『香港大夜総会 タッチ&マギー』:1997、日本
駆け出しのフリーカメラマンである柴田良一は、空港でライターの立神雄作と対面した。2人は「返還直前の香港のダークサイド」という雑誌の企画で、一緒に取材することになったのだ。初の海外取材で興奮する柴田に対し、立神は淡々とした態度を取った。握手する際に彼が指を撫でたので、柴田は困惑した。立神はパスポートを渡すよう促し、チェックインに向かった。彼の携帯電話が鳴ったので、柴田は勝手に出た。すると「昨夜は素敵だった」という男の声が聞こえたので、柴田は困惑した。
2人は香港へ飛び、立神が情報屋のンガイからネタを仕入れた。2人は夜の9時に埠頭を張り込み、麻薬取引の現場を盗撮した。すると黒社会の連中が麻薬の売人を殺害したので、彼らは動揺した。何も知らないトラック運転手が声を掛けてきたせいで、2人は黒社会の連中に発見された。2人は慌てて逃げ出すが、機材やパスポートを現場に置いて来た。組織のボスは、すぐにパスポートを発見した。立神は市場で女性の服を手に入れ、柴田に「これに着替えろ」と指示した。彼は「奴らは俺たちの国籍と名前と顔写真を手に入れた。このままじゃ出国も出来ない。今から君は僕の新妻だ。ツアーで来た新婚さんだ」と説明した。
立神は女装させた柴田を連れて町に出るが、何かと理由を付けて体に触ったりキスをしたりした。“迷城夜総会”というナイトクラブのビラを配る男に怯えた2人は、慌てて逃げ出した。迷城夜総会の楽屋裏に迷い込んだ彼らは、芸人を見て怖がった。立神は歌姫のコーラとぶつかり、「素敵だよ」と告げて立ち去った。その場を取り繕うための適当な言葉だったが、コーラは彼に好意を抱いた。柴田と立神は装置で降下し、奇術の準備が整ったステージに出てしまった。脱出マジックが成功して観客から喝采が起き、MCに「何者だ」と問われた立神は咄嗟に「タッチと妻のマギー」と答えた
立神は奇術師のユウ・テンサンが助けてくれたことを知り、礼を述べた。ワケ有りと見抜いたユウは「ショーに身を隠しては?寮代わりのホテルもある」と持ち掛け、代わりに謝礼金を要求した。柴田は歌うコーラに惚れて、拍手を送った。楽屋を訪れた柴田に、コーラは「タッチは本物よ。でも心配しないで。タッチのことは忘れる。2人の仲を壊す気は無いわ」と言う。柴田が「夫婦関係は終わってる。もうすぐ離婚する」と言うと、コーラは喜んだ。
ホテルに入った立神は、柴田に「偽造パスポートの手配は頼んだ。もうすぐ隠れるさ」と告げる。しかし柴田が「まだ帰れないんです。全国誌の仕事は初めてなんです。地味なページでも、最初で最後のチャンスかもしれないんです。全国誌に載る写真を撮るまで帰れないんです」と話すと、立神は協力することを快諾した。翌日、立神は柴田を連れて外出し、彼のために女物の衣装を買い揃えた。尾行していたコーラに詰め寄られた柴田は、「別れる前のプレゼントよ」と取り繕った。
その夜、コーラの幼馴染である薬剤師のマイケルはショーを終えた柴田に声を掛け、熱烈な態度でアプローチした。それはコーラがタッチとマギーの仲を裂くために頼んだ作戦だったが、もちろん柴田は相手にしなかった。しかし本気でマギーに惚れてしまったマイケルは、コーラに「もう一度、チャンスをくれ」と頼んだ。話を聞いていたユウは「稼いで貢ぐしか手は無い」と持ち掛け、マイケルにマッサージや修理工の仕事を紹介して仲介料を受け取った。
偽造パスポートの写真を撮影する際、立神は自分のパスポートを持っていることを柴田に打ち明けた。彼は柴田に、「無くしたと言えば、君と深く繋がるチャンスが出来る。心も体も」と告げた。彼は柴田の両手を縛り、後ろから犯そうとする。柴田は必死で抵抗し、力を込めて排便した。立神が1人でピアノを弾いているとコーラが現れ、日本の歌を歌ってほしいと頼んだ。ナイトクラブの芸人である小人がオーストラリアへ移住することになり、柴田たちは壮行会を開いて見送った。
