『真夜中の弥次さん喜多さん』:2005、日本
江戸。女房・お初の死体が出て来る夢を見た弥次郎兵衛に、ヤク中の恋人・喜多八は注射を打ちながら嫉妬心を示す。象が来たことを 瓦版男が話している中、岡っ引きの呑々は「殺しだ」と叫んで走って来る。瓦版男の話を聞いた呑々が「象なら食ったことがある」と 言い出すと、瓦版男と野次馬たちが殴り掛かった。そんな騒ぎをよそに、弥次さんと喜多さんは長屋で体を寄せ合っている。
喜多さんは弥次さんに、「江戸ってのは、どうしてこんなにペラペラなんでえ?」と言う。借金まみれの彼は「弥次さん…、オイラ、現実 (リヤル)がとんと分からねえ」と漏らした。弥次さんは、お伊勢さんから届いたダイレクトメールを見つけた。“リヤルは当地にあり” と書いてあるので、彼は「外の世界に出てみりゃあ、新しいてめえが見つかるかもしれねえ」と喜多さんをお伊勢参りに誘った。しかし 喜多さんは「くだらねえ、てんでリヤルじゃねえ。所帯持ちと旅に出たって、楽しくねえ」と不機嫌になった。
弥次さんが「女房がなんでえ。俺は喜多さんと旅がしてえんでえ」と怒鳴ると、喜多さんは行く気になった。2人はバイクに乗り、江戸を 飛び出した。だが、時代考証に厳しい岡っ引に捕まり、バイクを没収されて江戸へ戻されることになった。仕切り直して出発した2人は、 箱根の関所、笑の宿に辿り着いた。そこではネタを見せて面白いと思われなければ、宿に泊まることも出来ない。鬼の番人・木村笑之新が 来て以来、ユーモアの無い奴は関所を通さず、酷い奴は侍でも容赦はしないらしい。
ヤクが切れた喜多さんが苦しんでいると、木村の行列がやって来た。幻覚を見た喜多さんがパニックを起こして喚き立てたので、弥次さん は仏像で殴って気絶させる。それを見た木村は「面白い、そのツッコミ」と気に入った。翌朝、弥次さん喜多さんは関所へ行き、ネタを 披露しようとする。だが、喜多さんがヤクが幻覚を見てしまい、悲鳴を上げた。ヤク中がバレた喜多さんは関所を通れず、弥次さんだけに 通行許可が出た。留まろうとする弥次さんだが、強引に引き離された。
泣きながら歩いていた弥次さんは、大阪弁の男がネタを披露して人々の爆笑を取っている現場に遭遇した。その男は大阪から江戸進出を 目指す伝説の浪速ホット師匠だった。弥次さんは彼がヤク中だと気付いた。話を聞くと、関所を通れず、大阪に帰るわけにはいかず、相方 は先に行ってしまったという。ホットの相方は、息子の浪速サンドだった。そのサンドは、喜多さんと街道で遭遇していた。
ホットは野良犬をサンドと思い込み、後を追い掛けた。喜多さんとホットは箱根の関所のぱーと2に迷い込み、関所通過を賭けて笑いの神 の前でクイズ対決をさせられることになった。笑いの神はヤクが入った透明の箱を取り出し、「箱の中身は何でしょね」クイズを出した。 ホットが幻覚を見てヤクをむさぼり食べたため、喜多さんが通過できることになった。彼は弥次さんと再会し、喜び合った。一方、サンド はホットの死体を発見した。
弥次さん喜多さんは、喜の宿へと向かった。その頃、江戸ではお初の他殺体が発見されていた。町奉行の金々と呑々は、捜査を開始した。 弥次さんは疲れて休んでいる喜多さんを残し、先に行くことにした。喜多さんは清水次郎長に夢中な喜び組と遭遇した。伝言板に次郎長が 通ると書き込みがあったので、待っていたのだという。しかし、誰も次郎長を見たことが無いらしい。喜多さんは仲間に引き入れられ、 お揃いの制服で軽快にスキップした。
