『魔女の宅急便』:2014、日本

ある年の冬、山に囲まれた小さな村にキキという女の子が産まれた。父親のオキノは学者であり、普通の人間だった。しかし母親のコキリは魔女であり、その血を受け継ぐキキは飼い猫であるジジと幼い頃から会話を交わすことが出来た。コキリが使える魔法は2つだけで、1つは薬草を育てて薬にする能力だ。もう1つは、ホウキに乗って空を飛ぶ能力だ。空を飛ぶ魔法の方は、キキも早くから覚えた。しかしコキリの仕事を手伝おうとして失敗し、時には怪我を負うこともあった。
コキリはキキに、今は人間と魔女の中間であることを話し、13歳までにどちらを選ぶか決めるよう告げた。すぐにキキは「私、魔女になる。空を飛ぶの、好きだもん」と言う。魔女は13歳になると、満月の夜を選んで独り立ちしなければいけない。生まれた家を離れ、まだ魔女の住んでいない町で暮らすのだ。修業の間は実家へ戻れず、自分の魔法だけを頼りに暮らす。その1年が過ぎれば、一人前の魔女になれる。13歳を迎えたキキも両親や村の人々に見送られ、ジジを連れて修業へと出発した。
海を越えたキキは、ある島を見つけた。港町のコリコを気に入ったキキは、そこで暮らすことに決めた。動物園で一夜を過ごした彼女は翌朝、家出少女と間違えられて飼育員のナヅルに捕まった。キキは「魔女なんです」と説明し、ホウキで空に浮かんでみせた。動物たちが挨拶すると、ナヅルは「何をした?二度と来んな」と物を投げ付けてキキを追い払った。匂いにつられたキキはは、おソノと夫のフクオが営むグーチョキパン店に降り立った。しかしホウキを持ったまま店に入ろうとして、おソノに叱られてしまった。
おソノはキキのスカートが破けているのに気付き、声を掛けて直してやった。キキから事情を聞いた彼女は、「どうすんの、これから」と問い掛ける。キキが「お届け屋さんをやろうかなと。小さい頃から家の手伝いを良くやってたんです」と言うと、おソノは「いいじゃない。魔女の宅急便」と口にした。彼女は使っていない風車小屋の2階へキキを案内し、そこで寝泊まりするよう促した。キキは部屋を掃除し、店の看板を作成した。
キキはグーチョキパン店の一角を借り、電話機を置いて仕事の注文を待つ。一向に電話が鳴らないのでキキが沈んでいると、おソノは「ウチのパン屋だって、お客が付くまでには3年掛かったよ」と告げる。キキが「修業が終わっちゃう」と言うと、おソノは暇なら宣伝に行くよう提案した。そこへ、キキが町へ来た時に空を飛ぶ様子を眺めていた少年、とんぼが現れた。本を小学校まで届けてほしいと依頼され、キキは大喜びした。
キキが目を話している内に、とんぼは姿を消してしまった。届ける相手は分からなかったが、キキは小学校へ向かった。校庭に到着すると、とんぼの弟であるナツメ&マル、妹のミズミがビデオカメラやストップウォッチを構えて待ち受けていた。キキが本を渡しても3人は無視し、彼女の体やホウキに好奇心を示した。とんぼは自転車で小学校へ到着し、ナツメたちに撮影したかどうかを確認する。とんぼは空を飛ぶ研究をしており、そのためにキキを飛ばしたのだ。それを知ったキキは腹を立て、その場を去った。
キキはグーチョキパン店へ戻る途中、クリーニング店の経営者・すみれに呼び止められる。すみれは店へキキを連れて行き、洗濯機を修理してほしいと依頼する。「魔女屋でしょ」と彼女が言うので、キキは自分がお届け屋であること、洗濯機は直せないことを説明した。落胆したすみれだが、すぐに別の案を思い付いた。彼女はキキのホウキに洗濯ロープを結び付け、高く飛ぶよう頼んだ。キキは風が止んだのを見ると、洗濯物をはためかせて町を飛び回った。それは大きな宣伝効果を生み、宅配の仕事が次々と舞い込むようになった。
ある日、キキはフクオが楽しそうに歌っている様子を見て、何の歌なのか質問した。フクオは彼女に、タカミ・カラという歌手のレコードを見せた。おソノは昔からフクオが大ファンであること、2人の出会いがコンサート会場であることを話す。しかしカラは数年前から、全く歌っていなかった。引退したわけではないが、近くにある奇妙な屋敷に閉じ篭もっているのだという。おソノがキキに差し入れしてもらうことを提案すると、フクオは喜んでパンを選んだ。
キキはナツメ&マルがホウキを盗み出す姿を目撃し、慌てて後を追った。キキはホウキを取り戻すと、歩み寄ったとんぼに抗議した。泥棒はとんぼの指示ではなく、ナツメたちはバツが悪そうに「ちょっと借りたかっただけ」と言い訳する。とんぼが「魔法なんてインチキだ」と口にしたので、キキは「私が飛べるのは、私が魔女で魔法が使えるから」と述べた。彼女はとんぼが自転車を改造して飛行機を作成中だと気付き、近付こうとする。とんぼが「近付くな」と突き飛ばしたので、キキは不快感を抱いて飛び去った。
キキはパンを届けるため、カラの屋敷へ赴いた。中に入ると、カラはサリという幼い女と2人で暮らしていた。キキがレコードにサインを頼むと、カラは「もう歌手じゃないの」と拒んだ。サリはキキに「私のママも魔女だったの」と言い、飾ってある写真を見せた。カラはキキに、サリの母親が自分の姉であること、飛行中の事故で死んだことを話す。そして、「それ以来、声が出なくなった。心がカラッポだとダメなのね。私の中の歌は消えたの」と口にした。
グーチョキパン店でラジオを聞いていたキキは、動物園でカバのマルコがライオンに尻尾をかじられ、元気を失っていることを知った。中継リポーターの取材を受けた園長は、獣医のイシ先生がいなくなったので困っていることを話す。ナヅルは中継に割り込み、ライオンがマルコの尻尾をかじったのは魔女が呪いを運んで来たせいだと喚いた。キキはマルコが心配になり、動物園へ様子を見に行こうかと考える。するとジジはキキに、「また魔女が何しに来たって言われるよ」と告げた。
サキという少女がキキを訪ね、黒い封筒を友達のタカに届けてほしいと依頼した。彼女は曾祖母から聞いた話として、百年ほど前は魔女がコリコで暮らしていたこと、良く思わない人々もいたことを語った。キキは指定された公園へ飛び、友人のトン&ミルと話していたタカに封筒を差し出した。するとタカたちは「魔女が呪いを運んで来た」と叫び、その場から逃げ出した。キキの元へ現れたサキは封筒の中身が空っぽであることを明かし、「あの子たちね、陰で私のこと悪く言ってるの。だから仕返ししてやったの、魔女が呪いを運ぶからねって」と言う。キキが「仕返しなんかしたら嫌われるのに」と告げると、彼女は「いいの、仲良くするつもりないから」と述べた。
呪いの噂が広まったため、これまでキキか届けた物は全て返品されてしまった。ショックを受けたキキは、お届け屋の仕事を休むことにした。おソノはキキに、自分の代役でパンを届ける仕事を依頼した。キキは出発するが、ホウキを上手くコントロールできない。「ホウキが変」と彼女が言うと、ジジは「ホウキじゃなくてキキが変なんだよ」と指摘する。キキは森へ落下し、ホウキは真っ二つに折れてしまう。キキはホウキにまたがるが、もう飛べなくなっていた…。

