『幻の湖』:1982、日本
尾坂道子は愛犬のシロを連れて、琵琶湖の湖畔を走るのが日課になっている。休憩中に竹生島を眺めていた彼女は、笛の音を耳にする。彼女はシロに、「あの笛はまた聴くし、その時にはまた会える。お前と私だけしか知らない、あの人にね」と話し掛ける。彼女は雄琴のトルコ風呂『湖の城』で、「お市」の源氏名で働いている。店は戦国時代をモチーフにしており、トルコ嬢は着物姿で客を出迎える。お市という名前は、織田信長の妹で浅井長政に嫁いだ「お市の方」から取られている。
その日、店に来た男は、「君のスタイルは、そんな昔じゃない。せいぜい明治の芸者だよ」と指摘する。道子は「いいの、そんなこと」と軽く受け流し、小谷城と名付けられた部屋に案内する。店ではアメリカ人のローザも働いていたので、男は驚いた。支配人の矢崎から呼び出された道子は、今の預金を別の銀行に移してもらえないかと持ち掛けられる。社長が断り切れない筋から頼まれたのだと矢崎は説明するが、道子は険しい表情で「そういうわけにはいかないわ」と告げる。
1年前の夏、寮へ来た銀行員の倉田修にシロが襲い掛かったので、道子は慌てて制止した。謝罪する道子に倉田はジョギングシューズを差し出し、「いつも犬と一緒に走っておられるのを見ていましたので」と言う。それだけでなく、犬を飼ってはいけないとマネージャーの平山に通達された時、一戸建てを借りてくれたのも倉田だった。そんな恩義があるので、道子は倉田の働く東洋銀行に預金していたのだ。他のトルコ嬢も道子に追随していることを咎めた矢崎は、「今後は勧誘みたいなことを一切辞めてもらう」と告げた。
道子は太客の吉野から、大阪の鶴橋にマンションを用意するから愛人になってくれないかと言われる。道子は「もう1年も働いたら辞めて結婚するんです」と告げるが、結婚相手が決まっているわけではなかった。矢崎はトルコ嬢を集め、日本髪を辞めてコスチュームも変更したいと提案する。それはナンバー1である淀君のワガママだったが、それでは示しが付かないので矢崎は適当な理由を語る。しかし道子は強硬に反対し、「日本髪を辞めるなら、私は辞める」と口にした。淀君は「支配人は自由にって言ってるのよ。日本髪や着物がいいなら、それはそれで自由にすればいいんじゃない」と静かに述べた。
ローザは近い内にアメリカへ帰国することを道子に打ち明け、彼女が借りている一戸建て家へ遊びに来る。ジョギングのコースを見てみたいとローザが言うので、道子はタクシー運転手の関口に案内してもらう。菅浦へ立ち寄った道子は、夏の終わり頃に漁へ出ると笛の音が聞こえるという言い伝えがあることを関口から教えてもらう。道子は関口に走るタイムを計ってもらい、新記録を出す。道子はローザと共に、石仏の見物に出掛ける。ローザは道子に、結婚相手を選ぶなら倉田が一番だと告げた。
森の中を走っていた道子は、シロが勝手に先へ行くので後を追った。すると湖畔で横笛を吹いている長尾正信という男がいて、道子は立ち止まった。男は演奏を終えて振り向き、道子に気付いた。軽く会話を交わしただけだったが、道子は正信に特別な感情を抱いた。後日、道子が店にいると矢崎が来て、シロらしき犬が水際で死んでいるのを保健所が発見したことを知らせる。慌てて道子が現場へ行くと、シロが亡骸になっていた。
動物病院で診てもらうと、シロは何者かに頭を殴られて死亡したことが判明した。彼女を心配した倉田や矢崎たちは、家に集まった。傷心の道子は、シロと会った頃を思い出した。彼女は雄琴へ来て5ヶ月が経過し、悲しい思いを抱いている時に野良犬だったシロと出会っていた。道子は自分を待っていてくれたシロに感動し、飼うことにしたのだ。火葬を済ませた道子は、しばらく故郷へ戻ってはどうかと倉田から勧められる。しかし道子は、シロを殺した犯人を見つけるまでは帰らないと宣言した。
