『漂流教室』:1987、日本

ロサンゼルス帰りの高松翔は母・恵美子、父・芳男の3人で神戸に暮らし、インターナショナルスクールへ通っている。ある朝、恵美子に塾をサボっていることを咎められた翔は反発し、「なんだよ、クソばばあ」と罵った。「出て行きなさい、アナタなんか二度と家に帰って来なくていい」と恵美子が激怒すると、翔は「誰が帰るもんか」と言い返して家を出た。彼は自転車で学校へ行き、大勢の生徒たちがスクールバスで登校する。教師の久和みどりは、恩師のタガートが運転するバイクで学校へやって来た。
翔の同級生であるマークは、父の高級車で乗り付ける。彼は同級生・あゆみに話し掛け、出場するサッカーの試合を観戦に来るよう誘う。「勝ったらキスしてくれる」というマークの言葉に、あゆみは笑顔でうなずく。パン屋の関谷が店のバンで校内に入って来るが、犬を乗せていたのでタガートが注意する。関谷は「英語は分からない」と無表情で告げるが、彼の飼い犬は車の窓から外へ出て行った。関谷はパンを運びながら、英語で「みどり先生は美しい」と呟く。
みどりが東京にいる婚約者の藤木達也と電話で話していると、それを聞いた生徒のベルナルドが教室へ飛び込んで同級生たちに知らせた。追い掛けて来たみどりの前で、生徒たちは歌い出した。みどりがタガートから祝福された直後、校舎の外が怪しく光った。そして激しい地震が発生し、抱え上げられていた生徒のデビーが空中でクルクルと回転した。デビーの体は外へ飛ばされ、タガートは生徒たちに窓を閉めるよう指示した。
周囲が真っ暗になる中で揺れが止まるが、また激しい地震が発生した。校舎に大量の砂が入り込む中、タガートは屋上へ行くよう生徒たちに指示した。一方、恵美子は東京へ出張する芳男を駅まで送った帰り道、学校で異変が起きていることを知る。急いで彼女が学校へ行くと、パトカーや消防車、大勢の野次馬が集まっていた。恵美子が野次馬を押し退けると、校舎が消失して地面に巨大な穴が開いていた。
地震が収まり、マークが下の様子を見に行くと言うので翔は同行した。階段で座り込んでいるみどりを見つけたところへ、タガートが犠牲になった生徒を抱えて現れた。1階から関谷が上がって来たので、タガートは「1階も砂で埋まっているのか」と尋ねる。しかし関谷は「英語は分からない」と告げ、窓を割って外へ出てしまった。みどりや翔たちは砂だらけとなった校舎を進み、職員室を調べる。すると椅子に座っていた教師のミニヴァが砂を吐き、目の前で絶命した。
みどりたちは電話機を発見するが、どこにも通じなかった。数名の死体を発見する中、空気の汚れが苦しくなってきたタガートたちは2階へ戻った。すると教師のカークとニコルが、砂嵐の舞う校舎の外へ出て行くところだった。タガートは危険だからと戻るよう説くが、2人は家族が心配だと告げて砂嵐の中に姿を消した。教師のスーが「私も連れてって」と言うが、タガートが平手打ちを浴びせて制止した。用務員のサムナーはタガートに、「子供たちには食べ物が一番だ」と告げた。
一行はカフェテリアへ移動し、簡単な食事を取ることにした。そこで彼らは、別の場所に避難していたウィックニー校長や教師のロビン、複数の生徒たちと遭遇した。そこに避難した面々の中には、翔の近所に住む勇一少年も紛れ込んでいた。空腹が満たされたこともあって、生徒たちは秩序を取り戻した。疲れた様子の緑を見つけたタガートは、彼女を励まそうとする。雨の音を耳にしたみどりは、「あの人が来る時は、いつも雨なんです」と笑顔になる。しかし窓を開けると、雨ではなく砂が降り出していた。
教師16名、181名を含む学校が突如として消滅した事件は、大きなニュースとして報道される。神戸六甲大学で地球物理学を教えている大和島教授は原因がタイムスリップだと考え、消滅現場でTVリポーターのインタビューを受ける。恵美子は「私のせいなのよ」と叫び、芳男が現場から連れて行く。達也が心配そうに現場を見つめる中、数名の生徒たちが救助される。その生徒たちについて大和島は、時間と空間の狭間に落ち込んで現在に取り残されたのだと解説した。
翌朝、翔が目を覚ますと、砂の雨が止んで晴れていた。翔が屋上から周囲を眺めると、果ての見えない砂漠が広がっていた。関谷は飼い犬の骨を抱え、学校へ戻って来た。生徒の1人が「タイムスリップ」と口にする中、みどりたちはスーの死体を発見した。翔は勇一の姿が見えないことに気付き、あゆみ、みどりの3人で捜しに行く。すると勇一は笑顔で三輪車に乗り、小さくて奇妙な生物の周囲を回っていた。その生物が砂の中に消えた後、翔は砂時計を発見した。
数名の生徒たちが冷静さを失って騒ぎ出す中、関谷がカフェテリアであゆみとみどりを人質に取った。2人にナイフを突き付けた関谷は、「食い物は俺のもんだからな」と凄んで火を放った。マークと翔が裏口から侵入し、あゆみたちを救出する。しかし関谷に蹴り飛ばされたマークが失神し、翔は首を絞められる。「お母さん」と助けを求める彼の声は、恵美子の耳に届いた。彼女はバットを抱え、校舎跡の穴へ走った。恵美子が穴にバットを投げ込むと、それは翔に届いた。翔はバットを振り下ろし、関谷を殴って気絶させた。
生徒たちは水と食料の分配について相談しようとするが、みんなが勝手なことばかり言うので意見がまとまらない。みどりはリーダーを選ぶよう提案し、生徒たちは賛同する。しかしリーダーになるべき存在であるマークは、無言のまま教室を出て行った。翔はリーダーに推薦され、他の生徒たちも賛同した。苛立ちを示すマークに、タガートは「希望を持つんだ」と告げる。しかしマークは「こんな状況で?どんな希望が持てますか」と声を荒らげ、その場を去った。
2度目の夜は嵐になり、ほとんどの生徒は疲れ果てて眠りに就いた。太った生徒のピギーはカフェテリアへ侵入し、食料を盗み食いする。そこへ巨大な怪物たちが現れ、教室へと侵攻する。生徒たちは悲鳴を上げ、パニック状態に陥った。一方、みどりは騒ぎを全く知らず、音楽室でピアノを弾き始めた。すると怪物たちは攻撃を止め、生徒たちの前から去っていった。翌日、勇一が未知の生物と遊んでいるのを、複数の生徒たちが発見した。ピギーが謎の生物を食べようと言い出し、多くの生徒たちも同意した。翔は反対するが、マークは「生き物なら何でも食い物になる」と言う。さらに彼はロビンたちが逃げたことを告げ、翔にリーダーとしての適性が無いと指摘した。
マークをリーダーにすべきだと訴える生徒たちが現れ、翔は彼と決闘する羽目になった。どれだけ攻撃を浴びても翔は立ち上がり、マークを降参させた。翔は「僕がリーダーだ。今日から、誰も僕には逆らうな。全力を挙げて君たちを守ってやる」と生徒たちに言う。他の面々が教室へ戻る中、翔は砂の中で自分たちの慰霊碑を発見した。タガートはみどりと話した後、校舎を後にした。遥か地平線に竜巻を発見した翔は、「ここで暮らす以上は楽しまないと。だから冒険に行かないか」と仲間たちに持ち掛けた。彼はマークに女生徒たちを守るよう頼み、男子を率いて冒険へ出掛けた…。