立神は柴田と共にサッカーのスタジアムへ行き、ンガイと接触することにした。しかしンガイは情報ではなく、紙袋に入った拳銃を渡して立ち去った。尾行していたコーラが近寄って来たので、立神は慌てて拳銃を隠した。3人が外へ出ると、黒社会の連中が待ち受けていた。3人は通り掛かった男のバイクを拝借し、その場から逃走した。トラックに乗り移って逃亡する際、柴田のカツラが外れてコーラに女装がバレた。柴田はコーラに気持ちを伝えて失恋し、コーラは立神に気持ちを伝えて失恋した…。監督は渡邊孝好、原案・脚本は一色伸幸、製作代表は漆戸靖治&大里洋吉、プロデューサーは奥田誠治&森重晃、アソシエイトプロデューサーは井上健&畠中達郎、アクション監督はブルース・ロウ、撮影監督は渡部眞、美術は種田陽平、アート・ディレクターはヤウ・ワンミン、録音は瀬川徹夫、編集は冨田功、舞台演出・振付はロッキー、照明は鄒林&高坂俊秀、音楽はファンキー末吉。
出演は香取慎吾、アニタ・ユン、岸谷五朗、リチャード・ン、スティーブン・アウ、ン・ジャンユー、デレク・リー、アレックス・ン、イップ・タンフォン、モーゼス・チャン、泉谷しげる、マイケル・ラム、リー・キムウィン、チャン・カムプイ、ラム・クォックキット、ロー・インキット、ラウ・マンオン、クーエ・ニコール・アン・マリー、エマ・ジェーン・セワード、ケリー=ルイーズ・サマンサ・バレン、クイニー・ヤム・カーミン、ショラーナ・ティン・インイン、ティナ・ミシェル・ロス、菊地寿幸、松重豊ら。
日本テレビやアミューズが香港返還ブームに乗っかって儲けようと製作した映画。
監督は『居酒屋ゆうれい』『君を忘れない』の渡邊孝好。
脚本は『卒業旅行 ニホンから来ました』『熱帯楽園倶楽部』の一色伸幸。
柴田を香取慎吾、コーラをアニタ・ユン、立神を岸谷五朗、余をリチャード・ン、マイケルをスティーブン・アウ、ボスをン・ジャンユー、MCをデレク・リーが演じており、車で連行される日本人観光客役で泉谷しげるが1シーンだけ出演している。まず入り方からして間違えていると感じる。
柴田が立神の携帯電話で男の声を聞いて困惑した後、バスに乗り込んだところでタイトルが入るのだが、変な引っ掛かりを持たせたままにするのはマイナスでしかない。
「立神がホモかも」と匂わせるのなら(当時は「ホモ」ってのが普通の呼び方だったのよ)、そこで留めるのではなく、もう「ホモである」と断定してタイトルに入った方がいい。
つまりモヤッとした状態でタイトルに入るのではなく、ちゃんとオチを付けた方がいいってことだ。
それに、もっと勢いを付けて、観客を惹き込むパワーを感じさせる入り方にした方が絶対にいいのに、ヌルッとした雰囲気で入っているのもマイナスだし。立神がホモなのはバレバレなのに、何となくボンヤリした見せ方で始めているのは、どうにも中途半端。
それと、その要素は柴田と立神とコーラの三角関係を作るために用意されているのだが、むしろコメディーとしての方が、遥かに使える部分が大きい。
それを考えると、立神をクールで男っぽい同性愛者として造形するよりも、「いかにもオカマちゃん」という方向で味付けした方が良かったんじゃないか。
その方がキャラとして弾けるし、それが映画としての弾けっぷりにも繋がったはずだ。立神が柴田を女装させ、何かと理由を付けて抱き締めたりキスしたりするという手順も、これっぽっちも笑えない。
立神がホモってことをボンヤリとしか示していないとか、柴田がハッキリと分かっていないというのも、そこが弾けない要因の1つではある。
また、立神は男の格好をしている同性が好きなのに、女装させて興奮するってのも引っ掛かる。
それなら立神をノンケの男にしておき、「その気は無いはずなのに、女装した柴田に欲情してしまって困惑する」とか、そういう内容にした方が、まだ可能性はあったんじゃないか。香取慎吾と岸谷五朗、どっちの方が女装が似合うのかというと、それは間違いなく前者だ。そして彼を女装させないと、コーラが立神に惚れるとか、マギーを女だと勘違いするとか、そういう展開に繋げることが出来ないのも分かる。