道子は矢崎と共に西近江警察署を訪れ、刑事課長の大西に捜査を要請する。地元の駐在に連絡を取ってもらうと、吉田屋という旅館が男に出刃包丁を貸していたことが判明した。道子は女将や目撃者への事情聴取に同行し、人気歌手の西条エリと仲間たちが浜で鯉を捌くために包丁と俎板を借りたことを知った。料理をしていた男が失敗して鯉をメッタ切りにして、シロが吠えた。エリがシロを呼んだが、別の方向へ走り去ったらしい。
後日、警察から『湖の城』に連絡が入り、エリは事務所の慰安旅行だったこと、企画部員の竹原が料理を担当したことが判明した。矢崎は道子に、話し合いで解決するために竹原が東京から来ることを告げる。示談での解決に納得できない道子だが、矢崎は「事件になっても書類送検になるだけだよ」と現実を教える。しかし道子は、どういう結果が出ようと裁判にすることを主張した。道子は大西を通じて、向こうが「犬が牙を剥いて襲って来たので、身の危険を感じて包丁を手に取った」と証言していることを知った。向こうには有能な弁護士が付いており、道子の訴えは言い掛かりだと主張していた。
道子は旅館の女将に出刃包丁を譲ってもらい、東京へ出た。彼女が話し合いの場に赴くと竹原は姿を見せず、弁護士を伴った社員の飯田が現れた。道子は犯人が竹原ではなく、エリに遠慮しなくてもいい立場にいる社長だろうと考えていた。飯田は社長が当時は渡米していたと説明するが、道子は信用しなかった。弁護士が「法律的にはどうにもならないことを、どうするつもりです?」と尋ねると、「殺した人に事情を良く聞いて、仕方の無いことなら私も諦めなければと思っているんです」と道子は答えた。
弁護士に促された飯田は、犯人が事務所の人間ではなく作曲家の日夏圭介だと道子に教えた。道子は日夏の事務所を訪れ、写真が欲しいと受付嬢に頼む。適当な理由を説明した道子だが、受付嬢は冷徹に拒絶した。道子は他の場所を当たるが、日夏の写真は入手できなかった。改めて事務所を訪れた道子は包丁を受付嬢に見せて脅し、月末まで日夏が戻らないと聞かされる。道子は彼女の言葉を信用せず、次の日に事務所を張り込んだ。しかし警察を呼ばれたため、その場から逃げ出した。
日夏への憎しみを募らせた道子は、アメリカへ戻ったはずのローザから声を掛けられる。事情を知ったローザは、自分の働くオフィスへ道子を呼んだ。ローザは日夏に関する詳細な資料を集め、住所も調べ上げていた。日夏の住むマンションへ赴いた道子は、彼がジョギングに出る様子を目撃した。後日、道子はジョギング用の格好に着替え、再びマンションを訪れた。彼女は日夏が走り出すのを確認し、距離を置いて同じペースで走り出した。しかし、まだ2キロも走らない内に息が上がり、日夏を見失いそうになった。
道子は必死で日夏を追走し、どこかで仕掛けることを誓う。駒沢オリンピック公園でペースを上げた。しばらく距離を保っていた道子だが、直線に入ると一気にスピードを上げる。道子は後ろにピッタリと付くが、日夏は一気にペースを上げて振り切った。失意を抱えた道子は雄琴へ戻り、倉田から連絡を受けた。明後日に川崎へ転勤することを倉田が話すと、道子は個人的に送別会をさせてほしいと頼む。そこで翌日、2人はドライブに出掛けた。
小谷城跡という案内板を目にした道子は、「ホントにあるのね」と笑った。彼女はローザから聞かされていた十一面観世音菩薩のある渡岸寺が近くにあると知り、倉田と共に見物へ赴いた。菩薩の顔が淀君や日夏に見えたので、思わず道子は目を逸らした。長命寺へ向かう途中で沖島を目にした道子は、倉田に車を停めてもらう。孤独だと思っていた沖島の裏側に多くの人家があると知って、道子は泣き出した。道子は倉田との結婚を決意し、2人で人生の困難を乗り越えようと考えた。
