『めぞん一刻』:1986、日本

浪人生の五代裕作は、古い木造二階建てアパート“一刻館”に住んでいる。他の住人は、職業不詳の四谷さん、スナック“茶々丸”に 勤める朱美さん、宴会好きの一の瀬さんだ。住人たちに嫌気が差した五代は「出て行く」と叫び、荷物を抱えて去ろうとする。一刻館に ある時計塔の鐘が鳴り、四谷たちは「嫌な予感がする」と口にする。そこへ、新しい管理人の音無響子が犬の惣一郎を連れてやって来た。 若くて美しい彼女に一目惚れした五代は、すぐに前言を撤回し、留まることにした。
響子はアパートの住人に、滞納している家賃を支払って欲しいと告げた。四谷たちは茶々丸に集まって対策会議を開き、五代も同席した。 四谷は冷静な口調で、「歓迎会を開こう。管理人さんは私が見たところ、酒に弱い。酒をチャンポンで飲ませれば急性アルコール中毒で 倒れる。抵抗できなくなったところを犯してしまいます。そうすれば家賃の取り立てどころではなくなる」と提案した。
「誰が犯すのよ」と朱美が言い出し、皆が五代に視線をやる。五代が「ダメですよ、経験不足なんですから」と言うので、四谷が名乗りを 挙げた。別のテーブルでは、朱美が目当てで店に通っている男が飲んでいた。男が「楽しそうだなあ。私も一刻館に住んじゃおうかなあ」 と言うので、朱美は「アンタと一刻館で暮らすなんてまっぴらよ」と冷たく言い放った。四谷たちは計画通り、翌日に模擬試験を控えた 五代の部屋で響子の歓迎会を開いた。しかし響子は酒に強く、なかなか酔い潰れなかった。彼女が急に吐き気を催したため、そこにいた 全員が「つわりでは」と疑いを持った。
翌日、五代は試験を受けていても、響子のつわりが気になって集中できなかった。二浪を確信して会場を後にした彼は、同じ試験を受けて いた七尾こずえという女から声を掛けられた。電車に乗っても、彼女は積極的に話し掛けてきた。だが、五代は響子のことばかり考えて、 完全に上の空だった。駅で降りようとした五代は、響子が別の扉から乗ってくるのを発見し、電車に戻った。五代が響子に関する独り言を 口にしていると、こずえは自分が好意を寄せられていると勘違いした。
五代が電車を降りて響子を追跡すると、いつの間にか虚無僧姿の四谷も尾行していた。響子が墓地に入って和尚と話し始めたので、五代と 四谷は物陰に隠れた。盗み聞きの結果、21歳の響子が夫の惣一郎を亡くしていること、今年が三回忌であること、家は出ても籍は入れた ままだということが分かった。響子に気付かれた五代は、偶然を装った。響子は、話を聞かれたことを見抜いていた。
大雨の日、四谷たちから雨漏りの苦情を受けた響子は、屋根に登って修理を始めた。それを知った五代は慌てて屋根へ登るが、響子は 「これは管理人の仕事ですから」と言って作業を止めようとしない。「流産でもしたらどうするんですか」と心配する五代だが、響子に 「触らないで下さい」と突き飛ばされた。屋根から落下した彼は、右足を負傷してしまった。
五代は松葉杖姿で武蔵野大学の試験会場へ行くことになり、響子は付き添った。こずえが現れ、「教室の中まで付き添えないでしょ。後は 私がやりますから」と言うので、響子は立ち去った。彼女は公園で四谷と遭遇し、古い池に案内された。四谷は「ここで女を釣ったことが あります。身投げした女の体が針に引っ掛かって、人工呼吸で息を吹き返した」と言う。
四谷は「それ以来、女は私に付きまとうようになりました。私のことを恋人だと信じています。蘇って私の顔を見た途端、捨てた男と 見間違えたのです」と語った。響子は「ホントかな?」と疑いの目を向けた。その夜、アパートに一人の女が現れた。響子が応対すると、 「4号室の四谷はおりますか。四谷に釣られた女です」と彼女は告げた。女は皆が宴会をしている五代の部屋に赴き、四谷に「こんなとこ に隠れていたのね」と言う。四谷は淡々と「ずっとここに住んでいたんです」と告げた。
一の瀬は女に酒を勧めた。女は「いつも逃げるんです、この人。私にもう一度、死ねとおっしゃるんですか」と口にした。そこへ、茶々丸 に通っている男が現れた。四谷は「怪しいな。今日、銀行強盗がありましたよね」と述べた。空き部屋に宿泊した男女は、それぞれ翌朝に 朱美と四谷の家賃を支払って立ち去った。同じ朝、一の瀬も「亭主から金が届いた」と言い、響子に家賃を渡した。
