『めめめのくらげ』:2013、日本

都雲大学の研究所では、黒マント姿の青竜、白虎、玄武、朱雀という四人衆が実験を行っていた。4人は魔方陣にエネルギーを取り込むが、想定していたパターンとは異なっていた。彼らは特異点を見つけたものの、数値が危険なレベルに達していた。それでもリーダーの青竜は、実験の続行を指示した。研究所の技術者である幸塚直人が駆け付けて「実験の報告は受けていないぞ」と言うと、青竜は「僕の一存だが」と悪びれずに告げる。「そのせいで“ふれんど”が一体逃げ出した。これも君たちの計画の一部か」と直人が責めるように訊くと、青竜は何も言わなかった。
東日本大震災を体験した小学6年生の草壁正志は、母の靖子と共に都雲市へ引っ越してきた。母の友人である佐々木の車で団地へ向かう途中、正志は奇妙な生物が飛び去るのを目撃した。団地に到着した正志は、好物であるチーかまを食べた。夜中に夢を見て目を覚ました彼は、靖子が家族写真を見て嗚咽する姿を目撃した。正志の父である辰男はチーかまを製造する会社を営んでいたが、震災で亡くなっていた。正志は幾つものチーかまが何者かに食べられた痕跡を発見するが、犯人は分からなかった。
翌日、正志は靖子に連れられて転校先の小学校を訪れ、教頭と担任教師に挨拶をする。教頭たちの説明を聞いた靖子は、厳しい学校だと感じる。靖子が買い物に出掛けたので、正志は先に団地へ戻った。すると屋内は散らかっており、奇妙な生物がいた。すぐに靖子が戻って来たため、正志は生物をダンボール箱に隠して神社へ連れて行く。正志がチーかまを与えると、生物はムシャムシャと食べた。くらげのような形をした生物に“くらげ坊”と名付けた正志は、すぐに仲良くなって一緒に遊んだ。
次の朝、正志はリュックにくらげ坊を隠し、小学校へ赴いた。するとクラスメイトは先生の目を盗んで、奇妙な生物を出現させた。それは四人衆が“ふれんど”と名付けた生物だった。生徒たちはデバイスで“ふれんど”を操り、先生が振り向くと姿を消した。いじめっ子の竜也は“ふれんど”のユピを使い、正志に攻撃を仕掛ける。すると“くらげ坊”が飛び出して戦い、ユピを撃退した。授業が終わった後、天宮咲という生徒は正志に「貴方も“ふれんど”持ってたの?お願いだから授業の邪魔だけはしないで」と告げた。
正志が帰宅すると叔父の直人が来ており、姉である靖子に「この街は危険なんだ」と訴えていた。靖子は「貴方を頼って来たわけじゃない。どうぞお構いなく」と憤慨し、直人を追い払った。直人は正志をオートバイに乗せ、研究所が見える場所へ連れて行く。彼は正志に、「あそこでは世界中の悪いことを無くす研究が行われているんだ。成功したら、みんな幸せになれる」と語った。直人は正志のリュックに“くらげ坊”が潜んでいるのを目にするが、何も言わなかった。
研究所に戻った直人は、四人衆が研究内容について語る昔の映像を確認した。「生命エネルギーを収集すれば天災を防ぐことが出来る。地球上における生命エネルギーの強い存在は、人間の子供である。怒りや悲しみなど、負の心から生命エネルギーは発生する」というのが、彼らの研究成果だった。そして四人衆は、日本古来から伝わる儀式によって生命エネルギーを収集する方程式を導き出した。魔方陣によってエネルギーは実体化され、子供の心と共鳴する生物が産まれた。その生物の略称が“ふれんど”だった。
次の日、正志は神社で竜也のグループと他のクラスの相楽樹蘭たちが“ふれんど”を戦わせている様子を目撃した。彼らに発見された正志は、自分の“ふれんど”を出すよう要求された。正志はリュックを開けるが、いつの間にか“くらげ坊”は姿を消していた。竜也たちが正志を取り囲んで嘲笑していると、“くらげ坊”は“るくそー”という大きな“ふれんど”と共に現れた。“くらげ坊”と“るくそー”は他の“ふれんど”たちに襲われるが軽く撃退し、竜也たちは逃げ出した。
“るくそー”の使い手である咲が正志の前に現れ、「デバイスの無い怪物なんて初めて見た」と告げた。彼女は去年の夏、“るくそー”と出会っていた。母の静子は新興宗教「天地救世教会」の熱心な信者であり、咲は集会への同行を余儀なくされていた。トイレを理由に集会を抜け出した咲の前に四人衆が現れ、デバイスを渡したのだ。四人衆は都雲市の子供たちにデバイスを配り、「絶対に裏切らない友達」である“ふれんど”を持たせた。しかし強い子を中心とするグループが出来て、今は喧嘩ばかりするようになっていた。
正志と咲が都雲大学の前を通りかかると、教祖の指示を受けた静子と信者たちが一心不乱に祈念していた。静子は咲を見つけると腕を掴み、「研究所に超宇宙の悪の力が蔓延しているの。この悪病を許してはならない」と一緒に記念することを求めた。咲が嫌がっているのを目にした正志は、彼女を連れて逃げ出した。研究所に侵入した正志は、魔方陣を踏んでしまう。気付いた直人は慌てて駆け付け、正志と咲に逃げるよう告げた。青竜は正志の持つ強いエネルギーに気付き、「また来てもらうことになる」と直人に告げた。
竜也の子分である中川巧は、正志の叔父が研究所で働いていることを嗅ぎ付けた。竜也のグループは正志を取り囲み、そのことを指摘して口撃した。一方、竜也と手を組んだ樹蘭のグループは、“くらげ坊”の入ったリュックを持ち出した。彼らは“くらげ坊”をロッカーに閉じ込め、“ふれんど”の“しもん”で攻撃を加えた。竜也は“ユピ”を使って正志を痛め付け、助けに駆け付けた咲にも怪我を負わせた。担任教師が駆け付けて暴行が露呈し、竜也たちは親から厳しく叱責を受けた。
四人衆の動きを恐れていた直人は、注射を打たれて眠らされる。直人は怪我で休んでいる正志の元を訪れ、「お守りだ」と告げてデバイスを渡した。青竜から「次に進め」と指示された直人は、研究所の屋上へ向かう。天地救世教会の信者たちが祈念している眼前で、直人は屋上から飛び降りて死亡した。四人衆は子供たちにパワーアップアイテムが手に入る最強“ふれんど”決定戦の開催を知らせるメールを送信し、竜也と樹蘭が研究所へ向かった。
竜也と樹蘭が研究所に入ると、児童養護施設“もぐらの家”で暮らす中川巧が対戦相手として待ち受けていた。正志は“くらげ坊”を必死で捜し回るが、どこにも見当たらなかった。咲は正志にメールのことを知らせ、「止めに行こう」と誘う。正志は弱気な態度で、「無理だよ。デバイスも使えない。“くらげ坊”もいないんだ」と漏らす。しかし咲が一人で研究所へ向かおうとすると、正志は同行を申し出た。その頃、竜也と樹蘭は自分たちの“ふれんど”で戦い始めていたが、巧の操る“KO2”に圧倒される。その頃、監禁されていた本物の直人は目を覚まし、何とか部屋から脱出しようとする…。

