『まぼろしの邪馬台国』:2008、日本
昭和12年。中国の北京で暮らしていた長濱和子の一家は、日中戦争が始まったため、身寄りの無いまま帰国した。一家は和子の母が幼少時代を過ごした九州の柳川に移り住む。父の仕事はなかなか見つからず、母の商売で生計を立てる。熱心に本を読む父は、和子に「北京で隣にいいたマーさんたちと、日本は喧嘩しちゃいけないと思わないか。そのために勉強してるんだよ」と語る。和子も母の商売を手伝うが、一家は貧しい暮らしを強いられる。そんなある日、家が火事になり、父は死亡した。
昭和31年8月、博多。和子はフリーのラジオ声優として、ラジオ番組『九州の歴史』を担当していた。その日のゲストは、長崎の島原鉄道の社長であり、郷土史家でもある宮崎康平だった。秘書の矢沢を伴ってラジオ局にやって来た盲目の彼は、和子の顔に触れて「べっぴんたいね。声もよか」と言う。放送が始まると、彼は邪馬台国の起源を探ることについて熱く語る。番組が終わってから、康平は和子を「今度、島原に来んね」と熱心に誘った。和子は2年前に、母の7回忌を済ませている。彼女はディレクターの古賀から、「大先生の話、乗ってみたらどうだ」と持ち掛けられる。戸惑う和子に、彼は「この番組、9月で終わるんだ。次の番組で君の出番は無いんだ。君は美人だけど、テレビ時代には年が行き過ぎてるんだよねえ」と述べた。
1ヶ月後。ワンマンで怒りっぽい康平に対し、島鉄の労働組合員である佐々木一馬と仲間の高村たちは、不当解雇への抗議活動を行う。康平に逆らった者は、容赦なく斬り捨てられるのだ。康平は「島鉄はワシのモンじゃ」と怒鳴り、抗議の声に全く耳を貸そうとしない。彼が「長年の夢じゃった島原観光バスを走らせる。新型バスも発注した」と言い出したので、何も聞いていなかった副社長の戸田亮吉や役員の岩崎伸一たちは焦った様子を見せる。「資金はどこから」と問われた康平は、「有明銀行たい」と胸を張った。
和子がやって来たので、康平は大歓迎し、職員たちに「今日からバスガール教育部長たい」と紹介する。「経験がありませんし」と和子が困惑すると、康平は「ワシの心臓には全て見える」と自信満々に言う。和子は康平が手配したという島月旅館へ赴く。すると女将の克江は、ここ2年ほど康平に宿泊代を払ってもらえずに困っていることを話す。しかし彼女は「寝るだけなら」と和子に部屋を貸した。克江による康平の評価は、「いい人だが、浪費癖があり、女にだらしない」というものだった。そのせいで、康平の妻・朋子も幼い2人の子供、誠と照子を残して家を出て行ったのだという。
康平は一馬の妹・一恵をバスガールとして勧誘し、支度金を両親に渡す。彼は他にも多くの女たちを雇い、契約を結んだ。バスガールの指南書を書き始めた和子は、康平の家を訪れた。すると康平は、子守歌を歌って赤ん坊の照子を眠らせていた。和子に気付いた彼は、家に招き入れる。和子が「島原の子守唄ですか」と訊くと、康平は「ワシの作った歌たい」と答えた。彼は和子に書庫を見せる。そこには和子の父がいつも読んでいた本もあり、他に魏志倭人伝や古事記、万葉集など様々な書物が揃っていた。康平は「ワシはもう読めん。アンタに、みんなあげてもよか」と言った後。「3ヶ月でよか」と土下座した。和子は「私で良ければ、やってみます」と述べた。
和子はバスガール候補生たちに、話し方や振る舞い方を教え込む。それだけでなく、彼女は宮崎家の家事や子供の世話も引き受けた。やがて観光バスの乗り入れが開始された。利用客はどんどん増えて行き、町は活気付いた。そんなある日、線路に耳を当てていた康平は、村井駅長に全ての列車を停止させるよう命じる。集中豪雨か来るのを察したのだ。線路を調べに出た康平は、そのまま本社に戻って来ない。和子や職員たちで捜索すると、彼は橋の下で気絶していた。和子が平手打ちで意識を取り戻させると、康平は石を掲げて「卑弥呼がワシを呼んどった。我が郷土、島原は移籍の上に出来た町たい」と叫んだ。
