『町田くんの世界』:2019、日本
町田家は父のあゆたと母の百香の間に、高校生の一、中学3年生のニコ、ミツオ、しおり、けーごという5人の子供たちがいる。生物学者のあゆたは研究でアマゾンに出張しており、百香は妊娠中だ。そのため、一は母を手伝って妹や弟たちの面倒を見ている。その朝も彼はニコたちの朝食を用意し、百香が「今晩、ハンバーグ食べたいなあ」と言うと「頑張るよ」と告げる。一はバスでけーごを幼稚園まで送りながら、家庭科の本を読んでハンバーグの作り方を学ぶ。彼は立っている老人に気付くと、自分の席を譲った。
登校した一は、美術の時間に他の生徒が彫刻の作業を進めている最中もハンバーグのことで頭が一杯だった。クラスメイトの猪原奈々は授業を抜け出し、保健室にいた。1人の女子生徒は奈々について、友人たちに「ああ見えて遊びまくってる。アナウンサーだった母親の猪原聖子はゲス不倫で干された。親に似たんじゃないか」などと話す。一は隣の席に座っている栄りらに指摘され、自分が「ハンバーグ」という文字を彫っていることに気付いて狼狽した。
慌てて文字を消そうとした一は彫刻刀で指を切ってしまい、保健室へ行くことにした。りらはクラスメイトのココミから「今、猪原さんが保健室にいて、町田くんが行く。これって恋の始まりの感じなのかな」と問われ、「普通はな。なぜって、ここは高校だから」と告げた。一は保健室に入るが、養護教諭がいないので出血している指を押さえながら帰りを待った。それを見た奈々は、呆れて「馬鹿なの?」と言いながらも手当てした。
りらはココミに「例えばなんだけど、キスとかしてるのかな」と言われ、「普通ならもっとしてる。だが、あの町田がキスとか知ってるとは思えない」と述べた。奈々は自分のハンカチを一の右手に巻き付け、保健室を去ろうとする。なぜサボっていたのか問われた彼女は、面倒そうに「人が嫌いなの」と答えた。一が変な走り方で追い掛けて来たので、奈々は困惑しながら逃げる。あまりにも遅すぎる一の走りに呆れた奈々は、「何?」と尋ねる。一は「ハンカチ、本当にありがとう。ちゃんと洗ってくるよ」と言い、奈々が「いい、捨てて」と告げても「必ず持って来るよ」と約束した。
奈々は下校途中、持っていた赤い風船を飛ばしてしまう男児に気付いた。するとモタモタした走り方で一が現れ、風船を追った。何とかジャンプして風船の紐を掴んだ一だが、そのまま川に転落してしまう。帰宅した一はハンバーグを作ろうとするが、買った肉は風船を取る時に置き忘れていた。翌朝、週刊誌『芸能チェイス』の記者として働く吉高洋がギスに乗ると、誰かが捨てた空き缶を座っている若者たちが蹴っていた。すると一が空き缶を拾い、立っている老女に「座りますか?」と声を掛けた。老女は「大丈夫ですよ」と言うが、近くにいた男性が席を譲った。それを見ていた女子高校生が、友人に「さすが町田くん」と言う。友人が一のことを知らなかったので、彼女は「劇的にいい人で有名じゃん。一部でキリストって呼ばれてるみたいだよ」と教えた。「偽善でしょ」と友人が笑うと、その女子も同調した。そんな会話を、吉高が聞いていた。
登校した一はプールサイドに隠れていた奈々を発見し、「ハンカチ、洗ってもダメだった。新しいの探したけど、似てる物しか無かった」と新品のハンカチを差し出した。疎ましそうに受け取った奈々が「もう行って」と言うと、一は「授業に出なくて付いていけるの?」と問い掛ける。「関係ないでしょ。同情?優越感?優等生が問題児を説得して嬉しいみたいな?」と奈々が言うと、彼は「俺は走るのも遅いし、勉強も信じられないぐら出来ない」と話す。一が「俺は人が好き。猪原さんは嫌いって言ってたけど」と語ると、奈々は「私は嫌い」と改めて告げた。
一はりらを見つけ、「栄さんは人が好き?」と質問する。彼が「猪原さん、人が嫌いなんだって。そんな風に考えたことなかったから」と言うと、りらは「あの子、昔からそうだから」と告げる。彼女は一に、小学校の時に声を掛けたが奈々から冷たく拒絶されたという体験を話す。一が「分からない。俺は人が好きだから」と口にすると、りらは「今時さ、人が好きって言ってる奴の方がヤバいぞ」と指摘した。同じ頃、吉高は「この世界は悪意に満ちている」と感じ、思いやりの無い世界に関するコラムを執筆していた。
