言い掛かりだとうそぶいた。澪は腹を立て、「この仇は必ず料理で」と宣戦布告した。采女はならず者を雇い、つる家に入ろうとする客を追い払わせた。お百は澪に協力し、相模屋の白みりんを紹介した。しかしつる家は何者かに火を放たれ、焼け落ちてしまった。澪が長屋で塞ぎ込んでいると、又次がやって来た。また上方の料理を作ってほしいと頼まれた澪は、弁当を作った。又次は彼女に、持参した小判と手紙を渡す。手紙に書かれていた「雲外蒼天」の文字に、澪は驚いた。あさひ太夫の正体が野江だと知った彼女は、泣きながら会わせてほしいと頼む。しかし又次は、「そいつは無理だ」と吉原の掟を説明した。澪は彼に、借りた金は必ず少しずつ返すと野江に伝えるよう依頼した。
澪は同じ場所に新たなつる家を建て、また大勢の客が来るようになった。小松原は采女に、「あの火事は付け火だったと聞いている。それがまことなら、次は無い」と鋭く告げた。彼はつる家を訪ねて澪の茶碗蒸しを食べ、「どうしようもなく美味い」と褒めた。野江は逆上した客から新造の菊乃を庇い、斬り付けられて大怪我を負った。澪は又次から金冠の蜜煮を作ってほしいと頼まれ、野江の具合が悪いことを悟った。又次は彼女に、野江が命の恩人であること、幼少期の彼女に一度だけ料理を作ったことを語った。
野江は金冠の蜜煮を食べ、怪我から回復した。澪は診療で吉原へ出向く源斉に、野江への届け物を頼んだ。すると源斉は、一緒に行こうと持ち掛けた。澪は源斉に同伴して翁屋へ行き、又次に届け物を渡した。彼女が立ち去ろうとすると、又次は呼び止めた。又次は野江に、澪から託された風呂敷包みを差し出した。風呂敷には澪が借りていた小判と共に、手紙が入っていた。手紙の「旭日昇天様 感謝」の文字を見た野江に、又次は外を見るよう促した。野江が外に目をやると、澪が立っていた。堂々と顔を見せられない野江は、手でキツネを作って澪に自身の存在を伝えた…。

製作・監督は角川春樹、原作は田郁『みをつくし料理帖』(角川春樹事務所)、脚本は江良至、企画は角川春樹事務所、制作統括は遠藤茂行、プロデュースは海老原実&飯田雅裕、プロデューサーは前田茂司&松井香奈&角川春樹、料理監修は服部幸應、撮影は北信康、照明は渡部嘉、美術は清水剛、録音は小林圭一、編集は太田義則、音楽は松任谷正隆、主題歌『散りてなお』は手嶌葵。
出演は松本穂香、奈緒、若村麻由美、中村獅童、石坂浩二、薬師丸ひろ子、浅野温子、窪塚洋介、小関裕太、藤井隆、永島敏行、松山ケンイチ、反町隆史、榎木孝明、鹿賀丈史、渡辺典子、平山祐介、螢雪次朗、野村宏伸、松浦慎一郎、衛藤美彩、本田大輔、村上淳、紺野まひる、榎木薗郁也、永岡卓也、神原哲、名倉愛、七瀬麻美、青井しずか、徳花美紀、水露あすか、岩本直、新井美羽、咲希、潤浩、中野恵那、浪花ほのか、土屋怜菜、角川春樹、山中アラタ、横山雄二、山田幸伸、児玉拓郎、朝香賢徹、福田優、藤田清二、三嶋亮太、磯野弘明、大河平レオン、日高智弘、十倉太一、吉村啓太、岩男匡哲ら。


田郁の同名小説を基にした作品。
角川春樹が2009年の『笑う警官』以来となるメガホンを執っており、最後の監督作品と公言している。
脚本は『ジョジョの奇妙な冒険 ダイヤモンドは砕けない 第一章』『マンハント』の江良至。
澪を松本穂香、野江を奈緒、芳を若村麻由美、又次を中村獅童、種市を石坂浩二、お百を薬師丸ひろ子、おりょうを浅野温子、小松原を窪塚洋介、源斉を小関裕太、清右衛門を藤井隆、伝右衛門を永島敏行、東西を反町隆史、駒沢を榎木孝明、采女を鹿賀丈史が演じている。

