『バンクーバーの朝日』:2014、日本

1938年のカナダ、バンクーバー。製材所で働くレジー笠原とケイ北本、漁師のロイ永西、豆腐店の息子であるトム三宅、ベルボーイのフランク野島といった若者たちは、カナダ人リーグに所属する日系人の野球チーム「バンクーバー朝日」で選手をしている。レジーとケイは上司から扱き使われ、カナダ人の同僚からは陰口を叩かれる。ロイは先輩の井川に嫌味を言われ、トムは妻のベティに文句を言われる。そんな状況の中で、彼らは野球の練習に打ち込んだ。。 レジーの父である清二は定職を失い、ほとんど家には戻らず酒浸りの暮らしを送っている。支那事変は連戦連勝を重ねているが、その影響でカナダに住む日本人の仕事はどんどん減っている。しかし友人の井上安五郎が不安を漏らしても、清二は「日本人は必ず勝つんじゃ」と強気に告げる。彼は日雇いの出稼ぎで稼いだ金を、全て日本の親戚に送っている。妻の和子はレジーに、「この人は日本のことしか頭に無いんじゃけ。アンタやウチより親戚が大事なんよ」と述べた。。 レジーたちの溜まり場であるニューピアカフェでは、マスターの松田忠昭と常連客の前原勝男や河野義一たちが、造船所の閉鎖について話す。朝日軍の調子について問われたレジーやケイたちは、何も言わずに黙り込む。朝日軍は体格でもパワーでも圧倒的なカナダのチームに全く歯が立たないシーズンが続いており、今年も期待薄と思われていた。しかも3番バッターと4番のキャプテンが、仕事を探すために町を出ることを決めた。レジーは新しいキャプテンに指名されて困惑するが、監督のトニー宍戸も仲間たちも賛同した。。 レジーはトニーに連れられ、日本人会の集まりに出席した。会長の江畑善吉は支那事変の影響で風当たりが強くなっていることに触れ、今まで以上にカナダへの同化や貢献を努力する必要があると訴えた。激しい反発が起きて困った江畑は、レジーに意見を求めた。レジーは「勝てなくてすいません」と口にした後、言い訳に終始した。ケイは投手であるロイの生意気な態度に憤慨し、レジーたちに「お前らが持ち上げるから天狗になんだろ」と告げる。しかし打者全員の打率が2割を切っている現状では、ロイに頼る部分が大きかった。 日雇いの仕事に行こうとしていた清二が発作で倒れ、診療所に運ばれた。命に別状は無かったが、以前も倒れたことがあったため、レジーは「また行くのかよ。もうキツいだろ」と告げる。清二は「年寄り扱いするな。お前、よう白人と一緒に働けるの。クソじゃ。白人は」と吐き捨てた。夏が訪れて野球のシーズンが開幕すると、笹谷トヨ子が教師を務める小学校の子供たちは朝日軍の勝利を信じて球場に駆け付けた。しかしレジーたちは全く打てず、ロイも軽くホームランを打たれ、初戦は0対5で完敗に終わった。。 レジーの妹であるエミーは、オニール夫人という老女の屋敷でメイドをしていた。オニール夫人も会社経営者である息子も、エミーを差別せず優しく接してくれた。夫人から「進学を諦めないで」と言われたエミーは、「奨学金が貰えそうなんです」と告げた。夫人が「お祝いしなきゃ」と口にしたので、エミーは「決まったらね」と笑った。夫人の息子は給料を渡す際、小切手の金額を少し増やした。彼はエミーに、「好きな物を買いなさい。口うるさいママをなだめられるのは、エミーだけだ」と述べた。。 朝日軍の2戦目も、やはり全く歯が立たなかった。力の差があるだけでなく、相手投手が投げるとボールでもストライク判定になるのだ。試合後、ケイたちが判定への不満を漏らすと、レジーは「そこはあんまり問題じゃないと思う。白人相手に、まともにやっても勝てないと思う」と口にした。何か考える必要があると感じた彼は、3戦目で相手の守備をじっくり観察した。三塁手の緩慢なプレーに気付いた彼は、バントを転がして出塁する。すかさず盗塁した彼は、牽制球が逸れる間に三塁を陥れ、続く打者の一塁ゴロで生還した。それは朝日軍にとって、初めての得点だった。。 3戦目も朝日軍は1対2で敗れたが、点を取ったことで自信を得た。続く4戦目でもバンドを駆使し、ついに3対2で初勝利を収めた。その後も朝日軍はバントを多用する頭脳野球で勝利を重ね、観戦に通っている松田たちも大いに盛り上がった。そして日本人だけでなく、カナダ人も朝日軍の戦いを応援するようになっていく。レジーは同僚のカナダ人たちから、「頭を使う野球は見ていて面白い」と好意的な意見を貰った。一方、エミーは学校の教師から、「日本人に奨学金を払うのか」という父兄の反対があって奨学金の推薦が取り消されたことを聞かされた。そんなエミーも応援に来た強豪チーム「プレザント」との試合で、レジーは頭部に死球を受けた。カッとなったロイが投手に詰め寄り、乱闘が勃発した。プレゼントはお咎め無しだったが、朝日軍は出場停止処分となった…。