道子は正信と再会し、やはり倉田ではなく彼こそが運命の相手なのだと感じる。正信は彼女に、自分が持っている笛の由来を語る。今から四百年ほど前、北琵琶湖一帯を支配していた浅井長政にお市の方が嫁いだ。その侍女・おみつは、漁師の娘だった。お市は自分の分身のように、彼女を可愛がっていた。長政は家臣の藤掛三河に命じて、おみつと出城を預けている家来・若杉の縁談を進めようとしていた。しかしお市は、おみつには出城の主程度では分不相応だと考えて反対した。
おみつは横笛を吹いていた地侍の吉康と出会い、演奏を習い始めた。おみつは吉康と恋に落ち、その父である吉兼たちとも親しくなった。おみつから事情を聞かされたお市は、否定的な見解を示した。しかし、おみつは吉康と結ばれるのが運命だと述べ、お市も婚姻を認めた。そんな中、長政が謀反を起こしたため、信長の怒りを買った。吉康は信長軍の襲撃に備えて砦に入り、祝言を挙げる余裕など無くなった。やがて信長が大軍を率いて近江へ攻め込み、お市は嫡男・万福丸の助命を嘆願に出向いた。しかし長政が割腹して果てた後、信長は万福丸を串刺しにして処刑した。おみつは吉康の生首を幻視して信長への怒りを示すが、処刑されて琵琶湖に沈められた…。原作 脚本 監督は橋本忍、製作は佐藤正之&大山勝美&野村芳太郎&橋本忍、企画は川鍋兼男、撮影監督は中尾駿一郎&斉藤孝雄&岸本正広、美術は村木与四郎&竹中和雄、照明は高島利雄、録音は吉田庄太郎、特撮監督は中野昭慶、編集は小川信夫、ランニング指導は宇佐美彩朗、音楽監督は芥川也寸志。
出演は南條玲子、隆大介、星野知子、北大路欣也、関根恵子、光田昌弘、長谷川初範、かたせ梨乃、デビ・カムダ、大滝秀治、宮口精二、室田日出男、谷幹一、下條(下条)アトム、北村和夫、仲谷昇、辻萬長、勝然武美、奥野匡、西田健、伊藤敏孝、上田忠好、荒木由美子、宇田川智子、藤沢裕子、かわいのどか、上野かなた、速水陽子、菅井きん、杉山とく子、坂西良太、浜田晃、木村四郎、越村公一、小山武宏、岩城和男、武田駿作、湯沢紀保、青木卓、根本伊津美、大矢兼臣、柏原貴、北西宮子、ポーリン・ヴィェズリー、永妻晃、工藤秀和、遊佐あす香、小林まり子、山室けい子、大野奈穂美、中村れい子、石原昭宏、野坂信一、青田昌平ら。
『生きる』や『七人の侍』、『隠し砦の三悪人』など、数々の映画で脚本を手掛けて来た橋本忍が原作&脚本&監督を務めた作品。
彼が代表を務める橋本プロが『砂の器』、『八甲田山』に続いて製作した3本目の映画。
ヒロインの道子を演じたのは、一般オーディションで選ばれた南條玲子。それまで女優経験は一切無く、いきなりの主演デビューとなった。
他に、正信&吉康を隆大介、みつを星野知子、信長を北大路欣也、お市を関根恵子、日夏を光田昌弘、倉田を長谷川初範、淀君をかたせ梨乃、ローザをデビ・カムダ、三河を大滝秀治、吉兼を宮口精二が演じている。この映画は東宝創立50周年記念作品だが、前述したように製作したのは橋本プロだ。
東宝は配給を担当しただけなのに、外部制作の映画を創立50周年記念作品に指定しているってのは、普通に考えると奇妙なことだ。ただ、この当時の東宝は、ほとんど映画の製作をしていない状況だったのだ。
とは言え、かつては多くの映画を製作いたわけだから、創立50周年記念作品ぐらいは自社で作ればいいと思うんだけど、それだけ橋本忍という人物を信用していたってことなのかねえ。
まあ、それまでに橋本プロが製作した2本は『砂の器』と『八甲田山』だから、信用したとしても分からんではないわなあ。ただし残念なことに、その橋本忍が脚本だけでなく自ら監督も務めるほど力を入れた本作品は(映画のメガホンは1959年の『私は貝になりたい』と1961年の『南の風と波』に続いて3度目で、21年ぶりだった)、トンデモ度数の高すぎるキテレツな映画に仕上がった。