その夜、奈々が氷室雄と友人2人にナンパされる様子を、りらとココミが目撃した。2人が観察していると、奈々は「御飯だけなら」とOKする。そこへ一が通り掛かり、奈々の腕を掴んで「これは何か違う。行こう」と言う。一は氷室に「彼女、大切な人なんです」と述べ、奈々を連れて走り去った。氷室は追い掛けようとする友人たちを引き留め、「いいって、別に他ので。あの女、たぶん同じ学校の奴」と告げた。
一は奈々に「どういうつもり、あんな嘘までついて」と追及され、「良く分かんない。でも、余計なことしたかもしれない」と言う。奈々が「大切な人って言ったでしょ。どういう意味?」と言うと、彼は「文字通り大切な人のことなんじゃないの?駄目だ、混乱してる」と頭を抱える。奈々は「やめてよ。待って、誤解しないでよ。御飯代が浮いたらラッキーだと思っただけだから」と話し、理由を問われて親戚が住むロンドンへ留学する費用を貯蓄していることを話した。
次の日、奈々はりらに「町田くんって、どういう人?」と質問し、「人のことばっか考えてるっていうか、いい意味でイカれてる」という答えを得た。「町田もアンタのこと訊いて来たよ」と言われ、彼女は動揺した。登校した一は、靴箱に入っているラブレターを見て驚いた。「放課後にグラウンドで待っています」とあったので彼が出向くと、クラスメイトの西野亮太が待っていた。西野は相手を間違えたことに気付き、奈々の靴箱に入れるつもりだったと説明した。
「この手紙は西野くんの一生懸命な気持ちだから、嬉しかった」という一の言葉に背中を押された西野は、彼に見守ってもらう中で奈々に告白する。奈々が断っても西野は諦めず、「一回でいいからデートしてくれませんか」と頭を下げる。「西野くんは一生懸命だよ。だから猪原さんが嫌なら、一生懸命断った方がいい」と一が言うと、奈々は「3人でなら」という条件でデートを承諾した。西野は浮かれて奈々を買い物や食事に連れて行き、一は2人に付き合った。
ボウリング場を訪れた時、一は西野に「恋ってどんな気持ち、他の好きとどう違うの?」と尋ねた。すると西野は少し考えて、「他の好きと根っ子は一緒だと思うよ。それが、ちょっとしたきっかけで爆発するんだ」と答えた。西野が同級生の男子たちに絡まれるのを見た一は、「彼は大切な人だ。乱暴はやめてくれ」と割って入った。男子たちが気持ち悪がって立ち去ると、西野は一を抱き締めた。奈々は西野と2人になると、「お付き合いのことだけど、ごめんなさい」と謝った。すると西野は「いいんだよ」と笑い、「ありがとう。俺なんかにちゃんと向き合ってくれた人、今までいなかったから」と告げた。一が戻って来ると、奈々は西野との交際を断ったことを話す。一は彼女に「今まで見たことが無いほど綺麗だ。猪原さんがここにいてくれて本当に良かった」と言い、すぐに「えっ、俺、何言ってるの?」と我に返った。
モデルとして活動する氷室は、カメラマンから厳しいダメ出しを受けて交代させられた。交際している同級生の高嶋さくらが「もう無理」と別れを切り出すと、「ちょうど良かったわ。俺も撮影とかで忙しいし」と冷たく告げた。さくらが泣いていると一が現れ、紅茶のペットボトルを置いて頭をポンポンと撫でた。さくらが驚いていると、一は無言で立ち去った。その様子を見た奈々がショックを受けていると、りらが「あの野郎、とんでもないな。全人類を自分の家族だと思ってる」と告げた。
奈々が1人でいると、一が来て紅茶のペットボトルを置く。「何これ?」と奈々が尋ねると、彼は「元気無さそうだったから」と答える。奈々が「どうして誰に対しても親切なの?自分のことは後回しで、誰かのために生きてるみたい」と告げると、一は「みんな、そうじゃないの?」と不思議そうに言う。「町田くんといると、自分がダメ人間に思えてくる」と奈々が漏らすと、彼は「いや、ダメなのは俺の方だよ」と告げる。彼は「小さい頃、井戸に落ちて、頭を打って死んだんだよ。死んだと思ったけど生きてた。生き返ったのかも」と言い、それが原因で何をやってもダメな人間になったのだと話す。一が頭をポンポンすると、奈々は「そういうことは好きな子にしかやっちゃいけないの」と腹を立てた。