映画の冒頭、タイトルと共に牡蠣の味噌鍋が画面に出る。そこからオープニング・クレジットに入ると、種市が蕎麦を作っている様子が描かれる。
でも、味噌鍋を最初に写すなら、タイトルロールは澪が作る料理を次々に並べた方が良くないか。なんで種市の調理風景なのか。
で、その後にフィルムがカタカタと音を立て、8からカウントダウンされる映像を挟んで享和二年のシーンに入るのだが、なぜ映画への没入を邪魔するようなカウントダウンを挟むのか。どうしても入れたいのなら、映画の冒頭でしょ。
最初に江戸時代の様子を描いて内に入れておいて、また外から始めようとする意味がサッパリ分からない。

享和二年のシーンでは、澪と野江の関係と、占いの結果だけが示される。だから澪と野江の生活環境は、全く分からない。野江については台詞で小間物屋の娘ってことに触れるだけで、澪に至っては何の情報も無い。
そこから文化九年に飛ぶと、澪は「つる家」で働いている。なぜ彼女が江戸にいるのか、どういう経緯で店での仕事を始めたのか、それは全く分からない。芳と暮らしているのも、事情はサッパリ分からない。
おりょうが源斉に話すシーンで、澪と芳の関係については少し説明されるが、充分とは言い難い。なぜ江戸に出て来たのか、なぜ江戸の店が無くなったのか。なぜ澪は「つる家」で働き始めたのか、なぜ佐兵衛は行方不明なのか。謎が多すぎる。
分からないことだらけのままで話をどんどん先に進めて行き、後から少しずつ情報を出す形を取っている。そういうやり方が、観客を物語に引き付ける力になっていない。
ミステリー的な面白さに繋がらず、ただの説明不足になっている。

牡蠣のしぐれ煮を食べた小松原が「面白い」と評し、澪が不満そうな表情を浮かべた後、唐突に「つる家」の盛り蕎麦が画面に大きく表示され、「つるや家の盛り蕎麦」と文字も出る。まるで料理番組のインサートみたいな感じだ。
でも、どういうつもりか全く分からない。まだタイミングとして変だし、そういうのを表示するなら全ての料理でやった方が統一感が出るし。
それ以降は基本的に紹介していく流れになるが、つるや家で人気になった料理だけを紹介するのかと思ったら、そうではない。又次の回想シーンでは、「又次の唐汁」も紹介される。
でも、そこまでやるなら、盛り蕎麦以前の料理も紹介した方が良くないか。

っていうか、又次の回想シーンってホントに必要かな。そりゃあ、野江と又次の関係を描く上では、あった方がいいだろう。だけど、そこまで手を広げられるほど、時間に余裕があるようには思えない。
実際、又次の回想シーンも中途半端なら、彼と野江の関係を描くドラマも中途半端。又次は「あさひ太夫が自分のために命を張ってくれた」と言うけど、詳しいことは教えてくれないし。
かなり後になって、嗅ぎ回る清右衛門からあさひ太夫を守ると又次が告げた時に回想シーンを入れて事情は説明するけど、そこまで引っ張る意味は感じない。
あと、その回想シーンで又次は男たちに腹を刺されているが、そんな目に遭った事情は教えてくれないし。

源斉は小笠原に酷評された澪から相談を受けた時、「思い詰めるのは体に毒だ」と言われる。
彼が「気晴らしが必要」と考えるのは分かるが、だからって吉原見物に誘うのは不自然さを覚える。
俄見物を終えた澪が種市や源斉と心太を食べている時に野江のことを話し出すのも、これまた強引さが否めない。
この辺りは、「あさひ太夫の正体は成長した野江ですよ」ってトコに繋げるための手順だ。
でも、処理方法が上手くないから、段取りの消化が不細工になっている。