監督は大林宣彦、原作は楳図かずお、脚本は橋本以蔵、撮影台本・潤色は大林宣彦&石上三登志&小倉洋二、製作は高木盛久&山科誠&山下輝政、製作指揮は中村賢一、プロデューサーは中島忠史&末吉博彦&篠島継男&莟宜次&小久保章一郎、撮影は志満義之、美術は薩谷和夫、照明は望月英樹、音響デザインは林昌平、録音は稲村和巳、編集は小川信夫&大林宣彦、ビジュアル・エフェクツ・スーパーバイザーは島村達雄、スーパーバイザーは石上三登志、音楽は久石譲。
出演は三田佳子、林泰文、浅野愛子、トロイ・ドナヒュー、南果歩、尾美としのり、高橋悦史、原田貴和子、小林稔侍、北詰友樹、根岸季衣、トーマス・サットン、佐々木一成、オーラ・ラニ、ケン・スチュワート、ロバート・マカフィー、マーカス・ダウアー、アーサー・ジョンソン、ヴァジラ・バルザギ、アンドレア・ウルリッヒ、クワンチャイ・フォークナー、ダニエル・スミス、キャスリン・クライジャー、エリカ・クローズ、アリス・コロン、トロイ・サットン、トレント・サットン、クリストファー・スピールマン、ジェイソン・スピールマン、リアナ・ダロイージオ他。