次の日、奈々は昼休みに一を捜し、さくらが彼のために作った弁当を見せている現場を目撃した。さくらの弁当を食べた一が「美味しい」と言うのを見て、奈々はショックを受けた。氷室はファンの女子たちを集め、取り巻きの男子2人が「くじ引きで当たった奴がプレゼントを渡せる」と説明した。さくらは一が全くドキドキしてくれないことに不満を抱くが、告白する決意を奈々に明かした。奈々は「別に私は関係ないし」と言うが、動揺を隠せなかった。その夜、奈々は町田家の前で一を待ち伏せするが、鈍すぎる彼に苛立ちをぶつけるだけで去ってしまった。
吉高は女優の南玲香が不倫相手と一緒にいる現場を撮影し、その場で直撃取材した。家に戻った彼は、幼い息子を寝かせた妻の葵に芸能スクープを教える。「これで俺もしばらくは安泰だな」と彼が軽く笑っていると、葵は「何がそんなに楽しいんだっけ?」と問い掛ける。彼女は文芸を目指していた吉高に転職を勧め、「こんな仕事、いつまでも続けていられないでしょ」と言う。吉高は「こんな仕事?悪いの俺じゃないだろうが。どうしようもない連中がいるから、俺らはそれを記事にする」と反発した。
翌日、奈々は氷室から以前の埋め合わせに付き合ってくれと誘われ、最低だと扱き下ろす。氷室は「俺が最低なら、君の親はどうなの?」と嫌味っぽく言い、奈々に付きまとう。「マジで消えろ」と奈々が罵って走り去ると、氷室は馬鹿にするように笑った。さくらから「付き合ってください」と告白された一は、「氷室くんのことは?」と問い掛ける。さくらは氷室と別れた辛さで告白したことを明かし、「私ホント、しょうもない人間だ」と自嘲した。一は「違う。さくらさんは大切な人だよ」と言い、理由を訊かれてそうじゃない理由が一つも無い」と答えた。
泣き出すさくらに一がハンカチを差し出す様子を、奈々が目撃していた。一は雨の中で佇んでいる奈々を見つけ、話し掛けた。「好きって感情は分かるわけ?恋って物は?」と質問された彼は、黙り込んでしまう。奈々が「家に閉じ篭もっていても許されるから、雨は好き。ここにいてもいいよって言われている気分になる」と語ると、一は傘を差し出して「分かった。ここにいてもいいよ」と告げた。バスに乗っていた吉高は、2人の姿を目撃した。
次の日、一はプールにいるカモのカップルを見て、奈々に「猪原さん、カップルになりたい人、いる?」と尋ねる。奈々は一の無神経さに呆れながら、「仮にいたとしてもだよ、好きになった人が、自分を好きになってくれるわけないでしょ。それってもう、奇跡みたいなもんだから」と答えた。彼女が「とは言えだよ」と付け加えて来月の七夕祭りに誘うと、一は「いいよ」と即答した。さくらは氷室に「自分の気持ちに向き合ってみたの。やっぱり、まだ氷室くんが好き」と言い、七夕祭りに誘う。氷室が「撮影で忙しい」と冷たく断ると、彼女は「本当に大切な物って何?一生懸命になれる物って何?」と尋ねた。すると氷室は、「そういうの考えない方がいいよ、ガキじゃないんだから、。こんな世の中だから、適当に生きなきゃ、やっていけねえよ」と告げた。
吉高は編集長の日野から、来月のドラマにぶつけるのでゴシップ記事をまとめるよう催促される。日野は彼に、「俺たちがやってることは人間のクズみたいなことだ。だが、そのクズみたいなことを、みんな待ってるんだよ。人間は他人の悪意が大好物だ。クズを見てると自分の方がマシだと安心できるんだよ」と語った。氷室は撮影の待ち時間、モデル仲間に奈々のことを話した。その日も彼の出番は、ほとんど与えられなかった。帰り道に一を目撃した氷室は声を掛け、奈々と付き合いたいので何が好きなのか協力してほしいと頼む。モデル仲間は奈々の話を覚えておらず、氷室は一に「子供の頃頃からチヤホヤされているから自分にしか興味が無いんだ」と話す。一は「友達に話したことをすぐに忘れられたら悲しいよ」と言い、協力を快諾した。