五代の合格発表の日、響子はお寿司の出前を頼んで待ったが、夜になっても何の連絡も無い。深夜、泥酔して戻った五代は、一刻館の前で 「響子さん、好きだ」と叫んだ。慌てて外に出た響子が「大きな声出さないで下さい」と注意すると、五代は合格を報告した。五代は響子 に抱き付き、「響子さん無しでは生きられないのであります」と言う。響子が「お部屋に行きましょう」と促すと、五代は彼女を抱えて 部屋に連れ込んだ。五代は響子を押し倒すが、そのまま眠り込んでしまった。
翌朝、目を覚ました五代には、昨夜の記憶が全く無かった。一の瀬は「裸踊りして管理人さんに『見ろ』と迫った」と嘘を教えた。響子は 五代に、惣一郎の父から勧められた見合いに行くことを告げた。「お相手は慶應出の商社員」と言うと、五代は「偽善者じゃないんですか 、その人」と嫉妬心を剥き出しにする。響子は「五代さんの顔を良く覚えておいて、比べてみる」と告げた。
見合いの後、響子は惣一郎の父から感想を訊かれ、「前向きに考えてみたらどうかな」と告げられた。惣一郎の父は、一刻館を取り壊して マンションを建てないかという話があることを打ち明けた。「そろそろ一刻館も寿命だし、悪い話じゃないと思うんだが」と彼は言うが、 響子は「もうしばらく待っていただけませんか。あそこに住んでいる人が、好きみたいなんです」と告げた。
雨の中、五代は傘も差さずに響子を待っていた。「どうだったんですか、お見合い」と不安そうに尋ねる五代に、響子は「忘れちゃった」 と答えた。響子は五代に傘を差し伸べた。それが惣一郎の傘だと聞き、五代は「厚かましいみたいですね」と口にした。その時、突風で傘 が飛ばされ、木の上に引っ掛かった。「惣一郎、ごめんなさい」と、響子は涙声になった。茶々丸に通っている男が車で通り掛かったので、 響子と五代は一刻館まで送ってもらうことにした。男は「駆け落ちみたいに見えました。
後ろ姿が、どこかへ行ってしまうみたいだった。例えば、この世ではないどこかへ」と述べた。それから彼は「さっきまで女が乗っていた。 ちょいと口説いて引っ掛けた女です。どっかのホテルに入ろうとしていたが、この雨で急に気持ちが荒れてきて、どんどん町から外れて 目的とは逆の方向に車が走ってしまう。坂道をどこまでも登って、停まったら女房の墓なんです」と語った。
「悪いことをなさったから」と響子が言うと、男は「それで引き返して女を降ろした」と告げた。男は「心中なんです、女房。他の男と。 私、置いてけぼりされちゃったんです」と語った。一刻館では、遅れ馳せながら五代の合格祝いの宴会が開かれ、男も参加した。四谷から 合格発表の夜のことを揶揄された五代は、「あれは酒の上の過ちで」と慌てて言った。
裸踊りをしたと思い込んでいる五代の「信じてください、本気ではありませんでした」という釈明を聞いた響子は、「本気でなく『好きだ』 なんて、私のこと、からかったんですか」と怒った。告白したことを覚えていない五代は困惑した。その時、四谷の部屋から乾いた笑いが 聞こえた。四谷に釣られた女の声だ。「そちらの話がちぐはぐで笑っていたの」と彼女は言う。一の瀬が宴会に来るよう誘い、彼女も五代 の部屋に来た。四谷と一の瀬が「お楽しみはこれからだ」と言い、皆は寸劇を始めた。
茶々丸に通う男と四谷に釣られた女は、空き部屋で横になった。「置いてけぼりされちゃったんですか、奥さんに」と女が訊くと、男は 「日が暮れてみんな家に帰ってしまったのに、一人だけ鬼をやってる、そんな感じです。それから女とやりまくりました」と告げた。 「何人ぐらい?」と問われ、男は「500かな」と返答する。女は「あたしは1000。でも四谷がいいんですよね。良かったような気がするの」 と言った後、「雨を止めてくれません?あんまりさみしすぎるでしょ」と口にした。その直後、雨が止んだ。
夜中に起き出した五代は、庭にいる犬の惣一郎に目をやった。彼は「憎き恋敵」と惣一郎を殴り、それを響子に目撃される。彼女のビンタ を浴びた五代は、「一刻館を出ていきます」と告げた。五代が本当に引っ越した後、響子は四谷たちから責められた。朱美は「なんも やらせんで男を縛ろうなんて根性が気にくわん」と批判した。
五代宛てに実家から届いた荷物を、響子は引っ越し先に届けた。響子は「ごめんなさいね、人間より犬を大事にしちゃって」と謝罪して 立ち去ろうとするが、五代に「お茶でも飲んでいってくれませんか」と誘われた。部屋に上がった彼女は「晩御飯作ってあげます」と台所 に立ち、2人で夕食を食べた。響子は「ただの女なんです。ただの女で良かったら」と言うと、下着姿になって布団に入る。五代は隣に体 を滑り込ませるが、響子を抱くことが出来なかった…。

