『漂流』:1981、日本

天明五年(1785年)一月三十日、土佐国香美郡赤岡の三百石船である永徳丸が土佐沖で冬の嵐に遭った。永徳丸は難破し、漁師の長平と源右衛門、音吉、甚兵衛は荒れ狂う海に投げ出された。二月七日午後三時、4人は無人島に漂着した。高齢の源右衛門は衰弱し、自力では動けない状態だった。長平と音吉は周辺の調査に出掛け、草木が生えない岩ばかりの土地で飲み水を入手するのは難しいと感じた。岸壁に赴いた長平は、アホウドリの群れを目撃した。
長平たちが漂着したのは北緯三十度三十分、八丈島の遥か南方に位置する三子島、または鳥島と呼ばれる場所だった。土佐から百六十五里、江戸から百五十里、絶海の孤島である。長平は食料にするため、アホウドリを捕まえた。しかし島全体が湿っていて火を起こせないため、生のままで食べるしか無かった。源右衛門が嫌がる上に文句ばかり言うので、長平は激しく苛立った。彼らは雨露を凌ぐため、洞穴を見つけて移動した。中に入ると白骨があり、板切れの文字から26年前に漂着した五平という男の遺体だと判明した。源右衛門が「わしらの明日の姿じゃ。もう国へ帰ることなんか出来やせん」と泣き喚くと長平は怒って掴み掛かり、音吉に制止された。
その夜、源右衛門は空を眺めながら、「お千代はどうしてるじゃろう」と若妻を思って呟いた。音吉が「お絹ちゃんはどうしとるかのお」と言うと、長平の表情が強張った。音吉は村にいた頃、仲間の惣助たちに「担ぎ」と言われる女性の誘拐を頼んだ。彼は蝋燭屋の娘のお絹に惚れていることを明かし、惣助たちは協力を快諾した。惣助たちがお絹を連れ去ろうとすると、気付いた両親が慌てて止めに入った。惣助は音吉が殿様の御座船の舵取りを務めた男だと説明し、「この縁談、そう悪うないとは思うが」と告げて去った。
飲み屋にいた長平は、音吉たちがお絹を拉致したことを聞かされた。彼は仲間から「音吉とは身分が違う」と諦めるよう諭されるが、店を飛び出した。音吉はお絹を抱こうとするが抵抗され、何とか押さえ付けようとする。お絹が激しく嫌がると、惣助は音吉に「無理強いは良くない」と告げた。日を改めて談合するよう惣助が指示すると、音吉は仕方なく受け入れた。ようやく辿り着いた長平の前で、お絹は家から逃げるように走り去った。
長平、音吉、甚兵衛は褌を旗代わりに使い、岸壁に立てた。長平はアホウドリが渡り鳥だと気付き、「行ってしまったら飢え死にする」と焦った。彼は音吉と共に大量のアホウドリを殺し、涙を流した。長平は海を見つめながら、村祭りの出来事を回想した。彼は惹かれ合っているお絹と2人きりになり、肉体関係を持った。そのことを彼は音吉に告白し、詫びを入れた。音吉は腹を立てずに「気にすんな」と言い、故郷に帰ったら結婚式をやろうと持ち掛けた。
長平たちは卵の殻を洞穴の前に並べて雨を溜め、飲み水として使った。長平は漂着した日から石を積み、暦を数えていた。漂着132日目に源右衛門が死亡し、長平たちは旗の近くに遺体を埋めた。アホウドリは島を去り、彼らは干し肉で飢えを凌いでいた。しかし甚兵衛が体調を悪化させて死亡し、続いて音吉も衰弱した。音吉は生気を失い、長平は頑張るよう必死に呼び掛けた。長平が音吉の面倒を見ながら生活していると、アホウドリの群れが島に戻って来た。長平たちは鳥を捕まえ、その肉と卵で栄養を摂取した。彼らは鳥の羽を編んで布団を作り、寒さが凌げるようになった。
岸壁へ出掛けた時、音吉は海に飛び込んで自害した。独りぼっちになってしまった長平は、お遍路である母と過ごした幼少期を思い出した。母は旅の途中で病気になり、死期を悟った。彼女は幼い長平に目を閉じるよう指示し、岸壁から海に飛び込んで自害した。長平は羽根を編んで大きな翼を作り、それを背負って岸壁から飛んだ。もちろん空を飛べるはずもなく、彼は海に落下した。江戸の漁師である伊平次、儀三郎、重次郎、忠八、由浩、久七、清蔵が難破して島に漂着し、長平は洞穴に招いて「人目を見て話せる」と感涙した。長平は皆で力を合わせて暮らそうと呼び掛けるが、伊平次は作業を手伝わずに不遜な態度を取った…。

