『プライド 運命の瞬間』:1998、日本
1941年12月8日、内閣総理大臣の東條英機は米英に対して開戦を宣言した。1947年8月15日、インド独立の日、ニューデリー。大勢の人々 が喜びに溢れている。ラダビノット・パールはその場に立ち会えず、東京にいた。もう一人、哀れな男が不在だった。チャンドラ・ボース だ。インドの独立を熱望した男は、既にこの世に無い。代わりに一人の日本人がそこにいた。立花泰男という男である。立花とパールを 引き合わせたのは戦争だった。
1945年9月10日、東京・世田谷区用賀の自宅にいた東條の元を、内閣秘書官だった赤松貞雄が訪ねてきた。彼はAP通信の支局長と記者を 伴っていた。支局長は東條に、勝ったアメリカのマッカーサーをどう評価するのか質問した。東條が「マッカーサーはフィリピンで部下を 置き去りにしてオーストラリアに逃げた。一軍の将としてあるまじき行為だと思う」と答えたので、赤松は通訳に困った。「彼は偉大な 政治家・軍人だと思います」と嘘の翻訳をするが、東條にバレて「くだらん小細工はするな」と叱られた。
1945年9月11日、東條家にGHQが現れ、出頭を命じた。東條は拳銃自殺を図るが失敗し、病院に運ばれた。1941年、インド。既に大戦は 始まり、英国とドイツが死闘を演じていた。インドでは独立運動が激化しており、ボースは11回の投獄にもめげずに闘士としての活動を 続けていた。ボースは国外脱出に成功し、その年の12月8日に日本は米英に宣戦布告した。
1943年4月20日、東京・総理大臣官邸に重光葵を招いた東條は「戦局が厳しい中、内閣を改造したい。外務大臣として入閣してほしい」と 告げる。重光が大東亜憲章に関する自分の意見書について尋ねると、東條は「拝読したがゆえにご協力願いたい」と言う。重光は「この 戦争の大義名分を一段とハッキリさせたい。ヨーロッパをアジアを侵略して植民地にしてきた。日本の戦争目的はその植民地、アジアの 解放と人種差別の撤廃にあったはずです」と語る。
重光は「大東亜憲章がまやかしであってはならない。それゆえに占領地をどしどし独立させ、対等平等の同盟条約を結ぶべきです。問題は インドです。インドの独立なき限り、イギリスのアジア支配は緩みません」と説いた。ボースはインド洋で、ドイツのUボートから日本の 潜水艦に乗り移った。1943年7月5日、シンガポールでは自由インド仮政府の式典が行われ、東條や立花も参列した。
ボースは国民軍に「アジア在住300万人のインド人は、祖国の解放を改めて誓った。インド国民軍が編成され、自由インド仮政府が樹立 された。自由インド仮政府主席として、国民軍最高司令官としてインド国民の解放を誓う」と演説した。1945年8月15日に日本が降伏し、 その3日後、ボースを乗せた日本軍機が台湾で墜落した。ボースは夢を果たせずに死亡し、インド国民軍将校は英国王への反逆罪で裁判に 掛けられた。インドは反英国運動のるつぼと化し、ついに英国は独立を認めて去って行った。
東條は逮捕され、連合国による極東国際軍事裁判で裁かれることになった。GHQは28人のA級戦犯を起訴した。東條は弁護人の清瀬一郎 から、裁判の手続きについて説明された。東條は「どう弁護しようが私の死刑は動かぬ。結果の分かった裁判を争う意味が分からん。君は 私の無実を信じて弁護できるのか」と問い掛けた。清瀬は「日本国、日本民族に対して閣下は有罪です。しかし、米英敵国に対して有罪 ではない。少なくとも閣下には有罪と認めていただきたくはありません」と語った。
1946年5月3日、国際軍事裁判所で裁判が開廷された。裁判の判事団は裁判長のウェップ卿を中心として、戦争に勝利した11ヶ国の顔触れで 構成されている。起訴状の朗読が始まると、東條の後ろに座っていた大川周明が泣き出し、それが終わると急に東條の頭を叩いた。大川は 連れ出され、ウェップ裁判長は15分の休憩を指示した。大川の精神鑑定が申請されて認められた。