集中豪雨で多くの線路や鉄橋が損傷し、復旧工事が進められる。そんな中で、現場に赴いた康平は「ここを掘れ」と命じる。だが、それは復旧工事のためでなく、土器を発掘するための作業だった。「飯は倍食わす」と言われ、人夫たちは喜んで協力する。そんな風に、康平は人夫たちを使って幾つもの土器を発掘する。しかし公私混同を問題視した戸田たちは、役員会で退任動議を提出する。康平を除く5人が全員賛成し、康平は解任された。康平は「自分からやめてやるわ、覚えておれよ」と激昂した。
仕事を失った和子は、福岡へ戻ろうと考える。駅で待ち受けていた康平は、和子に求婚する。和子は求愛を受けるが、康平が朋子と離婚したわけではないので、内縁の妻という状態だ。康平が「明日からワシは、邪馬台国の場所ば探す。土器を見つけて、そんためにワシは生まれて来たのが分かった。そのためには、もっと勉強せねばいかん」と語るので、和子は「そのお手伝いをすればいいんですね。あの書庫にある本、私が代読すれば」と述べた。
翌日から和子は、康平に魏志倭人伝を読み聞かせる日々を送るようになった。彼女は本を読みながら、康平の指示を受けて地図上で国の場所を教える。生活が貧しくなったにも関わらず、康平は研究のために録音機を買って来るよう要求する。和子は生活費からの出費を避けるため、古賀に頼んでラジオ局から古い機材を持ち出してもらった。康平は邪馬台国シンポジウムに出席し、他の教授の講演内容を厳しく批判して自説を語った。
食費にも困るほど生活が困窮してきため、和子は有明銀行を訪れて頭取の江阪大吾に援助を頼む。江阪は嫌な顔一つ見せず、ポケットマネーで15万円を差し出した。和子は康平のため、誠に手伝ってもらって立体的な九州の地図を作製した。それを見て最初は喜んだ康平だが、ある場所に触れて険しい顔になり、「違う。卑弥呼の時代、ここは陸地じゃなかった。ここば削れ」と和子に要求した。
和子が「じゃあ実際の場所に行って確かめましょう」と提案すると、康平は「ワシは目が見えん」と言う。しかし和子は「私が貴方の目になります。現地に行って、自分の足で確かめるんです」と明るく告げる。こうして、九州の各地を訪れる邪馬台国探しの旅が始まった。康平は8年もの歳月を費やし、邪馬台国が九州にあったと確信する。昭和42年、和子の口述筆記による康平の著書『まぼろしの邪馬台国』が出版され、夫婦は第一回吉川英治文化賞を受賞した…。監督は堤幸彦、原案は宮崎康平「新装版 まぼろしの邪馬台国」(講談社文庫)、脚本は大石静、製作統括は生田篤&神康幸、製作総指揮は岡田祐介&君和田正夫、エグゼクティブ・プロデューサーは早河洋&木下直哉、製作は塚本勲&依田巽&西村嘉郎&堀鐡蔵&福原英行&権藤満&川嵜隆生&荻谷忠男&濱幾太郎&小松崎和夫&前原晃昭&玉知夫&伊藤裕造、企画は上松道夫&島本雄二&大月のぼる、シニアプロデューサーは亀山慶二、プロデューサーは冨永理生子&渡邊範雄、キャスティングプロデューサーは福岡康裕、撮影は唐沢悟、美術は相馬直樹、照明は木村匡博、録音は田中靖志、編集は深野俊英、VFX監修は原田大三郎、VFXスーパーバイザーは小関一智、アソシエイトプロデューサーは長坂信人、音楽は大島ミチル、音楽プロデューサーは津島玄一。
劇中歌はセリーヌ・ディオン「A WORLD TO BELIEVE IN〜ヒミコ・ファンタジア-」 作詞:Rasanna Ciciola、作曲:Tino Izzo、日本語詞:小林夏海。
出演は吉永小百合、竹中直人、窪塚洋介、由紀さおり、麻生祐未、石橋蓮司、余貴美子、風間トオル、平田満、岡本信人、江守徹、大杉漣、ベンガル、小倉一郎、斉藤とも子、柳原可奈子、松岡理望子、黒谷友香、崎本大海、柳田衣里佳、綾小路きみまろ、大槻義彦、草野仁、菅原大吉、有吉弘行、佐伯新、江藤漢斉、有福正志、宮崎香蓮、翁華栄、李丹、大仁田厚、不破万作、井川比佐志、永倉大輔、武内亨、大土井裕二、信川清順、田辺愛美、南かおり、篠田晴子、村中寿子、中村真綾、千花、倖本麻世、小西康久、吉永秀平、藤馬ゆうや、山崎和如、中村良平、大久保聡、村山謙太、佐藤竜介、岡田竜一、岡田智志、水田愛花、水田楓花、勝隆一、智鐘聖耀ら。
