『マチネの終わりに』:2019、日本

6年前、2013年11月。小峰洋子はジュピターレコードで働く親友の是永慶子に誘われ、蒔野聡史のコンサートを観賞した。世界的に有名なクラシックギター奏者で、その日がツアーの最終日だった。終演後、蒔野は40分も楽屋に閉じ篭もり、マネージャーの三谷早苗は挨拶に来ていた大勢の関係者に帰ってもらった。洋子と一緒に楽屋前まで来ていた慶子も、早苗に挨拶して立ち去ろうとする。しかし蒔野がドアを開けたので、慶子は洋子を紹介する。洋子は慶子の留学時代の友人で、現在はフランスでRFP通信の記者として働いていた。
洋子がアンコールのブラームスを称賛して「どこか遠い所に連れて行ってくれるような」と言うと、蒔野は「実は舞台の上からお誘いしてたんです」と冗談めかして告げた。すると慶子は軽く笑い、「お得意の口説き文句は通用しませんよ。彼女にはフィアンセがいます。それに洋子のお父様は、あのイェルコ・ソリッチですから」と語った。イェルコ・ソリッチは世界的に有名な映画監督で、洋子は二番目の妻の娘だ。イェルコと血は繋がっておらず、一緒に暮らしたのも短い期間だけだった。
「ソリッチ監督の『幸福の硬貨』は、僕がギターを好きになるきっかけになった映画なんです」とと蒔野が話すと、洋子は「実は蒔野さんが弾くテーマ曲を生で聴いたことがあるんです」と言う。彼女がニューヨークのデビューコンサートを観賞していると知り、蒔野は「光栄ですけど、もう20年以上前の話ですから」と微笑む。洋子は彼に、そのコンサートで自分が不機嫌だったと告げた。洋子が慶子に誘われて打ち上げに参加すると、蒔野はジョークを交えて饒舌に喋った。
蒔野はバーで洋子と2人きりになると、アンコール以外は満足な演奏が無かったと打ち明けた。「聴いていて、少し取り残されたような気がしました」という洋子の言葉に、蒔野はコンサート中に抱いた感覚を思い出す。洋子はデビューコンサートで不機嫌だった理由について、自分より年下の蒔野が父の映画のテーマ曲を完璧に演奏して拍手喝采を浴びていたので嫉妬したのだと告げた。2人の様子を覗いていた早苗は、邪魔するように割り込んだ。
早苗に帰国した理由を問われた洋子は、祖母の葬儀があったことを話す。祖母は転んで庭の石に頭をぶつけ、死亡していた。その石で幼い頃に遊んでいたことを洋子が語ると、幼少期の楽しい記憶が変わってしまうことを懸念しているのだと蒔野は見抜いた。彼は洋子に、「人を変えられるのは未来だけだと思い込んでるけど、実際は常に、未来が過去を変えてるんだ」と告げた。打ち上げが終わると蒔野は洋子のためにタクシーを拾い、翌日にはフランスへ戻る彼女を見送った。
2014年2月。蒔野が唐突にレコーディングやツアーを中止すると言い出したので、驚いた慶子は理由を尋ねる。しかし蒔野は「ギターを弾くのが嫌になったんです」と言うだけで、詳細を語ろうとはしなかった。テレビではパリで発生した爆弾テロのニュースが報じられており、慶子は取材しているであろう洋子に連絡したが返信が無いことを蒔野に語った。すると蒔野は、「僕もです」と告げた。彼は何度も洋子にメールを送っていたが、返信は無かった。
洋子は爆弾テロに関する取材に奔走し、忙しい日々を送っていた。蒔野は洋子の安否を気遣う内容ではなく、『幸福の硬貨』についてのメールを送ってみた。取材を終えて通信社に戻った洋子はロビーでスマホを確認し、蒔野のメールに気付いた。しかし同僚のフィリップに声を掛けられたため、メールの内容は確認しなかった。洋子が編集室に向かおうとエレベーターに乗った直後、ロビーで爆弾テロが発生した。すぐに洋子はスマホを開き、動画を配信して人々にメッセージを訴え掛けた。
2014年3月。蒔野は13歳からギターを教わる祖父江誠一のコンサートを観賞し、自身の迷いについて相談する。祖父江は6月にマドリードでセゴビアの記念コンサートがあるので一緒に客演しないかと持ち掛けるが、蒔野は「ちょっと急ですね」と困惑した。一方、しばらく仕事を休んでいる洋子だが、気持ちが落ち着けば復帰するつもりだった。しかし彼女は婚約者のリチャードから、一緒にニューヨークへ行こうと誘われていた。
蒔野が洋子の動画を改めて見ていると、彼女からテレビ電話が掛かって来た。蒔野は慌てて回線を繋ぎ、洋子の無事を喜んだ。洋子は連絡できなかったことを謝罪し、同僚が亡くなったショックや助けられなかったことへの罪悪感を吐露した。洋子が工事の大きな物音に怯える姿を見た蒔野は、打ち上げでも披露した笑い話を喋り出す。すぐに洋子が以前と同じ内容だと気付くと、蒔野は彼女を元気付けようとして明るいエピソードを語った。蒔野はセゴビアの記念コンサートに客演すると言い、パリで洋子と会う約束を交わした。
