『パコと魔法の絵本』:2008、日本

青年・浩二が暮らす屋敷を、堀米という老人が訪れた。事前に連絡を受けていた浩二は、彼を招き入れる。堀米は浩二の両親と、ほんの 一時期だが仲良くさせてもらっていたという。屋敷には大勢の人々が眠っていた。仲間が仲間を呼んで、浩二にも誰だか分からないらしい 。両親が勝手に郊外に引っ越して、一人では広すぎるので、1階は浩二を人に貸しているのだという。
浩二は仏壇を開けた。そこにある遺影は、彼の父の叔父・大貫の写真だ。それを見た堀米が落書きをしようとしたので、慌てて浩二は制止 した。堀米は「この顔を見たらムカムカしてきた」と言い、「『お前が私を知ってるってだけで腹が立つ』というのが、この人の口癖 でした」と告げる。堀米の目的は、仏壇に置かれている『ガマ王子VSザリガニ魔人』という絵本だった。「この本さえ無けりゃ、この人の 望み通り、みんな、この人を別れられたのに」と漏らすと、堀米は勝手に昔の話を語り始めた。
それは、とある病院で起きた物語だ。その病院には、変な患者ばかりが入院していた。薬物依存症の室町は、子供の頃は人気の子役俳優 だったが、成長するに従って次第に忘れ去られた。彼は子役時代の自分の幻覚に怯え、何度も自殺を図ろうとする。消防士の滝田は、 消防車にひかれて怪我を負った。ヤクザの龍門寺は、銃の暴発で負傷した。オカマの木之元は、とっくに怪我は治っているのに、賠償金を 吊り上げるために入院を延ばしている。
一代で財を築いた大会社の会長・大貫は、心臓の病で入院していた。彼は横暴で傲慢な男で、他の患者が彼の名前を口にすると、「お前が 私を知ってるってだけで腹が立つ」と怒鳴った。入院の理由が良く分からない神出鬼没の患者・堀米は、大貫をおちょくって楽しんでいる 。ヤンキー看護師のタマ子は、いつも荒っぽい口調だが、室町を心配している。医者の浅野は、サマークリスマスの芝居でピーター・パン を演じたがっており、そのコスプレで登場する。
看護師の雅美は、大貫の甥・浩一の妻だ。勝手に抜け出して高級ホテルで宿泊した大貫は、雅美に請求書を押し付けた。雅美は怒りを心に 隠し、引きつった愛想笑いを浮かべた。大貫は「お前のバカ旦那のせいで、こんなゴミ溜めみたいな場所に入院させられてる」と悪態を ついた。そこへ、大貫の会社で働く浩一がやって来た。雅美は浩一を別の部屋に連れて行き、「あのジジイ、下手に出てりゃ」と怒りを ぶちまける。「浩一が社長になるまでは」と、雅美は我慢しているのだ。
中庭のベンチに座っていた大貫は、入院患者の少女パコが来ると、座るのを邪魔した。パコが膝に座ると、彼は突き飛ばした。それでも パコは微笑んで地べたに座り、声を出して『ガマ王子VSザリガニ魔人』を読み始めた。大貫は「続きを読んでやろう」と言い、途中から パコに絵本を読み聞かせた。最後まで読んで中庭を去る時、彼は純金のライターを忘れていった。
翌日、大貫は無くしたライターを探して、花壇の花を荒らしていた。そこに浩一が現れ、会社の売り上げを報告しようとする。「私が不在 でどれだけ落ちた?」と不遜な態度を見せる大貫に、浩一は「会社の売り上げは5パーセントアップした。だから常務も、叔父さんには 心配せずにゆっくり休んで欲しいと言ってる」と告げる。大貫は「私など要らんと言うのか。あの会社は私が一人で作ったんだ」と激怒し 、花壇をメチャクチャにした。
またベンチに赴いた大貫は、そこに現れたパコを突き飛ばした。大貫が昨日のことを喋ると、パコは笑って「おじさんのこと知らないよ」 と言う。大貫は「いいかげんにしろ」と怒鳴った。パコがライターを持っていたので、大貫は頬を殴り付けて泣かせた。大貫は、パコの 病気のことを知らなかった。パコは両親と車に乗っている時、トラックとぶつかって崖下に転落した。両親は死亡し、奇跡的に助かった パコは記憶障害となった。彼女は記憶が1日しか持続せず、だから大貫のことも全く覚えていなかったのだ。
翌日、病気のことを浅野から知らされた大貫がロビーのベンチに座っていると、そこにパコが現れて絵本を読み始めた。大貫が「そんな本 、つまらん。もっと面白い本を買ってやるから捨てろ」と言うと、パコは「ダメだよ、ほら」と言い、絵本の最後のページを見せた。そこ には、「おたんじょうび おめでとう ママより」という文字が書かれてあった。パコは「今日、7歳の誕生日なの。私が眠っている内に ママが来たんだわ。会いたかったなあ」と微笑んだ。
大貫がパコの頬にそっと触れると、彼女は「昨日もパコのほっぺに触ったよね?」と言う。昨日の記憶など無いはずのパコが、大貫のこと を覚えていた。パコが去った後、大貫は浅野の前で「パコのために何か……いや、出来ない」と涙ぐむ。浅野は「パコのために何かして あげたいんですね。何かあるはずです」と告げる。大貫は号泣し、「涙ってのは、どうやったら止まるんだ」と訊く。浅野は「簡単です。 いっぱい泣けば止まります」と教えた。
翌日から、大貫は毎日、パコの頬に触れ、絵本を読んであげるようになった。毎朝、パコは「今日、お誕生日なんだよ」と浅野や患者たち に嬉しそうな表情で言う。浅野たちは、いつも「おめでとう」と言ってあげる。ある日、大貫は絵本を読んでいる最中に発作を起こして 苦しんだ。パコは「明日でいいよ」と心配するが、大貫は「最後までちゃんと読みたいんだ」と起き上がった。
大貫は浅野に、「ただ私は、明日もあの子の心の中にいたい」と漏らした。彼は、あることを思い付き、浅野に提案した。翌日、2人は 患者とスタッフ全員を集めた。大貫は「サマークリスマスで、この劇をやりたいんだ」と言い、『ガマ王子VSザリガニ魔人』の台本を 配った。パコを除く全員が出演者となっていた。それはパコだけに見せるための舞台劇なのだ。
ガマ王子の役を貰った滝田は意欲を見せたが、龍門寺は大反対し、他の面々も戸惑いを隠せない。大貫は「みんなが私を嫌っていることは 分かるが、この劇だけは」と頼むが、室町は「ふざけんな、何が芝居だ」と喚き散らした。タマ子は「やれよ、俳優だろ」と彼を叱責し、 中庭でパコに絵本を読んでいる大貫の姿を見せた。彼女は室町に、「信じてんだよ、あのジジイは。ぜんぶ忘れちまうあの子の心に、 それでもなん残るんじゃないかって」と告げた…。