金々はお初の殺害が三角関係のもつれだと確信し、弥次さんと喜多さんを追うことにした。彼は呑々を引き連れて、伊勢へと向かった。 喜多さんと喜び組が一緒に歌っていると、そこへ弥次さんがやって来た。すると喜び組は、弥次さんに心を奪われる。弥次さんは山道で 追い剥ぎに遭ったという男を連れていたが、それが次郎長だった。ちっとも男前ではない次郎長は、喜び組の仲間になった。ずっと喜び組 が追い掛けて来るので、喜多さんは弥次さんのふんどしを投げて、それを追い掛けさせた。
弥次さんと喜多さんが次に辿り着いたのは、歌の宿だった。喜多さんは悩みがありそうな茶処の娘・お幸に話し掛ける。すると彼女は、 下手な歌で「私は歌が下手なんです」と悩みを打ち明ける。彼女の父・おちんが茶処から現れ、「下手な歌を歌うんじゃないわよ」と言う 。それから彼は、激しく踊りながら歌い出した。茶を一杯出すごとに、彼は歌うのだ。お幸は喜多さんに、昔からこの辺りでは歌を歌うと 霧が晴れて富士山が良く見えるという言い伝えがあることを話す。だが、彼女が歌うと富士山が隠れてしまうのだ。
喜多さんは弥次さんに、寺でディナーショーを開こうと持ち掛ける。「ヤクより今はディナーショーだ」と言うので、弥次さんは喜んだ。 弥次さんと喜多さんはデビューして3週連続でチャート1位に輝くが、お幸の歌は下手なままだ。お幸と楽しそうにする喜多さんを見て、 弥次さんは嫉妬心にかられる。一方、金々と呑々は崖下で死んでいる喜び組を発見した。一人が握っているふんどしを見ると、そこには 「やじろべえ」の文字があった。金々は、弥次さんが彼女たちを皆殺しにしたと断定した。
ディナーショーを翌日に控え、弥次さんはお幸から名前の刺繍入りタオルをプレゼントされた。彼女は、ディナーショーでデュエットして ほしいと持ち掛けた。一方、喜多さんは富士山に向かって「おいら、お幸ちゃんが好きだ」と叫ぶ。だが、こだまが戻って来ないので落胆 した。「一緒にお伊勢さんへ行くんじゃないのかい」と言う弥次さんに、彼は「一人で行ってくれ。お幸ちゃんが、おいらにとっては お伊勢さんでえ」と告げた。
喜多さんはおゆきに愛を告白し、彼女に抱き付いて「助けてくれ」と言う。しかし、おゆきに弥次さんが好きだと歌で打ち明けられる。 ディナーショーで互いの口に拳を突っ込んだ弥次さん喜多さんは、腕がくっ付いてシャム双生児になってしまった。その状態のまま、2人 は王の宿へ向かった。すると、とろろ汁屋のアーサー王が人々を集め、地面に突き刺さったエクスカリバーを見せていた。一人を指名して 引き抜かせようとするが、全く動かない。するとアーサー王は、人々の差し出したお椀にとろろ汁を配った。
弥次さんと喜多さんはアーサー王に呼ばれ、とろろ汁を食べるよう促された。喜多さんは拒むが、弥次さんはお椀を差し出して食べた。 すると、繋がった喜多さんの体が痒くなった。喜多さんがヤクを食べようとするので、弥次さんは慌てて引っ張った。すると喜多さんは エクスカリバーを抜いて腕を切断し、弥次さんを背中から突き刺した。我に返った喜多さんだが、弥次さんは絶命していた。
スクリーンに大きく「完」の文字が出て映画が終わったので、映画館で見ていた喜多さんは「こんなの、てんでリヤルじゃねえよ」と 映写技師の奪衣婆に文句を言う。奪衣婆は「そりゃあそうさ、映画だからね」と淡白に告げた。彼女が同時上映の『ベン・ハー』を流そう とすると、喜多さんは『真夜中の弥次さん喜多さん』を改めて再上映するよう要求した。すると、今度は別の場所で喜多さんが弥次さんに 襲い掛かる映像が流れた。喜多さんが「さっきと違うじゃねえか」と口を尖らせると、奪衣婆は「これがリヤル・バージョンさ。お前は こうやって弥次さんを殺した」と告げた…。