3ヶ月後。洋子はパリのレストランで蒔野と会い、「テロの後、蒔野さんのバッハに救われたわ」と告げる。ジャーナリストになった理由を蒔野が尋ねると、洋子は「何になりたいかなんて分かっていなかった。ジャーナリストって、むしろそういう人に向いてると思うの」と答えた。蒔野が「もし洋子さんが地球のどこかで死んだって聞いたら、僕も死ぬ。洋子さんが自殺したら僕も自殺する」などと言い出したため、洋子は困惑する。彼女が「私、結婚するの」と口にすると、蒔野は「分かってる。だから止めに来た」と告げた。
洋子は婚約者が日系人の経済学者であること、ニューヨークで企業の顧問をしていること、結婚したらニューヨーク支局へ移るつもりでいることを語る。蒔野は自分の思いを熱く語り、「洋子さんの気持ちが知りたい」と言う。洋子が「マドリードのコンサートまで、時間を貰えますか」と告げると、彼は土曜日のマチネの席を取っておくと約束した。帰宅した洋子は婚約指輪を外し、ニューヨークのリチャードとテレビ電話で話した。
蒔野は記念コンサートで演奏するが、散々な結果に終わった。洋子は客席に現れず、メールを受け取った蒔野は彼女のアパルトマンに赴く。洋子がコンサートに行かなかったのは、ジャリーラが1人で容疑者を追い掛けて怪我を負ったからだった。蒔野はジャリーラに手料理を用意し、ギターを演奏した。ジャリーラが眠りに就いた後、蒔野は演奏者として行き先が見えなくなっている怖さや孤独を洋子に明かした。洋子は彼に、「私は蒔野さんが死んでも、後を追ったりしない。蒔野さんが残した音楽を、ずっと聴いていたい。それに、たくさんの人たちに伝えていきたい」と語った。洋子は「全てが終わったら日本に行きます」と言い、蒔野と熱いキスを交わした。
洋子が帰国する日、蒔野は彼女を迎える準備を進めた。空港に着いたというメールを受けた彼は、バスターミナルで合流することにした。しかし早苗からの電話で祖父江が倒れたことを知らされたため、急いでタクシーに乗り込んだ。病院に到着した彼は祖父江の娘の奏と会い、脳出血で見つけた時には随分と時間が経っていたことを聞かされた。手術に3時間ほど掛かると知り、蒔野は洋子に電話を掛けようとする。タクシーに携帯電話を忘れたことに彼が気付くと、早苗は「私、取って来ますから」と申し出た。
早苗はタクシー会社を訪れ、蒔野の携帯電話を受け取った。洋子からの着信を知った彼女は、ロックを解除して中身を確認した。嫉妬心を抱いた早苗は、蒔野を装って別れを告げるメールを送信した。病院に戻った彼女は、「携帯を水溜まりに落として使えなくなった」と蒔野に嘘をついて謝罪する。蒔野は早苗に、慶子に電話して洋子の連絡先を教えてもらってほしいと頼む。早苗は自分の自身の私用の携帯番号を教え、何も知らない蒔野に洋子への留守電メッセージを送らせた。洋子は偽のメッセージにショックを受け、ホテルのエレベーターで爆弾テロを思い出して恐怖に見舞われた。
翌朝、祖父江は一命を取り留め、意識が回復した。蒔野は新しい携帯電話を早苗から受け取り、洋子のメッセージを確認する。彼女が長崎の実家にいると知った蒔野は、自分も行こうと考える。別れのメッセージを受け取っている洋子は「気遣いはやめて」と拒否するが、蒔野には彼女の気持ちが理解できない。電話を掛けても無視された蒔野は「長崎で会えないなら、東京で待ってます」と留守電にメッセージを残すが、洋子は来なかった。洋子は母の信子と話し、イェルコが自分たちを守るために別れたことを初めて聞かされる。イェルコの映画は政治的に利用され、彼は脅迫を受けて命を狙われていた。そこで洋子と信子を守るため、別れを選んだのだ。「後悔しなかったの?それから1回も会えなくて」と洋子が訊くと、信子は「会えんことはイェルコの愛情やったけんね」と告げた。
4年後、2018年12月。祖父江の葬儀が執り行われ、蒔野は妻になった早苗と幼い娘の優希を連れて参列した。彼は奏から、引退した祖父江が復帰に向けてリハビリに励んでいたことを知らされた。奏は蒔野に、ずっと祖父江が心配していたこと、神に選ばれた音楽家だと言っていたことを教えた。蒔野は慶子から祖父江の追悼アルバムへの参加を要請され、「そろそろ考えなきゃいけないと思っていました」と言う。復帰コンサートも考えていると知らされた蒔野は消極的な態度を示すが、結局は承諾した。
慶子は蒔野に、洋子が結婚してニューヨークへ行ったことを教えた。洋子はリチャードと結婚し、ケンという息子を授かっていた。洋子は豪邸で暮らし、大勢の人々を招いたパーティーでリチャードとの円満ぶりをアピールする。しかし実際の夫婦関係は破綻しており、客が去るとリチャードは洋子に冷たい態度を取った。彼は家に愛人を連れ込み、洋子の前でも浮気を重ねた。リチャードに「君が憎いんだ」と言われた洋子は離婚手続きを開始し、就職活動に励む。蒔野は自宅で練習を重ね、無事にアルバムのレコーディングを終えた…。

