『ピカレスク 人間失格』:2002、日本

昭和23年6月19日、東京・三鷹の玉川上水で、流行作家・太宰治と山口冨美栄の情死体が上がった。赤い腰紐で冨美栄と結ばれた太宰の顔は、端正と言っていいほど穏やかだった。奇しくも、その日は太宰の39歳の誕生日であった。
昭和5年7月、まだ太宰治になる前の津島修治は、井伏鱒二の元を訪れていた。津軽地方の資産家の息子である彼は帝大に通っていたが、今のままでは卒業できそうになく、実家からの仕送りを止められるかもしれなかった。大学は腰掛けでしかなく、文士になることだけを目指す津島は、出版社の紹介を井伏に頼んだ。
津島は足抜けさせた青森の芸妓・戸山初枝と一緒に暮らす約束をしながら、その話を先延ばしにしていた。そんな頃、彼は銀座のカフェの女給・田辺なつみと出会った。なつみには役者志望だった夫がいたが、彼は意欲を失っていた。津島は一緒に死なないかとなつみを誘い、鎌倉の七里ヶ浜で心中を図るが、死んだのは彼女だけだった。
津島は初枝との同棲生活を開始し、実家からの仕送りを続けてもらうために共産党と縁を切った。やがて彼は太宰治の名で小説を書き始め、山岸外史、檀一雄、中原中也と共に同人誌『青い花』を創刊した。だが、太宰は中原と険悪な関係になった。
太宰は大学の卒業も就職も難しく、首吊り自殺を図るが未遂に終わった。盲腸炎を患った太宰だが、狙っていた第1回芥川賞の候補に挙がるという喜ばしいニュースを知った。だが、残念ながら芥川賞を獲得することは出来なかった。太宰は第2回に向けて、佐藤春夫に芥川賞が欲しいと懇願する手紙を出すが、やはり獲得できなかった。
第3回芥川賞でも落選した太宰は、強引に精神病院に入れられてしまった。退院した太宰は、親戚の木館善次郎と初枝が浮気をしたことを知らされた。太宰は初枝との心中を図るが、失敗に終わった。結局、太宰は初枝と離別することになった。
昭和13年9月、太宰は井伏の紹介で、教師の西原佐知子と見合いをし、結婚した。昭和16年6月、太宰は大田静から手紙を受け取り、付き合い始めた。昭和22年3月、太宰は美容院に務める未亡人の山口冨美栄と出会い、同棲生活を送るようになった…。

監督は伊藤秀裕、原作は猪瀬直樹、脚本は山田耕大、製作は北側雅司、企画は中島仁&内田ゆき、プロデューサーは小野誠一&佐藤敏宏、企画協力は川崎隆、撮影は安藤庄平、編集は矢船陽介、録音は沼田和夫、照明は松井博、美術は山ア輝、音楽は大島ミチル、主題歌&サウンドプロデュースは河村隆一。
主演は河村隆一、共演はとよた真帆、裕木奈江、さとう珠緒、緒川たまき、朱門みず穂、佐野史郎、天宮良、曽根英樹、岸田修治、山中聡、大杉漣、小島可奈子、野田よし子、梓陽子、谷本一、石山雄大、黒沼弘己、中山弟吾朗、大浦龍宇一、猪瀬直樹、田口トモロヲ、小瀬川理太、中村隆天、武田秀臣、宮前利成、松田賢二、鷲生功、相澤一成、山本修、野口雅弘、佐々木和也、坪内孝裕、川屋せっちん、三浦景虎、森羅万象、棚橋ナッツ、伊藤努ら。


猪瀬直樹の『ピカレスク/太宰治伝』を基に、作家・太宰治の半生を描いた作品。
太宰を河村隆一、冨美栄をとよた真帆、佐知子を裕木奈江、初枝をさとう珠緒、静を緒川たまき、なつみを朱門みず穂、井伏を佐野史郎が演じている。

実際に太宰と関係があった女性の名前は、出会った順に並べると、小山初枝、田部あつみ、石原美知子、太田静子、山崎冨栄。
劇中で登場する役名とは、微妙に違う。
承諾が得られなかったとか、何か問題でもあったんだろうか。そういう事情でもなければ、それ以外の人物は実際の名前なのだし、そこを仮名にする意味が無い。

原作は、今までのイメージとは違った太宰治を描き出した作品という評価らしい。今までの太宰というのは、破滅的で死を追い求めたという男。それに対して、原作は作家としてしたたかに生き抜こうとする太宰治を描いているらしい。私は未読だが。
その原作通りの太宰治が、この映画でも描かれているとするならば、なるほど、破滅的ではなく狡猾に生きようとする男という部分では、今までの太宰とは違うのだろう。ただ、どっちにしろ、大まかな所での太宰治のイメージというのは、不変のようだ。

この映画の太宰は、ステータスを得たいという欲望に執着した、矮小で薄っぺらい人間だ。死を売り物にして、名を上げたり作品を売ったりしようとする狡猾な男だ。何かあったら心中未遂、困ったら自殺未遂。決して責任は取らない。
太宰は自分だけ大好きなナルシストで、その心が本当に女性に向けられることは一度も無い。カッコ良くありたいという妄想に、女を巻き添えにしただけの男だ。だが、太宰は自分が思っているほど、利口ではなかった。破滅的だから死んだのではない。愚か者だから死んだのだ。本当は、唾棄すべきクソ男に過ぎないのだ。
本当は、太宰にはカッコ良さなんて全く無い。単なるダメ人間だ(作家としての才能は除くとして)。だが、太宰は愛すべきダメ人間として描かれるのではなく、あくまでもカッコイイ男として描かれる。結局、太宰がカッコ良く描かれることに変わりは無いのだ。

この映画、どうやら巷での評判はかなり高いらしい。私には、サッパリ分からない。太宰のナレーションが入るかと思えば、途中で初枝のナレーションも入り、やがて佐知子や静、冨美栄のナレーションも入る。様々な女性の視点から太宰を描くという意図なのかもしれないが、単純に視点が定まっておらず、フラフラしているだけにしか思えない。
展開は、ただ事実(もちろんフィクションとしての事実だが)を追い掛けているだけ。なぜそうなるのか、どう思ったからそういう行動を取るのかという心理描写は追い掛けない。これは、役者の演技力が云々という以前に、シナリオや演出が、そうなっている。

河村隆一は、芝居には稚拙さがあるが、ナチュラルにナルシストを演じられるという意味ではハマリ役だったようだ。だが、彼がハマっているという以外、特に何も見当たらない。ダメ人間をカッコ良く描いた(描いてしまった)だけの、退屈なブンゲイ映画にしか思えない。しかし巷の評価が高いということは、ブンゲイ映画ってのは、そういうものなんだろう。

 

*ポンコツ映画愛護協会