監督・脚本は宮藤官九郎、原作は しりあがり寿 『真夜中の弥次さん喜多さん』(マガジンハウス刊)/『弥次喜多in DEEP』 (エンターブレイン刊)/『小説 真夜中の弥次さん喜多さん』(河出書房新社刊) 、エグゼクティブ・プロデューサーは椎名保& 藤島ジュリーK.&島本雅司&吉田博昭&長坂まき子、チーフ・プロデューサーは豊島雅郎&小川真司、スーパーバイザーは柘植靖司、 プロデューサーは宇田充&藤田義則、アソシエイト・プロデューサーは原藤一輝、撮影は山中敏康、編集は上野聡一、録音は藤丸和徳、 VEは宇津野裕行、照明は椎原教貴、美術は中澤克巳、VFXスーパーバイザーは田中浩征、VFXプロデューサーは曽利文彦、 音楽プロデューサーは安井輝、音楽はZAZEN BOYS、劇中歌は富澤タク。
オープニングテーマ「東海道で行こう」作詞:宮藤官九郎、作曲:富澤タク、歌:長瀬智也 中村七之助。
主題歌「真夜中の弥次さん喜多さん」作詞:宮藤官九郎、作曲:富澤タク、歌:長瀬智也 中村七之助。
エンディングテーマ「MIDNIGHT YAJI×KITA 〜I Wanna Be Your Fuck〜」作詞・作曲:向井秀徳、歌・演奏:ZAZEN BOYS。
出演は長瀬智也、中村七之助、小池栄子、阿部サダヲ、柄本佑、生瀬勝久、寺島進、森下愛子、岩松了、板尾創路、竹内力、大森南朋、 山口智充、中村勘九郎、研ナオコ、ARATA(現・井浦新)、麻生久美子、妻夫木聡、荒川良々、古田新太、松尾スズキ、楳図かずお、 大沢悠里、毒蝮三太夫、小木博明(おぎやはぎ)、矢作兼(おぎやはぎ)、清水ゆみ、しりあがり寿、河井克夫、青木和代、谷津勲、 皆川猿時、桑幡壱真、広野健至、天久聖一、もとのもくあ、市川しんぺー、少路勇介、木村孝蔵、宮本光康、佐野健吾、宮崎隆一、 亀山敬司、山下真司、西尾洋晃、堀内良太、正司遼太郎、北村季己江、栄谷大輔、水野亜依子、東節子、加藤恭平、井上祥子ら。
しりあがり寿の漫画『真夜中の弥次さん喜多さん』と『弥次喜多in DEEP』を基にした映画。
人気脚本家の宮藤官九郎が、初めて監督を務めている。
弥次さんを長瀬智也、喜多さんを中村七之助、お初を小池栄子、金々を阿部サダヲ、呑々を柄本佑、瓦版男を生瀬勝久、 岡っ引きを寺島進、笑の宿の旅籠の女将を森下愛子、番頭を岩松了、浪速ホットを板尾創路、木村を竹内力、次郎長を古田新太、お幸を 清水ゆみ、おちんを山口智充、アーサー王を中村勘九郎が演じている。この映画をボロクソに酷評することは、そう難しい作業ではない。
まず冒頭のシーンからして、モノクロにしていることの意味は全く無い。
四谷怪談のパロディーとして、戸板に磔にされた喜多さんとお初でオセロやテトリスをやったりする描写があるが、「普通の時代劇」と しての描写が皆無な中で、いきなり「ぶっ飛び過ぎたネタ」をやっちゃているので、それが笑いに上手く結び付いてくれない。弥次さん喜多さんはバイクで江戸を出発し、現代の道路を走る。するとバイクに乗った岡っ引きが登場し、「江戸っ子は歩きなさいよ」と 注意する。
そこが江戸ではなく現代の東京であることや、岡っ引きもバイクに乗っていることに対して、誰もツッコミを入れる奴はいない。
だから、それがギャグなのか何なのか、良く分からない。基本的に、ギャグは垂れ流し状態だ。
「てやんでえ」とか「べらんめえ」というのは、ツッコミではない。
っていうか、その何度も繰り返される「てやんでえ」とか「べらんめえ」とか「面目ねえ」という、わざとらしい江戸言葉が、だんだん 耳障りになってくる。話は行き当たりバッタリで、ギャグを詰め込みすぎてゴチャゴチャした印象になっているし、ギャグがストーリー展開を妨害して いる。