宮崎康平の著書『新装版 まぼろしの邪馬台国』(1967年に発売され、第1回吉川英治賞を受賞した『まぼろしの邪馬台国』を1980年に改訂したもの)を基にした作品。
ただし映画は和子の視点から康平の半生を描いており、原作の内容とは大幅に異なる。
監督は『銀幕版 スシ王子! 〜ニューヨークへ行く〜』『20世紀少年』の堤幸彦。脚本を担当した大石静は多くのTVドラマを手掛ける人気脚本家だが、映画は1991年の『ツルモク独身寮』以来となる。
和子を吉永小百合、康平を竹中直人、一馬を窪塚洋介、克江を由紀さおり、和子の母を麻生祐未、戸田を石橋蓮司、朋子を余貴美子、矢沢を風間トオル、和子の父を平田満、村井を岡本信人、江阪を江守徹、古賀を大杉漣、岩崎をベンガル、一馬の父を小倉一郎、一馬の母を斉藤とも子、玉子を柳原可奈子、一恵を松岡理望子、成長した誠を崎本大海、成長した照子を柳田衣里佳が演じている。
少女時代の和子を演じた宮崎香蓮は、宮崎康平の孫娘。最初に感じたのは、「東映はホントに、この企画でヒットすると思ったんだろうか」ってことだ。
まず「邪馬台国がどこにあるのか」という歴史ロマンとして作るにしても、歴史に興味のある人しか食い付かないだろう。だから夫婦のドラマとして作ったのは悪くない判断だけど、しかし地味だし、若い観客への訴求力は低いだろう。
それに『まぼろしの邪馬台国』というタイトルにしている以上、どうしても「邪馬台国に重点を置いた映画」という印象を抱くわけで、夫婦愛を描いた映画として見てもらいたいのなら、それが邪魔になる。
まあ、そういうことを言い出したら、そもそも『まぼろしの邪馬台国』を映画化している時点で、どうかってことだけどね。ただし、ちょっと冷静に考えると、これは吉永小百合の主演作なのだ。その時点で、若い観客層を呼び込むことは、ほとんど期待できない。
やはり主なターゲットは、「サユリスト」と呼ばれるような、若い頃から吉永小百合を見て来た年齢層の人々ということになる。そして、それは『まぼろしの邪馬台国』が出版され、邪馬台国論争が巻き起こった頃をリアルタイムで知っている年代とも重なる。
そう考えれば、「吉永小百合の主演で『まぼろしの邪馬台国』を映画化する」というのは、なるほど、分からないでもない。
などと、自分の中で納得しようとしてみたが、うーん、無理だなあ。
やっぱり、企画の段階で厳しかったとしか思えん。そもそも、吉永小百合が主演というのは、かなり苦しいよなあ。
もはや彼女の主演作では当たり前の光景になっているけど、演じる役柄からすると、年齢的に無理があり過ぎるでしょ。
公開された時、彼女は63歳。和子が初登場した時代は1956年だが、その時点で26歳のはず。
いやいや、無茶だわ。
ってことは、最後に康平が死去するが、それは1980年だから、その時の和子は50歳。ラストシーンに到達しても、まだ13歳も年齢差がある。
宮崎康平は享年62歳だから、この映画に出演した当時の吉永小百合より若くして死んでいるのよね。竹中直人は1956年生まれだから、この映画が公開された当時は52歳。初登場シーンでは実際の康平との年齢差が大きいが、後半に入ると、その差は縮まり、違和感は無くなる。
あと、登場した時点で既に社長だから、オッサンでもそんなに気にならないっていうことはあるし。
そんな竹中よりも、吉永は11歳も年上だ。実際の宮崎夫婦は奥さんが12歳下だから、ほぼ逆転現象だ。
吉永小百合が年の割りにキレイってのは認めるが、さすがに、竹中より年下には見えんぞ。明らかに、かなり年上に見える。最初に「実話をもとにフィクションとして、新たに創作したものです。」というテロップが出るから、夫婦の年齢差については許容するにしても、劇中の和子と吉永小百合の実年齢の差が大きすぎるという問題は見過ごせない。
ラジオ番組のディレクターが和子に「君は美人だけど、テレビ時代には年が行き過ぎてるんだよねえ」というシーンで、思わず笑ってしまう。確かに、年が行き過ぎてるよな。
ちなみに、康平が初めて和子と会うシーン、つまり吉永小百合が最初に画面に登場するシーンでは、まるで「若くて美しいヒロインが登場しました」と言わんばかりのBGMが流される。この演出にも、なんか笑ってしまった。
