『ホッタラケの島 遥と魔法の鏡』:2009、日本

昔々、武蔵野のある村に、祖母の形見を無くしてしまった百姓がいた。それはすっかりほったらかしにしていた古いクシだ。貧しい百姓は 賽銭の代わりに卵を裏のお稲荷さんにお供えして祈った。すると、ある夜、キツネがクシを届けてくれた。それ以来、なくし物をした村の 人々は、その稲荷に卵を供えてお願い事をするようになった。だが、本当は、ホッタラケにしているなら貰っちゃえと、キツネたちが人の ほったらかしたものを持っていっていたのである。その物語は、遥が幼い頃、病気の母に読んでもらった絵本の内容だ。病室のベッドで 絵本を読んでくれた母に、遥は貰った手鏡を大事にしていることを話した。
遥は現在、高校生に成長している。彼女は母を亡くして以来、アパートで父と暮らしている。遥が親友の美穂を連れて帰宅すると、その日 も父は泊まり仕事だった。冷蔵庫を開けた遥は、父が勝手にジンジャーエールを飲んだことに気付いた。会社の父から遥に電話が入り、 「やっぱり早く帰れそうだから、御飯、何かあるかな」と告げられる。遥は「知らないよ」と怒鳴って電話を切った。
ベッドに横たわった遥は、ふと手鏡のことを思い出した。昔は大事にしていたのに、いつの間にか無くなっていた。彼女は「お婆ちゃん家 、行ってくるわ」と美穂に言う。遥は武蔵野へ赴き、稲荷に卵を供えて「手鏡を返してください」と祈った。また父から電話があり、 やはり10時を過ぎそうだと告げられる。遥は「今日は家にいませんから」と電話を切り、「帰りたくないなあ」と呟いた。
既に日は暮れていた。遥は落とした鍵を拾うため、稲荷の軒下に潜り込んだ。その時、彼女はキツネの仮面を付けた不思議な生き物が、 ゴム飛行機を運び去る姿を目撃した。後を追った遥は森に入り、その姿を見失った。彼女が岩場の水溜まりを見つけて近付くと、卵の殻が 浮いていた。触れてみると、水は温かかった。彼女が腕を突っ込むと、そのまま水の中に体を吸い込まれてしまった。
遥はキツネ面の生き物が寝ている荷車に落下した。キツネ面が驚き、荷車は橋を滑り落ちた。遥とキツネ面は地下に墜落した。そこは、 どこかの町のようだった。キツネ面の少年・テオは遥が人間だと知って驚き、他の住人に見つからないよう、慌てて仮面を被せた。テオは 人間がホッタラケにした物を、その街に運んでいた。遥は、そこに手鏡もあるのではないかと考える。テオは早く帰るよう告げるが、遥は 一緒に手鏡を探してほしいと持ち掛けた。彼女はテオが盗んだ鍵を奪い返し、「手鏡を見つけたら、あげる」と告げた。
テオは「人間がいると分かったら、お仕置きをされる、スタンプカードも取り上げられる」と怯えるが、遥は半ば強引に協力を取り付けた 。上に行けば、島があるらしい。遥とテオは、島へ向かう列車に乗り込んだ。テオによれば、そこの住人は人みたいに物が作れないから、 人がホッタラケにした物を運んでいるのだという。やがて列車は、地上に出た。街に出た遥は、テオと一緒に手鏡を探し始める。ある店で 遥は、「マバロワの店に行って聞いてみろ」と告げられた。
テオはピカンタ、ビッキ、デカゴーという3人組に絡まれ、からかわれた。遥が「やめてあげなさいよ」と割って入ると、ビッキは 「まさか彼女かい」と笑う。遥はテオを引っ張って立ち去った。リーダー格のピカンタは、仮面を付けた遥に不審を抱いた。歩いていた遥 は、飛行船が上空を飛んで行くのを目にした。テオは「男爵の飛行船だ。お城で威張っていやがる」と不愉快そうに告げた。