原案・脚本・監督は村上隆、脚本は継田淳、企画・エグゼクティブプロデューサーは村上隆、プロデューサーは笠原ちあき&西村喜廣、撮影は長野泰隆、照明は児玉淳、録音は良井真一、美術は福田宣、監督補・編集・絵コンテ・脚本協力は西村喜廣、特殊造型・特殊メイクは石野大雅、VFXプロデューサーは鹿角剛司&豊嶋勇作、アクション監督はカラサワイサオ、音楽はkz(livetune) &飛内将大&SmileR&池頼広&中川孝&山口龍夫。
主題歌「Last Night, Good Night」(Re:Dialed)livetune feat.初音ミク 作詞・作曲・編曲:kz(livetune) 。
出演は末岡拓人、浅見姫香、斎藤工、窪田正孝、染谷将太、塩澤英真、池永亜美、黒沢あすか、津田寛治、鶴田真由、大朏岳優、根岸泰樹、石川新太、福本晟也、村上航、しいなえいひ、増本庄一郎、島津健太郎、岸建太朗、山野海、いけだしん、鈴真紀史、羽下直希、松岡天星、吉田翔、内田流果、稲田京也、橋本一輝、藤井愛美、高木美結、もふくちゃん withでんぱ組inc、フラミンゴ、笑福亭里光、山中アラタ、鶴岡いくこ、三浦なみ、石倉美詠子、林正樹ら。
声の出演は矢島晶子、桑島法子。