後になって橋本忍本人も、失敗作であることを認めている。
ただ、普通の感覚なら、そもそも脚本が完成した段階で「これはマズい」と感じ、修正を施すはずなのだ。
何しろ、これまで傑作と呼ばれる映画を数多く手掛けてきた人なんだし。
だから、このシナリオで撮影に突入しているってのは、当時の橋本忍が精神的に病んだ状態にあったとしか思えないのである。「トルコ嬢」「ジョギング」「琵琶湖」「米国の諜報員」「戦国時代」「NASA」「スペースシャトル」と、キーワードとなる要素だけを抽出しても、既に混迷状態を感じさせる。
それらのキーワードを全て上手く繋ぎ合わせ、関連付けて1つの物語を仕上げるという作業だけでも、相当に難しいんじゃないかと思わせる。そして実際、まるで上手くまとめることは出来ていない。
それは橋本忍の実力が伴っていなかったのではなく、そもそも無理がある仕事ではないかと。
もはや「トルコ嬢」「戦国時代」「スペースシャトル」という3つだけを抽出しても、なかなかの混沌ぶりだぞ。まず冒頭から、ちょっとヘンテコな印象を抱かせる描写は用意されている。
ただ単に道子が走っているだけの映像なのだが、彼女は必死の形相なのだ。そして立ち止まると息を切らしながら、タイムを気にしている。
だが、彼女はマラソン選手でも何でもない。趣味で走っているだけなのだ。それなのに、快適なスピードでジョギングをするのではなく、死にそうなぐらい必死になって走るってのは、どういう感覚なのかと思ってしまう。
一応は「密かにマラソン大会への出場を目指している」ってことがあるので、理屈は通っている。
ただ、微妙に違和感があることは否めない。道子は矢崎から預金(劇中では「貯金」と言っているが、銀行なので正しくは「預金」)を移すよう求められると、1年前の夏にあった出来事を語る。
道子は倉田からジョギングシューズをプレゼントされて、すっかり傾いたってことだ。
「砂地、舗装道路。山道でもいいオールラウンド。あんなシューズがあるなんて、あの時まで私は知らなかったのよ」と彼女は責めるような口調で言うのだが、なんでだよ。
矢崎たちは、道子に走ることを強要していたわけでもないのに。一戸建ても倉田が紹介してくれたことを道子が話すと、矢崎は「犬とか走りのことを言われたら、お手上げだよ、こっちもね」と告げる。
いやいや、お手上げになるようなことでもないだろ。
あと、道子にしても、普通に「それは無理です」と断ればいいだけのことであって。そこまで厳しい口調で、断固として拒絶するようなことでもないだろ。向こうは「移してくれないか」と頼んできただけなのに。
ただ、そんなことよりも恐ろしい事実が、このシーンには含まれている。
なんと、これが後の展開に全く繋がらないのである。
矢崎は悪役なのかと思いきや、ものすごく親切な支配人だし。道子は太客に「1年も働いたら結婚する」と言うが、相手は決まっていない。そのくせ、家の裏にある霧の木で作った箪笥で嫁入りするというプランまで立てている。
で、そんな道子がトルコで働いている理由は何なのか、それはサッパリ分からない。
「私は髪を結って着物を着ると、違う人間になったような気がするんです。違う人間にでもならなきゃ、トルコの仕事なんて出来ないわよ」と訴えているので、好きでやっているわけではないのね。
つまり金が必要だからやっているはずなんだけど、何のための金なのかが分からない。石仏を見ていた道子は、「この石仏がローザに踏ん切りを」と心の中で呟く。かなり真剣な感じでモノローグを語っているが、違和感しか無い。
