『パッチギ! LOVE&PEACE』:2007、日本

1974年、東京。列車に乗り込んで来た国土舘応援団の団長・近藤と団員は、朝鮮高校生に喧嘩を仕掛けた。車内では激しい乱闘が展開し、 朝高生のヨンギは痛め付けられた。その列車が到着した駅のホームでは、アンソンとサンダル工場を営む叔父ビョンチャンがいた。息子 ヨンギが血まみれになっている姿を見つけたビョンチャンは朝高生に加勢し、ヨンギも反撃に出た。
アンソンは高校時代の因縁の相手・近藤に喧嘩を仕掛けられ、タイマンで戦う。運転士の佐藤政之は止めに入るが、近藤に殴られた。カッ となった佐藤は近藤を蹴り付け、失神させてしまった。枝川(現在の東京都江東区)のホルモン屋では、アンソンの妹・キョンジャが 働いている。彼女は、客として来ていた芸能事務所ライトエージェンシーの名刺を渡され、スカウトされた。アンソンは佐藤をホルモン屋 へ連れて行き、キョンジャを紹介した。
アンソンとキョンジャ、2人の母、そしてアンソンの幼い息子・チャンスは、ビョンチャンの家で暮らしている。アンソンは妻を白血病で 亡くしており、チャンスは筋ジストロフィーを患っている。チャンスの病気を治すために、一家は京都から東京へ引っ越してきたのだ。 キョンジャが名刺の住所を訪れると、ライトエージェンシーは小さな事務所だった。社長はキョンジャに、「芸能界でやって行くなら、 本名や出生は黙っていた方がいい。プロフィールはこっちで作る」と告げた。
佐藤はサンダル工場を訪れ、国鉄をクビになったことをアンソンに話した。佐藤はビョンチャンや枝川の在日グループとも親しくなり、 一緒に砂浜へ出掛けた。岩手出身の佐藤は故郷のことをからかわれ、「ウチは農家ではなく、住み込みのメイドもいる金持ちだ」と告げた。 キョンジャは皆に、芸能界を目指すことを打ち明けた。佐藤は拍手するが、アンソンは不機嫌な表情になった。1944年4月、済州島で徴兵 されたアンソンの父ジンソンは、ビョンチャンや仲間と共に逃亡した。
キョンジャは青山涼子という芸名を貰い、オールスター水中運動会に参加する。騎馬戦ではスタッフの敗北指令を無視し、人気アイドル・ なおみをプールに突き落とした。ゲストで来ていた俳優の野村は、彼女に関心を示した。収録の後、プロデューサーの南から言い寄られた キョンジャは、金的を蹴り上げた。そこへ野村が現れ、キョンジャをドライブに誘い出した。別の日、野村は彼女を馴染みの店へ連れて いく。キョンジャは自分が在日だと明かすが、野村は「何も変わらない」と気にしない様子を見せた。
1975年、浅草。アンソン、キョンジャ、佐藤、チャンスは映画を見に出掛けた。その帰り、チャンスが急に痛みを訴えて倒れ、アンソンたち は病院に運び込む。アンソンは医師から、チャンスが最悪の場合は20歳まで生きられないかもしれないと宣告された。医師は、チャンスの 筋肉を採取し、アメリカに送って調べてもらうことを勧めた。アメリカでは筋ジストロフィーの研究が進んでおり、新薬も開発されている という。ただし治療を受けるためには、莫大な費用が必要となる。
佐藤が自宅にいると、母親から電話が掛かって来た。佐藤は「顔も忘れた。今さら、なぜ掛けてくるのか」と怒鳴り、電話を切った。 キョンジャは大作映画『太平洋のサムライ』のヒロインを決めるオーディションに参加した。オーディションの後、彼女はプロデューサー の三浦に呼ばれ、「ヒロインのイメージにピッタリだが、在日朝鮮人なので起用できない」と告げられた。
アンソンは金を稼ぐため、韓国のヤクザに金塊を引き渡す仕事に手を出すことにした。彼は故買屋の女店主を訪ね、金塊を受け取った。 女店主は、かつてジンソンの世話になっていた。1944年5月、ジンソンたちは西太平洋ヤップ島にいた。彼らは、日本兵が現地の子供たちに 天皇陛下への忠誠を誓わせる様子を目撃した。佐藤はアンソンに、実家が金持ちなのは嘘で、本当は孤児院育ちだと明かした。父はおらず 、母は彼が赤ん坊の頃に蒸発していた。佐藤は、「自分が金持ちなら、幾らでも金を融通できるのに」と嘆いた。
キョンジャは社長から、三浦が東京プリンスに部屋を取っていて会いたがっていることを聞かされた。それは、つまり彼がキョンジャの体 を求めているという意味だ。キョンジャはテレビの人気時代劇『水戸黄門』に町娘役で出演し、レギュラー出演者・お志摩と知り合った。 彼女は、自分も在日であることをキョンジャに打ち明けた。キョンジャが「どうして芸能界では在日を隠さないといけないのか」と質問 すると、彼女は「前例が無いし、CMの仕事はまず来ない」などと語った。
アンソンと佐藤はイカ釣り船に乗り、海上に出て金塊の闇取引を行った。無事に取引を終えて陸に戻った彼らは、スナックで飲んだ。 イカ釣り船の船長は、客として来ていたバレンチノのネクタイの男と、ほろ酔い気分で話した。キョンジャはなおみからの電話で、彼女と 野村の関係を匂わされた。キョンジャは野村の元を訪れ、なおみとの関係を尋ねた。野村は、半年前まで交際していたことを説明するが、 「今は君だけだ」と告げた。
キョンジャは野村に抱かれ、「家族に会ってほしい」と持ち掛けた。すると野村は戸惑った様子を示し、「婚約したわけじゃないんだから」 と拒否した。そして「親だって韓国人との結婚なんて許すはずがないだろ」と告げ、呆れたように溜め息をついた。「人間の種類が違う」 と野村に冷たく言われたキョンジャは、涙を流して部屋を去った。彼女は三浦の部屋に行き、体を許した。
キョンジャは『太平洋のサムライ』のヒロインに抜擢され、製作発表の記者会見に出席した。アンソンと佐藤は再び金塊の闇取引で出航 しようとするが、そこにバレンチノのネクタイの男が現れた。彼は刑事で、イカ釣り船の船長が密告したのだ。佐藤は体を張って刑事を 引き止め、アンソンを逃がした。撮影に入ったキョンジャは、ヒロインが出撃する主人公に告げる「お国のために心置きなく戦われます よう、お祈りいたします」というセリフに疑問を抱いて抗議するが、軽く受け流された。
拘置された佐藤の元には、母が佐藤の妹を連れて面会に訪れた。そっけない態度を見せる妹の隣で、母は「申し訳ありませんでした」と 頭を下げて泣いた。妹は佐藤に全く感心を示さず、母を連れて立ち去った。そんな2人の後ろ姿を見ながら、佐藤は泣き崩れた。アンソン はチャンスが助からないことを医師から宣告され、病院で荒れ狂った。アンソンから「もう無理しなくていい」と言われたキョンジャは、 「なんで朝鮮人に生まれたん。朝鮮人になんか生まれたくなかった」と号泣した…。