監督は西谷弘、原作は平野啓一郎「マチネの終わりに」、脚本は井上由美子、製作は石原隆&畠中達郎&市川南&佐渡島庸平、エグゼクティブプロデューサーは臼井裕詞&千葉伸大、プロデューサーは大澤恵&稲葉尚人、ラインプロデューサーは森賢正、撮影は重森豊太郎、照明は中村裕樹、美術は清水剛、録音は藤丸和徳、編集は山本正明、クラシックギター監修は福田進一、音楽は菅野祐悟。
出演は福山雅治、石田ゆり子、伊勢谷友介、桜井ユキ、古谷一行、板谷由夏、木南晴夏、風吹ジュン、Sarah PERLES、Pierre SAMUEL、Sandra HERLOG、西冨あさ希、岩川晴、森岡龍、古山椛葉、河野安郎、今藤洋子、田川可奈美、花戸祐介、稲野辺祐二、心美、さとうかよこ、湯浅奈美、若林秀敏、木村康雄、赤坂菜莉華、Dennis NOWICKI、小笠原ジャスティン、大石康人、土屋いくみ、吉本真理、堤千花、細井智、佐藤洋平、河内孝博、大橋佳純、安井絵理ら。


毎日新聞で連載された平野啓一郎の同名小説を基にした作品。
監督は『真夏の方程式』『昼顔』の西谷弘。
脚本は『ジャンプ』『昼顔』の井上由美子。
蒔野を福山雅治、洋子を石田ゆり子、リチャードを伊勢谷友介、早苗を桜井ユキ、祖父江を古谷一行、慶子を板谷由夏、奏を木南晴夏、信子を風吹ジュンが演じている。
原作者の平野啓一郎と交流のあったクラシックギター奏者の福田進一が、クラシックギター監修として参加している。

映画の冒頭では、洋子が笑いながら走る様子が映し出される。そこから「6年前、2013年11月」というテロップが出て、蒔野のコンサートを洋子が観賞する様子が描かれる。
打ち上げを終えて洋子がタクシーで去った後、シーンが切り替わると、蒔野がレコード会社で慶子とレコーディングやツアーの中止について話している。しかし、このシーンは打ち上げの翌日ではない。数日後でもなくて、もう冬になっている。
それを「窓の外は雪」という様子だけで表現しているが、これだと分かりにくい。「冬景色」だけを捉えて月日の経過を示す区切りがあるわけでもないしね。
最初に「2013年11月」と出したんだから、そこも何月なのか出せばいいでしょ(上の粗筋では「2014年2月」と書いたが、それは後になって分かる情報だ)。