楳図かずおの同名漫画を基にした作品。
監督は『彼のオートバイ、彼女の島』『野ゆき山ゆき海べゆき』の大林宣彦。
脚本は『ハロー・ギャングBC』『スケバン刑事』の橋本以蔵だが、いつものように大林宣彦が大幅に手を加えて潤色している。
恵美子を三田佳子、翔を林泰文、あゆみを本作品がデビューとなる浅野愛子、タガートをトロイ・ドナヒュー、みどりを南果歩、関屋を尾美としのり、大和島を高橋悦史、勇一の母を原田貴和子、芳男を小林稔侍、藤木を北詰友樹、TVリポーターを根岸季衣、マークをトーマス・サットン、勇一を佐々木一成が演じている。
楳図かずおも自転車店の主人として出演しているが、映画の仕上がりには大いに不満だったらしい。

色々と原作と異なる部分が多くて、まず舞台が普通の小学校から神戸のインターナショナルスクールに変更されている。しかも、変更した意味がサッパリ分からないのだ。
どうしても外国人キャストを登場させたかったのか。だとしたら、その狙いは何だったのか。
ともかくハッキリと言えることは、その変更が何のプラスにも働いていないってことだ。
原作と全く異なる内容&テイストになったのは、もちろん大林宣彦に多大なる責任がある。ただし、そもそも大林宣彦はファンタジーとノスタルジーの人であって、そういう監督に『漂流教室』を任せたことが間違いなのだ。

冒頭、シャワーを終えた翔は、朝食の用意をしている恵美子のオッパイを背後から揉み、首筋を舐めるという変態チックな行動に出る。
そんなことをするぐらいだから、親子関係は異常なほどラブラブなのかと思いきや、直後に言い争いを始めるので、その急激な展開に困惑してしまう。
そこは「些細なことから恵美子と翔が親子喧嘩になってしまう」という部分を見せるのが目的なんだから、妙にラブラブな部分は要らないでしょ。

恵美子に「貴方からも何とか言って下さいよ」と翔を叱るよう求められた芳男は、無表情で「(目玉焼きが)焦げてる」と告げるだけ。
しかも芳男は東京への出張が多く、恵美子は「私一人じゃどうしていいか分からないわ」とストレスを溜め込んでいる様子なのに全く反応を示さない。
だから「芳男は家庭を顧みず、夫婦関係は良好とは言えない」という設定なのかと思ったら、車内のシーンで「あの子が家を出て行って二度と帰って来ないような気がして」と不安を漏らす恵美子に芳男が「男の子はそうやって大人になっていくのさ。そして君のような奥さんを貰って、母親のことはだんだん忘れてく」と語る様子では、夫婦円満な様子だ。
夫婦関係に何の問題も無いのであれば、冒頭シーンの描写は明らかに間違っている。

この作品が「単に出来の悪い映画」ではなく、かなりイカれたセンスによって作られていることは、開始から10分ほど経過した辺りで露呈する。
みどりの結婚を知った生徒たちはリズムを刻み、『結婚行進曲』を歌いながら踊り出すのだ。バイオリンを演奏する生徒もいる。ようするに、ちょっとしたミュージカル・シーンになっているのだ。
明らかに浮いているミュージカル・シーンを挿入するのは、どういうセンスなのか、私には全く理解できない。
『漂流教室』にミュージカル・シーンを入れようって、どう考えたってマトモじゃないでしょ。
ホント、大林監督って良くも悪くもブレない人だよなあ。こんな映画にまで無邪気なファンタジーの感覚を持ち込むんだから。