監督は井筒和幸、脚本は羽原大介&井筒和幸、プロデューサーは祷映、製作は李鳳宇&河合洋&キム・ウテク&西垣慎一郎&川崎代治&千葉龍平&冨木田道臣、 エグゼクティブプロデューサーは李鳳宇、撮影監督は山本英夫、編集は冨田伸子、録音は白取貢、照明は小野晃、美術は山下修侍、 ガンエフェクトはビル横山、擬斗は秋永政之&佐藤幹、音楽は加藤和彦。
出演は井坂俊哉、中村ゆり、西島秀俊、藤井隆、風間杜夫、キムラ緑子、手塚理美、キム・ウンス、今井悠貴、米倉斉加年、馬渕晴子、 村田雄浩、ラサール石井、杉本哲太、麿赤兒、でんでん、寺島進、国生さゆり、田口浩正、すほうれいこ、宮川大輔、山本浩司、 松尾貴史、清水優、桐谷健太、粟野史浩、土平ドンペイ、田中要次、徳山昌守、浜田学、菅原大吉、堀江慶、長原成樹、田中哲司、 日向丈、愛染恭子、木下ほうか、金田敦、並樹史朗、竹下明子、鎌田愛、吉田千晃、久ヶ沢徹、川村亜紀、松永京子、ソン・チャンウィ、 ちすん、パク・ソヒ、新屋英子、中村有志、温水洋一、木村祐一ら。