これって、たぶん1990年代だったら田村正和が主演を務めていたんじゃないかと思う。そして当時の田村正和なら、蒔野のキャラクターにピッタリだったんじゃないかと思う。
残念ながら福山雅治には当時の田村正和が醸し出していたような、「大人の色気を放つ中年男性」としての魅力が無い。長きに渡ってモテモテのイケメン俳優&歌手として活動してきた福山雅治だが、「若々しくて爽やかなイケメン」としてモテてきたのだ。下ネタを言っても下品にならず、明るいイメージを保ってきた。
そのせいか、蒔野のように「陰のある中年男性の色気」「枯れた男の渋い味わい」が必要なキャラが似合っていない。
そこに合わせようとした結果なのか、この映画の彼は「老けたなあ」というマイナスの印象ばかりが強くなっている。

あと、根本的な問題として、福山雅治は世界的に有名なクラシック・ギター奏者には見えないし、石田ゆり子は戦場にも果敢に飛び込むジャーナリストには見えない。
皮肉なことに、福山雅治は普段から音楽活動をしてギターを演奏していることが、逆に「クラシック畑の人には見えない」という印象を強める結果となっている。
石田ゆり子の方は、「過酷な現場を何度も経験している人の目や顔をしていない」ってことが全てだ。雰囲気も含めて、常に「ゆるふわ」感が強すぎるのよ。
本来なら、「普段は厳しい現場で仕事をして緊張感でピリピリしているが、蒔野と会っている時は気持ちが解放されて素の自分が出せる」ぐらいの感じであるべきだと思うのよ。でも、仕事をしている時の彼女も、「なんか違う」という印象が強いのよね。

っていうかさ、もっと致命的な問題に触れちゃうけど、フランスのパートって全てが嘘臭いし安っぽいんだよね。パリでのロケーションを持ち込んでオシャレさやスケール感を出そうとしたのかもしれないけど、完全に裏目。
しかも、爆破テロの要素まで持ち込んじゃったから、余計に安っぽくなっちゃってるし。
洋子がエレベーターで爆破テロを体験し、スマホを通じて世界に配信するシーンなんて、苦笑さえ誘うほどだ。そういう社会的&政治的な要素って、このメロドラマを高尚にする力は無くて、余計に陳腐にしているだけだよ。
「遺された者は今日の悲劇を変える未来を創らねばなりません」という呼び掛けは「蒔野の言葉に影響されて」ってことなんだけど、虚しく流れていくだけで何も心に刺さらない。

ただ、実は陳腐なのってフランスのパートだけに留まらず、実は蒔野の周辺の描写も「フランスよりはマシだけど」という程度なのよね。
だから両方が合わさると、そりゃあもう無残なことになっている。
容疑者を追い掛けて怪我を負ったジャリーラを蒔野が手料理やギターの演奏で笑顔にさせようとするシーンなんて、まあバカバカしいことと言ったら。
まず「容疑者を追い掛けて怪我だけで済んだのかよ」と言いたくなるし、「ギター演奏なんかで気持ちは休まらねえよ」と言いたくなるし、他にも色々だわ。

話を円滑に進めるために、登場人物に強引で不自然な言動を何度も取らせている。
例えば、蒔野が「舞台の上からお誘いしてたんです」と洋子に言った時、慶子は「お得意の口説き文句は通用しませんよ。彼女にはフィアンセがいます」と告げる。ここまでは何の問題も無い。
でも、「それに洋子のお父様は、あのイェルコ・ソリッチですから」という台詞は不自然。「それに」ってのは、何に対しての「それに」なのか。
「父親がイェルコ・ソリッチだから得意の口説き文句は通用しない」ってのは、ちょっと意味が分からない。そこは「蒔野と洋子はイェルコを通して繋がっていた」ってことを示すために、不自然な台詞を言わせているように感じる。