現代美術家の村上隆が原案&脚本&監督を務めた作品。
『富江 アンリミテッド』『ゾンビアス』の継田淳が共同で脚本を担当し、『東京残酷警察』『ヘルドライバー』の西村喜廣が監督補&編集&絵コンテ&脚本協力として参加している。
正志を末岡拓人、咲を浅見姫香、直人を斎藤工、青竜を窪田正孝、白虎を染谷将太、玄武を塩澤英真、朱雀を池永亜美、静子を黒沢あすか、辰男を津田寛治、靖子を鶴田真由、竜也を大朏岳優、樹蘭を根岸泰樹が演じている。

この映画はギャガの配給によって、全国規模で一般公開された。
村上隆センセイはゲージュツの世界で活動している大ゲージュツ家なので、自分の感性を理解できる高尚な人たちだけに向けて作品を作っているのかと思っていたが、どうやら違っていたらしい。
少なくとも、この映画に関しては、広く一般の人々に見てもらいたいという意識があったようだ。
しかし残念なことだが、日本で村上センセイの感性が理解できるような高尚な人間は、そんなに多くないのである。

村上センセイは「広く一般の人々に見てもらいたい」という意識で全国ロードショーという形を取ったはずだが、「ただし褒めてくれることが必須条件」という、なかなか厳しいスタンスを持っていたようだ。
何しろ公開された当時、素人がSNSで映画に関する悪口や酷評を書き込むと、すぐにセンセイからコメントが来て潰していたぐらいなのだ。
この映画は興行的に失敗して2週間で打ち切りになり、全く話題にならなかった。
それを考えれば、ひっそりと消えていくよりは、悪口でもいいから話題にしてくれる方がマシじゃないかと思ったりするのだが、そこは世界的に評価されている村上センセイのプライドが許さなかったんだろう。

で、そういう「素人がSNSで軽く書き込んだ悪口も村上センセイは徹底的に攻撃して潰す」という事情を知っている以上、私はこの映画を酷評するわけにはいかないのである。
何しろ私は何の地位も権力も持ち合わせていない小市民なので、村上センセイのような大物から攻められたら、まるで太刀打ちできないのである。
だから、ボロクソに酷評することを期待していた人がいたら裏切って申し訳ないが、この映画については称賛のコメントしか書かない。

まず冒頭、黒いフードで顔を隠した四人衆が魔方陣を使った実験を行っている。
研究所の装置を使った科学的な実験なのに、魔方陣や黒いフードってのはアンバランスだ。だが、それこそが「アンバランスの妙」というモノだ。
また、黒いフードを被らせることによって、その4人が怪しい実験をしている悪い連中だということも分かりやすく示すことが出来る。
きっと村上センセイは子供向け映画ということで、分かりやすさを重視しているのだろう。

正志が登場すると、いきなり不思議な生き物(この時点では、姿がハッキリとは分からない)を目撃する。
まずは正志というキャラを紹介したり、家族関係を説明したり、どういう場所にいるのかを示したりして、足元を固めてから「そんな少年が不思議な生き物を目撃して」という流れで非日常へ突入した方が、流れとしてはスムーズだろう。
だから、正志が団地へ到着し、前述したような事柄に少し触れてから、“くらげ坊”との遭遇に入った方がいい。
しかし、きっと村上センセイには「子供たちを退屈させたくない、一刻も早く“くらげ坊”を登場させて惹き付けたい」という気持ちがあったのだろう。

正志は最初に不思議な生き物を目撃した時、すぐ靖子に「今の見た?」と言っている。
しかし靖子が佐々木との会話に夢中で無視すると、そのまま終わらせる。
そこはベタなパターンで考えるなら、正志が「変な生き物がいた」と言い、靖子が視線を向けるが何もいないので「何もいないじゃない」と告げ、正志が「おかしいなあ。気のせいだったのかなあ」と思うとか、そういう感じのやり取りを用意する形を取るだろう。
しかし、たぶん村上センセイはゲージュツ家の感性として、ベタなパターンを嫌ったのだろう。

正志は引っ越し初日に夢を見て、夜中に目を覚ます。それは「悪夢にうなされて目を覚ました」という状況のはずだが、「海を見ながらチーかまを食べていた正志が雲を見上げる」というところで夢から醒めるので、どういう意味だか良く分からない。
次の夜に見た夢では「父親が津波に飲まれる」という段階まで進むので、ようやく意味が理解できるようになるわけだが、「少なくとも初日の段階で、それが悪夢であることは伝えるべきでしょ」と思うかもしれない。
だが、それは素人の浅はかな考えだ。
村上センセイほどの人物になれば、海や雲を写すだけで、そこに「不穏な雰囲気」を感じ取ることが出来る。
それを感じ取れないのは、こっちの感性が鈍いだけだ。

