『氷菓』:2017、日本
[伝統ある古典部の再生]
神山高校に入学した折木奉太郎は、ありとあらゆる活力に興味を示さない反エネ主義の男だ。彼は灰色の生活を望んでおり、親友で同じ B組の福部里志から自虐趣味だと指摘される。何度も面倒に感じる奉太郎とは違い、里志は数多くの部活動を兼任しようと考えている。 ただし奉太郎もインドのベナレスにいる姉の供恵に勧められ、彼女も所属していた古典部に入ろうとしていた。古典部は3年連続で部員が ゼロの状態であり、今年も入部者がいなければ消滅する。供恵の特技は合気道と逮捕術であり、奉太郎は彼女に逆らえないので仕方なく 入部を決めたのだ。
奉太郎は最辺境の地にある部室へ行き、ドアの鍵を開けて中に入った。部屋には1年A組の千反田えるがいて、音楽の授業で1度しか顔を 合わせたことのない奉太郎のことを覚えていた。えるが古典部に入部したと知って、奉太郎は自分が来る必要など無かったのだと悔しがる 。入部の理由を彼が尋ねると、えるは「一身上の都合で」と答えた。奉太郎は部室を去ろうと考え、えるに戸締まりを頼む。えるは鍵を 持っていないと言い、「私が来た時、部室の鍵は開いていました」という告げる。
奉太郎が来た時に部室は施錠されており、えるは「私は閉じ込められてたってことですよね。どうしてでしょう?」と疑問を呈した。そこ へ奉太郎が気になった里志が現れ、えるに「この学校は内側からは鍵の開け閉めが出来ない」と教えた。奉太郎は面倒に感じて立ち去ろう とするが、えるが腕を掴んで「私、気になります」と言う。一緒に考えるよう頼まれた奉太郎は嫌がるが、里志は興味を示した。奉太郎は ドアが半ロック状態だった可能性を考えるが、里志が「神高のドアはロックが半端だと鍵が抜けない」と告げる。
えるの「さっきから足音がする」という言葉を聞いた奉太郎は、何があったのかを確信した。火災探知機の点検をしていた業者が、えるの 存在に気付かず施錠してしまったのだ。えるは学校の敷地にある古い建物を気にしていたので、施錠音が聞こえなかったのだ。えるの苗字 を聞いた里志は、彼女が有名な旧家の娘で成功優秀な才媛という情報を知っていたので驚いた。えるに勧誘された里志は、古典部への入部 を決めた。えるが部長を務めることになり、奉太郎も入部を撤回する機会を失った。
[名誉ある古典部の活動]
古典部の活動は部室で読書をすることぐらいしか無く、不毛だと感じたえるは10月の文化祭で文集を出すことを思い付いた。部員の3名は バックナンバーを入手するため、図書館へ赴いた。図書委員の伊原摩耶花は奉太郎に気付いて声を掛けるが、「会いたくなかったわ」と顔 を背けた。奉太郎はえるに、摩耶花が中学時代から自分や里志と同級生だと告げる。摩耶花は里志に惚れていて気持ちも伝えているが、 相手にされていなかった。
文集の存在について摩耶花に尋ねた奉太郎たちは、文化祭が「カンヤ祭」の俗称で呼ばれていることを知った。摩耶花は3人に、文集は 書庫にあるかもしれないが司書の糸魚川養子が会議中なのだと話す。えるが『神山高校 五十年の歩み』という本に気付いて興味を示すと 、摩耶花は自分が登板を務める金曜日になると5週連続で借りられているのだと語る。まるで面白味の無い内容であり、しかも貸出期限は 2週なので毎週借りる必要は無いのだと、彼女は不思議そうに言う。