早苗から帰国の理由を問われた洋子は、祖母の葬儀があったことを話す。ここまでは分かる。
「転んで庭の石に頭をぶつけて死んだ」と死因を語るのも良しとしよう。
でも、「小さい頃、その石をテーブルに見立ててままごと遊びをして云々」ってのは、わざわざ喋る必要の無い情報だろう。
慶子がパリの爆弾テロのニュースを見るシーンは、そもそも「レコード会社でテレビのニュースを流している」という状況に引っ掛かるし、「洋子に連絡したが返信が無い」ってのを蒔野に話すのも違和感が強い。

しかし実は前述したシーンにおいて、不自然さを解消する方法も幾つかは思い付く。
例えばイェルコに関する部分では、「それに」という流れで言わせず、「フィアンセがいるから口説き文句は成立しない」ってことで区切りを付けて、それとは別に「洋子の父はイェルコ・ソリッチ」という情報に言及すればいい。
爆弾テロに関しては、蒔野が「洋子について慶子に質問する」という形にしておけばいいんじゃないか。
話し合いの場でテレビが付いている問題については、場所をレコード会社じゃなく近くでテレビが付いていても変じゃない場所にすればいい。

ただ、ままごと遊びについて話すシーンの問題については、ちょっと解決方法が思い付かない。
だけど突き詰めて考えてみると、「自然に感じさせるような演出や芝居が不足していた」ってことなのかもしれない。
例えば芝居の間とか、台詞の抑揚とかね。
いっそのこと、何もかも「自然」とは真逆のベクトルで演出した方が、それによって細かい不自然さは打ち消されたかもしれない。
不自然さで全体を包むことで、説明的な台詞に含まれる不自然さを隠してしまうという方法だね。

蒔野は自身の演奏に迷いを感じ、洋子は爆破テロで心を痛める。
互いに悩みを抱えることになるわけだが、そんな2人の苦悩や葛藤に深みを感じることなど皆無だ。雰囲気だけは「繊細な心の機微を描き出す人間ドラマ」ってのを全力でアピールしているが、実際の中身は浅い。
蒔野に関しては、スランプに陥っていることは伝わるが、表面的な部分で止まっている。そして洋子が心配でツアーやレコーディングを中止することによって、それ以降は「女のことで悩んでいるだけでしょ」という印象になってしまう。
洋子に関しては、もちろん爆破テロを体験して同僚が犠牲になればショックが大きいのは分かる。しかし爆破テロの描写が安っぽいせいで、それが「洋子の心の傷も充分に伝わらない」という問題に直結している。

リチャードは洋子に一緒に暮らそうと持ち掛ける時、「子供を3、4人育てるのもいい」と言う。
これってスッと流しそうになっちゃうけど、冷静に考えると「んっ?」と引っ掛かることがある。それは洋子の年齢だ。
石田ゆり子はアラフィフだが、設定としてはアラフォーらしい。だから実年齢よりは若い設定だが、それにしても高齢出産になることは確かだ。
そんな人に「子供を3、4人育てるのもいい」と言うのは、どうなのよ。
ひょっとするとアメリカの人だから、養子縁組ってことまで考えての発言なのかもしれないよ。でも、そんなことまでは言及していないので、単に「洋子の年齢を無視した不可解な発言」にしか聞こえない。

蒔野はパリで洋子と会った時、「もし洋子さんが地球のどこかで死んだって聞いたら、僕も死ぬ。洋子さんが自殺したら僕も自殺する」「馬鹿な考えだと思うかもしれないけど、もし洋子さんが死にたいと思い詰めた時、それは僕を殺そうとしてるんだって思い出して」などと真剣な表情で話す。
それは「真っ直ぐな情熱を愛する相手にぶつけている」という表現なんだけど、ちっとも心に響かない。簡単に「君が死んだら僕も死ぬ」と言い出す神経に、人間としての未熟さや愚かしさを感じてしまう。
これが20代の若者なら、その直情的な感覚も分からんではないよ。あるいは「年は取っているけど恋愛経験は浅い」ってことなら、それも分かる。
でも、もう充分すぎるぐらい経験を重ねた大人が吐く言葉としては、不快感さえ覚えるほどだ。
少なくとも、テロで同僚を亡くした人間に対して、軽々しく「死ぬ」とか「自殺する」とか言うべきではないだろ。

