『真幸くあらば』:2010、日本

ある夏の日、南木野淳は大きな家に侵入し、金品を物色した。その家では、昼間から若い男女が激しく求め合っていた。台所に男が現れ、 淳を発見した。淳は包丁で男を突き刺し、続いて現れた女の首を絞めた。逮捕されて拘置所に入った淳の元を教戒師が訪れ、聖書を渡した 。淳は独房の中で、暇さえあればボールペン絵を描いた。裁判で死刑判決が出た。弁護士の野口は「生きるという望みを忘れるな」と控訴 を促し、返事を待たずに「手続きをしよう」と決めた。
裁判の傍聴に来ていた川原薫という女は、ある男と教会で結婚式を挙げた。再び面会に来た野口は、元気の無さそうな淳に「これからが 戦いだと思ってもらわないと。死刑なんてもの、あってはならないんだよ」と言う。さらに彼は「聖書を差し入れてくれた先生の紹介で、 面会してほしい女の人がいるんだ。ボランティアの支援者ってやつだよ」と持ち掛ける。後日、薫が面会に訪れた。彼女は無表情のまま、 淡々とした口調で「これから身の回りのお世話をさせていただきます。必要な物は遠慮なく言ってください」と述べた。
薫が「お手紙書いていいですか」と問い掛けると、淳は「もちろん」と答えた。薫が「絵は描いていますか」と訊くと、彼は「ボールペン しか許されないので、下手なものですが」と告げた。数日後、薫からの絵葉書が届いた。そこには「体調などくずしていませんか。また 面会に行きます」と記されていた。
ある日、淳は翌日に刑務所を出る囚人から「シャバへの伝書鳩、やってやろうか」と持ち掛けられた。「ありがとう。でも必要ありません 。特に身寄りが無いんで」と淳は告げた。薫が再び面会に来た。彼女は「ボールペンの絵って難しいんでしょ。いっぱい描いて、個展とか 画集とか出せるといいですね」と言う。淳は「一つお願いしていいですか。俺が殺した、高橋さんと鷲田さんのご両親に、手紙を届けて もらえませんか」と彼女に頼んだ。
薫は夫から、ロンドンへの出張が決まりそうだと告げられる。「期間は半年ぐらいだ。どうする?」という夫の問い掛けを受け、薫は言葉 に詰まった。すると夫は「俺、一人で行くよ。少し、ゆっくり過ごした方がいい。まあ、色々ありすぎたからな」と述べた。薫は鷲田の 両親に手紙を届けに行くが、家の前で立ち止まり、訪問せずに去った。淳が控訴を取り下げたため、野口が憤慨して面会にやって来た。 「何考えてんだよ。控訴を取り下げるってことは死刑だよ。死んでどうすんだよ」と怒鳴られた淳は、「スッキリしたかったんです。 染み付いた汚れみたいなものを」と答えた。
裁判所から書類が届き、淳の死刑が決定した。それに伴い、淳は750番から800番に独房を移された。800番の房には万葉集歌が置いて あった。800番に移ってから数日後、隣の死刑囚が洗面台のパイプを通じて話し掛けて来た。「若いのに大した度胸だ。死刑の心構えは どうだ?」と訊かれて、淳は「特に」と答えた。すると、その囚人は「まあ詮索はせんが、考えすぎないことだな」と述べた。
薫はロンドンへ行った夫から、「やっぱり来ないか?」と電話で言われる。彼女は空港まで行くものの、飛行機には乗らなかった。薫は 野口に会い、淳と養子縁組をして養母になりたい旨を話した。「しかし、良く決心してくださいました」と言われ、彼女は「私、見届けた かったんです。彼の最後。でも今は……。結局、今、生きているのは彼なんですよね」と口にした。彼女は面会に行き、「夫の勤務先に 行くつもりでした。行けませんでした。短い月日でも、生きているということを実感してほしい」と語った。