罪状認否が始まると、全ての被告が無罪を主張した。清瀬は「裁判所に対する動議を提出します。平和に対する罪、人道に対する罪に ついてお裁きになる権限が無いということです」と述べた。キーナン主席検事は「我々11ヶ国の連合国は武力によってこの侵略戦争を 終わらせねばならなかった。その我々に世界的惨禍を招いた責任者を処罪する権限が無いと?弁護団の動議は日本が受諾した無条件降伏を 歪曲するものだ。ポツダム宣言には戦争犯罪人の処罰が含まれている」と反論した。
清瀬は「ポツダム宣言を受けた日本国降伏文書は日本の軍隊の無条件降伏を言っておるので、日本政府、日本国民の降伏を言っておるもの ではありません」と説明した。ブルーエット弁護人やブレークニー弁護人らも、「当法廷の判事は日本を破った諸国の代表者であり、同時 にこの諸国が本訴訟の原告であるため、公正な裁判など期待できない。勝った国が負けた国を裁くのでは公正は望めない」「国際法に おいて戦争自体は合法です。戦争での殺人は罪ではない」などと補足した。
立花泰男は、イギリス領インド帝国から派遣されたパール判事が宿泊しているホテルで勤務していた。彼は恋人で同僚の新谷明子から、 「私より証言することの方が大事だったの?」と責められた。そのホテルは、かつてボースが常宿にしていた場所だった。パールは立花に 、彼の兄とは同窓だと告げた。パールは立花に頼んで、ボースが泊まっていた部屋を見せてもらった。
立花は「ボースを見ると勇気が沸き、インド独立のために戦った。しかしインパールで大勢の仲間が犠牲となり、今も彼らのことを夢で 見る。夜が怖い」と明かした。パールはインドへ行ってみないかと勧めた。立花が「日本人の海外渡航は禁止されている」と言うと、彼は 「私が何とかする。インド独立は近い。その瞬間に立ち会えば未来が見えてくるはずだ」と述べた。
東條は口供書を書き上げ、ブルーエットが読み上げた。キーナンは東條に「戦争は最悪の犯罪であり、民衆に対する罪悪であることに同意 しますか」と尋ねた。東條は「それは勝者も敗者も同様です」と答えた。その後、彼は米国の軍事的脅威や中国への大軍の派遣について 問われ、堂々たる態度で弁舌を振るった。苛立つキーナンは休廷中、ウェップに「貴方のやり方は東條を引き立てている」と非難を浴びせ 、「私は米国の威信を守るために来ている。今後は尋問の途中で口を挟まないでほしい」と要求した。
東條は清瀬と赤松から「質問が天皇に及んだ場合、天皇の命令に背いて戦争を始めたと証言してくれ」と頼まれた。激しく反発する東條に 、清瀬は「戦争を始めたのも天皇陛下の御意志だと揚げ足を取られかねません。戦勝国には陛下の訴追を諦めていない国もいる。陛下を お守りするためには」と説く。東條は「最後の拠り所まで奪われなければならんのか」と涙した。
証言台に立った東條は、キーナンの尋問に対して威厳に満ちた態度を取り続けていた。しかし「戦争を行うことは天皇の意思でしたか」と いう質問には歯切れが悪くなり、「我々の進言によって、渋々、ご同意なさったのでしょう」と述べた。キーナンに「首相として法律的 にも道徳的にも間違ったことをしたつもりはないと考えますか」と問われ、彼は「正しいことを実行したと思います」と断言した。すると キーナンは「では無罪放免になったら、貴方は同じ行為を繰り返すということですか」と声を荒げた。
