『ピンクとグレー』:2016、日本
白木蓮吾は6通の遺書を残し、部屋で首を吊って自殺した。蓮吾に呼び出された河田大貴は部屋に赴き、遺体を見つけて呆然とする。彼はサリーに電話を掛け、蓮吾の死を伝える。「警察に行かなあかんな」という言葉を聞き、サリーは関西弁が出ていることを指摘した。大貴は警察に連絡し、大勢のマスコミが駆け付ける大騒ぎになった。警察署から出て来た大貴はマスコミのフラッシュを浴び、蓮吾との関係性について質問された。
14年前。河田大貴は小学校5年生の時に、関西から埼玉の団地へ引っ越した。親が鈴木家へ挨拶に行った時、大貴は同い年の真吾がいることを知った。しかし親から挨拶するよう促されても、彼は言葉を発しなかった。彼が団地の壁にボールを投げて「しょうもな」と口にしていると、真吾が幼馴染のサリーと共にやって来た。真吾とサリーは「しょうもな」と真似をして、大貴は2人と仲良くなった。真吾が姉である唯のバレエ練習を撮りに行く時、同行した大貴は初めて人間を美しいと感じた。
高校生になった頃、大貴はサリーを意識し、微妙な距離を取るようになった。真吾と大貴はザ・ビートルズのジョンとポールを意識し、バンド活動を始めるようになった。真吾は女子からモテモテで、大貴とは雲泥の差があった。バレンタインの日、大貴は真吾の部屋へ行き、彼が作った英語曲『ファレノプシス』の楽譜を見せてもらった。そこへサリーが来ると、大貴は緊張した。真吾が席を外した時、大貴は衝動的に押し倒した。サリーが必死で抵抗し、戻って来た真吾は冗談だと思って笑った。大貴は慌てて誤魔化すが、サリーはチョコレートを置いて去った。チョコには真吾へのメッセージが添えられており、大貴は彼女の気持ちを知った。メッセージには、サリーが引っ越すことも記されていた。真吾と大貴は、トラックで去るサリーを見送った。
唯が舞台でバレエを踊る日、真吾はカメラを持参して観劇に出掛けた。そんな彼の眼前で、唯は舞台装置の階段から墜落して死亡した。唯の火葬を見守りながら、大貴は真吾に「ファレノプシス」の意味を尋ねた。すると真吾は、ラーメン屋の一蘭についての歌だと答えた。大貴は軽く笑うが、学園祭でのライブは中止しようかと持ち掛ける。唯が死んだ直後なので、そんな状況ではないだろう気を遣ったのだ。しかし真吾は、「やらないなんて無いでしょ」と告げた。
休日に渋谷へ遊びに出掛けた真吾と大貴は、ファッション誌の編集者である赤城に声を掛けられた。赤城はカメラマンの岡村を呼び、2人の写真を撮影させる。モデルの仕事に乗り気な様子の真吾を見て、大貴は意外に感じた。すると真吾は彼に、「やりたいことじゃなくて、やれることをやった方がいいんだよ」と告げた。赤城は彼らを芸能事務所に紹介し、社長の小出水と会わせた。小出水は真吾を有望株だと感じて名刺を差し出すが、受け取ったのは大貴だった。
事務所を後にした真吾と大貴は、偶然にもサリーと再会した。東京へ出た真吾と大貴は、サリーに手伝ってもらってアパートに引っ越した。サリーは美大に進学し、真吾と大貴は読者モデルとエキストラの仕事を始めた。2人は学園ドラマでエキストラの仕事を貰い、生徒役で撮影に赴いた。真吾は主役の俳優にアドリブで絡み、監督から評価された。彼は白木蓮吾という芸名を使い、連続ドラマのレギュラーに抜擢された。大貴は悔しさを押し殺し、バイトの休憩中に河鳥大という芸名を考えた。
真吾は人気俳優へと成長していくが、大貴は全くチャンスに恵まれない日々が続いた。真吾と1シーンだけ絡む警官の役を貰った大貴は、チャンスだと感じて張り切る。しかし本番では緊張でガチガチになり、何度もNGを出した。大貴は小出水に、バーターの仕事は断ることを告げた。小出水は「エキストラの仕事しか無くなるぞ」と言うが、大貴は受け入れた。真吾は大手事務所への移籍を決め、都心に部屋を借りて引っ越すことにした。彼は大貴との同居を続けるつもりで、荷造りしておくよう促した。
大貴が移籍を批判すると、真吾は「同じ事務所にいない方がいいんだよ」と告げる。彼は大貴が自分を意識し過ぎており、本来の力を発揮できていないと感じていた。大貴のような人間の方が大事であり、それを自分で止めているからイライラするのだと彼は語る。大貴は彼の言葉に腹を立て、同居を拒否した。彼はサリーのアパートへ出向き、強引に押し倒した。サリーは嫌がって抵抗するが、大貴が泣き出すと穏やかな態度で受け入れた。