翌日、奈々は一から一緒に帰ろうと誘われ、喜んでバスに乗る。しかし一が氷室のために好きな物を知りたいと言うのでショックを受け、「それは無理」とバスを降りた。同じバス停から乗って来た吉高は、激しく狼狽している一に気付いた。一は「気が付かなくてすみません」と立っていた妊婦に席を譲り、次のバス停で降りた。気になった吉高は後を追い、「君はどうしてそんなに優しいの?」と質問する。すると一は自分が嫌な人間だと言い、「好きな人に悲しそうな顔をさせてしまいました」と漏らした。
吉高は「好きな人を幸せにするために誰かを傷付けなきゃいけない。そんな時、君ならどうする?」と質問するが、「俺、何言ってんの」と自分の行動に戸惑った。一は「さっき、猪原さんのことが気になって、妊婦さんの存在が見えなくなってて」と後悔を吐露し、「俺、行かなきゃ」と走り去った。するとニコが現れ、母に陣痛が来たことを知らせた。奈々を見つけた一は、「どうしよう。分かんないけど言うね」と告げる。奈々は「新しい待って、嫌だ」と拒み、その場から逃げ出す。一は慌てて追い掛け、「産まれるんだ。新しい町田。だから、ここにいて。俺、行って来るから」と話した。彼は病院へ走るが、出産した百香は余裕を見せた。産まれたばかりの弟を抱いた一は感動し、「これは奇跡だよ」と口にした。「もしかして、好きな人、出来た?」と母に問われた一は胸を押さえ、「ここがグチャグチャで」と告げる。日が暮れるまで待っていた奈々だが、一が到着した時には去っていた。
あゆたが久々に帰国したが、来週には再びアマゾンへ戻ることが決まっていた。どうして母を好きになったのかと一が訊くと、あゆたは「分かんなかったんだよ」と答える。あゆたが「小さい頃から色んな生き物を研究して来たけど、母さんだけは分からなかった。そしたら嫌でも夢中になるだろ。だから今でも研究を続けている」と話すと、一は「俺は何もかも分からなくて」と漏らす。あゆたは「羨ましいな。分からないことがあるから、この世界は素晴らしい。目を逸らしちゃダメだ。自分の胸に、ちゃんと聞け」と助言すると、一は「今すぐにでも、叫びたくなるぐらい会いに行きたい」と告げる。彼は父に背中を押され、奈々のマンションへ走った…。監督は石井裕也、原作は安藤ゆき「町田くんの世界」(集英社マーガレットコミックス刊)、脚本は片岡翔&石井裕也、製作は今村司&瀬井哲也&池田宏之&谷和男&橋誠&田中祐介&松橋真三、エグゼクティブプロデューサーは伊藤響、プロデューサーは里吉優也、ラインプロデューサーは原田文宏、企画・プロデュースは北島直明、撮影は柳田裕男、照明は宮尾康史、美術は井上心平、録音は小松将人、編集は普嶋信一、音楽は河野丈洋、主題歌「いてもたっても」は平井堅。
出演は細田佳央太、関水渚、岩田剛典、高畑充希、前田敦子、太賀(現・仲野太賀)、池松壮亮、戸田恵梨香、佐藤浩市、北村有起哉、松嶋菜々子土屋アンナ、笛木優子、佐田真由美、大鷹明良、中野英樹、酒向芳、駒井蓮、日比美思、吉田美月喜、木下愛華、山田佳奈実、立石ケン、前田航基、富田望生、小川あん、北村優衣、嶺豪一、笹森裕貴、若林時英、佐野弘樹、安藤瑠一、守屋光治、二見悠、岩手太郎、二宮弘子、藤本沙紀、荒井レイラ、佐々木華奈、今村裕次郎、大塚ヒロタ、郡司恭子(日本テレビアナウンサー)ら。
安藤ゆきの同名少女漫画を基にした作品。
監督は『バンクーバーの朝日』『映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ』の石井裕也。
脚本は『きいろいゾウ』『夏美のホタル』の片岡翔。
一役の細田佳央太と奈々役の関水渚はオーディションで選ばれ、これが映画初主演。
氷室を岩田剛典、さくらを高畑充希、りらを前田敦子、西野を太賀(現・仲野太賀)、吉高を池松壮亮、葵を戸田恵梨香、日野を佐藤浩市、あゆたを北村有起哉、百香を松嶋菜々子が演じている。他に、カメラマン役で土屋アンナ、聖子役で笛木優子、玲香役で佐田真由美、ニコ役で駒井蓮、ココミ役で日比美思が出演している。前述した出演者の顔触れは、かなり豪華だ。一と奈々を取り巻く同級生の面々は、映画で主演を張れるような俳優ばかりだ(実際、全員が主演作を持っている)。