学校に異変が起きるシーンは、とりあえず「校舎の外が光って激しい地震が起き、空中でクルクル回ったデビーが外へ飛ばされた」ということは分かる。ただ、カメラを揺らしまくる中で細かくカットを割っちゃうもんだから、何が何やらイマイチ分かりにくい。
恵美子が異変を知るシーンを挟んで、一度は収まった地震が再び起きる様子になるのだが、画面が薄暗くなっているので、ますます何が何やらサッパリ分からない。
その辺りでハッキリと分かるのは、空中をクルクルと回転して飛ばされるデビーのハメコミ合成が安っぽいということだけだ。
ただし安っぽいVFXってのは、大林宣彦監督の持ち味ではあるんだけど。

2度目の揺れが収まると、あれだけ激しい地震だったのに、なぜか校舎は大量の砂が入り込んだだけで、ほとんど損傷していない。地震の中でタガートが屋上へ行けずに取り残されたのは階段や廊下が崩れたせいなのかと思っていたが、全く壊れていない。
さらに驚くべきことに、窓の汚れを拭いている生徒たちがいる。つまり、廊下の窓も割れていないのだ。
おいおい、だとしたら、大量の砂はどこから入り込んで来たんだよ。
っていうか、あれだけの地震で、ほぼ無傷の校舎って、どんだけ頑丈なんだよ。

「電気が途絶えて松明の明かりだけ」という状況設定なので仕方が無い部分はあるんだけど、やはりタイムスリップして以降のシーンが薄暗いのは大きなマイナスだ。
ところが勇一たちと合流した後、シーンが切り替わると、画面が明るくなっている。夕方のシーンなのだが、窓から校舎に夕日の明かりが差し込んでいるのだ。
いやいや、砂嵐で外も暗かったんじゃないのかよ。いつの間に砂嵐は去ったんだよ。なんで夕方になると急に明るくなるんだよ。
で、そうかと思うと、みどりとタガートが喋っている途中で急に砂の雨が降り出し、また外が暗くなる。
すっげえ天候が不安定なんだな。

現場からリポーターが校舎消失事件を伝えるシーンになると、いきなり「その原因はタイムスリップではないかという方が現れました」と口にする。
いやいや、いきなりタイムスリップ説は無いだろ。それを伝えているのは、マトモなテレビ局なのか。
まずは科学的な方面から色んな可能性が論じられて、そういうのをテレビ局は報道して、それら全ての可能性が否定されるか、もしくは否定されなくても「こんな突飛な説を唱える人もいる」ってことで大和島が登場すべきだろ。
最初に提示されるのがタイムスリップ説って、んなアホな。

ピンチの翔が「お母さん」と発した声が恵美子の耳に届くのは、もちろん非現実的ではあるが、何の問題も無い。
ただし、その声を聞いた恵美子が、なぜバットを抱えて学校へ向かうのかは良く分からない。
声が聞こえただけでなく、関谷に襲われている状況も夢の中で見えていて、だから武器としてバットを持って行くということなんだろうか。
で、そのバットは、なぜかカフェテリアへ見事にワープするのだが、そういう現象が起きたのなら「過去との通信や物品の移動が可能かもしれない」と考えて色々と試してみても良さそうなものなのに、そういうことは全く考えない。

怪物が襲撃するのは真夜中なので、やはり画面が暗くて何がどうなっているのか分かりにくい。
そこは昼間のシーンにすべきだろうに。
それと、巨大な怪物が大暴れして生徒たちが悲鳴を上げながら逃げ惑っているのに、みどりがいる音楽室には何も聞こえて来なくて静寂そのものってのは無理があるだろ。
で、ピアノ演奏で怪物が去った後、警戒して誰かを見張りに付けるとか、また来た時の対策を考えるとか、そういうことを何もやらずに全員が眠っちゃうって、どんだけ警戒心が無いんだよ。