監督は森谷司郎、原作は吉村昭(新潮社版)、脚本は廣澤榮&森谷司郎、製作は大木舜二&内山甲子郎、撮影は岡崎宏三&鈴木義勝、美術は栗原信雄、録音は高場豊、照明は山田昌和、編集は池田美千子、音楽製作はヤマハ&川上源一、作詞・作曲・編曲は大島ミチル&海江田ろまん&椙山有美&田中裕美子&土居慶子&平部やよい、主題歌は大友裕子。
出演は北大路欣也、渡瀬恒彦、坂上二郎、三田佳子、高橋長英、岸田森、鷹巣豊子、草野大悟、樋浦勉、桐原史雄、水島涼太、酒井昭、小川隆一、宮坂正則、山本廉、井上博一、青山鉄兵、野口ふみえ、松井範雄、石原昭宏、塩見三省、清水健祐、平石健太郎、畠中ユキヒロ、阿部一夫、荻野公子、高崎蓉子。


吉村昭の同名小説を基にした作品。
監督は『日本沈没』『八甲田山』の森谷司郎。
脚本は『日本の青春』『サンダカン八番娼館 望郷』の廣澤栄と森谷司郎監督による共同。
長平を北大路欣也、伊平次を渡瀬恒彦、源右衛門を坂上二郎、長平の母を三田佳子、音吉を高橋長英、儀三郎を岸田森、お絹を鷹巣豊子、惣助を草野大悟、重次郎を樋浦勉、忠八を桐原史雄、甚兵衛を水島涼太、由浩を酒井昭、久七を小川隆一、清蔵を宮坂正則が演じている。

オープニング・クレジットで音楽担当者として表記されるのは、「ヤマハ」という企業名だけ。クロージング・クレジットでは音楽製作として「ヤマハ&川上源一」と表記されるが、川上源一は当時のヤマハの社長。
実際に音楽を手掛けたのは、ヤマハ・ジュニア・オリジナル・コンサートの出場者から選抜されてヤマハ音楽振興会が育てた「COSMOS」というグループ(当時のメンバーは大島ミチル&海江田ろまん&椙山有美&田中裕美子&土居慶子&平部やよい)。
しかし残念ながら、BGMが作品と全く合っていない。特に狼煙を上げるシーンなどは、サックスをフィーチャーしたムーディーなフュージョンが脱力するぐらい合っていない。
あと、みんなで脱出のための船を作るシーンも、まるで合っていないので苦笑してしまう。

本物の長平が漂着した場所は、伊豆諸島の鳥島だ。しかし映画が企画された時点で、鳥島は上陸できない場所になっていた。
そこで監督の森谷司郎はロケ地として、伊豆大島とトカラ列島の諏訪之瀬島を使うことにした。しかし、単に「上陸できる小さな島」を用意しただけでは、問題が全て解決されるわけではない。
と言うのも、長平が漂着した天明年間、鳥島はアホウドリが大量に生息している場所だったからだ。
しかし映画が企画された時点でアホウドリは絶滅危惧種となっていたし、大島や諏訪之瀬島には生息していなかった。

そこで森谷司郎は3つ目のロケ地として選んだのが、スコットランドのバスロク島だった。ここにはカツオドリが大量に生息していたので、それをアホウドリに見せて撮影しようと考えたのだ。
それぞれの場所で春夏秋冬の全てを撮影するため、ロケ期間は合計3年にも渡った。バスロク島ではカツオドリが産卵し、孵化するまでの経緯をカメラに収めた。
そんな贅沢な撮り方が許されたのは、これまで森谷司郎が大作映画を次々にヒットさせていたってのが大きいのかもしれない。
しかし残念ながら、この映画は完全にコケた。

