『地下鉄に乗って』:2006、日本

43歳の長谷部真次は、小さな衣料品メーカーの営業マンとして働いている。仕事を終えて地下鉄に乗っていた彼は、少年時代のことを 思い出した。今や世界的企業となった小沼グループ創設者である佐吉は、冷徹で傲慢な男だった。真次や兄・昭一、弟・圭三の前で、彼ら の母・民枝に平気で暴力を振るった。兄弟は気分を晴らすため、開通したばかりの地下鉄を見に行ったことがあった。真次は高校卒業と 同時に縁を切り、もう長く佐吉とは会っていない。
真次が携帯の留守電を聞くと、圭三から父が倒れたとのメッセージが入っていた。真次は特に気にすることも無く、すぐに伝言を消去した。 真次は地下鉄のホームで、学生時代の恩師・野平啓吾と出会った。野平は「今日は昭一君の命日だったね。あれは東京オリンピックの年 だった」と告げた。昭和39年10月5日、真次が15歳の時に昭一は交通事故で亡くなった。遺体を見た佐吉は、「なんてザマだ」と冷たく 言い放った。真次が「アンタのせいだ、人でなし」と激怒すると、佐吉は殴り飛ばしてきた。
しばらく電車が来ないと野平に言われ、真次は銀座線のホームへ移動することにした。地下道を歩いていた彼は、エスカレーターに乗る男 の姿に目を留めた。少年時代の昭一に見えたのだ。真次は踵を返し、慌てて彼の後を追った。構内から地上へと出た真次は、目の前の光景 がいつもと違うことに戸惑った。近くを歩いていた青年達に聞き、そこが自分の生まれ育った中野だと彼は知った。しかし、それにしても 景色が変だ。売られている新聞の日付を見ると、そこには昭和39年10月5日と記されていた。
真次は動揺しながらも、近くにあったダイヤル式の公衆電話から圭三に電話を掛けた。電話は繋がり、圭三は父の見舞いに来るよう真次に 要求してきた。真次は「そっちへは行けないし、迎えに来なくていい」と告げて電話を切った。時計を確認した真次は、まだ昭一が死ぬ前 だと気付いた。真次は昭一の元へ行き、遠い昔に一度だけ会った親戚だと自己紹介した。昭一は真次に、進路のことで父親とケンカをした と打ち明けた。真次は昭一を自宅まで送って行き、「今夜は二度と家を出るんじゃない」と言い含めた。
現在に戻ってきた真次は翌日、出勤して上司の岡村や社員の軽部みち子に体験した出来事を語った。岡村は「現実は変わったのか。兄は 生きているのか」と尋ねてきた。真次は、母親に電話で尋ねたところ、あの後で再び兄が父とケンカし、家を出たことを告げた。つまり、 昭一が交通事故で死ぬことは変えられなかったのだ。岡村は、「何も変わらなくて良かったんだ」と口にした。
真次は妻子がいながらも、みち子と不倫していた。みち子の部屋で眠っていた真次は、気が付くと終戦直後の時代にタイムスリップして いた。彼は闇市で食い詰め青年たちの面倒を見ているアムールという男に出会った。真次の身なりや所持品から、アムールは彼がドルを用意 できる立場の男だと考えた。街に出た真次は、赤線の摘発で連行される娼婦の中にみち子の姿を見つけた。真次が呼び掛けると、彼女は 助けを求めてきた。しかし真次は刑事に殴られて倒れ、みち子はトラックで連行されてしまった。
真次はアムールに腕時計を渡し、みち子を救い出すための協力を求めた。するとアムールは、ドルを用意して欲しいと持ち掛けてきた。 アムールに酒を飲まされた真次は、再び元の時代に戻った。隣で眠っていたみち子も、同じタイミングで目を覚ました。彼女は真次に、 アムールが警察署へ迎えに来てくれたと説明した。真次が自分の左腕を見ると、腕時計が無くなっていた。
翌日、真次は父の後継者として小沼グループに勤務している圭三の元を訪れた。圭三は真次に、今回は本当に父の病状が悪いのだと説明 した。「父と和解して会社の役員に入ってくれ」という頼みを真次が断ると、圭三は「父と一緒だ」と皮肉っぽく告げた。地下鉄の構内を 歩いていた真次は、また終戦直後にタイムスリップした。すぐに彼は、アムールの酒場を訪れた。
真次はアムールに頼まれ、高騰している砂糖の取引へ同行することとなった。トラックで現場へ赴くと、お時という愛人を連れた米兵の トムが待ち受けていた。アムールはドル紙幣を見せ、砂糖と交換しようとする。だが、トムは銃を向けて真次とアムールを脅し、刑事を 呼び寄せて逮捕させようとする。アムールが逃げようとすると、刑事が発砲してきた。銃弾はトムのトラックのタンクに命中した。刑事は 修理して返却すると約束し、トムは仕方なくトラックを現場に残して立ち去った。
トムが去ったのを確認し、アムールは刑事と共に笑い出した。2人はグルで、全てはトムを騙して砂糖を手に入れる計画の内だったのだ。 アムールと共に酒場へ戻った真次は、お時が訪れたので驚いた。しかし、彼女もアムールの仲間だったのだ。お時は真次に、「アムールが 自分に惚れているのは確かだが、彼には妊娠している奥さんがいる」と語った。酒場に手入れが入ったため、真次が逃げ出そうとした ところでタイムスリップが起きた。今度は元の時代ではなく、真次は戦時中の地下鉄に乗っていた。
駅で乗ってきた男を見て、真次はアムールだと思った。肩から掛けている襷に書かれた名前で、それが若い頃の佐吉だと気付いた。不安を 抱いている佐吉に、真次は「満州へ行くが必ず帰ってくる」と告げた。佐吉は「戻って来られたら千人針を貰った女を嫁に貰い、ガキを 3人作って全員を大学に行かせ、自分のやりたかったことを全てやらせる」と語った。目的の駅で列車を降りた佐吉は敬礼し、真次は万歳 で見送った。
元の時代に戻った真次は、佐吉が収賄事件で臨床尋問を受けたことをテレビのニュースで知った。彼は同居している母から、佐吉とは勤務 していた鉄工所で知り合ったことを聞いた。その頃、母には東京帝大に通う恋人がいたという。酒を飲んでウトウトしていた真次は、 戦時中の満州にタイムスリップした。爆撃の中、みち子が佐吉に助けられていた。佐吉はたった一人で、現地の子供たちを守って戦っていた。 激しい攻撃が続く中、気が付くとみち子の姿が消えていた。
元の時代に戻った真次は、急いでみち子のマンションへ行き、彼女の無事を確かめた。真次は彼女を抱き締め、肌を重ねた。ベッドにいた 2人は、今度は一緒にタイムスリップした。今回の行き先は昭和39年10月5日だった。そこで真次は、昭一が母から「佐吉ではなく別の男 との間に産まれた子供」という真実を聞かされてショックを受け、道路に飛び出してトラックにはねられたと知る…。