正義感があって勇ましかったマークが、やさぐれたキャラへと急変する展開には困惑してしまう。どうやら「関谷を退治する時に自分は蹴られて失神し、翔が活躍したので拗ねてしまった」ということのようだけど、すんげえ分かりにくいわ。
それよりも引っ掛かるのは、「限られた上映時間の中で、ベビーフェイスだったマークがヒールに転向して翔と対立する」というエピソードは本当に必要なのか」ってことだよ。
時間に余裕があれば、そういうのを描くのもいいだろう。しかし他に色々と優先すべきことがあるんじゃないのか。
ちっとも緊迫感や絶望感が見えない中、そういう普通の状況下でも描けるようなエピソードを優先してどうすんのかと。

翔はマークと決闘する羽目になるんだけど、そんなに翔がリーダーであることを不服に思っていた連中が大勢いたとは知らなんだよ。
で、決闘に勝利した翔は「僕がリーダーだ。今日から、誰も僕には逆らうな」と言うんだけど、その勝ち誇り方は生意気すぎるだろ。そこに来て不愉快なキャラをアピールしてどうすんの。
それと、「翔がリーダーだ」と生徒が言い出すのはともかく、それに続けて「みどり先生は希望のシンボル。僕らのお母さんだ」と口にするのは唐突で違和感ありまくりだわ。
で、「学校が僕らのホームだ」という翔の言葉の後、シーンが切り替わると教室で生徒たちが歌って踊るんだけど、そこのミュージカル展開も違和感ありまくり。

違和感だけで構築された2度目のミュージカル・シーンの後、唐突にあゆみの砂シャワーシーンが挿入され、タガートがみどりと話して学校を出て行く展開になる。
だが、なぜタガートが学校を出て行ったのか、サッパリ分からない。みどりの様子からすると、どうやら彼女はタガートが出て行くことを知った上で喋っていたようだが、なぜ引き留めなかったのか。
出て行く理由が不明だから、そこでタガートが「子供たちよ、過去でも未来でもない現在こそ君らのものだ」ってなモノローグを語っても、まるで心に響かない。まあ出て行く理由が分かっていたとしても、たぶん心には響かないんだけど。
どうやら彼は口減らしのために自ら去ったという設定のようだが、そんなの全く分からねえよ。しかもタガートが消えても、生徒たちは全く気にしちゃいないし。

とにかく、大林監督が『漂流教室』を恐怖映画として仕上げようという意識を全く持っていなかったことは確かだ。
この人の悪い癖で、原作をリスペクトする気が全く無いんだよね。
『時をかける少女』のように、大林マジックが見事に機能するタイプの映画も稀に存在するけど、大抵は失敗してしまう。
なぜなら、そのマジックは映画の内容に合わせて使われるわけではなく、なんでもかんでも同じマジックを掛けようとするからだ。
だから本作品も、まるで出来損ないのジュブナイルのように仕上がってしまったのだ。

「ここで暮らすんだから楽しまなきゃ」と翔は竜巻を目指す冒険を提案するが、それよりも残り少ない水と食料の問題をどうするか真剣に考えろよ。
こいつら、ホントに危機感とか切迫感が皆無なんだよな。
ゴキブリもどきの怪物が攻めて来るシーンが二度あるけど、恐怖を醸し出すには全く足りていない。何しろ、怪物の造形がチープだし、しかもピアノの音で退散するって何だよ。
しかも、ピアノの音で退散する特徴があるはずなのに、演奏を続けていたみどりはなぜか襲撃を受けているんだぜ。ワケが分からんよ。

そんで冒険から戻って来た翔たちがピアノの音を耳にして音楽室へ行くと、怪物がみどりと同じ曲を見事に演奏している。翔たちが見ているのに、怪物は襲わずに弾き続ける。
もうさ、何をどう描きたいんだかサッパリだよ。
そんで、みどりの仇討ちを翔たちが果たそうとする展開も、やっぱりジュブナイル的なテイストに包まれている。
ちなみに、ここでは囮になったマークが犠牲になるのだが、怪物に殺されるわけではなく翔たちが武器に使った避雷針のせいだし、ただの「無駄死」にしか思えない。
とにかく最初から最後まで、大林監督の持つラブ&ピースな感覚が炸裂した、1ミリの隙も無いポンコツ映画である。

(観賞日:2014年12月1日)

 

*ポンコツ映画愛護協会