監督は中島哲也、原作は後藤ひろひと、脚本は中島哲也&門間宣裕、製作は橋荘一郎&安永義郎&島谷能成、プロデューサーは鈴木一巳& 松本整&鈴木ゆたか&甘木モリオ&石田雄治、撮影は阿藤正一、Bカメラ撮影は尾澤篤史、編集は小池義幸、録音は福田伸、照明は高倉進 、美術は桑島十和子、ヴィジュアルエフェクツスーパーバイザーは柳川瀬雅英、ヴィジュアルエフェクツプロデューサーは土屋真治、 CGディレクターは増尾隆幸、CGプロデューサーは増尾隆幸、音楽はガブリエル・ロベルト、音楽プロデューサーは金橋豊彦、主題歌は 木村カエラ『memories』。
出演は役所広司、アヤカ・ウィルソン、上川隆也、國村隼、妻夫木聡、土屋アンナ、阿部サダヲ、加瀬亮、小池栄子、劇団ひとり、 山内圭哉、貫地谷しほり、彦摩呂、後藤ひろひと、林家ペー、林家パー子、ゆうたろう、松本さゆき、デヴィ・スカルノ、クリスチャン・ ラッセン、木村カエラ、サキタハヂメ他。


2004年に初演されたG2プロデュースの舞台劇『MIDSUMMER CAROL ガマ王子vsザリガニ魔人』を基にした作品。
監督は『下妻物語』『嫌われ松子の一生』の中島哲也。
大貫を役所広司、パコをアヤカ・ウィルソン、浅野を上川隆也、木之元を國村隼、室町を妻夫木聡、
タマ子を土屋アンナ、堀米を阿部サダヲ、浩一を加瀬亮、雅美を小池栄子、滝田を劇団ひとり、龍門寺を山内圭哉が演じている。
山内圭哉は舞台版にも出演しており、その時と同じ役を演じている。