監督は清水崇、原作は角野栄子「魔女の宅急便」(角川文庫刊・福音館書店刊)、脚本は奥寺佐渡子&清水崇、製作は梅川治男&遠藤茂行&修健&井上伸一郎&阿佐美弘恭&正盛和彦&城朋子&木下直哉&ビル・コン&升田年則&大竹俊夫&松田陽三&小川富子&藤門浩之、企画は小川富子、企画プロデューサーは松栄清、エグゼクティブプロデューサーは森重晃&修健、プロデューサーは梅川治男、ラインプロデューサーは梶川信幸、撮影は谷川創平、美術は岩城南海子、照明は金子康博、録音は深田晃、編集は高橋歩、VFXスーパーバイザーは秋山貴彦、音響効果は柴崎憲治、衣裳デザイン・制作は宮本宣子&山下和美、アクションディレクターは匠馬敏郎、音楽は岩代太郎。
劇中歌『VOICE』YURI 作詞:YURI、作曲:YURI & BU-NI & 太田貴之、編曲:BU-NI & 太田貴之、弦編曲:太田貴之。
主題歌『Wake me up』倉木麻衣 作詞:倉木麻衣、作曲:徳永暁人、編曲:徳永暁人。
出演は小芝風花、広田亮平、尾野真千子、宮沢りえ、筒井道隆、浅野忠信、山本浩司、吉田羊、新井浩文、志賀廣太郎、文曄星、段文凝、YURI、若山耀人、須田琉雅、井上琳水、金澤美穂、松原菜野花、大竹佑実、植田紗帆、戸部日菜子、野村琴葉、横溝菜帆、原涼子、史可、和泉ちぬ、原扶貴子、宮地眞理子、村田唯、麻亜里、何佳栄、角野栄子、佐藤芽、太宰美緒、はやしだみき、岩岡佑次、藤澤志帆、南熙貴、澁川智代、清水みさと、松下太亮、大田康太郎、藤井俊輔ら。
声の出演は寿美菜子、角野栄子、LiLiCo。