3年後。大貴はサリーのアパートで同棲し、ほぼヒモのような生活を送っていた。真吾の仕事は絶好調で、映画で共演した香凛という女優との熱愛も報じられていた。大貴が高校の同窓会に出席すると、真吾が遅れて現れた。真吾は同級生の拍手に迎えられるが、大貴に気付くと真っ先に声を掛けた。しかし大貴は距離を取り、体調不良と嘘をついて早々に立ち去った。すると真吾から電話が入り、大貴は飲みに誘われた。2人が一緒に飲みに行くと、すぐに以前のような関係が復活した。
真吾は大貴にデュポンのライターを差し出し、「あげるよ。有名になった時、あった方がいいから」と告げる。そこで大貴はキャバクラの百円ライターを渡し、交換だと告げた。真吾は大貴に、「有名になりたい?」と問い掛けた。大貴は全く興味が無いフリをするが、真吾は「代わってあげるよ。明日からすぐ有名になれるよ。その代わりさ、サリーのことは大事にしてやってよ」と告げた。泥酔した大貴が翌朝になって目を覚ますと、真吾のマンションだった。既に真吾は仕事で出掛けており、「約束の件なんだけど、9時にここで待ち合わせしよう」というメモと部屋の鍵が置いてあった。
夜9時になって大貴がマンションへ行くと、真吾が首を吊って死んでいた。部屋には大貴へのメッセージが残されており、6通の中から遺書を選んでほしいと綴られていた。大貴は号泣し、真吾の体にすがり付いた。そこで「カット」という監督の声が掛かり、撮影が止まる。そこまでの物語は全て、映画の撮影シーンだったのだ。真吾を演じていたのは本物の大貴で、大貴を成瀬凌、サリーを三神麗という役者が担当していた。大貴はオールアップとなり、スタッフから拍手と花束で送り出された。
大貴は事務所社長の岡山から、真吾に関する取材の仕事が入っていることを聞かされる。多忙となった大貴だが、その仕事は真吾に関係する内容ばかりだった。真吾が自殺したのは1年前で、大貴は彼の人生を綴った自伝的小説『ピンクとグレー』を出版した。小説は30万部を超えるベストセラーとなり、映画化が決定した。大貴が真吾役を務めることになり、凌&麗と3人でインタビューを受けた。真吾の自殺がきっかけで、大貴は一気に有名スターの座へと登り詰めていた…。監督は行定勲、原作は加藤シゲアキ(『ピンクとグレー』角川文庫)、脚本は蓬莱竜太&行定勲、エグゼクティブプロデューサーは井上伸一郎&長澤修一、製作は堀内大示&豊島雅郎&藤島ジュリーK.、企画は菊池剛、プロデューサーは井上文雄&片山宣&千綿英久&小川真司、ラインプロデューサーは佐藤雅彦、撮影は今井孝博、照明は松本憲人、録音は伊藤裕規、美術は相馬直樹、編集は今井剛、音楽は半野喜弘。
主題歌『Right Now』ASIAN KUNG-FU GENERATION 作詞:後藤正文、作曲:山田貴洋・後藤正文。
出演は中島裕翔、菅田将暉、夏帆、岸井ゆきの、柳楽優弥、小林涼子、千葉哲也、マキタスポーツ、篠原ゆき子、矢柴俊博、宮崎美子、入江甚儀、橋本じゅん、松永玲子、白石和彌、三浦誠己、岡本あずさ、伊藤さとり、滝沢聖波、込江海翔、二階堂梨花、石垣文子、大熊聡美、小山衣美、柴田真梨子、宝栄美希、花澄、内田周作、飯島絢人、蓮尾卓美、三島ゆう、松木大輔、石川なな萌、梶原拓人、忍翔、牛島裕太、菜美、財田ありさ、草田陸、木村竜太、千葉翼、リリーマディソン、船越ミユキ、有元自妃乃、吉田祐希、松葉洋人、杉山拓也、深田綾、永峰絵里加、山崎愛香、向衣琴、あらいまい、貝瀬智、鎌滝秋浩、菜月、柿木理紗、くるみ、水口早香、細川佳央、椎名香織、大野淳基、宮代真行、ぎぃ子、翔平、室谷勇紀、瓜生ちひろ、佐々木志帆、保榮茂愛、保榮祐子、新津ちせ、三坂知絵子、行定勲、ささき三枝、うらたつみ、石川翔ら。
ジャニーズのアイドルグループ「News」の加藤シゲアキの同名デビュー小説を基にした作品。ただし内容は大幅に異なっている。
監督は『つやのよる ある愛に関わった、女たちの物語』『円卓 こっこ、ひと夏のイマジン』の行定勲。
脚本は劇団モダンスイマーズの座付き作家である『ピアノの森』の蓬莱竜太。
大を中島裕翔、凌を菅田将暉、麗を夏帆、サリーを岸井ゆきの、蓮吾を柳楽優弥、劇中劇の唯を小林涼子、小出水をマキタスポーツが演じている。冒頭、黒い衣装の女性1人を白い衣装の女性4人が取り囲み、舞台で踊るという謎の映像が写し出される。その踊りが、遺書を残して自殺する蓮吾の様子とカットバックで描かれる。「謎の映像」と書いたが、少し時間が経過すると、それが唯の舞台公演だと判明する。
で、後になって気付いたんだけど、それって『ブラック・スワン』だよね、たぶん。踊っているバックに羽が飛び散る影が写るし、映画の内容を考えても、『ブラック・スワン』を意識しているよね。