監督は澤井信一郎、原作は高橋留美子、脚本は田中陽造、製作は多賀英典、プロデューサーは伊地智啓&小島吉弘、撮影は仙元誠三、 編集は西東清明、録音は宮本久幸、照明は渡辺三雄、美術は桑名忠之、振付は三浦享、 音楽は久石譲、音楽プロデューサーは高桑忠男&高橋良一、 テーマ曲はギルバート・オサリバン「アローン・アゲイン」「ゲット・ダウン」。
出演は石原真理子、石黒賢、伊武雅刀、宮崎美子、藤田弓子、萬田久子、田中邦衛、河合美智子、草薙幸二郎、深見博、 中垣克麻、富士原恭平、吉田淳、石川慎二、大谷一夫、西条キロク、有島一郎、大滝秀治、 藤崎実、斉藤守之、大橋守、寺田見吾、立野高弘、上村有、竹嶋康弘、山田真規、緒方真由美ら。


高橋留美子の同名漫画を基にした実写映画。
監督は『Wの悲劇』『早春物語』の澤井信一郎、脚本は『雪の断章』『キャバレー』の田中陽造。
響子を石原真理子、五代を石黒賢、四谷を伊武雅刀、朱美を宮崎美子、一の瀬を藤田弓子、女を萬田久子、男を田中邦衛、 惣一郎の父を有島一郎、和尚を大滝秀治、こずえを河合美智子、四谷を尾行する刑事を草薙幸二郎が演じている。

原作の主要キャラ数名が登場し、原作と同じ「一刻館」という名前の古いアパートが主な舞台になっているが、内容は 大きく異なる。
その内容に触れる前に、まずキャスティングからしてキツい。
石原真理子が響子役って、わざとハズレを狙って引いたのかと思うぐらいのミスキャストだ。
それに演技力も厳しい。登場した途端に、その下手な芝居に「あちゃー」だよ。歓迎会での「きゃっ、何するんですか」というセリフも、 まあ下手なこと。
まあ『めぞん一刻』を実写でやること自体が、無謀っちゃあ無謀な企画なんだけどね。響子役で「イメージ通り」と思わせる女優なんて、 なかなか見当たらないだろうし。
でも、それ以上に、石原真理子をヒロインに据えるってのは恐ろしく無謀な行為だよ。
『めぞん一刻』に限らず、どんな漫画の実写化であったとしても、主演を張るには明らかに力不足だ。

原作は「個性的な住人たちに囲まれる中で、響子と五代の仲が次第に深まっていくラブコメ」という作りだった。
しかし本作品には、ラブコメの匂いがほとんど感じられない。
一応、登場人物がコミカルに振舞ったり、ユーモラスなセリフを口にしたりという箇所は存在する。
だが、全体を通して、どことなく暗い。妙に陰気な雰囲気が漂っている。
タイトルロールで流れてくる音楽からして、「なんか雰囲気が違うなあ」と感じさせる。
それ以前に、アヴァン・タイトルで子供たちによる『犬のおまわりさん』の合唱が聞こえてくるのは、何の狙いがあってのモノなのか。

