『ピストルオペラ』: 2001、日本

殺し屋ギルドのナンバー2である昼行灯の萬が、東京駅で射殺された。犯人である黒い服の男は、その場から車で逃走した。ナンバー3の 野良猫が女中・りんと共に醤油店にいると、ギルドの代理人・上京(うえきょう)小夜子が来て仕事を依頼した。ターゲットは小倉興業 社長の愛人で、趣味は飛び込みだ。野良猫はプールへ赴き、ターゲットを射殺した。彼女は何食わぬ顔で、現場を後にした。
野良猫が醤油店に戻ると、生活指導の先生と名乗る男が現れて拳銃を向けた。野良猫は隙を見て拳銃を奪い、その場から逃げ出した。彼女 と先生の追い掛けっこを、少女が目撃していた。野良猫は埠頭で先生を撃った後、少女に「忘れな」と鋭く告げた。野良猫は上京と会い、 先生が襲ってきた経緯を問い詰めた。だが、上京は「知らなかった」と軽く告げるだけだった。かつてナンバー1だったチャンプのめ組は 、野良猫に「昼行燈を殺したのはナンバー1の百眼だ。アンタがやった仕事、実は口実で、猫か生活指導の先生、どちらかを消す目的 だったんじゃないのか」と告げた。
野良猫は上京から、新たな依頼を持ち掛けられた。クライアントはギルド自身で、ターゲットは百眼だ。しかし百眼が誰なのも分かって いない。野良猫が断ると、上京は「貴方が降りても、百眼がどう動くか。それだけは警告しておくわ」と言って去った。殺し屋志望の少女 は、野良猫に付きまとった。野良猫はオモチャの銃で撃ち、「貴方は死んだんだから、これ以上付きまとわないで」と告げた。
女剣劇の演芸場で、白人の男が老人の客を殺害した。それを知った野良猫は情報屋の男に連絡を取り、彼の元へ向かう。だが、そこには 白人が待ち受けており、野良猫を襲撃してきた。白人は無痛の外科医と呼ばれるナンバー5だった。彼は「情報システムを潰すよう百眼に 頼まれた、パートナーに選ばれた」と口にした。野良猫は彼に「私とパートナーになれば百眼だって怖くない」と誘いを掛け、その証と して自分の体にナイフを突き立てるよう告げる。外科医が誘いに乗ると、野良猫はナイフを深く刺して抹殺した。
深手を負った野良猫を、外で待っていた少女はリヤカーに乗せて運んだ。意識を取り戻した野良猫が「貴方が手当てしてくれたの?」と 尋ねると、少女は首を横に振った。名前を訊くと、彼女は「小夜子」と答えた。苗字を尋ねても、「小夜子」と繰り返すだけだった。 野良猫が実家へ戻ると、黒い服の男が待ち受けていた。彼は「私が百眼です」と言う。野良猫が「やり合うつもりはありません」と言うと 、男は「こちらにも事情がありまして。ご心配なく、今日は挨拶だけです」と告げた。
男はりんが勧める酒を飲んだ後、そこが安全ではないことを野良猫に警告して立ち去った。実家を後にした野良猫は、小夜子から「私も なりたいな、殺し屋」と言われる。め組は野良猫に、「百眼がギルドに所属する殺し屋のリストを持ち出した、それが発端だ」と言う。 しかし野良猫は「リストなんて存在しない」と相手にしなかった。め組は右足が不自由で松葉杖を突いていたが、現役にこだわっており、 野良猫と組みたいと考えていた。
ナンバー7・長町場の駕籠屋、ナンバー6・宴会部長、ナンバー9・幽霊作家、ナンバー8・蛇ばら(じゃばら)が、次々に命を落とした 。野良猫は百眼に対抗するため、かつてナンバー11だった武器の密売屋・胡蝶蘭のお静を訪ねて銃を買い求めた。野良猫は世界怪奇博覧会 の会場へ行き、上京と会って依頼を引き受ける。野良猫は彼女に、め組が今回の一件に関係しているのかどうか尋ねる。上京は、もう彼が ランキング外であり、それでもギルド周辺をうろついているだけの男だと述べた。
野良猫は黒い服の男と対決して射殺するが、予想した通り、彼は百眼ではなかった。野良猫の元に、彼女を尊敬しているという若い男が やって来てピルケースを渡した。ケースを開けると、そこには2001と刻まれた銃弾が入っていた。上京と会った野良猫は、銃弾が百眼から の招待状だと知らされた。上京は「殺しのやり繰りをしたのは私。お返しはしてもらうわよ」と言い、自分が百眼だと明かした。
上京は殺し屋ギルドを抜けたいと考えていた。しかしギルドを抜けるには、死ぬ以外に方法が無い。上京は殺し屋の花道として、役者の ように芸の高みで死にたいと考えた。彼女は東京駅で昼行燈と対決したが、勝ってしまった。次に外科医と戦おうとしたが、先に野良猫が 始末してしまった。そこで上京はトーナメント方式を思い付き、ただ一人の勝ち残りと最後に対決することにしたのだという…。