これが1960年代の映画で、当時の吉永小百合に対する演出だったら、それは何の違和感も抱かなかっただろう。
だけど、63歳の女優に対しての演出じゃねえだろ。ギャグとしてやっているならともかくさ。アヴァン・タイトルでは和子の少女時代が描かれ、家が燃えているのを目にした彼女をアップで捉えた後、古代の日本列島に存在したとされる国名を次々に挙げていく吉永小百合の声が聞こえてくる。
そして「邪馬台国」と言ったところで、タイトルバックになる。
何だよ、その導入は。
妙にサスペンスフルだけど、その導入部の雰囲気と、そこから描かれていく内容が、まるでマッチしていないぞ。
っていうか、そもそも和子の少女時代とか、そんなのを描く必要性をまるで感じないのよ。それって、和子と康平の夫婦ドラマにも、邪馬台国を巡る話にも、全く関係が無いでしょ。
なぜ2人の出会いから物語を始めなかったのか。そこまでの時間は、ただの無駄にしか思えん。
和子が恵まれない少女時代を過ごしたとか、不幸な生い立ちとか、そんなのを描きたかったのかもしれんが、だとしても、それを描くことの意味は何なのかと。康平がまるで魅力的な男に思えない。
彼が解任されるシーンを悲劇的な展開として描いているが、不憫でも何でもなく、当然のことだ。復旧工事より発掘作業を優先し、そのために人夫を使っているってのは、完全に公私混同だからね。
それは称賛されるべきワンマン経営ではないよ。
そんな彼に和子が惹かれるのも良く分からん。あのタイミングで求婚されて、なんで受けちゃうのかと。それをOKするほど、彼に好意を寄せていたようには全く見えなかったぞ。
大体さ、そこまでに伝わってくる康平の印象って、「身勝手で怒りっぽい奴」でしかないぞ。だから、「人柄に惹かれて結婚する」というのは、まるで納得できんよ。
「こいつらのためにも、来てくれんかの」と康平が泣くけど、和子と子供たちの関係描写も、わずか1シーンしか無かったし。康平が解任されてからは、和子の協力を得て邪馬台国の研究に没頭するようになるが、邪馬台国探しの歴史ロマンとしても、夫婦愛のドラマとしても、中途半端で薄っぺらい。メリハリが無くて、盛り上がりに欠ける。
諫早にやって来た康平が「ここに邪馬台国があった」と確信するシーンにも、何の感動も無い。
邪馬台国・九州説のプロパガンダ映画としても失敗している。
これを見て、邪馬台国は九州にあるという考えを持つ人はいないと思うぞ(以前から九州説を信じていた人は別にして)。説得力の有無という以前の問題だ。
この映画を見ても、なぜ邪馬台国が九州にあると断言できるのか、サッパリ分からんよ。後半に入り、誠が実母の元へ行くのは、何の伏線も無くて唐突。
誠が実母から受け取った離婚届を和子と康平に差し出し、2人が正式な夫婦になるという展開があるので、そこへ辿り着くために必要な作業ではあるんだが、もう少し違和感の無い形で盛り込めなかったのかと。
成長した誠が登場した途端、実母の元へ行く展開になるけど、そんな役目を委ねるのなら、その前に和子&康平と絡むシーンを用意しておくべきだ。
あと、離婚届を差し出すシーンを感動的なモノとして盛り上げているけど、何の感動も無いからね。終盤には、康平が見た邪馬台国の様子が描かれる(もちろん、それは康平の妄想ってことよ)。
壮大なスケール感を出したかったのかもしれんが、違和感以外に何の感覚も沸き上がって来ない。
あと、その妄想シーンでは卑弥呼として吉永小百合が登場するので、また笑ってしまったよ。
そこまで持ち上げますかと。もう完全にサユリストのための映画だな、こりゃ。
ってわけで、熱心なサユリストであれば、たぶん楽しめるんじゃないかな。
第2回(2008年度)HIHOはくさい映画賞
・生涯功労賞:吉永小百合
<*『母べえ』『まぼろしの邪馬台国』他、長年の功績により>
第5回(2008年度)蛇いちご賞
・監督賞:堤幸彦
<*『銀幕版 スシ王子! 〜ニューヨークへ行く〜』『20世紀少年』『まぼろしの邪馬台国』の3作での受賞>