野間児童文学賞、小学館文学賞、アンデルセン賞国内賞など、数多くの賞を受賞した角野栄子の同名児童書を基にした作品。
1989年には宮崎駿が長編アニメーション映画化しているが、そのリメイクではなく、あくまでも「原作の再映画化」という形である。
監督は『戦慄迷宮3D THE SHOCK LABYRINTH』『ラビット・ホラー3D』の清水崇。脚本は『八日目の蝉』『おおかみこどもの雨と雪』の奥寺佐渡子と清水崇監督の共同。
キキを小芝風花、とんぼを広田亮平、おソノを尾野真千子、コキリを宮沢りえ、オキノを筒井道隆、イシ先生を浅野忠信、フクオを山本浩司、すみれを吉田羊、ナヅルを新井浩文、園長を志賀廣太郎が演じている。

最初に褒めるポイントを挙げておくと、小芝風花はホントに素晴らしい。撮影当時は16歳であり、幾ら童顔であっても13歳ってのは少し厳しいと感じるけど、でも「キキ」にはピッタリとハマッている。
正直に言って、『魔女の宅急便』が実写映画化されると聞いた時は、明らかに負け戦だろうと感じた。小芝風花が主演に抜擢されたと聞いた時は、適役かどうかという以前に、「負け戦の神輿に担がれるのは、ちょっと可哀想だなあ」とさえ感じた。
しかし、小芝風花だけは魅力的だ。この映画に見出せる数少ない光は、彼女の存在だ。
というわけで、ここで褒める作業は終了である。

オープニングから聞こえてくるナレーションを担当しているのは、原作者の角野栄子だ。しかし申し訳ないが、お世辞にも上手とは言い難い。あまり聞き心地の良い声質や喋り方とは感じない。
導入部は観客の気持ちを掴むのに重要であり、そこで初めて聞こえてくる声が聞きづらいってのは厳しい。
最初から「原作者がナレーションを担当している」ってことが観客に伝わっていれば、それが護符のような役目を果たす可能性はあるので、どうしても原作者を起用したいのなら、いっそのこと冒頭で「ナレーション:角野栄子(原作者)」と表示するぐらいのことをやっても良かったかもしれない。
まあ、違和感は出るだろうけど。