淳は「あの日以来、色んなことが色褪せてはいます。逆に見えてくるものもあるんです。何か隠してますよね。ホントの目的を教えて ください。俺にはもう、何も無いですから。俺の死に、どれだけの勝ちがあるか分かりませんけど」と話した。薫が「価値は、貴方の存在 です」と言うと、彼は「描かせてもらえませんか。生まれたままの姿を。万葉集読んだことありますか?」と口にした。後日、淳は看守の 目を盗み、爪切りで割り箸を尖らせて自殺を図った。だが、彼は死ぬことが出来なかった。
淳は面会に来た薫に「どうして?」と訊かれ、「怖かったんです。死ぬ時の苦痛が、想像できました」と告げた。薫は「磐代の 浜松が枝 を 引き結び 真幸くあらば また還り見む」という万葉集の句を詠み、「覚えてます?この歌が好きだと、いつか言ってたこと」と言う 。「覚えてます」と淳が答えると、彼女は「殺されると知っていながらも、松の枝に願いを込めて、生きることを祈った歌だと。どうして 自ら命を?」と涙ながらに尋ねる。淳は「綺麗でいたかったんです。貴方の前では。俺、生きてると、ビックリするぐらい、つまんない ことばかり考えてしまうんです」と語った。
淳は老齢の死刑囚から、「命の絵は描いてるかい?看守に聞いたぜ。どうなんだ?」と声を掛けられた。「ぼちぼち」と淳が答えると、 その男は「これで最後ってやつを描かねえとさ。俺は詩を書いてるんだ。高い塀を越える詩だ。俺には好きな女がいるんだ。お前、執行の 日のことなんか考えるんじゃねえぞ。毎日、考えたら損だろ。描けよ。塀を越えるんだ。死刑囚でも恋は出来るぞ」と語った。
薫は自分が殺された高橋の婚約者だったことを淳に明かし、「そうです、裏切られたんです」と告げる。彼女は「新しい聖書を差し入れ ました。弟子の条件の所を勉強して下さい」と淳に言う。淳が看守から聖書を受け取り、指定されたページを開くと、「迷い抜いたうえ での決心です。もしこの事が発見されたら、もう手紙も面会も出来なくなるかもしれません。でも決して検閲の入らない通信がしたかった のです」という薫の文字があった。
文章の続きには、「私が貴方に面会したのは、婚約者を死に追いやった人を見届けたかったからでした。私の運命を変えた極悪人がどの ように裁きを受け、どのように死んでいくかを間近で見たかったのです。でも本当にそうだったのだろうかと今は思います。貴方は夢の はかなさと誤りを暴露してくれた張本人でもあるのです」と綴られていた。次の面会で、淳は薫に「俺、ヨブ記読んでます。でも良く 分からなくて」と言って聖書を戻した。薫が聖書を開くと、そこには淳の言葉が書き込まれていた。
淳は聖書に「薫さんを疑ったまま、死刑にならなくてよかった。オレ、怖かったんです。誰かが窓になって、そこから外を見て、人間、 世界、自由、そんなことに希望を持って、でもオレは死んでいくんだって。薫さんはオレにとって真実を語ってくれた初めての人です。 死ぬ前に会えてよかった。だからオレも誰にも言えなかった真実だけをあなただけに伝えます。遊ぶ金欲しさに人を殺した。オレはどう しようもない人間です。」と記していた。
さらに淳の言葉は続いた。「でもオレは、その後で、殺人よりももっと許されないことをした。殺してしまった鷲田伸子さんのスリップ姿 を見て、自分で、してしまったんです。オレ童貞なんです。だから、女の人に異常な憧れがあったんです」という告白があった。それは 二度と薫からの返事が来ないと覚悟しての告白だった。薫はイギリスから戻った夫を迎え、刑務所への面会には行かなくなった。
季節が過ぎ、淳は久々に薫への手紙を書いた。そこには「決心しました。ハッキリ言いますね。オレは薫さんが好きです。伝えずには いられなくなったんです」と綴られていた。薫は返事を書いた。「心が傾きかけたのは、もしかしたら私の方が少し早いのかもしれません 。あなたが死刑を受け入れた時、私の心は奪われたのです」という文面だった。さらに薫は「全てを描いてください。あなたの絵の中に」 と綴り、自分の下着姿の写真を聖書に忍ばせた…。