監督は石井裕也、脚本は奥寺佐渡子、製作は石原隆&市川南、プロデューサーは稲葉直人&菊地美世志、撮影は近藤龍人、照明は藤井勇、録音は加藤大和、美術は原田満生、編集は普嶋信一、音楽は渡邊崇。
出演は妻夫木聡、亀梨和也、佐藤浩市、石田えり、勝地涼、上地雄輔、池松壮亮、高畑充希、貫地谷しほり、宮崎あおい、鶴見辰吾、光石研、ユースケ・サンタマリア、本上まなみ、田口トモロヲ、徳井優、大鷹明良、岩松了、大杉漣、螢雪次朗、たかお鷹、高泉淳子、田島令子、藤村周平、芹沢興人、阿部亮平、板橋駿谷、松本竜平、武子太郎、梅澤悠斗、溜口佑太朗、南好洋、今村裕次郎、鏑木海智、中沢青六、宇野祥平、藤原鉄苹、内野智、田村泰二郎、紀伊修平、川屋せっちん、江良潤、佐藤恒治、中野英樹、大家由祐子、原田麻由、伊藤克信、光岡湧太郎、飯田芳、山岡一、廻飛呂男、河原健二、ジジ・ぶぅ、邱太郎、浜田道彦、銭元玉香、東加奈子ら。


実在した日系人野球チーム「バンクーバー朝日」を題材にした映画。
フジテレビジョン開局55周年記念作品。
監督は『舟を編む』『ぼくたちの家族』の石井裕也、脚本は『八日目の蝉』『おおかみこどもの雨と雪』の奥寺佐渡子。
レジーを妻夫木聡、ロイを亀梨和也、清二を佐藤浩市、和子を石田えり、ケイを勝地涼、トムを上地雄輔、フランクを池松壮亮、エミーを高畑充希、ベティを貫地谷しほり、トヨ子を宮崎あおい、トニーを鶴見辰吾、安五郎を光石研が演じている。

この映画は、根本的な部分の捉え方を間違えているんじゃないかと感じる。
「日本人がカナダ人の迫害を受ける中で、負けずに頑張って戦いました」という話にしてあるんだけど、そうじゃないでしょ。だってレジーやロイたちは日本からカナダへ移住した日本人じゃなくて、バンクーバーで生まれ育った日系二世なわけで。
日本人の俳優が演じており、どっちが母国語なのか分からないぐらい英語より日本語の方が堪能だから忘れそうになっちゃうけど、彼らは日本人じゃなくて「日系カナダ人」なのよ。
レジーたちは日本に行ったことも無いし、日本文化の中で暮らしてきたわけでもないし、母国語は日本語じゃなくて英語だ。日本人のコミュニティーで暮らしているけど、アイデンティティテーはカナダにあるはずだ。