借り主は全て異なる2年の女子生徒で、その日の内に返却されていた。えるは「私、気になります」と奉太郎に言い、里志は推理するよう 要求した。奉太郎は「大事なのは真実ではなく、千反田が納得することだ」と考え、推理に入った。えるが本の表紙を嗅いで「刺激臭が します」と言うと、奉太郎は真相に気付いた。本を借りたのは美術の授業で使うためで、モデルの女性に持たせることが目的だった。その 推理を聞いたえるは、「折木さんなら、出来るかも」と呟いた。糸魚川が図書館に現れたので、奉太郎は後ろから声を掛けた。最初は全く 気付かなかった糸魚川だが、奉太郎が何度か呼ぶと振り向いた。奉太郎が文集のバックナンバーを見たいのだと言うと、糸魚川は図書 にも書庫にも無いと告げた。
[事情ある古典部の末裔]
休日、えるは奉太郎を喫茶店に呼び出し、「頼みがあるんです」と口にした。えるは母の弟である関谷純が10年前に失踪したこと、博識で どんな質問にも必ず答えをくれる人だったことを語り、「私が叔父から何を聞いたのか思い出させてほしい」と言う。関谷はえるの家で 住み込みの仕事をしており、良く面倒を見ていた。園児の頃、えるは関谷は古典部だったことを知り、好奇心を抱いた。ある日、彼女が 古典部に関して何かを質問した時、関谷は珍しく返事を嫌がった。えるが駄々をこねると、関谷は答えた。それを聞いて泣いたことだけは 覚えているえるだが、具体的な内容は全く思い出せないのだ。
えるは7年前に関谷の失踪届を出されたこと、今年で法的には死亡扱いになるので葬儀が営まれる予定になっていることを明かし、それ までに真相を知りたいのだと頭を下げた。奉太郎は熟考した上で、「責任は取れないが、ヒントになることがあれば必ず伝える」と約束 した。供恵から届いたエアメールを読んだ奉太郎は、「文集を作るならバックナンバーを読んで。探すのは部室。使われていない薬品金庫 があって、その中。鍵は壊れてるから、すぐ開くわ」という文面に驚いた。
奉太郎が部室に行くと、古典部に入部した摩耶花がえると楽しそうに喋っていた。奉太郎は2人に文集のことを話して室内を調べるが、 バックナンバーは見つからなかった。しかし机の下に隠れていた金庫を発見すると、その中にバックナンバーが入っていた。文集の題名は 『氷菓』で、えるは第2号を手に取ると「これです。あの日、これを見つけたんです」と奉太郎に言う。文集のを開くと、序文には「関谷 先輩が去ってから、もう一年になる。この一年で、先輩は英雄から伝説になった」「憶えていてはならない。あれは決して、英雄譚では なかったのだから」といった郡山養子という生徒の文章が綴られていた。えるは33年前に何があったのか知りたがるが、その手掛かりが 書かれているはずの創刊号はバックナンバーから抜け落ちていた。
[由緒ある古典部の封印]
古典部は一致団結し、33年前の謎を解くために奔走することが最優先課題となった。古典部総会が千反田邸で行なわれることになり、4人 が集まった。4人は関谷が暮らしていた離れに入り、総会が開始された。『氷菓』の意味を気にする摩耶花は、里志から「氷のお菓子。 アイスクリームとか」という説明を聞き、そんな題名にした理由を不思議に感じた。部員たちは1週間で手分けして様々な資料を調べて おり、その結果報告が行われた。
えるは自分以外で関谷に触れた文章が無かったこと、彼が高校を中退していることを語り、「33年前に文化祭荒らしを叔父が撃退し、それ が原因で退学になった」と推理をした。しかし奉太郎は神山高校で模擬店が禁止されていることに触れ、「金が無ければ文化祭荒らしは 来ない」と彼女の推理を否定した。続いて摩耶花は33年前の学校新聞を広げ、教師による横暴があったことを語る。関谷が教師への不服従 を貫いて退学させられたのではないかと彼女は推理していたが、奉太郎は「抽象的すぎる」と述べた。