蒔野は洋子に、「洋子さんの存在こそが、僕の人生を貫通してしまったんだよ」「僕が生きる現実には洋子さんが存在してるんだ」などと熱く語る。
情熱の高まりがあることは充分に伝わるんだけど、説得力は皆無だ。
「2回しか会ってない」ってことは彼自身も認めているが、「その2回だけで結婚を止めたくなるほど気持ちが燃え上がった」という「強烈な恋の炎」が、この映画からは伝わって来ない。
2人が互いに初対面で惹かれ合ったことは、ちゃんと伝わる。だけど、さすがに「初めてのデートで結婚を止めようとする」というレベルにまで達するのは、「ちょっとヤバい奴」としか感じない。

今は携帯電話の普及によって、昔のようなメロドラマを作ることが難しくなっている。
メロドラマにとって重要な「すれ違い」という要素が使えなくなったからだ。
そこで本作品では「早苗が蒔野に成り済まして洋子に別れのメールを送り、蒔野には自分の携帯番号を教えて洋子へのメールを送信させる」という展開によって、蒔野と洋子が「意図せぬすれ違い」に陥る状況を作っている。
ただ、それで洋子が誤解するのは分かるが、そこから「2人が別れて4年が経ちまして」となるのは「いや無理があるわ」と言いたくなる。

蒔野は2回しか会っていないのに結婚を止めるほど、恋の炎が燃え上がっていたんでしょ。だったら要領を得ない洋子からのメールだけで諦めず、長崎まで会いに行けばいいでしょうに。
実家の住所は、慶子に尋ねれば分かる可能性もあるでしょ。何なら住所が分からなくても長崎まで乗り込み、しつこくメールを送りながら実家を突き止めるために奔走するという手もあるだろう。
それまでの蒔野の燃え上がり方を考えれば、それぐらい強引で無茶な方法を取ってもおかしくないぞ。
少なくとも、「もうメールを送らず電話も掛けず、洋子を諦めて早苗と結婚して4年が経ちまして」という展開よりは、そっちの方が腑に落ちるよ。

この映画が用意している「4年後の蒔野」の状況は、説得力に欠けている。それを納得させるには、蒔野と洋子を邪魔する障害がまるで足りていない。
しかも「洋子を諦めて4年後」というだけならともかく、早苗と結婚して子供もいるってのは、「なんでそうなるの?」と欽ちゃんみたいなことを言いたくなるわ。そこは「洋子を諦める」という以上に説得力が無い。
「蒔野が早苗に惚れて結婚する」ってのもそうだし、早苗が蒔野と結婚するのも同様だ。
もちろん早苗は嫉妬心から妨害工作に出たわけだが、その時点で罪悪感に苛まれていたし、真実を打ち明けようとする素振りさえ見せていたわけで。
それを見せておきながら「蒔野と結婚する」という展開を用意すると、「あの時の態度は何だったのか。罪悪感なんて全く抱いていなかったのか」と思ってしまうわ。

一方、洋子がリチャードと結婚しているのも、これまた「なんでそうなるの?」と言いたくなる展開だ。
まず洋子の「蒔野に振られたからリチャードとヨリを戻す」という選択が、ものすごく身勝手に思える。
リチャードにしても、「君が憎いんだ」と言うぐらい蒔野の件で洋子を拒絶して浮気を重ねるのなら、なんで結婚したのかと。自分を捨てた洋子を憎んでいるのなら、なぜ結婚することになったのか。
彼の方から「やっぱり結婚しよう」と言い出すことは、その心情を考えれば有り得ないよね。ってことは、洋子の方から誘ったのか。
それも違和感があるし、どういう経緯で2人が結婚に至ったのかサッパリ分からんよ。とにかく、説得力は無いわ。

陳腐さに包まれた映画になってしまった一番の原因は、たぶん「今さら感」だろう。
かつてフジテレビは、『冷静と情熱のあいだ』という海外ロケを取り入れたメロドラマ映画を作ったことがあるけど、それと似たような匂いを感じるのだ。
『冷静と情熱のあいだ』は2001年の公開で、その時点で既に「まだバブル時代を忘れられないのか」という匂いを撒き散らす観光映画だった。
この映画は2019年の公開だけど、まだ1990年代の残り香を漂わせている。
いつまでも過去の栄光を引きずるフジテレビって、ある意味では凄いね。

(観賞日:2021年5月22日)

 

*ポンコツ映画愛護協会