『BUDDHA2 手塚治虫のブッダ -終わりなき旅-』:2014、日本

2500年前、インド。コーサラ国は大国のマガダ国とガンジス川流域の覇権を争い、ヒマラヤの麓にある小さなシャカ国にも攻め入っていた。そんな中でシャカ族の王子となるシッダールタを産んだマーヤは命を落とし、神々の世界へ入る。マーヤー天になった彼女は、生きとし生ける者を苦しみから救う偉大な人物になると預言されたシッダールタを見守っていた。出家して修行僧となったシッダールタは旅を続け、飢えや病に苦しむ大勢の人々を救おうとしていた。
タッタとミゲーラは商人を襲う盗賊になり、金目の物を村に分け与えていた。タッタはコーサラ国への恨みを忘れておらず、必ず滅ぼしてやると心に誓う。デーパという修行僧と出会ったタッタは、「シッダールタという奴を知らねえか。苦行だか何だか知らないが、意味の無いことをしてるらしい」と馬鹿にしたように言う。デーパが「苦行には、ちゃんとした意味がある。苦しみの末に徳を得る良い人間に生まれ変わるのだ」と反論すると、タッタは「苦しんで徳なんて得られるかよ」と嘲笑する。
ミゲーラも「苦しむだけでいいなら、私だってとっくにいい坊主になってるよ」とタッタに同調し、松明の火を目に突っ込むよう要求する。「私の苦しみをあじわえばいいんだ。我慢できたら認めてやるよ」とミゲーラが挑発的に言うと、デーパは松明を左目に突っ込んだ。後日、シッダールタは親切な村人に声を掛けられ、家に招かれる。そこで彼は、左目を失ったデーパと遭遇する。村人は一番上の息子が僧侶になりたがっていることを告げ、まだ幼いアッサジを紹介する。
シッダールタは「まだ修行中の身です」と弟子に取ることを断り、デーパは「口減らしの厄介払いだ」と冷淡に告げた。彼はシッダールタに、「苦しめば苦しむほど、来世には良い人間として生まれ変わるのだ」と語る。シッダールタとデーパが立ち去ると、アッサジは後を追って来た。溺れそうになったアッサジを助けたシッダールタは、彼を背負って連れて行くことにした。歩き続けていたシッダールタとデーパは、鹿狩りをしているコーサラ国のルリ王子と兵士たちに遭遇した。1頭の鹿を射止めたルリは「これだけか」と吐き捨てると、シッダールタを一瞥して去った。
デーパはシッダールタに、「コーサラのパセーナディ王とシャカ族の奴隷の間に産まれた子供らしい」というルリに関する噂を語った。かつてシャカ国のスッドーダナ王が、由緒ある貴族の娘と偽って奴隷を差し出したのだと彼は教えた。シッダールタたちは旅を続けるが、アッサジが病気になってしまう。そこへタッタが来たので、シッダールタはアッサジの手当てが必要であることを話す。タッタは3人をアジトへ連れ帰り、アッサジに薬草を与える。
シッダールタはアッサジの右脚にある腫れを見て、焼いた剣をタッタに用意してもらう。彼が膿を焼くと、アッサジは悲鳴を上げて失神した。するとマーヤー天が「貴方に定められた命は、まだ終わっていません。その時が来るまで、シッダールタと共に生きるのです」と呼び掛け、アッサジは意識を取り戻した。そこへミゲーラが来ると、シッダールタは驚いて呼び掛けた。「立派な王になるんだって」とミゲーラが漏らすと、シッダールタは謝罪した。
タッタは相手がシッダールタだと知り、王様になってコーサラ国を滅ぼしてくれと頼む。するとシッダールタは、「10年待って欲しい。これからマガダ国を通って、苦行林に入る。10年の修行をして、何の意味も見出せなかったら国に帰る」と述べた。翌朝、目を覚ましたアッサジは、つむじ風が来ると叫んで村を回る。空は晴れ渡っていたが、大きな竜巻が突如として襲来した。アッサジの噂を聞き付けたマガダ国のビンビサーラ王は、彼を呼び寄せた。
ビンビサーラから「未来を知りたい」と言われたアッサジは、「王様は30年後、息子さんに殺される。その息子さんも罰を受ける」と予言した。ビンビサーラは天井に仕掛けておいた毒蛇を落とし、アッサジを始末しようとする。しかし毒蛇は近くにいた兵士の槍に噛み付き、アッサジは無事だった。アッサジが「オイラはここでは死なない。あと4年と4か月と4日後に死ぬ」と言うと、ビンビサーラは彼の能力が本物だと確信する。ビンビサーラは残って自分のために予言を続けてほしいと依頼するが、アッサジは「シッダールタと一緒に死ぬまで旅をする。神様に言われた」と告げた。
ビンビサーラはシッダールタの元へ行き、国に留まって相談相手になってほしいと要請する。「国の半分を貴方に与えよう」と彼が告げると、シッダールタは「生きるのに必要以上の物を求めると、争い事が起こります」と述べた。ビンビサーラは死の予言について説明し、「その時を、どのように迎えれば良いのか分からないのです」と相談する。シッダールタが「今の私では、貴方を救うことは出来ません。苦行林で死の恐怖から逃れる道を見つけたいと思います」と言うと、彼は「貴方の帰りをお待ちします」と口にした。