里志は総務委員会の資料を開き、学生運動のリーダーが関谷だったことを指摘した。自分の番が来た奉太郎は、何の仮説も無いことを正直 に白状した。えるの視線に気付いた彼は、「大事なのは彼女が納得すること」と感じて思考を巡らせた。3人の提出した資料を頭の中で 組み合わせた奉太郎は、1つの仮説に辿り着いた。彼は3人に『神山高校 五十年の歩み』を見せ、校舎の古い建物である格技場で火災が あったことを語った。
奉太郎は文化祭の中止を決定した教師側に対して学生が抗議運動を起こし、その中で火災が発生したのではないかと推理した。文化祭の 中止は撤回されたが責任を取ってリーダーの関谷が退学処分となり、彼の名を取って「カンヤ祭」と呼ばれるようになったのではないかと 彼は3人に話す。えるは納得して帰宅するが、自分が泣いた理由が分からないため、やはり奉太郎の仮説は違うと感じる。一方、奉太郎も 違和感を覚えて第2号を再確認し、「決して英雄ではなかった」という記述を見落としていたと気付く…。監督・脚本は安里麻里、原作は米澤穂信『氷菓』(角川文庫刊)、エグゼクティブプロデューサーは井上伸一郎、製作は堀内大示&三宅容介&勝股英夫&阿南雅浩&宅間弘治、プロデューサーは小林剛&山形亮介、ラインプロデューサーは梶川信幸、撮影は月永雄太、照明は木村匡博、美術は西尾共未、録音は藤丸和徳、編集は村上雅樹、音楽プロデューサーは和田亨、音楽は林祐介&OLO。
主題歌『アイオライト』はイトヲカシ 作詞・作曲・編曲:イトヲカシ。
出演は山崎賢人、広瀬アリス、小島藤子、岡山天音、斉藤由貴、本郷奏多、眞島秀和、天野菜月、采沢真実、森山米次、森谷ふみ、麻鳥桃世、佐々木萌詠、坂田遥香、西村理沙、青柳伽奈、大嶋捷稔、太田了輔、阿邊龍之介、井上雄太、榎太誠、大迫右典、大脇柊馬、佐々木隆一朗、佐藤希洋、島尻裕吾、永澤伶門、松井伸明、松岡英樹、曳地伸之、松浦智美、國重光司ら。
声の出演は貫地谷しほり。
米澤穂信の同名デビュー小説を基にした作品。
原作が「〈古典部〉シリーズ」の第1作なので、映画版もシリーズ化を想定して製作されている。チャプター形式の構成となっており、粗筋の後は最終章の[氷菓]で締め括られる。
監督&脚本は『バイロケーション』『劇場版 零〜ゼロ〜』の安里麻里。
奉太郎を山崎賢人、えるを広瀬アリス、摩耶花を小島藤子、里志を岡山天音、糸魚川を斉藤由貴、高校時代の関谷を本郷奏多、大人になった関谷を眞島秀和、高校時代の糸魚川を天野菜月が演じている。 供恵の声を、特別出演の貫地谷しほりが担当している。冒頭、供恵のナレーションで、彼女が奉太郎の送った手紙の文面が語られる。彼女はベナレスを訪れていて、どういう街なのかを簡単に説明する。
しかし、彼女がどこにいようが、どんな街であろうが、今回の話とは何の関係も無い。
何とか関連性を見出そうとするならば、「ベナレスは葬式の街で、ここで死ぬと必ず天国へ行ける」というトコを関谷純の死に重ねるぐらいだろうか。
でも、それって繋がってないよね。
だから、やっぱり要らないオープニングにしか思えない。「部室が密室状態だった謎」について奉太郎たちが考える時、里志は「この学校は内側からは鍵の開け閉めが出来ない」という。半ロック状態だったのではないかと奉太郎が推理すると、「神高のドアはロックが半端だと鍵が抜けない」と言う。
ものすごく都合のいい解説担当として、彼が利用されている。
最初の情報については「先週、ちょっとした実験をしようと思ったんだけど、忍び込むことが出来ても内側からロックできる教室が無くて」と話すけど、苦しい言い訳にしか聞こえない。
本来なら、そういう情報も含めて奉太郎が調査したり情報を集めたりしなきゃいけないんじゃないか。その場で里志に解説させるのは、時間短縮のための手抜きにしか思えん。