遥はテオと共にマバロワの店を訪れ、手鏡を探していることを告げる。マバロワは「若僧が買えるものじゃない。スタンプカード千枚から 交換じゃ」と言う。しかし遥が手鏡のイラストを見せると、マバロワは「男爵の鏡だ。鏡は恐ろしい魔力を持ち、大切に保管されていた。 しかし何者かに盗まれて、どこにあるのか分からない」と述べた。マバロワは、遥が人間だと気付いた。遥たちが立ち去った後、マバロワ は男爵に「人が鏡を探して侵入しています」と報告した。
密かに遥を観察していたピカンタたちは、彼女が仮面を取って人間の顔を見せたところを目撃する。3人組は遥の前に現れ、仮面を取ろう とする。遥はテオを連れて逃げ出した。遥たちは、ホッタラケの記憶を見るホッタラケ・シアターに辿り着いた。そこで操り人形として ステージの上で動いていたのは、遥が幼い頃に持っていたヌイグルミのコットンだった。遥は舞台に上がって顔を見せ、コットンに声を 掛けた。人形師夫婦の妻は「感動の対面よ」と呟き、音楽を盛り上げるよう指示した。
遥が「覚えてる?」と問い掛けると、コットンは「覚えてる。僕を捨てた。遥、嫌い」と冷たく言い放つ。「今までほったらかしにして ごめんなさい」と遥は謝るが、コットンは「信じられない」と背中を向けた。そこへ3人組が巨大な怪獣を操って乱入してきた。遥は コットンを抱え、テオと共に逃走する。遥は列車に乗り込み、「もう、ほったらかしにしないから」と謝る。するとコットンは、「本当は 、僕も会いたかったよ」と告げた。
テオは遥とコットンを自宅に連れ帰った。家の中には、たくさんの飛行機のオモチャが飾られていた。彼は「いつか本物の飛行機を作って 空を飛びたい」と夢を語る。男爵の飛行船を除けば、そこの住人は誰も空を飛んだことが無いのだという。エンジンの存在さえ知らない テオに、遥はゴム飛行機の原理を教えた。「コットンはなんで動いてるの?」と遥が訊くと、テオは「誰かが鏡のカケラを入れたんだ。鏡 は神様の力を持ってる。だから人形にも命を吹き込めるんだ」と説明した。
コットンは、手鏡のことも覚えていた。コットンは遥に「手鏡と一緒に、男爵に捕まった。城から泥棒に盗まれた。宮殿に連れて行かれた けど、必死で逃げて来た」と語る。テオは遥に、地下宮殿に住む盗賊のことを教える。遥はテオが椅子として使っている蓄音機に気付き、 正しい使い方を教えた。テオは水汲みに出掛けたところで、男爵の手下たちに捕まった。男爵は「鏡を人間と一緒に見つけたら、こっそり 返してくれ。そうすれば人間を連れ込んだ罪は揉み消してやるし、スタンプカード1万枚もやろう」と持ち掛けた。
翌朝、遥たちは宮殿へ向かった。遥たちは巨大な怪物に襲われ、トロッコから弾き飛ばされた。コットンの活躍で怪物はハリボテになり、 遥は手鏡を手に入れた。地上へ脱出すると、男爵一味が待ち受けていた。男爵はテオにスタンプカードを渡し、遥から手鏡を奪った。 コットンは男爵に襲い掛かるが、地下に投げ落とされた。男爵は遥を城へ連行し、自分の野望を語る。彼は城に一万枚の鏡を集結させ、 そのパワーで千体のロボットを動かそうとしていた。ロボットに人間の世界からあらゆる新製品を運ばせ、島を壊して機械を使った島に 変貌させ、人間よりハイグレードな存在になろうとしていたのだ。
男爵は遥に物忘れドロップを飲ませ、今までの記憶を消去して家来にしようと企む。テオは住民たちに「男爵はとんでもないことを企んで いる。これから男爵に捕まった人を助けに行く。人は、みんなが思ってるような怖い存在じゃない。飛行機を作ってくれ」と呼び掛けた。 彼は3人組にスタンプカード一万枚を差し出し、「これで飛行機を作ってくれ」と依頼する。彼は完成した飛行機に乗り込み、城を目指す 。遥は男爵にドロップを飲まされそうになるが、コットンがホッタラケの大軍を引き連れて救出にやって来た…。