つまり本来なら、「カナダで生まれ育ったカナダ人なのに、日系人というだけで差別や迫害を受ける理不尽さに怒りや悲しみを感じる毎日。そんな状況に立ち向かい、それまで馬鹿にしていたカナダ人たちを見返す」という話のはずなんだよね。
これは日本映画だし、観客として想定しているのは当然のことながら日本人なので、「海外で迫害されていた日本人が白人を打ちのめす。日本人は誇らしい」という形にして共感を誘ったりカタルシスを生じさせたりしようとするのは分からなくもない。
ただ、そういうことを狙うのなら、そもそも別の題材を選んだ方がいいんじゃないかと思うわけで。
っていうか、レジーたちじゃなくて、日本からカナダへ移住した日本人(清二たちの代の人々)を描く物語なら、「迫害に負けずに頑張った日本人」という形を取れるわけで。

オープニングでは、「僕の両親がそうしたように、かつて多くの日本人が、カナダのバンクーバーへ渡って来た。海の向こうで3年働けば日本で一生楽に暮らせる。そんな景気のいい話を真に受けて、故郷を後にした労働時間は日に10時間以上。賃金はカナダ人の半分。どんな待遇でも働く日本人は、カナダ人にとって仕事を奪う敵だった。差別や迫害を受けても、それでも日本人は働いた」というレジーの語りが入る。
そういう導入部にするなら、その「迫害を受けても働いた両親」をレジーから見た話にすれば良かったんじゃないかと。
レジーのナレーションでは「差別や迫害を受けても」と語られているし、製材所ではカナダ人労働者がサボる中でレジーたちが頑張るのに上司から扱き使われている様子が描かれる。しかし、日本人(&日系二世)が差別や迫害を受けているという描写は、ものすごく弱い。
しかも、冒頭から「ロイが井川に嫌味を言われる」というシーンを入れたりしているんだよな。
それは日本人からの嫌味でしょ。なんで初っ端から、「カナダ人による差別」じゃなくて「日本人による攻撃」の描写を入れるかね。

それ以降も、「仕事が減っている」「造船所が潰れた」ってことには台詞で触れているけど、レジーやロイたちが皮膚感覚で「日本人の仕事が減っている」と感じるような描写は薄い。
朝日軍の選手2人が序盤で抜けるけど、そもそも彼らが主力だったことは、そのシーンで初めて判明するわけで。それに顔も名前も分からない程度のキャラだし、だから「仕事の減少でレジーたちが大きな影響を受ける、辛い目に遭う」という印象は全く受けない。
レジーたちが迫害を受けているという描写も、そんなに用意されていない。上司から扱き使われるシーンはあるけど、その程度だ。江畑が「支那事変の影響で風当たりが強くなっている」と言うけど、その段階で、実際に風当たりが強くなっていることを示す描写は全く無い。
それにオープニングのナレーションからすると、支那事変が勃発する前から日本人は差別や迫害を受けていたはずでしょ。だけど、映画が始まった時点で既に支那事変が起きているので、そういうことも全く伝わらないし。

ただし難しいのは、「迫害の中で白人を打ちのめす日本人」ってのを殊更に強調すると、国威発揚を目的とする時代錯誤の国策映画みたいになってしまう可能性があるってことだ。
それは「強いアメリカ万歳」を謳うハリウッド映画と同じぐらい、気持ち悪いことになる。
それを考えれば、カナダ人による差別や迫害の描写を弱めたり、レジーを反発心の薄いキャラにしたりしているのは、悪いやり方ではないと言うことも出来る。
しかし残念ながら、その後の展開を考えると、好意的に受け取れないのだ。

後半に入ると「カナダ人も朝日軍を応援するようになる」という展開があるので、そこで「カナダ人を批判するつもりは無いんですよ」という言い訳は用意されている。
ただ、ホントなら、最初に「カナダ人から迫害を受け、見下されていたレジーたちが、それでも愚直に努力し、知恵を使って対抗する。その真摯な姿にカナダ人たちも心を動かされ、態度が変化する」ってことにならなきゃいけないはずで。
それを考えると、前半における差別や迫害の描写が薄いってのは、マイナス以外の何物でもないんじゃないかと。
「差別や迫害を受けて云々」としておきながら、なおかつ国威発揚映画っぽくなるのを避ける方法はある。
それは、レジーたちの周囲に「日本人は差別や迫害を受けてきた。だから白人を打ちのめせ」と声高に言う連中を配置し、「そういうこととは無関係に、ただ純粋に野球チームとして勝ちたいという思いで努力する」という風に見せるという方法だ。
一応、レジーは「白人に報復する目的で戦っているわけではない」という旨を口にしている。ただ、レジーの野球に対する情熱が見えないので、「純粋に野球で勝ちたいのであり、白人に対する憎しみの感情は無関係」ってことは伝わらない。