パールの元には、妻ナリニバルの危篤を知らせる電報が届いた。帰国したパールは、ナリニバルに「東京に戻らねばならない。多数派の 判事は全員を有罪にするだろうが、私は無罪を主張する。私は判事として真実の探求に努めた」と語る。1948年11月12日、判決が下され、 東條は絞首刑を宣告された。帰国したパールはナリニバルに頼まれ、法廷で読まれなかった判決書を読み聞かせた…。監督は伊藤俊也、脚本は松田寛夫&伊藤俊也、制作は浅野勝昭、企画は佐藤雅夫&中川完治、プロデューサーは田中壽一 &奈村協&中山正久、監修代表は加瀬英明、撮影は加藤雄大、編集は荒木健夫、録音は伊藤宏一、照明は大久保武志、美術は内藤昭、 音楽は大島ミチル、音楽プロデューサーは高桑忠男、イメージソング「ゆりかごを揺すられて」唄は相田翔子。
出演は津川雅彦、いしだあゆみ、奥田瑛二、スコット・ウィルソン、ロニー・コックス、大鶴義丹、戸田菜穂、スレッシュ・オビロイ、 アンヌパム・ケール、ディープティ・ナバル、寺田農、前田吟、村田雄浩、石田太郎、陸五朗、島木譲二、石橋蓮司、相田翔子、 朱門みず穂、前田亜季、烏丸せつこ、阿知波悟美、ピエロ・ヴァン・アーニムクレイグ・アシュリー、パトリック・ディクソン、 アンドリュー・ハリス、ピーター・ホスキング、ジェラード・マグワイア、金士傑(チン・スーチェ)他。
極東国際軍事裁判結審50周年記念作品であり、東日本ハウス創立30周年記念作品。
東條を津川雅彦、妻・かつ子をいしだあゆみ、清瀬を 奥田瑛二、キーナンをスコット・ウィルソン、ウェップをロニー・コックス、立花を大鶴義丹、明子を戸田菜穂、パールをスレッシュ・ オビロイ、ボースをアンヌパム・ケール、ナリニバルをディープティ・ナバル、重光を寺田農、赤松を前田吟が演じている。
監督は『白蛇抄』『花園の迷宮』の伊藤俊也。東日本ハウス創業者の中村功は、パール判事を主人公にした映画を企画していた。
しかし伊藤監督から東條英機を主役にすることを提案され、内容が変更された。
「パール判事が主人公では日本人に受けないだろう」という考え方は、分からないではない。
しかし、東條とパールを絡めて描こうとするのは、やはり無理があると思うぞ。
その2人、何の接点も交流も無いんだし。立花という架空の人物を登場させて、ボースまで絡めようとしているけど、ますます無理があるよ。
ボースと東京裁判は何の関係も無いぞ。
「インド独立運動に日本が関わった」ということで、「だから東條は正しいことをしたのだ」という風に見せようとしているようだが、 それは理屈として強引極まりないなあ。
あと、「日本の戦争目的はその植民地の解放と人種差別の撤廃」と語らせているけど、独立させた国ってのは、実質的には日本が占領下に 置かれていたしなあ。清瀬が言う「日本国、日本民族に対して閣下は有罪です。しかし、米英敵国に対して有罪ではない」という言葉が、東京裁判を語る上での 本質だと思うんだよね。
つまり「戦犯とされた人々は日本人に対して悪いことをしたかもしれないが、しかし裁判は不当であり、そこで裁くべきではない」という ことだ。
で、そういうことを主張していくのなら、まあ納得できるんだけど、最初にそういう意見を語らせておきながら、実際は「東條は悪くない 」という論理に摩り替えていくんだよね。
東條と家族との関係を描き、彼が良き夫、良き父親であることをアピールすることで、「だから彼は正しいのです、悪くないのです」と いう見せ方をしようとしている向きが見られるが、それは手口があこぎだよな。
また、東條が拳銃自殺を図って失敗した後には、汽車の乗客が「日本人やったら腹かっさばいて死ね。日本人の面汚しや」などと悪口を 言うシーンがあるが、このように周囲で理不尽な悪口を言わせることで、東條への同情・共感を集めようとするのも、いかにも プロパガンダ的な作戦だ。161分という上映時間だが、無駄に時間を使っているという印象を受ける。
罪状認否のシーンは唖然とさせられる。
荒木貞夫、土肥原賢二、橋本欣五郎、畑俊六、廣田弘毅、星野直樹、板垣征四郎、木戸幸一、木村兵太郎、松井石根、松岡洋右、武藤章、 佐藤賢了、重光葵が無罪を主張する様子を、バカ丁寧に全て描くのよ。
そんなの省略してもいいじゃねえか。