それと、唯が階段を上がって墜落する様子と、蓮吾が椅子に上がって首を吊る様子をカットバックで描くと、ちょっとネタバレみたいになってないか。その2つの出来事に関連性があるってことを、分かりやすく示していることにならないか。
分かりやすいことが悪いわけじゃないけど、そこの関係性は隠したまま引っ張った方が良くないか。映画の前半は、陳腐で安っぽい青春ドラマが描かれるだけだ。人物描写もエピソードの内容も、何もかもが類型的だと、どうしようもなく薄っぺらい。
ベタが悪いとは言わないが、それを上質で魅力的に膨らませたり、飾り付けたりするための作業が足りていない。だから、使い古されたようなドラマ、ありきたりの物語になっている。
尺の問題もあるのだろうが、1つ1つのエピソードを丁寧に描く、人物を深く掘り下げるということも、まるで出来ていない。
だから空虚さに満ち溢れた物語となっている。そんな退屈を誘うだけの時間が続き、オープニングで描かれた蓮吾の首吊りシーンに戻る。すると、この映画に盛り込まれた仕掛けが作動する。監督の「カット」という声が掛かり、「全ては映画の撮影だった」ということが明らかにされる。
そこに驚きや意外性があるかと問われたら、「イエス」と答える。
しかし、それが面白いのかと問われたら、食い気味で「ノー」と言いたくなる。
全てが劇中劇だったと明かされた時、最初に感じるのは「だから何なのか」ってことなのだ。その仕掛けによって、映画に何の効果、どんな面白さをもたらそうとしているのか、それがサッパリ分からない。
何らかの目的を達成するための手段ではなく、その仕掛け自体が目的と化しているようにしか思えないのだ。
その仕掛けが訪れることによって、そこまでのドラマが安っぽく作られていることの説明は付く。「現実がどうであろうと、所詮はチープな映画にしかならないのだ」という皮肉めいたことを示そうとしているんだろうと推測できる。
ただ、その一発の仕掛けのためだけに、1時間以上も退屈すぎる時間を強いられたのかと思うと、対費用効果が悪すぎるだろうと。前述した「カット」の声と共に、それまでフルカラーで描かれていた映像はグレーに染められる。それ以降のシーンは、ずっとグレーで描かれる。
つまり、劇中劇のシーンはカラーで、現実のシーンはグレーという色分けになっているのだ。
普通に考えれば、現実の方がカラー、劇中劇がグレーになるはずだ。そこが逆になっているってことは、劇中劇の方が現実よりも美しく輝いているってことだ。実際、現実のシーンに入ると、芸能界の醜い部分を描く展開になる。
だから仕掛けとしては理解できるが、問題は「そこで描かれる芸能界の醜さがヌルすぎる」ってことだ。映画の撮影を終えた成瀬凌は、大貴に「実際は、そんな綺麗な話じゃないでしょ?あんなに綺麗な風に描かれてもね」と言う。
しかし、この作品で「現実」として描かれるシーンの方が、よっぽど綺麗事だとしか思えない。
本来であれば、そこは「実際に、芸能界はそんな風に乱れたり腐ったりしている。そういう醜い状態が蔓延している」と観客が感じるような内容じゃなきゃダメなはずだ。そうでなければ、わざわざ劇中劇を「実際の物語」のように描いた仕掛けが死んでしまう。
それなのに、そこにリアルな肌触りが感じられず、まるで絵空事のようになっているから、全てが台無しになっている。大貴が主演を務める作品は、ザックリ言っちゃうと「白木蓮吾の自殺」というスキャンダラスな事件に便乗したエクスプロイテーション映画だ。そんなことで有名になった大貴の人気が長く続くとは、到底思えない。
しかし大貴は何も努力していないくせに、蓮吾に関連した仕事をやりたくないと言い出す。
凌の「ほっといても消える」という批評は正しくて、そんな彼を殴って病院送りにする大貴に同情の余地など無い。っていうか、たぶん彼の苦悩や葛藤に共感したり同情したりすべきなんだろうが、そういう気持ちが全く湧かない。
皮肉なことに、劇中劇から現実シーンに入ったことで、大貴のヌルさや浅さが強くなってしまう。終盤に入ると、唯が事故ではなく自殺だったこと、蓮吾と彼女が異性として惹かれ合っていたこと、蓮吾が姉を追うため同じ日に自殺すると決めていたことが明らかにされる。
そういう謎解きが用意されているのだが、「で?」と言いたくなる。
それと「芸能界の醜さ」は、何も関係が無い。また、その真実を知ったからって、「だから大貴が芸能界で頑張ろうと決意する」というトコへ繋がるわけでもない。
大貴は「全然分からへんわ、お前のこと」と吐露するが、私には本作品が何を描こうとしているのか全然分からへんわ。(観賞日:2017年10月22日)