監督は鈴木清順、脚本は伊藤和典、脚本協力は具留八介&橋本以蔵&久保直樹&猪爪慎一、製作代表は岸田卓朗&迫本淳一&石川富康& 宮川鑛一&小岐須直俊、アソシエイト・プロデューサーは関根康&深田誠剛&菅沢正浩&神田裕司、エグゼクティブ・プロデューサーは 小澤俊晴&宮島秀司&石川博&菅原章、プロデューサーは小椋悟&片嶋一貴、撮影は前田米造、編集は鈴木晄、照明は矢部一男、美術監督 は木村威夫、美術は安宅紀史、特撮は樋口真嗣、タイトルバックは樋口真嗣、アクション&スタントコーディネーターはKATO、音楽は こだま和文、。
主題歌「野良犬のテーマ」 こだま和文 meets EGO−WRAPPIN’、作詞:中納良恵/作曲:こだま和文。
挿入歌「サイコアナルシス」EGO−WRAPPIN’、作詞:中納良恵/作曲:森雅樹&中納良恵。
「三人の殺し屋」作詞:具流八郎/作曲:楠井景久。
出演は江角マキコ、山口小夜子、韓英恵、永瀬正敏、樹木希林、平幹二朗、沢田研二、加藤治子、ヤンB・ワウドストラ、渡辺博光、 加藤善博、柴田理恵、青木富夫、小杉亜友美、上野潤、乾朔太郎、田中要次、三原康可、森下能幸、加藤照男、木村慶太、鈴木康介、 藤井かほり、上野昂志、城戸光晴、原田悦嗣、鈴木重男、茂木香、背戸口里絵、成田裕介、阿部能丸、高橋洋、島田元ら。


鈴木清順が1967年に撮った『殺しの烙印』をセルフリメイクした作品。
ただし「殺し屋同士の殺し合いの中で、ナンバー3の主人公がナンバー1に命を狙われる」という骨格と世界観を使っているだけで、内容 は大きく異なる。
『殺しの烙印』の主人公だった花田五郎が「かつてのナンバー1」として登場していることからしても、「あの作品から34年後の物語」と 解釈した方が良さそうだ。
野良猫を江角マキコ、上京を山口小夜子、小夜子を韓英恵、黒い服の男を永瀬正敏、りんを樹木希林、め組を平幹二朗、昼行燈を沢田研二 、お静を加藤治子、外科医をヤンB・ワウドストラ、生活指導の先生を渡辺博光、情報屋の男を加藤善博、女剣劇の役者を柴田理恵、 演劇場で殺される男を青木富夫、ターゲットの女を小杉亜友美、駕籠屋を田中要次、宴会部長を三原康可、幽霊作家を森下能幸、蛇ばらを 加藤照男が演じている。

江角マキコは、このシュールな映像美の世界に全く馴染めていないし、台詞回しがマズい。
女優を本業としていない山口小夜子の方が上手に見えるってのはヤバいでしょ。彼女が野良猫をやった方が良かったんじゃないかと 思える。
ただし配役で言えば、め組(花田五郎)を平幹二朗に演じさせていることの方が問題だ。
なぜオリジナル版で花田を演じた宍戸錠じゃないのか。平幹二朗の芝居は、明らかに宍戸錠の物真似をしているのに。
宍戸錠がオファーを断ったのかなあ。