こずえが前半に登場し、五代と出会った途端に惹かれている。
そして、五代から好意を寄せられていると勘違いする。
こずえというキャラは原作にも登場するが、設定が大きく異なっており、初対面で五代に惚れるわけではない。そりゃ時間的制約がある のは分かるけど、初対面で、出会って1分も経たない内に惚れているなんて、雑にも程がある。
この映画での彼女は、全てが薄っぺらい。彼女は序盤だけで消えてしまい、五代が響子の前で彼女といることに焦ったり、響子が嫉妬 したりという風に、恋愛劇に利用されることが無い。
彼女を登場させた意味が全く無い。
だったら、こずえなんか出さなきゃ良かったんだよ。

こずえが松葉杖の五代に付き添うことを申し出ると、響子は冷たい態度で立ち去る。その後、四谷に会って「他に付いててくれる人がいる みたいですから」と語っている。
これは、既に響子の中で五代に対する好意が芽生えており、嫉妬を覚えているという表現だと解釈すべきなんだろう。
でも、五代に惹かれるようなドラマ描写は、そこまでの間に全く無かったぞ。
響子は宴会で「本気で浪人に惚れてるんじゃない」と朱美にからかわれているが、そこまでに恋愛劇は皆無なのよ。

茶々丸に通う男が一刻館に来ると、四谷が「あやしいな、今日、銀行強盗がありましたよね」と口にしたりする。
そんな風に、茶々丸に通う男と、四谷に釣られた女が占める割合が非常に多い。
そうなると、おのずと五代は脇役に回る。
当然、響子との恋愛劇も描くことが出来ない。
響子の魅力も全く描写されていないし、五代の響子に対する感情、ヘタレな性格描写も薄い。

そりゃあ原作でも、響子と五代のラブコメばかり描かれていたわけじゃないよ。
ただ、それは長編連載で、他の事も色々と描く余裕があったから出来たわけで。
原作とは全く関係の無い怪しい男女を登場させるぐらいなら、原作キャラの三鷹でも登場させて三角関係を描いた方がいいだろうに。
なぜ三鷹はカットしておいて、メインの恋愛劇に全く関与しない男女を出すのか。

響子は惣一郎の父から一刻館の建て替えを持ち掛けられた時、「あそこに住んでいる人が、好きみたいなんです」と言う。
でも、そういうことが全くドラマとして表現されていない。
「最初は住人に不快感も感じていたし、管理人の仕事にも嫌なところがあったが、愛着が沸いたり好感を持ったりするようになった」と いう心の変化があってこそ、そのセリフに辿り着くはずなのに、そういう彼女の心情の変化、移り変わりが全く描かれていないのだ。
犬のことで響子にビンタされた五代が「一刻館を出ていきます」と言い出すのも「なんで?」としか思えないし、響子が四谷たちから非難 されるのも理解不能。朱美が「なんもやらせんで男を縛ろうなんて根性が気にくわん」と責めているが、そんなことを言われるほど2人の 関係は深まっていない。響子が五代を束縛しようという態度を示したりすることも無かった。
ちゃんとドラマを描いてないのに、表面的に原作のシーンやセリフだけ引っ張ってくるから、中身が伴わない不自然なセリフや強引な展開 になってしまうのよ。

原作と比較せずに、独立した作品として観賞しても、描写不足が甚だしいぞ。
響子が惣一郎を忘れてしまうことを不安に思う心情や、五代と惣一郎の間で揺れ動く気持ちも、全く伝わらないし。
で、そういうのを描こうとしたら、もっとメイン2人の恋愛に集中するしかないと思うんだよな。
思い切って他の要素をバッサリと削ぎ落とすしかないんじゃないか。

四谷を演じる伊武雅刀だけは、文句なしに素晴らしい。ここだけが本作品の見所と言い切ってもいい。「漫画の実写化」としても、全く 原作のイメージを損なわないピッタリの配役だし、そして素晴らしい存在感を発揮している。
だが、例えば古い池で釣った女のことを喋るシーンとか、刑事に追われているシーンとか、四谷の存在感は発揮されているけど、話を 進めることを考えると、そんな道草を食っている時間の余裕は無いはずなのだ。
四谷が刑事たちに尾行されて、止まったら向こうも止まるというやり取りもあったりするが、こういうのも、何がやりたいのかと。ただ 散漫な印象を与えるだけで、映画に厚みを持たせているわけではない。
しっかりとした芯があって肉付けしているとか、太い幹があって枝を付けているんじゃなくて、芯の部分が細いから耐え切れていない。 枝の方が遥かに太いってのはダメだろ。
っていうか、もはや枝じゃなくて、別の木だよ。