導入部に関しては、「キキが13歳を迎えるシーンから始めた方が良かったんじゃないか」という考えも沸く。
誕生してからの経緯を描写すると、「コキリはホウキで空を飛ぶ魔法が使える」と言っているのに、空を飛ぶシーンが無いのは不自然で違和感を生じさせる。ただし、そこでコキリが空を飛ぶシーンを描いてしまうと、キキが初めて飛ぶシーンのインパクトが無くなるというジレンマがある。
それと、幼いキキがホウキで飛ぶシーンがチラッと描かれているけど、それも得策ではない。
諸々を考えると、キキが13歳を迎えるまでの物語は描かない方がいいんじゃないかと思うのよ。

幼いキキが「ジジはお話してるの」と言うシーンでは、ジジは何も喋っていない。タイトルロールが終わり、空を飛んで海を渡るキキが「寒くない?」と問い掛けたところで、初めてジジが「寒い」と人間の言葉を口にする。
だが、この見せ方は上手くない。
ジジが人間の言葉を喋るという設定は、もっとハッキリと強めに主張しておくべきなのに、ボンヤリしてしまう。
タイミングも違うし、台詞が短いという問題もある。

それと、キキに話し掛けられる前に、ジジが喋った方がいい。そして最初の台詞は、もう少しキキとのキャッチボールをした方がいい。
一応、「寒い」の後にも会話があるのだが、ちょっとテンポがよろしくない。それと声の質も、なんか「ジジっぽくないなあ」と感じるし、妙に弱々しいんだよね。
もっと問題なのは、「ジジが喋っている」という印象を受けないってこと。表情や仕草と、台詞が合っていないと感じる箇所が多い。
どうせCGなんだし、もう少し誇張して表情や仕草を付けた方が良かったんじゃないか。
っていうか、実はジジに関しては、それよりも「物語にほとんど絡まず、存在意義が乏しい」という問題の方が大きいけどね。

『魔女の宅急便』の一般的な認知度は、たぶん原作よりもジブリ映画の方が圧倒的に高いはずだ。原作を読んでいなくても、アニメ映画は見たことがあるという人も少なくないだろう。
ジブリのアニメ映画が有名なので、この作品の製作陣も完全に無視することは無理だ。
この映画ではアニメ版で使われていなかった原作のエピソードばかりを採用しているが、いかにアニメ版を意識しているかってことだ。
一方で、キキがコリコへ向かう飛行シーンなどはアニメ版に似ているが、それはそれでアニメ版を意識していることの表れだろう。
どうであれ、やはりジブリ映画の影響は避けられないし、観客から比較されることをを回避することも出来ない。

だから私もアニメ版との比較を書くが、あちらで最も大きなポイントは、「浮遊感」だと思う。
それは『魔女の宅急便』に限らず、宮崎駿が監督を務めた全てのアニメに言えることだが、何かが空を飛んだり浮かんだりする映像には、独特の浮遊感があるのだ。それが宮崎の特長であり、大きな魅力となっている。
そんなアニメ版と比較すると、この映画はキキが空を飛ぶシーンの魅力は著しく欠けている。
最初にキキが村を出発する際、ホウキで空に浮かんだ瞬間に、「それは無いなあ」とガッカリさせられた。人間がフワリと宙に浮き上がる感覚が、決定的に欠けているのだ。
空を飛行するシーンも含めて、「特撮で浮かんだり飛んだりしているように見せています」ってのが露骨に分かってしまう。実際にキキがホウキで飛んでいるという印象を、これっぽっちも受けないのだ。
このことは、本作品に重大なダメージを与えている。