『殺しの烙印』は、それを見た当時の日活社長・堀久作が「ワケの分からない映画を作るな」と激怒し、鈴木清順との専属契約を打ち切り にした作品だ。
それから1977年に『悲愁物語』を監督するまで、鈴木清順は映画界から干されたわけだ。
その後、1980年に公開された大正浪漫三部作の第1作『ツィゴイネルワイゼン』から鈴木清順ブームが巻き起こり、『殺しの烙印』も カルト映画の傑作として再評価されることになったが、「そりゃ違うだろ」というのが個人的な感想だ。
『殺しの烙印』は、時代が早すぎたからコケたわけじゃなく、堀久作はセンスが無かったから「ワケの分からない映画」と評したわけでは ない。
話はメチャクチャで破綻しまくっており、単純に娯楽映画として失敗作だったのだ。

で、そんな映画をリメイクしているわけだが、しかし失敗作をリメイクすることに関しては、私は全面的に否定しようとは思わない。
失敗作なら改善の余地があるわけで、むしろ傑作と呼ばれる映画の方が、リメイクするのは難しい。
例えば黒澤明の『椿三十郎』なんて、ほとんどケチの付けようが無いぐらいの傑作だから、リメイクする際に手を加える箇所が 見当たらないのだ。
そうなると、「オリジナルを見ればいい」ってことになる。

ただし本作品の場合、鈴木清順のセルフリメイクというのが問題だ。
鈴木清順が『殺しの烙印』を自分でも「出来の悪い映画」と思っているならいいんだが、どうやら本人としては失敗だと思っていなかった ようだ。
だから、オリジナル版と同様に、いや、それ以上に、ワケの分からない映画になってしまった。
脚本は伊藤和典が執筆しているが、たぶん鈴木清順が大幅に手を加えているものと推測される。
伊藤和典が、こんなに娯楽映画として筋の通らないシナリオを書くとは思えないもんなあ。

冒頭、撃たれたジュリーが笑うとタイトルロールになり、EGO-WRAPPIN'の歌が流れてくる。
そのオープニング・クレジットまでは、雰囲気が洒落ているし、観客を引き込む魅力がある。
ただし、「雰囲気だけは何となくカッコイイ」ってのは、日活時代の鈴木清順作品でもあったことだからね。
で、そこから本編に突入していくと、娯楽を忘れた鈴木清順の、シュールな映像美の世界に突入する。

カットとカットの繋がりはメチャクチャで、もはやジャンプ・カットとか、そういうレベルではない。
展開の経緯を省略しているわけではなくて、「何をどう省略しても、そういう状況へ移行することは無理だろ」と言いたくなるような形に なっている箇所が幾つも出てくる。
また、登場人物は平然と瞬間移動するし、あっという間に服を着替える。
野良猫が社長の愛人を狙うシーンなんて、飛び込む彼女を狙撃したはずなのに、そのプールからターゲットと同じ水着で上がって来る。

登場人物のアクションもキテレツで、例えば野良猫は先生を撃つ時、わざわざ後ろを向いたまま、手鏡で位置を確認して撃つ。
外科医と戦うシーンもヘンテコで、ギャグなのか何なのか良く分からない。
アクションシーン以外にも、上京に「(先生のことは)知らなかった」と言われた野良猫が両手を挙げてからガクッと体を折り畳んで
「くそったれ」と吐き捨てるとか、ヘンテコな動きが一杯だ。

「なぜ、そんな展開になるのか」「なぜ、そんな行動を取るのか」「なぜ、そんな言葉を発するのか」「そのシーンは、どういう意味 なのか」「その展開は、どう解釈すればよいのか」などといった疑問や謎だらけだ。
しかし、マトモに理解しよう、読み取ろうとしても無意味である。
それが分かるのは、たぶん監督だけだ。
こういうのをシュールな傑作だとか孤高の芸術だとか言って持ち上げてしまったら、真っ当な娯楽映画を作っている映画人に対して失礼に 当たると思う。

(観賞日:2011年11月24日)

 

*ポンコツ映画愛護協会