監督は篠原哲雄、原作は浅田次郎、脚本は石黒尚美、脚本協力は長谷川康夫、製作は宇野康秀&気賀純夫& 島本雄二&早河洋、プロデューサーは鈴木尚&五郎丸弘二&辻畑秀生&森谷晃育、アソシエイトプロデューサーは杉浦敬&雨宮有三郎& 大前典子&小穴勝幸、エグゼクティブプロデューサーは河井信哉&遠谷信幸&林紀夫&亀山慶二、企画は小滝祥平&三宅澄二&高松宏伸& 梅澤道彦、撮影は上野彰吾、編集はKIM Sun-Min、照明は赤津淳一、録音監督は橋本文雄、美術は金田克美、視覚効果は松本肇、音楽は 小林武史、主題歌「プラットホーム」はSalyu1。
出演は堤真一、岡本綾、常盤貴子、大沢たかお、吉行和子、田中泯、笹野高史、綱島郷太郎、北条隆博、崎本大海、金井史更、中村久美、 中島ひろ子、斉藤陽一郎、中村靖日、水木薫、山田幸伸、千葉哲也、久保酎吉、眞島秀和、遠藤雄弥、 沢井正棋、新海悟、谷口翔太、クリス メイ、藤本旺W、坂田久美子、市川円香、岡村洋一、野村俊介、伊藤久美子、千野裕子、浅川稚広、 塚田美津代、佐藤恒治、北村法秀、伊藤竜也、高良健吾、丸橋夏樹、大森樹、安達直人、今井吉清、 高久ちぐさ、斉藤優香、天野直子、青木紀子、木村友美、森本73子、遠谷ゆき乃、中村梨香、鴨下佳昌、玉一敦也ら。


