『平成無責任一家 東京デラックス』:1995、日本

母の飴屋マツ、長男の敬と妻の信子、次男の実、三男の進、四男の純、それにマツの内縁の夫・二十日市君夫。彼女達は、詐欺師の一家だ。だが、選挙トトカルチョで金儲けを企んで失敗した飴屋ファミリーは、6000万円の借金を背負ってしまう。
東京に出た飴屋ファミリーの前に、信子の父・黒鉄寛治、敬の叔父・洋一、マツの甥・竹上茂一が現れ、トトカルチョに突っ込んだ金を返せと詰め寄った。しかし、飴屋ファミリーは彼らの弱みを突いて黙らせ、一緒に行動することになった。
実は純を連れて、浅井正道とキク夫婦が営む理容店に向かった。そして実は夫婦の娘の元恋人に成り済まし、言葉巧みに純と共に居座ってしまう。飴屋ファミリーの他の連中も、実が知らない内に理容店に上がり込み、そのまま居座ってしまった。
実は様々な職業の男に成り済まし、フィリピン・パブで働くルビー、懐石料亭の女将・夏目秋子、バーで働くローザ・小暮、クラブのママをしている恭三に接近する。実は4人を信用させて金を騙し取ろうとするが、純が出張ホストの詐欺に引っ掛かったり、進が小暮から金を借りたりと、飴屋ファミリーの連中が仕込みの邪魔をする…。

監督は崔洋一、脚本は鄭義信&崔洋一、企画&製作は大里洋吉&李鳳宇、プロデューサーは青木勝彦&森重晃、撮影は上野彰吾、編集は奥原好幸、録音は野中英敏、照明は渡辺三雄、美術は今村力、衣裳は岩崎文男、音楽は東京スカパラダイスオーケストラ、音楽プロデューサーは石川光。
出演は岸谷五朗、絵沢萠子、岸部一徳、高橋和也、デーブ・久手堅、石井ひとみ、仲野茂、桜井センリ、麿赤児、國村隼、塩見三省、ルビー・モレノ、鰐淵晴子、七瀬なつみ、蛍雪次朗、上田耕一、大坪日出代、北見敏之、伊藤洋三郎、浦田賢一、水木薫、有薗芳記、遠藤憲一、小木茂光、金田明夫、木下雅之、木村栄、芦沢正和、三田村周三、吉江芳成ら。


『月はどっちに出ている』で話題を呼んだ崔洋一監督が、次にメガホンを執った作品。脚本の鄭義信を始めとするスタッフにも、岸谷五朗や絵沢萠子といった出演陣にも、『月はどっちに出ている』に続いての参加組が非常に多くなっている。

ドタバタのホームドラマを描いたコメディーのはずだが、さっぱり笑えない。
「ここで笑え」というポイントの見せ方は、ワザとらしいほどに分かりやすい。そのワザとらしさは批判する気にならないが、笑いの質と合っていないのでゲンナリしてしまう。ワザらしく見せるのならば、そこで示される笑いも開き直ったぐらいのバカバカしさが必要だろう。
この映画の大きな問題は、構造として「おもろうて、やがて悲しき」という感じになっていることだろう。しかし、この作品に必要なのは、「普通なら悲しい話も、脳天気に笑い飛ばしてしまう」という感覚のはずだ。ちょっとホロッとさせるのは構わないが、ずっと湿っぽくて小気味良さの微塵も感じられないというのは、どうしようもない。

飴屋一家が仕掛ける様々な詐欺行為は、全てスカッとした感じが無い。全体的にカラッとしておらず、何か湿っているような印象が強い。コメディーのはずなのに、どこかジメっとしていて重い。カラッとした明るさが必要なはずなのに、それが全く欠けている。
そもそも詐欺の手口がショボイし、素人としか思えないような連中が揃っている。飴屋ファミリーがことごとく愚かな行動を取って、実が仕掛ける詐欺の邪魔をする。詐欺を失敗させてしまうところを上手く描けば笑いに繋がるのだろうが、そこがダラダラしている。だから、そういう愚かな行動に全く笑えず、ただ腹立たしいだけになってしまう。

コミカルな話なのに妙に哀切があるというのは、崔監督の持ち味なのかもしれないが、それが今作品では「弾け切れていない」という悪影響になっている。ドタバタ喜劇で湿っぽさや物悲しさが前に感じさせてしまうと、ドタバタのリズムが生まれてこない。
登場人物からして、ネガティヴだったり暗かったりする奴ばかりだ。そのネガティヴさを誇張して笑いに繋げてくれればいいけど、ただネガティヴなだけ。主人公の実からして、大らかで脳天気な精神に欠けているのだから、そりゃ明るい話になるわけがない。この話は、もっとお気楽で調子のいいキャラクターに引っ張らせないとキツイよ。

タイトルから推測するに、おそらく崔監督はクレイジーキャッツの映画を意識していたんだろう。しかし、クレイジーキャッツの映画にあるような、スカッと突き抜けたバカさ加減は全く感じられない。ズッシリした笑いなんて、誰も求めていないはずなのだが。

 

*ポンコツ映画愛護協会