『マグニチュード 明日への架け橋』:1997、日本
昭和51年、中神島の消防士・佐伯辰雄は、妻・美代子、8歳の息子・誠と共に暮らしていた。ある日、3人が自宅でいる時間に大地震が発生した。揺れが収まった後、辰雄は急いで出動し、火事の現場で救助活動に当たった。だが、彼が出動した直後、自宅で火災が発生し、逃げ遅れた美代子が死亡した。辰雄は、誠を美代子の両親に預けた。
20年後、誠は消防庁の特殊救助隊員として活動していた。そんなある日、彼は中神島に特殊救助隊の隊長として転任するよう命じられた。誠は8歳で中神島を後にして以来、一度も故郷には戻っていなかった。辰雄とも、何の連絡も取っていなかった。
中神島に戻った誠は辰雄の家を訪れるが、隠れて姿を見ただけで、声を掛けられなかった。辰雄は漁師の仕事をしながら、民間の消防団員として活動していた。辰雄は小学校教師・日置陽子と企画して消防訓練を行うが、小学生2人が体育倉庫で火事を起こしてしまう。現場に駆け付けて消化活動を行った誠は、辰雄を叱責した。
騒動の責任を取る形で、辰雄は消防団を辞めた。漁に出た辰雄は、船のトラブルで重傷を負ってしまう。誠は陽子から連絡を受けて、急いで病院に駆け付けた。だが、誠は看護婦から父に関して質問されても、生年月日さえ知らなかった。
父の家を訪れた誠は、そこで地震に関する膨大な資料を発見する。辰雄は20年前に妻を失って以来、ずっと地震予知に関する研究を続けていたのだ。やがて誠は消防署の記録を調べ、20年前に辰雄が火災から助け出した少女が陽子だと知った…。監督は菅原浩志、脚本は長谷川隆&後藤槇子&菅原浩志、プロデューサーは加藤和廣&小林壽夫&鍋島壽夫、撮影は栢野直樹、編集は冨田功、録音は小野寺修、照明は長田達也、美術は沖山真保、衣装は磯井篤郎、ビジュアルエフェクト・スーパーバイザーは松本肇、音楽は佐橋俊彦、歌は河合美智子「白い鳥」。
出演は緒形直人、薬師丸ひろ子、田中邦衛、高橋恵子、渡辺えり子、いしのようこ、樹木希林、佐藤慶、村井国夫、角田英介、高橋一夫、山岡一、古賀亘、細川隆一郎、下元史朗、大河内浩、長克巳、嶋崎伸夫、中上恵一、猪野学、野入太、石山圭一、大江智男、小雪ナナ、飯原加津紀、杉田まいど、宮島章、小林元樹、斎藤里奈ら。
ナレーションは森繁久彌。
日本防火協会が製作し、東宝が配給した防災啓蒙映画。
誠を緒形直人、陽子を薬師丸ひろ子、辰雄を田中邦衛、美代子を高橋恵子、看護婦を渡辺えり子、陽子の母をいしのようこ、美代子の両親を佐藤慶&樹木希林が演じている。この映画は阪神・淡路大震災を受けて製作されており、多くの企業や団体の支援を受けている。防災に貢献したいという気持ちで多くの役者が集結し、ボランティア活動として製作されている。
そのように、真摯な志で作られている映画なのである。
しかし、ダメなモンはダメなので、そこはハッキリと言ってしまった方がいい。
「ボランティア活動をコケにするのか」と叱られるかもしれないが、私は支援企業や出演俳優に関してはダメ扱いするつもりは毛頭無い。
せっかく俳優陣が熱い気持ちで集まってくれたのに、シナリオや演出のせいで失笑モノになってしまったということなのだ。消防士のはずの辰雄だが、地震があった直後、自宅を全くチェックせずに出掛けてしまう。
彼が出掛ける段階で、既に火は付いていたのだ。
だから、ちゃんと家をチェックしてから出掛ければ、奥さんが死ぬことは無かった。
消防士としては失格だろう。さて、地震が起きたはずなのだが、辰雄が外に出ると、その周囲に人の気配が無い。
地震の直後だから焦って外に出てくるような人もいそうなものだが、全く無し。
それどころか、物音さえしない。ものすごく静かだ。
その後で火災が起きるが、野次馬さえ現れない。
どうやら、辰雄が暮らしていたのはゴースト・シティーだったようだ。
予算が少ないから、それほど派手な災害シーンを作ることは出来ない。 だから、ある程度の規模縮小は仕方が無いだろう。