キキが魔女の宅急便を始めるコレといった動機は、特に何も用意されていない。おソノから「どうするの、これから」と問われると、すぐに「お届け屋さんをやろうかなと」と言っている。
それ以前に「小さい頃から家の手伝いを良くやっていた」という事情があるので、急に思い付いたというわけではない。
一応、序盤のナレーションベースの部分に、きっかけは用意されている。
ただし、キキが宅急便を始める流れとして、弱いと感じることは確かである。

クリーニング店のエピソードは、「ある出来事がきっかけで仕事が舞い込むようになりました」という展開にしたいのは分かるし、その手順は必要だと思うけど、色々と無理があり過ぎるので、ちっとも気持ち良く受け入れられない。
まず、すみれが「魔女屋でしょ」と誤解して洗濯機の修理をキキに頼むトコから苦しいモノがあるが、そこは受け入れよう。
ただ、修理できないと知った直後、すみれがキキのホウキに洗濯ロープを繋いで高く飛ぶよう頼む時点で、もう許容のラインを越えている。
風が止んだ途端、キキが洗濯物を引いて町を飛び回るってのは、「なんでだよ」と言いたくなる。

「仕事が次々に舞い込むようになりました」という手順は、ダイジェストで処理される。
ちょっと「爽やかな感動」っぽい雰囲気に持っていこうとする気配が見られるが、それは乗れない。
で、そこのダイジェストが終わったので、とんぼが再登場してエピソードを紡ぐのかと思いきや、タカミ・カラなる歌手の存在がクローズアップされ、おソノとフクオが説明する様子が描かれる。そして、「フクオからということでカラへの差し入れをキキが届ける」という展開へ、かなり強引に持って行く。
ただし、そのままキキがカラの屋敷へ行くわけではなく、そのタイミングで「ナツメ&マルがホウキを盗み、とんぼの研究をキキが知る」という手順を挟んでいる。
だったら、そっちを先に片付けて、それからカラのエピソードに移行すれば良かったんじゃないのか。カラのエピソードに、とんぼのエピソードを割り込ませることのメリットが見えないぞ。ただ流れを切断しているだけとしか思えない。

カラは隠遁生活を送っているのだが、キキが訪れても荒っぽく追い払おうとするようなことは無い。だからと言って、優しく迎えるわけでもない。勝手に入ったことは怒らないし、ファンからの差し入れについては、「ありがとう」と言う。でも、サインは冷たく拒絶する。
その一方、キキとは初対面なのに、「サリが姉の娘で、その姉が死んで声が出なくなって」ってことはベラベラと喋る。
幾らキキが魔女見習いであっても、それは違和感がある。どうもキャラが定まっていないような印象を受ける。
あと細かいことを言うと、「声が出なくなった」という表現は変だ。
だって、そういう事情を普通に喋っているんだから、声は出ているのよ。「歌えなくなった」と的確に表現すべきでしょ、そこは。

っていうか根本的なことを言っちゃうと、タカミ・カラのエピソードを盛り込んでいること自体、引っ掛かりを覚えるんだよな。
演じているYURIは様々なミュージシャンのバックコーラスを担当している歌手で、お世辞にも芝居が上手いとは言えない。
ってことは、つまり「劇中で歌唱してもらう」ということを重視ししての起用なんだろうけど、そのエピソードが完全に浮いちゃってるのよね。
演技力の問題も含めて、「まず歌ありき」でのキャスティングってことが、不格好な形で見えちゃってるんだよな。

カラは「姉の死がきっかけで歌えなくなった」と語っているのに、心が空っぽになった理由について問われると「必要とされていないんじゃないかな」と答える。
それは論理の飛躍というか、ちょっとズレているように感じるぞ。
姉が死んで歌えなくなったのなら、その痛みや悲しみから立ち直れた時、前向きな気持ちになれた時に、また歌えるようになるはずで。
「必要とされていないから歌えない」と説明するのなら、歌えなくなった理由も、それに合わせて設定しておくべきじゃないかと。「姉が死んで歌えなくなった。でも必要とされていると分かったから歌えるようになった」って、なんか変じゃないかと。
そもそも大ファンのフクオから差し入れが届いたことでも分かるように、必要としている人が存在することは分かっているはずだし。