シッダールタたちは苦行林に到着し、様々な修業を積んでいる人々を目撃した。シッダールタとタッタは苦行を始め、アッサジは木に傷を付けて自分が死ぬまでの日数を数える。陽気なアッサジに驚いたシッダールタは、「どうすれば死を恐れず、そんな風に毎日を過ごしていけるんだ?」と質問した。するとアッサジは、「自分の役目を果たすことだ。シッダールタは人間から、人間以上の物に生まれ変わる。それが役目だ。そうしたら、みんなが救われる」と告げた。
デーパは死を恐れるシッダールタに対し、「苦行の意味が分かっていない。早くその身を腐らせてしまえ。死ね、愚か者」と声を荒らげた。しかしシッダールタは、「自分を苦しめることに夢中になって、それで人間が救われるのか」と疑問を抱く。シッダールタが餓死しそうになっていると、タッタが来て食事を与えようとする。そこへデーパが他の修行僧を引き連れて現れ、「苦行の邪魔をするな、悪魔め」とタッタを罵った。
ミゲーラのいる小屋に村人たちが火を放つ様子を見たタッタは、慌てて助けに行く。タッタがミゲーラを連れ出し、洞窟へ運び込む。心配したシッダールタが様子を見に行くと、ミゲーラは病気で苦しんでいた。シッダールタは苦行を続けるが、ミゲーラより戦っている者などいないと考える。シッダールタはアッサジから「シッダールタが助ける。膿を吸い出すんだ」と言われ、指示に従おうと決める。タッタは「病気が移る」と反対するが、シッダールタは何日も通い続けて膿を吸い出した。
ミゲーラは回復するが、デーパと修行僧から「今すぐ出て行け」と非難を浴びる。タッタはシッダールタに、「俺たちは出て行く。怒りや憎しみは消えた。お前さんのやってることが、大事なことに思えて来た」と告げる。ミゲーラはシッダールタに「体だけじゃなく、心も救われた」と感謝し、タッタと共に立ち去った。ルリは衛兵のヤタラたちを率いてシャカ国へ攻め込み、城を陥落させた。アッサジはシッダールタに、「次の満月が来たら自分は死ぬ、飢えた獣に食われる」と教える。シッダールタは彼を救うため、木の上に縛り付けて動物から遠ざけようとする。しかし兎に導かれたアッサジは森の奥へ進み、飢えた狼の親子に自らの肉体を捧げた。
アッサジが食われる様子を目撃して以来、シッダールタは過酷な苦行へ身を投じるようになった。ある日、座禅を組んでいた彼は強風に煽られて川へ転落し、漂いながら死を覚悟する。するとマーヤー天が現れ、「苦行で死んでは駄目です。アッサジは狼に食べられるために産まれたのです。命が繋がっていることを、貴方に伝えるために」と話し掛けた。目を覚ましたシッダールタは、スジャータという女性が差し出した乳粥を食べて礼を述べた。
シッダールタは森の動物を集め、「生きることは、他の生き物の命の上に成り立っている」「生きるために食べることは、自然の摂理である」「人間だけが無駄な殺戮を続け、多くの苦しみを生み出している」と語り掛けた。スッドーダナ王は家族と共にコーサラ国へ連行され、パセーナディ王から「よくも騙してくれたな」と激昂される。スッドーダナ王が家族は許してほしいと頼むと、ルリが「許さん。お前の息子も必ず見つけ出して殺してやる」と言い放った。
シッダールタが苦行林へ戻らないことを決めると、タッタは「俺は死ぬまで苦行を続け、その正しさを証明してみせる」と対抗心を燃やす。シッダールタは「極端な修業は無意味だ。極端な苦行は止め、さりとて快楽に溺れた生活も止め、私は中道を行く。ゆったりとした、大きな道を歩む」と告げ、その場を後にした。ルリはシャカ国の人間を奴隷として扱き使い、毎日欠かさず処刑を続ける。彼は自分の母親に対しても冷淡な態度を取り、奴隷部屋へ収監した。パセーナディ王に批判されても、彼は「あの女は奴隷です」と告げた。
ヤタラは妃を敬愛しており、密かに食事を差し入れる。彼はルリに、妃を解放するよう頼む。しかしヤタラは鞭打ちの処罰を受け、ルリの妃に対する言葉に激怒する。ヤタラは鎖を引き千切り、城から逃亡した。ルリはシッダールタの居場所が判明したという知らせを受け、兵隊を率いて殺しに行く。彼はシッダールタに剣を突き付け、「シャカ族は滅ぼしてやる。お前の家族も殺してやる。悔しいか」と挑発するように言い放った。
シッダールタは全く表情を変えず、淡々とした口調で「哀れな人だ。殺すなら殺しなさい。貴方は復讐をしていて、楽しいですか。むしろ夜中に一人で苦しんでいるのではありませんか」と問い掛ける。カッとなったルリはシッダールタを殺そうとするが、剣に雷が落ちて弾き飛ばされてしまう。シッダールタが剣を取ると、ルリは慌てて「こいつを殺せ」と兵隊に命じる。しかし包囲した兵隊は、シッダールタに臆して動けなくなる。シッダールタはルリに「貴方は死ぬまで後悔し続ける。それは拷問や怪我や病気より、もっと悲惨だ。だから哀れな人だと言ったのだ」と告げ、剣を返した。ルリは馬に乗り、兵隊を連れて退散した…。