監督は御徒町凧、原作は小嵐九八郎(講談社刊)、脚本は高山由紀子、製作は奥山和由、プロデューサーは清水一夫&中林千賀子、 撮影監督は釘宮慎治、編集は石川浩通、録音は菊地進平、照明は田辺浩、美術は愛甲悦子、劇用絵画は松本恵次、音楽は紺野紗衣、 音楽監督は森山直太朗。
エンディング曲「僕らは死んでゆくのだけれど」作詞・作曲:森山直太朗/御徒町凧、編曲:笹路正徳。
テーマ曲「真幸くあらば」作詞・作曲:森山直太朗/御徒町凧、編曲:紺野紗衣。
出演は尾野真千子、久保田将至(久保田裕之)、佐野史郎、鶴田忍、テリー伊藤、ミッキー・カーチス、山中聡、NIWA、滝口修央、 高久ちぐさ、倉崎青児、黒川龍市、白山憲明、柏木俊彦、鈴木リョウジ、坂口湧久、大久保鷹、谷川昭一朗、YOU THE ROCK★、大河内浩ら。


小嵐九八郎の同名小説を基にした作品。
森山直太朗の大半の楽曲を共作してきた詩人・御徒町凧(おかちまち・かいと)が初監督を務めている。
当初は別の監督が予定されていたが、製作を担当した奥山和由と意見が合わずに降板し、御徒町凧がピンチヒッターとして抜擢 されたらしい。
薫を尾野真千子、淳を久保田将至(モデルとしては「久保田裕之」で活動)、野口を佐野史郎、刑務所長を鶴田忍、洗面台 を通じて話し掛ける死刑囚をテリー伊藤、詩を書いている死刑囚をミッキー・カーチスが演じている。

タイトルは「まさきくあらば」と読む。
これは万葉集にある有間皇子の「磐代の 浜松が枝を 引き結び 真幸くあらば また還り見む」という句から取った言葉だ。
皇子が謀反の嫌疑を掛けられて連行される時に詠んだ句で、「松の枝を結んで旅の無事を祈る。もし私に幸運が残っていれば、帰り道に 再び見よう」という意味だ。
つまり「生きて戻りたい」という意味のはずなので、この映画の内容とは合わない気がするんだけど。
だって淳は、控訴を取り下げているんだから。
あと、劇中で有間皇子の句に関する説明が無いので、そもそも何の意味があっての引用なのかは伝わりにくくなっている。

まず冒頭シーンからして、ファンタジーの世界観になっている。
淳は豪邸に窓から侵入するのだが、まるで最初から鍵が掛かっていないと分かっているかのような振る舞いだ。
さらに、室内を物色したている様子は、まるで留守であると分かっているかのように大胆だ。
鷲田と鉢合わせした時の反応からすると、「人がいるのは予想外」という感じなので、実際に留守だと思っていたんだろう。
で、なぜ留守だと思ったのだろうか。
その根拠となるモノが何も無い。

「淳の殺人が初めてだとしたら、死刑判決が出るようなケースなんだろうか」というところで、ちょっと疑問がある。
その後、弁護士の野口が被告である淳の意思を確認しないまま、控訴の手続きを取るのは納得しかねる。
この映画、全体を通して虚構に彩られている。
まあ悪い言い方をしてしまうと、かなり嘘臭い。
手抜きをせず、真正面から物語を受け止め、誠実に、真面目に撮ろうとしているんだろうなあってことは伝わってくるが、真面目に撮れば 面白い映画になるとは限らない。

薫も淳も、その場面においてどういう感情を抱いているのか、なぜそんな行動を取るのか、それが全く分からない。
例えば、なぜ淳は控訴を取り下げる気になったのか。
「スッキリしたかった」と彼は語っているが、それは理由の説明になっていない。
「なぜスッキリしたいと思うようになったのか」が分からないからだ。
一方の薫も、なぜ淳と養子縁組までするのか全く分からない。
こちらも「彼の最後を見退けたかった」と説明しているが、「なぜ最後まで見届けようと思ったのか」が分からない。

それと、薫が養子縁組をしたいと希望しても、淳が拒否すれば不可能なはずだ。
ということは、淳も養子縁組を承諾したということなんだろう。
しかし、なぜ承諾したのか理解できない。
もしも薫と会い続けたいと思っていたのなら、そもそも控訴を取り下げなければいいだけだ。控訴を取り下げれば薫と会うことは二度と 出来なくなるわけで、それが分かった上で取り下げたはずだろうに。

「描かせてもらえませんか。生まれたままの姿を」に対する薫の返答が無いまま、淳が自殺しようとするのが理解不能。
死んだら生まれたままの姿も見せてもらえないんだぞ。
「薫が頼みを断ったからショックで」ということなら、バカバカしいけど、とりあえず理由だけは存在することになる。
ただ、薫の返事は示されていないから、その頼みを断ったのかどうなのか、サッパリ分からない。

薫も淳も、前半は表情がほとんど変わらず、セリフ回しも淡々としていて抑揚に乏しく、感情が伝わって来ない。
あまり表情が変わらないにしても、ちょっとした変化で人物の感情を示すことも出来るのだが、そういった「わずかな変化」さえ見えない 。
これは演技力の問題ではなく、演出の抱えている問題だ。
表情や口調に感情が出ない分、仕草や小道具などによって補っているわけでもない。