とにかく、もっと響子と五代の恋愛を描くことに神経を集中させたほうがいい。その上で、脇役の肉付けにも意識を向けるべき だろう。
だが、この映画がメインに据えているのは、響子と五代の恋愛劇ではないのだ。
個性的な住人たちのアンサンブルでもない。
脚本家と監督の意識は、原作には登場しないオリジナルキャラの男女に大きく傾いている。
響子と五代の恋愛劇も、一刻館の住人も、彼らにしてみりゃ、どうだっていいんだろう。
原作のシーンも、とりあえず形として挿入しているだけだ。

鐘が鳴り響くと、響子が耳を押さえて描写が何度か入る。 どうやら、それは「惣一郎が心の中に生きていることを感じる」という表現のようだが、なんでトラウマみたいな表現になってんのよ。
終盤には「空は真っ暗で世界中が真っ暗で2人っきりなんだ、五代さん来て。早く来て」と苦しそうに言っているが、なんじゃ、そりゃ。
結局、鐘のトラウマを消す展開も無いし。
茶々丸に通う男は、響子と五代を車に乗せた時「駆け落ちみたいに見えた。後ろ姿が、どこかへ行ってしまうみたいだった。例えば、この 世ではないどこかへ」と口にするが、何だよ、その不気味さを煽るようなセリフは。
その後、「女を口説いてホテルに入ろうとしたが、目的とは逆の方向に走ってしまい、停まったら女房の墓だった」と語るが、何だよ、 その陰気で意味ありげな会話は。

公園で四谷が「女を釣ったことがある」と話していると、番傘を刺した女性の文楽人形が池にプカプカと浮かびながら画面を横切り、 パカッと顔が変形する。
何なんだ、それは。
どうやら監督と脚本家は、これを芸術映画に仕立て上げようとしたらしい。
その場面以外にも、「アンタたち、ホントに『めぞん一刻』を映画化している意識はあるのか?」と言いたくなる箇所が幾つも出て来る。

宴会をしていた一の瀬と四谷が「お楽しみはこれからだ」と言うと、そこにいる全員参加によるミュージカルが開始される。
響子と五代は学生服、四谷は虚無僧、一の瀬ウェディングドレス、朱美は看護婦といった感じで皆がコスプレし、一刻館の中で歌い踊る。
何だよ、そのアバンギャルドすぎる展開は。みんながコスプレするエピソードは原作でもあったが、そういうのじゃなかったぞ。
これがオリジナル作品ならカルト映画として評価してもいいかもしれんが、『めぞん一刻』だぞ。
『うる星やつら』の劇場版における押井守が可愛く思えるぐらい、原作をボロボロにしている。

空き部屋には、壁を埋め尽くすぐらいに幾つもの時計が掛けてある。
どの時計も動いていない。
なんてシュールなんだ。
茶々丸に通う男が「妙な建物ですね」と感想を漏らすが、原作の一刻館に、そんな部屋は存在しない。
ようするに脚本家と監督が、有名な漫画を利用して、自分たちのやりたい芸術映画を好き勝手に作ったってことなんだろう。

終盤には、響子が五代を性交渉に誘うという、唖然とさせられる展開が待ち受けている。
で、そこまで行き着いたのに、響子と五代の話を放り出して、オリジナルキャラの男女が心中を図ったというエピソードに移行する。
自殺願望の男女がメインなんだから、そりゃ作品が暗くなるのも当然だわな。
っていうか、原作と無関係な男女をメインに据えてるんじゃねえよ。

監督と脚本家は、自分たちのやりたい話を描くために、有名な漫画を利用して、それを台無しにしたわけだ。
なんとも卑劣な手口だよ。
法律に触れるような犯罪ではないが、クリエイターとしては重罪だと私は思う。
でも、ひょっとすると先に石原の主演が決まっていて、「彼女がヒロインだと、原作のイメージを損なわないように作ろうとしても、絶対 に駄作扱いされるに決まってる。だったら開き直って、自分たちのやりたいように脱線してやろう」と思ったのかもしれない。
まあしかし、どんな形であっても、どんな匂いであっても、ウンコはウンコだ。

(観賞日:2010年1月30日)

 

*ポンコツ映画愛護協会