ただし年齢を考えると、高校生を演じるには明らかに無理がある。荒唐無稽な喜劇ならともかく、そういう類の作品ではないので、そこは大いに問題だ。
とは言え、そのメンツだけで映画を作っていれば、「そういう世界観」として受け入れられたかもしれない。しかしメインの細田佳央太と関水渚が若いので(関水渚は1998年生まれ、細田佳央太は2001年生まれなので実際に当時は高校生)、「周囲の面々が年を取っている」ってのが目立ってしまうのだ。
高畑充希が細田佳央太に「先輩」と言ったりするシーンなんか、ちょっと笑っちゃったんだよね。バスに乗っている女子高生が、一について「キリストと言われている」と評するシーンがある。しかし実際の一を見ている限り、その批評が彼を正確に言い表しているとは思えない。
と言うのも、一はやたらとドタバタやアタフタが目立つし、無知で愚かしい部分も見せている。
彼が善意を周囲に向けていることは事実だ。しかし、それは「聖人」としての善意ではなく、極端に言えば「白痴」としての善意なのだ。
だから一が善意を他人に向ける時、そこには寛大さや包容力という要素が乏しい。一は誰にでも優しく接しようと努めているが、一方で「相手の気持ちを推し量ることが出来ていない」という問題を抱えている。
「これによって相手がどう思うか」「本当に相手は喜ぶのか」ってことを考慮しない行動なので、もしかすると善意の押し売りになっているかもしれない。本人の自己満足で終わっており、相手は決して喜んでいないかもしれない。
だが、そういう問題から、この作品は目を背けている。
どうやら原作とはキャラクター設定を変更しているらしいのだが、それによって問題が生じたのではないだろうか。一が男児の飛ばした風船を取ってあげようとするシーンは、不自然な内容になっている。
まず、あの状況で風船を持って歩いている男児の存在が不自然だし、その風船もまた大きさが不自然。
そして一が風船の紐を掴むシーンは、さらに不自然だ。何しろ、一は紐を掴んだまま、しばらく空中で停止しているからね。
そんなの実際には有り得ないので、もちろんファンタジーとしての描写なのは分かる。漫画では非現実的な表現ってのが珍しくもないし、そういうのを意識したと解釈すればいいのかもしれない。
ただ、そこまでのテイストからすると、そのシーンだけが明らかに浮いているのよね。「そういう非現実的な表現もあるよ」という世界観に、観客を順応させることが出来ていないのだ。「そこが一発目で、それを皮切りにして観客を取り込もうとしていた」ってことなのかもしれない。
ただ、仮にそうだとしても、不自然が伝わって来るんだから、ようするに失敗しているってことだ。
そもそも漫画的な表現として捉えるにしても、「風船をキャッチした一が空中に停止し、少し経って落下する」というトコの処理が上手くないのよね。だから不自然さが際立っているってのもあるからね。
簡単に言うと、間とテンポが悪いのよ。吉高が一と出会うシーンの描写には、1つ問題がある。それは、一が老女に「座りますか?」と声を掛ける行動だ。
一が席を立って老女に譲ろうとしたのなら、それは分かる。しかし一は「座りますか?」と声を掛けたものの、老女のための席を確保できているわけではない。そのため、近くにいた男性が立って老女に席を譲っている。
これって、一の善意だけでは成立しないことでしょ。近くにいた男性が席を譲ったことで、「立っていた老女は座ることが出来た」ということになっているわけで。
ただ、そうなると、一はその男性に無言の圧力を掛けたようにも見えるわけで。それは果たして、純然たる善意と言えるのだろうか。
自分が無償の愛や奉仕の精神で動くのはいいけど、そのせいで他人に迷惑を掛けているとも解釈できちゃうわけで。男3人にナンパされた奈々を一が連れ去るシーンにも、違和感を覚える。
奈々は少し迷いながらも、「御飯だけなら」とOKしている。それなのに一は「これは何か違う」と言い、彼女を連れ去るのだ。