第16回吉川英治文学新人賞を受賞した浅田次郎の同名小説を基にした作品。
タイトルは「メトロにのって」と読む。
真次を堤真一、みち子を岡本綾、お時を常盤貴子、佐吉を大沢たかお、民枝を吉行和子、野平を田中泯、岡村を笹野高史、現在の圭三を 綱島郷太郎、昭一を北条隆博、少年時代の真次を崎本大海、少年時代の圭三を金井史更が演じている。

タイトルの意味が良く分からない。
地下鉄に乗っている時や、地下鉄の構内にいる時だけタイムスリップするわけでもないし。地下鉄がそれほど大きな意味を持っているわけ でもない。
タイムスリップする際に必ず地下鉄が走るイメージカットが入るが、それの意味も良く分からない。
常に地下鉄でタイムスリップしているわけじゃないんだし。
どうやら原作では、昭一はトラックにはねられたのではなく、地下鉄の線路に飛び込んで自殺した設定らしい。
それだと、タイトルの意味が良く分かるようになっているのだろう。
映画で設定を変更したのは、東京メトロに協力してもらっているので、地下鉄の人身事故はマズいということだったんだろうか。
だが、それによってタイトルの意味が不鮮明になるようでは困る。

大沢たかおは若い頃の佐吉だけでなく、昭和39年の佐吉も老けメイクで演じている。
しかし、彼が老けメイクで登場した時点で「安い」と感じてしまう。
そこは若い頃の佐吉と年を取ってからの佐吉を別の役者に演じさせるべきではなかったか。
っていうか、そうなると大沢たかおって年齢的に中途半端だよな。青年時代の佐吉はもっと若い役者にやらせるべきだし、昭和39年以降の 佐吉はもっと年上の役者の方がフィットする。
たぶん両方をこなせる役者として、大沢たかおを選んだんだろうけど。

時代設定がサッパリ分からない。
昭和39年(1964年)の時点で、真次は15歳という設定だ。
劇中における現在を映画公開の2006年と想定すると、真次は57歳ということになる。
どう見ても堤真一は57歳じゃないぞ。
みち子にしても、生誕年が1964年だから現在は42歳のはずだが、岡本綾はそんな年齢に見えない。
2人とも、そういう年齢を演じているわけでもなさそうだ。

実際、公式資料によると、真次の年齢は43歳になっている。
ようするに、この映画における現在は、原作が発表された1994年に設定されているのだろう。
だが、映画を見ていても、「今は1994年です」という時代設定は説明されない。
そもそも1994年だと仮定すると、あれほど携帯電話が普及しているのも、東京メトロが走っているのも、時代考証的にはおかしい。
映画化に際しては、現在を2006年に変更する作業が必要だったはずだ。
それをやらないのは、手抜きではないのか。

導入部分から、もう「何かを起こそう」とか「感動させよう」という雰囲気がヒシヒシと伝わってくる。
でも、それが過剰。
例えば、真次が死んだ兄を見掛けて後を追うシーンではサスペンスフルなBGMが流れるのだが、明らかに盛り上げすぎだ。しかも 間違った方法として。
そんなとこでサスペンスは不要なのよ。
もっと静かに、むしろ伴奏音楽なんて要らないぐらいの場面なのに。

音楽だけじゃなくて、演出そのものにも疑問を覚える。
普通の感覚なら有り得ない「昭和39年当時の兄」に似た後ろ姿を見掛けて、なぜそこまで必死に追い掛けるのかと。
もちろん、気になるという心情は分かる。
だが、そこまで必死に走って追い掛けるのはどうなのかと。
「少し気になるので、男が去った方向へ歩いて行ってみる」程度のことでいいんじゃないのかと。

真次は小沼家から籍を抜いていると説明しているが、それは不可解だ。
で、後になって同居している母親が出てくるのだが、ようするに彼女が佐吉と離婚したから、それに伴って真次も母親の旧姓を名乗って いるってことでしょ。
真次の説明だと、自分だけが籍を抜いたみたいに聞こえるぞ。
そういうのは、最初の内に、もっと分かりやすく説明しておこうよ。
あと、彼が既婚者だというのはセリフから分かるが、なかなか妻子が登場しないのも構成としてマズいと思うぞ。