大坂の大水のシーンを描かないのは、たぶん予算の都合なんだろう。そこを省略するのは別に構わないとして、それなら文化九年のシーンに切り替える前に、文字でもナレーションでもいいから「大水がありまして」ってのに触れておいた方がいい。
そんな大水が原因で江戸へ出て来た澪に、なぜ種市が店を任せたいと思ったのか、ちょっと良く分からない。
そこまで2人の絆が深まる様子は無かったし、種市が澪の腕や料理に対する向き合い方に感心する様子も描かれていないからね。
描写が全く足りていないから、段取りばかりが強く伝わる羽目になるのよ。

澪が店で使う出汁を完成させた時、芳は「その出汁を使って何を出すの?」と尋ねる。それに対して澪は、天満一兆庵でも人気だったアレを出すと告げる。それが、とろとろ茶碗蒸しなのだ。
でも、そもそも天満一兆庵って台詞で軽く触れただけで、店のシーンは1秒も無い。当然のことながら、どんな料理が出されていたかも全く触れていない。
なので、とろとろ茶碗蒸しを「天満一兆庵でも人気だった料理」として出されても、まるでピンと来ない。
尺の都合があるから、大坂のパートをバッサリと省略しなきゃならないのは分からんでもないよ。でも、「だから仕方がない」と擁護しようとは思わない。
観客からすると、「そんなの知らんがな」って話だし。

芳が登龍楼の厨房に怒鳴り込む時、澪は怒っておらず、付いて行く形だ。しかし采女が馬鹿にする態度を取ると芳は我慢するのに対し、澪は憤慨し、捨て台詞を吐いて立ち去る。
これってホントは、「自分の味が真似されたことよりも、芳が侮辱されたことに対して怒る」という形に見えなきゃダメなんじゃないかと思うんだよね。
でも実際には、そんな風に全く見えない。
なので、「だったら最初から澪も憤慨している形で良くね?」と思ってしまう。

終盤、清右衛門はあさひ太夫を探り、野江を吉原に売り飛ばした女衒の卯吉と接触する。清右衛門を止めようと考えた澪は、「自分の料理を美味しいと思ったら言うことを1つ聞いてもらう。負ければ詳細を話す」という条件で勝負を持ち掛ける。
一応、ここがクライマックスになっているのだが、盛り上がりに欠ける。そこに向けた流れを、充分に作れているとは言い難いし。
あと、清右衛門がそこまで重要な役回りを担うことにも違和感を覚えるし。
それと、澪と野江の絆を軸に据えて物語を作ろうとしているのは分かるんだけど、ここも上手く出来ているとは思えないし。

澪と小松原の関係で恋愛劇を描き、終盤は別れのシーンで感動的に盛り上げようとしている。だけど、それをやるには話の流れが弱すぎる。
澪が小松原に惚れていることなんて、菊乃の会話で少し匂わせていた程度だぞ。そんな状態で別れのシーンへ突入されても、引き付ける力が弱すぎるでしょ。
そんで長屋へ戻った澪は「小松原様は二度と(戻らない)」と泣き出すんだけど、なぜそう思ったのか良く分からん。
あと、別れのシーンではカメラが2人の周囲をグルッと回り込む演出があるんだけど、わざとらしくて苦笑してしまう。しかも、1度カットを切り替えてから、またグルッと回るんだよね。

最後は祭りの日のシーンで、澪が狐の面で顔を隠した野江と再会する。ここで澪は立ち去る野江に向かって、泣きながら「いつか必ず一緒に帰ろう」と叫ぶ。
でも、ちっとも綺麗に終わっていないからね。何もかもが中途半端な状態のままで放り出されており、まるで「2作目へ続く」みたいな終幕になっているんだよね。
でも、シリーズ化を想定して作っていたとも思えないんだよね。
いや仮にシリーズ化を想定していたとしても、それはそれとして綺麗に物語を完結させるべきだし。

(観賞日:2021年12月10日)

 

*ポンコツ映画愛護協会