夢と現実、生と死の境界線をボンヤリさせて、グチャグチャに混ぜ合わせている。
バイクの岡っ引きが「何、撮影?」と尋ね、弥次さんが「映画」と答えて作品のタイトルを説明するなど、メタ・フィクション的な描写が 何度も挿入される。
それは、まるで監督が下手な言い訳をしているようにも思える。何から何までメチャクチャで、ちゃんと時代劇映画をやっているシーンは微塵も無い。
ギャグ連発だが、勢いがあるわけではない。
小気味の良いテンポや畳み掛けるような流れを生み出すことは出来ておらず、サイドブレーキを掛けたまま前に進もうとしているような 感じで、ぎこちなく進む。
また、ギャグが幾つも羅列されているが、全体を通してコントになっているわけではなくて、単に幻想風景を見せている だけのシーンも多い。
そして、何がどうなったのか良く分からないまま、次のシーンに移動したりする。「ちゃんとした時代考証・歴史考証をやれ」とか、そんな馬鹿みたいなことを要求しようとは思わない。昔の時代劇映画だって、大抵は 「あたかも江戸時代」だったのだ。そして、それでOKだったのだ。
それに沢島忠監督の映画なんて、現代の景色を風俗・世相を色々と持ち込むこともあった。
ただし、沢島監督の作品が面白かったのは、基本的には江戸時代の風景や設定を使って、その中に現代の要素を幾つか散りばめていた からだ。
この映画の場合、基盤となる部分に「時代劇映画で良くある江戸時代」が存在していない。それに、現代の景色としても、おかしな物を 持ち込んでいる。根本から「何でも有りのファンタジー」の世界観が敷かれている。
そうなると、もう何が出て来ても、どんな物が登場しても、不思議ではない。
裏を返せば、何が出て来ても、江戸時代とのギャップに面白さを感じるのは難しいってことだ。後半に入ると、シリアスな雰囲気が強くなる。
しかしサイケデリックで一筋縄では行かない内容なので、心に響くような物は感じない。
そもそも、前半の支離滅裂ギャグ路線も痛いが、シリアスになっちゃうのは、それはそれで違うなあと感じる。最後までおバカ路線で貫く べきだろうと。真面目なテーマとか、深いメッセージなんて要らなかったのに。
『真夜中のカーボーイ』がやりたいのなら、支離滅裂なコントにせず、もっとスッキリしたストーリーを持つ構成にすりゃ良かったのに。
しかし、最後までバカ路線を徹底すれば面白い映画になったのかというと、そうではないというのが難しいところだ。弥次さんがお初を死なせてしまう経緯も、喜多さんが弥次さんを殺す理由も、つまらないものだ。
「くっだらねえ」と言いながらも笑えるような類の物ではなく、単純につまらないだけ。ギャグをやりたいがための蛇行や寄り道を何度も 繰り返していたのに、そこはギャグじゃない。
ギャグの洪水が面白くないだけでなく、ギャグをやらなくても面白くない。
ようするに、まるで勝ち目が無いんだよな。上述のように、この映画をボロクソにけなすのは簡単だ。
しかし「ただの悪ふざけ」とか「デタラメな駄作」とか酷評しても、それはクドカンの思う壺ではないかとさえ思えるのだ。
酷評されることまで想定した上で、酷評されるような映画を作ったのではないかと思えてしまうのだ。
だから、この映画に最もふさわしいリアクションは、菩薩眼で右から左へ受け流すことなのかもしれない。
劇中で弥次さんと喜多さんは現実逃避として旅をしているが、まるでクドカン自身が現実逃避しているかのようでもある。
だから本作品を見た私も、「クソみたいな物を見てしまった」という現実を忘れて逃避しようと思う。(観賞日:2011年8月6日)