監督は小村敏明、原作は手塚治虫、脚本は吉田玲子、製作は木下直哉&村松秀信&高木勝裕&間宮登良松&依田巽、エグゼクティブ・プロデューサーは森下孝三、アドバイザーは ひろさちや、プロデューサーは冨永理生子&ギャルマト・ボグダン、キャスティング・プロデューサーは福岡康裕、絵コンテは小村敏明&八島善孝&山室直儀&細田雅弘、絵コンテ監修は森下孝三、キャラクターデザインは真庭秀明&浅沼昭弘、デザインワークスは新谷直大&森宗弘樹、色彩設計は うすいこうぢ、撮影監督は桑良人&五十嵐慎一、編集は福光伸一、録音は立花康夫、美術監督は行信三、作画監督は浅沼昭弘、音楽プロデューサーは津島玄一、音楽は大島ミチル、尺八演奏は藤原道山。
主題歌は浜崎あゆみ『Pray』words:ayumi hamasaki、music:Kunio Tago、arrangement:Yuta Nakano。
声の出演は吉永小百合、松山ケンイチ、真木よう子、観世清和(能楽観世流二十六世家元)、吉岡秀隆、大和田伸也、笑い飯哲夫、田口浩正、水樹奈々、沢城みゆき、藤原啓治、大友龍三郎、島本須美、駿河太郎、笠兼三、大和田悠太、銀河万丈、こおろぎさとみ、楠見尚己、大川透、田中一成、かかずゆみ、浜田賢二、川田紳司、大畑伸太郎、斉藤貴美子、奈良徹、菊池こころ、佐藤拓也、佐藤晴男、北島美香、大林洋平、神田みか、白川周作、東條加那子、西野陽子、金本涼輔、木島隆一、菊本平、森下由樹子ら。


1972年から1983年に掛けて連載された手塚治虫の漫画『ブッダ』を基にした2011年の映画『手塚治虫のブッダ −赤い砂漠よ!美しく−』の続編。
監督は前作の森下孝三から、『キン肉マンII世』『キン肉マンII世 マッスル人参争奪!超人大戦争』の小村敏明に交代。脚本は前作に引き続いて吉田玲子が担当。
1作目でナレーションのチャプラの母の声を担当していた吉永小百合が、今回はマーヤー天の役で出演している。
スッドーダナ役の観世清和、シッダールタ役の吉岡秀隆、ミゲーラ役の水樹奈々は、前作からのキャスト。
他に、タッタの声を松山ケンイチ、ルリを真木よう子、ビンビサーラを大和田伸也、ブラフマンを笑い飯哲夫、パセーナディを田口浩正、アッサジを沢城みゆき、デーパを藤原啓治、ヤタラを大友龍三郎、ルリの母親を島本須美が担当している。