監督は佐藤信介、脚本は安達寛高&佐藤信介、製作は亀山千広&石川光久、エグゼクティブプロデューサーは石原隆&石川みちる& 高田佳夫&尾越浩文、プロデューサーは関口大輔&森下勝司、演出は塩谷直義、絵コンテは塩谷直義&Dwight Hwang、キャラクターデザインは石森連&ヒラタリョウ、遥デザインスーパーバイザーは 黄瀬和哉、ヴィークルデザインは竹内敦志、プロップデザインは石森連、コンセプトデザインは宮沢康紀、美術設定(ホッタラケの島 パート)は青木篤、美術設定(現実パート)は加藤浩(ととにゃん)、CG監督は長崎高士、VFXスーパーバイザーは田中洋平、 美術監督は野村正信、編集はルナパルク&今井剛&加藤ひとみ&脇本一美、音響監督は宇井孝司、アニメーションプロデューサーは 高木真司、音楽は上田禎。
主題歌「君は太陽」スピッツ、作詞・作曲:草野正宗、編曲:スピッツ&亀田誠治。
声の出演は綾瀬はるか、沢城みゆき、戸田菜穂、大森南朋、谷村美月、家弓家正、松元環季、うえだゆうじ、甲斐田裕子、宇垣秀成、 塩屋浩三、岩崎ひろし、岡部政明、大瀧舞、石住昭彦、竹村叔子、安西英美、大林洋平、千々和竜策、吉本元喜、原悠起、柏木玲、 橘ゆりか(アイドリング!!!19号)、志村まり子、根来彰子、藤代真由子、門脇幼奈、春林、たなかこころ、田中聖一朗、川上輝、 塚田徹郎、飯田真矢、水野未来、徳原桂作、今井昭暢、鈴木智奈子ら。


フジテレビ開局50周年記念作品。
企画の始まりは、関口大輔プロデューサーが子供の頃に読んでいた絵本を実家で発見したこと。
そこには稲荷に伝わる民話が載っていた(この映画の冒頭で語られる内容)。
そこから彼はホッタラケの島に関するイメージを膨らませ、そこに佐藤信介監督と脚本家の安達寛高(作家の乙一)が加わって物語が 作られたらしい。
遥の声を綾瀬はるか、テオを沢城みゆき、遥の母を戸田菜穂、父を大森南朋、美穂を谷村美月、男爵を家弓家正、コットンを松元環季が 担当している。

病室のシーンで遥と両親が登場した途端に、強い違和感を抱いてしまう。
3Dによる人間キャラクターを自然なものとして受け入れるだけの器は、私には備わっていない。
どうしても、ゲーム的な映像だと感じてしまう。
デザインだけじゃなく、動きに関しても違和感がある。カクカクしているわけじゃないんだけど、不自然なんだよな。
ただし、ホッタラケの不思議な世界に入り込み、変な生物と絡み始めると、遥の3D描写に対する違和感は薄れる。何となく紛れちゃうん だな。

ベッドに横たわっていた遥は、不意に「昔はすごく大事にしてたのに、いつの間にか無くなってるものって無い?」と言い出し、手鏡の ことを思い出す。
だけど、何のきっかけも無いので、すげえ不自然。
ちょっと会話か何かを用意すれば、それだけで済むことなのになあ。繊細さが無いなあ。
そこで「お婆ちゃん家、行ってくるわ」と言い出すのも不自然。
そこまでに、「何かあったら祖母の家を訪れる」というネタ振りでもあれば別だけど、そうじゃないし。