最初の頃、レジーはキャプテンに任命されて困惑しているし、意見を求められても「勝てなくていいません」と謝るだけだ。彼は「相手が強いんだから負けても仕方が無い」という考えを抱いており、キャプテンシーは全く無い。「絶対に勝ちたい」という強い意欲は、まるで感じさせない。
しかし2戦目を終えた後、「何か考えなくちゃいけない」と言い出し、バンドや盗塁で点を取る。
そういう気持ちになるまでの経緯が、まるで伝わらない。大きなきっかけがあったわけでもないし。
だから、レジーはものすごくボンヤリしたキャラになっているし、もちろん魅力なんて皆無だ。
そして他の面々も、中身が薄いし、何の魅力も感じさせてくれない。

主要キャストが多すぎて、どいつもこいつも揃って消化不良になっている。
レジーには頑固な父がいて、ロイには病気の母がいて、トムには仕事に集中してほしい妻がいる。しかし、そういう家族との関係は、ほとんど描写されない。
そもそも、朝日軍に属する5人の関係描写からして、既に弱い。だからホントなら、他のことに構っている余裕なんて全く無いはずなのだ。
しかし実際には、それ以外の関係性も色々と盛り込んでいるわけで、そりゃあ捌き切れないのも当然だろう。

教師役の宮崎あおいとか、娼婦役の本上まなみとか、タクシー運転手役のユースケ・サンタマリアとか、「ただ顔を出しただけ」という程度の扱いに留まっているメンツもいる。
ベティ役の貫地谷しほりも、わざわざ彼女を起用している意味なんて全く無いような存在だ。
これが「友情出演」とか「特別出演」という形なら、それでも構わないかもしれんよ。だけどクレージング・クレジットを見る限り、他の出演者と同様の扱いなわけで。
宮崎あおいなんて、完全に無駄遣いだわ。

エミーというキャラクターを動かすパートは、「全てのカナダ人が日本人を迫害しているわけではない」ってことでバランスを取る意味は感じられる。ただ、そんなに上手くバランスを取れているとは思えないし、処理能力を超過している。
エミーを使ってバランス調整を図るのなら、レジーの一家に絞り込んでドラマを構築した方がいい。
描きたいことが色々とあったのかもしれないけど、1本の長編映画で出来ることには限界があるわけで。
ここに詰め込まれた要素って、たぶん1クールの連続ドラマでも難しいぐらいだぞ。NHKの朝ドラぐらいのボリュームが無いと、厳しいと思うぞ。

バンクーバー朝日を題材にしているんだから、もちろん野球のシーンってのは重要な意味を持つはずだ。
しかし、そこに面白味が見えない。
初めて点を取るシーンにしろ、初めて試合に勝つシーンにしろ、もっと躍動感なり高揚感なりを抱かせてくれてもいいだろうに、何の感情も喚起されない状態で通り過ぎて行くんだよな。
映像として引き付けるモノが乏しいし、メリハリに欠ける。何をどう描こうかという意識が見えず、とにかく淡々と手順を消化しているだけって感じなのだ。

レジーはバントと盗塁を絡め、初めて得点を取る。それ以降、朝日軍はバントを多用(っていうかバント以外の出塁シーンは無い)して勝利を重ねる。
「カナダ人にはパワーで勝てないから、知恵や作戦や小技で対抗しよう」と考えるのは理解できる。
ただし、「とにかく徹底的にバントを繰り返す」ってのは、ただセコいだけにしか見えないのよね。
しかも、劇中では「頭脳野球」と称されているけど、緻密な作戦を立てているようには見えないのよ。ただ単に、やたらとバントをしているだけにしか見えないのよ。
それは頭脳野球でも何でもなくて、むしろ頭脳を使わない単純すぎる野球でしょ。

(観賞日:2016年2月817日)

 

*ポンコツ映画愛護協会