今回も前作に続いて、有名人を声優に起用している。それをセールスポイントにして訴求力に繋げようという意図は、もちろん誰の目にも明らかだ。
しかし有名人を起用する時には、必ず「本職じゃないからハズレの場合も少なくない」というリスクが付きまとう。そもそも前作の段階で問題が無かったわけではないが、そこが今回は悪化している。
真木よう子は残念ながら、声優としての質は低い。ただし、そんな彼女も、笑い飯哲夫の酷さとは比較にならない。たった1シーンの登場なのに、その酷さを感じさせるんだから、かなりのモノだ。
笑い飯哲夫は仏教に詳しいってことで起用されたんだろうけど、よりによってブッダに悟りを教えるブラフマン役って。どういうセンスだよ、その起用は。
その1点だけでも万死に値するような判断だぞ。

本作品の公開は2014年なので、3年の間隔が生じている。これは大きなハンデとなっている。
シリーズ作品であっても、そこまで前作の内容を把握していなくても支障が無いケースもある。しかし本作品の場合、ちゃんと前作の内容を覚えていないと、かなり厳しい。
だから3年のブランクってのは、「作品の内容が云々」という前の段階で、既に欠点となっている。
ただし、じゃあ1年後なら大丈夫だったのかというと、それでも難しい問題はある。
というのも、前作が興行的に大失敗したからだ。つまり、そもそも前作を観賞した人が多くないわけで。
だから「前作の内容を覚えている人」の数は、かなり少ないってことになる。

もちろん、映画館で観賞しなくても、DVDで見る人はいるだろう。しかし、この映画はDVD化された後も、そんなにレンタルや販売の実績が高かったわけではない。
それに、わざわざ本作品を観賞するためにDVDを借りて前作を見ようという奇特な人も少ないだろう。
そうなると、この第2作は、「興行的に失敗した前作よりも観客動員が減る」ってのは確定事項と言ってもいいだろう。
実際、その通りになった。そもそも東映も、前作に比べると宣伝活動に力を入れていなかった。

っていうか、前作が興行的に大失敗したんだから、続編なんて作ること自体が間違いなのだ。
普通に考えれば、もはやヒットしないことは最初から分かり切っているんだから、惨敗した映画の続編を作る意味なんて全く無い。
しかし本作品の場合、続編を作らざるを得なかった。何しろ、3部作として企画されているからだ。なので負け戦と分かっていても、そこに挑まざるを得なかったのだ。
そんな映画で仕事をしなきゃいけないスタッフやキャストのモチベーションって、ものすごく辛いモノがあっただろうなあ。

ただ、3部作の企画だからと言って、絶対に続編を作らなきゃいけないわけでもないのよね。
これがハリウッドだったら、興行的に失敗したらシリーズ作品を途中で打ち切るってのは良くあることだ。『ナルニア国物語』や『ライラの冒険』、『エラゴン 遺志を継ぐ者』(「ドラゴンライダー」シリーズ)、『ダレン・シャン』など、数々の作品で続編の製作が中止になっている。
ちなみに日本でも、3部作が予定されていた『どろろ』は1作だけで終わっている。
だから、この映画も1作目だけで終われば良かったものを、妙に生真面目で律儀なトコが出たのか、ただの愚かな意地なのか、2作目を作ってしまったのだ(しかし、どうやら3作目の企画は完全に潰れた模様)。

この映画は最初の段階で、観客が越えなければいけない高いハードルが待ち受けている。それは「前作を見ていなければ、話に付いて行くことが難しい」というハードルだ。
シリーズ映画でも、「前作を見ていなくても大丈夫」というケースはある。しかし本作品の場合は、前作から物語がガッツリと続いているので、切り離して観賞することは難しい。しかも、ただ「前作を見ている」というだけではダメで、ちゃんと内容を覚えている必要がある。
しかし前述したように、前作はコケているので、そもそも見た人が決して多くない。その上、内容を覚えている人ってことになると、さらに数は減るだろう。また、この映画のためにDVDを借りたり買ったりして前作を見ておこうという奇特な人も、たぶん数少ないはず。
一応、冒頭に「前作の粗筋」が用意されている親切設計ではあるのだが、そもそも本作品を見ようという意欲を持つ人がどれぐらい存在するのかと考えた時に、前作より興行的に落ちるのは当然のことだろう。