遥は武蔵野の稲荷に卵を供えて「手鏡を返してください」と祈るが、子供の頃は信じていたとしても、父親に対してクールな態度を取る 高校生に成長した彼女が、未だに稲荷に卵を供えてお願い事をするのも違和感がある。
父からの電話を「今日は家にいませんから」と切った後、「帰りたくないなあ」というのも不可解だ。そこまで嫌がるほど、父と仲が悪い 雰囲気も無かったし。
っていうか、父は残業だから帰っても不在なんだし、家に帰りたくない理由は良く分からない。
地下宮殿のシーンで、「私もホッタラケ。心配してくれる人なんて誰もいない」と孤独感を感じていることを話すが、そこまでに「父が 多忙で自分がほったらかしにされ、遥が寂しさを感じている」ということは表現されていないのよね。
だから前述のシーン、帰りたくない理由が伝わらないのよ。

たぶん、日本版の『不思議の国のアリス』をやりたいんだろうとは思うのよ。
「キツネ面のテオを追い掛けて」という導入も似ているし。
ただし根本的に違うのは、アリスは不可思議な現象を何でも簡単に受け入れるような幼い少女だったけど、遥はそうじゃないってことだ。
登場してわずかの時間で判断すると、遥は「ごく普通の、少し冷めたところのある高校生」というキャラ造形に見える。
にも関わらず、アリスと同じように、遥を「不思議な世界に迷い込んでも全く驚かず、すぐに順応する」という動かし方をしている。
だから、そこに納得できないものを感じてしまう。

遥は仮面を付けているが、他の連中もみんな付けているのかというと、そうじゃない。
だとすれば、既に仮面を付けている時点で怪しいはずなんだが、それに不審を抱く奴はいない。テオも地下では付けていたし(地上に 出ると外しているけど、地下と地上で使い分ける理由は不明)。
その世界では、仮面はオシャレアイテムの1つという設定なんだろうか。
その辺りは、御都合主義を感じるなあ。

遥はコットンと再会するが、手鏡の思い出はあっても、コットンとの思い出は全く描かれていないので、そこでは全く心が動かない。
コットンに思い入れがあるのは遥だけであって、その気持ちを観客は全く共有できない形になっているのだ。
っていうか、手鏡で「母との思い出」という要素を持ち込んでおいて、さらに捨てたヌイグルミとの関係を持ち込むのは欲張りすぎでは ないかと思うし。

遥はホッタラケ・シアターで堂々と人間の顔を見せているのに、観客がパニックに陥ることは無い。3人組にしても、捕まえようとはして いるけど、それほど大慌てすることはない。
ってことは、ホッタラケの島に人間が来ることは、そんなに大変なことでもないのか。
だとすると、テオの慌てふりは大げさってことか。それとも職種的にマズいから、慌てたってことなのか。
その辺りは、住人のリアクションに納得できない部分があるなあ。
人間を怖がっている設定のはずなんだけど、そうは見えないのよね。

遥はテオが椅子として使っている蓄音機に気付き、正しい使い方を教えるが、なぜそんな古い物の使い方を性格に知っているん だろうか。
「祖母の家にもあったから」という説明があるが、祖母の家での出来事が全く描写されておらず、それどころか祖母さえ登場しないので、 そこに無理を感じる。
「いかにも現代的な女子高生が、古いことを良く知っている」という設定なら、その描写が足りないよ。

地下宮殿の冒険からコットンも同行しているが、そうなると正直、テオって要らなくないか。
遥が「稲荷で発見して追い掛ける相手」というでお役御免にして、それ以降はコットンがパートナーという形の方がスッキリするわ。
その地下宮殿では、コットンが怪物を倒して遥が手鏡を手に入れるが、そんなに簡単に見つかるのかよ。手鏡を探すための冒険って皆無 じゃん。その安易さはダメだろ。
あと、他にも多くの鏡がある中で、なぜ遥の母親の手鏡だけが特別なのか、それが全く分からないんだよな。