ただし、その直後には戦闘機の音を聞いたローザが上空を見上げて「ファントムではなくイーグルだ。イーグルはすでに実戦配備についている」と心で呟くので、もっと強い違和感が生じる。
そんなローザは「日本における大衆産業」というレポートをタイプし、「規模・形態・顧客の範囲が貧弱で、1945年以前の遊郭までには成り得ない」と記している。彼女がトルコ風呂で働いていたのは、それを調査するためだったらしい。
ただ、そんなことをして何の意味があるのか、イーグルが実戦配備に就いていることに何の関係があるのかは、サッパリ分からない。
おまけにローザは、なぜか「白い犬、白い犬、白い犬」「走る女、走る女、走る女」という謎の言葉までタイプしている。キテレツ極まりない。
ちなみに、彼女が諜報部員である設定は、「日夏の調査で道子に協力する」という部分で使われているだけ。イーグルを気にしていたことなんて、後の展開には何の関係も無い。シロが殺された後、道子が彼と出会った頃の回想シーンが挿入される。道子は「雄琴へ来て、何とか5ヶ月。だけどもう、続かない」と呟き、涙を流している。
だが、何がどうなって「続かない」と弱音を吐くようになったのか、それはサッパリ分からない。
そもそも、なぜ彼女が雄琴へ来たのか、それさえも全く説明されない。
もっと言っちゃうと、「心が弱っている頃にシロと出会った」という回想シーンを入れる必要性さえ感じない。もっと厚いドラマが用意されているならともかく、その程度のペラッペラな回想シーンなら、単に「道子が可愛がっていた犬」という設定だったとしても、まるで大差が無い。「たかが犬を殺されたぐらいで」なんていう書き方をしたら、愛犬家からフルボッコにされることは確実だろう。
もちろん、可愛がっていた犬が誰かに殺されたら、復讐心を抱くのは理解できる。しかし「ヒロインが愛犬を殺された復讐に燃える」というのが、この映画の主題として適しているのかと問われたら、答えはノーだ。「実は『ジョン・ウィック』を先取りしていたんだな」とか、そんな好意的な感想は微塵も湧かない。
ただし、この映画は、もっと根の深い部分に問題がある。
それは、そもそもは復讐劇のはずだったのに、そんな目的は簡単に忘れ去られ、明後日の方向へ物語が進んでいくってことだ。東京へ出た道子がレコード店で日夏のアルバムをチェックすると、『十和田 冬の華』『中禅寺 くれなゐ』『宍道湖 夕映』などがあるが、琵琶湖は無い。で、「どうして琵琶湖だけが?」と道子は呟くが、別に「琵琶湖はマスト」ってわけでもないだろ。
で、なかなか日夏に会えないことで憎しみを募らせた道子は、「東京中の人間が日夏を庇っている」とまで言い出す。いや、それは違うから。
で、そんな彼女と再会したローザは、協力して日夏に関する資料を集める。それはいいとしても、彼女は諜報員なのに、オフィスへ呼ぶのはダメだろ。
あと、道子は「ここは?何のためにローザは雄琴へ?」と心で呟くが、「でも、そんなことはもう、どうでも」と軽くスルーしてしまう。いや、どうでも良くないと思うぞ。道子は日夏を発見するので、すぐに復讐を遂げようとするのかと思いきや、なぜかジョギングする日夏を追い掛ける。
その気になれば、マンションを出て来たところを襲うことも出来る。っていうか部屋番号まで分かっているんだから、乗り込むことも可能だろう。
しかし、なぜか道子は、ジョギングに出掛けるのを待って、少し距離を取って後を追う。
「これでいいんだ、これでいいんだ」と彼女は自分に言い聞かせているが、何が「これでいい」のかはサッパリ分からない。道子は走り出した後、「疲れて来たら、詰めて競り掛け、とことんまで走らせる。でも、それまでにはまだ時間と距離がある」と呟いている。
だけど、日夏が疲れるまで走るかどうかは分からない。それに、詰めて競り掛けたとしても、乗って来るかどうかは分からない。