でも、それが「何か違う」ってのは、一の主観に過ぎない。もちろん男たちは軽いノリでナンパしているが、そこから恋に発展する可能性が無いとは言い切れない。それに最悪の事態もあるだろうけど、ホントに御飯だけで追われるかもしれない。
そこを「一の素晴らしい行動」として受け取るためには、「奈々がナンパされて付いて行ったら酷い目に遭う」ってのが、ほぼ確定事項になっている必要があるのだ。
でも、そのシーンの描写では、そこまで選択肢を限定できているわけではないからね。なので、一が奈々に惚れていない以上、それは「余計なお節介」でしかないのよ。吉高というキャラを、上手く扱い切れていない。
彼は前半の内に、バスで一を目撃している。だが、それ以降、一に興味を持って取材するとか、何かの事件で一と絡むとか、そういうことが無いまま時間だけが過ぎて行く。その間、たまに出て来る彼は、一と無関係な場所で仕事をしているだけだ。
後半、吉高は一に声を掛け、「好きな人を幸せにするために云々」と質問する。だけど、「初めて声を掛けて、急にその質問かよ。なんか手順を飛ばしてねえか」と感じる。
「世間の醜さや汚さに辟易しながらも染まりつつあった吉高が、一の純然たる善意でて浄化される」ってのを描きたいんだろうとは思う。ただ、結果として上手く処理できていないので、じゃあ要らないなと。
そもそも「町田くんの世界」に高校から遠く離れた大人の話を盛り込むこと自体、避けた方がいいんじゃないかと。もっと狭い範囲で、高校生が一によって変化していく物語に絞り込んだ方がいいんじゃないかと思うのでね。一が自分の意思を積極的に発信する部分もあるのだが、そういうのは要らないなあ。そういうのを描くと、話の軸がブレちゃうのよ。
正直に言って、この物語の面白さって「いい意味でイカれている町田くんの影響で、周囲の人々が変化していく」という部分にあるのよね。
町田くん本人の恋愛劇なんて、どうでもいいのよ。少なくとも、そこには面白さを感じないのよ。
町田くんはトリックスターや狂言回しのような存在に徹してくれればいいのであって、最後まで掴み所のない存在で構わない。彼の中身を掘り下げる必要など無い。そうなると一に恋心を抱く奈々の変化を描く上で支障が出るけど、そこも上手く処理する方法が無いわけではない。
方法は簡単で、恋が成就しないままで話を終わらせればいいのだ。それは「奈々が失恋する」って意味じゃなくて、「これから恋が始まるかもしれない」と匂わせる程度で終わらせればいいのだ。
そうすれば、そこに決着を付けないままでも、幸せな気持ちで終幕することが出来る。
そもそも、奈々というキャラクターを描く上で最も重要なのは、「一への恋が成就すること」じゃなくて「人嫌いだった彼女が人を好きになること」だからね。終盤、奈々はロンドンへの留学を決め、学校を休んだまま空港へ向かう。
動かないつもりだった一だが、「好きなら追い掛けろよ」と氷室に説得されて考えを変える。すると今まで善意を向けた周囲の面々が、一に協力する。
ちょっと『素晴らしき哉、人生!』を連想させるし、やりたいことは分かる。
だけど、「周囲の面々が一斉に現れて一のピンチに手を貸す」という展開が、感動的なシーンを邪魔するような不自然さを醸し出しているのよね。さらに問題なのは、途中で木に引っ掛かっている風船を男児のために取ろうとした一が、そのまま空を飛んで奈々の元へ向かうという展開。
気付いた奈々がジャンプして一に抱き付くトコまで描いているけど、それは受け入れ難い描写だ。
「一が風船で宙に浮くシーンを伏線として用意してあったから、そこは受け入れられるでしょ」ってことなんだろうけど、無理だよ。そこでファンタジーを持ち込んでしまうと、この話そのものが「空虚な絵空事」みたいになっちゃうぞ。
もちろん一みたいな奴は実在しないし、全ては絵空事だよ。だけど、そこは現実的な形で着地させないと、「全ては絵空事」という形で締め括ったら作品の肝となる部分が死んじゃうでしょ。(観賞日:2021年1月27日)