2004年に公開された『パッチギ!』の続編。
ただしキャストは一新されている。アンソンとキョンジャは前作の登場人物だが、演じる役者が違う。
キョンジャ役は前作の沢尻エリカにオファーを断られ、中村ゆりが抜擢された。アンソン役も高岡蒼佑から井坂俊哉に交代。
兄妹の母親を演じるキムラ緑子と、近藤役の桐谷健太だけが、同じ役で続投している(長原成樹、木下ほうか、土平ドンペイは、前作と 異なる役で再登場している)。
野村を西島秀俊、佐藤を藤井隆、ビョンチャンを風間杜夫、ビョンチャンの妻を手塚理美、チャンスを今井悠貴、枝川の長老を米倉斉加年、 ホルモン屋のおばさんを馬渕晴子、三浦をラサール石井、『太平洋のサムライ』の監督を杉本哲太、ライトエージェンシー社長をでんでん、 イカ釣り船の船長を寺島進、お志摩を国生さゆり、南を田口浩正、なおみをすほうれいこ、松井を山本浩司、ヨンギを清水優、佐藤の 先輩運転士を田中要次が演じている。

前作の主人公である松山康介のことに、アンソンもキョンジャも全く触れないってのは、ちょっとヒドすぎやしないか。
様々な障害を乗り越えて、ようやくキョンジャと恋仲になれた男だぜ。少しぐらい、触れてあげてもいいのに。
そういう作業さえやらないのなら、もうアンソンもキョンジャも登場させず、全く別のキャラだけで続編を作れよ。
っていうか、出演を拒否されたのはエリカ様だけなんでしょ。だったら、松山やアンソンは前作と同じ配役で登場させ、キョンジャを排除 して続編を作る手もあったぞ。

井筒監督は、かつてヒット映画『のど自慢』の脇役を使って、姉妹編『ビッグ・ショー! ハワイに唄えば』というヒドい駄作を作る 大失敗をやらかしている。
なのに、そこから何も学ばなかったようだ。
もう続編は撮らない方が賢明なのではないか。
まず、キャスト一新なのに、前作のアンソンやキョンジャというキャラクターを別人に演じさせて続編としている時点で、大きなマイナス になる。
それを取り戻すには、相当の中身が必要だ。
でも中身を見ると、もっとマイナスが増えていく。

そもそも舞台を東京に変えたことからして疑問なのだが、様々な要素を盛り込みすぎて、完全に破綻している。
その結果、エピソードの大半が「様々な場所で朝鮮人は日本人の差別や迫害を受けてきた」ということをアピールするためのモノになって いる。
物語の中で差別へのメッセージが滲み出てくるのではなく、まず主張ありきのような状態になっているのだ。
で、声高に差別を糾弾するメッセージを訴えようとするあまり、色んなトコで不恰好になったり、無理を通したりしている。

アンソンの父ジンソンの物語が挿入される箇所が、何度かある。それは、アンソンが回想しているような形になっている。
しかし、その回想の中にアンソンは不在なのだから、それは不自然だ。
例えばアンソンが父の日記や手紙を読んで、それでジンソンの物語に入るという形なら理解は出来る。
だが、そこに入るきっかけのようなモノが見当たらない。
それに、ジンソンの物語が、アンソンやキョンジャの現在の物語と、何の関係があるのかと首をかしげてしまう。まるで絡み合って いないのだ。見事にプロパガンダのためだけのエピソードになっているのだ。

キョンジャの物語にしても、引っ掛かる箇所が幾つかある。
三浦に肉弾接待を要求されるのは、在日じゃなくても、あるケースだろう。それを「様々な在日差別」の流れの中で描くってのは、偏りが 過ぎる。
もしも在日問題とは別に、芸能界の腐敗も描こうという意図で、そういうエピソードを持ち込んでいるのであれば、それはそれで散漫に なりすぎて捌き切れていない。
キョンジャが家族に会うことを求めて野村が嫌がるが、「在日じゃなくても、そんなに早い段階で家族との面会を要求されたら敬遠しても おかしくないぞ」と思ってしまう。それに野村のキャラを考えたら(こいつは最初からナンパなスケコマシにしか見えない)、キョンジャ が在日じゃなくても、結婚を断られていた可能性が高そうだぞ。
差別する側をステレオタイプの悪人にしたことで、差別描写に違和感が生じたり、陳腐になったりしているのだ。
そこを在日差別のアピール・ポイントにしたいのであれば、むしろ野村はプレイボーイ的なイメージじゃなくて、誠実で優しい奴にして おくべきだろう(行き付けの店で「在日でも関係無いぜ」的なことを言うシーンはあるが、それは彼の誠実さのアピールになっていない) 。
そして、そんな誠実な男が、在日と聞いた途端に敬遠する素振りを示すという形にしておいた方がいいのではないか。