テオが3人組に「飛行機を作ってくれ」と頼んでから、実際に完成するまでが早すぎる。
そりゃあ、もう遥が家来にされそうになっているし、急がないと間に合わないんだけど、それは言い訳にならない。
そもそも、そこで3人組が簡単に協力してくれるところからして、やや違和感があるし。
っていうか、その飛行機が間に合ってない内に遥が逃げ出すし。そりゃ構成としてダメすぎるだろ。
あと、テオだけじゃなくて、コットンも大軍を率いて助けに向かっているのよね。そこは1つにまとめようよ。
例えばテオが助けに行こうとしているところで、コットンが飛行機を用意して手助けするとかさ。別々なのはダメだろ。結局、遥の危機を 救うのはコットンになっているんだよな。

子供向けに作っているはずなのに、可愛いコットンの腹が男爵によって真っ二つに裂かれるという描写は残酷すぎるだろ。そこは、そう なる前に助け出せよ。
もしコットンが命を落とすにしても、そんな形での死に方はアカンだろ。
っていうか、そこに限らず、ちょっとエロい遥の描写とか、あちらこちらに成人の観客を意識したような描写が入るんだよな。
それも中途半端な形で。

遥をテオが飛行機で救出するシーンは、「このままだと遥が墜落死する」ということよりも、「遥がコットンとの別れを悲しむ」という 意識の方が強くなっているから、まるで高揚感が無い。
しかも、さっさと逃走シークエンスに入ってしまうから、「コットンの死」という大きな出来事の余韻に浸れないし。
そもそも、テオはもっと早く助けに来なきゃ意味が無いだろうと感じるしね。
そこって、展開として、「まずテオが飛行機を使わずに城に侵入して遥を救い出し、追い詰められたところでコットンが大軍を引き連れて 現れ、テオに脱出の道具として飛行機を用意する」という流れの方がいいんじゃないのか。

っていうか繰り返しになるけど、やっぱりテオを削って、パートナーはコットンだけにした方がいいよな。
もしくは、手に入れたい対象を、手鏡じゃなくてコットンにしておきゃあいいんじゃねえのか。正直、手鏡って、そんなに命懸けに 頑張ってまで手に入れたいものかなあと。ピンと来ないのよ。
それは「手鏡だから」ということじゃなくて、手鏡に対する遥の思い入れの強さがまるで伝わって来ないから。遥が命懸けで手鏡を手に 入れようとするモチベーションが良く分からないのよ。
彼女を突き動かす源は何なのか。そんなに必死になるほど、母親への強い思いは伝わって来ないし。
それに対して、コットンの方は、途中で触れ合いがあるし、なんせコットンは喋るので、そんな相手を命懸けで救おうとする展開なら、 納得しやすかったと思うのよね。

つまり、最初から手鏡の要素は削除しておき、「遥はテオを追い掛けてホッタラケの島に辿り着く。そこでコットンと再会するが、男爵に 奪われたので取り戻そうとする」という冒険活劇にすれば良かったんじゃないかと。
その場合、母親を亡くしている設定の意味も無くなるけど、だったら削除していいよ。どうせ両親との絆や家族のドラマなんて、全く表現 できていないし。最後まで、手鏡の意味が薄いのよ。マクガフィンとしての機能も弱い。
あと、最後に感動させたいのなら、遥が父に電話を掛けて「どこかに食べに行かない?」と言い、食べたいものを聞かれて「ハンバーグ」 と答えるシーンは、父の手作りハンバーグにしないと意味が無いでしょ。
終盤、母が亡くなった後、父が「泣いてばかりじゃダメだ」と自分に言い聞かせ、遥の弁当にハンバーグを作ってくれたという回想が あって、それを伏線にしてのラストシーンなんだからさ。
外食じゃ意味が無いんだよ。大切なのは「ハンバーグ」じゃなくて「父の手作り」という部分なんだから。
そこは、あまりにも無頓着だなあ。

(観賞日:2011年2月9日)

 

*ポンコツ映画愛護協会