夜中に目を覚ました正志は、母親が家族写真を見て嗚咽する様子を目撃する。
だったら、そこのシーンは「明るく振る舞っていた母の辛さを正志が知る」という目的を果たすだけで終わらせてもいいところだが、すぐに「チーかまが食べられた形跡を正志が見る」という手順へ繋げる。
これは、一気に2つの手順を片付けることで、時間を短縮しているのだろう。
そうすることによって、無駄に長尺になることを避けようとしているのだろう。

正志が「誰かいるの?」と声を発しているのに母親が気付かないとか、正志が侵入者を本気で捜索せずに終わらせてしまうとか、その辺りの描写は、ひょっとすると「雑だなあ」とか「変じゃないか」と感じる人がいるかもしれない。
しかし、そこをザックリと片付けて次へ進むのは、「そんなトコに物語の重点は無い」ということの表れだろう。
重要じゃないことに力を入れても意味が無いわけだから、そこは軽視しても構わないという割り切りこそが、きっとゲージュツには大切な考え方なのだ。

正志が震災で父を亡くしているという設定は、物語に何の効果ももたらしていないと断言してもいい。だから全く意味が無いようにも、一見すると思えるかもしれない。
しかし、そこを掘り下げると、実際に震災で身内を亡くした子供たちは辛くて見ていられないだろう。
だから、それを受け入れられる大人たちだけが、脳内補完した上で感じ取れるようにしてあるのだろう。そういう優しい気遣いなのだろう。
むしろ震災の要素なんてバッサリと削った方がスッキリするぐらいだが、それは現実から目を背けることになってしまうので、センセイとしては許せなかったのだろう。

映画が始まってから10分も経過しない内に幾つもの称賛ポイントがあったが、こんなペースで続けたら文章の量が膨大に膨れ上がるので、以降はもう少しザックリと書いていくことにする。
「買い物に行く」と言った靖子は、正志が“くらげ坊”を見つけた途端に戻るので異常に買い物が早いってことになるが、そこは無駄な時間を短縮しているのだ。
“くらげ坊”と接触した正志は、「最初は怯えたり警戒したりするが、友好的だと分かって仲良くなる」という経緯を踏まないどころか、あっという間に距離を詰めて一緒に遊んでいるが、そこは子供のコミュニケーション能力の高さを表現しているんだろう。

四人衆が“ふれんど”を誕生させるに至る経緯の説明は、「何からどうツッコミを入れればいいのやら」という内容になっている。
生命エネルギーで天災を防ぐことが出来るとか、怒りや悲しみから生命エネルギーは発生するとか、魔方陣でエネルギーは実体化されるとか、「それはマジなのかギャグなのか」と言いたくなるかもしれない。
だが、いちいち真面目に考えるべきではないし、ツッコミを入れるのも愚かしい行為だ。
そこはザックリと言っちゃえば「全く意味の無い設定」なので、デタラメでテキトーでも構わないのだ。
重要なのは「悪い連中が目的のために“ふれんど”を誕生させて子供たちにデバイスを配った」とい設定だけで、他はどうでもいいのだ。

さて、まだ物語としては半分ほどしか過ぎていないが、そろそろ面倒に、じゃなかった生命エネルギーが尽きて来たので、総括に入ろう。
この映画は表面的に見れば、恐ろしいぐらいチープで安っぽいし、子供向けではなく子供騙しと言えるかもしれない。
興行的に失敗したということは、きっと日本では、否定的な意見を持つ人の方が多いだろう(そもそも観賞した人が少ないだろうけど)。
しかし、この映画を否定するのは、村上センセイが今まで作って来たゲージュツ作品を酷評するのと同じようなことだと、我々は理解すべきなのだ。

これまでの村上センセイのゲージュツ作品も、批判する声は少なくなかったが、世界的に見れば高く評価されている。サザビーズでは当時の日本現代美術作品の最高額で落札されたこともあったし、2010年にはベルサイユ宮殿で作品展が開催されている。
それを考えれば、この映画も世界に持って行けば、きっと高く評価して称賛してくれる人が大勢いるはずなのだ。
だから村上センセイは、そっちの方だけを見ていればいいのだ。いちいち酷評なんて気にせず、そういう連中は「何も分かっちゃいない馬鹿な奴らだ」と見下して放っておけばいい。
村上センセイは世界的に評価されている立派な大物なんだから、くだらない雑音なんて気にしなくていいのである。

(観賞日:2016年6月17日)

 

*ポンコツ映画愛護協会