ちなみに、供恵のエアメールに「文集のバックナンバーは部室内にある」とあるのも、見事なぐらいの御都合主義だ。それは大した事件じゃないし、あくまでも「奉太郎とえるの出会い」とか「奉太郎の推理能力」を見せるための序章に過ぎない。だから、そんなトコで手間と時間を掛けるのではなく、テキパキと片付けたいと思ったとしても、それは理解できる。
ただ、根本的な問題として、「そのエピソード自体、要らなくね?」とさえ感じてしまうのだ。
いや、前述した2つの要素は冒頭で絶対に処理しなきゃいけないことだけど、もっと大幅に改変した方が良かったんじゃないかと。
何しろ、奉太郎の推理能力の凄さが、そんなに伝わって来ないのよね。そこは「えるが奉太郎は名探偵だと感じて信頼し」というインパクトが欲しいトコなんだけど、それが全く足りていないのよ。そもそも、奉太郎は「火災探知機の点検をしていた業者が、えるの存在に気付かず施錠した」と推理し、それに伴う映像も挿入されているけど、あくまでも「彼の推理」に過ぎないわけで。
まるで「それが事実」のように描いているけど、確実な裏取りをしたわけではない。
作業を終えた業者が施錠する様子は目の前で見ているけど、それは状況証拠に過ぎないのだ。
えると里志が納得することで「推理は的中していた」と断定する形になっているけど、まだ確定事項ではないのよ。続く図書館のエピソードも、印象としては1つめの謎と大して変わらない。その場で得た些細な情報だけで、あっという間に謎を解いてしまう。
超推理のシャーロック・ホームズや江戸川コナンだって、手掛かりを集めるための作業はするぞ。
そりゃあ謎のレベルが低いってことはあるけど、それにしても簡単だなと。
そうやって「簡単な謎を解くスケッチを串刺し式に連ねる」という構成にしてあることも、退屈を招く大きな要因になっている。図書館の一件でも裏取りはしていないのだが、それ以前の問題がある。
部室の一件も含めて、ザックリ言っちゃうと、そのミステリー自体にあまり興味が湧かない。極端に言っちゃうと「どうでもいいわ」という感想になる。
この作品の内容を考えると「それを言っちゃあ、おしめえよ」なんだけど、それでも観客の興味をそそるために何らかの工夫が必要だったんじゃないかと。ものすごく誇張してケレン味たっぷりに演出するとか、もっとキャラの個性を強く押し出すとか。
ともかく、謎解き以外の部分で面白味を出さないと、かなり厳しいんじゃないかと感じるのだ。「些細な謎を解くエピソードがチャプター形式で連なる構成」ってのは、どうやら原作通りのようだ。でも、「だったら仕方が無いよね」とか、「だったら原作通りにした方がいいよね」とは微塵も思わない。
もちろん原作へのリスペクトを考えれば、基本的には踏襲することが望ましい。しかし、「そのままだと映画として面白くない」というケースなら、それは大幅に改変すべきだ。
この作品の場合、幾つかのエピソードを連ねるのではなく、「えるには答えを求めている謎があり、その解明を奉太郎に依頼する」という部分を最初に提示して、そのミステリーを巡る1本の長編として構成した方が良かったんじゃないかと。
その謎をえるが明かすまでの2つの謎は、余計な寄り道とさえ感じるほど退屈なのだ。
しかも、メインの謎が提示されるまでに40分以上も使っているわけでね。「具体的な内容は覚えていないが、答えを聞いて泣いたことだけは覚えている」「優しかった叔父が、その質問をした時だけは何もしてくれなかった」といった幼い頃の出来事があれば、その真相を知りたくなるのは理解できる。