しかし柴田が女装しても、そこから発信される笑いってのは、ものすごく少ないのだ。柴田が女っぽく装ったり、男だとバレないようにアタフタしたりするトコで笑いが生じるケースも皆無に等しいしね。
それなら、むしろ似合わないからこそ岸谷五朗に女装させてオカマ芝居をさせた方が、笑いが生まれる可能性は増えたんじゃないかと。「本当は望んだことだけど、仕方なくだと偽って女装する」という形にでもしてね。
それなら香取慎吾は困惑したりペースに巻き込まれたりするだけだから、演技の負担も減るはずだし。ナイトクラブのビラを配っている男に柴田と立神が怯えて悲鳴を上げ、楽屋裏の芸人を見て悲鳴を上げるというシーンは、やりたいことは痛いほど分かるけど、ものすごく陳腐で安っぽい。
2人が装置に乗ってステージに降りてしまう展開は無理がありまくりで、ちっともスムーズな流れが作り出せていない。
そこを強引に突破するだけのエナジーやパワーも無い。
また、ナイトクラブの様子も、やはりチープ。「世界一のショー」ってのが誇大広告だとしても、そこはゴージャス&グラマラスに飾るべきでしょ。カメラワークに問題があって、ナイトクラブのシーンに今一つ広がりや奥行きが見えてないのもマズい。
そもそも柴田たちがナイトクラブに迷い込む際、その外観が全く描かれていないのは完全に手落ちでしょ。翌日のシーンで看板が出ている入り口付近だけは写るけど、店の全体をカメラが捉えることは無いのよね。
そこに限らず、全体を通してカメラのアングルが狭いんだわ。
ナイトクラブのシーンなんて、周囲の街並みや空も含めて店の外観を捉えるカメラワークが欲しいところなのに。コーラが立神に惚れるのも、柴田がコーラに惚れるのも、やはり安っぽい。三角関係を軸に据えてコメディーを構築しようとしているんだけど、まるで上手く行っていない。
だけど他の要素を軸に据えれば上手く行ったのかというと、どうやっても駄目だっただろうと思うけどね。
もっと言っちゃうと、メイン3人の三角関係がちっとも面白くないので、丸ごとバッサリでもいいんじゃないかと思うぐらいだ。
「それを削ったら、ほとんど何も残らないんじゃねえの」と言われたら、その通りだ。でも、「だったら、この映画ごとバッサリでいいんじゃねえの」ってことだからね。ストーリー進行は、ものすごくモタモタしている。半分を過ぎた辺りで、まだ何も進んでいないに等しい。
それでも112分の上映時間でキッチリと話が終わるんだから、いかに中身がペラペラかってことだ。
後半に入ってから急にテンポを上げて、慌ただしくゴールへ向かうようなギアチェンジは無い。中身が薄っぺらいから、急ぐ必要が無いのだ。
柴田たちは黒社会に追われる身となったはずなのに、店に潜伏してからは、そこの筋が消えてしまう。取材でネタをゲットするという方面も、まるで進行が無い。
じゃあ店の人々との交流とか恋愛劇などが充実しているのかというと、ここもスッカラカンなのよ。この映画は一応、コメディーとして作られているはずだ。しかし、明るさや元気が全く足りていない。
何となく『あぶない刑事』を連想させるようなテイストで演出されており、クール&スタイリッシュなサスペンス・コメディーを狙ったのかもしれないけど、まるで上手く行っていない。
サスペンスとしては緊張感が足りず、コメディーとしては笑いが足りない。
っていうか、この映画に足りているモノなど、何一つとして存在しないけど。最後までコメディーとして突っ走ればいいものを、終盤に入るとシリアスで湿っぽい雰囲気を強める。
ダメなコメディー映画が陥りがちなパターンだ。
もちろん、「コメディーだからシリアスが入ったら絶対にダメ」ってわけではないが、この映画の場合、何のプラスにもなっていない。
歌を忘れたカナリヤになったようなモンだ。
まあ本作品の場合、そもそも最初からヘタクソな歌を聴こえないぐらい小さな声でボソボソと歌っていただけなんだけどね。(観賞日:2015年11月10日)