他にも様々な面々がカメオ出演しており、堀米の妄想シーンでは貫地谷しほりが女子高生と女子社員役で登場。
ザリガニ魔人の口からは彦摩呂の顔が飛び出し、冒頭の屋敷の壁に飾られた写真の中には林家ペー&パー子、ゆうたろう、デヴィ・ スカルノといった面々が写っており、木村カエラは包帯バンドのボーカルとして歌う。
原作者の後藤“大王”ひろひとも、オープニングで『ライオン・キング』もどきのハワイアン・ダンサーズを率いて顔を見せて いる。

勢いで巻き込もうとしたのかもしれないが、映画の導入部分でガチャガチャしすぎている感じがする。
あと、大貫はパコが読み始めた『ガマ王子VSザリガニ魔人』の話を聞いて「なんだ、その話」と呆れていたのに、なぜ「続きを読んで やろう」と言い出したのだろうか。
てっきり「読んでやると見せ掛けて意地悪をする」という展開なのかと思ったら、ホントに読んでやるのね。
そこだけ急に親切になっている。
「昨日もパコに触ったよね?」と言われて心を打たれるのは分かるんだけど、その前のトコロが問題。

カラフルで派手なセットや特殊効果によって、最初からファンタジックな世界観を作り出している。
浅野が光の粉を撒くとか、堀米の妄想を映像として挿入するとか、パコが池から飛び出すCGのガマ王子を目撃するとか、もう映像に 凝りまくって、非現実的な世界観を作りすぎちゃっている。
そのため、後半の劇中劇のファタンジックな印象が弱くなってしまう。
劇中劇に入ったことでファンタジックな光景が広がるのではなく、それより遥か以前から幻想的だからだ。

どれだけ劇中劇でヘンテコな格好をしてヘンテコな役柄を演じようとも、もはや、それが特異なモノではなく、当たり前のモノとして 見えてしまう。
本当は、劇中劇がもっと「ファンタジーの世界」として、グラマラスに見えなきゃいけないんじゃないのかな。
そこに入るまでは、「変な患者と変なスタッフばかり揃っている」というだけで充分だと思うんだけどなあ。
あまりにも現実との接点を無くしているのは、マイナスとしか感じないんだよな。
中島監督の映像に凝りたがる持ち味が、完全に裏目に出ている。

あまりに映像面で凝りすぎたせいで、大貫の「一人で頑張ってきたために、傲慢で荒っぽいジジイになってしまった」というキャラ造形 でさえも、フワフワした感じで伝わってきてしまう。
浅野の「簡単です。いっぱい泣けば止まります」というのは心に響く名台詞になっているべきだと思うんだが、そうならないのは、大貫の キャラにリアルな手触り感覚が全く無いからだ。
幾ら奇妙な奴らばかりが揃っていても、そこは「遠い場所の絵空事」では困るのだ。
タマ子が室町に自分の身の上話をする場面も、そこは本当は現実的な話なのに、あまりにも映像に凝ってファンタジックに作りすぎたせい で、心に響くモノが弱くなる。

劇中劇の途中で、演じている面々がCGアニメのキャラクターに何度も変身するという演出があるが、これは大きなマイナスだ。
そこまでの内容と劇中劇の差別化を図ったのかもしれないが、そこは「病院の大人たちが、おバカな格好で児童劇を真剣にやっている」と いうことに大きな意味があるわけで。
それをCGキャラに変換しちゃったら、全て台無しになってしまう。

ガマ王子に扮した大貫がパコの手を取ってザリガニ魔人を倒しに行くシーンも、それは大貫だから高揚感が湧くのであって、すぐに CGキャラへと変身したら意味が無い。
そこはガマ王子である以前に、大貫じゃないと絶対にいけないはずでしょ。大貫が今までの自分とガマ王子を重ね合わせていることに意味 があるんだから。
本当に監督は、この話の芯となる部分を分かっているのかと。
理解した上で、それよりも映像に凝りたいという意識を優先したのだとすれば、もっとマズいし。

(観賞日:2010年3月29日)


第5回(2008年度)蛇いちご賞

・男優賞:役所広司
<*『パコと魔法の絵本』『トウキョウソナタ』の2作での受賞>

 

*ポンコツ映画愛護協会