いや、例えばさ、それをみんなが言っている間、その時の東條の様子とか、判事たちの様子とかそういうのをカメラが追い掛けるなら、 まだ分からないでもないよ。だけど愚直にも、それを言う戦犯をカメラは追うのよ。
立花が関わるシーンも、全て要らないなあ。大戦や東京裁判に関して詳しい知識が無いと内容の把握が困難な仕上がりになっているというのは、大きな問題だろう。
例えば、ボースがシンガポールで演説するシーンがあるが、当時のシンガポールが日本統治下だということ、そこでボースが自由インド 仮政府の首班になったことを知らないと、なぜシンガポールでそんなことをやっているのか分かりにくい。
裁判が始まると、大川周明が急に東條の頭を叩くが、これも彼のことを知らないければ、何のこっちゃワケが分からないぞ。アメリカの代表者であるキーナンを悪人にすることで、「アメリカ代表のキーナンは悪い奴、だから日本の代表である東條は善玉」という 風な語り口になっていて、それは危険だよなあ。
あと、キーナンは感情的になったり同様を示したりという風に弱さや脆さを露呈し、一方の東條は常に威厳があって堂々としているという 風に、とても分かりやすい色分けがされている。
一方的な視点からキャラの描き分けをするのは、プロパガンダ映画としては常套手段だが、しかし利口な手法とは言えない。
特に本作品のようなデリケートなテーマを扱う場合には、その辺りは特に慎重にやらないといけない。
そこは「中立的な目線で描いていますよ」という風に見せ掛けつつ、その中で右寄りの主張を巧みに織り込むようにすべきだったのだ。
そういう意味では、この映画は、あまりに愚直でバカ正直すぎた。
そりゃ右寄りの人が絶賛、左寄りからは糾弾、どっちでもない人からはスルーされる結果になるのも当然だろう。
ようするに、プロパガンダ映画としては失敗してるってことよ。東京裁判の不当性を訴えるためには、やはり東條英機を主人公に据えるのは失敗だったと思う。
裁判がおかしなものであろうとも、だからと言って東條は擁護できる類の人物じゃないんだよな。
右寄りの人々は別にして。
この裁判の不当性を主張するためには、裁かれる戦犯を主人公にするのは適切ではない。
それを外から見ている人間にすべきなのだ。
だから当初の企画通り、パールを主役にしていれば、こんなことにはならなかっただろう。だけど、何しろ監修代表はガチガチの保守右翼である加瀬英明だし、右寄りの人々が作っているので、そういう感覚が無いんだよね。
右にしろ左にしろ、その考えに凝り固まっている人とは「自分は正しい」と確信しており、だから「同じ意見を持たない人に、どうやって その考え方、主張を伝えればいいか」ということに神経が全く行き届かない。
自分の主張を堂々と言い、強く主張すれば説得できるとでも思っている人が多い。
でも、それは基本的に捻じ伏せようとする行為なんだよね。この映画が目指すべきは、右でも左でもない人に、右寄りの主張に同調してもらう、耳を傾けてもらうということのはずだ(左寄りの人が 右寄りの映画を見て考えを改めることは、まず有り得ない。右寄りの人は、こんな映画を見なくても右寄りだ。右寄りの人が満足すれば OKということなら、それは内輪受けでしかない)。
にも関わらず、そういう配慮が本作品には著しく欠けている。
この裁判について詳しい知識のある人は大抵、その裁判や戦争に対して個人的な意見を持ち合わせているだろう。多かれ少なかれ、それは 右なり左なり、どちらかに傾いているはずだ。
つまり、右でも左でもない人を取り込むというのは、「裁判のことを良く知らない人を取り込む」という作業に等しいと言ってもいい。
なのに、この映画は、大戦や裁判について詳しい知識が無いと、理解が難しい内容になってしまっているのだ。
ハードルが高すぎるというのは、プロパガンダ映画として大きなマイナスだ。(観賞日:2010年4月24日)