キョンジャが「なんで朝鮮人に生まれたん。朝鮮人になんか生まれたくなかった」と号泣するシーンがあるが、ただワケが分からないだけ 。
だって、そこへの流れは、まずアンソンが「チャンスは助からない」と宣告された悲しさをキョンジャの前で吐露し、「お前も、もう無理 しなくていい」と言うところから、キョンジャのセリフに移っていくのよ。
ちゃんと繋がってないでしょ。
まずチャンスの病気は、民族とは無関係だ。
キョンジャは「なんで朝鮮人に云々」と言う前に、「東京へ出て来てサンダルの仕事ばかりだった」と語っているが、それを「朝鮮人 だから貧乏で苦労したのだ」という風に受け止めるのも、ちと苦しい。日本人だって、貧乏な暮らしをしている奴は幾らでもいる。
いや、たぶん「在日は高給の職に就くことが難しい」ってことを言いたいんじゃないかとは思うよ。
でも、「なんで朝鮮人に生まれたん」という決め台詞へ持って行くには、無理がありすぎる。

前作の主人公である康介は、在日の人々と親しくなったと思っていたのに、葬儀で日本に対する恨みをぶつけられ、まだ民族間に根強い壁 があることを痛感されられる。
それでも彼は諦めず、『イムジン河』を熱唱して分かってもらおうとする。
それぐらい、彼はアンソンやキョンジャたちに受け入れてもらうまでに苦労を強いられた。
ところが今回、アンソンも在日の人々も、佐藤を簡単に受け入れる。
何だよ、その差は。
前作における康介の苦労は何だったんだよ。
そもそも佐藤って、自分が殴られてカッとしたから近藤を蹴り飛ばしただけで、アンソンを助けようとしたわけでもないんだぞ。

その佐藤は、ホルモン屋でキョンジャに見とれる。
ところが、そこから佐藤がキョンジャに好意を寄せる恋愛劇が展開することは無く、キョンジャは芸能界へ進み、佐藤はアンソンとの関係 を使った物語の登場人物になっている。
だけど、佐藤がアンソンのために逮捕されるほどの頑張りを見せるってのも、違和感を覚えるんだよな。
どこで、どんな風になって、そこまでの絆が結ばれたんだろ。
映画を見ても、まるでピンと来なかったんだが。
アンソンが佐藤のために何かしてやって、友情が厚くなったわけでもないし。

終盤、佐藤は映画の劇場挨拶で在日をカミングアウトしたキョンジャを、舞台から連れ出す役割を担当している。
でも、そこだけ急に佐藤をキョンジャと関わらせても、ピンと来ないよ。
あと、その「キョンジャが観客の前でカミングアウトする」というクライマックスは、メッセージ性ばかりが強すぎて、感情に訴え掛けて くるモノが何も無いよ。
「娯楽映画の見せ場とは何なのか」ということを忘れて、スティーヴン・セガールの主演作における自然保護の演説みたいに、不細工な ことになっている。

前作にもプロパガンダとしての匂いはあったが、それが強力になっている。
井筒監督は多額の負債を抱えて苦しかった時にシネカノンに助けてもらったから、李鳳宇の希望するような映画を作らなきゃイカンって ことなのか。
でも、『パッチギ!』を作った頃からの、日本と韓国の関係についての井筒監督の発言を聞く限り、あっち側への傾きが強いので、個人的 な考えが偏っているのか。
井筒監督は、本作品と同時期に公開された映画『俺は、君のためにこそ死ににいく』を「戦争を美化している」と酷評し、石原都知事を 罵倒していたが、そりゃ石原さんも偏っているが、アンタも逆方向でおかしいぞ。
そんで興行収入で惨敗しているんだから、カッコ悪いし。
思想・主張を強く押し出したことで、この映画は大失敗に終わった。
井筒監督とシネカノンの目論みは、あえなく敗れ去ったのである。

この映画がコケたことに関して、「まだ日本では在日への偏見や差別があるから、在日側から描いた反日的な作品は受け入れられなかった」 などと主張する人もいそうな気がするが、それは大間違いだぞ。
娯楽映画として無残な出来映えだからコケたのだ。
そこは勘違いしちゃダメだよ。
っていうか、反日であれ何であれ、プロパガンダ映画ってのは基本的にクソだからね。

「日本人と在日は分かり合えるのか。深い川は越えられるのか」という描き方をしていた前作と違って、今回は「朝鮮人は長きに渡って 日本人に差別されてきた。日本人はヒドい連中だ」という恨み節を延々と聞かされることになる。
そういう怨念で映画を作るなよ。
なんで反日団体のスポークスマンの役割を担おうとするんだよ。
前作で「川は深いけど越えられるはず」という希望の光を見せて終わったはずなのに、また逆戻りかよ。
そっちが拒絶したら、そりゃ川なんて絶対に越えられねえよ。

(観賞日:2009年1月14日)


第4回(2007年度)蛇いちご賞

・監督賞:井筒和幸

 

*ポンコツ映画愛護協会