最初は地下鉄の構内を出たところでタイムスリップする真次だが、2度目はみち子の部屋で眠っている間にタイムスリップする。
だが、それだと「夢を見ているだけで、本当にタイムスリップしたわけではない」という風にも見えてしまう。
後になって実際にタイムスリップしたことは分かるようになっているが、そんな無意味なミスリードは邪魔だろう。そこは2度目の タイムスリップも、「夢なのかも」という可能性が排除されるような形にしておくべきだ。
っていうかさ、その後も、「歩いている内に、いつの間にかタイムスリップ」とか、その度にタイムスリップの形が異なるんだが、最低限 のルールぐらいは決めておこうよ。せめて「タイムスリップの前後で同じ場所に移動する」というルールぐらい無いのかと。
あと、過去から現在に戻ってくる際の描写も、「良く分からないけど、いつの間にか戻っている」という曖昧な感じになっている。
いやいや、そこはちゃんと「元の世界に戻ってくる場面」を描写しなきゃイカンだろうが。

真次がアムールに出会った時点で、観客はアムールが若い頃の佐吉だと分かる。
何しろ演じているのが同じ大沢たかおなのだから。
だが、どうやら真次は気付いていない様子だ。そして出生する佐吉を見た時に、初めて理解したようだ。
「父親の若い頃の顔を知らないから、アムールに会っても気付かない」というのを受け入れるにしても、「観客はとっくに分かっている」 という状況は望ましくない。
だからさ、若い頃の佐吉と年を取ってからの佐吉を別の俳優にやらせりゃ良かったのに。

出征する佐吉が真次に「無事に戻って来られたらやりたいことが」と語るのは、たぶん感動させようとしている箇所の一つだろう。
だが、「子供を作って大学まで行かせ、自分のやりたかったことを全てやらせる」というのは、父の息子に対する愛ではなくて、ただの エゴだからね。自分の夢を息子に押し付けようとする決意を聞かされても、感動なんて出来ないよ。
終盤、お時に「親ってのは自分の幸せを子供に求めたりしないよ」と言わせているが、佐吉はそれをやろうとしていたわけだからね。
あと、佐吉が不安を抱きながら出征する様子や、満州で懸命に戦う様子などを描いて彼を良く見せようとするんだが、そういうことを幾ら 描写したところで、「成り上がってからは息子達に冷徹で傲慢な態度を取り、妻に暴力を振るっていた」という部分を帳消しに出来るのか というと、全くの別問題だからね。
そんなことでプラスマイナスの計算は成り立たないよ。

みち子というキャラクターは、そもそも必要なのかという疑問が浮かぶ。真次の家族に関するドラマに絞り込んだ方が良かったのでは ないかと。
「彼女を排除するとヒロインがいなくなる」という問題は、確かにある。
お時という女性キャラはいるものの、常盤貴子が、いつもながらのヘチマ芝居だし。
ただ、私の言いたいのは「タイムスリップに関わるキャラが真次以外にも必要なのか」ということなので、みち子はタイムスリップに 関わらないヒロインとして配置するには何の問題も無い。
みち子がタイムスリップして過去の話に絡んでくるというのは、話のまとまりを悪くしているだけで、何もいいことが無いように思える。
終盤に入って真次との秘められた関係が明かされるが、それも果たして必要だったのかと。
完全ネタバレだが、その秘密ってのは「彼女はお時の娘だった。つまり真次とは腹違いの兄妹だった」というものだが、そんなの 要らないわ。前述したように、真次の家族に関するドラマ、そして父親との関係修復という部分に絞り込んだ方がスッキリするわ。

最終的にみち子が選択した行動も、感動させようというモノなんだろうけど、少し怒り混じりに「はあっ?」と言いたくなってしまう。
それは「お時を流産させて自分の存在を抹消する」というものなんだが、男にばかり都合のいい展開だなあと。
なんで女だけが犠牲を払わねばならんのかと。
それに昭一の時は現実を変えられず、「変わらなくて良かったんだ」ということにしてあるのに、そこは簡単に現実を変えてしまうのね。
しかもみち子が自己犠牲を支払っても、そこにハッピーがまるで感じられないのは致命的だよ。
大体、娘が自分のワガママで、母親の幸せを勝手に奪ってどうすんのかと。
それを感動のシーンとして見せられても、いや、無理だろ。
しかも、みち子が死んでも、それで真次が幸せになれるというわけでもないぞ。
ただの思い込みによる自己満足に過ぎない。

(観賞日:2008年6月8日)

 

*ポンコツ映画愛護協会