前作には「15年が経過しても少年だったタッタが成長せず、見た目が全く変わらない」というツッコミ所が存在した。
何の説明も無いままで終わったので、ひょっとすると第2作で「実はこういう事情がありまして」と明かす形を取るのかと思ったが、そうではなく成長した姿で登場させている。
どうやら製作サイドも、前作でタッタを成長させなかったのは失敗だったと気付いたようだ。
しかし、前作では少年だったタッタが急に成長したら、それはそれで不自然になる。

1そこで、タッタが急に成長した理由を付けるため、デーパとタッタに「タッタはずっと少年の姿だと聞いていたが」「力を失ってから、急に大人になっちまったんだ」という会話シーンを用意している。
だけど、それで不自然さが消えるはずもなく、「そこは笑うトコですか」と言いたくなる。前作の問題点を解消しようとして、また新たなツッコミ所が生じるという皮肉な結果になっている。
どうせ前作の失敗なんて取り戻せないんだから、いっそのこと開き直ってタッタは少年の姿のままにしておいても良かったのに。
ハッキリ言って、彼を成長させるか否かなんて、この映画の評価には何の影響も与えないよ。それどころの話じゃないから。

前作の上映時間は111分だったが、今回は85分。一気に短くなっているが、製作サイドの熱が減退したことを意味しているんだろうか。
アニメーションの場合、長編映画で85分程度ってのは、そんなに珍しくもない。アニメーションは子供向け作品が多いので、長編としては短めに仕上げることも少なくないからだ。
しかし本作品は明らかに大人向けなので、そういう理由ではないだろう。
もちろん、85分という尺でキッチリと収めることが出来るのであれば、何の問題も無い。しかし、どう考えても時間が足りていないのだ。
だから、『ブッダ』の粗筋をなぞるだけで精一杯」という慌ただしさになっている。

デーパがタッタやミゲーラと遭遇して松明を目に突っ込んだ後、カットが切り替わるとシッダールタが登場する。なので、翌日のシーンなのかと思ったら、左目を失ったデーパが登場する。
その段階で「何日か経過した後ってことだろう」ってのは理解できるのだが、構成としては上手くない。そこはデーパが再登場するまでに、何か1つぐらい別のシーンを入れた方がいい。
あと、初登場のシーンと比べると、シッダールタが出会った時のデーパが別人のように冷淡な奴になっているので、それも違和感が強い。
そこを解消するためにも、再登場までに間隔を空けた方が望ましいでしょ。

そこも「時間が足りないから生じている問題」の1つだと感じるが、そんなのは序の口だ。何から何まで時間の余裕が無いので、1つのキャラクターに厚みを持たせるとか、人間関係を深く掘り下げるとか、ドラマを膨らませるとか、そういう作業が全く出来ていない。
その気が最初から無かったのかもしれないが、どっちにしろ映画としては何のプラスにも繋がらない。
映像的にも、引き付ける力は感じない。
そもそも宗教色が濃い映画なので一般受けは難しいのだが、ブッダ(シッダールタ)を「人間」として描こうとする意識が乏しいので、ますます厳しいことになっている。

とにかく、何の見所も無いし、ツッコミを入れながら楽しめるようなポンコツ映画としての面白味も無い。「前作がコケているし、企画として大失敗だったことは分かり切っている。ホントは中止にすべきだと思うけど続編を作らなきゃいけないから、やる気は全く起きないけど、とりあえず形だけは整えよう」ということで、やっつけ仕事で完成させたんじゃないかと邪推したくなるようなシロモノだ。
っていうか、それが真実を突いていたら観客に対しては失礼な話ではあるが、ある意味では、そっちの方がマシなんじゃないかと思ったりもする。もしも本気で作品をヒットさせようと考え、全力を傾けて製作した結果がコレだとしたら、東映アニメーションは相当にヤバいと思うのでね。
ちなみに、前作にも増して興行的には失敗しているのに、日本アカデミー賞のアニメーション作品賞にノミネートされた。
それは「興行的には失敗したけど映画の質は高い」ということを意味しているのではなく、いかに日本アカデミー賞が腐敗しているかを顕著に示している事態だと断言できる。

(観賞日:2017年3月2日)

 

*ポンコツ映画愛護協会