ただ、それが長編映画のメインイベントとなるミステリーとしての力をどれぐらい持っているのかと考えた時、ちょっと厳しいと言わざるを得ない。
それでも見せ方を工夫すれば、興味を誘うことは出来ただろう。
しかし、その前に2つの謎を用意したことが完全に逆効果となっており、「その程度の謎しか無い作品だから、メインも大したことが無いんじゃないか」と思ってしまうのだ。とは言え、それはある意味で「期待値のハードルを下げる」という効果に繋がっていると解釈できなくもない。調査を進める上で、「これは大きな事件が絡んでいる」とか「驚愕の真相が待ち受けている」という期待感を煽ってくれれば、それはそれで悪いことばかりじゃない。
しかし残念ながら、調査が進む中でワクワクが高まるようなことは無い。
そして最も厳しいのは、真相が分かった時に「だから?」という冷めた感想しか湧かないってことだ。
謎解きが終わった時、そこに何の衝撃も無ければ「パズルのピースが組み合わさった」という爽快感も無いのだから、そりゃあ厳しいでしょ。33年前の事件について奉太郎は真実に辿り着いたようだが、どういう情報を組み合わせた結果として結論に至ったのかは全く分からない。
そして彼が「これが真相だ」と語るのではなく、話すよう求められた養子が詳細を説明する形を取っている。
2時間サスペンスドラマで「崖に追い詰められた犯人が詳しく説明する」というパターンがあるが、それの劣化版みたいなことになっている。
何しろ、奉太郎は文集のバックナンバーを見つけたことを明かしただけなのに、全てベラベラと喋ってくれるのだ。養子が事件の詳細を語ると、奉太郎は「俺が聞きたいのは1つだけだ。関谷純は自ら望んで全校生徒犠牲になったんですか」と尋ねる。その答えを養子は知らないが、『氷菓』は関谷が付けた題名だと言う。それを受けて奉太郎は、「氷菓はアイ・スクリーム、つまり叫びを意味する言葉として付けた」という仮説を立てる。
つまり関谷は望んで犠牲になったわけじゃなく、本当は叫びたかったってことだ。
でも、それが分かったところで、「だから何なのか」と言いたくなる。
そりゃあ本人にとっては大きな出来事だろうけど、ミステリーの着地として興味をそそるのかと問われたら、「いや全く」と言わざるを得ない。しかも、これも今までの事件と同様、そこも裏付けの無い仮説に過ぎないのよね。何しろ本人が失踪しているから、裏付けを取ることは不可能に近いし。
あと、もしも33年前に悲鳴を上げていたとしても、たぶん関谷は退学になっていたと思うぞ。
周囲の生徒たちが彼を庇うとは思えない。そんな連中だったら、悲鳴を上げなくても擁護していたはずだ。だから叫ぼうが叫ぶまいが、彼の人生は一緒だと思うぞ。
だから答えが明らかになっても、ただ虚しいだけで、「謎が解けた」という気持ち良さは全く味わえない。ちなみに榊原郁恵の『夏のお嬢さん』やディキシーランド・ジャズのスタンダードである『IceCream』を知っていれば、「氷菓はアイスクリームの意味」という説明があった時点で、オチが推測できてしまうかもしれない。推理の手掛かりを用意するのはミステリーとして当然だけど、ほぼ答えのようになっているのだ。
それはともかく、殺人事件も盗難事件が起きないミステリーで観客を引き付けるのは、相当に難しいことだと思う。で、そこの壁を打ち破ることが、この映画は全く出来ていないわけだ。
しかし原作はシリーズ化されるぐらい人気なのだから、きっと面白く描くことが出来ているはず。
ってことは、原作で面白かった部分を、この映画は上手く汲み上げることが出来ていないってことだ。(観賞日:2019年1月2日)