ただ、ボランティアでエキストラを集めることぐらいは出来なかったのだろうか。
野次馬ゼロの火災現場って、どういう現場だ、それは。誠が20年ぶりに中神島に戻っても、住民が暮らしている気配がほとんど無い。
辰雄の家でも、誠のアパートでも、周囲に人が住んでいるような様子が無い。
で、クライマックスとなる大地震の後、小学校のグラウンドや病院で、ようやく大勢の人がいる。
どうやら、さすがにクライマックスとなる災害シーンだけは、エキストラを使ったようだ。なぜか辰雄は息子を妻の両親に預ける。
なぜか辰雄は消防士を辞めて漁師になっている。
でも、民間の消防団員としては活動している。
妻を失っても続けるぐらい消防の仕事に思い入れがあったはずなのだが、学校の騒ぎの後は簡単に辞めている。
誠は、父と別れるシーンでは全く恨みがあるように見えないが、そこから20年間も連絡を取っていないということは、どうやら恨みがあったようだ。
でも、その辺りは曖昧な状態になっている。
そんで、なぜか彼は父と同じ消防士になっている。小学校の消防訓練では、ガキンチョ2人が体育倉庫に入り、火の付いたマッチを捨てて火事を起こす。
この2人、大きな火事になる前に逃げ出せると思うのだが、なぜか逃げ遅れる。
映画では省略されているが、たぶん居眠りでもしていたんだろう。
教師として陽子が登場し、辰雄を「おじさん」と呼ぶなど親しい関係が描かれる。
しかし、彼女が20年前に救助された人物だということは、さっさと明かせばいいのに、なかなか明かさない。
それをミステリーにしておく意味があるのかというと、何も無い。陽子は辰雄の事故を誠に知らせるという目的で、119番に電話を掛け、消防署にまで行く。さらには、救助活動の現場にいる誠に、消防無線で話し掛ける。
消防庁も協力している映画なので、ってことは私用での消防無線&119番の利用を容認しているわけだ。
誠は辰雄の自宅で膨大な地震の資料を発見し、「父は20年前の地震にこだわっているのだ」と見直す。
だけど辰雄の資料というのは、「満月が地震の予兆」とか「地震と雲の関係」みたいな、ちょっと怪しい系統の資料ばかり。
むしろ不安になれ、誠よ。
あと、地震予知と防災ってのは、まるで違うモノだと思うのだが、それでいいんだろうか。クライマックスの災害シーンでは、ずっと病院にいたはずの辰雄が、どこでどうやって情報を知ったのか、陽子の自宅に駆け付ける。
1人で中に入ったところで救助できるわけでもないのだが、倒壊現場への突入という無謀な行動に出る。
で、自分も瓦礫の下敷きになってしまう。
このオッサン、色んな意味で、とんでもない人である。
その後、まるで超常現象か何かのように、おそろしく不自然なタイミングで火災が発生する。
火災が大きくなりそうな予兆とか、どこかに火種があるという伏線とか、そういうモノは何も無かったにも関わらず、である。
何かの異常による、突然発火なんだろう。クライマックスの災害シーンでは、陽子の自宅が倒壊している。
前述したように、予算の関係もあって、大規模な災害シーンは作れない。
そのため、周囲の建築物は全く倒壊していないのに、陽子の家だけが潰れるという、妙な光景になっている。
主要な登場人物は、わずかに3人。
倒壊する建物は、たったの一軒。
これで地震の映画を作ろうというのだから、そのガッツたるや恐れ入る。
しかし世の中には、ガッツだげはどうにもならないことが、山のように存在しているのである。最初に森繁久彌のナレーションで「防災の大切さを分かって欲しい」と語られるのだから、防災啓蒙の狙いがある作品なのだろう。
しかし、劇中ではガスの元栓を締めても家は全焼し、地震が起きて机の下に隠れても瓦礫の下敷きになって押し潰される。
つまり、この映画の中では、良く言われている防災対策が全く役に立っていないのである。
だから結果的には、「ちっぽけな人間の防災対策など、災害の前では無力だ」という、とてもシニカルなメッセージが込められた作品になっている。