それに、仮に競争に日夏が乗ったとして、とことんまで走らせることに何の意味があるのかが分からない。
そんな彼女は走りながら「日夏には後ろに目があって、私を引きずり回し、楽しんでいる」と妄想を口にするが、完全にヤバいことになっている。駒沢オリンピック公園に入ると、道子は「行くわよ、ゴー」とペースを上げる。ところが、そこから一気に距離を詰めるのかと思いきや、「よし、距離はこのままで保つ」と言う。
で、長い直線に入ると、「この直線で一気にくっ付く」と言い、スピードを上げる。さらに「ぶっ倒れるまで走らせてやる」と口にするが、だからさ、相手が乗って来るとは限らないだろうに。疲れたらペースを落としたり、休憩したりする方が普通だろうに。
あと、繰り返しになるけど、「ぶっ倒れるまで走らせてやる」ってのが道子の復讐なのかよ。だとしたら、それは全く共感できないわ。
っていうか、道子は簡単に振り切られてしまうんだけどさ。そりゃあ、あのランニングのフォームでは、なかなか厳しいモノがあると思うよ。倉田と渡岸寺へ出掛けた道子は十一面観世音菩薩を眺め、その顔に淀君や日夏が重なる。
まだ日夏が重なるのはともかく、そこで淀君も同列扱いされるってのは違和感ありまくり。そんなに強い因縁を感じるほどの関係でもないでしょ。
あと、倉田が深刻な表情で「人間も同じだろうな。色々な顔、いや、1人の人間に色々な顔がある」と漏らし、道子が暗い様子になるのだが、何を表現したいんだか不明だ。
そもそも、その直前に倉田は「今日は初めてで、お別れのデート。僕は、いい思い出ばかりのデートに(したい)」と言っていたのに、自分から暗い雰囲気を作ってどうすんのよ。長命寺へ向かう途中で沖島(おきのしま)を目にした道子は車を停めてもらい、「あれが沖島。沖島を私だと思って、一人ぼっちの寂しい島だと思っていたのに。裏側には、あんなに家と大勢の人が」と泣き出す。
つまり、それまで道子は沖島が寂しい島だと思い、勝手に自分を重ねていた。でも、実は孤独じゃなかったと分かって泣き出したってことだ。
ただ、それは分かるけど、だからって急に泣き出す理由は良く分からんぞ。道子は正信と再会すると、神妙な様子で「琵琶湖には、展望台が2つある。ここと、琵琶湖大橋だわ」と言う。他愛も無い内容なので、まるで深刻な内容であるかのような態度は違和感ありまくり。
で、そんな道子に対し、正信は聞かれてもいないのに笛の由来を語り始める。そして、そこから戦国時代のドラマが挿入される。
そこまでも台詞としては「浅井長政」とか「お市」という名前が出ていたが、だからといって「戦国時代のドラマが挿入され、現在の物語に大きく関与する」という流れに向けた伏線として充分だったかと問われれば、答えはノーだ。
「なんか急に戦国時代のシーンが入って来た」という印象が強い。戦国時代のエピソードでは、ザックリと言えば「おみつが信長に激怒するけど処刑され、琵琶湖に沈められる」ということが描かれるわけだが、極端に言っちゃうと「全てどうでもいい」という内容だ。
そのエピソードは一応、現在の物語に繋がっている。
ただし後述するが、無理に関連性を持たせているだけで、実際はデタラメな繋がりでしかないのだ。
しかも、かなりの尺(20分ぐらい)を割いているくせに、それがクライマックスで脱力感を抱かせることにしか繋がらないんだから、シオシオのパーである。戦国時代のエピソードでは、お市がおみつに「お前は湖の中から出て来た精霊なの?」とキテレツなことを問い掛けたり、おみつが吉康の生首の幻覚を見て「琵琶湖を持ち上げ、信長に叩き付けてやる」とヘンテコな言葉で怒りを表現したりする。そして、そんなエピソードを語った後、正信は自分が吉康の子孫であることを明かす。