ひょっとすると、薫と淳の感情が伝わって来ないのは、原作を忠実になぞっているのかもしれない。
小説の2人が豊かな感情表現をしているのだとすれば、初めて映画を撮る門外漢の人間が、それを極端に抑制するような演出をするとは 考えにくいのだ。
だとすれば、最初に決まっていた監督が降板したのは賢明だったと言える。
この話には、どう頑張っても面白くなりそうな可能性が見えない。

薫に関しては、先に抱えている秘密を明かしてしまい、それに関連させて心情表現を行うことによって、彼女の感情をもっと伝わりやすく した方がいいように思える。
「実は殺されたのは彼女の婚約者だった」ということを、隠したまま物語を進めることでのメリットが全く見えて来ない。
むしろ、それを明かされても「そんな女が、なぜ加害者である淳に惹かれるのか」と首をかしげたくなるだけで、マイナス にしか作用していない。

ただし実のところ、「殺されたのは薫の婚約者だった」ということを先に明かしておいても、「なぜ薫が淳に惹かれるのか」という疑問を 解消することは出来ないんだけどね。
「貴方が死刑を受け入れた時、私の心は奪われたのです」って、まるで理解できないし。
「婚約者を殺された女が、殺した男と惹かれ合うなんてバカバカしい」としか思えない。
「そういう事例が現実に存在する」と言われたら、そうなのかもしれない。しかし、そんなことは意味が無い。
重要なのは、「映画の中の2人の恋愛に、説得力を持たせることが出来るかどうか」である。
そして、そこに説得力が皆無なのである。

たぶん製作サイドは淳に同情させようとしているんだろうけど、彼に同情するための要素が何も無い。
控訴を取り下げたのも、贖罪の意味があるようには受け取れない。
だって、遊ぶ金欲しさに人を殺して、強盗に入って、そこにいた男女を殺した凶悪犯なんだよ。ハッキリ言って、人間のクズだよ。
「そんな犯行に至った止むを得ない事情」「同情を誘う生い立ちや家庭環境」といったものが描かれているわけでもない。
仮に強盗殺人を反省していたとしても、同情の余地は乏しい。

しかも、こいつが反省、悔恨していることは、まるで伝わって来ない。
こいつが感情を出して同情を誘おうとするのは、死ぬのが怖いとか、薫の前では綺麗でいたいとか、そういうことばかりで、被害者への 罪悪感は全く無いのだ。
彼は殺した女を見てオナニーしたことを告白し、「オレ童貞なんです。だから、女の人に異常な憧れがあったんです」と綴っているが、 物語として、どういう意図をもって告白させているのか理解不能だ。
それって何の言い訳にもなってないからね。
「そうか、童貞だったら仕方が無いよね」とか、そんな考えにならないから。単に淳の犯行の醜悪さが強まるだけだから。

淳は薫を好きになったと言ってるけど、それは嘘だよ。こいつは、単純に性欲が抑え切れなくなっただけだよ。そして女の裸を見たく なっただけだよ。
で、そんな彼に対し、薫は聖書に「全てを描いてください。あなたの絵の中に」と記し、下着姿の写真が隠して届けるが、それって 「生まれたままの姿」じゃないんだけど。
中途半端だなあ。
そこは全裸じゃないと無意味でしょうに。
っていうか、「惚れてるから下着の写真を送る」とか、それもバカバカしいし。

クライマックスが「離れた場所で同時にオナニーする」って、アホですか。
それを崇高で美しいものとして見せようとしているみたいだけど、いや無理だし。
どっちも性欲を満たしたかっただけじゃねえか。
しかも「次の、月の満ちる夜に」って、すげえアバウトな約束なんだよな。
月の満ちる夜と一言で言っても、何時なのかを決めておかないと、月が出ている時間なんて、かなり長いぞ。
薫が7時ごろ、淳が8時頃に始めたら、それは「同時にオナニーすることでセックスの代わりにする」という目的を果たせないぞ。

薫は婚約者が殺された後に別の男と結婚し、その物分かりのいい夫を「貴方とは暮らせない」と捨てるんだから、まあ好感の持てない女 だよ。
どうやら薫は後追い自殺をしたようだが(最後に踏切の前で笑う薫のアップから暗転となり、踏切の音だけが響く)、こいつが自殺 しても全く同情しないし、「勝手に死ねばいいよ」と冷めた気持ちしか沸かない。
あと、薫がクリスチャンである意味が、ほとんど、いや全く無い。
秘密の通信に使う道具が聖書というぐらいで、それも別にクリスチャンじゃなくても成立することだし。

(観賞日:2011年7月20日)

 

*ポンコツ映画愛護協会