カラのエピソードを入れるのは、余計な道草にしか思えない。
そんなことを描くよりも、とんぼとの関係を厚くした方がいいんじゃないかと思うんだよな。
キキが彼と仲良くなるのは後半に入ってからなんだけど、タイミングとして遅い。
呪いの噂が広まって住民たちが敬遠するようになった時点で、とんぼはキキと親しくなっていて、味方になってくれるという形にした方がいいと思うんだけどなあ。

町の人々が最初から魔女を歓迎している様子は無いけど、だからと言って警戒して遠ざけているような様子も見られない。
そもそも、キキが町で暮らし始めた後、住民と触れ合おうとする様子は描かれていない。おソノの風車小屋で住み始めた後、すぐに宅急便を始めており、そこから離れようとしないからだ。
すみれの店へ大勢の人々が来るシーンで、初めてキキは住民たちと接触している。だから、「それまで警戒していた住民が、ある出来事をきっかけにキキを受け入れるようになる」といった魅力的なエピソードは用意されていない。
すみれの仕事を手伝ってから宅急便が盛況になるのは、単純に「大勢の人々に仕事を知ってもらったから」というだけだ。ようするに宣伝活動が不充分だから仕事が来なかっただけであり、住民が魔女を警戒していたから仕事が来なかったわけではないのだ。

ナヅルだけは、最初から徹底して魔女を嫌悪するキャラクターになっている。
ただし、こいつの動かし方が上手く話に乗っていないため、まるで異分子のようになっている。
こんな奴を入れるぐらいなら、魔女を徹底的に嫌悪するキャラなんて入れない方がいいんじゃないかと思うぐらいだ。
どうせ後半には「噂のせいでキキが敬遠される」という展開があるわけで、そこで「キキが嫌われる」という描写を入れることは出来るはずだし。

ただ、実は呪いの噂が広まった後も、「届け物が全て返品される」というぐらいで、「ほとんどの住民がキキを嫌悪する」という描写は薄いんだよね。おソノの使いでパンを届けた老女が冷たい態度を取る様子は描かれるけど、それぐらいだ。
そもそもキキが町へ出ないから、住民たちの反応に触れることが無いし。
で、そこが弱い内に、「園長がキキに仕事を依頼する」という展開になる。
ナヅルはキキを嫌悪するけど、それは噂が広まる前からだ。そして他の飼育員2名は、キキを嫌悪する態度は見せない。
そうなると、「噂のせいで住民がキキを嫌悪するようになった」という印象が弱いまま、「噂は消えました」という展開へ移ることになるのだ。

しかし、その一方で、そもそも噂が広まる以前から、あまりハッピーな雰囲気が強くないという問題がある。1つのシーンが終わった時に、楽しい気分にならないことが続くのだ。
「仕事が次々と舞い込むようになる」というトコはハッピーなんだけど、そこからは「とんぼがキキを突き飛ばす」「カラが歌えなくなっている」「マルコの具合が悪い」「サキがキキを騙して仕返しに利用する」「噂のせいでキキが住民から嫌悪される」「キキが飛べなくなる」と、ずっと陰気な出来事が続くのだ。
「最終的に明るい結果が待ち受けている」という展開に向けて、明るくない状態の続くエピソードを入れることはあってもいい。キキの成長のために、悲しい出来事を入れるのもいいだろう。
だけど本作品は、明るさや楽しさに欠ける出来事を無闇に入れているだけにしか思えないのだ。

終盤、園長から緊急で仕事の依頼が届いた時、飛べなくなったキキは断ろうとする。すると、おソノが「お届け物なら歩いてでも出来るでしょ」「頼まれたことは断らずに最後までやんなさい。アンタを頼りにしてるんだから」と言う。
しかし、園長が依頼するのはキキが空を飛べると思っているからであって、飛べないキキは頼りに出来る存在じゃないのよ。
だから、「お届け物なら歩いてでも出来る」という論理も成立しない。歩いて出来る仕事じゃないからだ。
それと、「頼まれたことは断らずに最後までやんなさい」と言うけど、そもそもキキは引き受けていないからね。
おソノの言ってることはメチャクチャなのよ。