そういう設定なら、「道子はおみつの生まれ変わりで」みたいな展開に行くのかと思うよね。でも、おみつと道子は何の関係も無い。
そもそも、正信と吉康は隆大介が1人2役で演じているけど、みつは南條玲子じゃなくて星野知子が演じているし。
だから、正信が吉康の子孫という設定も、ほぼ死んでいると言っていい。正信は吉康の子孫だと明かした後、「僕の仕事は宇宙科学。宇宙パルサー」と唐突に言い出す。それまでの流れなんて、完全に無視している。
あと、「宇宙パルサー」と急に言われても、何のことだか良く分からない(宇宙塵のことらしい)。
それと、「それって琵琶湖の伝説と何の関係も無いだろ」と言いたくなる。
実際、この2つの要素は、最後まで全く絡まないのである。
そりゃあ、そうだろうよ。どう考えても、関連性を持たせるのは無理筋だ。倉田と結婚して復讐を忘れることにしたはずの道子だが、引退直前に客として日夏が現れる。彼は琵琶湖に身投げして新田義貞の後追い自殺をした勾当内侍の恨み節を題材に、新曲を書こうと考えていることを話す。
その途端、道子の中で急激に復讐心が復活する。ちなみに、トルコ風呂で彼女が使っている部屋には、シロの遺影が飾られている。
それだけでもヤバい女なのだが、しかも神棚には出刃包丁が置いてある。で、その包丁を握り締め、道子は日夏に襲い掛かる。
まごうことなきキチガイ女である。日夏が慌てて店を飛び出すと、道子は日本髪に着物姿のまま追い掛ける。しかし激昂しているはずなのに、「日夏はこれから自分のペースで走る」と冷静に計算している。
ただし、「これから自分のペースで走る」ってのは間違いだと思うぞ。包丁を持ったヤバい女に追われているのに、自分のペースでは走れないだろ。逃げ切るために、必死になって走るだろ。
だけど日夏の方も、「あの女なら意外に耐久力がある。駒沢の第3コーナーのように、どこかで一気にスパートを掛けてレースはおしまいにする」などと考えている。
いやいや、それはレースじゃねえから。そもそも、日夏は周囲の人間に助けを求めるなり、商業施設に駆け込むなりという行動を取ればいいはずなのに、なぜか延々と走り続ける。しかも、なぜか人通りの無い道を選んで走っている。
で、日夏が疲れ果てて立ち止まると、その脇をヘロヘロになった道子が通過して「シロ、長尾さん、淀さん、ローザ、それに、倉田さん。勝った。私が勝ったわよ」と喜ぶ。
いや、そういうことじゃねえだろ。
大体さ、それを正信や倉田に訴えるって、どういうことなのよ。すぐに道子も当初の目的を思い出したらしく、包丁で日夏を突き刺して「お前なんかに、琵琶湖に沈んだ女の恨み節なんて!」と叫ぶ。
ただ、琵琶湖に沈んだ女の恨み節に関しては、道子も関係ないからね。怒りと憎しみを込めた台詞として、それは完全にピントがズレている。
なんでシロへの復讐心が、いつの間にか「琵琶湖に沈んだ女の恨み節」に関する怒りになっちゃってんのかと。
しかも、日夏が題材にすることを口にした女は、おみつじゃなくて勾当内侍なのよ。つまり、道子が勝手におみつの恨み節と重ね合わせただけであり、完全に御門違いなのよ。道子が日夏を殺すと急にシーンが宇宙へ切り替わり、正信が宇宙遊泳に出る。そして地球を見下ろし、琵琶湖に重なる場所に横笛を置いて、「これでいい。地球の時間と共に、笛はここで永遠に」と言う。
彼は笛を軽く動かすのだが、なぜかピタリと琵琶湖の位置で停止する。
で、彼が「太陽系の消滅する45億先まで、笛はこの、幻の湖の上にある」と呟くと、エンドロールに突入する。
色んなことが散らかったまま放り出され、観客はせいぜい「琵琶湖は幻の湖じゃねえし」とツッコミを入れることぐらいしか出来ないのである。(観賞日:2016年2月7日)