村で暮らしていた頃の回想シーンが、ただ尺を稼ぐためだけの物になっている。全てカットしても、大して支障は無いだろう。
長平と音吉とお絹の関係は現在のシーンに大きく絡んで来そうにも思えたけど、そうでもないし。
長平がお絹との関係を言い出せずに苦悩するとか、音吉が怪しむとか、そういう形でドラマを作るのかと思ったら、そうじゃないんだよね。そんな必要は全く無いのに、わざわざ長平が自ら告白しちゃうのよ。
でも、それで音吉が怒ることは無いし、長平との関係性が変化するわけでもない。
その告白が原因で、音吉が一気に生気を失ったり精神を病んだりするわけでもない。

開けた屋外でのシーンが大半だが、そこからは脱出できない「閉ざされた孤島」が舞台である。
だったら、いっそのこと回想シーンを全て排除して、その舞台設定を最大限に活用することだけに全振りしちゃっても良かったんじゃないか。
あと、何ヶ月も暮らしているのに、長平たちのサバイバル技術は全く向上が見られないんだよね。
また、過酷な環境ではあるが、その割には、こっちの心を刺してくるような力が足りていない。何となく、淡々と時間が過ぎて行くんだよね。

「絶対に生きて故郷に帰ってやる」という、ギラギラしたエナジーは全く感じられない。
それはストーリー展開的に、仕方の無い部分もあるかもしれない。
しかし、じゃあ諦念に支配されている源右衛門を軸にして、不安や焦燥を煽るような方向性があるのかというと、そうでもない。緊迫感や絶望感に乏しく、粛々と段取りが片付けられていく。
どこかのタイミングがギアが切り替わるのか、そういう大きな変化が起きるのかと思ったら、そういう展開は一向に訪れない。

長平が母親を思い出す回想パートも、「だから何なのか」としか思わない。それは物語を面白くする効果を持っていない。
センチメンタルなムードを出したかったのかもしれないけど、ただ退屈を誘うだけになっている。
開始から90分ぐらい経過した辺りで7人の漁師が漂着し、ようやく面白くなりそうな予感を抱かせてくれる。
とにかくサバイバル映画としては、まるで面白くない。だから人を増やして人間関係のトラブルを描かないと、盛り上がる要素が無いのだ。

ところが困ったことに、伊平次は生意気な態度で文句ばかり言うものの、周囲の邪魔をしたり迷惑を掛けたりすることは、そんなに無い。
また、周囲の人間が伊平次に腹を立てて喧嘩になったり、集団生活に大きな乱れが生じたりすることも無いのだ。
なので、せっかく人員が増えても、また「どんどん衰弱して人が死んで行く」ということが淡々と繰り返されるだけ。
起きている出来事は「衰弱」や「死」なので、大きな出来事のはずだ。しかし印象としては、起伏に乏しくて退屈なんだよね。

2時間近く経過した辺りで、ようやく「伊平次の暴言から喧嘩が勃発し、由浩が刺殺される」という事件が発生する。
しかし由浩は衰弱して死に掛けていたこともあり、恨み言を吐かずに息絶える。周囲の面々も「弾みで殺しただけ」ってことで、伊平次を責めない。
その後、長平が「船を作って島から脱出しよう」と言い出すけど、それは伊平次の起こした事件と直接的に関係している展開じゃないし。
っていうか、そのタイミングまで長平が島からの脱出を微塵も考えなかったのは、なぜなのかと思っちゃうぞ。

長平たちが力を合わせて船を作ると、伊平次が密かに火を放って燃やそうと目論む。
だけど、今さら伊平次を使って波乱を起こされても、ただウザくて不快に思うだけだわ。「船を作って脱出する」という計画が始まったら、もう一致団結しようぜ。くだらない内輪揉めは、そこまでに終わらせておこうぜ。
で、そこから長平に諭された伊平次も協力するようになり、船は完成する。そして嵐から船を守って死ぬ。
そっちだけでいいのよ。火を付ける手順なんか無くていいのよ。

(観賞日:2025年4月24日)

 

*ポンコツ映画愛護協会