メチャクチャと言えば、園長も酷いんだよな。
彼はイシ先生のいる島が判明したので具合の悪いマルコを運ぼうとしているんだけど、ナヅルが「俺が船で運ぶ」と言うと、「この風じゃ危険だから船は出せない」と反対するのよ。その時点で嵐が近付いているんだど、危険だからナヅルが行くことは反対しておいて、キキには「空を飛んでマルコを運んでくれ」と依頼するのよ。
いやいや、そんだけ危険な風が吹いているなら、キキにとっても危険だろうに。
危険な天候でも、魔女なら構わないってか。メチャクチャだよ。

そもそも、マルコをイシ先生の島まで運ぼうという考えからして疑問があるのよ。
具合が悪いのなら安静させておいた方がいいはずで、むしろキキにはイシを連れて来てもらった方がいいんじゃないかと。
キキか運ぶってことは、途中で落ちる可能性もあるんだし。
そりゃあ、イシを連れて来た方が診察までの時間は掛かるけど、どれぐらい緊急を要する状態なのかが全く分からないし。「容体が急変した」という言及は無いしね。

あと、そもそもイシ先生が簡単に失踪することが根本的な問題でしょうに。彼が所在を明らかにしていれば、もっと早くマルコを診察してもらうことが出来たはずなんだからさ。
こいつの無責任さは厳しく糾弾されるべきだろ。
それと、ナヅルは「薬なんか効かない」と言うけど、それは彼の勝手な考えなわけで。キキの持っている魔女の薬なら効果がある可能性も考えられるわけだから、とりあえず試してみたらどうなのかと。
他の方法を全て潰して、「これしか手立てが無い」ってことで「キキが嵐の中でマルコを運ぶ」という展開に持って行かないとダメでしょ。

キキがマルコを運ぶ時点で、まだ「呪いの噂でキキが住民から嫌われている」という問題が残っているのは構わない。それは「マルコを運ぶことで解消される」という形にしてOKな問題だからだ。ナヅルの問題も、まあ最初から要らないということをひとまず置いておくならば、まだ残っているのは構わない。
しかし、「カラが歌えない」「サキがタカに仕返しして拒絶している」という2つの問題も残っているのは、どうなのかと。
そんで「キキがマルコを運んでイシ先生に手当てしてもらったら、全ての問題が解決する」という形にしてあるんだけど、んなアホな。それでナヅルの態度が変化するのは分かるけど、カラが歌えるようになるのは、どういう理屈なのかと。
あと、キキが嵐の中を飛んでいるとカラが外へ出て歌い出すのは、「キキに勇気を貰って歌えるようになった」ってことかもしれんけど、マヌケにしか見えないし、そこで歌い出す必要は無いでしょ。

サキがタカと仲良くしようとするのも、キキがマルコを運ぶ行動との結び付きがボンヤリしまくっている。そもそもタカが陰口を叩いていたことが原因のはずなので、まるでサキが一方的に悪いように描かれているのも承服しかねる。
それと、タカに「ごめんなさい」の手紙を渡す前に、まずキキに謝罪しろと言いたくなる。
カラやサキの問題に比べると、「住民の態度が変わる」ってのは、キキの行動と分かりやすくリンクしているとは言える。
ただし、マルコを運んでコリコへ戻ってきたキキを住民が笑顔で出迎えるのは、「ついさっきまで嫌悪していたくせに、すんげえ勝手な奴らだ」と感じちゃうぞ。
とりあえず、キキに対する無礼を詫びろよ。

(観賞日:2015年9月12日)

 

*ポンコツ映画愛護協会